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 船の三層甲板には、居住区をはじめ、医務室に、調理場に、工房など、船の生活には欠かせない様々な設備が備えられていた。

 海兵隊であるマーメイドの棲み家もここにある。

 船尾には士官用のサロンと個室が並び、最後に士官候補生の大部屋が二つ。

 その大部屋の一つにアテネの姿はあった。

 大部屋といっても狭い空間に二段ベッドが二つ置かれてあるだけで、そのベッドが唯一の個人スペースである。

 下着姿でベッドの一段目に横になるアテネ。

 士官候補生の仲間達がガールズトークに花を咲かせる中、アテネは会話に参加せず物思いにふける。

 思い出すのは先ほどのルカの言葉だ。

「き、綺麗……だなんて、私をからかっているに違いありません」

 アテネは枕に顔をうずめながら、紅潮した頬を膨らました。

 まだ一週間の付き合いだが、ルカが人をからかうような人物ではないと、アテネにはわかっている。

 だが、そうとでも思わなければ、胸のドキドキが治まらないのだ。

 ただ、

「ルカのバカ……」

 あの言葉が偽りだと思うと、何故か胸がモヤモヤして腹立たしい。

 複雑な乙女心であった。

 寝て朝になれば、このおかしな感情は消えるだろう。

 そうなれば、ルカには絶対に勝てる勝負を挑んで溜飲をさげようと、アテネはちっぴり子供じみた仕返しを思い付く。

 と、その時。

「ねえ、アテネお嬢様、あの子ってどうなのさ?」

 二段ベッドの上にいる、ふわりとした緑色の髪に、翠の瞳を持つチャーミングな少女が、覗き込むように顔を出した。

 彼女の名は、クロエ。

 歳は十六で、背はアテネと同じだが、細身でスレンダーな体型。

 同じマーメイド部隊に所属する士官候補生であり、短銃とカトラスを組み合わせたガンブレードの腕は部隊でも有数である。

「この船にいる限りは、お嬢様と呼ばない約束ですよ、クロエ!」

 アテネは怒った口調でそう言った。  

 お嬢様と呼ばれた通り、アテネは『フォーサイス家』の一人娘で、クロエは代々家に仕える従者の一族であった。

 フォーサイス家とは、新大陸を開拓した《火の一族》の末裔であり、百年前に自ら君主制を廃止して、コロンビア建国の祖となった『三大王家』の一つである。

 現在では、フォーサイス造船廠を経営する世界的な大財閥でり、コロンビアでは知らぬ者のいない名門中の名門である。

 アテネの父は、天才造船技師で、このステラ・マリス号も父の設計である。

 そして、母は、コロンビア海軍が誇る大提督で、先の大戦を勝利に導いた大英雄だ。

 誰もがアテネを英雄の娘として扱い、誰もがアテネを姫のように接してくる。

 幼い頃から、相手から先に「アテネ様」と言われるのが当たり前になっていた。

 だからこそ、ルカから名を『名乗れ』と、人として礼儀を指摘された時、アテネは殴られたような衝撃を受け、これまでの行動を恥じた。

 同時に、胸の内に喜びが湧き上がる。

 ルカは何も知らないからこそ、アテネを英雄の娘ではなく、名家のお嬢様でもなく、ただ一人のアテネとして対等に見てくれる。

 アテネにとってルカと過ごした一週間は、任務や義務を超えた、かけがえない時間となっていた。

「ごめん、ごめん。つい癖でさ。で、質問の答えは?」

 クロエは軽い調子で謝罪すると、悪びれもせず問う。

 彼女はアテネの家に仕える者ではあるが、本人は見ての通りとてもフランクな性格である。

 と、

「わたくしも気になります。どうか聞かせて下さい、アテネさん」

 向かい側のベッドの一段目に腰かける、少女が追随する。

 彼女の名は、マリナ。

 歳は十七歳で、背はアテネより高く、抜群のプロポーション。

 ピンクゴールドの髪と、アメジストの瞳が特徴的で、銃と槍を組み合わせたガンランサーを使わせたら右に出るものはいない、とても優秀なマーメイドだ。

 海尉見習いとして、来月に海尉任官試験を控えている。

 士官になるには幾つかの段階がある。

 まず『士官候補生』として船に着任し、経験を積んだのちに優秀な者だけが『海尉見習い』となり、最終的にフリョーダの海軍本部で海尉任官試験を受ける事を許される。

 だが、試験は非常に厳しい狭き門となっており、試験に落ちた者は再び士官候補生からやり直しとなる。

 アテネは半月前に試験に落ち、士官候補生として戻ってきた身だ。

「あの子とは、ルカの事ですか?」

 と、アテネ。

 少女達はコクコクと頷く。

「ルカは優秀ですよ。教育係りを任ぜられた私の方が学ぶことが多いぐらいです。きっとよい水兵になるでしょう」

 アテネは自分の事のように胸を張り、誇らしい思いでルカを評価する。

 すると、

「違うってば! 私達が聞きたいのはそういうことじゃなくて、あのルカって子と、アテネお嬢様の関係よ」

 クロエがベッドから飛び下り、アテネの横に腰かける。

「?」

 またお嬢様と言われたが、アテネは質問の内容がわからず首を傾げる。

 ルカとの関係は、厳密にいうと『上官』と『部下』であり、得難い『ライバル』であり、この一週間で強い『友情』を抱き始めている。

 よき関係だと思っているが、クロエらが聞きたいのはそういう事ではなさそうだ。

 と、 

「だってあの子……『男装』してるじゃない。ふふ、あれってアテネお嬢様の趣味なんでしょ? 教育係りと見習いって『そういう関係』になりやすいって本当だったんだ」

 クロエはナイショ話でもするように、アテネの耳元で囁いた。

「ち、違います!!」

 ようやく質問の意味を理解したアテネはボッと顔を赤くして、慌てて答えた。 

「え~、怪しいな~?」

「あ、怪しくありませんッ!」

 肘でうりうりしてくるクロエに、アテネは真っ赤な顔で叫んだ。

「でも、ルカさんって素敵ですよね。東洋の方は皆あのようにエキゾチックなのでしょうか?」

 マリナが頬に手を当て、うっとりとした微笑を浮かべる。

「わかる! なんかさ、本当の男の子って感じするもん!」

 と、

「彼女……アテネの裸を見て顔を真っ赤にしていた」

 そう言ったのは、マリナの上のベッドで会話には参加せず紋章学の専門書を読んでいた銀の髪に、金の瞳を持つ少女。

 名前は、ルテシャ。

 十三歳ながら、既にガンスミスのマイスターを持つ天才少女で、スプリングフィールド造兵廠の主任研究員でありながら、現在は砲術化に所属して紋章砲の研究をしている。

 彼女自信も凄腕の狙撃手であり、アテネが設計した銃を作った人物である。

「えー! なにそれ、なにそれ、詳しく聞かせなさいよルテシャ!」

「ふふ、やはり興味深い方のようです」

 クロエとマリナが美味しい話のネタに瞳を輝かせる中、アテネは憮然とした表情でベッドに横になると、

「いい加減にしてください! 馬鹿なこと言ってないで、早く寝ますよ。明日も早いのですから!」

 と、言って、頭から毛布を被る。

 ルカは奴隷で、その背中には奴隷の焼き印がある。

 この事を知るのはメルティナとアテネを含む、ごく一部の人間だけだ。

 さっき様子がおかしかったのは、それを皆に見られたくなかったに違いない。

(私の裸を見て顔を赤くしていたなんて、ルテシャの見間違いに決まってます。絶対に間違いです……)

 毛布をさらに深くかぶったアテネは、ギュッと目を閉じて眠ろうとする。

 だが、部屋の灯りが消えて、皆の寝息が聞こえて来る頃になっても睡魔は訪れず。アテネは何度も寝返りをうつが、やがて深いため息を吐いて身体を起こす。

「むぅ……駄目です。ルカのせいで全く眠れません。安眠妨害です」

 こうなれば、直接問い質すしかないだろう。

 皆を起こさないようこっそりと寝台から抜け出したアテネは、人目を忍んでルカが眠るであろう砲列甲板を目指す。

 その姿はまるで、獲物を狙うシャチのように生き生きしていた。


    ◇


 ランタンの灯りを縫うように、闇から闇へアテネは走る。

 音もなく階段を駆け登ったアテネは、前転しながら柱の影に隠れた。

 当直の水兵が見回りの巡回をしているのだ。

「うう……夜の船内ってどうしてこんなに怖いのかなぁ」

 ランタンを抱きしめるように、おっかなびっくり進む二人組の少女。

「……なんか今、変な音しなかった?」

 二人組の一人が、アテネが隠れる柱の前で足を止める。

「ちょ、ちょっと止めてよ。変な音ってなに?」

「あはは、怖がりすぎ。冗談だってば。ほら、早く見回りを終わらせよ。烹炊班の子がご褒美にホットチョコ用意してくれてるってさ」

「ホットチョコ! 少しだけラム酒入れたら最高なんだよね!」

 見回りの少女達は、先ほどアテネが登った階段を降りていった。

 と、

「…………ホットチョコ。ごくり……」

 息を潜めて少女が去るのを待っていたアテネは、ホットチョコに釣られそうになるが、危ないところで己の目的を思い出し、物陰から飛び出して疾風のように走る。

「ルカのハンモックは確か、左舷の第七紋章砲だったはず……」

 砲列甲板に着いたアテネは、ルカを探す。

 一日の軍務に疲れているのだろう。

 ハンモックで眠る少女達は、それぞれ気持ちよさそうな寝息を立てて、夢の世界へ旅立っている。

 アテネは少女達の睡眠を妨げぬよう、細心の注意を払いながらルカのハンモックに近づき――

(――――見つけました! ルカで、間違いなりません)

 毛布で顔は見えないが、僅かに除く黒い髪でアテネは判断した。

 頭まで毛布に包まる姿が、起きている時の凛々しさにそぐわず、アテネは微笑ましい気持ちになる。

「ルカ、起きてください、ルカ……」

 ソッと優しくハンモックを揺らす。

 しばらくすると、毛布にくるまったルカが寝返りをうった。

「私です、アテネです。休んでいるところを邪魔してごめんなさい。ですが、どうしてもルカに問いたい事があるのです」

 毛布の中からピクリと反応が返ってくる。ルカが目を覚ましたのだろう。

「そのままで構いません。どうか、私の話を聞いてくれませんか?」

 アテネは緊張に胸を押さえて囁いた。

 すると、

「にゃ~~~~」

 と、可愛い鳴き声がして、毛布がもぞもぞ動きだし、漆黒の毛並みが美しい猫耳が、ぴょこりと頭を出したではないか。

「ああ、まさか……」

 アテネの声は震えていた。

 東洋には水に濡れると『猫になる呪い』があると、水兵達の噂話で聞いたことがある。

 あの時、ルカの様子がおかしかったのはそのせいだっだのだ。 

「でも、大丈夫です。呪いは確か……口付けで解呪出来たはず。いえ、お湯だったかしら?」

 呪いに対する畏れはなかった。

 ルカを救いたいと思う感情が、遥かに勝ったのだ。

 アテネは意を決して、ゆっくりと毛布をめくていく。

 だが、

「ふにゃ~?」

 ルカのハンモックにいたのは、首に巻かれた真っ赤なスカーフが特徴的な、船で飼っている猫の一匹であった。

 抱えるほど大きな身体に、黒と白の毛並み。特に脚はまるで靴下を履いたように真っ白で、ついた名は『ソックス』である。

「な、なんだ、ソックスだったのですか。驚かせないで下さい……」

 何故、ソックスがルカのハンモックで寝ていたのかはわからないが、アテネはホッと胸を撫で下ろす。

 渦中のソックスはハンモックから飛び下りると、アテネの足にまとわりついた。

 膝を折ってしゃがんだアテネは、ソックスの頭を撫でる。

「肝心のルカは何処にいったのでしょう? ソックスは知りませんか?」

 猫と話すことは出来ないが、駄目もとで聞いてみる。

 まさに猫の手も借りたい気分だ。

 すると、ソックスは「にゃん」と鳴いて、トコトコと歩き出す。

「着いてこいという事でしょうか?」

 ソックスに導かれるように、アテネは階段を上がり、船外の上甲板に出た。

 先ほどまでの激しいスコールが嘘のように、夜空に雲はなく一面の星星が広がっていた。

 ソックスは甲板の上を、この船の艦長であるかのように威風堂々と闊歩する。

 そして、メインマストの前で立ち止まった。

「ここは……」

 昼間ルカと一緒に働いた『見張り台』のある場所に、アテネは確信めいた予感を得る。

「ありがとう、ソックス! 今度、新鮮なお魚取ってきますね」

「にゃ~ん♪」

 ソックスは嬉しそうに一声鳴くと、役目を終えたとばかりに来た道を戻っていく。

 アテネはマストを見上げ、「よし」と気合いを入れた。

 シュラウドに足をかけ、一気にマストを登る。

 ほどなくして見張り台にたどり着いたアテネは、遂に、漆黒の髪と瞳を持つ『少年』のように見える――少女を見つけ出した。

「探しましたよ、ルカ!」

 と、弾むような声でアテネは叫ぶ。

「アテネ!? どうしてここに?」

 予想だにしない来訪者に、ルカは目を丸くして驚く。

「それはこちらの台詞です。今夜の見張りは航海科の第三班だったはず。なのに、どうしてルカがここにいるのです? 新入りだからと無理に仕事を押し付けられているなら、私が今から彼女達を――」

 生真面目で、仲間思いで、熱くなりやすい少女は、青い瞳を燃え上がらせる。

 だが、

「誤解だアテネ。無理に変わってくれと頼んだのは、俺なんだ」

 ばつが悪そうにルカは言った。

 何か事情があるのだろうと、アテネはルカの隣に歩み寄る。

「隣、いいですか?」

「ああ……」

 二人で見張り台に座って、暗い海を眺める。

 アテネの瞳には漆黒が広がるだけだが、ルカの瞳には、違うものが写っているのだろうか?

 色々聞きたい。

 ルカの事をもっと知りたい。

 そう思って、こんな夜更けに船を彷徨いここまで来た。

 なのに、ルカを前にすると、先ほどまで絶対に言おうと決めていた言葉が、何処かへ羽ばたいて行ってしまった。

 アテネは膝を抱えると、チラリとルカを見やる。

 その視線を感じたのか、ルカは真っ直ぐに海を見つめたまま呟いた。

「好きなんだ。この場所が」

「好き、ですか……?」

 見張りは、船の目として極めて重要な役割を持つ。

 だが、夜の見張り台は、船でもっとも不気味な場所だと言われており、アテネもそう思っていた。

 すると、ルカは胸元から黒水晶の首飾りを取り出した。

「ここにいると、ずっと遠くの海が見えるだろ? 自分の足じゃ泳いでいけない遥か遠くの海が。だからかな……」

 そこで言葉を止めたルカは、黒水晶を撫でながら――

「……あの海の向こうある俺の故郷を想像すると、この真っ黒な海も悪くない。そう、思えるんだ」

 故郷に思いを馳せるように、水平線の彼方を見つめる。

 その横顔は、神秘的で、寂しげで、今にもこの闇に溶けて消えてしまいそうに儚くみえた。

「――――ッ」

 トクンッと、アテネの心臓が高鳴ったのはその瞬間だった。

 胸の鼓動は一向に治まる気配がなく、頬が紅潮していくのがわかる。

「ルカは、ルカは、女の子っぽくありません! まるで男の子みたいです!」

 どうしてこんな気持ちになるのかわからないアテネは、戸惑いをぶつけるようにルカに当たる。

「はは、男の子みたいか。そりゃ、まずいな。気を付けるよ」

 ルカは優しく微笑むだけで、全く意に介した様子がない。

「むぅ、そういうのが男の子っぽいんです! 船員は皆、若い女性ばかりなんですからあらぬ誤解を招いてもしりませんからね!」

 ぷりぷりするアテネとは対称的に、ルカは穏やかで自然体に笑う。

 その時、冷たい風が吹き始めた。

「さむ……」

 寝起きのアテネは、夜風に身体を震わせた。

「夜の見張り台は冷えるからな。もう、戻ったらどうだ? 風邪でもひいたら大変だぞ」

「いいえ、ここに残ります。昼間の勝負の続きをしましょう!」

 アテネは意地でも動ないぞとばかりに、膝を抱える。

「なら、これを被るんだ」

 ルカはそう言って、自分が使っていた毛布でアテネを包み込む。

「ふぁあ、暖かい……♪ で、でも、これではルカが風邪を引いてしまいます」

「俺は十分に暖を取った。むしろ、熱いぐらいなんだ。遠慮なく使ってくれ」

「では、お言葉に甘えさせて貰います。その、寒くなったら絶対に言って下さいね?」

「ああ」

 ルカはコクリと頷くと、マストの柱に持たれて海を見る。

 アテネも真似するようにマストに持たれた。

 しばらくして、

「その、差し支えなかったら、ルカの故郷の話をして貰ってもいいですか?」

「そうだな……」

 ルカは黒水晶の首飾りを撫でながら思案する。

 その表情は、話す事が少な過ぎて悩んでいるのではなく、逆に話す事が多過ぎて何から話せばいいかを迷っている様子であった。

 遠く離れた異国の地で、故郷を愛するルカのありように、アテネは強い好感を抱く。

「俺の国には、こんな革の靴はなかったな」

 ルカは自分の靴を指でコツコツ叩く。

「では、何を履いていたのです?」

「草で編んだ草履という履き物か、木製の下駄と呼ばれる履き物が多かったと思う」

「凄い! 草や、木で履き物を作るなんて、まるで神話に登場する《森の一族》ではありませんか!」

 アテネは目をキラキラさせて、木々に囲まれて暮らす幻想的な風景を思い浮かべる。

「《森の一族》か。俺の国では《火の一族》と並んで国産みの神として崇められているな」

 大和の国では、《森の一族》はアールブと呼ばれ、名の通り森と共に生き、神々の最終戦争のあと、世界を蘇らせるため始まりの大樹になったと云われいる。

 世界中の森では、今でもアールブの遺跡が残っていた。

 そして、

「四百年前にこの地を発見し、新大陸開拓の祖となったのも、《火の一族》が率いた開拓船団と云われています。遠く離れた国同士なのに不思議な共通点ですね」

 《火の一族》とは、《神々の黄昏》と呼ばれる世界大戦で、闇を払い、世界に光を取り戻し、人の世の繁栄を作り上げたと云われる始まりの民だ。

「世界は海で繋がっている。もしかしたら、俺達の祖先は何処かで出会った事があるかもしれないな」

「ふふ、ルカはロマンチストなんですね。ちょっと意外でした」

「からかうなら、もう話さないぞ」

「気を悪くしないで、ルカ。とても素敵な考えだと私は思います」

 アテネが真剣さが伝わったのか、ルカは照れくさそうに頬をかく。

 それからルカは、大和の国の風習や、お祭り、服飾品など、色んな話を語り、アテネはその話をワクワクしながら聞いていた。

「アテネは信じられないかもしれないが、俺の国では成人すると男は前髪を剃るんだ」

 ルカはそう言って、前髪を掻き上げてみせる。 

「ええ!? そうなんですか!?」

「俺は九歳で奴隷になったから、結局、元服はしなかったな」

「げん、ぷく……? 大和の国の言葉ですか?」

「あ、ああ、すまない。今のは忘れてくれ」

 ルカはしまったという表情をすると、何かを隠すように前髪を下ろした。 

 だが、アテネが気になっていたのは、九歳で奴隷になったという言葉の方であった。

「ルカはどうして、その……」

「奴隷に身をやつしたか、か?」

「いえ、ぶしつけな質問でした。ごめんなさい」

「かまわないが……何処にでもあるつまらない話だぞ?」

「聞かせて貰ってもいいでしょうか」

 アテネはどうしても、ルカの大切な部分に触れたかった。

 ルカはしばらくの間、黒水晶の首飾りを触っていたが、ゆっくりと口を開いた。

「――――俺の故郷は、大和の国でも西の果てにあるんだ」

 ルカが語る話に、アテネは静かに耳を傾ける。

 ルカの故郷は、火の国とも云われ、近くには大きな火山があり、製鉄が盛んで、海外との貿易拠点の一つであった。

 武士の中でも、鬼を狩る『鬼狩り』の一族に生まれたルカは、幼少から武芸を厳しく仕込まれて来た。

 鬼とは、《穢レ神》と呼ばれる大地神の眷属であり、山を住処とし、時折里に下りては人を喰らう化け物だ。

 だが、当時のルカは、武芸よりも『蘭学』に興味を示し、父の目を盗んでは、近くの蘭学塾に入り浸った。

 蘭学とは、西洋の学術の全般をさし、紋章学、医学、数学、兵学、天文学、暦学など多くの分野に渡る。

 だが、ある日。

「父が――鬼に堕ちたんだ……」

 稀代の鬼狩りと称された父が、鬼に呑まれ、災厄の鬼となった。

 一族は総出で父を討伐するも、長兄や、祖父を始めとする、多くの鬼狩りが犠牲となった。

 鬼狩りが鬼に堕ちるという最悪の事態に、お家断絶の可能性もあったが、ろくを半分に削られたものの、家の存続は許され、元服を済ませた次兄が家督を継いだ。

 だが、不幸はこれで終わりではなかった。

 兄が、鬼狩りの最中に大怪我をしたのだ。

 家族を養うため、家の恥を拭うため、無理をしたのが原因だった。

 幸い命に別状は無かったが、治療には長い静養を必要とした。

 さらに、心労が重なったのか、母まで病に倒れた。

 兄の治療代に、母の薬代。幼い妹達。

 さらに、父の討伐で死んだ、鬼狩りの家族への見舞金もある。

 頼れる親族は全て死んだ。

 藩に迷惑はかけられない。

 となれば、怪我の兄と、病の母と、幼少の妹達を飢えさせないために、三男であるルカに出来る事は一つだけであった。

 蘭学で異国の言葉を学んだルカは、オランダ商人と交渉。

 齢九つ。

 元服まで二年と七ヶ月を残したこの日、ルカは、銀三本と引き換えに『終身奴隷』となった。

 己の意思で、己の運命を選択したのだ。

 家族には奉公先が決まったとだけ告げた。

 そこは遠い地で、二度と会う事はないだろうとも。

 兄も、母も、妹達も泣いていた。

 ルカがこれから奴隷として売られていく事も、今生の別れになる事も、皆が理解していたのだ。

 母は『黒水晶の首飾り』をルカに手渡した。

 火の国では古くから、黒曜石の御守りを子に持たせる風習があった。

 健やかであれと願いを封じた魔除けの御守りで、病に伏せる母が自ら紐を編み拵えた代物であった。

 と、

「そう、だったのですか。その首飾りは……ルカにとって何より大切な宝物なのですね」

 毛布にくるまるアテネは、抱えた膝に頭を乗せて黒水晶の首飾りを見やる。

 暗闇の中で不思議と青く光るように見える黒水晶の煌めきは、旅立つ息子を想う母の愛情にも感じられた。 

「ああ、これは俺の宝物なんだ」

「話してくれたお礼に、私もルカにとっておきの宝物をお見せします」

 アテネは右手の薬指に嵌められた指輪を抜いて、ルカに見せる。

 宝石のない真銀の細工指輪で、王冠が載ったハートを、両手が包み込むデザインになっている。王冠の部分には『家紋』が刻まれており、指輪の内側には『愛する娘へ』と書かれてあった。

「この指輪は、お父様の形見なんです」

 アテネは悲しげな表情で、指輪を両手で包み込む。

「親父さん……亡くなっているのか?」

「はい、私が生まれる前に病で。だから、顔も見たことがありません」

「そうか」

「でも、寂しくはありません。お父様は誕生日プレゼントを用意してくれたのです。一歳は『クマのぬいぐるみ』でした。この指輪は十五歳のプレゼントでした。全部、お父様の手作りなんですよ」

 アテネがステラ・マリス号に特別な想いを寄せるのも、亡き父が最後に設計した船であるからだ。

「……いい親父さんだな」

「はい」

 ルカの優しい声に、アテネは嬉しいそうに頷く。

「寒くないか?」

「ポカポカしてとっても暖かいです。ルカも一緒に入りませんか?」

「いや、俺は大丈夫だ」

「よければ、ルカのお話をもっと聞かせて下さい」

「ああ、わかった」

 ルカは快くそう言って、大和の国の話を続けた。

 アテネは静かに相槌をうつ。

 心地いい夜の時間は、緩やかに流れていく。

 ルカの事を知れば知るほど、胸に暖かな想いが満ちていくのはどうしてだろう?

 この暖かな熱を、優しい感情を、ルカにも分けてあげたい。

(ねぇ、ルカ……)

 そう呟こうとするのだが、アテネの想いは言葉にならず。

(どうして声が出ないの?)

 アテネは不思議に思いながらも、初めて経験する安心感と、心地よさに包まれて、その意識を徐々に薄れさせていく。

(――――ルカ)

 最後に心の中で名を呼んで、アテネは眠りに落ちた。


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