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不気味な赤い満月が浮かぶ夜。

不吉な予兆そのままに、黒の惨劇は起きていた。

とある時代のとある街、特別養護老人施設『おだやか』に、ソレはいた。

この日、この場は、その名とはかけ離れた状態にあった。いや、少なくとも、不自然な程の静寂が施設全体を支配しているという点のみでは、同じかもしれないが。当初は頻繁に聞こえていた、今では誰かであったモノに変わってしまった人々の悲鳴も、今は少ない。蔓延している、吐き気を催す程の濃密な死臭と、背筋を凍らせる、不吉過ぎる気配、白を基調に造られた施設も、鮮血のグラデーションで染められている。

 

 ここは、生者の存在こそが異質な死者の国。

 

 そんな中で、確かに聞こえる、息づかいが、一つ。

「ヒッハッ! ハッハッハッ!!」

 とても知的とは思えない呼吸音。そして、無邪気とも思える楽しそうな笑い声。

 その姿は、ヒトガタ。全身が血に濡れボロボロになってはいるものの、黒のスーツに白いシャツ、そして黒ネクタイを身に着けている。人間であろうか?

「ヒヒハッ! ハーッハハッ!!」

 ソレは獣のように身を屈め、せわしなく、施設内を疾駆する。

 気配も殺さず、死臭を振りまきながら、ドカドカと足音を立てるその様子を見れば、獣の狩りの方が上品であろうに。

ソレの視界に次なる犠牲者が捉えられる。

 廊下に一人。立ち尽くしているのは、白衣姿の誰かであった。

 男性? それとも女性?

 ソレにとっては、どちらでも構わないことだ。

 大変喜ぶべきことに、目の前の、血肉のたっぷりと詰った皮袋は、まだ生きている。

 つまりそれは、殺せるという事。

 まるで、旧知の友との再会のように、たっぷりの愛情のような殺意をもって、その身に触れた。だってそうだろう? 水風船を手にした子供は誰だって、パンッと破裂させて遊ぶじゃないか。これは、もっとずっとステキなコト。少なくともソレにとっては至上である。

「ひっ!? ぎっ!?」

 まるで、至近距離で爆弾でも破裂したかのように、人だったモノは、粉々に砕け散った。

 なんて快感だろうか!?

 爪にハッキリと残る、人を砕く感触。身に振りそそぐ生暖かい鮮血は、とてもとても、肌触りが良い。床の池より、一掬い拝借、舐めたその味の、なんと甘いことか! 天にあるという黄金の果実だって、これほど甘くはない筈だ。

 ああ! ダメだ! 

 これが止められるものか、いや止められない。

 いや、そうか、ソレは既に病めている。死の味の、トリコ。

 そんなソレの手で、またしても一人、殺された。

 僅かな接触だけで細かな肉片に変えられてしまったのは、元は施設の従業員の一人だろう。

 これで、収容されていた老人を含む257人が、僅か一晩の内に、ソレの手に掛かってしまったわけだが、とうのソレは、数など覚えてはいまい。

 ソレの内を占めるのは、ただ快楽だけ。

 ヒトの言語に、無理やり置き換えるとすればこうだろう。

『タノシイ! キモチイイ! モット! モット!』

 こんな所だ。

 ソレはそういうモノ。否、そうなってしまった者。ソレに、かつて英雄と謳われた影はカケラも視えない。

 血を浴び、欲に溺れ続ける殺戮者は、更に奥へと、その侵食を続ける。

 その背後には常に黒霧。視覚化される程に濃密な、死と呪いの真っ黒な霧を背負っている。その形相は視るのもおぞましい程のモノだが、しかし、その容姿は驚く程に幼く見える。多く見積もっても、二十歳には届くまい。体格も華奢だ。こんな少年が、これほどの惨劇を起こせるとは思えない。

思えないが、現に起きている。

 

 それが既に起った事だというのであれば、

 起るだけの何かがあったというだけの話、

 それだけの事。


「・・・来たか、“狂人”」

 施設の最奥、長の部屋には四人いた。

 四人、一人多い。

「?」

 つい先程まで、少なくともソレがこうしてこの相手を捉えるまでは、ここには確かに三人しかいなかった筈。彼の嗅覚がそう告げているのだから、間違いはない。しかし、いた。

 ソレの霧によって、ちょっとした結界が張ってある筈のここに。

ケダモノの同類だろうか?

 いや、違う。

 目の前の青年には、ちゃんとした人間らしさがある。気品があるとさえ言えた。

 白の軍服を身に着けたその青年は、その両手に、大型の拳銃を持っていた。

 夜の闇の中にあってもなお黒い、その内に銀の弾丸が秘められた、退魔の2丁拳銃。

「殺しすぎだ。血で自慢の鼻がヤラれたんだろう」

 施設の責任者である穏田おんだ みのるとその妻子を背後に庇い、男は名乗る。

 それが、ミス。

 いや、ソレの前では、全てがミス。

 あらゆる条理の外に、ソレはいるのだった。

「“守人”メンバー、っ!?」

 何か喋っていたみたいだが、ソレには興味のない事だ。さっさとバラしてしまった。

「ひっ!? どうか!? 家族だけはっ!」

 以下、前文。

「ハッハー!! ヒィィハァァァッ!!」

 一度、高らかに哂って、忽然と、ソレは姿を消した。

 その跡に、一切の生を残さずに。

 

夜空の月は、そう、この惨劇に怒り、その顔を赤くしていたのかもしれない。

 


 時は、20XX年。

 数十年前から国家的な問題として取り上げられながらも、具体的な解決が一切なされないままに先延ばしにされ続けていた『高齢者問題』。

 そのツケは、とうとう廻ってきた。

 国民の高齢者人口の割合は、遂に国体の維持の限界近くにまで達し、今尚、増加の一途を辿っている。事態を重く見た日本政府は、国家存亡の危機であるとして、非公式人口調整部隊、通称“非人”(ひにん)を組織し、その任務に当たらせている。国家ぐるみで隠蔽されている為、その詳細は不明だが、彼等、“非人”メンバーは、国民には到底容認しえない程の絶大な権限を国から与えられ、社会の影で、人を屠り続けているという。

 そんな非道が横行する日本。

 とある県の、とある住宅街。

 早朝の人気のない道を歩く、場違いな三人がいた。

「・・・世も末ね」

 道行く人影は男性が一人、女性が二人。

 男性の左側、彼の腕を半ば強引に自らのものと組んでいる女性が、その男性に言った。

「・・・お前がそれを言うと、洒落で済まないんだぞ? そこんトコ、ちゃあんと解ってるのか? リリス?」

 呆れ顔で答えた男性。

 年齢の判別しにくい、甘い顔立ちをした長身痩躯。その肌はやや浅黒い。問題なのはその服装だ。黒スーツに白シャツ、ここまではいいだろうが、黒ネクタイというのはいただけない。

 不吉な装いには、死の影がちらつくものだ。

 もっとも、両隣の女性達も同じ服装なものだから、本人、全く気にした風はない。

「アダム! それってば責任転嫁!」

 リリスと呼ばれた女性は、とにかく美しい。いや、美し過ぎる。とてもではないが、ヒトには見えない程だ。

 まぁ実際、ヒトではないのだが。

 腰まで届く波打つ金髪。理想のスタイル。透けるような白い肌。いかにも気の強そうなその瞳は、しかしどこまでも青く澄んでいて、視る者の言葉を奪うには十分だ。

 いや、ホントにもう、出来過ぎだって。

「・・・姉さん、光さんが困っていますよ。それから、ここでは光さんは光さんなのですから、光様と呼んで下さい。勿論、私の事はイヴ様と」

 冗談なのか本気なのか、自らをイヴ様と呼んだ女性、こちらもまた美しい。どれ程かといえば、リリスとタメをはれる程です、ハイ。 

 リリスを西洋的な美の化身とするならば、こちらは東洋のそれだ。

 真っ直ぐな長い黒髪。リリスに匹敵するスタイル。暖かそうな肌。母性すら感じる優しげなその瞳は、吸い込まれそうな深い黒。

 ちょっと、やり過ぎ。

 何が、いや、誰がやり過ぎなのかと言えば、自分の好みを、妻の二人に徹底的に反映させたこの男。闇影やみかげ ひかると、この世界では、そう名乗っている。

 付き従う二人は、彼がとある場所から呼び出した、簡単に言ってしまえば、召喚獣のような立場にある為、もとの名をそのまま使っている。

 この、妖しすぎる三人組。

 彼等の正体は、名前の段階でバレバレな気もするが、一応、秘密ということにしておこう。

「・・・半神風情が・・・随分とナマ言うじゃない?」

 必要以上に顔を近づけ、イヴを威圧しようとするリリス。一触即発。

 そそくさと離れる光。

「前妻ごときに威張られたくありませんね。光さんは私の物(誤字にあらず!)なんですから、姉さんこそ、“図書館”に帰られたらいかがです? 未練がましいですよ?」

 対するイヴも、リリスの瞳を真っ直ぐに睨みつける。

 肝心の夫はといえば、道端に座り込み、何処から取り出したのか、地図を広げて唸っている。

どうやら道に迷ったらしい。そして、止める気もないらしい。

「・・・おっかしいな? 確か前に来た時は、えぇっと・・・」

 この三人、様々な制約がある為、そして変な所に拘りがある為、こういうつまらない所での躓きはかなり多い。

 それはともかく!

「はっ! アンタこそ後妻気取りな訳? アンタなんて精々愛人よ、あ・い・じ・んっ! アダムの正妻であるこのアタシとは、比べる事も出来ないわ!」

 肩を竦めて、下目使いで、ヤレヤレとかやっているリリス。芸が細かい。

「正妻正妻ってもう耳タコですよ。私に先に寝取られた事、まだ根に持ってるんですか? かつての事実が、全てを物語っているじゃないですか。姉さんなんてオマケですよ、オ・マ・ケ」

 対するイヴも、自信満々な態度でこれを迎え撃つ。

 どうでもいいバカは、まだ唸っている。

「ここが、あそこで、あそこが、ここ。アレ、北ってどっちだっけ? そもそも現在地は?」

 一度終われ、そして二度と蘇るな。バカは死んでも治らない。

「・・・殺す」

「珍しく意見が合いますね」

 各々、虚空より取り出したるは自らの力の象徴、即ち、武器だ。

 リリスの手には巨大な鎌が、イヴの手には双剣が、後はただ、ぶつかるのみ。と、そこで、

「解ったぁああ!! つまり、これが、ああなんだああ!!」

 突然立ち上がったバカが二人目掛けて猛突進。不意を突かれた二人は、とんでもないラリアートをその首に貰う事になった。

「がふっ!」

「くふっ!」

「解った! 解ったんだよ! そもそも県が違ってた! 隣だよ! 隣! ・・・アレ? どうしたんだ? 二人とも?」

 昏倒した二人をその両腕に抱えながら、首を傾げ困惑する超級バカ。結果的には争いを収めてしまった訳だが、当然意図したものではない。いつだって、彼等はこんな調子だ。バカの一言で説明がつく光。正反対なようで、実は何処までもソックリな姉妹。

 ともあれ、この三人が今回の目的地へと辿り着くには、まだまだ時間が掛かりそうである。



 大神おおがみ 大地だいちは、春も盛りな高校二年生。正気かよって名前だが、正真正銘女の子である。祖父にして名付け親でもある雷蔵らいぞうに問い正すと、

「それしか考えつかんかった!」

 とか平然と言ってくれちゃって、その後本人の前で爆笑してもくれちゃったものだから、その鼻面に正拳をくれてやったのは、そう、あれは小学校五年生の夏の一コマだったか。紹介を続けよう。背はかなり高め、スタイルは並(本人かなりサバ読んでます)、クセのない黒髪は、短く整えてある。これで中性的な顔立ちをしているものだから、未だに男性と間違われる事は日常茶飯事だ。そんな彼女だから、十七年間の人生、色気のある話は全く無しである。もっとも、異性が彼女に寄ってこないのは、自らの眼に大きな原因があると、なんとも救いようのないことに、その本人が一番良く解っている。

 とにもかくにも、絶望的なまでに、彼女は目付きが悪いのだ。

 泣き喚く子供を慰めようとしてひきつらせてしまったり、雨に濡れる捨て猫を拾おうとして全速力で逃げられた事も、何度も、何度も、ある。オンナノコの例に漏れずして、可愛いものが大好きな彼女は、大いに、大いに傷ついている。そんな憐れな大地だが、彼女の瞳を、真っ向から受け止められるツワモノならば、皆気付くだろう。

 大地は、とてつもなく美しいのだ。 

 鋭過ぎる眼差しが示す通り、彼女には磨き上げられた日本刀のような、有無を言わせぬカッコ良さがある。余談だが、大地は2月14日はモテモテだ。

 そんな彼女と、祖父雷蔵が暮らす、S県S市にある大神家。

 日曜日の午前4時。

 まだ陽も昇らぬ早朝に、ムクリと起き上がる人影が、ベッドに一つ。大地だ。

「・・・」

 無言で頭を掻き分けながら、ウトウトとまどろんでいる彼女は、残念ながらジャージ姿。

 残念。

「・・・良しっ!」

 良く通る声で気合一声。ベッドを降り、部屋を出た。

 大神家は平凡な二階立て、と言っては少し謙遜だ。確かに二階立てだが、家自体は二人暮しには広過ぎる程で、庭も池がある程には広い。祖父雷蔵は昔何をやっていたのかは知らないが、随分と裕福らしい。大地の部屋は二階の一番奥にある。そこから、左右をいくつかの部屋に挟まれながら、真っ直ぐな廊下が伸びていて、階段と繋がっている。一階も、二階と似たような間取りだ。一番奥が雷蔵の寝室、というかこの家、大地の部屋とキッチン、お風呂場、トイレ、リビング、ダイニングを除いて、その全てが雷蔵の趣味の部屋である。七十過ぎても現役のエロジジイである祖父の道楽になど興味もないので、大地も最近では滅多に足を踏み入れたりはしないが。

 

 それでも、覚えている。忘れたりはしない。

 

 それらの多くは、幼い大地をあやす為、祖父が不器用ながらも作ってくれた遊び場であり、どうもあの老人にとっては、彼女の笑顔こそが、何よりも大切らしいという事も。

 まったく、思い出は無敵というやつだ。

 これではいつまでたっても、何があっても、彼を嫌いになど、なれそうもない。

 一階に降りると聞こえてくる、というか家中に響いている、祖父の大イビキに苦笑しながら、家を出た。

「はっ、はっ、はっ、はっ」

 規則正しく息を継ぎながら、走る、走る。早朝のランニングは大地の日課だ。

 しかし、彼女は知らない。

 川辺のコースを走る彼女の姿が、生きた都市伝説と化していることを。

 それは、こんな伝説である。

 毎朝、川辺を走る、透明人間がいるという。

 遭遇者の談によれば、息継ぎや足音、目の前で不規則に踏み鳴らされる地面といった、いくつかの痕跡はともかく、その姿を視る事が出来ない、ゴーストランナーがいるとかいないとか。

 もっとも、これは目付きの悪い大地を、多くの人々が無意識に視ないようにしているとか、そんな救いようのない、可哀想な話ではない。単に彼女が速過ぎるだけ、それだけだ。  

 そう、常人には捉えられない程に、彼女は速い。いや、その手の連中ですら、彼女の速度についてこられるのは極僅かだろう。肝心な紹介が遅れて済まない限りだが、彼女、大神 大地は、常軌を逸した身体能力の持ち主である。無論、無自覚ではない。彼女は、ちゃんと自らの特異性を理解している。毎朝のランニングは、その確認の為に行っている事だ。人気の無い時間帯を狙って、眼にも留まらぬ速さで、自らの能力を、確かめている。

 ポツポツと、目撃者ならぬ遭遇者を出してしまっているのはご愛嬌。彼女自身がバレてはいないと思っている為、その辺りの気配りは致命的にお粗末だ。顔はおろか、姿の確認すらもままならないのというのが、唯一の救いである。

「・・・ふぅ」

 一通りのメニューをこなして満足したのか、目的地の土手に寝そべって、明けてきた空を眺める大地。

 早起きは三文の徳だという。

 三文程度の徳ならば、自分は早起きなどしない、という人も多いだろうが、大地は違う。

 何度見ても飽きる事のない、この澄んだ早朝の景色が、彼女の日課を、不動のものとしているのだ。

 日の光を弾き始めた川、色付く緑は、その鮮やかな色彩を誇示し始める。

 素肌に触れる空気は、ヒンヤリとしていて心地が良い。

 青空は、今日も綺麗だ。

「・・・ははっ!」

 なんの意味も無く、笑ってしまう。

 確かに、こんなものは何処にだって有り触れてはいるのだろう。

 値打ちなんてものは三文もない。

 けれど、大地は、この瞬間が一番好きだ。 

 さあ、今日も、一日が始まる。

 この日、大地は、光と出逢う。



『昨夜、S県K市にある特別養護老人施設が何者かに襲われ、施設の従業員、収容者、総勢260名の全員が殺害されるというなんとも痛ましい事件が起きました』

「・・・最近、多いな」

 その日の朝食時、いつもつけっぱなしにしてあるテレビから流れるのは、大地の言う通り、最近日増しになっている“非人”関連のニュースだろう。これだけ国民にその存在が知られているのにもかかわらず、日本政府はいつも我関せずの一点張りだ。その癖、現内閣の支持率は7割を越えているというのだから、何も疑うなと言う方が無理な話である。

『警視庁は監視カメラに残された映像から、犯人は“非人”の一人である可能性が高いとして、捜査を継続するとの事です』

「・・・ふんっ!」

 いつも通りの決まり文句だ。“非人”のメンバーが逮捕されたなんていう話は、彼女も生まれて此の方ただの一度だって聞いた事は無い。つまりは、そういうことだ。

 致命的な何かが狂っているのだと思う。

 20XX年。日本のような非武装国家は、高齢化社会といった内側の問題に頭を抱えている為、外交の類はほとんどなく、ほぼ鎖国状態。他の国々は、とうとう始めてしまった、戦争という名の最終行為を。おかげさまで、世界人口は激減だ。第三次大戦事体は、その実、一年も続かなかった。勝利者無き戦争は自然消滅。参戦国家の全てが国ごと滅ぶという大惨事だ。

 いよいよ終わりだ。

 ヒトの世も。

 生き残った国々の末路も、もう見えているのだろう。

 その点、世界のなんと丈夫な事だろう。とてつもないとばっちりを受けた世界は、それでも、徐々に回復に向っているという。それも当然なのであろうか、害虫達は自滅した。大地が生まれる、十年も前に大戦は終わっている。時折起る、洒落にならない天災と、頻発する異常気象、そして“非人”のような人災を除けば、ここは大戦前の日本と何も変わらない。


 嘘っぱちの平和の中で、今日も人々は生きている。 


「御免下さ~い」

 なんとも気の抜けるような、間延びした声。

 誰だろうか? こんな時間に来客とは珍しい。

 回覧版、は昨日回したばかりだ。牛乳や新聞の配達にしては遅すぎるし、そもそも彼等は、こうして呼び出したりはしないだろう。大体、牛乳も新聞も、大神家ではとっていないのだし。

「そうだ、チャイム、壊れたままなんだっけ」

 いつだったか、大地が加減を間違えて以来それっきりになっているのだ。修理をした所でまた壊すだけだろうと、雷蔵に諭されたのもある。慌てて玄関に向かい、確認もせずに、ドアを開けた。無用心だと思われるかもしれないが、この時代、日本の治安はビックリするほど維持されているのだから仕方がない。“非人”なんてものは例外中の例外だ。そもそも連中はその目的上、働けなくなった高齢者ばかりを狙うのだから。

「どうもどうも、あの、俺たち」

 直ぐに閉めた。

「あのっ!? ちょっとちょっと!?」 

 加減を忘れてしまったせいか物凄い勢いでドアが閉まったがそんなことはどうでもいい。

(・・・“非人”!?)    

 大地には見慣れない三人組だった。男が一人に女が二人。問題なのはその服装。黒のスーツに白のシャツ、黒いネクタイ。テレビの報道などでほぼ全国民に知れ渡っている“非人”の装いと、ピッタリと一致していた。

 そりゃあもう、余す事なく。

(三人! 三人もいた!?)

「いきなりそりゃあないでしょう? 困りますよ! こっちも!」

 大地の内心を綺麗にトレースするその台詞は、外の妖しすぎる男のものだ。

「お願いですから! 話だけでも! ねぇ、ちょっと!?」

 心臓の鼓動をこれ程感じたのは久しぶりだ。“非人”だなんて、そんなもの、彼女からすれば遠き日の大戦と同じ、酷い言い方をすれば他人事だったというのに。それが今、僅か一枚のドアを隔てた向こうにいる。それも、三人。

(雷じいか!? 雷じいが狙いなのか!? けどあのエロジジイ無職だけど、バリバリ元気だってのに! それでもか!?)

 間違いなく人生最大の危機的状況。

 いつまでたっても結論が出ない思考。ようするに、パニック状態だ。

(だあ! もう! アタシにどうしろっていうのよっ!)


「あのっ!? 聞いてます? 大神さん? ですよね? アレ? 間違えた?」

 ドアの外から必死に呼びかけながら、急に不安げに後ろの二人に確認したのは、勿論光だ。途端、その頭を引っ叩かれる。二人から、同時に。頭を抱えて、悶絶してしまう。

「当ったり前でしょ! あれだけ散々苦労して、これでもまだ間違っているような事があれば・・・コノッ! コノッ!!」

 怒りのオーラをその身に纏い、追い討ちを続けるのはリリスだ。どうやら、あれからもかなりの苦難が続いたらしい。毎日が大冒険になってしまっているのは、間違いなく、彼のせいなのだろう。

「これでは、どうにもしようがありません・・・開けますか?」

 困り顔で提案するイヴの右拳からも煙が上がっている。幻覚だと思いたい。

「ん~」

 まるで亀のように身を縮めながら、思案する光。と、

「・・・何をやっているの?」

 何時の間にやら、外に出て来た大地はそんな三人の様子を見て、唖然としていた。


「いや~失礼。どうも始めまして、俺、闇影 光っていいます」

「リリスよ」

「イヴといいます」

「・・・はあ?」

 ほとんどヤケになって、三人を玄関へと通した大地は、未だに混乱していた。

 まるで分からない。

 何が分からないって、それすらも分からないのだから、本当に何も分からない。

「それで、家に何かようですか?」

「いや、俺達、見ての通りの者なんですけれども・・・」

 途端だった。

 一瞬で突き出された大地の拳は、光の顔面一ミリ手前で急停止。拳風が、彼の髪を泳がせた。

「・・・へっ?」

「雷じいは、殺させない」

 一段と鋭い眼差しは、光を真っ直ぐに捉えている。

 そこに彼は、彼女の覚悟を見て取って、慌てた。

「違う! 違うって! 俺達は確かに“非人”だけど、何も君のお爺さんを殺したりなんてしないよ! 約束する! むしろ逆なんだってば!」

「・・・」

 一切の油断無く、こちらを窺う大地。

 こういういざって時の覚悟の速さは変わらないなと、彼は内心で苦笑した。

 大地の、その突然の豹変に全く驚く事も無く、後ろの二人が続けた。

「アタシ達はね、アンタ達を守りに来たのよ」

「あなた方二人には、いえ、特にあなたには、死んで貰っては困るのです」

「・・・どういう事?」

 未だ戦闘体勢を解かない大地。彼女は気付いていない。

 その瞳が、金色に変わっているという事を、

 その肌が、褐色に変わっているという事を、

 そして、その髪が長く伸び、真紅に変わっているという事も、

 大神 大地もまた、ヒトではないのだという事を。

(凄い力、流石ってとこかしら?)

(ふふっ! 血が騒ぎます!)

 リリスもイヴも、軽い高揚感すらあるらしい。この場、集った女達は、どうにも血の気が多過ぎる。苦笑をして、光は場を納める事にした。後ろの二人を、手で制しながら、言う。

「雷じいに伝えてくれ、光が来たってね。それで、全部分かる」



「久しぶりのお茶だわ! 生き返る~」

「歳ですか? 姉さん?」

「・・・はあ」

 リビングには、すっかり元に戻った大地(本人自覚なし)と、リリスとイヴがいた。

 あれから、あの騒ぎの中ですら大イビキだった祖父を叩き起こし、事情を聞いてみればあの狸。

「・・・言っとらんかったか? 客が来るって? 連中“非人”の、それもトップ3じゃから、ビビる事間違いない無し~って、笑顔で言ったような記憶が、はて? あるような? いや、ないような?」

 叩きのめした、容赦なく。

 まったく、可愛い孫が、本気になって心配したというのに、あのクソエロジジイ! 

 ボコボコに変形させた雷じいの部屋に、光とかいう男を通して、お茶を出して、そしてこっちでもお茶を用意して、今に至る。

「いきなり喧嘩? 仲悪いんだね、アンタ達」

 今日は休日の筈だ。それがどうしてこうも朝っぱらから疲れているのか、自分は。その上、

「わかる!?」

「そうなんですよ!?」

 とか、テーブルから身を乗り出してくる付き人だとかいうこの二人、対応に困る。

「まったく、このコったら身の程も弁えないアバズレで」

「いつまで経っても中身が子供なんです」

「・・・」

 自分にどう答えろというのか! だが、諦めてはいけない。これは、チャンスなのだ。この二人とならば、夢にまで見た、女の子同士の会話というヤツが出来る筈! 生まれ育って十七年、永かった。全てはこの憎い目玉のせいだったが、この二人(多分さっきの男も)は自分を不当に恐がったりはしていないのだ! なんて素晴らしい! とか感動に打ち震えていると、あ、涙が、

「ちょっとアンタ? 大丈夫?」

「溜めていたものがあるようですね。どうぞ、私とこのバカ姉の事はお気になさらず、存分にお泣き下さい。愚痴ぐらいなら、お聴きしますよ?」

 心配そうに覗き込んでくる二人。

「・・・うっ・・・うっ・・・」

 嗚咽を堪え、その腕で目元を押さえ、肩を震わせながら、泣く大地。大地には大変失礼かもしれないが、これは、いわゆる、男泣きである。



「久しぶりじゃのう! どれ位ぶりかの!? 百年か!? 千年か!?」

「・・・変わらないなぁ、雷じい」

 高そうな掛け軸とか壷とかが沢山あるだだっ広い和室。ゴツイ木製テーブルを挟んだ光の向い側。そこに、老人とは思えぬ気迫を纏った、着物姿の怪物じじいがいた。

 昔はさぞモテたであろう男前な容姿。ゴツゴツした逞しい体。硬そうな白髪が、荒々しく逆立っている。床の間に飾ってある大槌は、レプリカだと思いたいがホンモノだろう。あんな物騒なモノを常に現界させておく雷蔵の、その神経を疑ってしまう。とはいえ、懐旧の念は尽きない。この大神、いや闇影 雷蔵は戸籍上の養父にあたる人で、昔は随分と世話になった人でもある。いや、ヒトではないのだが。断っておくが、別に大地が光の娘という訳ではない。いや考えようによってはそうとれなくもないのだが、とにかく違う。更に言ってしまえば、雷蔵の孫という訳でもないのだ。矛盾した話かもしれないが、遡って考えれば、大地は雷蔵の祖母に当たる。彼女はとある事情から、光が雷蔵に預け、育てて貰っていたのである。

 無論、大地はまったく知らない事だが。

「それで? 今日はどちらの顔で来た? 闇影の当主としてか? それとも?」

 闇影とは、古来より日本を影で支え続けている忍びの一族で、国の非公式人口調整部隊である“非人”の多くは、この一族と関わりを持つ者達で構成されている。

「・・・判ってるんだろ?」 

「大地の事か」

 静かに言って、なにやら、感慨深げに頷く老人。

「・・・お役御免と、いう訳か」

「いやいや! 違う! 違うって! 全く、その早合点はアンタ譲りだったのか」

 慌てて否定する光。どうにも今日は、この役柄で行けという事らしい。

 雷蔵は首を傾げる。

「なら、一体何しに来たんじゃお前? まさか、今更親心か? 止めとけ止めとけ、子育ては甘くない」

「・・・はぁ・・・“狂人”(きょうじん)が、アンタらを狙ってる」

 珍しく、真面目な様子の光。

「“狂人”? あぁ、篝火の坊やか。そりゃまた随分と、早かったの。元“非人”の英雄カガリビも、とうとう罪に喰われおったか」

 軽い口調だが、雷蔵も随分と辛そうだ。ゆっくりと自らの大槌を振り返り、言う。

「ならばこそ、お前の出番じゃない。先代闇影当主として、そして元“非人”リーダーとしても、ワシが直々に引導を渡す。お前は、帰れ」

 どうやら、孫に譲ったのは早計さだけではないらしい。光を見つめる雷蔵の瞳は、大地のそれか、それ以上か。

「今じゃ、アイツはとんでもないジョーカーだ。雷じいだって危ういぜ? どうもな、“守人”まで動いているらしい。“非人”内部も妖しさ爆発だ。アンタはともかく、大地にまで死なれちゃ困る」

「“守人”が?」

 “守人”(もりびと)とは、“非人”の完全討伐を掲げる戦闘集団で、その戦力は“非人”に勝るとも劣らないとまで言われている実力派だ。彼等もまた、その名称と在り方を除いては、そのほとんどが謎である。

「ニュース見たか? あの施設に、“守人”メンバーもいたらしいんだ。当然殺されたらしいんだけど、仲間をヤラれては黙ってはいない! とかなんとか」

 “狂人”を危険なジョーカーとして扱っていたのは、“守人”も同じだ。

 彼等もまた、慎重策を取っていたらしい。が、施設の殺戮劇を見過ごせなかったメンバーの一人が独断で潜入、結果惨殺されるという事態になった。

「なんでも、リーダー直々に“狂人”を討ちに出るんだってさ。賢明だよな。正直な話、数で攻めたって全滅するだけだ。それに」

「それに?」

「幾ら天使長だってな、無理だよ。アイツはホントにジョーカーなんだ。多分あのお偉い天使様だって承知の上なんだろうぜ。刃を倒せるのは、俺だけだ。あ、後はリリスかな? なははっ!」

 無闇に明るい光のこの振る舞いは、雷蔵には見え透いている。

「・・・惚気は他所でやれ、全く。だが、それ程なのか、篝火 刃は?」

「英雄カガリビは伊達じゃないさ。ホント、正義バカでさ。なんで“非人”にいんの? ってヤツだったし。一途だからバカみたいに強くなってさ。それで、あのザマだろ? ・・・もう、放置出来ないよ。約束したしな、刃と」

「そうか。それで? これからどうするつもりじゃ?」

 雷蔵の言葉には、隠そうともしない優しさがあった。泣けてきそうだ。親友殺しは、かなり辛い。

「どうもな、ヤマタのヤツも、そろそろ妖しいんだ。最悪、一度にぶつかるかもしれないし、少なくとも、刃の狙いは大地の筈だ。傍にいようと思う」

「・・・そうか。何、部屋は幾らでも余っとる。好きなとこを使うといい」

「・・・助かる」



「家に泊まるぅ!? “非人”が!? 三人も!? えっ!? ホント!?」

「うん、ホント」

 リリスとイヴと、三人でトランプ遊びをしていた大地は、寝耳に水だと飛び上がる。

 ちなみに、ゲームは大富豪。

「そんな事より、パスでいいの? 大地?」

 ゲームに熱中しているらしいリリスは大真面目で訊ねてくるが、今はそれどころではない!    

女の子同士のお泊り会なんて夢のようなイベントは大歓迎だとしても、こんな年頃の男と一つ屋根の下なんてのは断固拒否だ! 徹底抗戦だ! 当たり前だ! 自分はそんなにこなれてない!

「ええっと、パス! パスでいい!」

「やたっ! 大富豪!」

「大地! 姉さんを先に上がらせてしまうとは、なんて不甲斐ない!」

 何処かの王様みたいに嘆きながらも、どうやらイヴも上がった様子、と、いう事は、

「えっ!? アタシ大貧民!? そんな、負けなしだったのに~」

「ははっ、俺もまぜてよ。平民から仕切り直し、どう?」

 笑顔で提案する光に、噛み付く大地。

「アタシは! まだ認めてない!」

 ダブルミーニングだ。

「さ、始めましょ」

「そうしましょう」

 大地の絶叫空しく、再開される大富豪。ああ、自分って本当はこういうキャラだったんだとか、心の何処かで思いつつ、仕方なく、ゲームに興じる事にする。

 余談だが、この一敗を除いて、大地の完勝だった事を追加しておく。



「・・・朝、か」

 いつも通りの時間に眼を覚ますと、そのまま部屋を出る大地。

 と、彼女の部屋左手前の元空き部屋の前に、腕組み姿で、光が立っていた。

「おはよ」

「・・・驚いた、朝早いんだ、アンタも」

 昨日は、あれからもお祭り騒ぎが続いた。昼と夜の料理勝負も大地の完全勝利に終わり、一息吐いて、そろそろ眠ろうかという時。妻二人が夫と同室すると言って聞かず、そうはさせるかという大地と真っ正面からぶつかった。そのとき、イヴが懐から取り出した謎の液体の正体に、迂闊にも気付けなかった彼女は、その力もあって大暴れ、仲裁無き、三人の酔っ払いの死闘が起きた。

 筈なのだが、どうにも記憶がない。

 ああ、頭が痛い。空のドラム缶を叩くような音がずっと聞こえている。いや、別に自分の頭が空だとか、そういう事を言いたい訳でもなく。ダメだ、思考が纏まらない。妙に寝汗を掻いたせいか、どうにも貧血みたいな症状が出ている。ようするに、今にも倒れそうだ。それでもなんとか、踏ん張ってみる。うわ、今度は喉にせりあがってくるものが!

 もうホント、最悪だ。

 それにしても、おかしい。

 飛び抜けて丈夫な筈の自分が酔いつぶれ、あろうことか、持ち越してしまうなどと、そうか、つまりあれは酒ではないという事だ。当たり前だ。未成年者が、飲酒などしていい筈がない。

 朝から随分と愉快な調子の大地に苦笑しつつも、念の為と、光は注意をしておく事にする。

「二人はまだ寝てるから、入室は厳禁だ。寝起きは容赦ないんだ、ホント」

 結局同室したのか! 健全な女子高生が住む家で、一体ナニしてくれてやがったんだ、この男は! 酔いが一気に吹き飛んだ。いや違った、そもそも自分は酔ってなんかいなかった。と、いう事にしておこう。ちょっと苦しいかもしれないが。

 それは、ともかく、そうだ、コイツには、一応訊いておきたい事があったんだった。

「・・・なんで、二人な訳?」

「ぬっ! ぬぬぬっ・・・」

 答えに詰ったのか、本気で唸り始めるバカ。

「見たとこさ、日本人だよね? アンタ。それがなんで、二人?」

 20XX年になっても、日本に、一夫多妻制なんて物はない。

「・・・ぬ、ぬぅ・・・」

 バカっぽいが、その表情は真剣だ。

 唸る光を見、溜め息一つの大地。

「・・・別に、アタシには関係ないけどさ。あの二人も、なんだか凄く幸せそうだったし。それでもさ、アンタにとって、あの二人ってなんな訳?」

 バカの唸りが、ピタリと止まる。

「ん? ああ、それなら即答出来る」

「?」

「タカラモノさ」   



 いつものランニングコースまで、何故だか光がついてきた。

 一通りの準備運動を終え、さぁこれからという時、

「ハイ、ストップ」

 彼から静止の声が掛かった。

 驚くべき事に、その一声で本当に体が止まってしまった。まるで非常口の表示のような間抜けな格好のまま、固定されてしまっている。身動き一つ、出来ない。

「なっ! 何したのアンタ!? つか! アタシにナニするつもり!? ハッ、まさか!」

 どうやら、話す事は出来るらしい。

「あのね、俺って一体どう思われてる訳?」

 ガクリとうな垂れる光。今の言葉は、相当彼を傷付けたらしい。ちょっと罪悪感。けれど、自分にはこれぐらい言う権利がある筈だ。光の人間性はともかくとして、彼は男で、自分は女。そして今、自分が拘束されているのだから、悲鳴を上げないだけでも感謝して欲しいくらいである。

「とにかく! コレ、なんとかしなさいよ! あの二人に言い付けるわよ!」

 もしもそんな事になったのなら、彼に明日は無い。夜明けを迎えられるのは、生者だけだ。

 ああ! 命のなんと尊い事か! それはともかく。

「その前に一つ約束。今後、そのムチャクチャなランニングは一切禁止だ。ご近所様の噂になってるんだぞ? 知らなかったみたいだけど」

「えっ!? それはマズイかも、って! これじゃほとんど脅迫じゃない! この鬼畜! 非道男!」

「非道はともかく、鬼畜はそれこそヒドくない? 俺、これでも節操ある方だと思うし」

「その口が言ったのか!? 二人も女連れ込んどいて!?」

「ぬっ! ぬぅ・・・」

「いいからとにかく! 自由を返せ! アタシに!」

 


「・・・いきなりな話なんだけど」

 いつものお気に入りの場所で、いつも通り夜明けを肌で感じている大地に、全身傷だらけの光が切り出した。年頃の女の子を拘束した罰である。罪には罰を、これ当然。

「・・・何?」

 彼女の声は、とても低かった。

 ここで不用意な発言でもしようものなら、今度こそ危ないなと、彼にだって判る。

 だから、本題を続けた。

「今のこの世界が、オカシイって思った事、ない?」

「そう思っていない奴なんて、いないと思うけど? 結果なんか見えてたのに、戦争なんか始めちゃってさ。この国だって、アンタ達みたいなのがいる始末だし」

 吐き捨てるように大地。拗ねた子供のようにも、見えなくもない。

「あ、えっといや、人間の話じゃなくてね。世界だよ、この世界。それに、人間がどうしようもないなんて事は、解り切ってた事だし」

「・・・世界?」

 何を言ってるの? と、大地は態度でも語っている。

「これだけ人間がバカをやってるのにさ、いつでも変わらず、そこにあってくれてる世界だよ? 感謝とか好意とかはあるけど、疑問に思ったりとかは、ないよ」

「そうそれ、それってさ、異常なんだよ」

 そういうと思ったとでも言わんばかりだ。

「?」

「今もこうして、世界が保たれている事に、誰も疑問を抱かないのさ。あの大戦を直接知っている筈の連中ですら同じなんだよ。あれだけの大破壊があったっていうのに、世界がまだ平然とここにある事を、誰も、疑問に思っていないんだ」

 それは、気付いてはいけないこと。そう定められているのだ、とある場所に、明確に。

 それを平然と告げる、この男。 

「え、だって、異常気象とか、色々・・・」

「君なら気付ける筈だよ、大地。だって今、この世界があるのは、他ならぬ君のおかげなんだから」

 荒唐無稽も甚だしい。けれど、一度気付いてしまった矛盾が、彼女に真実を突きつける。

「あの時、世界は完全に破壊されたんだ。だから俺は、君を復活させた。“記録”から再生したんだ。大地母神ガイア、それが、君の正体だ」

 異常と思えば、そうだ、大地には両親の記憶がない。雷蔵だって、自らの祖父という立場で、幼い頃にあやして貰ったという程度の記憶しかない。他にあった筈の事柄は、皆混沌としていて繋がらないのだ。それをなぜ、一度も、疑問に思う事がなかったのか。

「“狂人”って呼ばれている元“非人”の英雄が、君を狙っているんだ。アイツは君を殺す事で世界を破壊しようとしている。同じような目的を持って、君を狙っている奴は他にもたくさんいるんだ。これまでは、ずっとゼウスに任せっきりだったけれど、もうそうも言っていられない。俺達は、君を守り、世界を守る為に来たんだ」

「ゼウス・・・」

 それが誰を指しているのか、判ってしまう。

 雷蔵だ。

 ギリシアの最高神。

 彼をして止められない事態が迫っている?

「“狂人”を倒し、君の安全が確保されるまでの間、君を護りきる事を誓う。俺は、“記録の化身”、図書館長アダムだ」

 その誓いは名乗りとともに。

 それは、枷に非ず。

 それは、誇りなり。

 


 余計な手間を掛けていると、本当に思う。

 自分がその気にさえなれば、あらゆる事は容易いというのに、それをしない。

 世界の創造も、改変も、破壊も、再生も、夕飯のメニューを決めるよりも簡単だ。

 けれど、いや、だからこそ、それだけはしない。

 

 意のままになんて、したくない。

 

 最初は、意味も、価値も無かった。

 ただ、孤独を紛わす為だけに、破壊と創造を繰り返した。

 その罪にも気付けなかった。

 いや、気付かないフリをしていた。

 それを気付かせるモノが恐かったし、実際自分は、彼女を遠ざけ続けていた。

 都合の良い彼女を創り出し、遊んでばかりいたのだ。

 

 認めよう、子供だったのだ。


 だから、直ぐに破綻した。

 取り返しがつかなくなって、初めて、その罪に気付かされた。

 喚くばかりの自分を、殴ってくれたのは彼女だった。

 そして、そのまま、抱き締められた。

 その時初めて、涙を流した。

 見れば、彼女達も泣いていた。

 

 そうして、立ち上がる。

 

 背負った罪は、強さになった。

 

 涙を流して、優しくなれた。

 

 これは、永劫の贖罪だ。

 


「まぁ取り敢えずは、今まで通りで」 

言いたい事を全部言って満足したのか、そういって唐突に話を打ち切ると、何処かへと駆けていった光。家に帰っても、彼はいなかった。

 いつものシャワーも、今日だけは水温低め、というか水だ。

「・・・」

 毎朝のもう一つの楽しみも、今はいまいち。超体育会系の大地にとって、運動後のシャワーといえば、どれだけ空腹であろうとも優先される程の至福の時だというのに。

 水滴の中に、いつもよりも少しだけ長く、身を置いた。

 それでも、とっくにショートしてしまったらしい思考回路は、いつまでたっても、一つの結論しか、提示してくれない。

 やはり、というか、なんというか、


 自分は、人間ではない。


 ショックだ、かなり。こんなの、ほとんど自分の存在否定に近いじゃないか。いや、人間社会からみれば、そうだ、自分の存在は否定されるべき、なのか。そりゃあ確かに、自分の体が、説明が付かない程常識外れのモノであると、分かっていた。分かっていたんだ、と思う。それでも何処かで、甘えていたんだ、多分。なんて事はない。自分もまた、当たり前の平穏を享受するばかりの、いや、それにしがみついている点ではそれ以下の、


 嘘吐きだった。

 

 こんな、世紀末の世界。彼に指摘されてようやく気付かされた、矛盾だらけの世界の中で、彼女もまた、嘘っぱちの平和の中にいた。平和? なんだソレは? なんて醜くて汚くて、嘘ばかりの言葉。

 とる者にとっては、不気味な程に秩序だっていて、

 とる者にとっては、不条理な程に混沌としている、

 そんな世界。

 ここにあるとすれば、それは、時折の平穏が精一杯だろう。

 その平穏が、あたかも未来永劫続くかのように錯覚し、

 その錯覚が、この煉獄に、平和を夢想させてしまう。

 

 自分達は、弱い。


 違う、生き汚いだけなんだ。夢見がちな少女の方がまだ綺麗ってもの。

 

 自分達は、ただの、卑怯者だ。


 それでも、そうだ。ならば、どうする? まだ、覚悟一つ出来ない卑怯者の自分は、どうすればいい? どう在るべきなんだ?

 

 進んでいよう。


 立ち止まる事だけは、あまりしたくない。時間は、有限なんだから。方向一つ判らない。前後だって当然判らないんだから、後退だってするだろう。それでも、精一杯、醜く足掻いて、進み続ける。これが、卑怯な自分の、現実との、徹底抗戦だ。


 まぁもっとも、最初から、先は視えているけれど、だからこそだ。


 止まって、たまるか!


腹が減った。

飯が食べたい。

 と、いう訳で、神業ともいえる制服への速着替えを済ませ、手早く三人分の朝食を用意して、

食卓に並べる、と、

「ふぁあ、おはよう、早いのね」

「おはようございます」

「・・・おはよう」

 二人組みが降りてきた。

 ノソノソと席に着くリリスと、サッと座るイヴ。動作一つとっても対照的。

 雷蔵は、まだ寝ているのだろう。あの老人は、午後になるまでは起きて来ないのが自然だ。

 テレビから流れるニュースをBGMに、黙々と食事を続ける三人。

 昨日の事で、彼女の腕前を大いに認めている二人は、カニでも食べているかのように無言。  

 そんな二人を前にして、どうにも落ち着かない。

 あまり深く物事を考る方ではない自分が、今朝は珍しく哲学らしきモノをしてしまったせいか、なんというか、目の前のこの二人を、その、巻き込んでしまいたくなる。だってこの二人は、いやアイツを含む三人は、自らの妄想の通りだとするならば、この手の話をするのには、最適な筈なのだ。義務があるだろオイ! みたいな。

 意を決して、声を掛ける。

「・・・あの、さ」

「ん?」

「はい?」

 二人が箸を置いて注目する。

「例えばその、なんというか、デッカイ壁にブチ当たっちゃった時にさ、アンタ達は、一体どうしてるのかなぁ・・・なんて」

「壊すわ」

「壊しますね」

「・・・はい?」

 だから、その即答はなんとかならないのか。自分はその、悔しいが、そんなに速くはないぞ、何がとまでは言わないけれど。それにそんな二人揃って、次はどれにしようかなぁ、なんて、目が食べ物に釘付けじゃん。箸置いてくれたのは、嬉しいんだけどさ。それにしたって、何? それだけ? なら話はもう終わりよね? 食べていい? みたいなのは、ちょっとどうかと思う自分が間違ってるんですか? そうですか。美味しく食べてくれるのは、そりゃ、作った甲斐もあるってもんだし、素直に嬉しいけれどもさ。何、そんなに簡単、つかバカな質問だった訳?

「えっと! じゃあさ! 壊すのがスゴイ難しい、つか壊せない壁だったりしたら? これならどうよ!?」

「壊すわ、壊せない壁なんてないし」

「壊しますね、壊せない壁なんてありませんし」

「・・・」

 相変わらずの即答。

 あ、コイツ等、強者なんだ。

 悩みなんてそんなもの、あった事もないのでしょうね、ええそうですか。オイ、それはアタシの焼き魚だ、狙い澄ますな! じゃなくて。なんか、相談相手を間違えてしまった感はあるけれど、つか、マトモな受け答えしてないよね!? 全部自分の考えの押し付けじゃん!?

て、そうだ、コイツ等ならどうするか、なんて、回りくどい訊き方をしたのは自分の方だった。恥知らず。なんというか、もういいや、バカバカしい。ありがちだよなぁ、相談ネタってこういう帰結、なんて頭の片隅で考えながら、もう、訊くのは止めにした。そうさ! 自分は恥知らずの大バカですからね! なんか、楽になっちゃったし。だから、まぁ折角だから別の、もっと重要な、不安材料を取り除いておきたい。

「・・・アンタ達の旦那、何処に行ったか、心当たりってある? いや、いきなり駆けて行っちゃってそれっきりで・・・」

「学校でしょ」

「学校ですね」

「え? 学校?」

 声を揃え即答され、またしても理解が遅れてしまう。

 あ、言っちゃった。

 ともかく、不安的中、してしまったかもしれない。

「アンタの通ってる、なんだっけ? なんとか高校」

御国高校みくにこうこうですよ、バカ姉さん」

「そうそこに・・・ってイヴ、アンタねぇ!」

「多少無理があるとは思いますが、今日から光さんも通います。あなたと、同じクラスに」

「ウチに!? アイツが!? え? だって制服とかは?」

 イヴは、噛み付くリリスを、片手だけで抑えている。崩れぬ微笑、迫力がある!

「それも含めて、色々と準備があるんですよ。どうやら、話はもう光さんから聞いているようですね? ガイアであるあなたを警護する為です。不自由な思いをさせてしまうかも知れませんが、我慢してあげて下さい」

「・・・聡いとか、そういう次元じゃないんだね、アンタ達」

 もう、何も驚くまい。

 イヴは、一度身を反らし、つんのめったリリスを、そのまま床へと叩きつける。容赦なし!

「ふがっ!!」

「私達はここに残ります。どうにも、最近は物騒ですからね。雷神に警護は不要だとは思いますが、念の為だとか」

「・・・そう」

 押え付けられているリリスの顔が、段々と、赤から青へと変わっていく。どうも、息が出来ないらしい。ジタバタともがく手足が、段々と、弱く、

「・・・殺す気かっ!!」

「あら、私はいつだってその気ですよ? 姉さん?」

 強引に戒めを解き、立ち上がったリリスは激しく怒っている。

 無視して、さっさと学校に行く事にする。空の食器だけ流しに移し、鞄を持って、部屋を出る、その前に、

「行ってきます」

「ん、気をつけてね」

「はい、行ってらっしゃい」

 返して直ぐに、取っ組み合いを始める姉妹。

 なんだかんだで、仲がいいんだと思う。

 苦笑しながら、家を出た。



 学校までは徒歩で15分程だ。街外れの川の近くにある自宅から、市の中央部、駅の直ぐ近くにある校舎までの道を行く。比較的人気のある学校で、千五百人近くいる全校生徒の内、約8割は市外から、電車でわざわざ通ってくる。成績優良者は、都内の幾つかの有名大学へエスカレーター式で合格出来る、という事もあり、勤勉な学生が多く、校風は極々穏やかだ。制服は基本的に自由。高校で指定している制服を着用しても良いのだが、この制服があんまりにも地味で不評な為、ほとんどの生徒は、校則の許す範囲で、思い思いの服装でやって来る。指定制服を身に着けているのは、大地のような、極少数の変わり者だけだ。

 が、しかし! しかしである! 朝の段階で大地が感じていた不吉な予感は、朝のHRの転校生紹介において、見事に的中してしまったのだ。

「闇影 光です! みんな、よろしく!」

 黒板にスラスラと名を書き(汚い字だ)声高らかに名乗ったこのバカは、なんと、黒スーツ白シャツ黒ネクタイという、例の格好のままだったのである! 繰り返すが、“非人”の装いはほぼ全国民に知れ渡っている。そのおかげで、担任含め、クラス全体ドン引きだ。皆一様に下を向いてしまっている。つか、良く許可したもんだな、この学校。

 可愛そうに、今年着任したばかりの、新米女性教師、新田にった ともえ24歳独身は、それでも、懸命に自らの職務を真っ当しようとする。

「・・・えぇっと、少し変わった時期の転校ですが、ご両親の急な転勤の為だそうです」

「そうなんですよ~いや全く、勝手な両親でして」

 茶番だ。もう耐えられない!

「アンタね! 一体何考えてそんな格好でどうどうと来てくれちゃってんのよ!」

 立ち上がった勇者大地に、この時ばかりは、視線が集まる。

(無謀だ! 止めるんだ大神さん!)

(彼女なら、きっとやってくれる筈だわ!)

(あれ? あんなコ、ウチのクラスにいたっけ?)

 クラスメイトの様々な思いを一身に受け、大地、大地に立つ! おそまつ。

「なに考えてって、俺、これしか持ってないんだけど?」

 何をバカな事を、なんて視線をバカから向けられる事程、ムカつく事はない。

「ウチはね! 私服登校だって全然構わないのよ! 無理にそんな制服着てくる必要なんてないの!」

 肩を怒らせ、戦う勇者大地。

 担任含む、クラス全員が真剣に見守る中、光は、

「や、だから、制服も何も、俺、服はこれしか持ってないんだよ。知ってるかもしれないけどね、着用義務もあんの、これ」

 暗黙の了解を平然と確定事項にする大バカ。

「そんな義務初めて知ったわ! つかね、アンタね! 少しは隠そうとか全然全くこれっぽちも思わない訳!?」

 自らの高校生活、始まって以来の大活躍を見せる大地。

 そう、まるでフランスはオルレアンの少女のようだ。

 フォロー! ミー! みたいな。

 鎧を身に着けてもいないし、

 大きな旗を振ってもいないが、

 己の使命を果たそうとしている、その姿勢が素晴らしい。

「なんでさ、俺、別にやましい事してないし」 

 シンと静まり帰る教室。

 大地は、クラス全員一致のツッコミを悟る。

 別に、啓示を受けたわけでもないけれど。

「国家的犯罪者の言う事か!!」



 昼休み、自主的に教室を離れ、屋上にやってきた大地は、やたら上機嫌で後からノコノコついて来た、“非人”リーダーに振り返る。彼女の背後が揺れている。凄い殺気だ。

 それに気付かないこのバカは余程鈍感なのか、やっぱりバカなのだろう。

「や~、どれ位ぶりだろうな、学生生活なんて。やっぱ良いもんだなぁ、うん」

「・・・アンタのせいで」

 自覚の成果か、一瞬でガイア化する大地。余談だが、大地母神の特性によって、彼女の貧相なスタイルも、この時ばかりは無敵になる。ホントに余談。

「アンタのせいで! アタシの高校生活はメチャクチャよ!」

 正中線八段付き(ガイアVer.)をモロに喰らい、声もなく崩れ落ちる犯罪者。

「アタシはただ! 静かに暮らしたいだけなのに!!」

 何処かで聞いたような台詞を絶叫する彼女の肩を、何時の間に起き上がったのか、平穏の破壊者がポンと叩く。

「そんなもんだよ、人生なんて」

 見事過ぎる回し蹴りが後頭部に命中、目標、沈黙。

「アンタって奴は、アンタって奴は・・・」

 よろめきながらも、なんとか立ち上がる人類の祖。

「見事な回し蹴りだ。と、それはともかく」

 一度、頭開いてやろうかと半ば以上本気で考え、我慢する。雷じい、アタシ大人になったよ。

「・・・何よ?」

 ようやく怒りが収まったのか、元の姿へと戻る大地。

「昼飯、喰わなくていいのか?」

 いっつも空回りしている気がするのは、自分だけだろうか?

「・・・はぁ、ホラ」

 言って彼女が投げ渡したのは、弁当箱。

「うわ! なんだなんだ嬉しいな。手作りだよな!? うお! すげぇ!」

「・・・」

 目の前の人物とマトモなコミュニケーションをとる事など、不可能なのだと悟る。悟ったから、まぁ、一緒に昼食を取る事にする。

「うまいうまい! すげぇうまい! 死角ないのなぁ、ホント」

「・・・黙って喰え」

 大地は、殺人的な目付きの悪さを除けば、ほぼ完璧な女性像の具現だ。繰り返してしまえば、彼女の瞳を真っ向から受け止められる者にとって、彼女はまさに理想と言ってもいいのだから。

このネタも随分としつこいが、それほどなのだ。まぁもっとも、今の所そんなのは目の前のバカと、家にいる連中くらいのものだが。

 穏やかに過ぎていく昼休み。

 自らの命が狙われている事など、つい忘れてしまいそうだ。認めたくはないが、このバカが傍にいると、安心出来てしまう。彼に寄り添うあの二人の気持ちも、なんとなく、解るような気も、しないでもなくもないような。

「・・・ははっ!」

「ん? なんだ? 俺の顔に、米でも付いてるか?」

「・・・バ~カ」

 首を傾げる彼を、軽く小突いて、また笑った。

 凄く、自然で、暖かな時間。



「・・・体育館に行きたい?」

 大地英雄説が本人の預かり知らぬ所で学校中に広まっている中、放課後の2-Aの教室で、大地が怪訝な顔をする。

「そりゃまた、なんで?」

「お前帰宅部だろ? 暇な時間があるなら、有意義に使おうと思ってさ」

 すっかりお前呼ばわりなのは気にしない。

「・・・ふぅん、ま、いいや、付いて来なよ」



 私立御国高校はかなり広い敷地を持っている。全部で5棟ある校舎に、六ヶ所で同時に野球が出来る程のグラウンド、そして、市民全員を収容出来る程の多目的巨大体育館。今更な話だが、実は、この学園の総責任者は雷蔵だったりする。これもまた、大地は知らない事だが。この学園の規格外ぶりは、総責任者あってのものなのである。

「・・・デカいな」

「デカいよね、やっぱり」

 休日には無料解放されたりもするこの体育館は、ちょっとしたアミューズメントパーク級なのだ。さしもの光も、呆然としている。

 そんな体育館の第3運動場は、総畳敷きの柔道場である。先程まで練習をしていた柔道部員の姿は、今は無い。やって来た光が、何を思ったのか、強引に人払いをしてしまったのである。

「危ないからね。他の人達にも、ここには近付かないように言っておいてくれるかな?」

 とか言って、入り口には、『危険! 入るな!』の看板までご丁寧に提げてある。

 何処から取り出したんだか。

 動きやすい格好に、という事だったので、大地はいつものジャージに着替えている。

 光は、いうまでもない。

「・・・何するつもり?」

 完全に二人っきりの状況だったりもするのだが、どうもこれはそういう浮ついた状況でも無さそうだ。

「朝のランニング、禁止にしちゃったからな、その変わりさ。これから、対“狂人”用の模擬戦を行う。最初に断っておくけど、訓練だからといって、命の危険もかなりある。嫌なら止めるけど、どうする?」

 ここまでお膳立てしておいて、止めたければそれでも構わないという。確かコイツ、自分を守る為に来たとか言っていた筈なのに、命の危険を伴う訓練? どうにも掴めないが、目の前のちゃらんぽらんがここまでするという事は、何かしら意味があるのだろう。それに多分、訓練っていうものは多かれ少なかれそういうものなのだろうし。もしもの時には、目の前のバカがなんとかしてくれそうだし、というのは、少し甘え過ぎているか、気合を入れよう!

「おかげさまで人目も気にならないし、どうもアタシの為みたいだし、いいよ、やろう!」   

 瞬時にガイア化する大地。ヤル気十分。

「・・・あ~えっと、俺、これからなりきっちゃうから、ちょっと引いちゃうかも知んないけど、俺は俺だから、安心してくれ」

「? うん」


「・・・クッ、ハハッ! シャーハァァ!」


 いきなりで、何が起きたのか解らなかった。

 背中に鈍痛が走る、吹き飛ばされた?

「なっ! 何!?」

 腹部、胸部、脚部に鈍痛、遮られる、呼吸。

 怒涛の連撃はしかし、その一つとして捉えきれない。

 頭部にも、一撃、飛びそうになる意識を、無理矢理保たせる。

 気絶すれば、命にかかわると、彼女の本能が告げている。

 これが、訓練?

 バカか、こんなの、実戦以外のなんだっていうんだ?

空中で、いたぶられてるんだ!

「ハッハハハハッ!! ハッハッ!!」

 狂ったような哂い声、そう、コイツは哂ってる。自分をいたぶるのが、心底楽しくて仕方がないと、哂っているのだ。

 誰だ、コイツは?

 一瞬でハイになった思考のせいか、そんな簡単な認識もままならない。

 一つだけ、解る。

 このままでは、自分は、

「ふざっ! けるなっ!」

 掴まえた、どこだか判らないがとにかく掴まえた。

 そのまま、思いっきり叩きつけた。

「ギャヒッ!?」

「ああああああ!!」

 強引に停止させた眼下の男に、空中で加速しながら、襲いかかる。

 その、右拳を先頭に。

「グヒッ!? ガハッ!!」

 今のは、確かに手応えがあった。

 彼女は無意識で行ったのだろうが、今のはあり得ない一撃だ。

 空中で加速?

 どうやって?

 空間でも蹴ったのか?

 だっていうのに、彼女の渾身の一撃だったというのに、相手は圧し掛かったままの彼女をその怪力で振り払い、すぐさまその腕を振りかぶっている。

 その手の先には、真っ黒な霧が視える。

 歪んだ形相が視える。

 なんだ、腹には風穴が空いているじゃないか。

 アタシの手は、血に濡れている?

「ヒッハァアア!!」

「がっ!」

 数瞬とはいえ、棒立ちしていた大地は、その抜き手をモロに受ける。

 今までの比ではない激痛が走る。

 それでも、彼女は、その両手でしっかりと、伸びきった腕を押さえた。 

 停止する、両者。

(・・・霧が、燃えている?) 

 チロチロと燃える、黒い炎。

 大地は知らないが、英雄カカリビは霧状の炎を纏い、自在に変化させながら戦う無敗の戦士だった。当時の炎は紅蓮。それがどうした、この黒は。それはまるで、地獄の炎。

「オラアアア!!」

 蹴飛ばした。

 大穴の空いた腹ではなく、その胸を、全力で。

「ゲヒッ! ガッ!」   

 吹き飛ばされたケダモノは、そのまま床を転げ回った。

 ヨロリと、立ち上がる。

 それは、最初期の速さが嘘のように遅い。

 形勢は逆転した! 

 神速で肉迫し、トドメの一撃を!

「っ!?」

 おかしい。

 先程まで振りかぶっていた、右腕の感覚が、無い。

 いや、これは、

「うっ! 腕っ!? アアアアアアアア!!」

「シャハハハハハッ!! ハハハッ!」

 大地の右腕は宙を舞っていた。

 肩から両断されたのだ。

 先程まで相手を包んでいた黒霧は全て、長大な黒い焔刃と化している。

 あれでは、間合いも何もない。

 もう一振りされるだけで、自分は死んでしまうだろう。

 

 途端、世界は、色を失った。

 

 死んでしまう? 

 自分が?

「シャッハアアアアア!!」

 ゆっくりと振るわれる、凶刃。


(・・・ふざけるな)


 空を斬る凶刃。

 大地は、ケダモノの、隙だらけの背後にいた。 

 その、今さっき失われた筈の右腕が、遅すぎる相手の、頭部を捉える。

「・・・ギ?」

「滅びろ」

 陳腐な表現だが、トマトのように飛び散る頭部。

 崩れ落ちる、死体。

 元の姿へと戻る、自分の体。

 終わってようやく、彼女は気付いた。

 自分は今、何をした? 

 自分は、光を!

「ハイ、ストップ」

 何に驚いたって、その一言だけで、落ち着きを取り戻せた事に、何より驚いた。


 気が点くと、彼はそこにいて、


「・・・ちょっと、刺激が強過ぎたかな?」

 腹に大穴が開いた首無し死体は、いつの間にか消えていて、血だらけで放心している自分の真ん前に、闇影 光の、確かな姿がある。

「・・・光!!」

 体が勝手に動いて、目の前の大バカに、つい抱きついてしまう。

 今度こそだ。

 自分は今、何をしている。

 こんな散々な目に遭わされたっていうのに、どうして自分はその元凶の胸で、声を殺して泣いているのだろう?

「・・・ああ、その、ゴメンな?」

 困った様子で頬を掻きながら、何事かを言ってる大バカ。

 何を謝っているんだコイツは! 

 これだけの事をしておいて、赦して貰おうだなんて、なんて都合のいい!

「知るか! 責任取って! しばらく泣かせろ!」

「・・・了解」



「おやおや、なんとも、御暑い事で」

 唐突に響く、男の声。

 なんて事だろう、おちおち泣いてもいられないらしい。

「・・・ヤマタか、何しに来やがった?」

 光の声には、隠そうともしない怒気があった。

 コイツは今、自分の為に怒ってくれているんだと、大地は悟る。

「八股だなんて、人聞きの悪い。あなたと違って、僕はエキドナ一筋ですよ」

「取り込み中だ。冗談言いに来たんならサッサと帰れ」

「これは随分と冷たいですね。ねぇ、あなたもそうは思いませんか? ガイアさん?」

「!?」

 驚き、振り向く。

 男は、自分を庇う者と同じ服装をしていた。つまり、

「“非人”!?」

「その通り。僕は、八河やつかわ 大蛇おろち。そこの恐い御方の、御仲間です」

「帰れと言った」

「おお恐い」

 言葉と態度はまるで正反対だ。不気味な程の余裕を感じる。一見、美少年と見えなくもない。

そう、少年だ。少なくとも、外見上はそう見えなくもない。だが、どうにも人間だというには、余りに異質。銀の釣り目の瞳孔は縦に割れているし、隠し切れていない牙だって覗いている。その肌も、人肌にしては青ざめすぎている。なにより、その紫の頭髪は、まるで蛇のように、ユラユラと揺れていた。

「今日は、言伝に来たんですよ。伝えるまでは、帰れません」

 聞く限りでは、いかにも申し訳なさそうだが、内心はまるで逆だろう。確認するまでもない。

「“狂人”討伐の勅命が、正式にあなたに下りました。一週間以内に始末せよ、との事です。大変ですね?」

「・・・言われるまでもない。刃は、俺が確かに殺す。そう伝えろ」

「承りました。それでは」

 あっさりと、身を翻す大蛇。

「待て」

「なんです? あれだけ帰れと言っておいて、分からない人ですね」

 ここまで言葉と裏腹な奴もいまい。振り返ったその顔は、予定通りだと言わんばかりだ。

「くさい芝居は止めろ」

 言いながら光は、大地を後ろへと下がらせた。

 その背中が、彼女に動くなとつげている。

「見抜かれましたか。けれどね、あなたは勘違いをしていますよ、“独裁者”。僕は何もあなたと戦いに来た訳じゃない。少しね、お頼みしたい事があっただけです」

 大袈裟に両手を広げ、戦意がない事をアピールする少年。

「?」

「あの老人に伝えて下さい。『明日の正午、御国高校のグラウンドで待っている』とね」

 老人? 解る、コイツ、

「雷じいの事!? アンタ! 雷じいに何するつもりよ!?」

 大地は今にも飛び掛かりそうだ。

「なあに、決闘ですよ。無論、命懸けのね。もっとも、戦闘にすらならないでしょうがね。僕はね、ガイアさん。あの老人がのうのうと生きているのが、どうしても我慢ならないんですよ。僕らを迫害した、あの老人がね!」

 初めて、感情を顕にする大蛇。

「自業自得だろ? 実際、お前ら救いようがなかったんだから」

「何、ただのやつあたりですよ。僕はこれでも平和主義者ですからね。本当なら放って置くつもりでしたが、なんでも、“狂人”が世界を滅ぼしてしまうらしいじゃないですか? その前に、やり残した事をやっておこうと思いましてね」

「全部言い訳だな。白状しろよ、お前も刃と同じだ。負が集まり過ぎてる。元が怪物だからな、抑え切れないんだろ? 向いてなかったんだよ。お前、今日でクビだ」

「それも結構。あなたの仰る通り、このままでは僕は自滅します。その前にかつての、エキドナの無念を晴らしたいんですよ」

 光は、目の前の少年の真意を見抜いている。

 復讐の念に駆り立てられているというのも、嘘ではないのだろうが、少年は、そう、死にたがっている。

 ようするに、道連れか? 

 迷惑極るやつあたりだ。

 まぁ、それでも、

「お前が封じられてる間の悲劇だったからな。確かに、同情出来なくもない。いいぜ、場は整えてやる」

「っ!? 光!?」

 驚愕する大地。

「だがな、一つ条件がある。これが呑めないようなら、この場で、俺がお前を殺す」

「・・・なんです?」

 窺う少年、やはり、戦闘を避けたいというのは本当らしい。

「こちらから、護衛を二人就ける。いいな?」

 二人。あの二人か。大地の内心は穏やかではない。大丈夫なのだろうか? 本当に。

「あなたとそこのお嬢さんでさえなければ構いませんよ。僕も親殺しは、したくはありませんからね」

「?」

 疑問符を浮かべる大地。

「よしっ! 交渉成立だな。約束は守る。今度こそ、帰っていいぜ?」

「それでは失礼します。おっとそれから」

 そこで少年は、なぜか大地に、深く、頭を下げた。

「復活おめでとうございます。お見事でしたよ、母さん」

「っ!?」

 確かに、少年は大地の事を母だと呼んだ。

 そんなバカな! 

 身に覚えなんて一度もないのに!

「・・・お前、今なんかバカな事考えてるだろ?」

 少年が去り、再び道場に二人きりだ。

「え? だって、さっきアイツ、アタシの事」

 確かに言ったよね? と迫る大地。

「怪物テュポーンは、ガイアとタルタロスの息子だからな。まぁでも安心しろ。少なくとも、お前は純潔だ」

「悪かったな! 純情で!」

「いや、言ってないし」

 頬を掻く光。

 そこで思い出したのか、心配そうに、俯く大地。

「・・・平気なの? 雷じいは?」

「日本神話でもギリシア神話でも、北欧神話でもだ、真っ向勝負じゃあ、勝った事はないんだよな・・・いいとこ相打ちだし」

「何言ってるんだかまるで分かんないんだけど、それってマズイんじゃ?」

「二人就けるって言ったろ? リリスとイヴがいれば、大丈夫だって」

 それが一番心配なんだが、あの騒がしい姉妹に、あの異質過ぎた少年を、打倒しうるのか?

「あの二人って、そんなに強いの?」

「強い強い。名高い怪物の大ポカだぜ? 目が眩んでたのか、余程自信があったのか。俺以外には負けないとでも思ったのかね?」   

 光は、安心してくれて良いという。

 雷蔵の事だけに、大地は随分と弱気にならざるをえない。

「・・・でも、なんかアイツ、大切な人が殺されたって。そういう相手って、凄く強いんじゃないの?」

「・・・は?」

 何言ってんの? と言わんばかりの光。

「いやだから、エキドナとかいう」

「死んでないけど?」

「・・・え?」

 今度は大地の番だ。

「だから、ピンピンしてるって。“神々の黄昏”はとっくの昔に終わってて、もう再生も済んでるんだからさ。毎日、イチャついてんじゃねぇの?」

「・・・」

 何それ? と言わんばかりの大地。

「バカげてるんだよ、ホント。だからさ、怪物夫婦の事は頼りになる連中に任せてさ。今は、こっちの事だ」

 そういって大地を見つめる彼の瞳は、やけに真剣だ。

「・・・何よ?」

 僅かに、後ずさる大地。

「いや、なんか流れちゃってるみたいだけどさ。もういいのか? 泣かなくて?」

「・・・」

 急に俯く大地、心なしか、震えているようにも見える。

「あ、そうそう。ホンモノは、さっきのなんか比べ物にならない程に強いんだから、手ぇ出しちゃダメだからな?」

「・・・」

 大地はゆっくりと顔を上げ、光を見つめた。

「ん?」

 きょとんとしている彼に、毒気を抜かれてしまう。

 なんとなく、溜め息一つ。

「・・・なんか、色々言いたかったんだけど、やっぱりいいや。帰ろう、光」

「・・・いつのまに呼び捨てに?」


 その気安さが嬉しかったのは、彼だけの秘密だ。

 照れ臭いから。



「理想ってやつはさ、あんまりにも綺麗だから、一度夢見てしまうと、どうしたって忘れられないんだ。少なくとも、俺にはね」

「・・・そんなもんかね?」


 “非人”選抜の為の最終試験、史上最も過酷と言われたサバイバルを無傷で突破した二人は、とある山奥の中で、焚き火を囲んでいた。 

 後は、夜明けを待つばかりだ。

 二名一組、全50チームで行われたちょっとした戦争のような殺し合いは、上の予想を大きく裏切り、開始僅か一週間で、この二人の勝利で終わった。


 闇影を名乗る、経歴一切不明の謎の男、光。 


 無名の出ながら、神がかった強さと強靭な精神力で、既に頭角を現し始めていた後の英雄、篝火かがりび やいば


 しかも、ぐうたらな光のおかげで、二人が行動を起こしたのは四日目からだ。

 実質三日で、他のチームを壊滅させた事になる。


「別に正義を語る訳じゃない。俺は修羅になろうとしてる。沢山の罪の無い人達を殺そうとしてる」


 ただ一人で、62名もの“非人”候補生を打ち倒した、行き過ぎたその強さ、その裏にはいつだって、


「それでも、いつか俺達みたいなのがいらなくなる世界がやってくる。そう信じたい」

「・・・」


 血生臭い出来事の後だからなのか、それとも、これも夜闇を照らす炎の力か、どうにも、感傷的になってしまう。


「俺は理想を捨てられない。だから、おそらく長くない。・・・光、その時は」

「・・・はぁ」


 五年もの歳月を、ともにしてきた。

 初めて出逢った時、取っ組み合いの喧嘩になった。

 その時から、目の前の少年は変わらない。   

 変わらなかった、結局。


「・・・我慢が無くて、不器用で、これじゃ、先は視えてるな。まぁ、でも解った。その時は・・・」

「・・・」

「俺がちゃんと、裁いてやるよ」

「・・・頼んだ」

 

 報せを聞いたのは、この三年後。

 長かったのか、短かったのか。

 どちらにせよ、やるべき事は、ただ一つ。



「オロチの奴め! ワシのミョルニルが喰らいたりんようじゃな!」

「・・・雷じい、明日は手出し厳禁だ。殺されるぞ?」

 夕飯時、猛る雷蔵を、光が嗜める。

 全員揃った所で、明日の事を切り出した、途端にこれだ。

 頭が痛い。

「何を言うか! ワシ、をっ!!」

 大地の鉄拳が直撃、雷蔵を黙らせる。

「ダメったらダメ! もし言い付けを破ったりしたら・・・」

「むむむ」

 自らの身を心配すればこその、大地の言葉に、流石の雷蔵も言葉を詰らせる。

 光は、付き人二人に振り返る。

「リリス、イヴ、いけるか?」

「当然」

「はい、ですが・・・」

 即答するリリス、

 が、イヴには、何か思う所があるらしい。

「あの怪物には、私の剣も通じません。使い魔達を一掃するのが限界でしょう。となると」

 一度、言葉を切って、姉を見る。

「姉さん次第と言う事になります。それがもう心配で心配で」

「・・・何が言いたい訳?」

 大変珍しく、リリスが問い正している。普段ならば、先に手が出る所だ。

「ハッキリ言ってしまえば、激甘な姉さんが手心を加えるんじゃないかという事です」

 今度こそ手が飛んだ。

 ヒラリと避わすイヴ。

「・・・ふんっ! 大丈夫よ。一撃で決めてやるわ」

「姉さんの大丈夫に、命なんて預けられるものですか」

 激しい闘いが始まった。

 一応は食事時な訳だが、二人とも、ちゃっかりと食事を終えている。

 朝の反省点を踏まえているらしい。

 いや単に、食器を片付けるのが面倒なだけかもしれないが。

「・・・アンタはどうするの?」

 せっせと食器を片付けながら、光に尋ねる大地。

「予定よりもずっと早いんだけど、“狂人”を直接倒しに行く。居場所は解ってたんだ、最初から」

 驚いたのは、雷蔵と大地だけだ。

 姉妹は気にせずじゃれあっている。

「・・・決めたのか?」

 問いかける雷蔵は、薄々は勘付いていたのだろう。

「立て込んできちゃったしな。引き延ばすのももう限界だ。“守人”のウルサイ奴が出てくる前に、カタを付ける」

「・・・そうか」

 重々しく頷く雷蔵。

「・・・アタシは?」

 皆、明日は戦いに赴くという。

 自分に出来る事は、なんなのか。

「明日は学校サボって、俺と山登りだ。少し危険だけどな。一人でいるよりは、ずっと安全だから」

「・・・え?」

 てっきり、自分だけ置いてけぼりなのかと思った大地は、意表を突かれる。

「・・・良いの?」

 何を聞くまでも無い事をとでも、言わんばかりのバカ。

「良いも何も、俺の傍ほど、安全な場所なんて他に無いぜ? 護ってやるから、ついて来いよ、大地」

 本当にこの男は、一体何様のつもりなのか。

「・・・光」

 突如、発生する不穏な空気。

「・・・ふぅん、仲、いいのね? アダム?」

「本当に。もう、名で呼び合う仲ですか?」

 凍りつく光。

「アンタっていっつもそうよね?」

「相変わらず、手が早いですね?」    

 先程まで犬と猿だった二人は、共通の的を捉えたらしい。

「話も決まったようじゃし、ワシは先に寝るぞ?」

 さっさと退室していく雷蔵。年の功。

「らっ! 雷じい!?」

 光の制止も届かない。

「大地、光、ですって?」

「お仕置きが必要です」

 大地は、指一本動かせない。

 なるほど、確かにこの二人、とてつもなく強いらしい。

 今は、その矛先が自らに向いていない事だけが、唯一の救い。

 二人の鬼神は、不義(無罪だ!)を正さんと、目の前の男のみを狙っていた。

「・・・すまない、誓いは守れそうもない。強く生きろ、大地」

 なんとも情けない光の言葉。

 裁決は、下った。   

 


「・・・ねぇ?」

「ん? どうした?」

 それぞれの部屋へとむかう途中、何やら思い詰めた様子で、大地が光を呼び止めた。

 暴れてスッキリしたのか、リリスとイヴは、先に熟睡している。

「・・・全部終わったら、やっぱり、いなくなっちゃうんだよね?」

 大地が一番、自分に驚いている。

 何を言っているのか、自分は!

「まぁ、これでも結構忙しいからなぁ・・・」

 目の前のバカは、予想外だったのか、どうやら動揺しているらしい。

 予想外は、こちらの方だ!

「・・・そっか」

「ああ、えっと、なんだ、その・・・だな」

 言葉が見付からないらしい。

 二人して、固まる。

 元々、人付き合いになんて慣れてない。

 十七年も生きてきて、祖父以外の優しさなんて、感じた事もなかった。

 全く唐突に現れて、自分の日常をメチャクチャにしてくれたコイツ。

 そんなコイツが壊した物の中には、きっと、自分を苛んでいた、言い知れぬ孤独も、あったのかもしれない。

 祖父を軽んじている訳じゃない。

 けど、目の前のコイツがいなくなってしまうのは、なんというか、凄くイヤだ。

 明日、コイツは多分、自分を守り抜いてくれるだろう。

 そうして、やってきた時と同じように、また唐突にいなくなるのだ。

 それならそれで、大いに結構じゃないか。

 元々、連中は厄介者。

 それも、国一番の凶悪犯達だ。

 むこうからいなくなってくれるというのなら、むしろ好都合の筈だ。

 それでまた、平穏な日々がやってくる。

 だっていうのに、このキモチは、一体なんなのだろう?


 自分で自分が解らない。


 昨日会ったばかりのこの男に、なんで自分は、こんなにも執着してしまっている?

 

 イヤだ。

 

 自分は、こんなにも弱かっただろうか?  

 

 イヤだ。

 

 そんな事は無い筈だ。

 

 イヤだ。

 

 他人に避けられ続けようとも、強く生きて来られた筈、だったのに!


「・・・イヤだ!」

 言ってしまった。

 なんて、不様。

 大体コイツには、あの二人がいるじゃないか。

 こんなキモチは、元から間違っていたんだ。

「・・・明日も早いからな。早く寝ろよ?」

 彼女のワガママには答えずに、彼は部屋へと入っていった。

 

 廊下には、嗚咽を漏らす、大地だけが残された。


  

     

列車を乗り継ぐ事幾度か、S県の西、とある山の麓へと辿り着いた。

 無人の広場を歩く。

「・・・」

「・・・」

 いつもの格好の光と、白シャツ青ジーンズの大地。

 二人、ともに無言。

 今朝からずっと続いている、なんとも重苦しい空気。

 ヒリヒリと痛む、大地の背中。先だって家を出る時、あの騒がしい二人組みに、なぜだか思いきり背を叩かれたのだ。意味は、不明。未だにその背中が痛むのも、不明。

 ホント、何を考えているのやら。

「・・・ここなの?」

 自然、窺うような態度になってしまう大地。

「ん? ああ、この山奥にいる」

 答える光。

 そしてまた、沈黙。

 昨夜もそうだったが、静かな光なんてものはとてつもなく貴重だ。いつだって、無闇に騒がしいバカが、ここにきて無言。そう、まるで、仮面を脱いだ道化のように。こんな時になって気がついた。押し黙った彼は、凄く、寂しそうな表情をしているという事に。続かない言葉のせいか? 違う。多分彼は、元々、そんなに明るい方じゃないのだろう。自分と同じだ。暖かな周囲があるからこそ、そしてその周囲の大切さを知っているからこそ、子供のようにはしゃいでいた。嬉しくて、楽しくて、とにかく幸せで仕方がないって、笑っていたのだ。

 どうして自分が彼に惹かれるのか、今なら解る気がする。きっと自分は、彼となら、ずっと本当の意味で笑っていられると思ったから、だから! この沈黙は、辛い。それも全ては、自分のせいか。思い出されるのは、やはり昨日の事。暖かった屋上と、廊下の冷たさ。

 背中が、痛む。

 その真意を、図らずも自分は悟ってしまっている。

 あの二人は、そして、自分は、

 


「待っていたぞ、“独裁者”」

 広場と山との境界、山道の入り口に、その男は立っていた。

「・・・え?」

 大地は、一瞬自らの目を疑った。

 白銀の徽章で飾られた純白の軍服。

 その腰に、抜身の黄金の剣を懸けた青年は、肌の色こそ白いが、

「俺は遭いたくなかったね。“守人”リーダー、天司あまつかさ 悠輝ゆうき、いや、大天使ミカエル殿なんかには」 

 対峙する両者は、瓜二つだった。

 二人の正体を鑑みれば、それも当然。

 

 大天使ミカエル。

 無数の天使達、その頂点に立つ者。

 恒に光の軍勢の先頭に立ち、魔を打ち滅ぼし続ける、最強の神の御使い。

 どんな聖典においても、彼以上の天使など存在しない。

 強大な力を持つ魔王すらも、彼を前にすれば、古傷が疼き、恐怖に囚われるという。

 

「何、一度討つと言った手前、手ぶらで帰る訳にもいかんのでな。今日は、見届けに来た」

「・・・戦うつもりはないって?」

「当然だ」

 “非人”と“守人”、相反する立場とは裏腹に、どうもこの二人、仲が良いらしい。

 話が分からず、ポカンとしている大地を、悠輝が見つめる。

「ところで、もしやとは思うが、彼女が?」 

 肩を竦めながら、肯定する光。

「とは言っても、今じゃすっかり恋する乙女だけどな。困ってるんだ、俺も」

 どの口がそんなフザケた事をほざいたのか!

「なっ! 何言ってんのよっ! アタシはね! ・・・兄妹、そう! 折角出来た兄妹みたいな連中がいなくなっちゃうと、ちょっとだけ寂しいかなぁって、そう言ってるだけなのよっ!」

 嘘だ。

 背中がズキズキ痛む。

 あのやかましい二人はともかく、このバカを兄のようだと思った事など一度もない。なぜなら、

「・・・元気、出てきたな」

 こうして、優しく笑い掛けてくるようなバカだからだ。

「・・・」

 言葉を失ってしまう。なんだか、ムカつく。

「・・・ひょっとして、俺は邪魔か?」

 どうも、笑いを堪えているらしい悠輝。

 これだから! 天使とかいう連中は! 全く、余計な気遣いをしてくれる!

「・・・ふんっ! いいわよ! アンタ達なんて、もう知るもんか!」

 言って、ドカドカと進もうとする大地。

「ハイ、ストップ」

 その動きが、止められる。確認しなくたって解る、彼だ。

「・・・どういうつもり? まさか、ここまで来て!?」

 悠輝は、黙って様子を見守っている。

「大正解。悠輝が来た以上、俺が護衛する必要はない」

「っ!?」

 そんな、コイツ!

 動けぬ彼女の横を平然と通り過ぎ、振り返った彼の顔は、穏やかだ。

「すげぇ頼りになるからさ、ソイツ。お前はここまでだ、大地」

「・・・」

 出せる筈の言葉が出ない。変わりに零れたモノは、何だろう。

 黙って頬を濡らす大地。

 背を向ける光。

 それは、簡単すぎる意思表示。

「安心しろ、俺は絶対に死なないよ。誓いも守るさ。・・・大地を、頼んだ、悠輝」

「了解」


「・・・」


 彼が消えていった山道を、見つめる二人。

 彼女の心は、決まった。

 もう、背中も痛まない。

 あの時、二人は、  


『遠慮するな!』


 と、そう言ったのだ。

 お言葉に、甘えさせて戴こうじゃないか。

 アイツは多分、このまま姿を消すつもりだ。

 家に帰れば、また二人だけの生活が戻ってくるのだろう。 


(・・・ふざけるな)


 そんな勝手は赦さない。

 あのバカの首を締め上げて、ずっと云いたかった事を大声でぶつけてやる。

 悠輝に任せた事で気を抜いたのか、彼の戒めも、今はない。

 歩き始める大地。

 立ち塞がる、悠輝。

「・・・どきなさいよ」

「どけないな」

 ならば、戦うか。

 変貌する大地。

 瞳は金色に、

 肌は褐色に、

 髪は紅色に、

 そして、心は、ただ真っ直ぐに。

 完全にガイア化した大地を前にしても、悠輝は全く怯まない。

「見届けに来たって、言ってたじゃない? こんな所にいていいの?」

「それは確かにそうなんだが、立場上、アイツの言葉には逆らえない」

 お互いに、一歩も譲らない。

「“守人”が、“非人”の言いなりになる訳?」

「理由はもっと深い所にある。それに元々、“守人”は“非人”の暴走を防ぐ為に組織したものだ。完全討伐など、一部の輩の、勝手な言い分に過ぎん」

 僅かに身を屈め、構えを取る悠輝。

 大地もそれに倣う。

「この先は危険だ。俺としても、君に死なれては困る。・・・言った所で、聞きそうも無さそうだがな?」    

 不敵に笑う悠輝。先程まで、漏れ出していた力だけでも、足を竦ませるには十分だった。それが今、ゆっくりと、解き放たれようとしている。

 底知れぬ力を肌で感じながら、それでも、大地は、

「当然」

 ゼロ距離、懐に飛び込んだ。

 この男に、手加減は不要だ。

 自分に武器は無い。

 相手がその剣を抜く前に、一撃で!

「っ!!」

「ぐっ!」

 上半身を吹き飛ばすつもりで放った一撃は、しかし、相手を殴り飛ばすだけに終わる。

 とてつもない加護がかかっている。

 衝撃は伝わったようだが、外傷の一つも見当たらない。

 すぐさま体勢を立て直す悠輝。

 マズイ!

 間合いが空いてしまった。

 拳をぶつけるには遠く、剣を振るには絶好の間合いだ! が、

「大したバカ力だ。だが!」

 彼は剣を抜かず、格闘戦を挑んできた。

 侮っている?

 しかし、それならばチャンスが、

「・・・あっ、ぐっ・・・」

 一瞬で、彼女は地面に突っ伏していた。

 全身に鈍痛。

 その癖、まだ自分は無傷だ。

 ようするに、完全に、制圧された。

 侮っていたのは、

「まだまだ、未熟」

 何が起きたのかは解る。

 ボコボコにされただけだ。

 全て、彼女には視えていた。

 だというのに、このザマだ。

「経験が足りなさ過ぎる。だから、簡単な技に騙されるんだ」

「・・・くっ!」

 確かに、底知れぬ強さは感じていた。

 だが、なぜだろう、勝てる気がしたのだ。

 そう、あの剣さえ封じられれば勝てるという確信が、今でもある。

 だというのに、

「ああああああああ!!」

 再び、飛び掛る大地。

 悠輝は、

「・・・仕方がない」

 その剣を、振り下ろした。

「!?」

 おかしい。

 その黄金の剣は、確かに先程まで、その腰に懸かっていた筈。

 それが、いつのまにか抜かれ、振り下ろされている? 

 

 知識不足も、致命的な弱点だ。

 大天使ミカエルを知るものならば、こんな迂闊はすまい。

 彼の腰に懸かっていたのは、彼のシンボルでもある“鞘から抜かれた剣”。

 そう、その剣は、既に抜かれていた!

 

 咄嗟に腕を交差させ、身を庇う大地。

 全身の力を一瞬で腕へと集中。

 金剛にも迫る程の強度を持たせた。が、

 

 これも迂闊だ。

 ミカエルの黄金の剣は、あらゆるものを一刀両断にする、防ぐこと適わぬ神の剣。

 

 図らずも、かつてのサタンと同じ過ちを犯した彼女は、両腕を切断され、その身にも、深い裂傷を負った。

「・・・あ」

 斬り伏せられた彼女は、今度こそ動けない。

 余りの激痛に、声も出ない。

 たったの一太刀で、勝敗は決したのだ。

「・・・」

 見下ろす悠輝は、辛そうな表情をしている。

 彼とて、本意では無かったのだろう。

 けれど、大地は止まらなかった。

 叩きのめし、実力の差を見せ付けたにも拘らずだ。

 

 そして、そんな彼女だから、止まらない。

(・・・まだ、まだ生きてる)

 両腕を失い、胴体には殆ど致命傷と言ってもいい、大裂傷を負ってはいる。

 けれど、まだ自分は生きている。

 激痛で、思考が纏らない。

 纏らないから、最初の感情だけで、動いた。

 

 途端、世界は、色を失った。


「・・・なっ!?」

 背後に殺気。

 足元にいた筈の少女がいない。

(まだ、間に合う!)

 振り向きながら、振るった剣は、空を斬る。 

 右肩が、削られた。

 今まで傷一つ負わなかった自分が、避ける事も出来なかった。

(速いっ!) 

 続けざま、両腕を、まんべんなく削られた。

 堪らず、剣を取り落してしまう。

「・・・ぐっ!」

(・・・なんて、奴だ)

 胸に、足跡が残りそうな程の強烈な蹴り。

「・・・がっ!」

 吹き飛ばされ、両腕を潰された彼は、受身も取れずに転がった。

 朦朧とする視界の中、彼は捉えた。

 その金色の瞳で真っ直ぐに自分を捉え、悠然と佇む女神を。

 自分が斬り落としてやった筈の両腕は当然のように健在。

 その身にあった筈の裂傷も何処へやらだ。

 

 瞬間再生に近い、恐るべき回復能力。

 大天使の加護すら打ち抜く、強大な力。

 そして何より、圧倒的な、その速さ。

 これが、大地母神ガイア。    

 この世の原始のカタチにして、全てのカタチ有るモノの王。

 こと身体能力において、彼女を上回るモノなど在り得ない。

 

 ここに今度こそ、勝敗は決した。



「・・・なんで付いて来る訳?」

「何、ただの恩返しだ。そう警戒するな」

 大地に付き従うナイトは、悠輝だ。大地の手荒い看護のおかげで、傷も完全に癒えている。

 いや、さすがは大地母神。その治癒能力も、凄まじいものだった。

 どうにも解らないと言った様子でグングンと進む荒っぽい女神と、

 笑みを浮かべながらその横にならぶ、大天使。

 出会って間もない二人だというのに、もう立ち位置は決まっているらしい。

「・・・なんか、その顔で笑われるとムカつくんだけど?」

 光と悠輝は本当にソックリだ。

 だから、彼が笑っていると、その、胸がザワつく。

「この顔は生まれつきだ。それより」

「?」

 足を止めずに、振り向く大地。相変わらず真っ直ぐな、その金色の瞳に見つめられ、言葉を失いそうになる。無論、敗れたとはいえ大天使ミカエル、動揺を面に出すような彼ではない。

「きっ、君程の女性が、なぜあのような男を追いかける? 君ならば、他にいくらだって相手がいそうなものだが」

 訂正、かなり動揺していた。ここまで強く、鮮やかな女性、そうはいないだろうにと、悠輝は思う。どうも、大地に貫かれたのは、その身だけではないらしい。   

 その辺り、当然の如く鈍感な彼女は、どうやら気付いてはいないようだが。

「お生憎様、この十七年、アタシがモテたのはヴァレンタインだけよ」

 彼女の、瞳の強さ。それは、寧ろ欠かす事の出来ない美点だとすら思っている悠輝には、永遠に分かるまい。大地が辿ってきた、その苦難の歴史など。

「そうか。皆、見る目がないのだな?」

「なっ!? 何をっ!?」

 迂闊だった。

 言った言葉もそうだが、それだけではない。

 慣れない自身の称賛に、顔を真っ赤にする大地の、その背後。

 ソレはいた。

 醜い形相の中に混じっているのは、歓喜か? 

 敵地において油断するなど、初めての経験だったのだが、それ程に、彼女は魅力的なのだと思う。だから、

(間に合え!)

 肉を貫く、鈍い音。

「・・・え?」

 ソレを倒すだけならば、構わず剣を振るえば良かった。

 けれど、それでは同時に、彼女を殺してしまっていただろう。

 だから、彼女を突き飛ばした。

 迷いなんて無かった。

 窮地を逃れた大地が見たのは、

崩れ落ちる悠輝と、

その返り血を浴びて歓喜する、ただただ不快なケダモノ、

そして、


「ミカエル!!」


 後から駆けつけてきた光の、何かを悔やむような顔だった。


 自らの血溜りに沈んだ天使は、もう動かぬ表情で、満足そうに笑っていた。



場所は変わって、御国高校グラウンド。

 平日の昼間だというのに、人気は皆無だ。

 隔離されているのだろう。

 騒々しい校内にあって、ここだけが異質。

 その中で待ち受ける大蛇の前に、ゆっくりと歩いてくる人影が、三つ。

 大した自信だ。

 この自分の視界の中を、悠然と歩くとは、舐めているのだろうか?

 必殺の先制全体攻撃なんていう反則業も、自分にはあるのだ。

 それでも、せっかくなので、待ってみる事にする。

 殺してしまうのは、とても簡単なのだから。

 憮然とした表情で中央を歩いているのは、自らの宿敵、雷蔵だ。

 その背中には、忘れもしない大雷槌、ミョルニル。

 テュポーンにはゼウス。 

 八岐大蛇やまたのおろちには荒王すさのお

 ミドガルズオルムにはトール。

 数多くの神話の中、様々な姿で挑み、そして阻まれた。

 実力ならば、いつだって自分が圧倒的に勝っていた。

 今だって、邪魔さえ入らなければ、簡単に打ち勝てる自信がある。

 悪戯な三人の女神達に助力を頼んだり、

 極上の神酒で酔い潰したりなどなどの、

 なんとも姑息な手段さえ使われなければ、自分は確かに、勝っていた筈なのだ。

 思い出すだけで、腹が立ってくる。

 奴が卑怯だとか言うつもりはない。

 あんなジジイにハメられた、かつての自分の情けなさが、赦せない。

 当時の自分達が、身も心も怪物に成り下がっていた事など関係ない。

 もしも自分さえ無事であったなら、妻の悲劇だって、防げた筈なのだから。

 あんな、ただ退治されるだけの惨めな運命から、救ってやれた筈なのに。

 確かに、“神々の黄昏”は終わり、再生もなった。

 けれど、かつての暗い記憶が呼び起こす負の衝動を、どうしても抑える事が出来ないのだ。

 あの“独裁者”の言う通りなのだろう。

 自分は、また繰り返そうとしている。

 だから本当は、ただ裁いて欲しかっただけなのかもしれない。

 叶うならば、あの宿敵に。

 それも無理な話だ。

 今の自分に隙は無い。

 あの身勝手な“独裁者”の邪魔も入らないというのであれば、ただの殺戮でしかない。


 そこでようやく、彼は、彼女を認めた。


 雷蔵の背後を歩く二つの人影。

 その片方に、無視出来ない存在がいた。

(・・・まさか、彼女が来ようとは)

 簡単に予想出来た筈なのに、なぜか自分は、彼女の存在を忘れていた。

 だから、それが答えだ。

 きっと自分は、彼女を待っていた。

 立ち止まる三人。

 間は、10メートル程か。

「・・・エキドナは? どうしたのよ?」

 訊ねたのは、リリスだ。雷蔵の左後方に控えている。 

(やはり、気になるらしい)

 思っても、口には出さない。

「家で待っていますよ。僕一人で、十分だと思っていましたから」

「・・・ふぅん、大層な自信じゃない?」

 リリスの、相手を見下すような、余裕たっぷりの仕草はいつもの事だ。

 知っているから、気にしない。 

「それでは、始めましょうか? 三対一、大いに結構です」

 大蛇が指を弾く、と、

「おっと、無数対三の間違いでした」

 言うとおり、

 視界を埋め尽くす程の無数の影の魔物達が、三人を囲んだ。

 実体が曖昧で捉え難い影の魔物は、使い魔の中でも、かなりの上位にある。それを瞬時に、無尽蔵に排出するこの男。やはり、怪物。

 そう、これらは召喚された訳ではないのだ。その身に巣くう極々一部を、表に解き放ったに過ぎない。

「ゼウス、言い付けは守るのよ? イヴ、遊んであげなさい」

 囲まれつつも、リリスの余裕は崩れない。

 頷く二人。

「・・・うむ」

「大変気分が悪いですが、了解です」

 言いつつ、右に控えていたイヴは双剣を取り出す。

 左手には、土の柄に鏡の刀身を持つ、草薙。

 右手には、鏡の柄に土の刀身を持つ、群雲。

 どちらも、とても戦闘用には見えない。

 祭祀用だろうか?

 否、それらは名高き神の剣。

「久しぶりに見ましたが、一度は、この身の内に取り込んだモノ。僕には通じませんよ?」

 四方から迫る、漆黒の波。

 波とは、本来、抗えぬモノを指す。

 カタチ無き影の群れ、捉える事適わず。

 

 必死の瞬間を前に、彼女、何処までも静。

 決死の瞬間を前に、彼女、何処までも熱。

 静寂が支配する。

 熱病に犯される。

 ココに一人の、剣士あり。

「・・・参ります」

 

 イヴ。

 “図書館”司書。

 全ての存在の母。 

 リリスを遠ざけ続けていたアダムが、世界創造の際、自らのパートナーとして創り出した、もう一つの、理想の女性像。

 “知識の果実”の強奪者として有名な彼女だが、事実は違う。

 あれは単に、リリスが楽しみに取って置いたプリンを、二人で食べてしまっただけの話。

 色々な解釈がされているようだが、元はそんな、ただの笑い話だったのである。

 姉妹のじゃれあいは、創世紀から変わらないのだ。

 そんなイヴには、元々、武器と呼べるモノが無かった。

 彼女の身を案じたアダムは、“記録”より再生した双剣を、彼女に与えた。

 それが、今彼女の手に握られているモノだ。

 “慈悲の風”、草薙。

 “慈愛の雨”、群雲。

 守護の任において最大の力を発揮する、これら慈しみの双剣は、その守護対象が持ち歩く事で、恒に最大の力を発揮する。

 

 カタチ無き影の群れ、捉える事適わず?

 

 何をバカな。

 例えば、吹き抜ける風。

 例えば、降りしきる雨。

 それらは、世の全てを包み込む、不可避の剣!

 

 舞うように振るわれたイヴの斬撃は、全ての影を悉く捉え、両断した。

 しかし、

「・・・流石、ですね」

 驚きはイヴのものだ。

 避けられぬ剣は、大蛇にも確かに届いた。

 が、それだけだ。

 少年は、全ての影を掻き消された。

 けれど、その身には、本当に小さな切り傷があるばかりだ。

 それも、当然か、


「力不足ですよ。確かに、それらの剣は避けられない。しかし、所詮は包みこむだけのモノ、滅ぼすモノでもない限り、この僕は倒せない」

 伝説によれば、怪物テュポーンは、その全長が地球の半周程もある大怪物。

 巨大過ぎるその存在は、それに匹敵するだけの、純粋な火力なくしては倒せない。

 

 バカげた話である。

 そんな決定的とも言える力が、一体何処にあるというのか?


「遊びは終わりよ」

 

 ここにある。

 そう、最初から、決着はついていた。

 気が点くと、少年の背後には、大鎌を携えたリリスがいた。

 

 リリス。

 “図書館”副館長。

 “終末の女神”。

 アダムの分身にして、彼の最初の妻。

 自らに匹敵する力を恐れた彼から、長く放逐された過去を持ちながらも、未だ彼を支え続けている、美しき女神。

 その手には、銀の柄の上下に三日月の刃を持ち、満月を模した、巨大なデスサイズ。

 “終焉の幕”、ハルマゲドン。

 ただ二つの“決定剣”、その一振りである。


「・・・まさか、この身で、終末を直に迎えようとは・・・」

 呟きながら、ゆっくりと振り返った大蛇に、振り下ろされる、“終焉”。

 たったの一撃で、彼は倒された。



「・・・はて? どうやら僕は、まだ生きているようですが?」

 まだ、意識がある。

 全身に満ちていた力も、

 自分を苦しめていた負の衝動も、

 綺麗に鳴りを潜めてはいるものの、体の方も、五体満足だ。

「・・・ふんっ!」

「やはり、こうなりましたか」

「ヤレヤレじゃな」

 目の前には、不機嫌な様子で目を合わせようともしないリリスと、

 呆れた様子の、イヴと雷蔵がいる。

 訳が分からない。

 確かに、終わったと思ったのだが。

「・・・どういうつもりです?」

 とりあえず、訊いてみる。

 と、リリスは、なんともバツが悪そうにしながら、

「・・・エキドナ、待ってるんでしょ?」

 その理由の全てを、口にした。

「・・・は?」

 思わず、気の抜けた声が出てしまう。

 仕方がないだろう。

 リリスはそれっきり、口を開こうとしない。

 その態度が、自分にサッサと帰れと告げている。

 その心中を察してしまった彼は、素直に、従う事にする。

 が、この怪物、性格が悪いので、

「・・・それでは、失礼しますよ。お義母さん?」

 と、言い残してから背を向けた。

 エキドナは元々、リリスが娘のように可愛がっていた使い魔の一人なのだ。

「なっ!? 待ちなさいよ! アンタ!」

 顔を真っ赤にして、今度こそはと大鎌を振り上げるリリスを、笑顔で羽交い絞めにするイヴ。

「離しなさい! イヴ!」

「面白いから、御免です」

 照れ隠しである事ぐらい、妹の自分には見え透いている。

 だから、親切心から、止めてあげているのだ。

 ああ、なんて自分は姉思いなのだろうか?

 単純に、この姉の邪魔をするのが快感だ、とかは一切ない自分は、妹の鏡だと思う。

 騒がしい二人を他所に、雷蔵は、去って行く大蛇に声を掛ける。

「・・・今度、酒でも飲みに来い。この次は、二人でな?」

 少年は振り返らずに、黙って手を上げる事で答えた。 

「・・・他の使い魔達が聞いたら、泣いて抗議しそうな一幕でしたね。もう少し、優しくしてあげたらどうですか? 姉さん?」

 イヴの言うとおり、不遇の扱いを受けている憐れな連中は数多い。

 それが、リリスの愛情の裏返しであるというのがまたタチが悪いのだ、ホントに。

 これで“図書館”で待っている連中にいい土産話が出来たなぁとか、邪悪な笑みを浮かべているイヴに、気付いているのかいないのか、リリスは、

「・・・まぁ、考えなくはないわ」

 とか、そっぽを向きながら答えた。

 なんだかんだで激甘で、非情に徹しきれないこの姉は、実は、妹の誇りだったりもする。



 “狂人”は、直ぐに見付かった。

 光の当初の予想通り、あの約束の場所にいた。

 驚いたのは、ソイツがあの時のように焚き火をしていた事。そして、

「・・・久しぶりだな、光」

 人のように、言葉を発した事だ。

 薪を燃やす炎はドス黒く、その背には呪いの霧が立ち込めてはいるものの、そこにいたのは間違いなく、かつての英雄、篝火 刃だった。

 緋色のクセっ毛に、幼さが抜けきっていない顔。背もそれ程高くなく、体格も華奢だ。異端の証明でもあるその緑の瞳に、昔のような意志の光は無く、暗く沈んではいるものの、見間違える筈もない。あの日、ともに試練を勝ち抜き、照れ臭そうにしながらも、その理想をしっかりと語っていたあの少年が、今、光の目の前にいる。

「・・・刃、お前?」

 大き過ぎる衝撃に、立ち尽くす光。

 自分が、酷く場違いな様に感じられる。

 自分は、“狂人”を倒し、かつての約束を守る為に、ここに来た筈。

 だというのに、目の前にいる者の何処が狂っているというのか?

 

 昔と変わらない。

 

 あの日だってコイツは、その背に負っていた筈だ。

 自らの、エゴの対価を。

 そう、それがどれだけのものであろうとも、結局はエゴでしかない。

 そんな事は、自分も彼も承知の上だ。

 その上で、背負った罪。

 その重さに耐えながら、懸命に己の道を進み続けたあの少年と何が違う?

 

 昔と変わっていない。

 

 罪を背負う者として、自分が何処かで共感してしまっていた、あの頃の彼のままだ。

 そうだ、少年は間違いなく、昔の延長線上にいる。

 彼が覚悟していた、破滅の中に、いる。

「驚いてるな? 勘違いするなよ? いつからだったのかすらもうわからないが、俺はとっくに狂ってる。だから今日は、ここでこうして、待っていたんだ。お前が来てくれるような、そんな気がして」

 光を見上げる刃は、とても穏やかな顔をしていた。

 そう、それはまるで、

「・・・」

 声もなく、立ち尽くしたままの光。

「良かったよ。最後にこうして、またお前と逢えた。今の俺には、過ぎた贅沢さ」

 刃は、ゆっくりと立ち上がる。

「・・・」

 光は、動かない。いや、動けないと言ってもいい。

「だけど、遅かったな。お前らしくもないミスじゃないか? どうやら、連れもいるらしい」

「っ!?」

「俺からの、最後のお願いだ。これ以上、俺に殺させてくれるな。守り抜いて見せろ、光」   

 完全に出遅れた。

 間に合わない!


「ハッハッー!! シャーハアッ!!」


 狂い喜び、何処かへと消えた“狂人”。

 追った先で、彼は見た。

 置いて来た筈の彼女を庇い、崩れ落ちる親友の姿を!

 堪らず、叫んだ。

「ミカエル!!」



 駆けつけてきた大バカも、イカレたケダモノさえも、見向きもせずに、

 大地は、悠輝のもとへと駆け寄った。

 無防備な彼女の背中を、容赦なく襲うソレの爪。

 今度こそ、光が防いだ。

 その、光の障壁で。

 初めての経験に驚いたのか、飛び退き、彼を窺うソレ。

 そんな事は、本当にどうでもいい。

 彼に告げたかった言葉とか、悠輝を傷付けたケダモノとか、油断した事の後悔とか、そんな事は、全部全部、本当にどうでもいい!

 今は、ただ!

(まだ! 間に合わせてみせるっ!!)

 悠輝の胸に、空いた大穴。

 一目で判る、致命傷。

 まさしく、死ぬ程痛かったのだろう。

 けれど、それだっていい気味だ。

 そうさ、胸がスッとして、不気味な程静かなくらいだ。

 勝手に命を捨てて、

 勝手に自分を守って、

 勝手に満足して死のうだなんて、なんて勝手な!!

 全く、そんな所まで似てるのか!?

 

 そんな事は赦せない。 

 

 聞こえているか?

 

 そんな事は赦さない。

 

 聴け! 世界よ!

 

 こんな事は赦さないと、このアタシが、そう言ったのだ!


「ふざけてんじゃ、ねぇわよっ!!」

 なんとも口汚い言葉とともに、振り下ろされた、大地の、爆発的なまでに光り輝くその手が、悠輝の胸を捉えた、その刹那、

「ぐわっ! はっ!」

 斬り捨てられた雑魚キャラのような声を上げて、

 勝手な天使が、飛び起きた!

「なっ! なんだっ!? 何が起きたっ!?」 

 慌てた様子で、状況を把握しようとしている悠輝。 

 光は、驚嘆するばかりだ。

(・・・蘇生、させやがった!)

 彼には解る。

 大地は、死者の蘇生という、大き過ぎる矛盾を、強引に、世界に認めさせたのだ。

 そのような荒業、彼すら、二の足を踏む!

 本来、赦されてはならない行い。

 立場上、光には、それをキャンセルする義務もある、あるのだが、


「ぐぁっ! 大地!? 何をする!? 止めろっ!? ごふっ!」

 

 無言で、悠輝を攻撃し続ける大地は、とても恐ろしく、その、優しい顔をしていた。

 本当に、不本意だが、今回だけは、見逃す事にしよう。なんだか、こうして地道に守るのもバカらしくなってきた光だが、彼は、彼の道を行くまでだ。それを、改めて思い知らせてくれた愛しい彼女に、心の中だけで感謝をしつつ、ソレと、対峙する。

「来いよ、“狂人”。大人の義務だ。お前のその子供じみたやつあたり、ちゃあんと受けきってやるから、ドンと来い!」

 挑発する光。

 再び飛び掛かる、“狂人”。

「シャアアアアアアアアッ!!」

 このケダモノをジョーカー足らしめているのは、その狂気にこそある。いかに英雄カガリビとはいえ、その能力はヒトのそれだ。そんな彼の無敗を支えたのは、時に運命すら捻じ曲げる程の強い意志の力だ。それほどの精神力が、膨大な負の情念によって狂い、黒い暴風となって、周囲の全てを、捻じ曲げる。油断していたとはいえ、かの大天使ミカエルを一撃で沈めてしまうなど、とても正気の沙汰ではない。そう、それは狂気の沙汰なのだ。

 そんな、理屈を越えた不条理な攻撃を悉く防ぐ、彼の障壁もまた、“意志”の力を源泉としたモノだ。

「オラオラどうしたっ! そんなもんかよ? もっともっと、甘えてくれていいんだぜ?」

 彼だけではない。

 後ろに控える二人をも守りつつ、その障壁は弱まる気配がない。

 いや、その輝きを増してすらいる。

「なんて、デタラメな」

「・・・相変わらずの、“独裁者”ぶりだ」

 大地にだって解る。

 あの黒の一撃が、どれほど不吉で恐ろしいモノなのか。

 今となっては、悠輝に感謝せざるを得ないだろう。

 アレを喰らっては、彼女とて殺される。

 ソレを悠々防ぐ彼は、やはりバカげていた。

「“独裁者”ね、確かに」

「そうだろう? 俺が考えたんだ」

 悠輝は何処か自慢げだ。

 何を威張っているのだ、このバカ二号は。

 そんな二人が見守る中、光の胸中は、実は一杯一杯だった。

(・・・なんて不条理だよ、オイ)

 相手の事を言えないが、目の前のケダモノも相当メチャクチャだ。

 防ぎきるのだって、強がってはいるが、後数分が限界だろう。

 恐るべきは、目の前のソレの力の源。

理想を語った少年の、その意志の強さは、まぎれもなくホンモノだった。

「シャッハッ!! ハッハッハッハッ!!」

 “狂人”は、ただ闇雲に、その黒い焔爪を振るい続ける。

 その、黒炎に込められた呪いは、余りにも深く、暗く、重い。

 一撃必殺の、呪いの爪。

 光の身体能力、それ自体は驚く程に低い。

 桁外れの行いも“意志”あればこそだ。

 これ程の爪、掠っただけでも、バラバラにされかねない。

 

 だから、そろそろ限界だ。

 友人との約束を、今こそ果たす。

 それが、彼の望み。

 名残惜しいのは、我慢だ。


「何っ!? アレ!?」

「アレだ、アレに俺達はやられたんだ」

 

 大地が、その存在に震えている。

 悠輝が、その存在を恐れている。

 光がその手に出現させたのは、一振りの剣。そう、剣だ。なんの特徴も、装飾もない、ただの剣。しかしそれは、ただ剣であるがゆえに美しい。

 神代の終わり、“神々の黄昏”と呼ばれる出来事があった。この頃、神々の数限りないワガママによって、世界は崩壊の危機に瀕していた。そこに、“彼”が現れた。図書館長アダムは、神々の“永劫回帰”を強引に決定。その剣の、ただの一振りで、神々の時代は終わった。

 それが、“前進の意志”、ラグナロク。彼の“意志”。

 リリスが持つハルマゲドンと並ぶ、“決定剣”の一振りである。


「俺達が、束になって掛かったっていうのに、皆纏めて、たった一振りにしてやられたんだ。だから、アイツは“独裁者”なんだ」

「・・・」

 大地は言葉もない。

 恐れた訳ではない。

 その剣の美しさに、見惚れていただけだ。

 なんとなく、持ち主のバカに似ているような気がする。

 ようするに、その在り方がだろう。

 単純な所が、ソックリだ。


「“記録”へと還れ、そしてどうか、安らかに」 

 剣が振り抜かれた時、“狂人”は、既にこの世を去っていた。

 

 見送っているのか、空を見上げる彼の顔は、その空のように、何処までも晴れやかだった。



“狂人”討伐の明くる日の朝。

 午前5時。大神 大地、起床。

 普段よりも1時間遅いが、例のランニングが禁止された以上仕方がない。

 今日も今日とてイビキの響く家を出て、いつもの土手へとやってきた。

 一通りの柔軟だけこなして、寝転がる。

 心地良い筈の朝の空気も、今日は50点だ。

 いつだったか、隣で騒いでいたバカももういない。

 昨日は、告白と被告白という、バカデカい二つのイベントがあったのだ。

 流石に、タフな大地の心もヘトヘトである。

 あれから、彼等の思い出の場所だという、山奥の開けた場所に、お墓を建て、何やら感傷に耽っていた大バカに、不謹慎だとは思ったけれども、言ってやった。

 それが目的であの時追い掛けたのだし、思ったよりもすんなり声が出たので、叩きつけるように、言ってやった。

 いや、その時の台詞は、恥ずかし過ぎるので、秘密だが。

 だっていうのにあの大バカは、


「ん? ああ、そう、いいんじゃない?」

 

 これだ!

 バカだバカだと思ってはいたけれど、まさかあそこまでの大バカだったとは!

 あげく、抜け殻になっている自分を放置して、さっさと歩いて行きやがったのだ!

 

 殺してやりたい!

 

 その上、その上だ!


 その状況を好機と見たのか、あのバカ二号。

「俺は心の底から、君だけを愛しているぞ、大地。俺が必要になった時は、いつだって呼んでくれ」

 とか、いっそ堂々と言い放ってくれちゃった後、あろうことかソイツまで、自分を放置してくれやがったのだ!

 度重なる精神的ショックからなんとか立ち直り、慌てて帰った自宅には、門の前で待っていてくれたらしい、雷蔵しかいなかったのである。

 あの老人、何かを懸命に訴えていたようだが、そんなものは全部左から右だ。

 ヤケ喰いして、

 フテ寝して、

 今に至る。

「・・・なんだかなぁ」 

 あんまりにもあんまりではないだろうか?

 バカ一号は挨拶もなしに姿を消すし、その付き人達も同様だった。

 バカ二号だって、必要な時は呼んでくれって、一体どう呼べというのだろうか?

 連絡先の一つも渡さずに、サッサと何処かへと行ってしまったクセに。

 まさか、自分に妖しい召喚儀式でも求めているのだろうか?

 そんなモノは知らないし、知りたくもない。 

 そうだ、試しに空に向って叫んでみるか?

 調度、なんか叫びたい気分だし。



「・・・はぁ」

 始業前の教室で、溜め息一つ。

 なんとあのバカ二号、ホントに来やがったのだ!

 慌てて蹴り帰してやったのだが、もしかすると、どこぞに潜んでおるのやも知れぬ。

 今更ながら後悔する。蹴り帰すまえに、バカ一号の事を訊いてみるべきだった。

 同じバカ同士、連絡を取り合っているのかも知れないし。

 とはいえ、もう人も大分集まっている朝のクラスで、突然奇声を上げる程、自分は愉快な人間ではない。

 そうだ、昼休み、屋上でというのはどうだろう?

 

 担任の新田 巴が、HRの開始をつげている。

 

 いや待て、そもそも自分は奇声を上げるような人間ではなかった筈だ。

 

 皆が挨拶の為起立する中、ただ一人着席したままの大地。

 

 いや、しかし、むむむ、

 

 彼女は気付いていない。

 光の席として用意されていた彼女の隣の席は未だ顕在で、

 更に後ろには新に二つ、空席が用意されている事に。

 ようするに、


「遅刻しました! あ、それからこの二人、新しい転校生だから、よろしくね! 新田先生?」

「リリスよ」

「イヴといいます」


 またしてもやって来た不幸に半泣きになる新田教諭を他所に、

 不覚にも数秒惚けてしまった後、彼女は立ち上がった!


「だ・か・ら、少しは隠そうとか思わないのか!? アンタ達は!?」


 答える、例の服を着た三人組。


「「「当然!」」」



「で、何でお前までいるんだよ、悠輝?」

「呼ばれたからだ」

 昼休みの屋上で、妖し過ぎる五人が昼食を取っている。

 予期せぬ事態から生じた食糧不足を乗り切る為、そして、購買という名の戦場から、パンという戦果を勝ち取る為だけに呼ばれたというのであれば、それは、

「体の良いパシリじゃねぇか。大天使ともあろうものが、嘆かわしいねぇ・・・」

「彼女の優先順位は貴様よりも上だからな」

 なぜかハイテンションになっている大地は、大声で叫ぶ事を一切躊躇わなかった。

 ああ、彼女のキャラが壊れていく。

「『アタシは! アンタが好きなんだ! だから、傍にいてくれなくちゃイヤだ!!』」 

 例の台詞をリリスとイヴに熱演され、人目も憚らずにガイア化して、飛び掛かる大地。

 元は、大地の分だったらしい弁当を頬張りながら、それを見詰める光に、悠輝が訊ねる。「どういうつもりだ?」

「何が?」

 惚ける光。

「学生に混じるなど、正気とは思えん。ましてやお前達は、一所に留まる事など出来んだろうに」

「ん~、何とかなるんじゃないか?」

 まだ、惚ける気か。

「俺は、その理由を訊いているのだ」

 惚けるのも、そろそろ限界か。

「・・・誓っちゃったんだよねぇ」

「何を?」

「安全が確保されるまでの間、護りきるってさ」

「何を言っている?」

 悠輝には、理解しかねるらしい。

「どうにも、アイツの心の安全を確保するには、俺が必要みたいでね。それじゃあ、仕方がないかってね」

 キザなヤツだ。

「・・・正気とは思えん」

 苦笑している悠輝。

「ははっ! 俺も、そう思うよ」

 笑う男二人を他所に、じゃれ合う女三人。

(愛しい彼女達を守る為ならば、そうさ、喜んで、愛に狂ってやる)


 見上げた空には、ワガママで美しい太陽が、今日も眩しく輝いている。 

 

 雲の流れに行き先尋ね、

 風のきまぐれに身を泳がせる。

 彼女達の声を聴き、

 その温もりを幸せと知る。

 原初の荒野でキミと出逢った。

 あの楽園でキミを忘れた。

 旅路の辛さがただ恐ろしくって、

 泣いてたボクラをキミが叩いた。

 いつか見つけた確かなヒカリ、

 求め巡るよ、キミラと供に。


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