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「いい加減、俺の話も聞き飽きただろう。次はアテネの話を聞かせてくれないか?」

 ルカはそう言って、アテネを振り向くが、

「すぴー、すぴー」

 隣から返ってくるのは、可愛くも規則正しい寝息で――

「まったく、困った眠り姫だ」

 ルカは苦笑するが、そこに嫌な感情は欠片もなく、アテネの寝顔を見ていると不思議と優しい気持ちになれた。

 それが、異性に対する『特別な感情』の発露である事に気が付かないルカは、予備の命綱を手に取る。

「少し触るぞ」

 アテネが寝ぼけて見張り台から落ちないよう、腰に命綱をつける。

 その際にどうしても密着する事となり、柔らかで甘い匂いがするアテネの身体に、ルカは今までにない緊張を強いられた。

「ふぅ……」

 ようやくアテネの腰に命綱を装着したルカは、胸の鼓動を落ち着けるように息を吐く。

 見れば、毛布が少しはだけているではないか。

「ちゃんとかけないと、風邪を引くぞ」

 世話の焼ける上官に、ルカは優しく毛布をかけなおした。

 それからルカは、眠るアテネの横で見張りを続けた。

 三十分毎になる点鐘が鳴ってもアテネは起きず、三回目の鐘の音で、アテネはコテンとルカにもたれ掛かってきたではないか。

「ま……まいったな……」

 穏やかな寝息を間近で感じながら、ルカは地蔵のように固まるしかなかった。

 夜の風は冷たく吹き抜けていくが、身体の芯が熱をもったかのように火照り全く寒ない。

 ルカの視線はいつからか、海ではなく隣で眠る海の化身のような姫に釘付けになっていた。

 おとぎ話に登場する本物の人魚のように、神秘的で、幻想的で、近寄りがたい美しさを秘めた少女。

 だが、少女は負けず嫌いで、世話焼きで、少しおっちょこちょいで、そのうえ食いしん坊と、とても人間味に溢れていた。

 知りたいと思った。

 アテネの事がもっと知りたいと。

 ルカはまるで引き寄せられるように、眠るアテネのさらさらした青い髪に手を伸ばす。

 だが、

「んん、負けませんよ……ルカ」

 夢の中でも勝負しているのか、アテネはむにゃむにゃと寝言を呟いた。

 すんでのところでルカは我にかえると、伸ばした手で自分の顔を覆った。

「なにしてんだ、俺は……」

 初めて経験する感情にルカは戸惑う。

 夜風で頭を冷やそうと、髪をかきあげたルカは、闇に沈む真っ暗な水平線を見て――

「――――ッ、あれは!?」

 血相を変えて、見張り台の手摺から身を乗り出す。

 しばらくのあいだ睨むように闇を見据えるルカは、警笛を取り出し、力一杯に吹き鳴らした。

 ピィイイイイイイ――――ッ! と、鋭い笛の音が静寂を切り裂く。

「ふ、ふぇ?」

 アテネが寝ぼけた表情で、目をぱちくりさせる。

「起きろアテネ!」

「ね、寝てません! 寝てませんよ! ちゃんと起きてますからって、何があったのです!?」

 ルカの尋常ではない様子に、アテネも瞬時にスイッチを切り替えた。

「船団だ。真っすぐにこちらに向かってきている」

「船団……ですか?」

 立ち上がったアテネはルカと同じ方角を見るが、何も発見できないのだろう。怪訝な表情で目を凝らす。

「ルカの目には見えているのですね?」

「ああ、信じてくれ!!」

 ルカは血を吐くように言った。

 もし、闇に浮かぶ船影が海賊だとしたら、再びあの悪夢が繰り返されるだろう。

 商船が沈没していくあの夜を、仲間を探して何度も海に潜ったあの時を、ルカはひと時も忘れた事はなかった。

 だが、どうすれば奴隷の言葉を、見習い水兵の言葉を、信じてもらえるのか?

 ルカが悔しげに見張り台の欄干を握りしめる。

 と、

「――――信じます。私は、ルカの言葉を信じます!」

 迷いなき言葉が、ルカの葛藤を一瞬で洗い流す。

「アテネ……ッ!」

「船の大きさや、数を教えて下さい!」

 アテネに勇気づけられるように、ルカは漆黒の瞳で海を見る。

「数は七隻。四隻は小型のスループ船。二隻は中型のフリッグ船。真ん中の一隻はかなりデカさだ」

「かなりの規模の艦隊ですね。真ん中の船ですが、どれぐらいの大きさです?」

「この船より喫水線が三段は高い。マストの数は三。巨大輸送船のガレオン船に似てるが見たことのない船種だ。針ネズミのように無数の大砲を乗せてるぞ」

「ガレオン船に似た武装巨大艦……まさか、アン王女の復讐号!?」

「アン王女の復讐号?」

 青ざめた表情のアテネに、ルカは問う。

「カリブ海を荒らして回る海賊達の中で、最も悪名を轟かせる《黒髭海賊団》の旗艦です!」

「黒髭だって!?」

 黒髭海賊団の名は、ルカのような奴隷でも知っていた。

 頭領のエドワード・ティーチといえば、海賊女王ヘンリー・モーガンに並ぶ伝説の大海賊だ。気に入らない者は例え一国であろうが容赦せず、コロンビアとイギリスの戦争に横合いから殴り込み、イギリスの東インド洋艦隊を撃退したとも云われる。

 本来はバハマ諸島のナッソーに拠点を構えていたが、海賊女王の跡目を継ぎ、現在は海賊の楽園ポート・ロイヤルの支配者となった。

 だが、

「黒髭ティーチは、船を降りたんじゃなかったのか?」

 これもまた有名な話で、海賊の楽園ポートロイヤルを根城に、彼女はジャマイカの内陸にまで侵攻。現在は、実質的な統治者として君臨していた。

「ええ、その通りです。今はティーチの娘が、母に変わって海賊団を率いています」

 と、その時。

「見張り兵! 何があった!?」

 警笛の音に、当直に当たる副長のテミスが叫ぶ。

 アテネが叫んだ。

「左舷九時方向、停泊中の我が船に向かう船影あり! 数は七! 一隻は戦列艦の可能性!」

「その声はアテネ士官候補生か!?」

「はい!」

「この暗闇で船が見えたのか!? 距離は!?」

「ルカ、距離はわかりますか?」

「およそ一八〇〇〇メートルだ」

「えぇ!? 一八〇〇〇メートルですか!?」

 アテネが驚いた声を張り上げる。

 その声は下の甲板にも届き、テミスが怒声を上げる。

「ふざけているのか、アテネ士官候補生! 昼間でも望遠鏡を使わねば困難な視認距離を、この闇夜で見通したというのか!?」

「信じて下さい! 私たちの目には見えないモノを、ルカは必ず捉えています!」

 アテネは懸命に叫んだ。

 次の瞬間。

「――――いいでしょう。信じましょう」

 凛とした声が甲板に響き渡る。

 声の主は、この艦長のであるメルティナであった。

「ですが、艦長!?」

「我々の目的を思い出しなさい、テミス一等海尉」

「目的……ですか?」

「ええ、そうよ。我々の三つの目的を持ってこの海にいる。一つめはコロンビア領海の巡察。二つめは新型艦の熟練航海。そして、三つめが、カリブの海を荒らす『海賊』の討伐よ。ルカが見たものが本物なら、我々は全滅の危機を回避出来る千載一遇のチャンスを手にした事になる。もし見間違いだったとしてもよい訓練になるでしょう。どっちに転んでも損はないわ」

 メルティナはそう言うと、青みかかった銀色の髪を振り払い、見張り台のルカとアテネを見やる。

「あなた達二人はそのまま見張り台で待機して、この船の目になりなさい」

 その命令を聞いたルカとアテネは、

「「了解しました!」」

 声を揃えて叫ぶと、互いに視線を交差させてコクリと頷く。

 深い闇の向こうに見える船団は、ゆっくりと、だが、確実にこちらへと迫っていた。


    ◇


 カン、カン、カン、カン、カン、カン――と、戦闘体制を知らせる鐘が鳴り響き、船の各所で次々に明かりが灯り出す。

 士官と下士官らの声が響き、日々の訓練の成果を見せるかのように水兵達が己の持ち場についた。

 海に沈められた二つの錨が巻き上げられていき、先ほどまで眠っていた白銀の女神は、抜錨へ向けて急速にその身が軍艦である事を知らしめていく。

「告げる、こちら艦長」

 船尾楼甲板に立つメルティナは、操舵輪の横にある『伝声管』の蓋を開いた。

 伝声管とは、艦内に張り巡らされた金属の筒を通して、離れた場所に声を伝える事が出来る紋章学を利用した通信機器だ。 

「おはよう諸君。夜明けにはまだ時間はあるけれど、残念な事に私達の安眠を妨げる存在がやって来たわ。相手は七隻で正体は不明。でも、女神も寝静まる夜の海を進むのは、金の亡者か、海の亡者か、船に乗った盗賊と、相場は決まっている。商船ならば見逃しましょう。幽霊船なら夜明けと共に帰るでしょう。そして、海賊なら――カリブの海から永久に消えて貰いましょう!!」

 メルティナ演説に、船全体から「やーっ!」と、歓声が上がる。

「掌砲長、全紋章砲にエーテルを籠めなさい」

 メルティナは続いて士官達に命令を下す。

「アイ・マム!」

 伝声管越しにそう返事をするのは、褐色の肌にドレッドヘアーの背の高い女性で、この艦の掌砲長を務めていた。

 彼女の命令により、砲を担当する水兵達が紋章砲にエーテルを装填していく。 

「掌帆長、いつでも船を動かせるよう準備を始めなさい」

「了解です、キャプテン!」

 甲板に元気な声を響かせるのは、茶色の髪を肩で切りそろえる小柄な女性で、この艦の掌帆長を務めていた。

 彼女の命令により、帆を担当する全ての水兵が一斉にマストを登っていく。

 その中には、エミリーとラトの姿があった。

「航海長、舵は任せましたよ」

 メルティナは伝声管の蓋を閉じると、同じ船尾楼甲板で、操舵輪を握る年配の女性を見やる。

「お任せください、艦長」

 航海長は、ハスキーな声で返事をした。

 白髪交じりのアッシュブロンドを無造作に縛り、口元にパイプを咥えながら巨大な舵を握りしめる姿は、まさに熟練した船乗りそのものだ。

 メルティナは「頼むわね、ミラルダ」と、小さな声で言って航海長の肩を叩く。

 指揮に集中するため船尾楼甲板の縁に手を乗せ、船全体を注視するメルティナに、上甲板から一人の士官が声を掛けた。

「メルティナ様、我らマーメイド部隊。出撃準備完了しました。全員上甲板にて待機させています」

 船尾楼甲板を見上げて敬礼するのは、金色の髪をアップで結んだ一人の美女だ。

 彼女こそ、この船のマーメイド達を率いる海兵隊長である。

「マーメイドの指揮は任せましたよ、セラフィナ」

「了解しました、メルティナ様!」

 セラフィナと呼ばれた美女は、踵を揃えて最敬礼した。

 あわただしく戦闘に向け作業が進む中、

「ルカ……でしたか。船が見えたと言う彼女の言葉を、本当に信用なさるのですか?」

 後ろで控えていた副長のテミスが、固い表情で言った。

 テミスは副長として、ルカが奴隷である事を知らされている。 

「奴隷の言葉は信じられない?」

「そうではありません。そうではありませんが……やはり、信を置くには足りません。見張りを増員し、情報の正否を確認してからでも遅くないのでは?」

「今の時刻は二時〇七分。敵との距離は一八〇〇〇メートル。相手が本物の黒髭海賊団だとしたら、戦列艦の船脚から見て会敵はおよそ一時間三〇分後よ」

 メルティナは懐から懐中時計を取り出しそう言った。

「――――ッ!」

 テミスは己の重大な見落に気が付いた。

 停泊中の船はすぐには動けない。

 錨の巻き上げ、全ての帆を掲げるには昼間でも一時間はかかる。多くの船員が寝静まった深夜でば、さらに時間は伸びるだろう。

 例え船を発見して、それが敵だと判明してから動いたのでは手遅れなのだ。

 身動き出来ないまま、一方的に蹂躙されるしかない。

「確認作業は大事よ。でもね、艦長であるなら、部下を信じて即決即断しなければならない時が必ず来るわ。それに……身分が信用に関わるなら、私は『パン屋』の娘よ?」

 そう言ってメルティナは、パチンと懐中時計の蓋を閉める。

「か、艦長は特別です! あなたが比類なきアドミラルである事は、コロンビア海軍の、いえ、国中の誰もが知っています!!」

「ならば、覚えておきなさい。私も最初は『見習い水兵』から始めたのよ。そして、あの子達が特別な存在である事を、まもなく知る事になるでしょう」

 メルティナは確信を持って、見張り台に立つルカとアテネを見上げた。

 と、その時。

「話は終わったかい?」

 やって来たのは、常は船倉にいる主計長のジョアンナであった。

「ええ、構わないわ」

「まだ戦闘まで時間があるんだろ? なら、交代で飯を食わせてやっちゃくれないかい?」

「よろしい。許可しましょう。ただし、お酒は駄目よジョアンナ」

「了解だよ。実は白状しちまうが、料理長には既に準備に取りかかって貰ってんだ。腹が減っては戦は出来ぬってやつさ」

「大和の諺ね。懐かしいわ」

 遠い目をして微笑むメルティナに、ジョアンナは肩をすくめると、

「用件は以上さ。アタシは持ち場に戻るよ」

 と、言い残し、手を上げて去っていく。

 ほどなくして、パンが焼ける香ばしい匂いが船中に漂い出す。

 三層甲板にある調理場には、一度に百個のパンが焼ける大釜があるのだ。

「テミス一等海尉、命令です。交代で食事をとるよう采配しなさい」

「はっ!」

 テミスは背筋を伸ばして踵を揃えると、教科書のお手本のような敬礼をした。

 割り切れない思いを飲み込み軍務に戻っていく部下を、メルティナは優しい眼差しで見送る。

「まだまだお若いですな。まるで、若い日の艦長をみているようだ」

 と、航海長のミラルダが言った。

 航海長とは、船の全てを知り尽くした叩き上げの熟練水兵がなる役職だ。

 下士官ではあるが、若い将校よりも遥かに水兵達の尊敬を集めている。

 ミラルダは、メルティナが見習い水兵の時の『教育係り』で、かれこれ二十年らいの戦友であった。

「ふふ、そうかもしれないわね。彼女はきっとよい艦長になる。足りないのは経験と、余裕と、信頼出来る部下といったところかしら?」

「女としての余裕を持たせるには、男を経験させるのが手っ取り早いかと」

「あら、駄目よ。ああいう真面目な子は、すぐに悪い男にはまっちゃうんだから」

「ほほう。それは経験談ですかな?」

「長い付き合いのあなたを、不敬罪で拘束するのは心が痛むわ」

 メルティナとミラルダの二人は、二人だからこそ出来る会話をしたのち、ふと、見張り台を見上げた。

「……『お嬢様』の事はよろしいので? 壁に当たっておられるようでしたが」

「海軍に入って四年。必要な事は教えたわ。いざとなれば命を捨てる覚悟も出来ているでしょう。生きて結果を残せるかは――あの子次第よ」

 メルティナは冷たいとも思える口調でそう言った。  

「やれやれ、偉大すぎる母というのも辛い立場ですな」

「確かにそうね。でも、大丈夫。今あの子の隣には、素敵なナイトがいるもの」

 見張り台のアテネを見やるメルティナの表情は、優しい『母』の顔になっていた。


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