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 結論からいうと、コンサートは大成功に終わった。


 最初は一時間ほどの予定が夕暮れまで延長され、途中から子供達も参加して、観客と一緒に大合唱となったのだ。

 場は大いに盛り上がり、アイスクリームは見事に完売。さらには多くの寄付まで頂けたという。

 子供達は歌い疲れて、夕食もほどほどに全員が寝室へ向かった。

 今はシスター・エルマと、エミリーにテオ。そして、すっかり子供達と仲良くなったアテネが、子供達を寝かし付けている。


「どうぞ、ルカ様」

 シスター姿のエミリーが、タンブラーに入った水で薄めた葡萄酒を差し出した。


「ありがとう、エミリー」

 教会の聖堂、そのチャーチベンチに座るルカは、タンブラーを受け取り一口飲んだ。


「隣、いいですか?」

「ああ」

「ふふ、アテネ様ったら凄いのですよ。まるで魔法のように次々と子供達を寝かせていくんですから」

 ルカの隣に腰かけたエミリーは、思い出したようにクスクス笑う。


「随分と懐かれていたな」

「きっと母性が強いのでしょう。子供は自然とそういうのがわかりますから。私もテオも姉の変わりはなれても、母親役にはまだまだ届きません。……修行不足ですね」

「そんな事はない。俺も沢山の女性に囲まれて育ったが、いつの間にか彼女達を姉のように思い、母のように慕うようになっていた。大切なのは側で見守ってくれる存在だ」


 ルカがこうして生きているのは、一人前の船乗りになれたのは、アデラを始めとする奴隷仲間の存在があってこそだ。

 彼女達がいなければ、ルカの人生はもっと悲惨なものになっていただろう。


「今日は本当にありがとうございます。おかげで今年の冬は無事に越せるでしょう」

 エミリーはこちらに向き直り、深々と頭を下げた。

「顔を上げてくれ。仲間が困っていたら助けるのは当然だろう。幼い子供のためならなおさらだ。礼には及ばないさ」

「ルカ様に救って頂くのは……これで二度目になります。何か私に出来る事があればいいのですが……」

 エミリーは頬を紅潮させて、指先をモジモジと擦り合わせる。


 その綺麗な横顔と、右手の薬指に嵌る『指輪』を見て、ルカは自分の考えが正しい(・・・・・・・・・)と確信した。

 ルカの瞳は、一度見た『物』を決して忘れない。


 そしてルカは、エミリーの指輪に刻まれた独特の『紋様』を、別の場所で見た事があった。


「指輪はいらないぞ」

 冗談めかしてルカは言う。

 以前、マストから落ちたエミリーを助けた時、彼女は命のお礼だといってその指輪を差し出した過去がある。


「シスター・エルマにも叱られました。この指輪は私の身の証だと。どれだけ困窮しても手放しては駄目だと」

 エミリーは恥かしげに笑う。


「シスターのいうとおりだ」

「ですが、私には……他に差し上げられるものがなかったのです」

「気持ちはわかるさ。俺も似たようなものだ。大切な者を守る力を得るために、家族との繋がりを手放した」

 ルカはそう言って、《黒刀・闇一文字暗月》の柄に手を乗せる。

「後悔されたのですか?」

「いいや、微塵の後悔もない。思い出は胸にあるからな。だが、エミリーはそうじゃないだろ?」

「え……」


「君には幼い頃の記憶がない。違うか?」


「ど、どうして、それを知っているのですか!?」

「勘のようなものだ」

「ルカ様のいう通り、私には……幼い時分の記憶がありません。物心ついた時にはこの教会の子として、多くの兄妹と暮らしていたのです」

「なら、その指輪は大切に取っておくんだ。知って選ぶのと知らずに選ぶのとでは、意味が全く違ってくる。無くしてから後悔しては遅い」


 エミリーは右手に嵌る指輪を触れながら、

「…………アテネ様が羨ましいです」

 と、寂しげに呟いた。


「む。何故、急にアテネの話しになるんだ?」

 ルカがそう尋ねると、エミリーは困った表情で微笑み。

「私、これから沢山勉強します。船の事も、戦い方も、もっともっと……ルカ様のお力になれるように」


「頼りにしている」


「そ、側に……置いてくださるのですか?」

 エミリーは胸に手を当て、問う。


「仲間だろう。当然だ」


「今は――今は、その答えで構いません」

 儚げに微笑むエイミーの表情には、決して消えない炎が宿っていた。


 その有り様が、やはり『彼女』に似ているとルカは思った。

 伝えるべきか否か――

 ルカは少しの間考え、伝える事に決めた。


「いつになるかはわからないが、エミリーに会わせたい人がいるんだ」

「会わせたい人……ですか?」

「ああ」

「もしかして、ルカ様は……私の過去について何かご存じなのですか?」

「今はまだ全てを話す事は出来ない。君の安全のためにもな」

「……どのような方か、聞いても?」


「強く、気高い女だ。大切な指輪を真っ先に差し出すあたりがよく似ている。弱き者を守ろうとする意思もな。あと――その真紅の瞳がそっくりだよ」


「――――――――ッ」

 エミリーはハッと目を見開くが、すぐに頭を押さえた。


「大丈夫か?」

「何か……今、何かを思い出せそうに……」

「慌てる事はない」

「いつか……会わせて下さるのですね?」

「俺が必ず会わせてやる」


「――――はい」

 エミリーは胸に手を当て、コクリと頷いた。


 と、その時。


 階段を降りて来る足音が、微かに聞こえて来た。

 エミリーは名残惜しそうに微笑むと、

「そろそろ行きます。あまりルカ様を独占すると、アテネ様に叱られてしまいますから」

 と、言って、深くお辞儀をして去っていく。


 ルカはその背中を静かに見送ると、タンブラーに注がれた葡萄酒を揺らした。

 波打つワインレッドの向こう側に、とある少女を幻視するかのように――


    ◇ 


「ふふ、全員寝かせて来ましたよ!」

 エミリーと入れ替わるようにやって来たアテネが、可愛らしくVサインをする。


「アテネはいいお母さんになるな」

「ええ、任せて下さい!」

「俺達に子供が出来ても安心だ」


「ふぇ!?」


「どうかしたのか?」

「ど、どど、どうもしませんっ!」

 アテネは真っ赤な顔で、両手をぶんぶん振った。


「そろそろ行こう、アテネ」

「次はどこへいきますか?」


「星が見れるところだ」

 ルカはそう言って、胸元から宿泊券を取り出した。


「えっと、ホテル・サンジェルマン――って、この街で一番いいホテルではありませんか!?」


「今夜はここに泊まろうかと考えている。アテネさえ、よければだが……」

 覚悟を秘めてルカは言う。


「是非行きましょう! 実は私、ホテルに泊まるのって初めてなんです!」

 アテネは純粋に、ホテルに泊まれる事を喜んでいるようだ。


「俺も初めてだ」

「楽しみ! 早く行きましょう!」

 

 ルカとアテネは教会の皆に別れを告げ、夜の街へと繰り出すのであった。


    ◇


 教会を出ると、外はすっかり夜になっていた。


 空を見上げれば満点の星々が煌めき、少し欠けた月が眩く夜空を照らす。

 ホテルに向かう道中には、昼間には見なかった新たな出店が並んでいた。

 昼には昼の、夜には夜の顔があるのだろう。


 手を繋いで先を行くルカは、ふと、一つの出店の前で立ち止まった。

 その店の外観があまりに奇妙で、興味を惹かれたのだ。

 おどろおどろしい雰囲気の装飾がなされた天幕に、入口には聖なるモノを拒むかのように逆さまの十字架が掲げられ、骸骨の看板には『死の口付け(キス・オブ・デス)』と書かれてあった。


 まるで物語に出て来る『魔女の工房』である。


「昼間にはなかったお店ですね」

「不吉な外観だが、不思議と悪いイメージはしないな」

「中はどうなっちるのでしょう?」

「少し寄り道してみるか」

「はい!」


 ルカとアテネは好奇心に負け、店の中に入ってみた。


 天幕の中はカボチャのランタンで照らされていたが、総じて薄暗く、甘い匂いの香が焚かれており、さらに壁一面には様々な装飾品が並べられていた。

 純粋に可愛いものもあるが、髑髏のアクセサリから、首のない天使のペンダントなど、どこか妖しげでアダルトな雰囲気の品が多かった。


「…………いらっしゃい」

 店主は小柄な女性で、三角帽子を目深かにかぶり、黒いワンピースに黒のマントといういで立ち。

 魔女というより『魔女っ娘』といった衣装だ。


 そんな彼女を見て、ルカの警戒心が一気に緩む。

 ここが真に妖しい店であるなら早々に出ようと考えていたが、『知り合いの店(・・・・・・)』であるなら話は別だ。

 壁の装飾品を興味津々で眺めるアテネを確認したルカは、こっそり店主に声をかける。


「で、何をしているんだルテシャ?」


 店主はビクリと肩を震わせ――

「そ、そんな名は知らない。我が名は、リリス。夜を司る夢魔の女王にして……」


「優秀なガンスミスと聞いていたが、意外な趣味があったんだな」

「だ、だから……私はルテシャではないと……」

「もしかして、これ全部ルテシャの手作りなのか?」

「人の話を聞いて……」

「頼んでいた双銃の修理はどうだ?」


「クラーケンの神珠の分離に手間取ったけれど、完璧に仕上がっているわ。あとはアテネに出力の調整をしてもらうだけ」

 しどろもどろの口調から一転、キリッという表情でルテシャは言う。 


「…………」

「…………」


 互いに沈黙。


 ルテシャは頬を赤く染めて、三角帽子で表情を隠すと、  

「も……紋章学を極めるなら、あらゆる魔術に精通していなければならない。これらはそのためのものよ。決して趣味ではないわ。ただ――」

「ただ?」

「だ、誰かに話したら……呪うわ」

 と、冷たい声で言った。


「安心してくれ。口は堅い方なんだ。ところで『魔術』とはなんだ?」

「聖霊術が発展するよりも遥か以前に使われていた、古い古い理よ。聖霊術は本来……魔術の一分野でしかなかった」

「ふむ。陰陽道のようなものか」

「おんみょう……?」


「俺の国に伝わるまじない師の連中だ。帝がおわす京の守護を担っているが、鬼を使役する邪法を使うから、『鬼狩り』の俺達とは犬猿の仲だったらしい」

 ルカはこの時、ふと、父が話してくれた陰陽師の女性の事を思い出していた。

 鬼に堕ちた果てに、父に首を斬られた哀れで悲しい女を。


「鬼……大地神の眷属を操る術がある、と?」

「ああ、『式』と呼ぶらしい」

「とても興味深い。一度じっくり話を聞かせて」

「それはいいな。俺も銃について詳しく聞いてみたかったんだ」


「古の理に従い……魔女との盟約は結ばれた。門は開いておく。いつでも訪ねて来るといい……」

 ルテシャは小さな声でそう呟くと、会話は終わったというように三角帽子を深くかぶった。


「よろしく頼む」

 ルカはうなずくと、アテネの元へ戻った。


     ◇


「どうだ。気に入ったのがあったか?」


「これ、とっても可愛いと思いませんか?」

 アテネは猫耳のついたカチューシャを手にとって、目を輝かせる。

 セットで一緒に猫の尻尾もあった。


 メイド姿のアテネが猫娘に扮するのをありありと想像したルカは、どういう訳か強い血のたぎりを覚えた。


「い……いいんじゃないか。とても可愛いと思うぞ」

「はい!」

 アテネは猫耳セットの購入を決め、他の商品を順番ずつ見ていく。


 やがて、二人はとある商品の前で立ち止まった。


「あ――――」

 アテネが息を漏らし、ルカも心臓の鼓動が早くなる。


 視線の先に並べられたのは、色んな形状の『首輪』であった。

 それも猫や犬などの愛玩動物に着けるのではなく、『人間用の首輪』である。

 ルカは以前に、己が心に巣食う醜い欲望をアテネに見抜かれていた。

 アテネへの愛が高じるあまり、失う事を恐れ、『首輪』を着けて鎖で繋いで監禁してしまいたい――と、そんな醜い欲望を抱いたのだ。

 だが、アテネは、そんなルカの醜悪な部分を受け入れ、慈しみ、優しく包み込んでくれた。


 首輪の話はそこで終わりのはずだった。

 あれから、ルカもアテネもその話題を口にした事はない。

 否、話す機会が失われていた。

 この一ヵ月の間、ほとんど会話がなかったのだから。


 そして、今――二人は目の前に並べられた『首輪』から、目を離せないでいた。


「………………」

 何か言葉を発しなければと、ルカはアテネを見やる。


 アテネは首輪を見つめながら頬を赤く染め、首に巻かれたメイドチョーカーを撫でていた。

 その仕草があまりに蠱惑的で、ルカは思わず息を呑む。


 ゴクリ――という音が、天幕の中にやけに大きく響き、アテネはビクッと肩を震わせる。


「そ、そろそろ、行こうか……」

 ルカは反射的に言った。

 だが、アテネはその場から動かず、うつむいたまま――


「選んでくれますか? 私の首に似合うものを……」

 消え入りそうに小さな声であったが、その言葉は確かにルカの耳に届いた。


「い……嫌じゃないのか?」


「好きな人の望みを叶えられるのです。嬉しいに決まっているではありませんか。それに――」

 アテネはそこで言葉を切ると、真っすぐにこちらを見上げ、

「私が逃げてしまわないよう……しっかりと、首輪で繋いで欲しいのです」

 頬を朱に染め、そう言い募る。


「………わかった」

 アテネの決意に応えるように、ルカは壁に並ぶ首輪の一つに迷わず手を伸ばした。


 最初に見た時から『これ』に決めていた。

 選んだのは上品でクラシカルな黒革の首輪で、中央にペンダントのようにシルバーのハートがあしらわれていた。

 一見すると可愛らしいが、首輪としての印象は重厚だ。

 なにより、この首輪からは不思議な力を感じるのだ。


 アテネも気に入ったのか、うっとりとした表情で首輪を眺める。

 

「それを選ぶなんて、流石」

 いつの間にか後ろに、魔女っ娘姿のルテシャが立っていた。


「これも君が作ったのか?」


「ええ、そう。《処女神の貞操帯》という名前で、とある少女(・・・・・)をモチーフに作り上げた。ハートの部分はキャストハートと呼ばれる真銀のパドロックになっていて、この鍵でしか開けることは出来ないようになっている」

 ルテシャは『翼の生えた杖に絡みつく蛇』(カドゥケウス)を模した鍵を取り出した。


「蛇は、処女神アテネが司る『知恵』の象徴であると同時に、男性器のメタファーでもある。処女神の貞操帯を解くのが蛇の鍵だなんて……くふ、とても意味深……」

 三角帽子の向こうでクスクス笑う魔女っ娘。


 なんて名前を付けるのだと、そもそもモチーフにした少女というのは誰の事なのか、小一時間ほどルテシャ問い詰めたい気持ちになった。


「別のにするか?」

「いいえ、ルカが選んでくれたこれに決めました。これじゃないと嫌です!」

 アテネの決心は堅かった。

「わかった。この首輪を貰おう」


「毎度。それで……首輪の呪いは発動させる……?」

 と、ルテシャは尋ねた。


「呪いだと? まさか、この首輪は呪物フェテッシュなのか?」

 ルカの瞳には、首輪から放たれる聖なる力は見えても、邪悪な波動は見て取れなかった。


「勘違いしないで。呪物とは基本的に聖なるものよ。相手にとっての呪いは、使い手にとっては加護となる。大切なのはどう使うか。剣も、銃も、人を殺せる武器だけれど、大切な人を守る力にもなるのと同じ」

「確かにその通りだが、首輪に籠められたのはどんな呪いなんだ?」

「使用者の女性を守るものよ」

「詳しく聞かせてくれ」

「この首輪は名の通り『処女神』の加護がかかっている。故に、これを嵌めた女性はその純血を強く守られる。文字通り『貞操帯』の役割を果たすの。鍵の持ち主以外の者が無理矢理に襲おうとすれば――」

「すれば……?」

「ゴルゴーンの呪いが発動して石となるわ」


「!?」

 ルカは驚愕に固まり、


「下さい!」

 アテネは一切の躊躇いなく叫んだ。


 ルカとしては、喉から手が出るほど欲しかった。

 だが、奴隷であるからこそ、この首輪が持つ危険性と、恐ろしさがわかるのだ。

 これは自由を縛るだけではなく、女性の尊厳をも縛るものだ。

 万が一、この首輪を他の誰かがアテネ着けたらどうなるだろう?


 すると、


「大丈夫。恋に通じる全ての呪いは神々が強く監視している。この首輪も互いの想いが通じあっていなければただの首輪にすぎない」

 こちらの懸念を察したのか、三角帽子越しにルテシャが言う。


 彼女の言葉を全て信じるわけではないが、この首輪に不思議な力が流れているのは、ルカの瞳が教えてくれている。

 確かにそれは聖なる力であった。


「本当にいいんだな?」

 アテネに尋ねる。


「構いません。それに……誰かを好きになるのはルカが最初で最後ですから」

 アテネは愛を告白するように、首のチョーカーを外した。


 白く無防備な喉が晒され、ルカはそこへ黒革のベルトを回していく。


「一生、離さないからな」

「一生……離さないで下さい」


 カチリと音がして、アテネの白く細い首に漆黒の首輪が取り付けられた。


「キャストハートの鍵穴に、血を一滴垂らせば呪いは発動するわ」

 ルテシャが説明する。


 ルカは刀を鞘から少し抜くと、親指を浅く斬り血豆を作る。

 祈るように目を閉じるアテネの頬に手を添えると、首輪のキャストハートに血を塗り付ける。


 次の瞬間。


 バチリと、微かに雷光が煌めき、アテネの周囲に見た事のないほど複雑な聖霊陣が刻まれる。

 ほどなくして、聖霊陣は空気に溶けるように消え去った。


「これは――常時発動型の聖霊術? それも古い古い術式で、今はもう解読することすら不可能なしろものではありませんか。こんなものが作れるなんてルテシャは凄いですね!」

 アテネは尊敬の眼差しで、魔女っ娘を見る。

 どうやらアテネは最初から、彼女の正体に気が付いていたようだ。


 ルテシャは「びくーん」と飛び上がると、

「そ、そんな名は知らない。我が名は、リリス。夜を司る夢魔の女王にして……と、とにかく、商売の邪魔だからもう出て行って!」


「待て、代金がまだ」

「いらない」

「きゃ!? 押さないでルテシャ!」


「だからそんな名前は知らない。早く出て行かないと二人とも呪うわ。恋が破局する呪いよ」


 それだけは困ると、ルカとアテネは逃げるように店を後にした。


    ◇


 ホテル・サンジェルマンに到着したルカは、荘厳なホテルの外観を見上げて感嘆する。


(西洋人はこんな巨大な建造物を建てられるのか。まるで、天守閣じゃないか)


 それも、王や帝などの一部の特権階級の住まいではなく、金さえあれば誰でも利用出来る施設なのだから驚きだ。


(造船一つとってもそうだが、西洋の技術進歩は凄まじい)


 この先さらに技術が発展し、遠洋航海が今より安全なものとなれば、先進国は次々に植民地を拡大してくだろう。

 いずれ遠くない未来に、大和の国が異国に攻め落とされ、植民地になる日が来るかもしれない。

 だが、もし――自分がこの国でもっともっと偉くなり、信頼出来る仲間を集め、神に与えらえた使命を果たす事が出来れば、故郷を救える一手が打てるのではないだろうか?

 隷属ではなく、対等な関係を築く。

 そための橋渡し役に―― 


(奴隷として国を出た俺が、こんな事を考える日が来るなんてな。それもこれも……)

 ルカは隣で一緒にホテルを見上げる、可憐な少女に目を向けた。


(アテネがいるから俺はここにいる。アテネがいるから俺は世界の広さも、愛の尊さも知る事が出来た。そして、今もまた……アテネがいるから新たな目標を見つけられたんだ)


「俺は、アテネから与えられてばかりだな」


「え、え? わ、私、ルカに何か差し上げましたっけ?」

 何のことがわからず慌てるアテネに、ルカは優しく微笑む。


「こっちらの話だ。それより、中を探検したいって顔をしているけど駄目だからな」


「そ、そんな子供みたいな真似、するわけないじゃないですか!」 

 アテネはそう言いながらも、その顔には『残念です』と書いてあった。


「アテネもホテルは初めというのは意外だな」

「フォーサイスの家を出てからはずっと軍での生活でしたから、基本的にこういう場所には縁がありません」

「なら、案内された部屋の中を二人で探検してみるか。それぐらいならいいだろう」

「はい!」

 アテネはパァと顔を喜びに輝かせた。


 こうして、二人はフロントでチェックインしたのちに、部屋へと案内されたのだが――


 軽い冗談のつもりで言った『探検』を、実際にする事となる。


「見て下さい、ルカ! シャワールームにお風呂までありますよ! しかも、すっごく大きな!」

 アテネのテンションは部屋に入ってからうなぎ上りだ。


 スペシャルスイートルームの広さは、船の狭い部屋に慣れたルカとアテネにとって文字通り別世界であった。

 部屋がいくつもあり、書斎にキッチンや、暖炉付きのリビングなど、二人では利用しきれない様々な施設が存在した。


「す、凄いな……」

 十人は軽く入れるほど大きな風呂を見つめながら、ルカは空間を無駄にし過ぎだろうと場違いな感想を抱いた。

 仮にこれが船なら、このスペースで三十人は寝泊り出来るだろう。


「大変! お風呂が泡だらけですよ!?」


「む、本当だな。洗っている途中だったのか?」

 アテネの言う通り、浴槽が一面泡まみれになっていた。


「私達で洗ってしまいましょうか」

「だが、バラの花びらが浮かべてあるぞ。もしかしたらこういう風呂なのかもしれない」 


「なるほど、そうかもしれません。試しに二人で入ってみましょうか!」

 ルカは思わず「そうだな」と言いかけ、慌てて口をづぐむ。

 二人で風呂に入るという事は、互いに裸体を晒すという事だ。


「あ……」

 アテネは真っ赤な顔で、声を漏らす。

 こちらが返事を躊躇っている間に、アテネも己の失言に気が付いたのだろう。


「ま、まだ、探検の途中でしたね! 次はあっちの部屋を見てみましょう!」

 逃げるようにお風呂場を飛び出していった。


      ◇


 アテネはすぐに見つかった。


 寝室の入口に、真っ赤な顔で立ちすくんでいたのだ。

 理由はすぐにわかった。

 寝室には天蓋付きのキングサイズのベッドが置かれてある。

 これだけ沢山の部屋があるのに他に『ベッド』はなく、必然的にこの部屋に泊まるペアは一緒のベッドで休むことになるのだろう。


「夜は長いんだ。焦らなくてもいい」

「ルカ……」


「一つ一つ積み上げていこう」

 ルカはそう言って、アテネの頭をぽむぽむ撫でる。

 アテネは顔を真っ赤にしたまま、コクリと頷いた。


「なにか飲むものでも取って来るよ。好きに探検していてくれ」

「いいえ、ここで待っています。ここで(・・・)……待ってますから」

 アテネは俯いたまま、そう答えた。


「わかった」

 ルカはうなずくと、アテネを残してキッチンへ向かう。


 こういう部屋に泊まる人でも料理をするのか、それともさせるのか、ともかく部屋にはステラ・マリス号の厨房並みの大きなキッチンが存在した。

 ワインセラーの他に、最新式の紋章冷蔵庫も完備されている。


「軽めのピーチグロッグでも作るか」


 フルーツのかご盛から桃を一つ取ると、皮をむいて四等分にする。

 グラスを二つ並べてジューサーで桃の果汁を絞り入れ、氷水を注ぎ、最後にラム酒を少しだけ足せば、コロンビア海軍特製のピーチグロッグの出来上がりだ。


「アテネは酒に弱いから、これくらい薄い方がいいだろう」

 ルカはグラスを両手に寝室に戻る。

 一杯飲んで落ち着いたら、夕食にするのもいいかもしれない。


 そう考えながら、寝室の扉を開けたルカは、そこで――


 少女の『覚悟』を思い知る。


「――――ッ!?」


 ルカは驚愕に、心臓が止まるほど衝撃を覚えた。

 手に持つグラスを落とさなかったのは、奇跡に近いだろう。


 アテネは確かに寝室で待っていた。


 だが、そこに居たのはいつものアテネではない。

 頭には『猫耳』を、お尻には長い『尻尾』を生やす『猫耳メイドさん』がそこにいたのだ。

 さらに、どういう原理なのか尻尾がゆらゆらと揺れている。


「…………あ、アテネ?」


 アテネはキングサイズのベッドの上でぺたんと女の子座りをして、真っ赤な顔でこちらを見上げた。

 肌はピンク色に上気し、豊満な胸の谷間へ汗が吸い込まれるように流れ落ちる。

 艶やかな唇からは「ハァ」と甘い吐息が漏れ、潤んだ瞳からは匂い立つような色香を感じた。


 ゴクリと、ルカは喉を鳴らした。


 すると、アテネも同じように緊張に唾を飲みこんだのだろう。

 白い喉がこくりと動き、その首にはルカのものであるという証が、『首輪』となって明確に刻まれていた。

 アテネは咲き誇る花のように可憐で、女神のような美貌を誇る少女だ。

 その魅力はこれまで何度も再確認して来た。

 だが、それは少女が無自覚に放つ魅力であった。

 ところが、今日――


 アテネは強い覚悟を持って、己の魅力を意識的にただ一人の男へ向けていた。


 蛹から脱皮して美しい蝶に成長するように、少女は一匹の雌となって、この世で唯一愛した男を誘惑する。

 スカートを掴むアテネの両手が、ゆっくりと動くのをルカは黙って見ていた。


 そして、


「――――にゃん❤」


 と、可愛くて鳴いて、アテネは短いスカートを完全にめくり上げたではなか。

 隠されていた秘密の花園が、しっとりと肌に張り付いたロイヤルブルーの下着がつまびらかに晒される。


 部屋にほのかに香る甘いシトラスの匂いに、甘い少女の香りが追加される。


 アテネは耳まで真っ赤にしながらも、決してスカートを降ろそうとはしない。

 それは少女の覚悟であった。


「覚悟が足りなかったのは……俺の方だったか」

 愛する女のここまでされて、奮い立たない男はいない。

 否。ここまでさせた非は、全霊で贖わなければならないだろう。

 ルカはベッドカウンターにグラスを置いて、アテネに歩み寄る。


「あっ……」

 手を伸ばしてアテネの細い顎に触れると、微かに声を漏らし、自然と上を向いた。

 熱を帯びる瞳と視線が交わり、その目がゆっくりと閉じられていく。



 月明かりに照らされる二人の影が重なり、少女の身体が甘く震えた。


ノクターンにておまけを公開中。

詳しくは活動報告にて。

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