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 鬼――この世にあらざる、まぬろわぬもの。


 山の神の眷属であり、山の神そのものでもあると云われる人類種の天敵。

 否、怨敵である。


 神の呪いにより男が海を渡れなくなり、大地に封じられた人々は、生きるために山を切り開くしかなかった。

 当然、山は鬼の棲み処であり、人の歴史は鬼との闘争の歴史であった。

 だが、決して忘れてはならない。


 人もまた――『鬼』に転ずる事を。


 怨みに、辛みに、悲しみに、絶望といったあらゆる負の感情が、人の器の限界を超えた時。人の頭には『角』が生え出ると云われている。


 悪鬼に、羅刹、般若に、夜叉と、様々な呼び名はあれど、それは全て鬼であり、『橘家』は人の世に仇を成すこれらの人外を祓い清め、退治して来た『鬼狩りの一族』である。


 そして彼の者こそ、鬼を殺し、鬼を殺し、千年以上も鬼を殺した果てに、自らの内に鬼を宿すまでに至ったひとでなし(、、、、、)の一族に生まれいでた――


    ◇


 右手を切り飛ばされ剣を失ったオクタヴィアに、ルカは猛然と斬りかかる。

 雷神の降臨させた事により、人の領域を突破したおぞましい膂力で、放つは上段唐竹割り。


 稲妻のようなその一撃を、オクタヴィアは後ろに飛んで避ける。


 だが、避けられたかに見えた稲妻の一撃は、地面で跳ね返るように、逆風の太刀となってオクタヴィア喰らいつく。


 床に着地したオクタヴィアの左肩から、血が吹き上がった。


 ルカの猛攻は止まらない。

 全てを貫き通す烈雷の如き突きが、オクタヴィアの胸を穿ち、そのまま背中まで刺し貫く。


 おぞましい雷鳴が轟いたのはその時だった。


 刀で貫いたオクタヴィアの体内で、ルカが雷撃を解き放ったのだ。

 血は瞬時に沸騰し、全身から霧のように噴き出す。


 オクタヴィアは苦悶一つ上げなかったが、その口から血が塊のように吐き出された。


 直後に、パァアアンと、肉が爆ぜる音がして、オクタヴィアの身体が砲弾のように吹き飛ぶと、聖堂の壁を突き破って外に転がり出る。


 ルカは武器を持たない相手を攻撃するのに、欠片の躊躇いも、迷いもなかった。

 これは人の戦いにあらず。鬼を狩るための戦いだ。


 鬼を殺すためならあらゆる卑怯をいとわず、鬼を滅するためなら己の命を磨り潰して戦う。


 そうしろと、幼い頃に教わった。


 そうしなければ勝てないと、鬼狩りの血が教えてくれた。

 

「――――ッ!」

 ルカが殺気を感じて飛びのく。

 

 闇から斬撃が降り注ぎ、先ほどまでルカが立っていた場所を、鋭い真空の刃が通り過ぎたではないか。

 聖堂の床が、柔らかなバターのように切り裂かれた。


「……素晴らしい力だ。ここまで器が損傷したのは久方ぶりだぞ」


 ルカの真後ろから冷たい声が響く。

 振り返った先に立っていたのは、壁を突き破って外に飛び出たはずのオクタヴィアで、その手には《魔剣ユーベルブラッド》が握られていた。


(どうやって移動した? まるで、空間を飛び越えたような現れ方だった)


 オクタヴィアの胸はルカの雷撃により、向こうの景色が見えるほどの大穴が空いていて、人であるなら明らかに即死の傷だ。

 だが、オクタヴィアの身体はみるみる再生していく。


(霞を斬っているのではなく、確かに命を絶つ手応えはある。だが、なんだこの違和感は……?)


 ルカが考える暇もなく、


「今度は、こちらから行くぞ」

 オクタヴィアが猛然と斬り込んで来た。

 残像を残すほどの踏み込みで、放たれる神速の一撃。


 魔性の徒となったオクタヴィアは、神を降ろしたルカに匹敵する身体能力に加え、剣技は圧倒的に向こうが格上であった。


 それでも、ルカの剣が、オクタヴィアの剣に追随出来るのは、セラフィナが命を賭して預けてくれた時間があるからだ。


(まだ足りない。もっと研ぎすませ。もっと――)


 ルカはさらに加速する。

 攻撃を最小限の動きで回避し、針穴から天を覗くように、正確無比の攻撃を繰り出していく。


 だが、それを嘲笑うかのように、オクタヴィアの剣が紫電となってほとばしる。

 闇の中で鮮やかな火花と雷光が散り、二人の剣が激しく絡み合って、鍔元でぶつり合う。

 弾かれるように二人は距離を取り、再び突撃した。


 いつ終わるともしれぬ果てしない剣戟の果てに、オクタヴィアの魔剣がついにルカを捉えた。


 斜め下から心臓を串刺しにせんと迫るオクタヴィアの剣尖を、ルカは刀の峰で受け流して軌道を逸らすが――


 その鋭い切っ先が、蛇のように軌道を変えて、ルカの腹に、深々と突き刺さったではないか。

 真っ赤な鮮血が噴き出し、オクタヴィアが凄惨で美しい笑みを浮かべる。


 だが、この時。


 ルカは大上段で刀を構えていた。


「はぁあああああああああああああああッ――――――――!!」


 空間が振るえるような咆哮と共に、ルカは差し違えるように刀を真下に振り降ろす。


 それはまさに、一刀両断であった。


 オクタヴィアの右半身が、ふとももまで、一直線に斬り落とされ、血を噴き出しながら斜めにズレていく。

 当然、半身を失ったオクタヴィアの体勢が崩れ――そこへ、迅雷の如き横薙ぎが一閃された。


 僅かな抵抗も許されず、オクタヴィアの首が宙を舞う。


 ゆっくりと崩れ落ちていくオクタヴィアの胴体に、ルカは刃を走らせる。

 逆袈裟から左薙ぎに繋げ、唐竹からの右切り上げという刹那の四連撃に、オクタヴィアの肉体は八等分に刻まれ、血と臓物をまき散らして、聖堂に赤黒い染みとなって広がる。


 完膚なきまでオクタヴィアを破壊したルカは、残心の構えを解かずに、いつでも最速の斬撃を放てるよう精神を研ぎ澄ます。


 だが、その間にも、ルカの腹からは血があふれ、足元におびただしい血がしたたり落ちる。

 見切ってなお、オクタヴィアの凶刃はルカを捉え、貫かれた腹は明らかな致命傷で、すぐにでも治療しなければ命にかかわるだろう。


 だというのに、


「――――今のは、素晴らしい攻撃だったぞ」


 コツリ、コツリと、床を踏みしめ現れるのは、これまでの死闘が幻であったかのように無傷のオクタヴィアであった。


「やはり蘇るか……」

 ルカはオクタヴィアに刃を向ける。


「私は死の概念を超越している。お前がどれだけ強かろうとも、所詮は人の領域でしかない」


「…………ッ」

 口から大量の血塊を吐き、ルカが膝をついた。


「負けを認めて、命乞いをしろ。そうすれば、その剣の腕を惜しんでお前だけは見逃してやろう」


 幾ら斬っても、致命傷を与えても、オクタヴィアは簡単に蘇る。

 対して、ルカは一度でも深手を負えば、それで終わりであった。


 それでも、


「…………見抜いたぞ。お前のからくりを」

 ルカの表情に絶望はなく、あるのは冷たいまでの殺意だけ。

 金色の輝く瞳で、ルカはオクタヴィアをねめつける。


「ほう?」

 オクタヴィアが初めて驚いた表情を浮かべた。


「首を刎ね、心の臓を貫き、肉体を徹底的破壊した。お前は……そのいずれでも確かに死んでいた。お前は不死ではない。不死に見えるだけの存在だ」

 ルカはそこで言葉を切ると、オクタヴィアが持つ魔剣ユーベルブラッドへ切っ先を向け、

「その剣が……お前の『本体』だな?」

 と、言い放つ。


「ククッ……面白い。真に恐るべきはその瞳ではなく、物事の本質を見抜くその頭か」

「どんな奇術でも近くで何度も見せられれば、種の一つや二つ読み解けるさ」

「お前の言う通りこの《魔剣ユーベルブラッド》が私の本体だ。この魔剣は命を喰らう。そして、喰らった命の数だけ私は蘇る事が出来る。どうあがいても勝ち目はないぞ?」

「お前は、俺達を甘く見過ぎている。セラフィナ隊長に鍛えられた俺達をな」

「人間ぶぜいが、この私を退けられると?」


「退けるさ。所詮は有限な器だろう」


「その身体でよく吠える。大聖霊(、、、)を降臨させたお前の肉体は、今こうしている間もどんどん命をすり減らしているのだろう? ましてやその傷だ。果たしてあと何合……私と剣を交えられるかな?」


「心配には及ばないさ。俺は最初から(・・・・・・)――『一人』で戦っている訳じゃないからな」

 ルカはそこで言葉を切ると、オクタヴィアの背後を見やる。


 そして、


「――――やれ、アテネ」


 直後に、オクタヴィアの足元に聖霊陣が浮かび上がると、巨大な氷柱が槍衾の如く次々に生え出てたではないか。

 オクタヴィアは目にも止まらぬ速さで剣を振るい、氷柱を切り裂いた。


 だが、切り裂かれた氷柱の向こうに居たのは、瞳を蒼く輝かせるアテネの姿で――


「やぁああああああああああッ!」

 白銀のソールレットが、三日月のように鮮やかな銀の弧を描いて、オクタヴィアに蹴り込まれた。

 その威力は炸裂する大砲のように凄まじく、蹴りの衝撃波が聖堂を駆け抜けた。


「誰かと思えば、メルティナの娘か」

 アテネ渾身の蹴りを、片手で持つ魔剣で平然と受け止めたオクタヴィア。


「あなたの相手は、私が務めます」

「黒髭の小娘にすら勝てないその腕で、この私に敵うととでも?」 


 オクタヴィアは舞うような動きでアテネの蹴りを受け流すと、剣をひるがえして一瞬の溜め。

 魔剣ユーベルブラッドが妖しく煌めき、真っ黒な瘴気が吹き上がる。


 放たれたのは、剣が残像によって無数に見えるほどの五月雨突きであった。

 弾丸のような刺突が、アテネを串刺しにせんと迫る。


 だが、


「――――今の私を、あの頃の私と同じにしないで!」 


 アテネは片足立ちで、右脚だけを掲げると、真正面からオクタヴィアの剣戟を蹴り潰していく。

 その蹴りは、一発一発が大砲のような威力でありながら、オクタヴィアに引けを取らない速さを誇っていた。



「やぁあああああああッ!」

 アテネはさらに速度を上げて、蹴りを繰り出す。

 白銀の蹴撃が、夜空に広がる天の川の如く、無数の火花を散らした。


 アテネには、ルカほどの目の良さも、見切りの才もない。

 だが、アテネにはその他のあらゆる才能を凌駕する、『学ぶ』という才があった。


 その驚異的な成長速度は、アテネが年齢が示していた。


 牢獄で監禁されていたアテネが、ステラ・マリス号の情報を奪取するという祖母の思惑のために、海軍に入隊させられたのが十二歳の時。

 当時のアテネは銃はおろか、剣すら握った事がなく、まずは体術を学べと航海長のミラルダから格闘の基礎を一から教わった。


 そう。アテネは十二歳で一から格闘を学び、銃の扱いを覚え、たった三年で自分だけの闘術を習得し、《戦神アテネ》の生まれ変わりと称されるほどの使い手に成長したのだ。


 否、今もまだ――成長し続けている最中である。


 と、


「なるほど、口だけではないという事か」

 オクタヴィアはそう言って、剣戟の圧力を増していく。

 目も眩むほどの火花が、アテネとオクタヴィアの周囲に散る。


 拮抗が崩れたのは、その直後であった。


 ガキンッと鈍い音がして、白銀のソールレットのヒール部分で魔剣を受け止めたアテネは、そこを起点に飛びあがり、身体を捻りながら旋風脚を放つ。


 直撃すれば頭蓋が消し飛ぶような蹴撃を、オクタヴィアは上体を逸らして避けるが――


「――――ダンスに夢中になられて、後ろががら空きですわ」


 神聖なる聖堂に、一柱の『死神』が降臨した。

 肉が刺し貫く音がして、オクタヴィアの胸から生え出たのは、あまりに長大な馬上槍であった。


 オクタヴィアの背後には、一人の少女が立っていた。


 長く豊かなピンクゴールドの髪に、宝石のサファイヤよりも鮮やかに輝く瞳は、凄烈な眼光を称える。

 彼女の名は、マリナ。

 コロンビア海軍でも並ぶものなき槍使いであり、クロエが呼んだ救援であり、ルカが待ち望んだ最後の一手である。


「…………驚いたぞ。クリサリスの《忌姫》と、このような場所で会うとは」

 オクタヴィアの表情には、驚きと感嘆。そして、僅かに侮蔑が籠められていた。


「悪名の高さならあなたも負けてはいませんわ。《鮮血》のオクタヴィアさん」

 マリナが手に持つ槍に力を籠めると、オクタヴィアの口から鮮血が溢れる。


「ふふ、動けませんでしょう? 私に掛けられた『呪い』は強大ですもの。こうして突き刺した相手を絡め取ってしまうほど」 

 オクタヴィアの耳元で、マリナはそう囁く。

 見れば、刺し貫かれたオクタヴィアの胸から、無数の茨が湧き出していた。


「さぁ、ルカ様、アテネ様! 今の内に!」

 



「―――――水の聖霊よ!」


 マリナの声に応えるように、アテネは全身からエーテルを解放。

 その周囲を無数の水の聖霊が舞い、空間が急激な温度変化に悲鳴を上げる。


「彼の者に氷の女王の裁きを! 《永久凍土の棺コキュートス・コフィン》」


 アテネが《聖盾アイギス》で床を踏みしめると、聖堂が一瞬で真っ白な霜に覆われ、オクタヴィアの手足が完全に凍り付いた。


 そして、


「セラフィナ隊長が俺に『時』を託したように、俺はその時を『チップ』に使って、仲間の準備が整う『猶予』を稼いだ。オクタヴィア……あんたは確かに無数の命を持つのかもしれない。だが、俺にはそんなものなぞ問題にならないほど心強い仲間がいる」

 ルカはそう言って、オクタヴィアの前に立つ。


「私を拘束して、それでどうする? この魔剣がある限り、私は何度だって蘇るぞ?」

 首元まで氷に覆われた状態で、オクタヴィアは言う。


「あんたの見立て通り、俺はあと一度しか刀を振るえないだろう。だが、その一度で十分さ。一刀で――――あんたを滅ぼさせて貰う」

 ルカは静かに、抜刀術の構えを取ると、神祓いの聖霊術を発動した。


「――――雷乃収声かみなりのこえすなわちこえをおさむ


 ルカを雷神たらしめていた絶大な雷光が、一瞬で霧散する。

 直後、鞘に収められた刀へと、絶大なエーテルが収束していった。

 刀の鍔を親指で押して鯉口を切ると、鞘から僅かに覗く刀身から尋常ではない光があふれ出す。

 それこそが、神を束ねた雷の太刀である。


「――――七星一刀流・奥義《紫電一閃・神凪》!」


 神を祓うための神域の抜刀術は、復讐に染まった女の業を、その魂が囚われた魔剣を真っ二つに断ち斬っただけでは収まらず、聖堂を一刀両断にして、満点の星々が広がる虚空へと消え去る。


 天に、一際大きな雷鳴が轟いた。


    ◇


 根元から断ち斬られた《魔剣ユーベルブラッド》の刀身が床に突き刺さる。


「…………見事だ」

 オクタヴィアは僅かに微笑むと、折れた魔剣を放り投げた。

 魔剣は床に落ちる寸前で、闇に溶けて消え去る。


 マリナが胸を槍を引き抜くと、オクタヴィアはその場に膝をついた。


「介錯は?」

「必要ない。私はもうじき消え去る。だが……お前を選んで(、、、、、)正解だった」

「俺を……選んだだと?」

「初めてステラ・マリス号でお前を見た時から、目を付けていた。お前ならばこの私を破壊できるとな。魔剣を依代に蘇らされた私は、術の拘束力に(、、、、、、)逆らえなかった(、、、、、、、)。だから、どうにかして剣を折る必要があったのだ」


「まさか、お前――――」 


「冥土の土産に……に教えておいてやろう。《黒髭》は、お前の大切な女は狙われている。私を蘇らせた『魔女』にな」


「!」


「疾く、急ぐがいい。さもなくば……全てが手遅れになる、ぞ……」


 オクタヴィアはゆっくりと倒れていき、闇に滲むように消滅した。


 





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