ライバル令嬢は悪役令嬢ではございません。
視点:ヒロイン→ライバル令嬢と変化します。
あたしはエマ・アレオン。
アヴァール王国の伯爵家に生まれた令嬢で、この世界のヒロインよ!
「──リュシエンヌ・ラルエット。お前との婚約を破棄する!」
あたしの隣には美少年が立っている。
青銀髪に濃い青の瞳。ややキツめの釣り上がった眉や目尻は好みじゃないけど、この世界の王子様だから仕方がない。王子様はヒロインとくっつくものだもんね。
彼は公爵家の嫡男、ゼノン・ヴィズール様。
アヴァール王国王立学園の中では1番地位が高い。国王様の甥だし。
スタイルは抜群で、あたしを今も衆目から庇うように長い腕で包み込んでくれている。
人の目が集まっちゃうのはしょうがないよね。ここ学園の舞踏会ホールのど真ん中だし。
学園祭のメインイベント、舞踏会の真っ最中だし。
ゼノン様はビシッと自分の正面に立つ少女を指差した。
お行儀が悪いとこはあたしの好みじゃないけど、王子様だから仕方ない。
「エマに対しての非道ないじめの数々、聞き及んでいるぞ! お前のような悪辣な女がオレの婚約者など許されるはずがない!!」
「……ゼノン様、わたくしが本当にそのようなことをすると思っていらっしゃるのですか?」
少女は眉尻を下げて悲しそうな表情を作った。
金髪縦ロールに青い瞳のテンプレ悪役令嬢だ。
リュシエンヌ伯爵令嬢。あたしと同じ伯爵家の生まれだけど、賢さや心映えが美しいと幼いころから評判で、ゼノン様の婚約者になった娘だ。
顔立ちはあたし以上に整っている。スタイルだって海外女優みたいに出るとこは出て、なのに腕や脚はスラリとしている。
地味にムカつくけど、あたしはまあ、ヒロインだから。可愛さで魅了する、小動物系っていうか!
「リュシエンヌ様! 嘘を吐くのはやめてください……!」
あたしは目を潤ませ、ゼノン様にしがみつく。
声は震わせながら、でも周りを囲う学生たちにはっきりと聞こえるように発音はしっかりと注意して。はー、ヒロインも楽じゃない。おかげで演技力に磨きがかかったわー。
ピンクブロンドの髪に白い肌、水色の大きな目。リスみたいな愛らしい顔立ちが泣きそうに歪めば誰だって同情して騙されてくれる。
チョロいチョロい。だってあたし、ヒロインだし。人生イージーモードって最高。
「可哀想に、エマ。このように震えて──白々しいことを言ってオレの気を引こうとしても今更無駄だ、リュシエンヌ!」
あたしを憐むように抱きしめたゼノン様はキッときつく悪役令嬢を睨む。
正直ゼノン様の触り方ってベタベタしてて好きじゃないけど、『王子様』だし仕方ない。
彼より顔も身体も地位も財力もある男がこの学園にいたら乗り換えたけど、見当たらなかったんだよな。
「……わかりました。婚約破棄の件は、しっかりと我が父上とヴィズール公爵様にお伝えいたします」
悪役令嬢リュシエンヌは静かにお辞儀すると、あたしたちに背を向けて去っていった。
これは、断罪完了ってこと? あたしの勝利? ハッピーエンド?
「エマ、これでオレたちは幸せになれるぞ!」
「ゼ、ゼノン様っ……!」
だから、背中を撫でまわすな〜! 顔が綺麗なのに触り方と距離感がセクハラオヤジってのが嫌!
心の中ではドン引きしながらもあたしはうっとり微笑んだ。
周りからは苦難の末のラブロマンスに嫉妬や羨望の目線が……ない!?
ひしと抱き合うあたしたちをよそに、舞踏会は再開していた。
どういうことよ! ここは満場の拍手で悪役令嬢を嘲笑い、あたしを讃えるところだろ!!?
確かに、いじめの話は根も葉もないでっち上げだけど、あたしとゼノン様が恋心を秘めて学業に専念するの見てたでしょ!!? 全然秘めずに校舎のそこらじゅうでイチャイチャしてたけど!
いやいや、落ち着くんだエマ。あたしはヒロイン。
心優しいこの世界の主人公がこんなことで癇癪起こしちゃいけない。
みんなの楽しい学園祭を邪魔したのはあたしたち。
そう、ここはこのホールの真ん中で勝利のダンスを踊る場面だ!
「踊りましょう、ゼノン様」
「エマ……!」
うるうるした瞳で弱々しく微笑むと、鼻息を荒くしたゼノン様がギュッと手を握ってくる。
うぇっ、汗でビチョビチョじゃん! ほんとこいつ素敵なのは顔だけ!
でも踊っているあたしたちって、最高に幸せそうに見えるでしょう? 幸せで、完璧で、理想のカップル。
だってこれがこのゲームのハッピーエンドだから。
未だに何てタイトルの乙女ゲームか、思い出せないんだけどな!
後夜祭には学園の巨大な中庭に移動する。夜のガーデンパーティが開かれるのだ。
普通は昼にするものだけど、どうしてガーデンパーティ? 疑問に思いながら中庭に向かうと、学生たちが口々に感嘆のため息を吐いた。
薔薇の垣根に囲まれた中庭にはキャンドルがいくつも置かれ、ほんのりとした薔薇の香りと揺れる明かりが幻想的な光景に仕立て上げていた。
白いクロスのかかったテーブルには見た目も楽しい食事が載っている。どれも片手でつまみながら会話を楽しめるものだ。手の汚れてしまうデザート系は小さなスプーンに上品に並べられている。
どこまでも心遣いの行き届いたデコレーションだ。
この庭の飾り付けやメニューをあたしん家の経営するポーヴルテ商会が用意するって話になっていたんだけど、最終的に今流行品を一手に取り扱うサフィール商会ってところがすることになったんだよね。
サフィール商会は流行の最先端を作り出して、衣食住なんでもかんでも商品を取り揃えている大きなところだ。
王妃様もお気に入りで、ネックレスやドレスはサフィール商会のものだと聞く。
王妃様は社交界の華で、女の子はみんな一度はサフィール商会でドレスを買いたいと思っている。
この後夜祭も王室の後押しでサフィール商会のプロデュースになったんだろう。
あの商会の繁栄もあと数年の話だ。
あたしが社交界に出た暁には、うちの商会のドレスを流行らせて、バンバン売って儲けてやるし。
今日だって着ているものは自分でデザインしたドレスだ。デコルテと背中を剥き出しにしたピンクのドレスで、腕には肘までのグローヴを着けている。
ささやかな谷間の胸元にはルビーのネックレス。耳にはおそろいのイヤリング。首が痛くなるくらい特大の大粒だ。
これはゼノン様がくれた。財力のある男子ってこれだからいいわ。
後夜祭の主催は学園じゃなく生徒会だ。
生徒会長を初めて見たときは乙女ゲーの世界なのにまじかと思った。
ボッサボサの髪に瓶底メガネで、制服もヨレヨレのガリ勉男。
なんてやつだっけ。名前さえ覚える気がなくてすっかり忘れてる。
「後夜祭の前に、生徒会長のクロヴィス様からお話があります」
そうそう、クロヴィス!
この国の王太子と同じ名前なんて、本当に名前負けって感じ。
家柄も男爵家の次男で、成績と実績を残して卒業しないといい職にありつけないんだな。可哀想……。
学生たちの中心でグラスを手に持った青年に、あたしはあんぐりと口を開けてしまった。
「今日はよく頑張ってくれた。来賓の方々からも今年の学園祭は良かったと嬉しい言葉をいただいた。
これも全部、皆が一丸となって今日まで準備を整えてくれたおかげだ。
私の卒業の年に、いい思い出を作ってくれたことを感謝する」
漆黒の髪はベルベットのリボンでしっとりと束ねられて肩に流れる。
珍しい紫色の目は吸い込まれそうな輝きを放っていた。
優しげに垂れた目尻には泣き黒子があるのもまた色っぽい。背も高くてスタイルもいい。
ゼノンなんか目じゃないほどの美男子!!!
うっそ、これが生徒会長!!?
隠しキャラだったんだ……!
「後夜祭は私からのちょっとした礼だ。もっとも、この用意は私がしたものではない。
全て──サフィール商会の会頭、リュシエンヌ・ラルエット嬢によるものだ」
学生たちの中からクロヴィス会長に手を引かれて出てきたのは、さっき追い出したはずの悪役令嬢リュシエンヌ。
まずその変身ぶりに目を見張った。目印の金髪縦ロールどこにやったんだ!
清楚系にウェーブさせた髪を柔らかく結い上げて、真っ赤なドレスは淡い水色のドレスに変わっていた。
メイクもナチュラル系に直していて。顔が一緒じゃなければ別人を疑うレベル。
「なんであんたがここにいるのよ!!!」
声を張り上げると、周囲の視線が一斉にこっちに向いた。
楽しい後夜祭の始まりを台無しにする人間を批判する目だ。
正直イラっとする。何でそんな目をあたしに向けんの。悪いのは悪役令嬢。正しいのはあたし!
「リュシエンヌさんっ、貴女、ご自分が何をしたか、わかってるんですか……!!?」
か弱さたっぷりに声を張り上げて震わせる。
ゼノン様に寄りかかれば同情してくれて肩を抱き寄せてくれた。
「よくも、よくもここにいられますね……っ!」
「ああ、エマ。可哀想に……! リュシエンヌ! 恥知らずな女め、よく後夜祭に顔が出せたな!!」
ほらね。ゼノン様の胸に隠れてニンマリ笑う。
あたしの思い通りにならないことなんてない。このまま悪役令嬢を追い出しちゃえばいいんだ。
それからタイミングを見てクロヴィス会長にお近づきになろう! あたしにかかれば、会長だってイチコロよ。だってあたしはヒロインだし。
好きな人ができたのーって言えば、ゼノン様も許してくれるだろう。
だって恋は素敵なこと。運命の相手に出会うのに時間も場所も立場も関係ない。
メガネを押し上げながら一人の女生徒が立ち塞がる。
確か、生徒会の書記だ。
瓶底メガネかけてたときの会長と合わせてガリ勉女としか覚えてないや。
「会長の話の途中です。静かに」
「っなんですって!」
「この女の所業を知っていてそれが言えるのか!」
「お黙りなさい!」
メガネ女は声を張り上げて、あたしたちを威圧するように一歩踏み出した。
「黙って見ていれば好き勝手なことを。リュシエンヌ嬢がエマ・アレオンをいじめていたという白々しい嘘、完全なるでっちあげだとわかりきっているから、我々学生は貴方がたを見逃してやっていたというのに」
「で、でっち上げだと!?」
「ち、違いますっ! あたしは本当に……!」
「ひとつひとつ、訂正して差し上げましょうか?」
そう言ったのはリュシエンヌだった。
クロヴィス会長の隣りに寄り添うように立つ彼女はヒロインみたいに見え……いや、違う、違う!
生徒会長の隣りに立つのはあたし!
ヒロインはあたしなんだから!
「て、訂正……?」
「貴女を罵ったという話だけれど、わたくしがしたのは忠告よ。
貴女が授業で先生方にわからないだのできないだの、しまいにはやりたくないと駄々をこねて一度と言わず何度も他の生徒たちの足を引っ張ったから」
「そ、そんなはず……ない」
だって、ヒロインは優秀っていうよりちょっとできない子くらいが可愛くて、先生と同級生に励まされてちょっとずつ努力していくのがセオリーでしょ!?
「突き飛ばしたというのは、ぶつかって貴女が廊下で派手に転んだときの話かしら。
下着まで見えていましたわね。あの場にいた男子も女子も、貴女の名誉のために黙っていてあげたのに、ゼノン様にお話ししてしまいましたの?
ゼノン様は貴女のはしたない姿も愛していらっしゃるのね。素敵なことだわ」
「そっ、それは……」
ぱ、パンツが見えるくらい、サービスシーンよ!
すごく恥ずかしかったけど、だってヒロインだし……。ドジなのも魅力のうち……!
「持ち物を隠された、制服を汚されたということだけれど、貴女ご自分のそそっかしさを棚に上げて物を言ってはいけませんわ。
筆記用具を忘れたり、どこかにやってしまったりして、そのたびに誰かから借りているのはいつものことじゃありませんか。
制服だって、いつも食べこぼしでたくさん汚してますわよね?」
「ち、違いますぅっ!!」
確かに忘れっぽいけど! そこがヒロインは可愛いんじゃない!!
ご飯だってお上品に食べるより、美味しそうに食べる姿が可愛いって、デレデレしながらゼノン様も褒めてくれるもん!!!
「貴女の悪い噂を流されたというのは、わたくしのせいではなくってよ」
「とぼけないでください! 貴女が嫉妬してやったんでしょう! あたしとゼノン様が相思相愛だから!」
「相思相愛、ねえ」
「な、なによぅ……」
「貴女の従者に、獣人がいたわね? 猫耳の」
「い、いますけど」
内心ギクリとするのを隠しながら頷いた。
「貴女が人目も憚らず学園内でゼノン様に、婚約者のいる男性に近寄れば悪い噂が立てられるのは当然のことでしょう? 貴女自身の振る舞いから出た、身から出た錆よ」
「それはだから、リュシエンヌさんが嫉妬して……!」
「それと、ゼノン様と相思相愛でいながら、寮では獣人の従者と恋人ごっこをやっていたそうね。
朝も夜も……ゼノン様がいらっしゃらない時ばかり」
「なっ、そ、それはっ!」
「な、何だと! 嘘を吐くな、リュシエンヌ!」
「嘘だと思うなら、彼女と同じ寮の女子に聞いてごらんなさいな。
従者と腕を組んで街に出かける姿を見ているわよ」
「あ、ありえない! そんなはずない、そうだろうエマ!?」
「そ、そうよ、ありえないわっ!!」
とっさに頷くが、あたしを睨む同じ寮の女子たちの目は冷たかった。
でもそんなの関係ない。あたしはヒロイン。ゼノン様に愛されていれば何でも思う通りになるんだから!
「あたしが愛しているのはゼノン様だけですぅっ! 獣人なんて好きになるわけないわ!」
「……だ、そうよ?」
悪役令嬢が振り仰いだのは、あたしの従者だ。
生徒たちの向こうに頭ひとつ抜けた長身。離れていてもそのスタイルの良さが見て取れる。
頭についた猫耳が男性的な体格とのギャップを生み出していて、そこがあたしの萌えるポイントだった。
「う、そ……」
クリスティアンは獣人でありながらそこら辺の男より美形だ。
血統書つきの猫みたいな佇まいと琥珀色の瞳がお気に入りで、気まぐれにすりよって甘えてくるのが可愛かった。
ゼノン様なんか霞んじゃうほど神秘的な琥珀色の目は、険しい光を宿してあたしを睨んでいる。
「ク、クリスティアン……」
「やっぱりな。ご主人様がおれを見た目のいいペットとしか思ってなかったのは見え見えだったぜ。
誰がお前みたいな浅はかな女に惚れるかよ」
「あ、そんなっ、クリスティアンッ……!」
冷たく吐き捨てられた言葉はあたしに今までにない衝撃を与えた。
震える手を伸ばしても、クリスティアンはあたしを避けるように悪役令嬢の背後に控える。
ヒロインとして振る舞っても釣れるのは好みじゃない男ばかり。
唯一気に入って手許に置いていたのがクリスティアンだけ。
彼がいなくなったら、あたしにはあのウザくてキモいゼノン様しか残らないじゃん!
「貴様! 獣人の分際で、オレのエマを侮辱するなど! お前は死刑にしてくれる!」
「ダメェッ!! そんなの絶対ダメっ!!!
クリスティアンを殺すなんて何考えてるんだよこのクズッ!!」
「エ、エマ?」
「何が死刑だよ! あんたにそんな権限ない癖に!
いっつも偉そうにしてるばっかりで、我がままでバカで幼稚なあんたなんか、ちっとも好きじゃなかった!」
「なっ、何を言っている!!? オレを愛していると言ってくれたではないか!」
クリスティアンの愛を失ったあたしにもう野望は残っていなかった。
今までの不満をありったけ目の前の気取った男にぶつけてやる。
「ああ言ったよ、あんたが公爵家の嫡男で、お金持ちで、顔がよかったから!!」
「そ、な、え、エマ……!?」
「とうとう馬脚を表したわね」
悪役令嬢リュシエンヌは令嬢のお手本のような微笑みを浮かべた。
どこで選択肢を間違ったんだろう。今更悔やんでも遅い。
目の前にはさっきまで追い落としたと思っていた相手が堂々と立っていて、今度はあたしの方が気圧されてしまっている。
「これで満足?」
「満足も何も。貴女には感謝していますわ」
リュシエンヌは完璧な淑女の所作で流れるように一歩こちらに踏み出した。
「なんですって?」
後ずさるにも周囲は生徒の人垣。逃げ場はない。
あっという間に距離を詰められ、悪役令嬢のはずの少女があたしの耳元にそっと唇を寄せた。
「残念だったわね。ゼノン・ヴィズールは攻略キャラの中でも爆弾。
あいつは婚約者の財産を食い尽くす金食い虫なの。貴女のおかげで離れられて、清々したわ」
「えっ……」
一度にもたらされた真実の多さに茫然とした。まさか。
リュシエンヌも転生者だった? ゼノンが爆弾? 攻略キャラなのに?
驚愕と困惑の目を向けると、リュシエンヌは優美に微笑みながら囁く。
「貴女、システムを知らなかったのね。
この世界は乙女ゲームは乙女ゲームでも、商会を経営することで攻略キャラのシナリオが解放されていくシステムだったのよ。
貴女、最後までご実家の商会は貧乏なままだったわね。それじゃあゼノン様しか相手にしてくれないのも当然よ」
「商、会……」
「そう、わたくしの経営しているのはサフィール商会。貴女はポーヴルテ商会を経営するべきだった」
「そ、それって」
「それからもう一つ。
クロヴィス会長は身分を隠して生徒に紛れ込んだ、王太子よ。
貴女はあの分厚いメガネにすっかり騙されていたみたいね」
「ふえっ、あう、うう、うぅ……」
そうだ! クロヴィス王太子、生徒会長と全く同じ名前だってところで気付くべきだったのに。
学園に入って最初の頃に他の攻略キャラらしき男たちと同じく、瓶底メガネで顔を隠して接触してきていたんだ。
そのときのあたしの眼中には、彼は一切入っていなかった。
「驚かせてしまいましたわね。ごめんあそばせ。それではわたくしはこれで、失礼いたしますわ」
リュシエンヌは楚々とお辞儀をして歩き出す。
その先には輝くばかりの美貌の王子様──ゼノンみたいな推定じゃなくて、正真正銘本物の王子様だ。
クロヴィス殿下──会長は愛しさを隠しもしない甘い微笑みを浮かべて彼女に向かって手を差し伸べる。
優雅に手をとりあって、金と銀の一対の美男美女が寄り添い並んだ。
クロヴィス会長のしっかりとした声が中断していたスピーチを再開する。
「リュシエンヌ嬢は学園祭の準備の傍ら、忙しい中このパーティの用意をすすめてくれた。
私と共に、皆彼女を讃える拍手を送ってくれるだろうか?」
賛成の意を込めて、生徒たちの間から盛大な拍手が起こった。
あたしはぼんやりとその光景を、ただ見ていた。
わたくしはリュシエンヌ・ラルエット。
残念ながら、この世界のヒロインではありませんの。
前世の記憶を取り戻した時はそれはもう驚きましたわ。
けれど、希望は捨ててはいませんでした。
理由の第一に、大きなヘマをしなければ死刑や国外追放、一族滅亡など起こらないと知っていたから。
この世界は『ジュエリアル・ワールド』という乙女ゲームの世界ですの。
王道の好感度を上げて攻略するゲームも好きでしたが、わたくしこのゲームのシステムが楽しくて楽しくて、数ある乙女ゲームの中でも何度もやりこんでいました。
タイトルからおわかりになるかしら。ヒロインのエマ・アレオン伯爵令嬢はご実家が経営する商会を手伝って、宝石をメインに扱う商会に転身することで心機一転その規模を成長させていく、というサクセスストーリーなんですの。
商会が大きくなるごとに、そして取り扱う商品のジャンルが増えるごとに、攻略できる殿方のルートが解放されていきますわ。
ここで注意しなければいけないことが、攻略キャラとルートによってはお金遣いが荒くて、ヒロインと恋に落ちるお相手と言えども難があるのです。彼らの性格を直さなければ一夜にして商会が潰されてお家お取り潰し、一家離散してしまう……なんて結末を迎えてしまうこともあります。
なのでお付き合いするにもお相手を慎重に見極める必要がありますの。
様々な苦難を乗り越えるからこそ、ヒロインとお相手の絆も深まり、美しいエンディングを迎える感動があります。
わたくしがこのゲームに耽溺したのはそういうところでしたわね。
休日ともなれば朝から晩まで一日中……ふふ、懐かしいですわ。
「大丈夫かい、リュシエンヌ?」
気遣うように柔らかい声がかけられて、わたくしは頷きます。
「ええ、ご心配には及びませんわ」
クロヴィス殿下ににっこりと微笑みかけました。
彼はスムーズにエスコートして、中庭の人垣から連れ出してくれます。
ゼノン様が婚約を盾に様々な無理難題をわたくしにふっかけてきたときも、クロヴィス様は常にわたくしを気遣い、声をかけてくださり、手を差し伸べてくださいました。
彼は攻略キャラの中でも唯一性格矯正をする必要のない方です。
ヒロインの前にはかなり早い時期から姿を表しますが、仮のお姿で、眼鏡を外すのも時間がかかりますし、商会として国に大きな利益をもたらさなければ恋愛ルートに入ることができません。
実は、ヒロインが商会を少しも成長させなかったときのみ、クロヴィス殿下はわたくしに興味を持ちます。
エマ嬢は最後まで理解しようとしませんでしたが、わたくしは悪役令嬢ではなく、ライバル令嬢なのです。
ゲーム中ではお互いの商会を育てて競い合い、成績次第で明暗が分かれるのです。
ヒロインの迎えるべきエンディングのために、わたくしというライバル令嬢にはいくつもの枷が嵌められていました。
両親の不仲、後継の義理の弟との不和、商会の会計による使い込み……そして最大の障害が、ゼノン様です。
少し売り上げがよくなれば、ゼノン様が聞きつけてお金をせびりに来ます。ゼノン様のご家族も、季節に一度は時候の挨拶と称してドレスや宝石などをせびっていきます。
前世の記憶を取り戻したわたくしは長年かけてひとつずつそれらを解決していきましたが、ゼノン様だけはどうしても思い通りにいきませんでした。
ですが、彼女が経営に少しも興味を持たなかったおかげで、わたくしにとって最上のエンディングを迎えることができました。
クロヴィス様と一緒に後夜祭の喧騒から離れ、校舎の手前のひっそりとした通路に来ました。そこにあるベンチに座るようにすすめられ、わたくしは腰を下ろしました。
近くの薔薇のアーチから、夜の風にのって甘い匂いが鼻腔をくすぐります。
急に訪れた静けさに、クロヴィス様を強く意識してしまいました。
クロヴィス様はわたくしと向かい合い、両手をとってわたくしの顔を覗き込みます。
透き通る紫の瞳に吸い込まれそうで、思わず息を止めました。心臓が早足で鼓動を刻み、頬が熱くなっているのが自分でもわかります。
「今までよく頑張ったね」
「いいえ。クロヴィス様の助力がなければ、挫けてしまっていたかもしれません」
「私がしたことなど、ささやかなものだ。全て貴女自身の努力と意志の強さあってのことだよ」
「クロヴィス様……」
わたくし、前世からの最推しがクロヴィス様なのです。ガチ恋でした。
二次元のお相手に何を馬鹿なことをと思われるかもしれませんが、現実でろくに恋もしなかったわたくしにとって、画面の向こうのクロヴィス様はとても素敵に見えたのです。
他の乙女ゲームでどんなに甘い言葉を囁かれようともときめかなかったのに、クロヴィス様には気が付いたら恋をしていました。
ゲームの中で、商会を育てるための試行錯誤や自分の魅力を引き出すための苦労を認めて褒めてくださる優しさに惹かれてのことだったと思います。
失敗すれば水泡に帰すしかないものも、彼が言葉をかけてくださるだけで報われたと思うこともありました。
『ジュエリアル・ワールド』に転生してこちらが現実になっても、クロヴィス様の優しさは変わりませんでした。
彼のさりげない言葉や行動に助けられて、わたくしは今日までどんな理不尽にも耐えて頑張ってきました。
クロヴィス様がわたくしのことを気遣ってくださっているのが、ゲームのシステムのおかげだったとしても、わたくしはこのチャンスを逃すつもりはありません。
ここまでの努力はお家没落などのエンディングを迎えないためでしたが、ここから先は自分のため、自分自身の幸せのため、お慕いする殿方に好きになってもらえるように努力したいのです。
重ねた手にギュッと力を込めました。
「あの、クロヴィス様。婚約破棄された直後でこんなことを──」
「リュシエンヌ」
突然唇に長い指が押しつけられました。クロヴィス様の人差し指です。
言葉を紡ごうとしていたわたくしの唇は縫い合わされ、彼が何を言い出すか待つことになりました。
「君と初めて出会ったときのことを覚えているかい?」
返事しようにも、指は唇に押しつけられたままです。
ぎこちなく頷くと、彼は柔らかく目元を和ませました。
「君が父君と王宮へ遊びに来たときだ。君は薔薇園で迷ってしまって、家庭教師から逃げていた私と出会った」
唇に触れていた指が離れ、大きな掌が頬を包み込むように添えられました。
さっきから暴れっぱなしの心臓はいっそう速く、はちきれんばかりになります。
「あのとき出会った女の子を妃にしたいと母上に相談したけど、君にはもう婚約者がいた」
昔を思い出すようにクロヴィス様の紫の目が陰ります。
彼の言葉にわたくしは思わず頰を撫でる彼の手に手を重ねました。
「わたくしを、……?」
「一目惚れだったんだ。いいや、姿形もそうだけど、何より、あのとき出会った君の、芯の強さに惹かれていたんだ」
「それ、は……」
「ああ。婚約破棄したばかりで性急かもしれないが、君に伝えておきたい。リュシエンヌ、君が好きだ」
わたくしは息をのみました。
これから叶えていくはずだった夢が、いっときに叶ってしまったのです。
「わたくしも、……わたくしも、あのときから。クロヴィス様を、お慕いして、おりました」
クロヴィス様は垂れ気味の目を大きく見開き、破顔なさいました。
「本当に?」
「本当です」
「ああ! 嬉しいよ、リュシエンヌ!」
快哉の声と一緒に、わたくしは大きな腕の中に包まれていました。
ゼノン様は一度もなさらなかった抱擁。
今、本当に好きだった人に抱きしめられている。
わたくしの身体からはすっかり力が抜けて、彼の大きな胸に寄り添いました。
「わたくしも、です」
熱く脈打つ鼓動のせいで、返事はうまくできませんでした。
ふと思いついて書いてしまいました。なんちゃって西洋風とか学園風とかより、ルネサンス期風もどきとかが好きで普段はそっちを想像しながら書いているのですが、今回は学園風で脳裏に普通に絵が浮かんできました。
乙女ゲームよりも某バーガーみたいな経営系を想像してます。宝石を仕入れに選んだ店員に海外に飛んでもらう、とか……楽しそうですね。
もっと引き伸ばして中長編くらいで書いてみたい気もしますが、まだまだ長いものを作る脳みそが育てられてないので、誰かシリーズで書いてくれないかなあ……。