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静かに月が輝く夜。
遊技場『パラダイス』の裏で、事は起ころうとしていた。
この日、この場は、その名とはかけ離れた様になろうとしていた。
いや、楽園の裏側という意味では、正しかったのかもしれないが。
延々と続く、自分達を囲む男達の声にも、彼は最初から、聴く耳など持ってはいなかった。
薄暗い、汚い空気の中で、下品な男達に囲まれている、一組の男女がいた。
怯えて座り込んでいる女性と、その前に立ち、庇っているようにも見える男性。
実際は、もっと救いようのない話なのだが、それはともかく、
「大体さぁ、男に興味ないんだよね。オレ、ゴミの分別もしない主義だし、ぶっちゃけお前らの事なんかどうでもいい訳よ、解る?」
一方的に意味の通らない言葉で威嚇し続ける周囲の言葉を全て無視し、彼もまた、一方的に話している。
と、そんな彼の服の下で、震動が起きた。
震源は、胸に下げている水晶のペンダントである。
「おっと、コイツは驚いた。クズからゴキブリに格上げだってよ」
真夜中、路地裏で暴漢に囲まれている少女を庇っているようにも見える、黒スーツ白シャツ黒ネクタイの青年は、軽く胸を押さえ、ニヤリと笑った。
連中の不幸だった事は、青年の服装の意味に、最後まで気付けなかった事、この一点に尽きるだろう。
「そうだなぁ・・・面倒だけど、目障りでもあるし・・・殺してやんよ!」
青年を包む気の質が変わったと、感じるや否や、彼を囲んでいた6人の男達は一瞬にして、内側から弾け飛んでいた。飛び散る破片は、怯える少女にも張り付いた。
立ったまま、指一本動かさずに即席人間爆弾×6を破裂させた男は、今度は下品に、ニタリと哂って、彼好みの少女へと振り向いた。
「へへへっ、こっからがお楽しみぃ~って、アレ?」
危機を救われた、いや、これからこそが本当の危機である少女は、目の前で起きた出来事に、気を失ってしまっていた。
「なぁんだ、ま、こういうのも悪くない」
言ってその手を彼女へと伸ばした、その時だった。
「そこまでだ」
彼の手が、ピタリと止まった。どうも、空気の読めない来客らしい。とうに癒えた筈の傷跡が、チリチリと、疼いた。
「ヒトの恋路を邪魔するヤツはぁって、知ってるか?」
「そんな上等なモノには見えんがな」
ウンザリした様子で振り向いた男と、現れた男は、全く同じ、顔立ちをしていた。
「これから始まるんだよ」
「一方的だな、俺は好かん」
真っ白でとんがった髪、真っ黒な肌をした長身痩躯のスーツ姿の男。その瞳は、妖しく輝く紫色。名を、闇影 罪人やみかげ つみひと。
対する白の軍服を着た男、サラサラの金髪に真っ白な肌をした長身痩躯。その瞳は、澄みきった青色。名を、天司 悠輝あまつかさ ゆうき。
ともに幼い顔立ちをしている為、年齢の判別がしがたいが、多く見積もっても、二十歳かそこらが精々といったところだろう。
「お前の好みなんざ知るかよ、オレは、このコが好みなの」
「俺とて、貴様の好みは理解出来ん。が、確かにそこの娘は美しい。よって、この剣にかけて、守らせて貰う」
腰に懸けた黄金の剣を、指で軽く示しながら、悠輝が言う。
「“守人”のリーダーさんよ、仕事熱心な“非人”のオレに、是非ともお目こぼしをってか」
罪人の戯言を、悠輝は完全に無視する。
「派手にやったな」
「ん? ああ、死に花咲かせてやったのさ」
彼の凶行を止めるでもなく看過した彼、結果、6人の人間が死んだ。
「人の餞別など、業が深いとは思わないか?」 気を失ったままの少女を優しく抱え上げながら、悠輝が問うた。
「さてな、エンマの大将が何考えてんのかは知らねぇさ、つか、何も考えてねぇんじゃねぇの?」
答える彼がもつ水晶のペンダントは、彼等“非人”の共通の持ち物である。“未来視”の力を持つこの水晶は対象の将来を覗き見、その善悪を判定する機能を持っているのだ。
ま、大した震動じゃあ、なかったがな、時代が時代なんでね、お仕事お仕事
20XX年、高齢化社会が深刻化したこの日本に生まれた非公式の人口調整部隊、“非人”ひにん。その発足の原因から、力のない高齢者を殺して廻る卑劣な殺戮集団として、国民からは認知されている。黒スーツ白シャツ黒ネクタイ、通称“喪服”と呼ばれる衣装を常に身に纏う死神達、その実態は、国民の認識とはいくらか異なるものだ。確かに彼等は老人を、いや、老人も、殺す。しかしそれらは多くの場合、本人やその家族が望んだ安楽死を、違法に手助けするぐらいのものである。彼等の本質は、国から与えられた権限にこそある。水晶で作られたペンダント形の殺人許可証、“免罪符”。彼等は個人の判断で老若男女を問わず、全ての人々を裁く権限を持っているのである。当然、選抜には厳しい審査が行われる。が、行き過ぎた殺戮を行う“非人”もゼロではない。そんな連中を粛清する役割を持つのが、天司 悠輝率いる“守人”もりびとである。“非人”の完全討伐を掲げる戦闘集団というのが、国民の知りうる限界だが、その実、“非人”と“守人”は国が同時に発足した相互作用する特殊機関である。また、これら二つには、もう一つの側面がある。自国の防衛、である。10年前に終わった世界大戦によって、地球上の多くの国々は滅亡した。が、世界には未だ数多くの火種が残っている。それらが日本に降りかかろうとする時も、彼等は立ち上がるのだ。国民の混乱を防ぐ為、この事実を知る者は極一部に限られている。が、彼等は世の影で、国の為、日夜、国の内外を問わず戦い続けているのである。最愛の女性を犠牲にしながらも、第4次大戦をたったの独りで未然に防いだ、“非人”の“英雄”、篝火 刃かがりび やいばのように。
「天使長様が連敗したらしいじゃねぇの? 随分とバカデケェヤマだったんだな?」
「あぁ、が、かつての姿を知るだけに、やりきれん・・・時折、思うのだ、“あるがまま”こそが真の幸福だとヤツは言ったがな。今一度、“楽園”を招来すべきなのではないかと」「ハレルヤ! 福音の時は来たれり! ってか? ハッ、なら俺達はさしずめイナゴの群れって訳だな? 大将の奴、案外その気なんじゃねぇのか?」
冗談めかして言う罪人、が二人には解っていた。あの“独裁者”が、そんな事をする筈がないということを。
「ヤツは、罪の重さを知っている。貴様と同じだな、ルシフェル」
「その名で呼ぶな弟よ。オレはルシファー、泣く子も凍りつく、大魔王様だぜぇ?」
悠輝のおかげか、安らかな顔をしている自分好みの少女を彼に預け、彼は、二人に背を向けた。
「グローリア! 人の世に幸あれだ、クソッタレ」
夜空の月は何も語らず、ただ静かに輝いていた。
ぶっちゃけた話。
秩序とか混沌とか、善とか悪とか、そんなのはオレにとってどうでもいいのである。
恒久平和? いいんじゃないソレも。
戦乱永続? おもしろそうじゃん。
全部他人事、知った事じゃないしね。
オレのしるべは、ただ己の欲望のみ。
めんどくさい理性も、かったるい本能も、オレに言わせれば同じモノ、ようは自分が何を望んでいるのかって事でしょ?
かといって好き勝手やってイジメられた経験がある以上、再生が済んでからというものの、静かに穏やかに細々とがモットーなオレ、エライ!
喰うに困るのは勘弁だし、ちゃあんと社会の一員として毎日頑張っているわけですよ。
世間の皆々様の目は冷たいけどねっ!
そんな頑張りが通じたのか関係ないのか、運命ってヤツに久しぶりに感謝して、幻滅したのもつい昨日の事。
仕事の最中に、見目麗しいオナゴを発見、一目で恋に落ちたボクラはめくるめく恋の逃避行へ!
の筈だったのに、空気読めない邪魔者のせいで折角のエモノ、じゃなかった、オレの恋は唐突に終わってしまったのである、マル。
今のオレの最大の関心はズバリ、女、である。喰うのも好きだし寝るのも好きだが、やっぱり女がいない事には始まんないでしょ?
他所様に迷惑掛けると怒られちゃうから、そういう内的な趣味に走るしかないのである。
だってホラ、身内になっちゃえば他人じゃないじゃん?
なんてバカな事考えてると、胸のキズが痛む痛む。
昔オイタした時に実の弟からつけられた傷である。これが噂のDVかぁ、家庭崩壊、なんてステキな!
昔のカラダは“記録”に還っちゃったし、新品のこのカラダにはそもそもそんなキズなんて残っちゃいないんだが、とにかく痛むものは痛むんだからしょうがないじゃん。
お、ムカツク顔を発見。
さらにムカツク事に女連れですよ、あの怪物クン、ウフフ、殺しちゃおうかな? どうしようかな?
調度気分も絶好調な事ですし、あの蛇頭にケンカ売っちゃおうかしらん。
「真っ昼間から、見せ付けてくれてんじゃんかよ! 蛇坊主!」
「・・・」
途端、全身をくまなく貫かれた気がした。いや、実際貫かれたんだけどね。無口なくせしてやるじゃん蛇女。先制攻撃、ゴキゲンだね! 効きはしないけど、痛みはあるのよ? 刺激的ぃ!
「これは失礼しました。独りがお似合いの孤独な魔王様に見せつけてしまいましたね。まぁ、僕等には、これが自然な事ですから」
こっちの背筋が快感でゾクゾクするような事をバカ丁寧に言ってくれちゃってるのがこの夫婦の旦那の方、八河 大蛇やつかわ おろち、そんで、さっきから無言でこっちにラヴラヴな熱視線を向けてくれちゃってるのが奥方の八河 美輪やつかわ みわ。
似た者夫婦の言葉のまんまの二人だ。揺れる紫の頭髪に若干青ざめた肌、銀色の釣り目の瞳孔が縦に割れていて、二人揃って、オレからみれば中学生ぐらいにしか見えない所までおんなじだ。
う~ん、ヒトヅマ、危険な響き、しかもオサナヅマ、ゴスロリの衣装が不気味な程似合っている。ヤベェ、燃えてきた!
と、いけねぇ、キズが痛む痛む。
たった今、普通のヤツならあの世行きの攻撃を喰らったばかりだというのに、オレの鼓動は高鳴るばかりだった。
オレの愛は、海よりも深いのだよ。主に、直接的な意味で!
どうでもいい旦那のほうは、オレと同じ“喪服”を身に着けている。アレ? 本当に心底どうでもいいんだけど、コイツ確か、クビになったんじゃなかったっけか?
「なんだなんだ? なんだよオイ、お前大将にクビにされたんじゃなかったのか?」
「・・・」
またも全身を貫かれるオレ、解りやすいね。 そんな羨まムカツク蛇男が口を開く。
「えぇまぁ、だからこそと言いますか。折角拾った命です。エキドナの為にも無職になるわけにはいかないと、こうしてやってきたんですよ」
「・・・」
「ハァ?」
頬を染めて頷くオサナヅマ、解りやす過ぎる。つうか、ホントに殺してやろうかしらん。
時間はかなり掛かりそうだけど。
このコが泣く様も見てみたい、なんてオレってばやっぱり鬼畜? ギャハハ! ま、めんどいからやらんけど。
思い出すのは昔の事。
これでも大魔王だし? オレも一夫多妻な訳なんだが、誰か一人ってのは確かにいない。けれど、大切なヒトが沢山いるってのはとても幸せな事だ。責任もある、何が何でも守ってみせるという覚悟もいる。けれど、アイツラの笑顔で報われるんだ。いや、救われると言ってもいい。目の前の女の、その泣き顔はさぞや芸術的だろう、見る者の胸を、締め付けて止まない程に魅力的だろう。けれど、どうせなら、笑顔の方が見てみたい。オレみたいな日陰者でも、いやだからこそ、輝く太陽に憧れちまうんだよな。なんて、らしくもないか。
「あなたに、近衛の任が下りました。僕が無職にならない為にも、何がなんでも、従って頂きます」
「・・・」
「・・・」
珍しく、オレまで無言になっちまった。
そりゃさ、太陽に憧れるとは言ったよ?
えぇ、言いましたともさ!
だからってオイ!
そりゃ無いだろう!
国家の犬は、国からの命令に不満を漏らす事さえ出来ずに、その場で立ち尽くすのだった。
大神おおがみ 照日てるひは日の本の国を古来より見守ってきた帝である。その正体は、日本神話の最高神、アマテラスオオミカミ。エジプトでは太陽神ラーとして、これまた最高位の神として崇められている。他にも、彼女を至高の神として祀る地域は数多い、そんななんとも畏れ多い彼女だが、その外見は、悲しいかな、どう頑張っても小学生の域を出ない幼女である。緋色の長髪に、これまた緋色の勝気そうな瞳、やや浅黒い肌をしている。全体的には御嬢様然としたナリなのだが、本人の性格が隠しきれていない為か、小さな暴君、というのが適切な表現だろう。身長、体重、スリーサイズといった細かなデータは割愛ご想像にお任せする。まぁ、あえていうのであれば、大人ならば、いや大人でなくても大抵の人間には、簡単に抱えられてしまう程のミニマムサイズである。なぜこんな事になってしまっているのかといえば、彼女の持つ力があまりにも大き過ぎる事が最大の原因である。今の幼女の状態でさえ、小さなクシャミ一つで地球を消し飛ばせる程なのだ。もしも彼女が本来の姿で顕現しようものならば、この世界だけでなく、他の並行世界にまで飛び火しかねないのである。そんな訳で、“創世の三人”による必死の説得の結果、今のような姿を取っているのである。勿論の事、これは本人が大いに気にしている事であり、迂闊に触れればヤケドどころか、冗談ではなく蒸発してしまう事になるので、注意が必要である。以前、某ちゃらんぽらん男が彼女の頭を撫でた事があった・・・あわや日本国が島ごと蒸発かと思われる程の大事になり、バカの体は塵一つ残さずに消滅。“図書館”に強制送還された挙句に、館員には館長室に監禁され、仕事のヤマを押し付けられ、冗談じゃないと急いで肉体を再生して、還ってくるハメになった事があったのだ。当然その後、妻の二人にこってりと絞られたのは言うまでもない。そんな彼女、“歩く核兵器”の異名を欲しいままにする照日はしかし、自室のベッドの上で、足をバタバタとさせながらブゥたれていた。
「・・・ヒマじゃ・・・」
彼女のどんなつまらない独り言にも『そうですね』と応えてくれていた付き人達例の三人組は揃って無期限の有給を取り、学生生活をエンジョイしている。彼女にとっては業腹モノだが仕方がないだろう。世界の安全の為、24時間年中無休で彼女の世話をさせられていた三人の疲労の程は、推して知るべしである。
「ヒマじゃヒマじゃヒマじゃヒマじゃヒマじゃヒマじゃヒマヒマヒマヒマ、ヒーーマーーじゃーーー!!」
「・・・はぁ、何か御用ですか、アネさん?」
部屋の入り口で、溜め息吐きつつ問うたのは勿論罪人である。
「ワラワを楽しませよ! 笑わせよ! 喜ばせよ!」
日本国天皇の護衛という大変栄誉ある仕事を任されながらも、彼から溜め息が消える日はただの一日たりとてなかった。
大将達の苦労も解るぜ、全く
根が暴力的で鬼畜な彼は、当然この状況に耐えられる筈もなく、憂さ晴らしにこの幼女を襲ってやろうかと半ば以上本気で考えたのだが、思いとどまって止めた。“不滅”の二つ名を持つ彼ですら、或いは消滅させてしまう程の力が彼女にはあるからだ。大体この護衛の任自体が茶番なのである。皇居は、いや周辺数十キロに渡るまで、この二人を除いて完全な無人地帯になっている。当然だ、いつ爆発するかも判らない核爆弾の傍で、眠れる筈もない。ようするに、彼に与えられた任務は、ヒマを持て余した彼女がバカな真似をしでかさないように見張る事、つまりは子守である。当然、誰にでも出来る任務ではない。もしもの時に、三人組が駆けつけるまでの時間を稼げるだけの実力が必要なのだ。前任者の履歴にもそうそうたるメンバーが並んでいる。彼女の弟である、大神 雷蔵おおがみ らいぞう、彼の弟である悠輝、例の三人組は勿論の事、“最大最強の怪物”、大蛇などなどのツワモノ揃いである。
「またなんとも、抽象的な・・・」
「早くしろ! さぁやれ! 今やれ! 早くやれ!」
(・・・ホントにヤッちゃおうかしらん?)
こんな自問自答も、既に何度数えたか覚えてもいない。まぁそれでも、目の前の彼女が魅力的なのは、彼としては大いに結構な事なのだ。かつて一度だけ見た事があるが、彼女の本来の姿は、太陽神の名にふさわしい燦然たるものだった。不覚にも焦がれていたのは事実だし、多分今も、ココロの何処かで焦がれている。やかましいばかりの、躍動する命の大輝は、決して消える事はない。彼を傷付けた黄金の剣、その輝きすらも霞む程の原初の光。ヒトは、己にないものをこそ求めるという、ならば闇そのものである彼にとって、彼女こそが、唯一の存在足りえるのかもしれない。
「・・・まぁそれなら、また力比べでもしましょうか? 言っておきますけど、ちゃんと加減して下さいよ?」
聞いた彼女は飛び起きると、彼の手を取り、道場へと引っぱって行く。皇居内のそれは群を抜いて頑強に作られている。二人掛かりで防御陣を敷けば、まぁ、お遊びぐらいは出来るだろう。
「よし行くぞ! それ行くぞ! 今行くぞ!
ソナタの闇は深いからのぉ、照らしがいもあるというものよ! ふっふっふっ、ついに、ワラワの本気を見せる時が来たようじゃな!」
「いやだから、加減してくれないと死にますよ、オレ?」
「うむ! 任せておくが良い!」
「・・・聞いてないね・・・」
繋いだ手から伝わる、木漏れ日の温もりを感じる。心地よい体温は、彼女の優しさの表れだろう。大き過ぎる彼女は、その優しさもバカデカいのだ。らしくもなく高鳴る、自分の胸に苦笑しつつ、彼は素直に、彼女の手にひかれて行った。
光と闇が、今日も、戯れる。
ココは、静かだ。
ココは、優しい。
カレを抱くのは深遠なるヤミ。
ココにはきっと全てがあって、
恐らくは何も無い。
ココは、“記録”と呼ばれる場所。
完全であるがゆえに観測出来ないモノ。
全ての存在、その原因が満ちる場所。
ゆっくりと廻る、ヤミの揺り籠に抱かれながら、カレはたゆたう。
ココにあって、なお己を保ち続ける事に、意味などない。
もとより、ココは本来、ヤミのみがある場所。
ココにヤミがあるのか、ヤミがココなのかも判らない場所。
そんなヤミの中に、輪郭を失いつつも、カレは確かに、ソコにいた。
何を求めて?
自分は、何かを忘れて、
何かを待っている。
そんな気がする。
「オッス! いや、違うな、オイッス! ん?これも違うか?」
全く唐突に、カレの前に、カノジョが顕れた。
「・・・ま、そうだよなぁ、ここは素直に、ただいま・・・かな?」
相変わらずの男っぽい口調、短く整えられた蒼い髪、カレと同じ、聖緑の瞳、豹のようなしなやかな体をした、ワイルドな女。
「・・・」
「ん? なんだよなんだよ、さっきからだんまりかぁ? 相っ変わらず女々しいヤツだぜ。それでも俺のオトコかよ?」
言葉なんて出よう筈もない。
カノジョを失った辛さから、それから逃れる為だけにあって、こんなところにまで来てしまった自分。
そのカノジョが、今目の前に、確かにいる。
互いの存在が、二人を、確かなカタチへと変えていく。
カノジョを彼女に、カレを彼へと、変えていく。
なぜ自分は、今の今まで、彼女を忘れてしまっていたのだろう。辛いだけの人生ではなかった。彼に、幸せを教えてくれた。そうさ、思い出の中の彼女は、いつだって、こんなふうに、笑っていたじゃないか!
「・・・おかえり、那波。言って置くけどな、また逢えるって信じてたよ、俺は」
「嘘吐けよ? 捨てられた子犬みたいなツラしてたぜ、お前。まぁ、それでも、また逢ったな、刃」
止まっていたものが動き出す。
ああ、そうだ。
俺は、この胸の高鳴りを忘れていたんだ。
「いつまでもこんなとこに引き篭ってんじゃねぇよ。ホラ、さっさと行こうぜ!」
「・・・ああ!」
君がいたから、君がいるから、君がいるなら、俺は、何度だって立ち上がれる、何にだって打ち勝てる、このキモチは炎になって、二人の道を照らすだろう。
休息は再会によって終わり、二人は、また歩き出す。
「・・・朝、か」
定刻通りに目を覚ますと、そのまま部屋を出る。
と、彼女達4人の部屋の真ん前に、腕組み姿で立っている、老人がいた。
「おはよう」
「・・・驚いた、じゃなくてさぁ!」
鋭過ぎる瞳を持つ中性的な少女、大神 大地おおがみ だいちは、怒り狂って目の前の祖父、雷蔵に蹴りを爆裂させる、筈だった。
「くっ!」
「まだまだじゃのう」
彼女の音速を軽く超える蹴りを、いつのまにとりだしたのやら、大槌で受け止める雷蔵。 激しくスパークしたように見えたのは錯覚ではない、なぜなら、彼の持つソレは、文字通りのイカヅチだからだ。
そしてそして、そんな老人に蹴りを放った
彼女の姿が変わったように見えるのもまた、錯覚ではない。燃えるように赤い長髪と輝きを凝縮したような金色の瞳、無敵のプロポーションをした褐色の肌の女神は、間違いなく大地だ。
この二人、というか、この家に暮らす五人はその全員がヒトではない。
まず雷蔵は、ギリシアの最高神、“雷神”ゼウス。北欧ではトール、日本ではスサノオと呼ばれる、照日の弟である。大地に勝るとも劣らない鋭い瞳、荒々しく逆立った白髪を持つ、逞しい体をした老人である。
そして大地は、同じくギリシアに名を残す“大地母神”ガイア。原初の混沌より生まれし最初のカタチ。全てのカタチあるものの王である。他の追随をゆるさない身体能力を持った彼女は、一度は破壊されてしまった世界の存続の為、何も知らされずにヒトとして生きてきたのだが、とある出来事をきっかけにして己の正体を知り、なお、前進する事を止めないタフな女である。現在、17年目にしてようやくやってきた春を爆進中。
「二階には上がって来るなって言ったでしょう!」
「そうじゃったかのう? 言われたような気が、はて? するような? いや、ないような?」
叩きのめした、今度こそ。
大地が自分を知ってからも、この二人が、祖父と孫である事は変わらない。正体からすれば、むしろ雷蔵こそが、彼女の孫に当たるとはいえ、彼女は、彼に育てて貰った暖かな記憶を、ただの一度だって、忘れた事はないからだ。
「いやそれにしても、手早くまとまったもんじゃのぉ、我が孫ながら手が早い」
ムクリと起き上がった彼に言われ、ギクリとなる大地。
「・・・」
「よきかなよきかな、ワシも昔を思い出す」
したり顔で頷く祖父に、孫娘は、いっそ開き直る事にした。
「・・・別に、決めたなら、進むだけでしょ。保身なんて真っ平よ。ライバル達も手強いしね。止まってなんて、いられないし、いたくないもの」
ドンと胸を張る女神の姿に、かつて天上一の遊び人と言われた男は大笑した。
「嬉しくもあり、寂しくもあり、かの。なんにせよ、今日の酒は美味そうじゃな」
「珍しく早起きしたと思ったら、早速お酒?ま、いいか、用意するよ。ツマミは? 何がいい?」
雷蔵は、ニヤリと笑って即答する。
「赤飯じゃ」
勿論、大地に殴り倒されたのだが。
なんて暖かで、幸福な家族。
「命ってのは、大事に取っておくもんだ」
それがじいさんの口癖だった。
俺がまだアイツに出会う前の話、病室から出る事が出来なくなっていた、じいさんのもとへと通っていた、時のこと。
「いい加減耳タコだぜ、じいさん。ようするに、使いどころを見極めろってんだろ?」
ベッドの隣に腰掛け、リンゴを剥いてやりながら答える。
「・・・相変わらず口汚ねぇオンナだな・・・誰に似たんだ? 全くよ」
「確実にアンタだよ、じいさん」
出来上がった、リンゴをホレとくれてやる。決して良い出来栄えではなかったが、じいさんよりはマシな筈だ。
「・・・マズイリンゴだぜ、しかもヒデェサマだ。俺の記憶違いじゃなけりゃあよ、確かリンゴってのは丸くなかったか?」
「新種だよ。それに味は、俺のせいじゃねぇ」
近所のスーパーで買ってきたものだ。当然、元の形は丸かった。
「・・・テメェを引き取って、10年になる、か・・・俺も、歳をとる筈だぜ・・・」
8つの時に、俺の両親は事故で死んでしまって、それ以来、二人っきりの家族だった。そして、また、
「らしくもなく感傷的じゃねぇか。言うとおり、トシだな、じいさん」
医者からは長くないと言われている。カルテを見る限り、生きているのが不思議なくらいの状態らしい。いつ時が来ても、おかしくないそうだ。それでも、このジジイは、しぶとく生きていた。いや、生きるしかなかった。
「よのなかに、ひとのくるこそ、うるさけれ、とはいふものの、おまえではなし」
「一人よりも二人、三人よりも二人きりってか。確かにな、支えあうなら、多人数は無理だよな。二人きりなら、全力で向き合えるしな」
「・・・解ってんじゃねぇか、ガキ」
「アンタに比べればな、じいさん」
命を燃やす、それが、このじいさんの業だった。だから、このジジイは簡単にはくたばれない。いつも憎たらしく笑っちゃいるが、体はもう死に体だ。そうとう辛い筈、なのに、
「なぁ、那波。命は、輝くモノなんだよ。でっかくな、輝くんだ」
「・・・あぁ、それが、俺達の証明だ」
「テメェなら、きっと俺以上に輝けるだろう。けどな、命ってのは、大事にとっておくもんだからよ、溜めて溜めて溜めまくって、いざって時には」
「最高にカッコ良く、決めてやれ」
二人、なんとなくわかってた。これが別れの時なんだって、不思議と、涙は出なかった。
バカみたいに笑ってたんだ、最後まで。
「じゃあな、じいさん・・・嫌いじゃなかったぜ?」
「照れくせぇ、笑わせるぜ」
「愛してた」
「大サービスだな、けどなんで過去形なんだよ、バカ野郎」
「野郎じゃねぇ、これでもオンナだ、俺は」
「カッケェヤツだぜ、俺の孫」
「ア・イ・シ・テ・ル! 俺の、クソジジイ」
振り返らずに、病室を後にした。背中を押す、誰かさんの、視線があった。
この時、病院の門で、アイツとすれ違った筈なんだが、俺の景色は、何故だか歪んでしまっていて、何も見えてやしなかった。
その日の晩、じいさんは死んだ。
空も泣いていた、じいさんの葬式の日。じいさんを慕っていた人達の多さに、まず驚いた。沢山の人達が、涙を流してくれていた。自分はじいさんの愛人だったのだ、なんて涙交じりの笑顔で言う人達も何人かいた。ヤリ手のクソジジイのケツ持ちとして、ばあさんって呼んでやったら、思いっきり抱きしめられたんだっけ。
俺は、泣かなかった。誰かの前で、泣く訳にはいかなかったし、抱きしめられた時には正直決壊しそうだったんだが、耐えた。
「貴方は間違いなく、あの人達の孫よ」
じいさんの選んだ人は、誰もが認める強い女性だったらしい。俺が物心つく前に、俺を庇って、車に轢かれた。
両親の事故も、原因は俺だった。夜中、俺が高熱を出した。救急車が全て出払っていると知った両親は、直ぐに車で病院へと向ってくれたのだ。励ます二人の、あの声は、とても力強かったっけ。負けるかって思った、その矢先だった。大型のトラックが、信号を無視して突っ込んできたらしい。運転手はロクに睡眠もとっておらず、その上酒に酔っていた。両親の決断は速かった。二人掛かりで、俺を包んだ。二人は即死した。俺は、キズ一つ負わなかった。俺は、生かされた。
ばあさんも、両親も、笑って死んだんだって、じいさんは言ってた。そのじいさんも、最後は笑ってた。
自分が泣くのは嘘だと思った。歯を食いしばって、背筋伸ばして、胸張って、カッコつけなきゃって、震えてた。
そんな時だ。アイツは、やってきた。
「ごめん」
この時ばかりは周囲に溶け込んでいたその服装。帳簿に名を書き、線香を上げて、何事か呟いた。
葬式が終わって、玄関の前に、アイツはまだ立っていた。
「ごめん」
何故だろう。全部、解った。きっと、涙を流しながら、それでも真っ直ぐに俺の目を見つめる、俺と同じ緑の瞳が、あまりに澄んでいたからだと思う。
その胸に縋って、ワンワン泣いた。止まらなかった、声も、涙も。
これが、アイツとの出会い。
俺が、自分の理由を見つけた日。
玄関の前で、涙でずぶ濡れになっていた、子犬のような男の子を拾った日。
まぁ、それが良い拾い物だったなと、思うまでにも、大して時間は要らなかった訳で。
「・・・世も末ね」
道行く人影は男性一人、女性が三人。
男性の左側、彼の腕を半ば強引に自らのものと組んでいる女性が、その男性に言った。
「・・・お前がそれを言うと、洒落で済まないんだぞ? そこんトコ、ちゃあんと解ってるのか? リリス? って、コレも何度めだよ・・・」
呆れ顔で答えた男性。
年齢の判別しにくい、甘い顔立ちをした長身痩躯。その肌はやや浅黒い。問題なのはその服装だ。誰にでも一目で職業の判るソレ、“喪服”。
もっとも、両隣の女性達も同じ服装なものだから、本人、全く気にした風はない。
「アダム! それって責任転嫁! 多分二度目ね、多分・・・」
リリスと呼ばれた女性は、とにかく美しい。いや、美し過ぎる。とてもではないが、ヒトには見えない程だ。
まぁ実際、ヒトではないのだが。
腰まで届く波打つ金髪。理想のスタイル。透けるような白い肌。いかにも気の強そうなその瞳は、しかしどこまでも青く澄んでいて、相手の言葉を奪うには十分だ。
いや、ホントにね、もう、出来過ぎだって。
「・・・姉さん、光さんが困っていますよ。それから、ここでは光さんは光さんなのですから、光様と呼んで下さい。勿論、私の事はイヴ様と。繰り返しの美学です。スマートですよ」
冗談なのか本気なのか、自らをイヴ様と呼んだ女性、こちらもまた美しい。どれ程かといえば、リリスとタメをはれる程です、ハイ。
リリスを西洋的な美の化身とするならば、こちらは東洋のそれだ。真っ直ぐな長い黒髪。リリスに匹敵するスタイル。暖かそうな肌。母性すら感じる優しげなその瞳は、吸い込まれそうな深い黒。
ちょっと、やり過ぎ。
何が、いや、誰がやり過ぎなのかと言えば、自分の好みを、妻の二人に徹底的に反映させたこの男。闇影やみかげ 光ひかると、この世界では、そう名乗っている。
付き従う二人は、彼がとある場所から呼び出した、簡単に言ってしまえば、召喚獣のような立場にある為、元の名をそのまま用いている。
この、妖しすぎる三人組。
彼等の正体は、面倒なので省略しておこう。
その前を、ズカズカと歩く、女性が一人。
誰もが認める地味な制服を身に着けた大地を指差し、リリスが言う。
妹の言葉は、ガン無視で。
「ガイアともあろうものがさ、このバカを気に入っちゃうなんてさ、そりゃ、世の行く末が不安にもなるわよ」
「物好きだなって言いたいの? ならさ、なんで二人して、腕組んじゃってるのかな?」
コメカミをヒクヒクとさせながら、大地が振り向く。
「妻の特権です」
「・・・妻、ねぇ・・・」
すっとぼけるリリスに変わって、答えたのはイヴだ。いつだって崩れない余裕の笑み。
そういえば、このバカを最初に勝ち取ったのはこの女だった筈。リリスを相手に、大した者だと思わないでもない。
「でもさ、アタシだってタルタロス地獄の妻だった訳でしょ? ハッキリ思い出した訳じゃないけどさ」
大地の言葉に、ギクリとなる三人組。
とても珍しく、明らかに慌てていた。
「・・・油断大敵ってやつだったわ」
「ようするに、光さんが全て悪かった訳です」
光かつてはタルタロスを名乗った事『も』あるこのバカは脂汗を流しながら、おずおずと確認する。
「全部思い出した訳じゃ、ないんだよな?」
「ん~、なんだかボンヤリと、なんだけどさ、記憶違いじゃなければさ、アンタ、アタシにデレデレだったよね、多分」
再びギクリとなる三人組。
三人とも、目が泳いでいる。
今の大地のベクトルで、成長しきった女性を想像してみて欲しい。色々とあったのは事実だが、当時、妻二人を差し置いて、このバカはガイアに首ったけだったのである。いつだって、男の弱点は女と相場が決まっているが、バカの堕落っぷりは凄まじく、リリスなどは、かつてのイヴとバカのソレが記憶とダブり、イヴはイヴで、姉がどんな思いで自分達を見ていたのか、深く痛感するハメになる出来事であった。
女二人は、揃って不覚を取り、男は、他の女に溺れる始末。あまり、思い出したくない記憶である。
「・・・まぁ、その、なんだ、俺も若かったって、いうか、ですね?」
自らの両側から膨れ上がる、凄まじい負のオーラに、バカの背筋が震え上がる。ガッチリと拘束されたままの自分、ヤバイ!
「あ、あの~大地さん? 大神 大地さん?」「愛の試練よ、頑張ってね、ダーリン」
らしくもなく、ふざけて言う大地の姿が、かつての彼女と重なる。ホントは全部思い出してんじゃねぇのか、この女、とか思いながらも、死を覚悟するバカ。
・・・マズったなぁ、“記録”とまで、繋がっちゃったかな?
薄れいく意識の中、何故か笑顔が零れる、“記録の化身”であった。
「篝火 刃です」
「速瀬 那波はやせ ななみです」
「やっぱりヤバイですって、“国”の連中が黙ってませんよ、コレ」
「心配などいらぬ。ワラワは何をしても許される。何故なら、ワラワは天皇だから! それもアマテラスオオミカミ本人であるぞ! 敬え! 平伏せ! そして、構え!」
「それを言うならエンマの大将なんて、イザナギを名乗ったアメノミナカヌシですぜ? 怒られちゃうんじゃないですか?」
「その心配もいらぬ。なぜなら、アヤツは女に弱いからじゃ」
「・・・」
ナイムネをドンと張って言いながら、教室のドアの前に立つ照日。そして、そのまま、動かない。
「・・・開けよ!」
「あ、届かないのね」
爆弾発言をしつつ罪人がガラリとドアを開ける。
最早恒例となってしまっていた、朝のHRの転校生紹介。帰ってきた友人達の突然の登場に、光が驚きつつも喜びを表そうとしていた、まさにその瞬間の暴君の登場に、光と刃は、揃って、大きな溜め息を吐いたのであった。
昼休みの屋上にて、膨れっ面で話を聞こうともしない照日を、光、リリス、イヴ、刃、罪人、そしてなぜか悠輝まで、の六人掛かりで必死の説得を行う傍らで、女二人は、仲良く昼食を取っていた。
「コレ美味しいじゃん、凄くさ。俺には真似出来ねぇや、ちょっとな」
「それはどうも」
驚く事が多過ぎて何に驚いたらいいのかさえ、分からない大地だったが、もう、気にするのは止めにした。成長をし続ける彼女、二人の妻が再び顔を青くする日も近い、のかもしれない。
そんな彼女が、食事一つとってもかなり男前な、“喪服”に身を包んだ那波に訊ねる。
「・・・アンタも、“非人”なんだ?」
「ん、おうよ。高卒で試験受けて、なんとか合格したんだ」
「・・・なんで、仮にも学校卒業してる、仮にも社会人の、仮にも犯罪者ばかりが、うちには転校生としてやってくるのよ・・・」
「だははっ! そりゃ、アンタがいるからだぜ? 言い過ぎでもなんでもなく、世界の中心なんだからよ」
「凄く複雑な気分。だってさ、なんだかんだで、世界は勝手に廻ってる。損ばかりしてる気がするのよね」
「そうか? 俺は、そうは思わないぜ?」
「?」
「今この瞬間、俺達は間違いなく幸福なんだって断言出来る。そうさ、世界は、勝手に廻ってる、それでいいんだ。ここは、全てのワガママが許される戦いの世界だ。勝ち取った時間を誇れ、奪われた過去を恥じろ。強がりだって構わない、強く在れってね」
「・・・」
「澄んだ天空に太陽は輝き、穏やかな時間の中で、俺達は爆笑する。飯も旨いし、アイツもいるし、俺は今、最高に幸せだぜ? アンタは、どうだ?」
「当然!」
「だっはっはっ! アンタ、やっぱりいいよ、最高だ。腹も膨れた事だし、どうだい、ちょっと、俺と手合わせしないか?」
スッと立ち上がる那波。彼女の在り方は、大地にとっても、強く共感出来るモノだ。都合のいいことに、近頃の屋上に、他の学生達が近付く事はない。
「アタシは、強いよ?」
「知ってるし、判るぜ? 俺はな、人間の価値を、命の輝きを証明したいんだ。この身がアンタに届くなら、人間ってヤツも、捨てたモノじゃないだろう?」
広い屋上の中央、向い合う、二人。
真の姿をさらす大地の前で、那波の総身から放たれる、光の波動。
「やるからには本気だよ?」
「そうでなくっちゃな! そしてここで決め台詞だ! 人類を、侮るな!」
真正面から、バカ正直に突っ込む那波の連撃を、大地は余裕で避わし続ける。
既に、彼女の視界に色はない。
光速すら超える彼女にとって、時間は止まっているに等しいのだから、が、攻撃には転じない、いや、出来ない。この視界にあってなお輝く那波の波動に、言い知れぬ力を感じる。
彼女にとって、那波はまるで隙だらけだ、だというのに、
(・・・この、輝きは・・・)
対する那波も、自身の攻撃が掠る事すらないという現実に、驚愕し、興奮し、歓喜していた。悲壮感など、あろう筈もない。彼女の頭の中にはいつだって、立ち向かう事しかないのだから。
まだ、届かない、けど、まだまだだ!
「ッ!?」
大地は驚愕した。今、確かに、那波の拳が、彼女の頬を掠めた、それだけで、肉は裂け、血が噴出す。無論、その程度の傷など、次の瞬間には癒えている。が、その予期せぬダメージに、ついに彼女は、反撃に転じる事にした。
「げっ! ぐぁ!」
一瞬で叩きのめされ、地に伏す、那波。
悠輝直伝の格闘術をお見舞いした大地は、しかし、その両手両脚を完全に潰してしまっていた。これとて、瞬く間に癒える傷ではある。けれど、彼女の強大な力をもってしても、那波の波動を、完全に押し切る事は出来なかったのだ。
そうだ・・・この輝きは
「かははっ! ハンパねぇ・・・けどま、まだまだこれからだろ?」
当然の如く、ムクリと起き上がる那波。
「・・・アンタ、その力?」
この、理不尽とすらとれる常軌を逸した力、いつかの刃の黒い炎や、バカの剣を思い出させるこの力は、
「命は、輝くモノなんだよ。言うなればコレは魂の成果。ヒトの、凝縮した意志の輝きが、奇跡だって起こすのさ」
圧倒的なステータスの差さえ覆す、奇跡の連続。奇跡は起こるモノではなく、起こすモノ。世界をカタチ作るのは神などではなく、人々の強い想いであると、彼女は言う。
「俺は古くからの武術の家系の生まれでね。ヒトの限界を越えようと挑戦し続ける内に、俺達は、自分の命を燃やす業を、手にしちまったのさ」
命の躍動。
それは、誰もが生まれながらに持つ原始の力を、戦う術へと変える業。燃え尽きるまで燃え続ける、強く尊い、命の輝きである。
両親を失った彼女に、元は“非人”だった祖父が、教えてくれたモノ。祖父の代で絶える筈だった業を、彼は、幼い彼女に授けたのだ。彼女が、強く生きる、その為に。
「・・・そっか、アンタは、いつでも全力なんだね」
「他人事みたいに言うんじゃねぇよ。俺には判るぜ? アンタだって全力じゃんかよ」
その波動の輝きを、増し続ける戦士。
完全なる姿のまま、悠然と佇む女神。
向い合う両者は、何故か、微笑み合う。
と、そこで、
「ハイ、ストップ」
二人の動きが、完全に止められた。
こんなバカバカしい真似ができるのは、やはりバカでしか在りえない。
「照日がお怒りだ。凄く、凄くな。恐縮して、天皇陛下のお言葉を、静聴するように」
光に羽交い絞めにされ、ジタバタと騒いでおられる天皇陛下は、顔を真っ赤になされながら、仰せになる。
「キ・サ・マ・ラ! 何を! このワラワを放っておいて! 何を楽しそうな事をやっておるのか!! ワラワを放置するでない、泣くぞ?」
日本神話における、天の岩戸の再現である。 六人の話をまるで聞こうともしなかった癖に、自分を放っておいて騒がれると、腹に据えかねるものがあるらしい。
「・・・なぁ、弟よ」
「何も言うな、何も」
「姉さん並に子供ですよね」
「・・・イヴ、死にたいの?」
そんな外野の様々な思惑を他所に、照日は宣言する。
「決めたぞ! ワラワは今決めた! 『第一回 平伏せ! アマテラス最強証明会』を執り行う! 全国に令を発するのだ! ツワモノどもを集めるのだ! 外部からも広く集めるのだぞ?」
「・・・第一回」
「光さん、という事は二回目以降もあると言う事でしょうか?」
「頼むから、俺に訊かないでくれ」
イヴによしよしと慰められている光を完全に無視して、照日は続ける。
「誰が最も輝く存在なのか、このワラワが、知らしめてくれようぞ!」
天から与えられた大舞台、雌雄を決する、時が来る?
ある英雄の話をしよう。
眩しいまでの輝きに導かれ、世界を救った男がいた。
刹那の栄光。
瞬間の転落。
彼には覚悟があった。
自らの信念に従い、その手を血で汚し、その背に罪を背負い続けていた。
いつかくる終わりにも、自らの手で、幕を引くとも決めていた。
友の手を煩わせるつもりもなかった。
彼は、優しすぎるから。
そう、その日、その時がくるまでは。
「・・・完全に、囲まれちまったな」
「・・・あぁ」
気付けたのは偶然だった。
タイミングは最悪だった。
そして今、戦場の只中に、二人はいた。
まだ配属されたばかりとはいえ、実力で上の連中を黙らせ、刃のパートナーとなった那波。お互いが、最高の相棒であるという確信が、二人にはあった。彼の存在が、彼女の輝きを増し、彼女の存在が、彼の炎を熱くした。
けれど、この状況は拙かった。
タッグを組んでからは初めてとなる、海外での特別任務。以前から懸念されていたとある組織の偵察、それだけの筈だった。
“国”の連中の想定が甘過ぎた。
開戦は、既に秒読みだったのだ。
大きくなり過ぎていた組織を前に、この時、“イレギュラー”と呼ばれる者達の襲来により、“非人”も“守人”もその応戦の為、手が追いつかなかったのである。
このまま開戦を許せば、天秤が傾きかねない事態だった。
戦争を起こさんとする巨大組織、それを只の二人で倒さなければならない現実。
けれど、二人に迷いはなかった。
巧妙に分散された敵組織の中枢を的確に潰し続け、ついには盟主の位置にまで肉迫したのである。しかし、
「さすがに、今度ばかりはかなり拙いぜ?」
「・・・あぁ」
二人の疲労は、とうに限界を越えていた。
指揮系統こそなんとか破壊したものの、未だ敵の大軍勢は粒ほども減る気配がない。対して、敵中にて完全に孤立してしまっている二人。考えるまでもなく、絶望的である。
「・・・なぁ、刃」
「・・・ダメだ」
それまで返事をするばかりだった彼が、彼女の言葉を遮った。
「ったくさ、無駄に聡いよな、お前。けどさ、分かってるんだろ?」
「・・・それでも、ダメだ」
頑なに拒む彼に苦笑して、彼女は、ふと空を見上げた。こんな時でも、空は青い。血と煙の匂いしかしないここにあって、空だけが清浄だった。
「・・・使い時だよ。やっぱりさ」
「絶対にダメだ!!」
とうとう彼は、感情を剥き出しにしてしまう。それは、彼の理想からはあまりにも程遠い。今の彼は戦士ではなく、駄々を捏ねる子供だった。彼を変えてしまった、誰かさんが、笑う。
「男の癖して可愛いヤツだよ、お前は。ホント、子犬みたいだ」
「那波! 俺の話を!」
彼の唇が、塞がれた。他ならぬ、彼女のそれで。
「お前は理想を捨てられないさ、だって、お前こそが、奇跡みたいに理想そのものなんだから」
「・・・」
声を殺し、彼は、涙を流していた。死者に変わって泣くだなんて、大言を吐いてはいたが、単に泣き虫なだけだろうとも思う。
・・・思えば、俺が涙を見せたのは、一度きりだったよな・・・
彼と出会った、あの日、あの時だけだ。
・・・こんなに脆い癖して、だからこそ、コイツは強過ぎる・・・皮肉だよな
「このまま持久戦を続ければ、本当に二人とも助からない。チャンスは、今しかない」
「・・・」
「手足はもう潰してあるんだ。後は、頭を潰すだけでいい。油断している今が絶好の機会なんだ」
「・・・」
二人、とうに解りきっていた事を淡々と続ける彼女。
「俺が、道を拓いてやる。後は、お前が決めるんだよ、刃」
「・・・那波、俺は・・・ボクは・・・」
スッと立ち上がった彼女、彼は、動けない。
「約束しろ刃。俺は、お前の炎が好きなんだよ。俺に見せてくれよ、お前の想いの、その熱さを」
「・・・」
ヨロヨロと立ち上がる彼。
ようやく上げた、その顔に、もう迷いは無かった。頬に残る濡れ跡が、いかにも彼らしいと苦笑する。
「さよならは言わないぜ、また逢えるって信じてるからな。そうだな、今度は、花にでもなるか」
「そうか、なら俺は光になって、お前を照らすよ」
「・・・バッカヤロ、似合わねぇ、ぐらい言いやがれ、照れるじゃねぇか」
「・・・きっと、キレイな花になるさ」
もう、言葉は無かった。
彼の隣、生まれたのは巨大な光。
既に輪郭はなく、ただ輝くばかりの彼女が、ふと、頷いたような気がした。
彼の全身が、紅蓮の炎に包まれる。
後はただ、駆け抜けるのみ。
巨大な閃光が戦場を貫き、それを追うように駆け抜けた紅蓮の炎が、途上の全てを焼き尽くした。
余裕の笑みを浮かべていた盟主は、閃光によって全ての結界を失い、驚愕する間もなく、その魂すらも焼き尽くされた。
「・・・」
未だ、敵の包囲は続いている。が、全ての指揮を失った直後の軍団から抜け出す事など、彼には容易い。けれど、彼は動かない。
(・・・那波)
彼は、最後の刹那、彼女を想った。
話は、これで終わる。
その英雄は、誕生とともに死んだのだ。
二人は、最後の最後で間違えた。
彼女の喪失に、彼が絶えられる筈がなかったのだ。
「シャハハハッ!! シャーハァアア!!」
その日、その時、その場に在った全ての命は、狩りつくされた。黒の惨劇の、始まりである。
「オロチの奴め! ワシのミョルニルが喰らいたりんようじゃな!」
「・・・雷じい、当日は手出し厳禁だ。俺と一緒に警護だよ」
夕飯時、猛る雷蔵を、光が嗜める。
全員揃った所で、大会の事を切り出した、途端にこれだ。
頭が痛い。
旧交を温めたいのは判るが、時と場所を選んでもらわなければ困る。
「何を言うか! ワシ、をっ!!」
大地の鉄拳が直撃、雷蔵を黙らせる。
「ダメったらダメ! もし言い付けを破ったりしたら・・・」
「むむむ」
せっかくの楽しみを奪われ、さすがの雷蔵も言葉を詰らせる。
光は、付き人二人に振り返る。
「リリス、イヴ、いけるか?」
「当然!」
「はい、ですが・・・」
即答するリリス、
が、イヴには、何か思う所があるらしい。
「私達も・・・参加してはならないのですか?」
ガクリと突っ伏す光。平穏を祈らずにはいられない。
「え!? どういう事よ!? アダム!」
「・・・」
リリスに至っては、夫の問いを誤解している始末だ。
「・・・当日は、敵性勢力からの襲撃の可能性が大、というか確実にある。遊んでる場合じゃないの!」
「襲撃?」
訊ねたのは大地だ。リリスは膨れっ面でそっぽを向いている。
「お前と照日、連中からすれば絶好の標的がいる場所に、堂々と集まれるんだぜ? 今回の大会に参加資格なんてものは無いし、だからといって中止する事も出来ない。なにせ、天皇陛下のワガママだからな」
「そんなに危険な事なの?」
「戦争をしましょう! って招待状をバラまくようなもんなんだよ。相手の戦力集中をみすみす許すっていうんだ。戦術的にみればリスクがデカ過ぎる。それにな、ノコノコ集まってくる連中はまだいい。問題は、その混乱に乗じてって、機会を窺っている厄介な連中まで出てくるかもしれないって事さ」
「アンタ達がてこずる程の?」
首を傾げる大地。
「俺達三人、特に俺とリリスには、色々と制限があるからな。刃の時みたいに、ホントにホントの世界の危機にでもならない限り、力は殆ど使えないんだ。だから、どうしても後手に廻っちゃうんだよなぁ・・・」
「・・・ん~、今回はそこまでの危機では無いって?」
「展開によってはそうなってしまうかもしれないけれど、そうならないかもしれない。こういう時は動けないんだ。俺達、“外側”の連中は、基本的に各“世界”に干渉しちゃあ、いけないんだよ」
「色々と面倒なんだね?」
「まぁな、けど、大切な事だから」
「“イレギュラー”、来るでしょうか?」
今度の問いはイヴからのものだ。
「微妙な所だけどな。まぁ来たとしても前回のような轍は踏まないさ。俺は、今度こそ、躊躇わずに剣を振るぜ?」
「当然」
何時の間にやら、光の隣で胸を張るリリス。
並び立つ、二人の“決定者”達。
これ以上に頼もしい二人もいまい。
「こやつはリスクばかりを言うが、揉め事の種を一掃するチャンスでもあるからの。姉上もまるで考えなしという訳ではない。何にせよ、折角の機会なんじゃ、お前は大会で存分に暴れる事じゃな、大地」
孫の背中を、ポンと叩いたのは雷蔵である。
「当然!」
もとより、恒に前進あるのみの大地は、力強く頷いたのだった。
「どぉおおおりゃああああ!!」
「・・・」
渾身の突きを、ヒラリと避わされた。
「だぁああありゃああああ!!」
「・・・」
会心の蹴りも、ヒラリと避わされた。
「げはっ! ぐ! ぐ! ぐへっ!」
「・・・」
背中に裏拳をくらい、タタラを踏んでいるところに、容赦の無い炎弾の追い打ち。
「・・・なぁ、那波」
「ええぃダマレ!」
捨て身の一撃! ヒラリ、
手痛い反撃!
大の字になって倒れる那波。
呆れ顔で、介抱しようとする刃。
「隙あり!」
「っ!! んむ!」
ひっ捕まえて口付けしてやると、案の定、完全に硬直してしまう刃。
「おぉおおおらぁあああ!!」
回転とともに全身の力で繰り出した拳を顔面にモロに受け、吹き飛びしばらく転がって停止、完全にKOされてしまった刃。
舞い散る紅蓮の火の粉が、無念そうに揺れていた。
「ふっ! 勝利!!」
得意げにガッツポーズ!
この二人にとっては有り触れた日常がこれである。余暇の殆どは敷地内の道場でじゃれあっている。たまには外に繰り出す事もある。二人で部屋に閉じこもって本を読む事もあれば、恋人同士特有のアレコレも勿論ある。どの場合も主導権を握っているのが誰なのかは、言うまでもない。家事は従順な子犬の仕事。主人はといえば、せっせと勤しむ子犬の邪魔をしたり、料理の味に文句をつけたり、たまには可愛がってあげたりと大忙しなのである。
このままでは、再び黒の惨劇が起こりかねない、と心配されるかもしれないが、そんなことはない。この二人は、とても幸せである。それは例えば、卑怯な不意打ちでKOされた子犬が、不満そうにしながらも、やっぱり笑顔で起き上がっているあたりにも、良く現れている。現在単身赴任中の、某大魔王様が見た日には、嫉妬で暴れだしかねない、無敵の空間である。
「・・・那波」
「愛してるぜ! 刃!」
相手が何か不満を漏らす前の、お決まりの先制攻撃である。これで丸め込まれてしまうあたり、刃の人となりが知れよう。
「ぐっ! むぅ・・・」
「最強を決める闘いかぁ、ワクワクするぜ!」 猛る彼女を、微笑んで見守る彼。
二人が望み、手にする時間。
「今日という今日は言わせて貰いますけどね!アネさんはもう少し気配りというものを覚えるべきです!」
「つーん」
「つーん、じゃありません! そういう細かい事が苦手なのはよーく分かってますけどね!それだって何回オレを殺しかければ気が済むんですか!」
「ぷーん」
「ぷーん、でもありません! アネさん、今夜は寝かしませんよ!」
「こんな幼子を相手に!? ソナタ、鬼畜じゃな! ワラワのお肌が荒れたらどうしてくれる!」
「なんなら今すぐツヤツヤにしてあげましょうか!? 大体そんなツルツルスベスベで何言ってんですか! ていうか真面目に聴きなさい!」
「ツルペタじゃと!? おのれ! 人が気にしている事を!」
「わっ! ちょっとアネさん! ここじゃマズイですってば!!」
光と闇は、今夜も、戯れる。
時は来た。
第一回 平伏せ! アマテラス最強証明会! 当日である。
と、いうのにもかかわらず、御国高校みくにこうこうのグラウンドに設けられたリンクの上では、未だ、照日が両手両脚をバタバタとさせて、駄々っ子のように暴れているのみである。
「ヒマじゃ! なんでじゃ! なぜなんじゃああ!」
「「「そうですね!」」」
応える、例の三人組。
確かに、どうも様子がおかしい。
気配が、まるで無いのである。
リンクの上には、準備運動をのんびりとしている大地と那波、それと今度はぐずり始めた、高貴なる天皇陛下の三人のみ。周囲には、困惑顔の三人組と、我等関せずと知らんぷりの兄弟、ポツンと立っている子犬が一匹、のみである。ちなみに雷蔵は、ギックリ腰の為お休み、怪物夫婦達はといえば、
「ふふふっ、これは絶好の機会ですね」
「・・・」
とかなんとか言って、夫婦揃って彼の寝込んでいる屋敷へと、酒を手土産にお礼参りである。
平穏そのもの、と言ってもいいのだろう。
「・・・どう思う?」
「さあ?」
「判りませんね?」
「・・・なぁ、弟よ」
「なんだ? 兄よ」
既に、日は高く、のんびりと、時間だけが過ぎていく。
と、全く唐突に、リリスの肩の上に、ポンッと謎の生命体が現れた。
「・・・」
瞬時に全てを理解した光はガクリと肩を落とし、リリスは、ソレを思い切り抱きしめてやる。
「バクえもんじゃないの~♪」
完全にデレているリリス。意地っ張りな彼女にしては、珍しい。
「にゅう♪」
とか鳴いて、されるがままになっているのは、ウマとゾウを足して二で割ったような手の平サイズの不思議生命体、アダムの使い魔、“バク”である。背中にある二つの小さな白い羽が、ピコピコと動いている。
「にゅう♪」
×?
ポポポンポンッと、次々と現れるバク達。
バクまみれになるリリス。
凄く嫌そうな顔をしているアダム。
微笑んで見守っているのはイヴ。
他の連中は、何が起きたのか判らずに、ポカンとしている。
「バクのしん! バクよ! バクのすけ!
バクみ! バクわかまる! バクひめ! あぁ! もう、可愛いわね! まるで天使のようだわ!」
ちなみに、これらのバク達の見分けが利くのは、リリスのみである。
“狭間”はざまを自由に行き来し、
各世界の障害物を掃除して廻る、“夢喰い”ゆめくい達、彼等は、時折こうして、リリスの元へと帰ってくるのである。
まぁ、つまりは、
「・・・皆、喰っちまったんだな」
「そのようですね」
“狭間”で様子を窺っていた“イレギュラー”達も、会場に集まる筈だった連中も、全て余さず残さず例外なく容赦なく、皆、不思議生命体の栄養になってしまったのだろう、アーメン。
と、一匹のバクが光へと振り返ると、続けて他のバク達も、本来の飼い主へと注目した。
そして、
「あらあら」
「ふふふっ、可愛いですね」
一斉に、オシッコの雨を降り注いだのである! 誤解なきように、彼等の主はアダムである。リリスではない。大体リリスは、自分の使い魔達には、とてもとても、優しくはないのだから。
「・・・ふふっ・・・ふふふっ、ははっ! はーはっはっはっ!! ・・・上等だぁあああ!! テメェ等ぁあああ!!」
ブチンとキレたバカは“前進”の剣を抜く、そして、
「やめなさい」
「がはっ!!」
「ふふふっ」
すかさず、リリスの“終焉”に打ちのめされ、無様にも、地に伏す。
高笑いするペット達。
憤怒の形相でそれらを見上げ、リリスに睨まれ、ビクビクする本来のご主人様。
ああ! 憐れなるバカ、一匹。
「一体何事じゃ? ただならぬ気配を感じるが・・・」
照日をはじめ、他の面々も集まってきた。
特に照日は、その目を輝かせている。彼女的にはストライクであったらしい。
「はよう質問に答えい! なんなんじゃ、この愛苦しい生き物は! つうかくれ! 寄越せ! 捧げよ! 貢ぐのだ!」
再び暴れ始めた太陽を、弟と二人がかりで取り押さえながら、罪人が尋ねる。
「普通じゃない気配を感じるぜ? 何なんだいコイツ等は、大将?」
「オ! レ! の! 下僕達だ!」
再び降り注ぐ雨、溢れる説得力、涙も溢れそうである。
大地はヤレヤレと言った様子で、バク達にヒラヒラと手を振ってやる。
途端にデレッとなるバク達。
バカの怒りのボルテージが上がっていく、そして疑惑も確信へと変わっていく。
ふふふっ、ガイアさぁん? トボけてやがったなぁあああ!
完全にやつあたりである。
そして再び振り下ろされる、“終焉”。
ツッコミにしては過激すぎ、お仕置きにしても容赦がなさすぎ、そして、いくらバカとはいえ、これでは不憫にすぎた。
「オイオイオイオイ! 可愛いなぁ、畜生!」「落ち着け、那波」
こちらもストライクだったらしく、飛び出そうとする那波を、捕まえる刃、若干緊張した面持ちである。
「よくない感じがする、迂闊に近付くな」
飼い犬の忠告を、まるで無視する飼い主。
「何言ってんだよ。バッカだなぁ刃は。こんなに可愛いんだぜ? それだけで、全部OKじゃんかよ!」
「・・・はぁ・・・」
「・・・なぁ、弟よ」
「なんだ? 兄よ」
この世界で最も位の高い存在をヨシヨシとしてやりながら振り向く悠輝に、兄が訊ねる。「思うんだがな、どうしてオレの周りの野郎どもは、揃いも揃って、女に振り回されてばっかりなのかね?」
「・・・それには俺も含まれているのか? 大体、お前が他所の事を言えたものか? ルシフェル」
或いは現在一番振り回されているのかもしれない兄と、この穏やかな時間を、笑う天使。「・・・ヤレヤレだな」
「同感だ」
天使(?)の登場により、戦いは、起こる前に終わってしまった。
この暖かな時間を祝福するかのように、バク達の、盛大なゲップが、場に響いた。
ココは、静かだ。
ココは、優しい。
カレを抱くのは深遠なるヤミ。
ココにはきっと全てがあって、
恐らくは、何も無い。
ココは、“記録”と呼ばれる場所。
完全であるがゆえに観測出来ないモノ。
全ての存在、その原因が満ちる場所。
ゆっくりと廻る、ヤミの揺り籠に抱かれながら、カレはたゆたう。
ココにあって、なお己を保ち続ける事に、意味などない。
もとより、ココは本来、ヤミのみがある場所。
ココにヤミがあるのか、ヤミがココなのかも判らない場所。
そんなヤミの中に、輪郭を失いつつも、カレは確かに、ソコにいた。
何を求めて?
自分は、何かを忘れて、
何かを待っている。
そんな気がする。
「ふふふっ、可愛いんだぁ♪」
休日の大神家。広い庭で、リリスがバク達と戯れている。
それを、静かに見守る、光。
独りが寂しかった。
ただ、それだけだった。
彼は確かに完全だった。
けれど、それ故に、独り。
包むヤミから覗くのは、沢山の情景。
それが、かつてあった事なのか、これからおこる事なのかも、彼には判らなかった。
ただそれが、あまりにも眩しくて、暖かそうだったから。
彼は、最初の罪を犯す。
他者の創造、である。
生まれた彼女の、その輝きに喜んだのも束の間、彼は、自らの行いの、意味を知る。
他者というものが、どういうモノなのか。
とにかく恐かった。
戸惑い、訳も解らずに、伸ばされた彼女の、かよわいその手を、力の限りに振り払った。
その時、彼女の瞳から、一粒のシズクが零れ落ちた。
それが一体なんなのか、彼女のココロさえも、何一つ鑑みる事さえなく、彼は、彼女を追い払う。
その時の、彼女のカオを、彼は、永劫忘れない。
これが、忘れられるモノだろうか!
「ん? どうかしたの、アダム?」
振り返り、優しく訊ねてくるリリス。
彼は、
「・・・いや、なんでもない」
バク達の、厳しい視線が、彼を貫く。
バク達の怒りは尤もなのだ。
光は、彼等に感謝こそすれ、憎悪などする筈もない。
いや、出来る筈もない。
かつて、彼女の孤独を埋めたのは、自分ではなく、彼等だったのだから。
リリスを遠ざけ、イヴを創り出した彼は、まだ確たる自我さえなく、人形のようだった彼女とともに、世界の創造を繰り返した。
そのあげく、近寄る事さえ許さなかったリリスにバク達を与え、その管理を強要さえしたのだ。
彼は、多くの罪を犯してきた。
その中でも、群を抜いて彼を苛むモノは、間違いなく、この時の記憶である。
「ふふっ、変なアダム。ねぇ? バクわかまる?」
「・・・」
リリスの姿が、かつての彼女と、重なる。
彼女に殴られ、涙を流し、そして旅に出る事を決意した後、彼はリリスのために、しばしの安穏を、ともに過ごしていた。
その時も、彼女は何を責めるでもなく、バク達と戯れながら、彼に、彼などに、笑顔をくれたのだ。
その輝きを忘れない。
その温もりを忘れない。
その笑顔を、守っていたい。
「ひとはいさ、こころもしらず、ふるさとは、はなぞむかしの、かににほいける」
「? どうしたの? ホントに変よ、アンタ」
バク達を慰め、彼の元へと駆けて来る彼女。 言葉が、出ない。
前が、見えない。
彼女が、視えない。
ただ黙って、立ち尽くす。
そんな彼に、再び伸ばされる、彼女の手。
何度だって、あたりまえのように、与えてくれる、彼女。
彼は、動かない。
いや、動けないと言ってもいい。
「・・・リリス」
「・・・ふぅ、ホントにもう、しょうがないなぁ、アダムは♪」
リリスは、ふわりと、自らの夫を包んだ。
情けない話だが、涙が、止まらない。
「リリス、俺は・・・俺、なんかに・・・」
「アタシはね、アダム。アンタを恨んだ事なんて一度もないわよ。ただ悲しくて、寂しかっただけ・・・アンタのそばにいたい、それだけなんだからさ・・・って、もう何度も言ったでしょ?」
なぜ、彼女は、こんなにも優しい?
自分は、かつて、彼女に何をした?
思い出せ、自分の罪を、彼女のナミダを!
「バク達が帰って来ると毎回こうなんだから・・・全く、ホントにしょうがないなぁ、アダムは・・・おおよしよし、なんてね、ふふふっ♪」
「・・・ごめん、ごめん、リリス」
「はいはいはい、赦します、赦しますよ~♪ そもそも怒ってなんていないんだってば、甘えん坊だなぁ、アダムは♪」
ココこそが、彼の望んだ場所。
彼女こそ、彼の光。
彼女の光になりたいと、そうありたいと想うのに、これでは、いつまでたっても、敵わない。
「・・・全く、一体どこまで無敵なんだよ、お前は・・・」
「ふふふっ、アンタがいるならどこまでも、よ♪」
そんな二人の様子を、二階から眺める、二人の女がいた。
「・・・今日のところは、退いて差し上げますよ、姉さん・・・」
「・・・強敵だわ、いや、ホントに・・・」
ヤレヤレと言った様子で溜め息を吐いたのは、イヴと大地である。
もっとも、彼女達とて、止まるつもりなどないのだが。
今は黙って、見守る事にする。
彼は、完全ではなくなった。
そして、不完全であるが故に、独りではなくなった。
ヤミの中、浮かぶ満月、その輝きは、いか程か。
なぜなのですか?
なぜ、私ではいけないのですか?
貴方を、こんなにも愛しているのに。
私は、貴方だけのモノなのに。
貴方は、私だけのモノに、なってはくれない・・・
愛しい貴方、私の主様。
どうか、教えてください。
なぜなのですか?
なぜ、私ではいけないのですか?
「ふふふっ、遂にこの時が来たようじゃな!」
バク達の来訪から、数日後の御国高校。
校庭に再び設けられた特別製のリンクの上に、三人の女傑が集っていた。
「面白い、実に面白いぞ。ワラワに挑もうなどというたわけが、二人もいようとは、の」
結局、この日に持ち越す事となった。最強証明会。舞台に立つのは、“天”、“王”、そして、“人”。
「奇跡を見せてやるぜ! そしてここで決め台詞だ! 人類を、侮るな!」
低く、低く、身構える那波。その様は、飛び掛る前の獣のようである。漏れ出す光も、輝きを増していく。
昨日の貴方達は、
まるで、あの時のようでした。
私は、なぜ、産み出されたのですか?
私は、貴方にとって、なんなのですか?
それは、もしかして、
戦いの場、悠然と立ち、大地は言う。
「アタシは決して止まらない。いつまでだって、どこまでだって進み続ける。そして再び、アイツを勝ち取ってみせる!」
今、あの女はなんと言った?
愛しい主様。
私は、貴方だけのモノ。
貴方は、私だけのモノ!
「イヴ!!」
叫んだのは、誰か。
瞬間、リンクの中央に現れたイヴ。
その手には、双剣。
吹き荒れる風が、彼女と、彼女の敵を残し、他のものを吹き飛ばした。
降りしきる雨が、リンクを包む結界となり、
この処刑場を隔離する。
それは、もしかして、
都合の良い、人形ではないのですか?
「・・・イヴ?」
呆然とする大地。
正面に立つ彼女から、明確な殺意を感じる。 いつだって微笑んでいた彼女。
初めてみる彼女の内面に、驚愕する他ない。
(・・・いや、初めてじゃあ、ないか)
あの時も、こうだった。
冷や汗が止まらない。
勝てない。
解る。
“母”なる彼女。
暴走する“母”に、世界までもが跪く。
「・・・」
双剣が重なり、形を変えていく。
それは、一反の白布となり、イヴの身を包み込む。
“天の羽衣”。
彼女の力の、真なる姿。
そして、
「・・・オーロラ」
頭上を埋め尽くす、虹色の輝きが現れる。
力を解放した彼女は、ゆっくりと目を開く。
その、虹色に変わった瞳が、大地を見据えた。それだけで、身が竦む。
「・・・身の程を、知るが良い」
虹色の津波が、ゆっくりと、彼女へと降り注ぐ。
「くっ! ・・・ふざ、けるな!」
途端、世界は、色を失った。
「ふふふっ」
「ぐっ! がぁあああああああ!!」
堪らず、叫んだのは大地だ。
彼女の右半身が、ドス黒く変色していた。
再生、出来ない! しかも、これは
「私は、主様の僕。私にとって、主様が全て。半身などと生温い、この身の全ては、主様のモノ」
「ぐっ! うぅ・・・」
わざと、生かされている。
彼女さえその気だったなら、自分は、今の一撃で死んでいた。
“母”なる彼女の行いは、世界と、そこに暮らす全てのモノにとって絶対である。
故に、彼女の“虹”を、避ける術などなく。 齎される破滅も、必定である。
避けられず、防ぐ事さえ出来ず、ただ受けるしかない、破滅。
これが、彼女の真なる力。
“天の羽衣”、オーロラ。
「貴方にとって、主様は、精々が半身程度のモノなのでしょうね? だから、奪って差し上げました」
「・・・へぇ、そう」
ここまでの損傷を受けてしまうと、もはや蘇生させるしか、回復の術はない。
しかし、それには時間がかかりすぎてしまうし、第一に、現在、世界が“母”の支配下にある以上、彼女の声も届かない。
後は、信じるしかない。
誰を?
「けれど、先程貴方は、何か不遜極まりない事を仰っていましたね? 貴方にとって幸いな事にも、私には良く、聴き取れなかったのですが?」
「へぇ、そう」
あの時も、こうだった。
「もし宜しければ、もう一度仰ってはいただけませんか? 今度は、聞き漏らしませんから・・・」
誰を信じる?
決まっている。
“彼”をだ!
「アイツは、このアタシのモノだって、そう言ったのよ!!」
「・・・三度目はありません、私は、主様ではありませんから。さようなら。主様は、私だけのモノ」
再び降り注ぐ、虹色の輝き。
それでも、彼女は、
「決めるのは、俺だ!」
この光景を、信じて、疑う事などなかった。
彼女を守る、彼の背中を。
吹き荒れていた突風も、
身を包んでいた大雨も、
天に輝くオーロラさえも、
たったの一振りで、彼は消し去った。
「・・・カッコいいじゃん、ダーリン」
「申し訳ありません!」
正気に返ったイヴは、ただひたすらに、ペコペコと、頭を下げた。
「はい終わり、どう? 動ける?」
「うん、驚いたよ、ありがと、リリス」
妹の不始末は自分が取ると、スタスタとやってきたリリスは、さっさと大地の体を癒してしまった。
・・・強敵だわ、ホント・・・
もう、呆れるしかない。
「イヴ、いいよ、勝負だからね、ケガだってするわよ」
「・・・はぁ、いえ、しかし」
「大地がいいって言ってるんだ。この場は、これで納めようぜ?」
言いながら、イヴの肩を抱こうとしたバカを、リリスの“終焉”が打ち倒した。
「ぐはっ!」
「・・・ふふふっ」
「あははっ!」
「ゼ・ン・ブ、アンタのせいでしょうが!」
顔を真っ赤にして、追い討ちを続けるリリスを、その妹と大地が見守る。
一方で、またしても完全に除け者にされた照日は、既に、泣き疲れて眠ってしまっていた。これ幸いと、寝込みを襲おうとする罪人を、悠輝が叩く。
「・・・ヒトの恋路を」
「俺は好かん」
もう一方、こちらも完全に蚊帳の外だった那波が言う。
「う~ん、俺はやっぱり、二人っきりの方がいいかな?」
「安心してくれ、俺は、あのバカとは違う」
言って、彼女の肩に、優しく手を置く刃。
「知ってるし、判るぜ? お前は俺にベタ惚れじゃんかよ?」
「・・・ああ、そのとおりだ」
かくして、神々の演じる修羅場は幕を閉じた。拍手も、喝采もない、苦笑だけが、その場にはあった。
流石の彼も、目の前に広がる光景に、いい加減に、辟易してしまっていた。
「ん? どうしました、老人?」
「・・・」
「・・・いや、その、のう・・・」
ここは、都内某所にある、八河家のリビングルームである。しかしこの日、ここへと招待された雷蔵には、ここを、というかこの家そのものを、別の言葉で言い表す事が出来た。
すなわち、愛の巣と。
「今日は、ワシなどを招待してくれて、心から礼を言う。食事も酒も、とても素晴らしい物じゃ、ありがとう」
「いえいえ、構いませんよ。たまには、こういうのも良いでしょう」
「・・・」
彼に振り返りながらも、この夫婦は、片時も離れる事がない。完全にベッタリである。
「やっぱり、良いもんじゃ、の」
しみじみと、そんな言葉を呟く、と、
「相手なら、それこそ星の数ほどいるでしょう? あなたも、決して独りではない」
「・・・」
自らの宿敵の言葉は、とても、自然なものだった。
「・・・そうじゃな、たまには、会いに行って、みようかの・・・」
遠く、オリュンポスの山へと思いを馳せる老人を、夫婦は、優しく見守っている。
「ふふふっ、コレこそが、究極の力です」
「・・・」
「全く、そのとおりじゃな」
「“楽園”、か・・・」
静かな夜。
とある街の路地裏で、ゆっくりと空を仰いだのは悠輝だ。と、そこへ、
「ミ、ミカエル様っ!」
トテトテとやってきたのは、彼の優秀な部下である、一人の大天使。
任務を離れ、彼と対峙する時は、いつもアタフタとしてしまう彼女だが、彼は、彼女の力を疑った事など、一度もない。
「どうした? ガブリエル?」
「あっ! っとですね、いえ、その・・・」
らしくもない、任務の時とはまるで違う、彼女の動揺しきった態度。
彼にだって判る。
彼女が、彼をどう想ってくれているのかは。
「・・・ガブリエル」
「へっ! その、わっ!」
ゆっくりと、あくまでも優しく、その面をあげさせ、瞳を繋げる。
多分、本気なのだろう。彼女は、こんな時だけは素早く、その眼を閉じた。
・・・ふふっ、覚悟だけは、速い
苦笑して、そっと、彼女の頭を抱いてやる。
「えっ! アレ? えっ!?」
「・・・ガブリエル」
神代の頃から、ずっと、彼に付き従ってくれる、可愛い彼女。
ハッキリと云われた事は、一度も、ない。
それでも、
「良い夜だ。少し、歩こうか?」
「えっ! はっ! はい! 喜んで!」
生真面目に敬礼し、そのまま硬直してしまっている彼女の背を、そっと押してやりながら、二人、並んで、歩き出す。
「・・・良い、夜だ」
「・・・」
「一体どうしたんです? アネさん、珍しく大人しいじゃないですか?」
罪人の質問にも、照日は答えない。
黙って、皇居の天蓋付きベットの上で、うつ伏せになり、何事かを考えている。
ハッキリ言って、不気味である。
この場、この時、彼の脳裏に浮かぶ言葉は一つ、
すなわち、嵐の前の静けさと。
と、そこで、
「・・・良しっ! 決めたぞ! ワラワは今決めた!」
「ハァ、今度は一体、なんですか?」
さて、今度は一体いかなる災厄かと彼が知らず身構えたのも束の間、
「デートをするぞ!」
「・・・ハ?」
硬直する彼。
「デートをするぞ!」
「・・・誰が? 誰とです?」
恐る恐る、訊ねる彼。
「ワラワが! ソナタとじゃ!」
「・・・へ?」
泣く子も凍りつかせる大魔王が、完全に、凍りついてしまっていた。
「ワラワは悟ったのじゃ、やはり、オナゴを最も輝かせるものは恋愛であると!」
「・・・はぁ、そうっすか」
もう、何がなんだか。
「故に! ワラワは! ソノタと! デートをするのじゃ! ソナタの闇は深いからのぉ、照らしがいもあるというものよ! ふっふっふっ、ついに、ワラワの本気を見せる時が来たようじゃな!」
「・・・オレで、いいんすか?」
らしくもない、言葉。
「何を言っておる? ソナタ以外に、誰がおる? ・・・ところで」
「・・・はい?」
キョトンとした顔で見詰め合う、二人。
「・・・デートとは、なんじゃ?」
「・・・」
ガクリと肩を落とす闇影 罪人。
日本国天皇、大神 照日の護衛という、大変栄誉ある仕事を任されながらも、彼から、溜め息が消える日は、きっと、来ない。
一汗流して、道場に寝転がる、二人。
「・・・なぁ、刃」
「ん?」
顔だけ、彼へと向ける、と、彼も同じように、こちらを向いた。
ただ、それだけの事が、
「ふっ! ははっ! はははっ!」
「・・・ふっ」
こんなにも、嬉しい。
自分がいて、彼がいて、他に一体、何がいるというのだろう?
「今日の夕飯、何?」
「ん、何が良い?」
「お前が作るものなら、何だっていいさ」
「・・・それが一番、困るんだけどな・・・」 なぜなら、彼女、速瀬 那波のリクエストはいつだって、
彼、篝火 刃、その人自身、なのだから。
「刃」
「ん?」
「愛してるぜ?」
「・・・ああ、俺も、愛してる」
真夜中に、眼が覚めた。
彼女達を起こしてしまわないように、そっと、家を出た。
静かな夜。
川辺の土手へと、やってきた。
「・・・」
自分は、正しかったのか、間違っていたのか、それは、今でも、解らない。
けれど、信じていたい。
このキモチは、ホンモノだ。
夜に、想う。
と、そこへ、
「何、黄昏てんのよ?」
大地の躍動が、彼の腕を取った。
「良い、夜ですね」
天架ける虹が、彼の腕を取った。
そして、
「イツまで行こうか? ドコまで行こうか?
ねぇ、アダム?」
月の輝きが、彼を抱きしめた。
もう、笑うしかない。
「・・・全く、オチオチ独りでもいられない」 答える、彼女達、
「「「当然!」」」
キミがいる。
ボクがいる。
それだけで、なにもいらない。
キミはココに、
ボクは確かに、
キミを、想ってる。
二人の、この詩が、
ボクらの世界を、
満たしていく。
鳴り止まない鼓動は、
今も確かに、
このソラに響いている。
最初に意識したものは、自分を包み込む闇だった。
次に意識したものは、終わらないという概念だった。
恐怖した。
永劫の孤独、それに耐えきれなくなるのに、大した時間は必要なかった。
そんな時だった。
語りかけてくる思い出達の声に気付いたのは。
目を凝らす、闇の中、浮かび上がる情景達は輝きだし、光となってオレを包んだ。
その美しさ、その尊さ、その温かさに感動したオレはその光を確かな者にしたくて化身を作った。
闇の中にあって尚輝く者、闇さえ尊く照らす者、美しき女神。
リリスと名付けた。
全てがうまくいくかに思えた。
けれど子供だったオレは彼女を信じる事が出来なかった。
恐怖した。
そして遠ざけた。
彼女は涙を流しながら、それでも、文句も言わずに離れていった。
自分がワガママであったからこそ、自我あるものを信じられないと悟ったオレは、それでも孤独を紛らわせたくて、今度は人形を作る事にした。リリスと対の存在でありながら自我の希薄な半神。オレの身勝手な欲求を満たす愛玩人形。
イヴと名付けた。
彼女との日々は楽しかった。盲目的にオレを愛する彼女に対して、これ幸いと自らの欲求の捌け口にした。歯止めの効かなくなったオレは制限なく彼女を酷使し、結果、数多の世界が生まれてしまった。取り返しのつかない過ちだった。けれど彼女の無償の愛のおかげで、オレはヒトを信じる事が出来るようになったのも事実だった。彼女の自我の成長の戒めをとき本当のパートナーとして迎えたのも感謝のつもりだったのだ。
けれど見渡す限りに増えてしまった世界、それを無責任に生み出した罪の重さに、未熟なオレ達はただ涙を流すばかりだった。
そんなオレ達の下に、リリスは帰ってきてくれたのだ。オレ達を抱きしめ、励まし、諭し、共に旅だとうと促してくれたのだ。彼女達の尊さを、オレは痛感した。
とはいえ何でも出来るというのも考えものである。
無責任に生み出した世界を、無責任に変えてしまう事だけは避けたかったオレ達は、様々な制約を自分達に課した上で、世界を守るためにのみ行動する誓いを立てた。
時間も空間も超えた旅は今も続いている。
決して楽ではない旅路だが、休暇が取り放題なのは何よりのメリットである。
長旅に疲れた時は、家に帰って休養する、これもまた旅を続ける上で大切な事。
これは、“彼女が望んだ四畳一間”の物語。
信じる者は救われるというけれど、オレはこう言いかえるのだ、信じられる者は救われていると。一人では幸福になれないというけれど、これもまた一人でなければ幸福なのだと言いたい。つまり、私が言いたい事は、共感しあえる誰かがいる限り、その者は永劫幸福だと言う事で、そんな日々の結晶がこのテーブルの上に並べられている料理達なのだと思うと、箸を持つ手が震え、顔面から血の気が引いている事も、意識しないようにするべきなのだろう。贅沢を言うなと。
オレには現在三人の妻がいて、リリス、イヴ、ガイアとそれぞれが魅力的なのだが、今日は久しぶりにリリスとの二人きりの時間を過ごしている。
オレは本来“図書館”に住まう者なので、時間に制限されるような暮らしは送っていない。だがそれはあくまでも“本”の外での話であって、中では違う。だから思う。あるいはいくらかの時が過ぎれば助かるのではないかと、無駄な考えだ、ここはいくつかの例外のうちの一つ、“図書館”の一角に何故か建てられたオンボロアパートなのだから。彼女の望んだ慎ましくも幸福な時を過ごす為の別荘なのだ。なんとかと時の部屋のような場所だと思ってくれて構わない。だから、オレは向き合わなければならないのである、今現在と。
リリスの料理は命に関わるのだ。腕前はベラボウに高い癖に、時折、創作料理だと言って珍品を用意してしまうのである。拠点にしている一つ前の世界で一応の落ち着きを向かえたオレの、彼女との夫婦生活での唯一の問題点、オレは家事が一切出来ない。
妻たちに甘えてしまっているからなのだが、こういう時に顕著である。
どうせ死んでも生き返る、そもそも飲まず食わずでも実は問題ないのだが、彼女は何故か貧乏な新婚生活の再現というやつを執拗に繰り返すのである。仕事から帰ってきた旦那とその妻の一つのテーマ、“お風呂にする? 食事にする? それとも”なアレでる。なので、彼女の力作を拒絶するわけにもいかない。
「大丈夫よアダム、今回は二人にも相談しながら作ったんだから」
「イヴとガイアに? うん、それなら大丈夫そうだな、リリス」
なんだ助かった、今回は中毒死を免れる事が出来そうである。あの二人は刺激の強過ぎる劇薬を作ったりはしない。
「心配しなくても、もし倒れたら、また私が優しく介抱してあげるから、なんていうオチは無いよな?」
「・・・ええ」
「なんで間があるんだよ! あの二人から何を教わったんだ!」
「だって、私のエンディングレパートリーの一つなんだもの」
「なんだよソレ! 普通作らないだろ、夫を昏倒させるレパートリーとか」
「大丈夫、味は保証するから、味は・・・ね」
なんだか最近のオレの趣味志向をこの女は勘違いしてしまっている節がある。最近のオレの“読書”遍歴から、オレは虐められるのが好きなドMなのだとでも。行き過ぎた間違いである。オレはいたってノーマルだ。
「どうせやるならベタでいこうよリリス、デフォルト最高、普通万歳」
「何よアダム、私の手料理が食べられないって言うの?」
「・・・うう」
その台詞を言われてしまってはもう逃げ道はない。愛する妻の手料理なのだ。男には、進まねばならない時があるのだ。
「ええい! ・・・美味しいな」
「でしょ」
勢いガッついてしまう程の旨さだ。食後にウーロン茶を一杯。至福。
「体も、なんとも無い」
「当たり前でしょ、私だって理由もなくアンタを虐めたりしないわよ」
なんと
「そうだったのか、いや誤解してたよ、・・・リ・・・リ・・・ス」
アレ? なんだか眠くなってきた、な。
・
・
・
・
・
・
うん?
「ウーロン茶って薬を入れやすいから助かるわ~、アンタって食事の時は必ずウーロン茶だしね」
「・・・」
なんだ、眠らせたいなら魔法でも使えばいいのに、一服盛るとは手の込んだ事を。しかし、文句を言う気にはならない。なぜなら
「これが目的だったのか」
「そ」
彼女の膝枕はとても気持ちがいいのだ。
「愛してる、リリス」
「アタシもよアダム」
結局はこうなるのだが、これもいつもの事だ。結婚するまでに長い時間がかかってしまったリリスには、やりたい事が無限にあるらしいのだ。それに付き合うのは夫として当然である。・・・なんだかんだ言っても、愛しているのだから。
「なんだか二人っきりって久しぶりだったから、ちょっとね」
「“それとも”になだれ込む為の伏線だったか」
「終わったらまた二人で近くの銭湯に行きましょうね」
「・・・了解」
ここから先は大人の話だ。読者を選びたくないオレは、ここで“記録”をとりやめる。覆い被さってくるリリスと優しく口付けをし、起き上がってから、彼女を優しく抱き上げるのだった。
なんていう、幸福な一幕もある。オレ達の活力の源だ。