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 クロエとマリナが切り開いた包囲を突き進み、後方にあるミズンマストに着いたルカが見たのは、マーメイドと海賊たちとの凄まじい激戦だった。

 メルティナたちがいる船尾楼甲板を守るように十人あまりのマーメイドが展開。

 押し寄せる海賊たちと斬り結ぶ。

 その中に、アテネの姿はあった。

 いや、正確には、アテネは単騎で海賊たちの中心で舞っていた。

「死ね、マーメイド!!」

 アテネの周囲を二十人を越える海賊が取り囲み、四方八方から斬りかる。

 だが、アテネの足には、《聖盾アイギス》と呼ばれる白銀のソールレットがあり――

「――――やッ!」

 と、鋭い掛け声と共に放たれた上段回し蹴りが、銀閃となって空間を真横に薙ぎ払う。

 その威力は凄まじく、海賊たちが持つ鋼の武器が薄氷のように蹴り砕かれ、三人が大きく吹き飛んだ。

 蹴りの残光が尾を引く中、アテネは両手に握る《双銃グラウクス》を海賊たちに突き付けトリガーを引く。

 ズバンッと、至近距離で炸裂した水弾が、二人の海賊を船外まで吹き飛ばした。

「この、化け物が!」

 背後から肉厚の鉈を振り下ろしてきた海賊に対し、アテネは振り向き様に、鉈ごと蹴り砕いて頭部にハイキックを叩き込む。

 同時に、バレエのカンブレのように身体を弓なりに後ろに反らし、銃を交差して左右から斬りこんで来る海賊たちを撃つ。

 水弾を胸に受けた海賊たちが、もんどりうって甲板に倒れこむ。

 アテネはそのまま、手を使わず軽やかに後転して上体を起こし、最後の一人を蹴り飛ばした。

 一瞬で十人近くもの海賊を無力化したアテネ。

 見ればその周囲には、無数の海賊たちが倒れ伏していた。

「や、やつに近寄るな、距離を保って撃ち殺せッ!」

 海賊たちは、接近戦では敵わないと思い知ったのだろう。

 アテネを遠巻きに取り囲み、短銃や長銃を向けて次々に引き金を引いた。パパパンッと、銃声がこだまし、様々な属性弾がアテネを襲う。

 だが、その時には既に、アテネの姿は空にあった。

 明け始めた空に優美な動きで宙返りしたアテネは、《双銃グラウクス》を甲板に向けた。

「――――聖霊よ。裁きの雨となれッ(ジャッジメント・レイン)!! 」

 バチリとアテネの身体から雷光が炸裂して、聖術が発動。

 一発一発が針のように鋭い水の散弾が、豪雨となって甲板に降り注ぐ。

 くぐもった悲鳴が次々に上がり、倒れこんだ海賊たちの中心に、アテネはふわりと降り立った。

「黎明の空に舞う、蒼い梟……か」

 と、ルカは呟いた。

 アテネが本気を出して戦う姿は、神話にある《勝利の女神パラス・アテネ》のように、強く、美しく、なにより華麗であった。

 ルカの視線は、アテネに釘付けとなっていた。

 身体は熱を持ち、口の中は渇き、心臓は痛いほどに高鳴る。

 魂が震えるとは、まさにこの事だろう。

 ルカがこれほどまで胸を打たれたのは、これで二度目であった。

 一度目は、初めてアテネに出会った時。

 二度目は、今、この瞬間だ。

(刀を持たない今の俺では、あの隣には遠く及ばない。だが、必ず……必ず、追いついて見せる)

 『七星一刀流』の真価は、『刀』を持って初めて発揮される。

 刀を持たない今のルカは、ガンマンでいえば銃を持っていないのと同じだ。

 だが、ここは大和の国から遠く離れた、異国の海。

 刀を手に入れるのは、至難の業だろう。

 ルカは両手のカトラスを握りしめながら、アテネの強さと、美しさに見惚れ――背後からの『敵』の接近を許してしまう。

「戦場で余所見たぁ、よっぽど死にたいようだね!?」

 ルカの背後に立つ赤黒く焼けた肌の大女が、血で濡れた巨大な斧を振り下ろした。

 鋼の刃が真っ二つせんと、唸りをあげて迫り来る。

 だが、ルカは振り向きもせず、半歩身体をずらしただけで、攻撃を回避。

 甲板に斧の刃先が食い込み――

「ッ!?」

 斧を振り下ろした女海賊が、恐怖で息を飲む。

 何故なら、ルカは前を向いたまま、二刀のカトラスを十字に交差して、海賊の首筋にピタリと押し当てていた。

「武器から手を離して降伏しろ。少しでもおかしな真似をすれば……首を飛ばす」

 凍えるように冷徹な声。

 あと、数ミリでも刃が食い込めば命を奪える。そんな状況でありながら、ルカの瞳はアテネを見つめたままであり、それがさらに相手の恐怖を駆り立てる。

「ま、参った。こ、降参するよ……」

 女海賊はそう言って、斧を手放そうとする。

 だが、その時。

「――斧を離してみなさい、アルビダ。この私が、じきじきに殺してあげるわよ」

 美しくも毒を秘めた声が響く。

 アルビダと呼ばれた女海賊は一気に青醒め、斧を握る両手をガタガタと震わせた。

 声の方に視線を向けたルカが見たのは、薔薇の如く真紅の髪をなびかせる絶世の美少女だ。

 だが、その美貌は、優しく包み込むようなアテネの美しさとは真逆で、近付く者を容赦なく傷つける鋭い蕀に覆われていた。

 彼女こそ、黒髪海賊団の船長であるエドワード・テュッティである。

 テュッティの後ろには、一見してただ者ではない使い手の海賊が二人控えていた。

 浅黒い肌の大柄の海賊は、巨大な金剛棒を持ち。

 背は高いが細身の海賊は、華麗な装飾の細剣を持つ。

 そして、

「海賊は捕まれば、奴隷か、縛り首よ。つまり降伏は死を意味する。なら、命尽きるまで戦い、一人でも多くの水兵を道連れにするのが、海賊というものでしょう?」

 テュッティは真紅の目を細め、酷薄な笑みを浮かべる。

 次の瞬間。

「うがあああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 アルビダと呼ばれた女海賊が凄絶な雄叫びを上げながら、血走った目で斧を振り上げた。

「――――斧を離せと言った」

 直後、女海賊の身体に幾つもの銀線が走る。

 ルカが二刀のカトラスを、迅雷の如く振り抜いたのだ。

 アルビダの全身から血が噴き出し、振り上げた両手から斧が滑り落ちる。一泊置いて、巨木が倒れるように、巨漢の女海賊が甲板に沈み込む。

「ふん、雑魚を幾ら集めても無駄ね。露払いにもならないわ」

 テュッティは、血塗れで倒れる部下を冷たく見下ろす。その真紅の瞳には、怖気立つほど冷徹な光がたたえられていた。

「それが……死ねと命じた仲間にかける言葉か……?」

 ルカはカトラスを振り払ってテュッティに向き直る。

「ふふ、黒髭たるこの私に善悪を問うなんて、コロンビアの水兵は酒にでも酔っているのかしら?」

「酔っているかどうか、試してみるといい」

 ルカの二刀のカトラスを構えて、黒髭と対峙する。

 その漆黒の瞳には、海賊に対する憎悪が渦巻いていた。

「駄目よ。順番は守らなければ。私と踊りたいなら、まずはその子にとどめを刺してからにしなさい」

 テュッティは、倒れ伏すアルビダを指さす。

 ルカが斬った女海賊は、まだ生きていた。

 だが、

「――――断るッ!」

 ルカは鬼狩りの子だ。

 斬る覚悟も、命を奪う覚悟も、物心ついた時分に済ませてある。

 だが、同時に、七星一刀流を教わった師から、『一人』を斬ると決めたからには、『万人』を救う覚悟で斬れとも教わった。

 それは簡単に斬るより、よほど困難な剣の道だと。

「どうやら、ただの偽善という訳でもないようね。でも、これならどうかしら?」

 テュッティは腰のベルトから短銃を引き抜き、一切の迷いなく、アルビダに向けトリガーを引いた。腹に響く音がして、炎弾が発射され――

 ルカは左右のカトラスを振り抜いていた。

 銀閃が空間を十字に断ち割り、直後に後方で四つに切り裂かれた炎弾が、小規模な爆発を連続させた。

 銃弾を斬るという絶技を見せたルカに、テュッティは肉食獣のように目を細め、後ろの二人は感心したように口笛を吹く。

「なるほど、吠えるだけの実力はあるようね。この船には『目』の良い奴がいると思っていたけど、お前がそうなの?」

「さあな」

「ふふ、黒髭を前に随分とかぶくじゃない? その黒髪黒眼といい。男勝りな物言いといい。気に入ったわ。メルティナを殺る前に、少しだけ遊んであげる」

 楽しげな笑みを浮かべるテュッティは、真紅の瞳を爛々と輝かせる。

 その身から発せられるのは人外の如き鬼気であり、テュッティの凄まじい戦闘力を物語っていた。

「…………」

 ルカは背中に冷たい汗をかく。

 目のいいルカにはわかっていた。

 刀を持たない今の己では、どう足掻いてもテュッティに敵わないと。

 アテネが《戦神》だとするなら、テュッティはまさに《鬼神》であった。

 まともに対抗出来るのは、艦長のメルティナか、海兵隊長のセラフィナか、『冷静』になったアテネぐらいだろう。

(まったく、すぐに熱くなるのはあいつの悪い癖だ)

 母が撃たれた事で、今のアテネは怒りのままに戦っている。

 その人間性をルカは好ましく思うが、目の前に立つ敵は、それで勝てるほど甘い相手ではない。

(腹が減れば気も収まるだろう。なら、今の俺に出来るのは――)

 アテネのために時間を稼ぐだけだと、ルカは左右のカトラスを構える。

 と、その時。

 ルカの漆黒の瞳は、空間の微かな違和感を捕らえ、

「ッ!」

 直感に従い横に飛んだ。

 刹那、頬を何かがかすめ、乾いた音と共に、先程までルカが立っていた甲板が木っ端微塵に砕け散る。

「へぇ、今のを避けるなんて、偶然かしら? それともその目が成せる技かしら? 」

 テュッティは腰に手を当て、感心した声を上げる。

「それは……鞭か?」

 頬から血がしたたり落ちるのをそのままに、ルカはテュッティが右手に持つ、夜の闇を溶かしたかのように黒くて長い鞭を見やる。

「ええ、そうよ。海龍の髭から鍛えられし、鋼よりも固く、乙女の髪よりしなやかで、どんな刃よりも鋭い《龍鞭アイドネウス》。私たちが黒髭海賊団と呼ばれている由縁でもあるわ」

 アイドネウスとは、冥王ハデスの別名であり、その意味は――

「『目に見えないもの』……まさに名の通りか」

「博識ね」

「そういう話が好きな仲間がいたんだ」

 ルカの言葉に、テュッティは何かを思案するように顎に指を当て、

「うん、決めた。お前、私の仲間になりなさい。水兵にしておくには惜しいわ」

「…………酔っているのは、そちらじゃないのか?」

「私の部下にも元軍人が何人もいるわ。別に、珍しい事じゃないでしょう?」

「悪いが、ここの水が性にあっているんだ」

「嘘をいいなさい。お前、組織に属するタイプには見えないわ。どちらかといえば個に忠誠を尽くすタイプでしょう?」

 テュッティは見透かすような目でルカを見ながら、真っ赤な唇を妖艶に撫でる。

 ルカの脳裡に真っ先に浮かんだのは、アテネの顔で――

「そう、かもな」

 それが妙に気恥ずかしくて、ルカは誤魔化すように肩をすくめた。

「正直に答える気はなさそうね。でも、そのグローブで隠している真新しい手枷の痕を見れば、大方の予想は付く。お前……奴隷ね?」

「…………」

 ルカはグロープから僅かに覗く手枷の痕を一瞥し、テュッティに視線を戻す。

「奴隷だというなら、カリブの海でも二人と見ないその容姿にも納得がいくわ」

「随分と、目がいいんだな」

「お前ほどじゃないわ。で、その口振りだと当たらずとも遠からずといったところかしら?」

「ああ、俺は奴隷だ」

 ルカにとって不快な会話であったが、時間を稼ぐため相手に乗ることにした。

「幾らなの? お前の価値は?」

「…………一〇〇〇シリング」

「そう。なら、これを受け取りなさい」

 テュッティは右手から指輪を引き抜くと、ルカに投げてよこした。

 カトラスの切っ先で指輪をキャッチしたルカは、真紅の宝石が嵌め込まれた見るからに高価そうな指輪に、怪訝な表情をする。

「これは?」

「手付金よ。ちゃんとした宝石商に見せれば、最低でも二〇〇〇〇シリングの値がつくわ。私の元に来れば、血塗られた闘争と引き換えに、この世のあらゆる贅と快楽を享受させてあげる。どう、仲間になる気になった?」

 彼女の言葉を信じるなら、この小さな指輪一つで二〇〇〇〇シリングの価値があるという。ルカがこの艦で三年働いて一〇〇〇シリングということを考えれば、如何に高価な代物かわかるだろう。

「……………………」

 ルカは左右のカトラスをベルトに差すと、指輪を手にテュッティに歩み寄る。

 テュッティの後ろに控える二人の海賊が、近寄るルカに警戒を示して武器を構えるが、

「控えなさい、オーガ、シルフィ」

 と、テュッティは楽しげな笑みを浮かべてたしなめる。

 ほどなくして、ルカはテュッティの前に立つ。

「答えは出たようね?」

 テュッティは鞭を持つ右手を腰に当て、真っ直ぐにルカを見つめる。

「ああ、これが俺の答えだッ!!」

 ルカはおもむろにテュッティの左手を掴むと、相手の『薬指』に先程の指輪を嵌めた。

 この時、ルカに『他意』はなかった。

 左手をつかんだのは相手が右手に鞭を持っていたからだし、薬指を選んだのは指輪のサイズにピッタリだったからである。

「俺は、俺自身の手で、自由を取り戻すために戦っている。もう誰にも奴隷として買われるつもりはないッ!」

 ルカは毅然と言い放った。

 家族のために奴隷となったルカにとって、人を傷つけ富を奪う海賊は、決して相容れない存在であった。

 ましてや、目の前の少女こそが、ルカの乗っていた商船を襲った海賊かもしれないのだ。仲間の仇かもしれないのだ。

 そんな奴らの仲間になど、なれるはずがなかった。

 大和の国では贈り物をそのまま返すのは、非常に無礼な行為にあたる。

 ルカは『熨斗のし』をつけて指輪を叩き返したつもりだったが、テュッティらの反応は予想とは違った。

「――――ッ」

 テュッティは何故か頬を赤く染めてルカを睨み、後ろの二人は唖然と口を開いて動きを止めた。

 ルカは相手のおかしな反応に、内心首をかしげる。

 左手の薬指に指輪を嵌めるのは、西洋ではプロポーズを意味する事を、ルカが知るはずもなかった。

 と、その時。

 突如、真剣な表情に戻ったテュッティが、薙ぎ払うように龍鞭を振るう。

 その一撃は、まさに猛る龍尾のようで、ルカは咄嗟に後ろに跳んで、二刀のカトラスで攻撃を受け流すが――二刀のカトラスは、一瞬の抵抗も許されず粉々にへし折れた。

「くっ、やはり、こんな武器では駄目か……」

 甲板に着地したルカは、苦々しい表情で折れた武器を投げ捨てる。

「どうやら、遊びが過ぎたようね。お前の相手は後よ」

 テュッティはルカではなく、その背後に視線を向けていた。

 見れば、周囲の海賊たちを掃討したアテネが、ルカの戦いに気付きこちらに走り寄って来ていた。

「ルカから離れなさいッ!」

 アテネは走りながら、双銃を構えてトリガーを引いた。銃声と共に発射された二発の水弾が、テュッティに向かって超速で飛翔する。

「目覚めなさい、アイドネウスッ!」

 ルカの視界を覆ったのは、紅蓮の焔であった。

 テュッティの振るう龍鞭が、真紅に燃え上がって水弾を叩き潰した。

「怪我はありませんか、ルカ!?」

 ルカの元に駆けつけたアテネは、油断なく銃を構える。

 その表情にはルカが案じていた怒りはなく、冷静さを取り戻しているように見えた。

「心配ない。かすり傷だ。それより気を付けろアテネ。あの鞭は見た目以上に伸びるぞ」

「わかりました。ここは私に任せて下さい」

「大丈夫か?」

「もちろんです。私は、ルカの教育係りですよ!」

 アテネはルカの期待に、表情を引き締めて飛び出していった。


  ◇


 アテネとテュッティは、一進一退の凄まじい攻防を繰り広げていた。

 唸りを上げて風を斬り裂く《龍鞭アイドネウス》を、アテネは《聖盾アイギス》で蹴り防ぐ。

 真っ赤な火花が散る中、アテネは反撃に転じた。

 《双銃グラウクス》から、銃声と共に鋭い水弾が発射されるが――

「私のアイドネウスは、銃弾よりも速いわ!」

 テュッティが手首を僅かに動かすと、龍鞭が複雑な軌跡を描いて水弾を叩き潰した。

 さらに、

「これはお返しよ!」

 パァンと、鞭の先端が音速の壁を貫き、うねる大蛇のようにアテネを襲う。

「この《聖盾アイギス》の前では、如何なる攻撃も無意味です!」

 アテネの蹴りが銀閃の弧を描き、龍鞭を正面から蹴り落とていく。

 だが、テュッティの攻撃は止まらない。

「随分と素敵な靴を履いているじゃない。でも、人魚に靴は不要ではないかしら!?」

 テュッティの身体から雷光が炸裂し、龍鞭が紅蓮の炎に包まれた。

 炎は紅蓮の大蛇となって、アテネを消し炭にせんと甲板を這って迫る。

「《聖盾アイギス》よ。水壁となれ!」

 バチリと、アテネの身体からも雷光が炸裂。

 青い光を放つ白銀のソールレットで、アテネはヒッパッと宙に綺麗な円を描いた。

 青の軌跡はそのまま水流の円盾となり、紅蓮の炎蛇の侵攻をことごとく防いだ。

 アテネは間髪入れず、反撃に転じる。

(あと、もう少しが攻めきれない)

 銃のトリガーを引きながら、アテネは冷静に戦況を分析していた。

 一見互角の戦いに見えるが、その実、手詰まりを感じていた。

 決定打が足りないのだ。

 アテネは《聖盾アイギス》と、持ち前の体術により鉄壁の防御を形成。さらに、《双銃グラウクス》で遠距離から攻撃する手堅い戦法を取っていた。

 対するテュッティは、変幻自在な龍鞭による攻撃を絶え間なく放ち、あらゆる角度からアテネの防御を突き崩そうとする。

 最大の問題は、アテネが己の『間合い』で戦えていない事だろう。

 アテネが最も得意とするのは、刃が触れ合う超接近戦であった。

 だが、こちらが攻めるために踏み込めば、相手は退きながら強烈な一撃を叩き込んでくる。

 逆に、こちらが離れれて体勢を整えようとすれば、鞭の間合いから逃さぬよう距離を詰めてくる。

(戦運びが巧い……)

 個の戦闘力では互角でも、テュッティは常に己の間合いで戦場を構築していた。

 戦いの流れを掴んでいるのは、確実に相手の方だ。

(このままでは埒があきません。被弾覚悟で討ちに行くべき……?)

 肉を切らせて骨を断つ。

 そう考えに至ったところで、アテネは強い視線を感じた。

 テュッティから目を離さず、意識だけ視線の方に向ければ、戦いを最も近くで見守るルカが「駄目だ」と目で語っていた。

 その瞬間。

 極度の緊張に晒されていたアテネは、己の視野が知らぬ間に狭くなっていた事を思い知り、胸の内に爽やかな風が吹き抜けるのを感じた。

「――――わかりました、ルカ」

 アテネの表情には、本人でも気付かぬうちに笑みが浮かんでいた。

 そうだ。一人で戦っている訳ではなかった。

 ルカも共に戦っているのだ。

 焦りは消え去り、不安は勇気に転じた。

 四肢に力がみなぎり、視界が広がっていく。

 いける――と、アテネが思った。

 まさに、その時。

「メルティナの『娘』と聞いて、どれほどの強者かと期待してみたけれど、とんだ期待外れだわ」

 全ての流れを断ち切るように、テュッティが天使のような声で、悪魔のように毒を含んだ言葉を吐く。 

 それが挑発だとわかっていても、英雄である母に対して強いコンプレックスを抱くアテネは、その瞳に怒りの炎を灯す。

 さらに、

「この程度の言葉遊びで感情を揺らすなんて、やはり駄目ね。未熟よ、お前」

 鞭で甲板を打ちながら、テュッティは冷たく吐き捨てた。

「ッ」

 明確な侮辱にアテネの表情は険しさを増す。

「先が見えた勝負を続けるほど退屈な事ってあるかしら? これ以上私と踊りたければ、もっと強くなってから出直しなさい」

「そこまでの大言を吐くのであれば、今すぐ私を退けてみたらどうです?」

「ふふ、本当にいいの?」

「…………何がです?」

「偉大な母を持つ『苦労』は知っているわ。なればこそ、私はお前に同情した。母が見ている前で手も足も出ずに敗北したのでは、マーメイドの名が泣くと思ってね」

「手心を加えたとでも言いたそうですね?」

「だとしたら?」

「あなたはその言葉を、牢獄の中で永遠に後悔することになるでしょう!」

 アテネの周囲に高まるエーテルが、大気と干渉して雷光となって散る。

 青い髪は光を帯びて揺らめき、青い瞳は煌々と輝きを放つ。

「《聖盾アイギス》よ! 悪しきを祓う光となれ!」

 高らかとアテネが叫べば、その声に応えるように聖霊器たる白銀のソールレットから蒼き光と共に水飛沫が上がる。

 次の瞬間。

 アテネの姿はその場からかき消えていた。

 いや、消えたかと思うほどの神速で、テュッティに向けて突撃したのだ。

 だが、

「さぁ、牙を剥きなさいアイドネウスッ! 好物のマーメイドよ!!」

 アテネの動きを読んでいたテュッティは、紅蓮の炎を纏った龍鞭を振るう。

 先ほどの炎蛇とは比べ物にならない、巨大な炎龍が人魚を喰らおうと迫るが、

「はぁあッ!」

 アテネは左足で甲板を踏みしめ、迅雷のような右蹴りを放つ。

 極限まで鍛え上げられた技が、聖術となって発動。

 蹴りに合わせるように巨大な水の刃が甲板から噴出して、うねる炎龍を真下から貫く。

 水の刃は次々に噴出し、炎龍をズタズタに引き裂いた。

 トンッと、右足を甲板につけたアテネは、炎がかき消された龍鞭に向け、今度は蒼き流星の如き左蹴りを放つ。

「――――ッ」

 龍鞭が大きく跳ね上げられ、テュッティが驚くように小さく息を呑む。

「取りましたッ!」

 致命的な隙を晒すテュッティに双銃を向けたアテネは、勝利を確信してトリガーに指をかけるが――

「――――龍の髭は『二本』あるのよ。覚えておきなさい」

 テュッティは、死の微笑を浮かべる。

 その左手には、もう一つの『龍鞭』を握られていた。

「双鞭!?」

 アテネが相手の罠に嵌った事を知った直後、おぞましい殺気と共にテュッティが鞭を振るう。

 と、その時。

 漆黒の風が吹き、ドンッと衝撃がしてアテネは『誰か』に抱き締められた。

 一体何がと思った矢先、雷鳴のような音が鳴り響き、

「――――ッッッ!」

 アテネを抱き締めた『誰か』は悲鳴を押し殺すが、その背中からは真っ赤な血が吹き上がる。

「う、嘘……そ、んな…………」

 アテネは血が凍る思いであった。

 何故なら、アテネの目の前には『黒水晶の首飾り』が揺れているのだ。

 まさかそんな――と、恐る恐る顔を上げたアテネは、自らの予想が的中していた事を知る。

「…………ル、カ?」

 ルカの背中は、左腹から右肩にかけてごっそり抉れており、傷は骨にまで達していた。

 命に関わる重症であることは、誰の目にも明らかであった。

 なのに、

「け……怪我は、ない……か?」

 掠れるような声でルカはアテネを案じ、その身を気遣う。

「ああ、ルカ!? わ、私のせいで、私の……ッ!」

「冷静に……なれ、アテネ。君は、強い……決して、あいつなんかに負けは、しな……――」

 ルカはそこまで言って、力尽きるように気を失った。

「ッ、ルカ!? しっかりして、ルカ!?」

 崩れ落ちるルカを抱き留め、アテネは叫ぶ。

「ふん、目の良い奴隷のおかげで命拾いしたわね。どうやってそこまで手懐けたのか聞いてみたいわ」

 テュッティは苛立つように吐き捨てた。

「ルカは、ルカは、奴隷ではありません!」

「なら、愚か者ね。お前のような女を庇うために、自ら死地に飛び込んだのだから」

 テュッティはもう用はないとばかりに、アテネたちから視線を逸らす。

「――――聖霊よッ」

 アテネはルカを守るように抱きしめながら、水の聖霊の力により、血がこれ以上流れ落ちないよう必死で止血する。

 青い瞳からは大粒の涙が零れ落ち、喰いしばる唇からは嗚咽が漏れる。

 その姿には、もう戦う気力はどこにも感じられなかった。


  ◇

 

「お嬢、トドメは?」

 オーガと呼ばれた大柄の女海賊がそう尋ねる。

「弱者を嬲る趣味はないわ。捨て置きなさい。それより、本命のおでましよ。気を引き締めないと……死ぬわよ」

 テュッティの視線の先には、船尾の海賊たちを全ての排除したメルティナ率いる海兵隊の姿があった。

「流石は黒髭の一味。どの子も粒揃いの精鋭だった。でも、私の可愛い水兵たちも負けてはいないでしょう?」

 メルティナは血のついた白銀の剣を振り払う。

「そうね。確かにそそられる子もいたわ」

 妖艶な表情で、意味ありげに微笑むテュッティ。

 その視界の端には、重症のルカを、アテネと二人の水兵が抱えて運び出す姿が見えた。

「降伏する気は?」

「残念だけど、今、最高に身体が火照っている最中なの。この昂りは、お前の血でしかおさまらないわ」

「では、刃にて決着をつけるとしましょう」

「トライデントを失った海の女神など恐るるに足りない。お前を殺して、この船も、鋼の大砲も、ラム酒も、可愛い水兵もみんな戴くとにするわ」

「そう上手く行くかしら? この船には私よりずっと恐ろしい鬼が棲んでいるのよ」

「戯れ言を!」

 テュッティはそう言って、龍鞭を振う。

 同時に、メルティナは白銀のサーベルを横薙ぎに振るった。

 激しい音と火花が、戦い開始を告げるように凄絶に散る。 

 始まったテュッティとメルティナの対決を、誰もが見守る中――

「風が吹いているのに、何処からこんな濃霧が……」

 テミスがそう呟いた。

 船の周囲に、突如として濃い霧が立ち込め出したのだ。 

 霧はどんどんと密度を増していき、数メートル先の景色すら朧気にしていく。

「――――艦長ッ!」

 と、航海長のミラルダが叫び、

「――――お嬢ッ!」

 同時にオーガと呼ばれる海賊が叫んだ。

 海軍と海賊。

 相反する存在ながら、互いに海で生きるメルティナとテュッティの二人は、この霧の『正体』を知っていた。

「ふん、どうやら無粋な『邪魔』が入ったようね」

 テュッティは左右の鞭を一瞬で巻き取る。

「黒髭海賊団を捕らえるまたとない機会だったのに、残念だわ」

 メルティナもまた、サーベルを鞘へとおさめた。

 直後、

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」

 霧の向こうから、身の毛もよだつ獣の声が響き渡る。

 見張り台に登る水兵が見たのは、霧の合間に蠢く、マストの柱ほどの太さがある巨大な触手で、無数の吸盤が蠢動していた。

「――――く、クラーケンだッ!!」

 その声に、甲板にいる全ての者に緊張が走る。

 《大海獣クラーケン》

 大地神エノシガイオスが、海を穢すために生み出したと云われる海獣の中でも、クラーケンは、最も狡猾で、最も恐れられる海の悪魔である。

 島のように巨大な身体に、無数の太い触手を持ち、鰐のようなゴツゴツした肌と、龍と猿を合わせたような恐ろしい顔を持ち、濃霧を放って迷い混んだ船と人を食らう。

 本来は、氷が浮かぶ寒い北の海に生息する海獣ではあるが、いかなる原因か、最近になってコロンビア近海で出没の報告が上がっていた。

 海軍はむろん、海賊にとっても、海獣は共通の敵であり、遭遇した際には力を合わせて撃退する事も珍しくない。

「この決着は、近いうちに付けに行く。私、狙った獲物は逃したことがないの」

「そちらから来てくれたら、討伐する手間がはぶけるというものだわ」

 テュッティとメルティナはしばらく睨みあったあと、互いに踵を返して指揮に戻る。

「引き上げよ、お前たち! ぐずぐずしていたらイカの餌にして上げるわ!!」

 と、テュッティが叫べば、「やーッ!」と、海賊たちは勝鬨を上げ、負傷した仲間を抱えて次々に海へ飛び込んでいく。

 その中には、ルカに敗れたアルビダの姿もあった。

「お客様のお帰りよ! 盛大に見送って上げなさい!!」

 と、メルティナが叫べば、「やーッ!」と、水兵たちは負けてなるものかと、さらに大きな声で勝鬨を上げた。

「敵クラーケンに一撃を加えてからこの海域を離脱する! 怪我人を収容を急ぎなさい!!」

 メルティナの命令が、濃霧に包まれた甲板に響き渡った。


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