英雄の最期と不可思議な夢
初めまして、よろしくお願いします
体が動かない。
全身が切り刻まれるように痛い。
力という力が溶けるように消えていく。
クレーターのように抉れた大地の中で仰向けに倒れながら、ノアは右手に持った剣の感触を確かめる。
腕は千切れていない。抉れた地面の凹凸を背中に感じることはできる。足もまだ体についているようだ。
――だが、それが人のカタチを成したただの肉の塊になるのも時間の問題だった。
突如として現れた魔王。魔物を操り、強大な力を操り、世界を恐怖に陥れてきた存在。
その心臓をこの手に持った剣で確かに貫いた。
大地を揺るがす咆哮をあげ、肉体が崩壊し、魔王は確かにこの地に倒れたはずだった。
共に戦ってくれた仲間たちと勝利の喜びを分かち合い、平和な明日に希望を見出だすはずだった。
――そんな油断がこの惨状を引き起こした。
地に伏した魔王にはまだ力が残っていたのだ。
残された最後の力を炸裂させた魔王は、己の肉体と引き換えに周囲に存在するあらゆるものを消し飛ばした。
岩も、草も、花も、木も、雲も、大地ですら吹き飛ばした。
そして、ノアの仲間たちをも――。
「――ノア……」
誰かがノアの名を呼ぶ。
ノアは石のように動かなくなりつつある体を必死に動かし、声のしたほうに顔を向けた。
「…………レントローゼ……」
ノアの隣に倒れていたのは、ボロボロになった純白のローブに身を包んだ女性――レントローゼ。
ルフス王国の第二王女という身でありながらノアと共に魔王との戦いに身を投じたレントローゼは秀でた治癒魔法の才を持ち、それによって人々を癒すその姿から、【聖女】と呼ばれ慕われていた。
しかし、そんな【聖女】もまた魔王の自爆を受け、瀕死の重傷を負っていた。
「……申し訳、ありません……。わたくしにはもう、魔法を……使う力すら……残っていないようです」
「謝る必要なんか……無い……!そもそも俺が油断しなれば……こんな、ことには……!」
傷だらけになったその美しい顔を見て、ノアは涙を流す。
それに込められるは、自責と後悔の念。
最後の最後まで気をしっかり持っていれば、自爆などする力も残させないほど完全に討ち倒すことができていれば、こんなことにはならなかったのに。
自爆は止められなかったとしても、せめて彼女だけでも守ることができたのなら――
「――そんな悲しい顔をしないで、ノア」
レントローゼは震える手を伸ばし、ゆっくりとノアの頬を撫でる。
「魂は廻っている……。わたくしたちの魂もまた、巡り廻ってこの世界に帰ってくる……。大丈夫、きっと、また会えます……。だから、笑って」
それは、【聖女】の名に相応しい優しい微笑みだった。
魂が巡り廻って帰ってくる。そんなのは世迷い言だろう。
死んだらそれで終わりだ。やがてこの身は朽ち果て、世界の一部となる。
このまま死ねばノアという存在も、レントローゼという存在も消えてなくなる。
そんなことは分かりきっている。レントローゼが互いの悲しみを少しでも慰めるために、そんなことを言っているのだということも。
――だが、それでも。
「そうだな……。次にこの世界に帰って来たときは……暖かな日差しの下で……みんなが笑い合っているような……そんな世界だと、いいな……」
そんな微笑みに答えるようにノアもまた手を伸ばし、レントローゼの頭を撫でる。
――そして、涙を流しながら笑った。
「えぇ、きっと素敵な世界が待っていることでしょう……。そんな世界を、またわたくしと一緒に歩いてくれますか……?」
「……あぁ、もちろん」
「フフッ、約束……ですよ?」
「約束だ。きっとまた、一緒に……」
「……楽しみですね……ノ……ア…………」
――レントローゼの手がノアの頬から滑り、力無く地面に落ちる。
そして、安らかに眠りについた大切な仲間を見守りながら、ノアもまた静かに眠った。
***
「――――うん……?」
布団の上で眠っていた黒髪の青年――アルスは、どこからか聞こえる小鳥のさえずりで目を覚ました。
上半身を起こし、あくびをしながら腕を上げて体を伸ばす。
わずかに空いた窓から入り込むそよ風に揺れるカーテンを見つめながら、柔らかな朝日の暖気を受ける。
寝癖のついた頭を掻き、掛け布団に目を落としたところで、アルスの寝ぼけていた脳が徐々にはっきりし始めた。
そうして完全に覚醒したアルスが最初に考えるのは、ついさっきまで見ていた夢のことだった。
「……また、あの夢を見たな」
伝説の【勇者】――ノア。
五百年前、“魔王大戦”と呼ばれる魔王と五人の英雄の戦いがあった。ノアはその五人の英雄の内の一人である。
そんな英雄の最期は、魔王との相討ちだったとされている。
アルスはまさに、そんな英雄の最期を追体験するような夢を見ていた。
何とも奇妙な夢ではあるが、アルスがそんな夢を見たのは今回が初めてでは無い。
全身を貫く激痛も、平和な世界を見れずに散った無念さも、全てが鮮明に思い出せる。夢などではなく、まるで本当に自分が体験してきたことのように。その夢を見て起きた時には、五体全てがちゃんと繋がっているのかどうか思わず確認してしまうほどだ。
何度も何度も同じように見るこの夢が、果たしてただの夢と言えるのだろうか。
もしかして、何かを暗示しているのではないだろうか。
アルスがその疑問を持つようになった決定的な出来事が起こったのは、まだ子供だった頃。日曜学校での王国史の授業を受けているときだった。
――レントローゼ。
五百年前のルフス王国第二王女であり、【勇者】を支えた仲間の一人として語り継がれる【聖女】。夢の中でも【勇者】の傍にいることが多かった人物である。
その名を聞いた瞬間、アルス思わず涙を流してしまった。
五百年も前の人物など会ったことがあるわけがないし、関わったことがあるわけもない。
そのはずなのに、強烈な懐古感を覚えたのだ。
ただの夢に出てきた人物なのに、どうしてこれほどまでに切ない気持ちになるのだろう。
どうしてこれほどまでに会えないことが悲しいのだろう。
どうして――
不可思議に、だが強烈に襲ってきたその悲しみに、当時のアルスは涙した。その時に授業をしていたシスターの慌てた顔は今でもよく覚えている。
「この夢は何なんだろうな……」
そんな子供時代から時は流れ、アルスも今や二十歳である。
この夢が一体何なのか、未だにそれは分かっていない。
もしかしたら凄まじい偶然によってたまたま同じ夢を繰り返し見ているのではないかとも思ったが、十五年以上そんな偶然が続くとはさすがに思えない。
やはり何かが自分に起こっているとしか思えないのだが、体は健康そのももであり、特に原因を突き止めることはできていない。
「実は俺って、前世は【勇者】ノアだったりしてな」
――そんなわけはない。
自分で口にしながら、心の中で否定する。
アルスの剣の腕は凡才もいいところだ。取り立てて弱いわけでもないが、強いわけでもない。
【勇者】などという、五百年経った今でも語り継がれるような最強の剣の使い手の生まれ変わりだとしたのなら、もっと才能に恵まれていてもいいはずだ。
「…………ハァ、馬鹿なこと言ってないで顔洗ってこよ……」
虚しさを吐き出すように溜め息をつき、アルスは寝起き特有のだるさを残した体を動かして布団から這い出た。