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帝都護法  作者: もの
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鼓を打つ。

 小さな紙に記されていたその老人の家というのは、帝都の郊外の森の傍に位置していた。立派なレンガ造りの二階建ての洋館と言った所で、金持ちの資産家が買うであろう模範的な豪邸だった。

 館の玄関に近づく間に、なるほど、と思う。確かに最低限の手入れはされていたように感じる。庭の草は伸びてはいるが廃屋とは感じさせない程度で、門から玄関への一本道までは届いていない。ただし、館の外観には少しの違和感が見え隠れする。昼前であるにも関わらず、あまりに黒いのだ。おそらく館内の引物という引物が閉じられたままなのだろう。これは、どちらかというと。


「(館の主が最近閉じ籠もるようになって、それからは手入れしてない……みたいな)」


玄関の扉を開こうとして、ここが他人の家であることに気づき、芦矢(おれ)は慌てた。落ち着いて見回すと、横のところに呼び鈴のようなものがかかっていたので其れを引く。がらん、ごろん。大きくて、それでいて妙に空虚な音が館いっぱいに広がった。


……返事がない。 

 広い館だから、もしかしたら手伝いの人が出てきてくれるかと期待したけれど、其れは望み薄というもので。よく思い出してみれば、館の主が(そと)の手入れを怠り始めているのに、内側だけを綺麗に保つという事はないのだろうから。

 諦めきれずに、性懲りもなくもう一度呼び鈴をならしてみる。……留守にしているのだろうか。それであれば待たなければいけない。最悪の場合は、中で何かあったという可能性。はたから見る限り豪邸なのだから、賊と言う可能性も否めない。病気に倒れているのなら、医者が必要になる訳で……、等と思考を巡らせる。館の中に、がらんと音が広がるばかりだ。

 意を決して、扉に手をかけて、押してみる。ぎぎ、と重苦しい音を立てて、扉が動いた。―――鍵がかかっていないようだ。覚悟を決めて、中に入ることにする。


 屋敷の内部は、正面に階段があって、そして左右に廊下が広がっていた。


「失礼します、館の主は御在宅ですか?」


 自分の声が、呼び鈴と同じように館内に木霊する。こつこつと俺が歩く音も妙に反響して、居心地が悪いように感じてしまうのは、恐らく<場違い>なのだろうと思う。外から見たときよりも広く感じる屋敷であるけど、不法侵入にあたる負い目だとか、もし何かあった時どうするかの方に思考が寄ってしまうのだから、我がことながら笑ってしまう。

 気が付けば帳の間からオレンジ色の光が入り込んでいる。夕暮れだ。


 突然、鼓の音がした。

 


と、と、と……。とん、とん、……と、とん。



           館の中にその音は反響して残響して木霊してはためいて鳴いて騒いで。


 ―――そしてべちゃり、と粘着質な音で終わる。



 左の廊下のその奥から、音は響いていると分かった。正直なところ、先の鼓の音で頭がいっぱいになったように重くて、ぐらぐらしていたのだけど。鞄の紐を握って、自分がここに来た理由を再確認する。封筒を届けて、役所に来るようにと言うのだと、其れを意識したら、少し頭が軽くなった気がした。

 音のした方へ、あまりに無警戒に歩いていく。

 廊下の端に、何かの影が見えた。引物の間から入る夕日以外に明かりのないこの館は少し薄暗くて、俺はそれが不用物をまとめた袋のようなものだと思った。

 

 その所感を俺は即座に後悔する。


 「何か」は腐った果物のように、もっと、もっと的確な表現をするのであれば、長時間湯に浸して膨張した米のように。かつては古めかしくて新しかった洋装を纏って廊下に倒れ伏していた。悪臭と異様な死に様に、脳が一瞬にして麻痺をする。停止した思考と体では、目の前の事象を理解するには遠く及ばない。ただ死角だけが目の前の事象を淡々と脳に送り続ける空回。足元にその腕が転がっている。先程の音の原因は、もしかしたら此れなのかもしれない。

 


―――だから、俺は聞かなかった。

―――だから、俺は気づかなかった。

―――だから、もう思い出すことが叶わない。



とんとんととんと……とんとととん……ととんとと……ととん……。


 

 「其れ」はもう、自分の目の前にまで迫っていた。廊下に押し込まれるように存在したそれは、大男の頭の部分を太鼓に挿げ替えたような見た目をしていた。それの手が、足が、首が動くたびに、音が館の中に響く仕組みのようだった。



―――……、―――――……、―――……、……………。



 ――聞かない。俺は、その音は聞かない。

 もはや脳が異常事態への対処を拒否している。こんな化物を、俺は知らない。きっと自分も、目の前の何かのように、蕩かされて、死を与えられるに違いはない。ならば、どうせ最後であるなら、もっと楽しい音がいい。それは、こんな音ではないと否定する。


 化物はもはや目前に迫っている。厳密には、その腕が。捉えるためか、押しつぶすためか伸ばされた其れを、ただ空虚に見つめる。


  ――だって、しょうがない。異常があれば報告をと言ったあの人の名前も、自分がなぜここに来たのかも、もう思い出せないのだから。




 ……突然に、腕を引かれて、後方に放り出された、気がした。

 一瞬にしてできたあの腕と自分との距離の間に、不思議な洋装の青年が割り込んだ。軍部の物とはまた違う、黒を基調にした制服を纏って、腕には青い布を巻きつけている。その青が夕日にあたって、妙に美しく感じた。

 

「            」

「       」


 視界に二人の女の子が入った。覗き込むような仕草なのは、俺が尻もちをつくような格好でいるからだ。何かを話しかけているようだけど、よく聞こえない。俺の態度から察したのか、少女たちは、また言葉を紡いだ。


「あなたは、どこからきたの?」

「なにしにきたの?」


 不思議な二人の女の子は、よく見たらそっくりだ。双子、というやつなのだと思う。先の青年と同じような色の布を、頭上で蝶結びにしている。左右対称で、どちらも可愛らしい部類に入ると分析が、


「こたえて」


 声が重なる。聞こえているなら黙っていないで、と言わんばかりだ。俺は口を開く。


「内務省から、来た。ここの人に、封筒を届けに。」


 先程まで頭が真っ白になったようだったのに、今では思考がまとまっている。自分が何をしに来たのか口に出した瞬間に、思考が幾分か鮮明になった。

 

 


     そして、 ひときわおおきく、たいこのおとがなった。



 咄嗟に俺は耳を塞いだ。なんとなく、あの音は聞いてはいけないものだと理解したからだ。化物は自分自身を殴りつけるようにして、鼓をうちならす。其れを目の前にして、青年は躊躇うことなく刃を振るった。

 豆腐を切るように速やかに。胡瓜を切るように鮮やかに。肉を落とすように速やかに。

 

     …………狂いなく振るわれた刃が、化物を分解していくのを見た。



 一太刀、振るえば鼓の音が止んだ。

 二太刀、振るえば引物がなくなって、夕日が差し込んだ。



 残り一太刀。飴が蕩けて消えるように、化物は姿を消していて。大丈夫か、なんて彼は俺に手を差し出した。言わないといけない、化物から救ってもらったお礼を、そして、何か、何かを。


 

  そのあとは、記憶にない。ただ奇妙な浮遊感だけが体に染みついている。

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