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 海賊の巣窟であつたナッソーから海賊を駆逐し、その根城に建造されたのが『シャーロッテ要塞』である。

 分厚く高い城壁に、無数の大砲。

 多くの艦が停泊する軍港――と、その規模は明らかに海賊に対するに(、、、、、、、)は過剰であり(、、、、、、)、本来の目的は他国との『戦争』に向けての海洋拠点であった。


 そんなシャーロット要塞の地下には、『大牢獄』という海賊狩りの名残が存在していた。


 陽の光が届かない牢獄は、月の出ない闇夜よりも暗く、淀んだ空気がヘドロのように沈殿する。

 死んでいった海賊の怨念が染みついているのか、今も、何処からか拷問による悲鳴が聞こえてきそうなほど、不気味な空気に包まれた大監獄。


 その最下層にある『特別監房』に――テュッティは捕らえられていた。


 腕には手枷が、脚には足枷が嵌められ、鎖で天井に吊るされている。

 聖霊器である指輪も、龍鞭も全て取り上げられ、殴られたのだろう。口元に血の跡が痛ましく残ってた。


 と、その時。


 ギギギギギ――――と、重々しい音がして、牢獄の扉が開かれた。


 入ってきたのは、豊かなブロンド髪を束ねたブリテン将校の女。

 年の頃は四〇半ば過ぎ。背は高く、精悍といえる顔立ち。武人として相当鍛えているのだろう。その動きは流麗で一分の隙もない。


 彼女の名は、ウッズ・ロジャーズ。

 かつては私略船の船長であり、世界一周を目指した冒険家であり、今はブリテン女王に忠誠を誓う《海賊殺し》を異名を誇るナッソーの提督である。


「お互い、顔を見るのは初めだな、エドワード・テュッティ。いや、ハイランド王女ティファニア・アイナース・ハイランドと呼んだ方がいいかね?」

 ロジャーズは歴戦の猛者を思わせる鋭い目で、囚われのテュッティを見上げる。


「…………」  

 テュッティは薄く目を開けると、ロジャーズを見て苦笑した。


「どうした? 随分と無口じゃないか」


安心しただけよ(、、、、、、、)。妹は生きてはいない。ここにあるのは形見の指輪だけ。どこで見つけたのか知らないけれど、私一人を誘き寄せるのに随分迂遠な手を使ったわね」


「…………」

 ロジャーズの眉がピクリと動く。


「目は口ほどにものをいう。私の前にまぬけ面を晒したのは失敗だったわね、ロジャーズ」

 テュッティはそこで言葉を切ると、口角を釣り上げ――


「あら、どうしたのかしら? 随分と無口(、、、、、)じゃない(、、、、)

 先ほどの意趣返しのように言う。


 パンッ! と乾いた音が響き渡り、頬を打たれたテュッティの唇から血が流れる。


「海賊風情があまり頭に乗らないことだ。お前の命運は私の手のなかにあるのだから」

「……海賊風情ね。私の記憶が確かなら、お前も海賊だったでしょうに?」

「一緒にしてくれては困るな、エドワード。私は誇り高きブリテン海軍であり、偉大なる女王陛下より勅許特許状を頂いた身だ。神の赦しにより私略を行い、奪った財貨の全てを国に捧げてきた崇高なる信徒だ」


「選んで殺すのが、そんなに上等かしら」


「ふ……信じる神のいない貴様には永遠にわからんよ。それより、貴様が恩赦を申し出た時は、目を疑ったぞ。母娘二代にわたってブリテン王国に仇を成してきて、今さら神の赦しが得られると本気で思っていたのか?」


「知っているわよ。お前が信じる神とその代弁者は、金で『免罪符』を売ってくれるのでしょう?」

 テュッティは冷たい声に、ゾッとするほどの殺気を籠めて言う。

 そこには、父と妹を殺したブリテンに対する憎悪が、轟々と渦巻いていた。


 ロジャーズはその殺気を平然と受け止め、そして、口を開いた。


「一つだけ問う。正直に答えれば、こちらも伏せているカードを開こう」


「…………言いなさい」


「恩赦を得て、ハイランド王家を復活させようというのは――――本当か?」


「本当よ」

 ロジャーズの問いに、テュッティは間髪入れずに答えた。


「そうか。奴の言葉は真実だったか……」

 ロジャーズは目を閉じ、小さく息を吐く。

 再び目を開いたロジャーズの瞳には、明確な殺意が宿っていた。


「貴様の処刑が、今決まったぞ……エドワード」

「そう」

「楽に死ねると思わない事だ。手足を切り落とし、その綺麗な鼻を削ぎ落し、両目を焼き潰してから断頭台に送ってやる。首は塩漬けにされ本国で晒し首になるだろう」

「それで神の信徒とよくもいえたものね」


「知らなかったのか? 神の教えでは、異端は串刺しにして火刑にしてもかまわないのだよ」

 ロジャーズは踵を返すと、牢獄を出ようとする。 


「待ちなさい、ウッズ・ロジャーズ」

 と、テュッティが引き留める。


 そして、 


「お前が伏せているカードを、見せる約束ではなくて? その胸ポケットに隠している、ね」


「…………もはやその必要はなくなった。死人には不要なものだからな」

 立ち止まったロジャーズは振り返らずに、吐き捨てるように言った。


 と、その時。


「――――まだ断頭台に送られては困るのう、ウッズ・ロジャーズ」


 深淵から響く声は、ただそえだけで身の毛がよだつほど不気味で、寒々しかった。

 現れたのは、黒いヴェールで顔を隠す、黒衣の女。

 女は長い黒衣を引きずるように、音もなくロジャーズに歩み寄る。


「ウェルフリートか……」

 と、ロジャーズが忌々しげに言う。 


「妾が欲するはその娘の肉体だけ。そなたが欲しいのは首から上だけじゃろう? 残った首を煮るも焼くも好きにすればよいが――妾が肉を喰らうが先じゃて」

 甘く絡みつくように囁く女こそ、イスパニアの英雄と謳われた大海賊《暁の魔女》ウェルフリートであった。


「ふん……わかっている。そういう盟約だったからな。終わったら呼ぶがいい」


「案ずるがよい。そなたが約束をたがえぬなら、妾も約束は守ろう」

 ウェルフリートはそう言って、黒いベールの向こうでクツクツと笑った。


 ロジャーズは冷たい瞳でそれを見下すと、黙って牢獄を出ようとしたところで、ウェルフリートが連れて来たであろう『女の奴隷』に目を止めた。


 一言で、美しい奴隷であった。


 褐色の肌に、艶やかな乳白色の長い髪。ウェルフリートとは正反対の白いローブを纏っていた。

 だが、ロジャーズが気になったのは、女の肌と髪の色であった。


「――――テム族の娘が、何故このようなところに?」

 その人種的特徴は、ブリテンが三〇年前の戦争でコロンビアから削り取った『十三植民地サーティン・コロニアス』の一つに住まう原住民のものであった。


 現在、『十三植民地』ではテム族を始めとする原住民との緊張が高まっており、いつ戦争状態に突入してもおかしくないらしい。

 争いの火種となったのは、原住民の女を『奴隷』として徴収した事にあるという。


「妾の傀儡に興味があるのかえ?」

「……美しい奴隷だと思ってな」

「ほう。案山子を愛でる趣味があったとはのう」


 ウェルフリートが案山子と言ったように、テム族の娘は意識を刈り取られているのか、瞳に光はなく、死人のように生気が感じられなかった。

 邪悪な術に侵されているのだろう。

 そして、エドワード・テュッティもまた、これからさらにおぞましい仕打ちを受けるのだ。

 同情する気持ちは欠片もない。

 どのような過去を持とうとも、エドワードはブリテン海軍の船を襲い、可愛い部下を何人も殺めて来た極悪人だ。


 なのに、ロジャーズの胸中に渦巻くのは、苛立ちと葛藤であった。


「意思なき人形も悪くない。余計な口を聞かないからな」

 邪悪な異教徒めと、心の中で罵りながら、ロジャーズは牢獄をあとにする。


 テュッティの真紅の瞳から、逃れるように―― 


     ◇


「……あのような不浄の輩を、信用なさるのですか、ロジャーズ様?」

 自室に戻ったロジャーズに、側近である将校の女が声をかけて来た。


「今は好きにさせるといい。奴は約束通り、エドワードを捕らえ、連れてきたのだから」

「ですが……」

「エドワードを侮ってはならん。あの《黒髭》が何の対抗策もなく単身で乗り込んで来るわけがないだろう?」

「武器も聖霊器も取り上げ、手足を拘束してなお、脅威が残っていると?」

「一六九二年に起きた、十三植民地の悲劇を忘れたのか?」


「……セイラムの魔女裁判ですか」


「そうだ。あの時の被告人が、ただの村娘だったのか、本当に魔女だったのか――は、重要ではない。問題は彼女が『聖霊憑き』だった点にある」

「死者行方不明者を合わせて七〇〇〇人の大火が、このナッソーでも起きかねないと?」

「敵の戦力を過小評価してはならん。エドワード・テュッティならそれくらいやってのけるだろう。今は不浄の化け物の慰みものにさせておけ」


「毒を以て毒をせいす……ですか」

 将校の女に不安の気配がある事を、ロジャーズは気付かないフリをして問う。 


「本国への派遣要請は?」

「聖霊教の聖騎士が二〇名、異端審問官一名が、明日にもナッソーに到着するとの事です」


「重畳。準備が出来しだい事を始める。海上封鎖をげんと成せ」

 《暁の魔女》ウェルフリートが、魔に属する化け物である事は既に調べがついている。

 黒髭を捕らえるために手を組みはしたが、あれもまた――必ず滅ぼさなければならない神敵だ。


「了解しました」

 去っていく部下の足音を耳にしながら、


「……エドワードめ……恩赦が叶っている事を知っていたか」 

 ロジャーズは懐から一通の書状を取り出した。

 敬愛する女王陛下のサインが成された書状には、《黒髭》ことエドワード・テュッティの恩赦に関するものであった。


『汝がその罪を真に悔い改め、二度と悪の道に進まないと神に誓うのであれば、全ての罪を赦し――ここに汝へ恩赦を与えん』


 この書状が届いたのは半月前。

 ロジャーズは黒髭を憎々しく思いながらも、女王陛下の御心に従おうとした。


 だが、その矢先に現れたのが、イスパニアでは伝説を築いた海賊、《暁の魔女》ウェルフリートだ。


 彼女はエドワード・テュッティが、滅んだハイランド王家の末裔であり、恩赦を気に王権の復活を目論んでいると聞かされた。

 その情報が真実だとするなら、エドワードの恩赦を許せば、ブリテンの植民地であるハイランドでは独立の気運が高まり、やがて革命に発展するだろう。


 ハイランドは植民地拡大を続けるイスパニア帝国への『楔』であった。


 その楔が解かれたとあれば、カリブ方面へのブリテン王国の影響力低下は免れない。

 事は一海賊の恩赦に留まらない、国の大問題であった。


 なにより――

 

 もし、心優しき女王陛下が『真実』を知らずに、黒髭へ恩赦を与えたのだとしたら?

 それは、女王陛下の御心に、後ろ足で砂をかけるがごとき背信行為だ。


 断じて許せるものではない。


 ロジャーズは迷った。

 黒髭には既に、恩赦を許す旨の書状を送っている。

 今から女王陛下に事実を確認しても、連絡船が本国とナッソーを往復するには一ヵ月はかかるだろう。


 だから、ロジャーズは得体の知れないウェルフリートの提案に乗ることにした。

 まずはエドワードを捕らえ、彼女に直接真偽を問う事にしたのだ。


 その結果。


「ウェルフリートが言っていた事は全て真実だった。エドワードはハイランドの王女で、王家の復活を目論んでいた。だが――」


 もし女王陛下が(、、、、、、、)全てを知っていて(、、、、、、、、)それでも恩赦を(、、、、、、、)与えたのだとしたら(、、、、、、、、、)


「私は……悪魔と契約したのかもしれないな」

 聖騎士達が到着次第、ウェルフリートを討伐し、あとはエドワードを捕らえたまま、本国からの連絡船を待てばいい。 


 どちらに転んだとしても、守るべきはブリテンの利益であり、女王陛下の意思だ。 


     ◇


 その頃。地下の牢獄では――

 

「…………随分と回りくどい手を使うのね。私にようがあるなら直接挑めばいいでしょうに?」

 テュッティは挑むようにそう言った。


 鎖に吊るされたテュッティの足元では、褐色の肌に、乳白色の髪を持つテム族の娘が、ウェルフリートに命じられて、血で禍々しい陣を描いていた。

 その様子をつぶさに監視していたウェルフリートは、


「ククッ……女神の呪いは強力でのう。妾の術をもってしても、この世の全てを自由に出来る訳ではないのじゃ。とくに――――腐り始めた(、、、、、)この身体では(、、、、、、)、のう?」

 と、言って、黒衣の袖口をゆっくりとめくり上げた。

 露わになった右腕は半ば腐り落ち、一部に骨が覗き、さらには肥え太った蛆が無数に沸いているではないか。


「ッ!?」

 テュッティは驚愕に目を見開いた。


「魔性の徒を見るのは……初めてかえ?」


「ええ……喋る死人は初めて見るわ」

 不浄な闇を祓うかのように、テュッテの身体から絶大なエーテルがほとばしる。

 バチリと、雷光が炸裂。


 腐った手をテュッティに伸ばしていたウェルフリートは、火傷したかのように手を引いた。


「ああ、惚れ惚れするほど素晴らしい器じゃ。よほど強大な炎神が封じられているのか、それとも本人の資質か」

「炎神ですって?」

「聖霊憑きと呼ばれる病の正体じゃよ。この世を一度滅ぼした終末の焔であり、創世記に登場する炎剣の破片……いや、残り火といったところかのう」


「この火と鉄の時代に、カビ臭い話をするものね」


「じゃが、事実……そなたは感じておるじゃろう? 身の内に潜む紅蓮の意思を。血の声を」

「………………」

「聖霊に憑かれた者は極めて優秀な術師と成れるが、若くして命を落とす運命じゃ。強き炎の蝋燭がより早くに燃え尽きてしまうようにのう。じゃが、極稀に……強き炎を猛らせてなお生き残る者がおる。そなたや、この《暁の魔女》ウェルフリートと呼ばれた娘のように、な」


「お前はそうやって、強い力を持つ聖霊憑きの身体を奪い……生きながらえて来たのね」


「ククッ……そなたにはずっと目をつけていた。そなたの肉体を使えば、妾の宿願を成就する事が出来よう。アデラよ……もうそれでよい。離れておれ」

 ウェルフリートはそう言うと、アデラと呼ばれたテム族の娘は操り人形の如く立ち上がり、壁際まで下がる。


「まずは、その精神を砕かせて貰おうか。己が命を触媒に、この地の全てを焼き尽くすつもりであったのであろう?」


「――――ッ」

 隠していた手の内を知られ、テュッティは歯噛みする。


「若き乙女は恥辱よりも、軽々に死を選ぶからのう。この《暁の魔女》も同じ真似をしおってな。不完全な肉体しか乗っ取る事が出来なんだ」 


 ウェルフリートはゆっくり右手を掲げる。

 闇に包まれた袖口からぼとぼとと黒い膿が溢れ出し、地面に描かれた陣に広がっていく。


 直後、陣から黒い稲妻がほとばしり――


「くッ……ああぁ――――ッ!?」

 生きたまま焼かれ、全身を串刺しにされたかのような激痛に、テュッティは身体をのけ反らせて白い喉から苦悶を上げた。


 自分はここで死ぬのだろう。

 部下を置いて単身敵地に乗り込んだ時から、否――海賊として生きると決めた時から、死ぬのは覚悟していた。


 だが、 


「――――ル、カ……ッ」

 痛みと絶望の中で、テュッティの口からこぼれるのは、一人の少年の名前であった。

 もはや、生きて二度と会うことはないであろう。


 黒髪の少年の名を――



 この時、テュッティも、ウェルフリートも気付かなかった。

 背後に控える褐色肌の奴隷が、生気を奪われた人形のようなその瞳から、一滴の涙を流していた事に。



     ◇


 シャーロッテ要塞から、西南に五キロほど進んだ海岸線にて。


 朝焼けの海に立ち込める霧を払うように、二隻の漁船が入り江へと侵入して来た。

 船はそのまま海岸へ向かい、砂浜へと乗り上げる。


 だが、漁船から降り立ったのは漁師ではなく、屈強な『海賊』に、精鋭ぞろいの『海兵』であった。


 本来は敵同士であるはずの彼女達は、ルカの指示により、一つに集い事を成そうとしていた。

 互いに慣れた動きで船に引き上げ、ネットを被せて欺瞞を施した女達は、船から様々な装備を下ろしていく。その中には、紋章砲までがあった。


 コロンビア海軍からは、マリナを隊長に、クロエやルテシャなど選りすぐりの精鋭が四〇名。

 黒髪海賊団からは、オーガに筆頭に、戦闘に特化した精鋭が四〇名。


 海軍と海賊の混成部隊の目的は一つ。

 エドワード・テュッティの捜索と、救出である。


 だが、所在不明のテュッティをどうやって探すのか?

 既に手は打たれていた。


 ガサリ――と、物音がして、警戒する皆をマリナは手を上げて制止した。


 森から現れたのは、黒髪の少年ルカと、メイド服を纏うアテネに、女剣士シルフィであった。

 千里眼とも称される瞳を持つルカと、風を呼べるシルフィと、水を自在に操れるアテネの三人は、『ヤハト』と呼ばれる小型快速ヨットで五時間も先にナッソーに上陸。


 先行してテュッティ捜索の任に当たっていたのだ。


「ルカさん!」

 マリナは顔を輝かせてルカの元に駆け寄った。

 オーガも部下を連れて、ルカの元へ急ぐ。


「皆さん、ご無事でなによりです。こちらも敵に悟られる事なく上陸に成功致しましたわ」

 マリナの報告にルカはうなづき、


「ご苦労だった。早速で悪いが大事な話がある。全員よく聞いてくれ」

 ルカはそこで言葉を切ると、女達を見渡す。


 そして――


「――――テュッティを見つけたぞッ!!」


 と、感極まったように、拳を掲げた。

 オーガを始め、黒髭海賊団の女達の顔に希望の光が指す。


 海兵隊の少女達も声を我慢しながら、ガッツポーズを取った。


「アテネ、地図を頼む」


「はい!」

 アテネは短いメイドスカートの中から、地図を取り出し砂浜に広げた。

 ナッソーの地形が詳細に描かれた地図には、先行偵察で得た様々な情報が書き加えられていた。 

「テュッティが捕らえられているのは、ここ――『シャーロット城塞』の地下牢だ」

 ルカは地図に描かれた巨大な城塞の中で、一番北にある建物を指差した。


「お嬢様の匂いはその建物で途切れていた。間違いなく、そこが地下牢の入り口だ!」

 シルフィは抑えきれない喜びを、声に乗せて言った。

 『獣憑き』であるシルフィは、その身に獣の特性を色濃く残している。聴覚も、嗅覚も、訓練された猟犬をも凌駕するという。


「警備は異常なほど厳重でした。歩哨があちらこちらに配置され、常に巡回しています。城塞の外にも兵がいて簡単には近寄れません。ライフル兵の位置はこことここです」

 アテネは地図の上に小石を並べて、兵の配置を示していく。


「敷地内から番犬の臭いもした。五匹か、六匹はいるぞ」

 シルフィが付け足す。


「鉄壁ですわね。これを落とすのは骨が折れますわ」

 マリナが腕を組んで、厳しい顔をする。


「夜まで待つってのもありじゃない? 闇に乗じて動くとか」

 クロエがそう提案するが、ルカは首を左右に振った。 


「いや、事は一刻を争うと考えるべきだ。予定通りテュッティの救出を最優先に動く」

 ルカが皆を見て、そう言った。


「教えてくんな。この規模の城塞をどうやって攻めるんだい? アタシ達はお嬢のためなら死ぬ覚悟を決めて来た死兵さ。どんな無茶だってやって上げるよ」

 オーガが分厚い胸板を叩いた。


「俺達の目的は『囚われの姫』をかっさらう事だ。戦争に来たわけじゃない。城塞全ての兵士を相手にする必要はないんだ。皆、地図を見てくれ。――――これより作戦を説明する」

 ルカの言葉に、女達は真剣な表情で地図を見下ろした。


「オーガ率いるアマゾネス部隊は、全ての大砲を引いて城塞の東側へ。ここの崖裏に陣取ってくれ」

「ああ、任せな!」

「オーガの部隊の役目は陽動と目眩ましだ。合図を出したら派手にやって目を引いてくれ。敵が砦から釣れたら、撃てるだけ撃って速やかに撤退だ。引き際を誤るなよ」


「誰にいってんだ。アタシらは海賊だよ。引き際は心得ているさ。なぁ、お前達!」

 オーガは獰猛に犬歯を覗かせ笑みを作る。

 背後に引き換える筋骨隆々の女達が、拳を打ち合い「やー!」と答えた。


「マリナ率いる海兵隊は、城塞の西側正面。城門が見えるこの入り江に移動してくれ」

「はい」

「マリナの部隊の役目は破壊と混乱だ。陽動部隊が動いた直後に強襲をかけろ。敵に本隊は西側だと思わせる」

「わかりましたわ」


「この作戦の成否の鍵を握っているのはマリナといっても過言じゃない。一番危険な務めを任せる事になる」

 城塞攻略を考えていたルカに、マリナが提案して来た事がある。

 今の自分なら、『一人』で城門を破壊できると。 


「安心して下さい。期待に応えてみせわすわ」

「一つ約束してくれ」

「なんなりと」

「必ず生きて帰るんだ。この作戦には一人の死者も許されない」


「承知しました。一名の欠けもなくやり遂げて見せますわ!」

 マリナは胸に手を当て、誓うように言った。


 と、


「ルテシャは、俺達が城塞の偵察に使っていた南西の高台で待機してくれ」

「了解」

「ルテシャには合図役と、城塞の目を潰してもらう。俺達が城塞に突入したら、速やかに屋上の狙撃手を排除してくれ」


「任せて」

 ルテシャは身の丈を越える、ロングバレルのマスケット銃を抱えてうなづいた。


「アテネ、クロエ、シルフィ、そして俺の四人が城塞への突入組だ」

 三人の少女達はルカを見て頷いた。


「ルカの背中は、私が守ります!」

 アテネは胸を張って言う。


「お嬢様は……必ず助け出す!」

 と、シルフィ。


「いわれた物はちゃんと持ってきたけど、これで一体なにするわけ?」

 クロエは自室のベッドの下に隠してある、トランクケースを持ち上げた。


「それが鉄壁の守りを誇る城塞に、正面から堂々と入るための『魔法の鍵』さ。アテネ、捕らえた捕虜を連れて来てくれ」


「わかりました!」

 先行偵察に出たルカ達は、砦から出た周辺警戒に当たる騎馬隊を捕らえていた。

 尋問は既に終えており、その真偽はシルフィが確認した。人が嘘を吐く時の臭いを、彼女は嗅ぎわけるという。


「……ルカっち、まさかとは思うけど、そういう事なの(、、、、、、、)?」


「そのまさかさ」

 ルカは不敵に笑う。


 こうして、準備は着々と進み――


「各部隊は持ち場に移動してくれ! 日暮れまでに勝負をつけるぞ!」

 ルカの鼓舞に、女達は「やー!」と声を揃えた。


 重い大砲が乗った荷台をアマゾネス達が軽々引いていく光景に、海兵隊の精鋭も負けていられないと表情を引き締める。


 それぞれの部隊が出立していく中、ルカは偽装された船に近付く。

 二隻の船には、操舵を担当する六名の『水兵』がいた。

 撤退路の確保は、戦術に置ける最も重要な事柄だとルカは考えている。

 生きてさえいれば次があるのだ。


 ここにいる六名の水兵こそが、八〇名を越える女達にとっての命綱なのだ。


「――――頼む。俺達が帰る場所を守ってくれ」

 ルカは全員の目を見て、頭を下げる。


 すると、


「か、顔を上げて下さい!」「仲間を想う気持ちは私達も一緒です!」「ルカさんもお気を付けて!」

 少女達は誇り高く言った。


 と、その時。


 テオに押されるように、一人の少女がルカに歩み寄る。

 茶色の髪に真紅の瞳の少女エミリーだ。


「どうか……ご武運を……」

 祈るように両手を組み、エミリーは言った。


「必ず戻る。君の大切な家族を連れてな」


    ◇


「――――おい! あれを見ろ!」

 シャーロット城塞の東監視塔に立つ歩哨は、城塞へ続く街道に巻き上がる土煙を見つけた。


 『赤い軍服』を纏う三騎の騎兵が、馬を全速力で走らせ城塞に駆け戻る。

 三騎のうち一番後ろの騎兵は、負傷した仲間の一人を前に抱えていた。


 彼女らは、定期巡回に出ていた偵察兵であった。


「三人、いや、四人しかいないぞ。後の二人はどうした?」

 尋常ではない様子で駆け戻る味方の偵察兵に、歩哨らは異変を感じ取る。

 偵察には二個小隊、つまり六騎で出る規則となっていたが、戻ってくるのは四騎だけであった。


 さらに、


「あ、赤の発煙弾があがったぞ! 敵襲だ!」

 騎兵の一騎が天に向かって発煙弾を発射した。


 歩哨はすぐに動いた。

 カン、カン、カン――――と、割れんばかりに鐘を叩き、城塞内に緊急事態を知らせる。


 騎兵が城塞の前に到着する頃には、『銃眼』と呼ばれる防壁の射撃穴から、ずらりとマスケット銃が並べられた。


「早く開けてくれ! ジュリアが腹に弾を喰らったんだ!」

 騎兵の先頭を走っていた兵士が、閉じたままの城門の前で苛立つように叫んだ。


 だが、


「ジュリアが!? くっ、早く中に入れてやりたいが、規則は規則だ! 帽子を取って顔を見せろ!」

 見張りの兵士が叫ぶ。


「くそが! こんな時に規則もなにもあるか!!」

 馬に乗る兵士は吐き捨てるように叫ぶと、帽子をかなぐり取った。

 藍色の髪(、、、、)がこぼれ落ちる。


 見知った仲間の顔に、見張りの兵士が安堵した様子で「開門しろ」と叫んだ。


「悪かったよ、リンダ! すぐに開けさせるから待ってくれ!」


 その直後。


 ズドンッ! と、腹に響く砲撃音がして、紅蓮に燃え盛るが火炎弾が弧を描いて城塞の壁に突き刺さる。凄まじい爆発に、衝撃が離れた城門前にも届き馬達が嘶く。


「どう! どうどう! は、早く入れてくれ! このままじゃ月まで吹き飛んじまう!!」

 リンダと呼ばれた兵士は馬の手綱を引きながら、半狂乱で叫ぶ。


 重い城門がゆっくりと開いていき、騎兵達はほうほうていで中に駆け込んだ。

 城門が閉まった直後に再び砲撃音がして、今度は城塞内に火炎弾が着弾。

 周囲に爆炎が広がる。


「早く火を消せ! 怪我人の救護を同時に進めろ!」

 訓練されたブリテン兵に、焦りはあれど混乱は見られない。それぞれの己の役目を果たさんと動いていた。



 城塞に逃げ込みんだ偵察兵らは、馬から降り、肩で荒く息をしながら、


「しっかりしろ、ジュリア! すぐに医務室に連れていってやるからな!!」

 二人で負傷した仲間に肩を貸し、医務室に運ぼうとする。


 リンダはその後ろを着いていくつもりだったが、そこへ、最上級士官の階級章を付けた女将校が現れた。

 彼女こそ、シャーロット城塞の主であり、バハマ提督ウッズ・ロジャーズである。


「ロジャーズ様には私が報告する。お前達はジュリアを早く医務室へ連れていってくれ!」

 先に負傷した仲間を行かせたリンダは、帽子を脇に抱えてロジャーズに敬礼した。


「よい、楽にしろ。命懸けの任務ご苦労だった。仲間が心配だろうが、ますば状況を知らせよ」


「は! これより東へ五〇〇メートル進んだ段丘崖にて、所属不明の敵軍と遭遇。相手の規模は……わかりません。いきなりジュリアが撃たれて、アニーとクレアは私達を逃がすために囮に――くそっ!」

 リンダは悔しげに自分の太ももを拳で叩いた。


「正確な位置はわかるか?」


「場所はここです。間違いありません。奴ら崖向こうから曲射しているんです!」

 リンダは地図を指で指し示す。


 と、その時。


 砲撃音が連続し、火炎弾が次々に城塞に降り注ぐ。


「慌てるな! あの程度の火炎弾ではこの城塞の防壁は貫けん! 目測で構わんからこちらも撃ち返せ! 距離五〇〇、段丘崖地帯!」

 ロジャーズが鋭く命じた。


「アイ、サー」と、兵士が答え、城塞にずらりと並ぶ黒鉄の大砲から、次々に火炎弾が発射される。

 だが、敵からの砲撃は止むことなく続き――


「このままでは埒があかんな。敵砲兵部隊を叩きに出るぞ! 部隊の編成を急がせろ!」

 ロジャーズは果断に指示を飛ばして、敵を排除するための部隊を編成する。


「お願いします! 私も志願させて下さい! 仲間の仇を討ちたいんです!」

「熱意は買う。だが、貴様も負傷兵だ。まずは怪我の治療をしてくるがいい」

「ロジャーズ様……」

「さあ、行け」


「……了解しました」

 リンダは敬礼すると踵を返して、仲間が向かった医務室があるであろう場所に歩を進める。


 慌てず、急がず、悔しげに見えるよう(、、、、、、、、、)


 帽子を目深に被ったリンダと呼ばれた少女は、僅かに口元に笑みを浮かべた。



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