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「わかっていると思うがこれからが本番だ。番兵の鬼を倒したという事は、敵の監視網にひかかったと見るべきだ。おそらく出口は完全に封鎖されているだろう」
気を引き締めるようにルカは言う。
「もとより、覚悟の上です」
アテネの言葉に、全員がコクリとうなずいた。
「テュッティ、敵の術師は見たか?」
「ええ、見たわ」
「どんな些細な事でもいい。気付いた点があれば教えてくれ」
「そうね……あれはもう完全に人ではないわ。《暁の魔女》ウェルフリートと呼ばれていた『女』の身体を乗っ取り、生きながらえて来た『魔性の徒』よ」
「鬼や魔人の類いか?」
「わからない。でも、もしらしたら……不死者の中でも、高位の魔女が死を対価に転生するといわれる《死霊の女王》とかいうやつかもしれないわ。ただ――」
「ただ?」
「奴の言葉には異国のなまりがあったの。お前と同じような……ね」
「俺と同じ……異国なまり、か」
ルカは思案するように、あごに手を当てた。
「ねぇ、一つ頼んでもいいかしら?」
と、テュッティが切り出した。
「どうした?」
「もし敵の中に白色のローブを着た褐色肌の奴隷が居たら、殺さずに生け捕りにして欲しいの。もちろん……可能ならで構わないわ」
「褐色肌の奴隷?」
「ええ、美しいインディオの女よ。ウェルフリートの操り人形にされているようだけれど、どういうわけか……その女が、私の拘束をといてくれたのよ」
「そうだったのか」
「拘束が解けても術の影響ですぐには動けなくて、気が付けば女は消えて、扉は施錠されていたわ。流石に素手で鋼の扉は壊せないから、外から開かれるのを待っていたの。まさか、次に訪れるのがお前だとは夢にも思わなかったわ」
「助けにきたのに、危うく殺されるところだったぞ」
「侘びならあとで幾らでもしてあげるわ。とにかく……その女のおかげで私は五体満足でいらるの。借りは返したいわ」
「わかった。もし、見かけたら殺さずにいよう」
ルカはそう約束した。
「そうと決まれば、辛気臭い穴倉からさっさと脱出しましょ。この城塞に忍び込んだお前の事だもの、とっておきの作戦があるんではなくて?」
腰に手を当て、テュッティは問う。
「いや、残念ながら強行突破しか作戦はない。ただし――『出口』は自分で作るさ」
ルカはそう言って、アテネをみやる。
「はい、任せてください!」
アテネは自慢げに、青銀に輝く双銃を取り出した。
銃に秘められた絶大なエーテルに、テュッティは目を見開く。
「まさか、それ!?」
「ああ、お前から譲り受けた『クラーケンの神珠』を核にしてある。頼むぞ、アテネ!」
「皆、離れていて下さい!」
アテネは目を閉じ、精神を集中。
絶大なエーテルが渦巻き、周囲にバチリと雷光が炸裂。
「――――撃ちます!」
双銃を天に構えてトリガーを引いた。
ジャイン――と凄まじい発射音がして、超圧縮されてなお極大のレーザーが、海を断ち割った海の悪魔の御業が、地下牢の分厚い天井を穿ち貫き、数十メートル先の地上まで貫通した。
まるで井戸の底から天を見上げるように、遠い地上に日の光が射す。
アテネの新兵器を知らなかったシルフィはもちろん、テュッティも度肝を抜かれた表情で天を見上げる。
さらに、アテネは《聖盾アイギス》で足元に直径三メートル氷の円盤を作り出した。
「さ、乗ってください」
ルカに続いて、全員が氷の円盤に乗った。
「で、どうするわけ?」
「こうするのです!」
アテネが氷の円盤をコツコツと蹴ると、氷の円盤の下からビキビキと氷柱がそそりたち、ルカ達の乗る円盤を押し上げていく。
それは、先日のホテルで乗った『手巻き式のエレベーター』を、聖霊術で再現したものである。
「天井をくり貫いて氷のエレベーターを作り出す。まさかこんな脱獄方法が可能なんて……アテネ、お前の力って本当に便利ね」
「えっへん」
アテネは嬉しそうに胸を張る。
重そうな胸がゆさんと揺れた。
「シルフィ、クロエ……索敵を頼む」
「わかってる。ちゃんと警戒してるよ。今のところ敵の足音は聞こえない」
「こちらも敵の臭いは感じない。大丈夫だ」
「もうすぐ地上に出るぞ。全員、用意しろ!」
それぞれが武器を構え、氷の円盤がゆっくりと地上に出る。
暗い穴蔵から出た瞬間、太陽の光が眩く目に飛び込んでくる。
クロエとシルフィが同時に左右に散開。
ルカが前方を、アテネが後方に分かれ、テュッティを守るように立つ。
周囲を素早く見渡したルカは、周囲の地形から、ここが城塞の北西にある海上からの補給物資を保管する『備蓄庫』だと知る。
だが、肝心の備蓄庫は、影も形も見られなかった。
否、それどころか――
「――――ッ!?」
ルカは目の前に広がる光景に言葉を失う。
辺り一面が火の海で、 城塞は砲撃に一週間さらされたかの如く、完全な廃墟となっており、熱で溶けた大地が溶岩のように沸騰していた。
海に向かってズラリと並んでいた黒鉄の大砲は、全て融解して、地面に灼熱する真っ赤な鉄溜まりを作り出している。
肺を焼くような灼熱した風が吹き抜け――
「派手好きの私でもこれには脱帽よ。あんた達……ブリテンに戦争でもしかけたわけ?」
テュッティが呆れ半分、感嘆半分といった様子で口笛を吹く。
と、その時。
「――――露払いは、済ませて起きましたわ」
涼やかな声がして、炎の中から進み出たのは、天界から降臨したかのような一人の戦乙女。
純白の甲冑を纏い、その手に長大な漆黒の槍を携える。
彼女の名は、マリナ。
マリナ・ラスティア・ネイ・クリサス。
竜と巨人殺しの大英雄であり、邪神を蘇らせた大罪人であり、国を追放された呪われし彷徨い人である。
「つ、露払いどころか、薙ぎ払いです……」
アテネが呆然と呟いた台詞にルカは同意した。
「凄まじいな。マリナ、君の力を低く見積もっていたようだ」
「いいえ、ここまでの力が出せるだなんて、自分でも驚いていますの。ただ、少し張り切りすぎてしまいましたわ」
辛そうに微笑むマリナは、下腹部に手を添える。
ルカの目には、呪印が活性化しているのが見えた。
命をすり減らし、それでもこの場を死守してくれたのだろう。
「うちの隊長が道を開いてくれたぞ! これより撤退戦に移行する!!」
ルカは深い感謝と、強い友情を感じつつ、そう叫んだ。
◇
城塞を脱出したルカ達は、事前に決めていたルートを通り、船のある南の入り江に向かう。
空は茜色に染まり、日暮れがすぐそこにまで近付いていた。
「…………平気か?」
入り江までの最短を抜けるために森を突き切るルカは、後ろを走るテュッティに声をかける。
体調が優れないのか、先ほどから顔色が真っ青だ。
「心配、いらないわ……」
苦しそうに息を吐きながら、テュッティは胸を押さえる。
「お嬢様は、任せてくれ」
テュッティに肩を貸すシルフィがそう言った。
「頼むぞ。入り江までもう少しだ」
と、その時。
「伏せろ!」「伏せて!」
森の先に人の気配を察したルカとクロエが同時に叫ぶ。
アテネ達は急いで草むらに身を隠す。
だが、
「安心して、仲間を撃ったりしない」
木の枝に同化するように銃を構えるのは、仲間のルテシャであった。
「ルテシャか!」
「撤退中が一番危険。援護するため待機していた」
「ありがとう。助かった」
「構わない。それより……そっちの方が危険……」
木から飛び降りたルテシャが、マスケットライフルを背負って、テュッティに駆け寄る。
テュッティは何とか立ち上がろうとするが、手足に力が入らないのだろう。
シルフィの腕の中でぐったりとしていた。
「酷い呪いがかけられている。その影響で体内で聖霊が暴れているわ」
「何とか出来ないか?」
「ここでは無理。でも、ステラ・マリスに戻れば……」
「わかった。テュッティは俺が背負う。急ぐぞッ!」
ルカはテュッティを背中におんぶすると、行軍速度を上げた。
◇
入り江が見えてきた頃には、背中におぶったテュッティの意識はなく、身体は燃え上がるように熱を発していた。
「――――ルカ様!」
エミリーが真っ先にこちらに気がついた。
浜辺にはアマゾネス部隊と、海兵の精鋭達が勢揃いしていた。
オーガはルカと、その背中におぶられたテュッティをみやると、喜びに顔を輝かせるが、すぐにハッとした表情になる。
「お嬢に、お嬢に、何があったんだい!?」
「敵の呪いを受けた。治療には船に戻る必要がある。テュッティを頼む」
ルカはそう言って、背中におぶっていたテュッティをオーガに託す。
「任せな! 船の準備は出来ているよ!」
オーガは何より大切そうに、テュッティを両手で抱きかかえる。
「海兵及び、友軍の撤退は完了しました! 怪我をしたものは多くいますが、欠員はありません!」
そう報告したのは、栗色の髪の少女。
城塞に残ったマリナのかわりに、撤退の指揮を執った士官候補生のレベッカだ。
「皆、良くやってくれた! 感動の再開は後回しだ! 急いで出港するぞ!」
ルカは皆の労うように叫んだ。
エミリーはオーガの腕の中で意識を失うテュッティに寄り添うと、その真紅の瞳から涙を流すが、一言も声を発しなかった。
ここは敵地で、油断も、慢心も、次の瞬間には命取りになるとわかっているのだ。
海に出るまで、安心する事は許されない。
ルカはテュッティを船に乗せるべく、波が打ち寄せる海に足を踏み入れる。
と、その時。
ルカは見てしまう。
入り江の先の岬から姿を表す、巨大な船影を。
ブリテン王国が誇る一等戦列艦の姿を――
山の如くそびえる戦列艦の砲門が次々と開かれていき、無数の大砲が突き出されていく。
戦列艦の甲板で指揮を執る《海賊狩り》ウッズ・ロジャーズは、
「――――逃がさんぞ! エドワード!!」
と、腕を振り払い叫んだ。
同時にルカが吼えるように命じる。
「――――全員、船から離れろ!!」
次の瞬間。凄まじい砲撃音が幾重にも連鎖し、戦列艦から無数の水流弾が放たれた。
次々に浜辺へ着弾する砲撃に、砂や海水が吹き上がる。
海に出ていた二隻の船が木っ端微塵に吹き飛ぶ。
さらに、砲撃は容赦なく続き、ヒュルヒュルと音を立て、真っ直ぐにこちらへ飛来する。
迫り来る無数の水流弾に、ルカは己の死を覚悟しながらも刀に手をかける。
ルカの後ろには、愛するアテネが、テュッティがいるのだ。
命を懸けて戦ってくれた、かけがえのない多く仲間がいるのだ。
引くわけにはいかなかった。
だが――
バチリと、雷光が炸裂。
突如として海がせり上がり、白い飛沫を散らしながら巨大な『氷壁』がそそり立ったではないか。
直後、無数の水流弾が氷壁に突き刺さるり、凄まじい轟音と衝撃が走り抜けるが、分厚い氷壁はビクリともしなかった。
「砂浜に描いておいた聖霊陣が役に立ちました!」
救いの女神はすぐ側にいた。
アテネは白銀のソールレットで地面の踏みしめ、蒼く輝く聖霊陣を起動する。
「愛しているぞ、アテネ!」
ルカは思わず叫んだ。
「私もですッ!」
アテネは頬を紅潮させて応えると、双銃を引き抜き戦列艦に向けトリガーを引き絞る。
ジャインッ! と音を立て、茜色の空を貫くように発射された極大のレーザーは、自ら作り出した氷壁を穿ち、そのまま戦列艦に向け一直線に突き進むと、巨大な三本マストを全て断ち斬った。
倒れてくるマストの下敷きとなり、戦列艦が大きく傾斜していく。
あれで横転しないのは流石というべきだろうが、あの角度ではこちらへの砲撃は不可能だろう。
「さあ、今のうちに脱出しましょう!」
大金星を挙げたアテネに、周囲に大歓声があがる。
だが、その時。
「――――――――それは困るのう」
太陽が水平線の向こうに消えた直後に、その声は響いた。
振り返ったルカが見たのは、浜辺に一人立つ黒いローブの女であった。
「ッ!?」
ルカは一目で、こいつが全ての元凶だと、《暁の魔女》ウェルフリートの肉体を奪い生きながらえる『魔性の徒』であると知る。
「不浄なるこの身は制約が多くてのう。とくに陽の光は天敵じゃ。じゃが――」
ウェルフリートはそこで言葉を切ると、黒いローブが内側からボコボコと蠢き、
「此れより先は逢魔が刻。魔が跳梁跋扈する闇の刻限じゃ。存分に……力が振るえようぞ」
女が漆黒のローブを開くと、そこから凄まじい闇が溢れて砂浜を覆う。
広がる闇から現れ出でたのは、海で非業の死を遂げた数百を越える女達の『屍』であった。
海賊に、海兵に、奴隷に、商人――と、様々の格好をした者の中には、ルカが『見知った顔』が幾つか見られた。
「はは、なんだよオイ……なんで、目が見えねぇんだ? 俺は……生きているのか?」
ルカが首を断ち斬った、海賊キャプテン・キッドもその一人だ。
前も後ろも、さらに海からも、次々に動く屍が沸きだしてくる。
「くっ、駄目だ! 囲まれちまった!!」
テュッティは抱きかかえたオーガが叫ぶ。
と、
「…………これらの『式神』は、お前が作ったのか?」
ルカは尋ねた。
その表情は『マスク』に隠れうかがい知ることは出来ないが、その声は抜き身の刃のように鋭かった。
「ほう……? このような未開の地にも、陰陽の理を知る者がおようとはのう。じゃが、ここにおるのは出来損ないの『屍鬼』よ。『神』に至るには……死してなお輝く強き魂魄が必要じゃ。この者達のように……な」
女はそう言って右手を掲げると、左右に闇が蠢き、二人の女が現れた。
一人は《鮮血》のオクタヴィア。
そして、もう一人は――白色のローブを纏う、褐色の肌に、乳白色の髪を持つ女。
テュッティを助けた女の特徴にピタリと一致する彼女を、ルカはよく知っていた。
予感していたのかもしれない。
幽霊船のように黒い船の話を聞いた時から。
テュッティを助けた女の特徴を聞いた時から。
「…………ルカッ!」
愛する人の異常を察知したのだろう。
アテネは咄嗟に手を伸ばすが、ルカはその手を振り払い。
「俺一人でいい。俺一人で…………奴らを殺す」
そう告げると、ルカは一人で屍鬼の中へと歩を進める。
「出来損ないとはいえ、屍鬼もまた鬼の一種じゃ。この数を相手に勝てる道理はなかろう。おとなしく炎神の巫女を渡せ。さすれば……命だけは見逃してやろう」
ウェルフリートは最後通告のように言う。
だが、
「…………俺はずっと、お前を探していた」
ルカはそう言って、歩み続ける。
「妾は、そなたのような仮面の剣士に見覚えはないがのう?」
「あの夜……俺が乗っていた商船を沈めたのは、最初に襲ってきた海賊達じゃない。商船も海賊船も、あとからやって来た不気味な黒船に沈められたんだ。お前の姿を見て……ようやく思い出せたよ」
バチリとルカの周囲に雷光が炸裂。
砂浜を踏みしめるたび、その稲光は激しさを増していく。
「……………」
鬼気迫るルカの様子に、ウェルフリートは押し黙る。
「お前は、テュッティを攫い、エミリーを襲わせ、誇り高い戦士の魂を縛り、今もなお――――俺の家族を苦しめている」
怒髪冠を衝くかのように、ルカの漆黒の髪がざわめき、一瞬、漆黒の中に金色が混じる。
そして、
「―――――――俺の大切なものを、これ以上穢すなッ!!!!!」
怒りの雄叫びが、天と地の両方を震わせた。
直後、夜の帳を消し去るかのような閃光が走り、天より金色の稲妻がルカの身に降り注く。
凄まじい衝撃波が闇を蹴散らし、光を浴びた屍鬼が一瞬で灰に散る。
「…………雷神を招来した……じゃと?」
ウェルフリートは驚愕に後ずさりし、黒いローブから僅かに覗く紫色の唇をわなわなと震わせるが、
「くく、あーはっははは! なんとも、なんとも数奇な運命よ! まさかこのような異国の果てで、雷神に縁のある者に出会えようとは!? 炎神の巫女を喰らう前に、雷神をも喰ろうてやろう! 奴を捉えよ! 命さえあれば手足を捥いでも構わぬ!!」
けたたましく笑うと、式神と屍鬼の両方に命じる。
意識を完全に奪われているのか、虚ろな顔のオクタヴィアは、それでも以前と寸分変わらぬ神速で斬り込んできた。
同時に、白のローブを纏った女が、禍つ言霊を唱えてルカを呪う。
三人がかりで命からがら退けたオクタヴィアを相手に、ルカは刀も抜かず、徒手空拳で立ち向かう。
ただ前へ歩を進める。
ルカが見据えているのは、黒いローブの女だけであった。
オクタヴィアはルカの首を断ち斬らんと、刃を振り抜いた。
だが、
「魂の籠らない剣で、今の俺は止められないぞ、オクタヴィア!」
ルカは神速の刃を、なんと手の甲で払い落としたではないか。
さらに、がら空きになったオクタヴィアの胴体に掌打を叩き込む。
ドンッ!と、砲撃のような音がして、オクタヴィアの身体が大きく放物線を描いて吹き飛ばされた。
と、その時。
白いローブの女が、ルカに向け手を掲げる。
禍つ呪いが、漆黒の稲妻となって放たれたるが、ルカのマスクが変わりに呪い受けて弾け飛ぶ。
素顔をさらすルカに、白のローブを纏う女は虚ろな瞳から涙をこぼし――
「――――ル、カ」
と、助けを求めるように、殺してと懇願するように呟いた。
「大丈夫だ。今、解放してやる…………アデラ」
それはルカが乗っていた商船の、奴隷のまとめ役をしていた女の名であった。
九つで奴隷となり、右も左もわからぬルカに、一から船乗りの心得を教え、竪琴の弾き方を教え、孤独に打ち震える心を、時に厳しく、時に優しく導いてくれたもう一人の母。
アデラを、そして奴隷仲間を探す事こそ、ルカが海軍に入ると決めた一番の理由であった。
そのアデラが、目の前にいる。
式神として――
バチリと、雷花が咲き、ルカは雷光を束ねた雷神の太刀を引き抜いた。
人の祈りに応えて神が降臨したかのように、ルカの髪も瞳も、金色に染まり、極光の剣を構える。
その姿は、まさに霊験あらたかであった。
屍鬼が雪崩をうって押し寄せるが、ルカが一振りすると百の屍鬼が消え去り、もう一振りすれば二百の屍鬼が消滅した。
それでも屍鬼は、灯火に集まる蛾の如く押し寄せる。
死者は生者の血肉を求め、その絶望の悲鳴でしか、餓えを満たすことは出来ない。
だが、ルカに向かう屍鬼達は、非業の死を遂げた女達は、まるで救いを求めるかのように哭いていた。
「……信じられない。悪魔達が哭いている」
ぽつりと、ルテシャが呟いた。
ルカに向かう鬼が皆、哭いているのだ。
そして、哭く鬼達を、ルカは斬って、斬って、斬り続けた。
血と臓物で、真っ赤に染まり、それでも斬って、斬って、斬って――――
◇
「―――――――ッ」
アテネはギュッと胸を押さえる。
哭いているのは、鬼だけでない。
ルカも心の中で、哭いているのがアテネにはわかるのだ。
あの中に、ルカにとって大切な人がいるのだ。
その大切な人を斬らなければならない苦しみは、きっとルカの心を壊してしまう。
手を出すなと言われた。
だが、
「あなたの言い付けを、初めて破ります……」
アテネは銃を引き抜き駆ける。
一度の踏み込みで、最高速に至ったアテネは、蒼い流星のように突撃。
ルカに向かう屍鬼の群れに飛び込んだ。
「――――ッ!? 下がれ、アテネ!」
突然、飛び込んで来たアテネに、ルカは怒鳴るように吠える。
だが、
「いいえ、下がりません!」
アテネが地面を蹴ると、分厚い氷壁が幾つも隆起し、屍鬼の侵攻を食い止める。
しかし、屍鬼達は仲間を踏み台にして、次々に氷壁を乗り越え向かって来る。
「下がれと言った!!」
押し寄せる屍鬼にルカは刃を振るい、周囲に雷花を咲き乱れさせる。
あまりに強大な雷神の力は完全に制御出来ず、稲妻の嵐は屍鬼だけではなく、アテネの身体をも焼いた。
それでもアテネは苦悶の一つも上げず、ルカより前に出る。
「私はルカの盾です! ルカがそう望まないとしても、私は私の意思でルカを守ります! 邪魔なら後ろから斬って下さって構いません!」
ルカは刀を振るえず歯噛みする。
「今の俺は諸刃の剣だ! 振るえば、敵のみならず味方をも傷付けてしまう!」
「ルカの心の痛みに比べれば、私の痛みなんて些細なことです!」
「アテネッ!!」
「ルカの悲しみも、苦しみも、そして痛みも、全て私のものです。誰にも渡しはしません!!」
愛が、魂の叫びとなって放たれた。
それに呼応するように、アテネの全身から凄まじいエーテルが溢れ出す。
「―――――――ッ!」
ルカは絶句するしかなかった。
アテネの想いの強さに、その愛の深さに――
そして、
「凍土の女王よ。孤独に凍てつく汝の御手で、彼の者達の刻を停止せよ! 《絶対零度の氷獄》!!コキュートス・コフィン」
蒼い雷花を散らしながら、アテネは天高く掲げた右足を地面に振り降ろす。
激震が大地を走り抜け、次の瞬間には、世界が純白に染まった。
周囲の屍鬼が全て、時が止まったかのうに動きを止めていた。
否――彼女達は、氷の獄に閉じ込められていたのだ。
その中には、涙を流したまま凍てつくアデラの姿があり――
「……………………」
ルカの瞳から、一筋の涙が伝う。
ああ――よかった。もう一人の母を、かけがえのない家族を、斬らずに済んだという、心からの安堵がルカの全身を包む。
「目的を見失わないで。私達は、なんのためにここにいるのかを。誰のために戦っているのかを」
涙を流して立ち竦むルカの頬に、アテネはソッと手を伸ばす。
自分の変わりに傷付き、帰り血を浴びるアテネの姿に、ルカの目に熱いものが込み上げる。
「俺は――……」
「一人で戦うなんて寂しい事は言わないで下さい。一緒に戦いましょう。一緒にあいつを倒しましょう。そして、皆と帰りましょう」
「すまなかった。アテネ……ッ」
ルカはアテネをギュッと抱き締めた。
「謝る必要なんてありません」
アテネは何も言わずに、ルカの背に手を回す。
「…………アテネは導きの光だな。俺が道に迷えば、必ず先を照らしてくれる」
「私はただ……ルカの側を離れないだけ。例え、道に迷っても二人なら怖くありません。どんな場所だって楽園に出来ますから」
「そう、だったな」
無人島での生活を思い出し、ルカはクスリと笑う。
胸のつっかえが取れたように、軽やかな気分だ。
「速やかに脅威を排除し、この場を撤収する。俺に……力を貸してくれ、アテネ」
「はい!」
ルカとアテネは二人で並び立ち、黒いローブの女に、《暁の魔女》ウェルフリートにそれぞれの武器を向け構えた。
「…………話し合いは、終わったようじゃのう?」
「待っていてくれるなんて、随分と優しいじゃないか」
「磨り潰してやってもよかったが……そなたに、聞きたい事が出来たゆえ」
「答える必要が?」
「妾の問いに素直に答えたなら……そうじゃな。引き換えにこの地の一切から手を引こう。炎神の巫女に付した呪いを解き、復讐に狂った剣士も、異教の神を信奉する奴隷も解放しようではないか」
ウェルフリートが提示したのは、破格の条件であった。
ルカは警戒を抱きながら、アテネを見る。
アテネはコクリと、うなづいた。
「さあ、どうするのじゃ?」
「いいだろう。この俺に何を問う?」
「まずは……そなたの名と、正体を明かして貰おう」
ウェルフリートは両手を広げて言った。
ルカは破れたマスクに手をかけると、その素顔を晒した。
そして、
「――――姓は橘。名は琉風。大和の国が西の盟主。鹿児島藩は島津家に仕える鬼狩りだ」
「やはり……そうかえ。雷神を招来した時からまさかと思うていたが、その顔と、鬼を狩りし技を見て確信したわ。そなた――――『橘宗重』の子だな?」
ウェルフリートの言葉に、驚愕したのはルカの方であった。
「父の名を知る貴様は……何者だ?」
「生きていた頃の名など、とうに忘れたわ。そなたの父が怨めしゅうて、怨めしゅうて……このように夜叉に堕ちた……はしためよ」
女はそう言って、黒いローブを脱いで顔を晒す。
こぼれ落ちる純白の髪。
柔らかな白皙の肌に、切れ長の眼には朱色の目はじきが映え、官能的な口元。
素顔を晒す魔性の徒は、怖気が走るほど美しい面立ちをしていた。
だが、その頭部からは、禍々しい二本の角が生え出て、首から下は――腐り果てて無数のうじが湧いていた。
「そなたの父に首を切り落とされ、肉体は荼毘にふされてのう。こうして……仮初めの身体がなければ歩く事もままならぬのじゃ」
「鬼の首は塚として祭るのがしきたり。どうやって蘇った?」
「ククッ……愚昧極まる南蛮人の仕業よ。不老長寿の秘薬には鬼の首が使われる。鬼は強大であればあるほどよい。そんな噂に釣られた『墓荒らし』に、妾の首塚は暴かれ、封印がなされた箱は南蛮人の商人に売り渡された。あとは、わかるじゃろう? その愚かな商人が……妾の最初の贄となったのじゃ」
「目的は復讐か?」
「他に何があろうて? そなたの父を喰い殺さぬ限り……妾の腹は満たされぬ。夜叉となった今ならば……雷神宗重ともよい戦が出来るであろう。が、しかし……女神の呪いは強大。腐り果てたこの身体では海を渡る事は出来ぬ。故に次なる器を求めて策をろうしたが――――よもや、『橘』の方から妾の前に現れるとは数奇な巡り合わせよ」
鬼は、そこで言葉を切ると、真紅の瞳でこちらをねめつける。
「さあ、言え橘の小倅。妾の憎き愛しき宗重はいずこにおる? 如何なる理由か知らぬが、子のそなたが異郷の地にいるということは、宗重も…………いるのであろう?」
甘く粘り付くように、鬼は言霊の全てに凄絶な殺意を滲ませる。
「………………」
ルカは口を閉じたまま、しばらく黙り込む。
「どうしたのじゃ? おなごどもを助けたいのではないのか?」
「約束しろ。父の居場所を話せば、必ず……解放すると」
「鬼は人を化かすが、嘘はつかぬ。人を謀るのは人だけじゃ」
「ならば、俺も嘘偽りなく、真実を言うと誓おう」
ルカはそこで言葉を切ると、スッと息を吸い込み――
「俺の父、橘宗重は――――もはや現世にはいない! 《角の討ち手》と称された稀代の鬼狩りは、あろうことか鬼に堕ち、一族郎党多くの犠牲の元に討滅された!!」
一族の恥を、不名誉を、大音声で叫んだ。
「ッ!?」
鬼は衝撃を受けたように、切れ長の目を大きく見開くが、
「異なことを! あの雷神宗重が鬼に墜ちただと? 妾を謀ると許さんぞ、橘の小倅!!」
すぐに般若の形相となり喚いた。
ただそれだけで、威圧感が物理的な嵐となって周囲に吹き荒れる。
「父の首は、遺言に従い『春日山』の麓にある鬼塚に封じられた。あんたの隣だよ」
「―――――なッ!」
今度こそ、鬼は驚愕に言葉を失った。
「生前、父は一度だけ……あんたの話をしてくれたよ。あんたを愛していたと。愛していたからこそ、鬼に堕ちたあんたを斬るしかなかったと。父はその事をずっと後悔されていた。鬼に堕ちてしまったのも、積年の悔恨が心に作りだした歪みが原因だろう」
「嘘じゃ! 嘘じゃ! 嘘じゃ!!!」
両手で顔を覆い、漆黒の髪を振り乱して、鬼は半狂乱で叫んだ。
だが、
「―――――――桔梗の姫」
ルカがその名を呼ぶと、鬼はハッとした表情で顔を上げた。
「父が、母以外に唯一愛した女の名だ」
知るはずのない、鬼の名をルカが知っていた。
それこそが、ルカが語る言葉が全て真実であるという、残酷なまでの証であった。
「嘘じゃ………………」
ピシッと何かが割れる音がして、美しい鬼の顔に大きなヒビが入る。
「嘘じゃ……………」
ひび割れは徐々に広がっていく。
「宗重様が……もう、この世にはおらんじゃと? 天津国の人が……鬼に堕ちたじゃと……?」
鬼の禍々しい真紅の瞳から、一滴の涙がこぼれおちた。
「ならば、妾は何のために……何のために…………」
その言葉を最後に、鬼の顔に致命的な亀裂が入り、その向こう側からどす黒い闇が噴出した。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――――――――」
悲しき絶叫は、やがて闇に呑まれて消え去り、決壊した濁流のように噴出する闇だけとめどなくあふれ出す。
ヘドロのような闇は、浜辺にも、森にも広がっていく。
「全員海に逃げろ! この闇に当たればただでは済まないぞ!!」
ルカが叫ぶ。
「はい!」
アテネが応えて、女達は波が打ち寄せる浅瀬まで後退する。
だが、ルカ達が逃げた海からは、闇に引き寄せられるように《大地神エンシガイウス》の眷属たる海獣達が現れたではないか。
「か、囲まれているぞ!」
「何がどうなっているんだい!?」
シルフィと、オーガが唸るように叫ぶ。
前からは海獣が、後ろからは闇が、そして、大地から無数の魑魅魍魎が湧き出していた。
「――――ルカ!」
「くっ」
ルカはアテネ達を守らんと、刀を構える。
ところが、夥しい数の海獣達は、陸に沸いた鬼達は、こちらを一顧だにせず、まるで意思を持つかのようにどんどん肥大化していく闇にこそ向かって行った。
闇もまた、向かって来る化け物を喰らい、取り込み、さらに巨大になっていく。
「…………蠱毒? いえ、これは……邪神に転生しようとしている?」
ルテシャが愕然とした表情で言った。
天にも届かんばかりに肥大化した闇は、単細胞生物のように蠢くと、徐々に枝分かれして巨大で醜悪な大蛇へと姿を変えていく。
八つの頭を持つ、巨大な大蛇へと――
「………………八岐大蛇」
ルカが天を見上げて、そう呟いた。
それは大和の国の神話に登場する、最悪最凶の邪神の名前であった。
禍々しき呪いの集合体が、人が抗う事の出来ない超常の化け物が、さらなる贄を求めるかのように闇夜に向けて雄叫びを上げた。




