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 太陽が燦然と輝き、青空がどこまでも広がる。

 昼を過ぎると人の数はさらに増し、爽やかな快晴に祭りの熱気は上昇するばかりだ。

 仲睦まじく手を繋ぎデートを堪能するルカは、すっかり腹ペコマーメイドとなったアテネに引っ張られるように屋台を見て回る。


 と、その時。 


「あら、ルカ様、アテネ様。ごきげんよう」

 凛と響く声の方を見れば、ふわりとウェーブするピンクの髪に、ブルーの瞳を持つ、美貌の少女が立っていた。


 彼女の名は、マリナ。

 ステラ・マリス号の三等海尉であり、海兵隊随一の槍の使い手である。

 アテネの美しさを太陽に例えるなら、マリナの美しさは月に例えられるだろう。

 どこか影があり、妖艶で、近付き難い雰囲気を纏っている。


 槍を手に微笑むマリナは、アレンジを加えた士官の制服に身を包んでおり、上品で大人っぽい装いとなっていた。特に目を引くのは、短いプリーツスカートから伸びるすらりと長い脚を覆う、漆黒のガーターストッキングだろう。


「こんにちわ、マリナ!」

 アテネはそう言って、マリナに手を振った。

「マリナは祭りの警備か?」

「ええ、その通りですわ」

 マリナは海兵隊の少女達を、五人ほど連れ立っていた。


 《星天祭》は恋の祭り故に年若い男女が多く、毎年トラブルが後を絶たない。

 酔って羽目を外し過ぎたり、女性に不埒を働く輩、喧嘩や、スリに引ったくりなど――様々な犯罪の取り締まりを、祭りの期間中は軍が協力する決まりとなっていた。


「後で屯所に何か差し入れよう」

「ふふ、お気遣いに感謝いたします。わたくし達は警邏の途中なのでそろそろ参りますわ。お二人はゆっくりとお祭りを楽しんでいって下さい」

 マリナはスカート抓んで優雅にお辞儀すると、部下を連れその場を後にした。


「……………」

 ルカは目を鋭く細めて、去っていくマリアを見送る。

 否――見ていたのは、少女の肢体をびっしりと覆う『禍々しい茨(、、、、、)』だ。

 海の悪魔を討滅した事により、ルカの身に流れる橘の血――鬼狩りの力は、完全に目覚めていた。その影響からか、ここ最近になってルカの瞳は、今まで見えなかったものが見えるようになっていた。


「怖い目をしていますよ。マリナが……気になるのですか?」

「ああ、少しな」

「今は話せない事ですか?」

「本人が懸命に隠している事を、勝手にいう訳にはいかないさ」

 マリナが何か大きな『問題』を抱えているのだろう。

 ルカが男である事を隠しているように、人は誰かに言えない秘密を抱えているものだ。

 それを理解しないまま心に土足で踏み入り、親切の押し売りをすれば、それは偽善という名の悪意となる。


 同情は時に、人の心を最も傷付ける刃となるのだから――


「マリナは大切な仲間で、かけがえのない友人です。何か……出来る事があればいいのですが」

 それを理解しているが故に、アテネは無力な己を恥じる。


「出来る事ならあるさ」

「一体それは……?」

「側に居て見守ってやるんだ。一人ではないと知らせてやるんだ。そして、マリナが助けを求めたなら――その時は、全力で手を差し伸べればいい」


「…………わかりました!」

 アテネは胸に手を当てコクリと頷くと、去っていたマリナを想うように人波みに目を向けた。


「さ、俺達も行こう」

 ルカはそう言って、アテネに手を差し伸べる。


「ルカ……」

「問題を抱えているのは俺達も同じだ。まずは、自らの足元を固めないとな」

「確かにそうですね。私が不調のままでは話になりません」

「そういう事だ」

「では、ルカ! さっそく私に、もっとドキドキするような事をして下さい!」

 アテネが頑張りますのポーズを取る。

 重そうな胸がゆさんと揺れた。


 と、同時に、キュル――と、可愛いお腹の音が響き渡ったではないか。


 アテネの頬がみるみる真っ赤に染まっていく。


「くっ、あははははははっ! まずは……くくっ、腹ごしらえだな……ッ!」

「わ、笑い過ぎです!! 笑い過ぎですう!!」

 アテネは真っ赤な顔で「むー!」と、頬をぱんぱんに膨らませるが、そんな可愛い表情もルカの笑いのツボを痛打するのであった。


    ◇

 

「確かあれが、クロエおススメのお店です!」

 アテネの視線の先にあるのは、ロブスターの身をふんだんに使ったバケットサンドの店だ。

 ちょっぴり拗ねていたアテネも空腹には勝てないのか、真っ赤に茹であったがロブスターの山に目をキラキラと輝かせている。 


「美味しそうだな」

「はい!」

「ここで待っててくれ、さっきのお詫びに買ってくるよ」


「あ、そんな! 気を使わないで下さい!」

 アテネが焦った様子で、あたふたと言う。


「これくらい見栄を張らせてくれ」

「でしたら、一つ買って半分こしましょう。私はそこの店でレモネードを買ってきます」

「よし、わかった」


 ルカがロブスターサンドを購入していると、アテネがレモネードを買って戻ってきた。

 木製の大きなタンブラーには、麦穂のストローが二本刺さっており、恋の祭りだけあってハートの形に結ばれていた。


「温いうちに食べようか」

「あそこの芝生に座りましょう」


 芝生まで移動すると、アテネは短いメイドスカートの中から、ピンク色の敷布を取りだし広げる。

 聖霊器に施された空間を操る聖霊術を応用した収納術は、類い稀なるエーテル制御能力を持つアテネだからこそ可能な術であった。


「用意がいいな」

「準備は念入りに整えて来ましたから!」

 アテネはえへんと胸を張る。


「しかし、空間収納は本当に便利だな」

 ルカは感心しながら敷布に腰を下ろした。

 アテネも隣に寄り添うように座る。


「まずは乾杯ですね」

 アテネはレモネードの入ったタンブラーを差し出す。

 麦穂のストローは二本あるが、ハートの形に結ばれているため、同時に飲むとまるでキスをするかのような体勢になる。


 アテネもその事に気付いたのか、真っ赤な顔で固まってしまった。

 恥ずかしいのはルカも同様だったが、ここは自分がエスコートすべきだろう。


「いく、か」

 と、ルカが言えば、

「は、はいっ!」

 アテネはそう返事をして、ストローを咥える。

 一緒に吸い上げると、レモンの爽やかな甘酸っぱさが口に広がった。


「こ……これは想像以上に照れますね……」

 アテネは頬を染めて周囲をみやる。


「祭りの空気がなければ、とても出来なかったな」

 木を隠すなら森ではないが、周囲のカップルも同じようにイチャイチャしているため幾分マシではある。


「じゃあ、ロブスターサンドを頂こうか」

「待ってました!」

 包み紙を開くと、湯気と共にバターレモンの香りが鼻腔をくすぐる。


「ちゃんと半分に切ってくれてあるんだな」

 大きなバケットにたっぷりロブスターの身が詰め込まれたサンドは、真ん中で綺麗に半分に切られていた。


「これも恋人仕様なんですね」

「みたいだな」

 ルカとアテネは、それぞれ半分に切られたロブスターサンドを手に取ると、一口かじってみる。

 トーストされたパンは表面はカリッとしていて中はふわふわで、濃厚なロブスターの味が口一杯に広がる。


「美味しい! 凄く美味しいです!」

「ああ、これは格別だ」

 屋台の味とは思えない美味さに舌鼓を打ちながら、二人はあっという間にロブスターサンドを完食した。


     ◇


「おしぼりをどうぞ」

 アテネがスカートの中から濡れ布巾を取り出した。


「ありがとう、アテネ」

 こんなものまで出てくるのか――と、手と口を拭ったルカは、ふと、正座するアテネの短いスカートと、純白のニーソックスに包まれた魅惑のふとももに目を向けた。


「どうかしました?」

「いや、一度その中を見せて欲しいなと」

 ルカは収納術の事を言ったつもりだったが、アテネは言葉通りストレートに受け止めた。


「こ、こんな人目のある場所じゃ、見せられませんよ!」

 アテネは頬を真っ赤に染めて、短いスカートを押さえた。

 誤解を解くべきかと思ったが、羞恥に頬を染めるアテネの表情に、ルカの加虐心に火が着いた。


「……二人っきりなら見せてくれるのか?」

 顔を近付け耳元で囁くと、アテネはさらにカーッと顔を赤くして、


「ルカが望むなら……」

 と、かすれるような声で言った。


「楽しみにしておこう」

「あうう、ルカがエッチな狼さんになってます……」


「こういうのは嫌か?」

 無人島での一件から、ルカは己の感情を正邪問わずに、包み隠さずアテネに伝えている。

 下手に隠して致命的な勘違いを生むぐらいなら、正面からぶつかり、その上で否定されたかった。

 もしアテネが嫌だというのなら、すぐにでも改めるだろう。


「い……嫌ではないから困っているのです。ルカが望むなら、私はきっと……どんな事でもしてしまうでしょう。今も、見せろと強く命じられたら――」

 アテネは羞恥に頬を染めながらも、青い瞳に被虐の悦びを垣間見せる。

 拒絶はなく、あるのは期待であった。


 言葉に籠められた少女の真の願いを、ルカは速やかに遂行する。


「………アテネ、ドキドキの特訓をしようか」

「と、特訓……ですか?」

 ハッとした表情でアテネは顔を上げる。

「そうだ」

「な……何をすればいいのでしょう?」

 アテネは両手でスカートを掴み、モジモジと太ももを擦り合わせる。


「――――スカートをめくって見せろ」


「ッ」

 アテネはビクリと身体を震わせる。

 躊躇うように唇を噛み、上目遣いで潤んだ瞳をこちらに向けた。


 その表情はあまりに蠱惑的で、ルカの背筋がぞくりと震える。

 穢れなき純白だった乙女の心を、醜い欲望で漆黒に染めている――そんな背徳の喜びを感じるのだ。


「さあ、早く」

「…………は、い」

 アテネは耳まで真っ赤に染めて、震える両手でスカートをゆっくりと持ち上げ始めた。

 一センチ、二センチと、スカートが持ち上がっていくが、五センチほどで手が止まる。


 これ以上は羞恥の限界だろう。


 めくり上げるというより、ただ水平に持ち上げただけだが、正面に座るルカにはそれで十分であった。

 レース模様がセクシーなロイヤルブルーの下着をじっくり鑑賞する。


 しばらくして――


「はぁ、はぁ……もう、いいでしょうか? んッ……❤」

 たっぷりと視線で愛撫されたアテネは、荒く息をしながらそう言った。

「よく頑張ったな」

 震える手でスカートを持つアテネの頭を、ルカは優しく撫でる。


「ッ❤」


 頭を撫でただけなのに、アテネはとろんと惚けた表情を見せる。

 どうにも犬っぽい少女を、ルカはとても愛しく思う。


 初めての恋をし、初めてのデートを経験する二人は、タガが外れたように加減を知らず、ただひたすらに互いを求め会うのであった。


    ◇


「ねぇ、あそこにいるのってルカさんじゃん! おーい、ルカさぁん!」

 大きな声でルカの名を呼ぶのは、橙色の髪をショートで切り揃えたボーイッシュな雰囲気の少女で名は、テオ。


「だ、ダメだよ、テオ! お二人の邪魔をしたら!」

 テオをたしなめるのは、栗色の髪を三つ編みにした大人しい雰囲気の少女で名は、エミリー。


 二人はステラ・マリス号に乗る水兵で、主に帆手を担当していた。

 

「なに遠慮してんのよ! 私達、客引きなんだから頑張らないと!」

 テオとエミリーの二人は、何故かシスターの格好をしていた。

「で、でも……」

 大人しい雰囲気ながら非常に整った目鼻立ちに、鮮やかな真紅の瞳を持つエミリーは、テオの影に隠れ困った表情でおろおろする。


「相変わらず元気だな二人とも」

 こちらにやって来たテオと、無理やり連れてこられたエミリーに、ルカは手を上げながら――

「大丈夫か、アテネ?」

 と、いまだ頬の赤いアテネを案じる。


「は、はい……大丈夫です」

 ルカの後ろで、アテネは慌てた様子で乱れたスカートを整えた。


「ルカさん、ルカさん! エミリーのシスター姿を見てやってよ!」


「は、恥ずかしいっていってるのに、テオのバカ!」

 羞恥に頬を染めるエミリーだが、そのシスター姿にルカは「ほう」と声を漏らす。

 アテネもまた、感嘆した様子で「綺麗」と呟いた。


「凄く似合っているじゃないかエミリー」

「まるで、《灰の聖女》様のようです!」

 両手をパチンと合わせ、アテネは言った。


 《灰の聖女》とは、創世記に登場する聖女の一人で、焔の御子と共に世界を救い、治癒聖術を確立した医療の母と云われている女性だ。


「ほ、褒めすぎです! 灰の聖女様だなんて畏れ多くて!」

「だから、似合うって言ったでしょ」

 テオは自分の事のように嬉しげに、ニヒヒと笑う。


「だが、二人はどうしてシスターの格好なんかしているんだ?」

 ルカが疑問を投げ掛ける。


「私とエミリーは、この街の『聖霊教会』出身なんだ。今日は教会の屋台を手伝いに来たってわけ」

「はい。少しでも、弟や妹達の役に立てたらと思いまして」


 聖霊教会とは、創世記に登場する《焔の御子》を神の子として崇める世界最大の宗教である。

 教会の多くは身寄りのない子供を引き取り育てる孤児院の役割をしており、教会出身とは『孤児院』出身であるという意味でもある。


「そういう事なら俺達も売上に協力させて貰おう」

「ですね!」

 ルカの言葉に、アテネは強くうなずいた。


「やった! 助かるよ! 二名様ご案内!」

 テオは嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「すみません。ルカ様、アテネ様」

 エミリーが申し訳なさそうに頭を下げた。


「気にするな」

「ルカの言う通りです。仲間なんですから、助け合うのは当然です」

 アテネはにっこりと微笑んだ。


      ◇


 ルカとアテネは、テオらに連れられ、祭りのメインストーリーを外れて裏路地を行く。

 表通りはあれほど賑わっていたのに、裏通りに入った途端、嘘のように人の気配がなくなった。


 しばらく進むと、教会の聖十字のシンボルと、子供らが装飾したのだろう。カラフルでポップな屋台が見えてきた。


「エルマ母さん、お客さん連れてきたよ!」

 テオは店に立つ初老のシスターに向かって手を振る。


「まぁ、まぁ、いらっしゃいお客様」

 初老のシスターは嬉しげに顔をほころばせ、後ろでは幼い子供達が歓声を上げた。

 子供の年齢はまちまちで、下は三歳から上は一〇歳まで、十人前後の子供達がいた。


「皆、お客様には何というのでしたっけ?」

 はしゃぐ子供達に、エミリーが膝を折って優しく言う。

 すると、

「いらっしゃいませー!」「ませー!!」「ましぇー!」

 バラバラであったが元気に声が響き渡る。


「か、可愛い!」

 そんな子供達を見たアテネが目をハートに輝かせた。

 テオ曰く、年長の子供達は畑仕事に出ていて、全員合わせると三〇人を越える大所帯らしい。


「売っているのはなんだ?」

 冷気を放つケースの中に入っている、乳白色の固形物にルカは首をかしげる。


「見ての通りアイスクリームだよ」

「アイスクリーム?」

 聞きなれない言葉に、ルカは首を傾げた。


「乳製品などを使う氷菓子の一種です。私も初めて食べた時は、この世にこんなに美味しいものがあるのかと感激しました」

 アテネが説明する。


「昔は王様しか食べれないほど、貴重なスィーツだったと聞きます」

「ルカさんがどんな反応するのか、楽しみで仕方ないよ!」

 エミリーにテオに、さらにアテネが、ニンマリと笑みを浮かべてルカの回りを取り囲む。

 その顔は、まるでビックリ箱を開ける瞬間を期待しているかのようだった。


「味は二種類でパンプキンとスィートポテトになります。どちらになさいますか?」

 シスター・エルマが言う。


「ではパンプキンを頼む」

「私はスィートポテトでお願いします!」


「かしこまりました」

 シスター・エルマはワッフルを薄く焼いて丸めた三角コーンに、アイスクリームを二段がさねに乗せてた。


「これが……アイスクリームか」

 ルカはしげしげと氷菓子を眺める。

「さぁさぁ、早く食べてみて下さい!」

 アテネは期待に満ちた表情で、目を輝かせる。

「あ、ああ……」

 ルカは意を決して一口かじってみた。


「――――ッ!?」


 手のひらに乗った雪が溶けるかのように、痺れるような冷たさと共に、舌の上で濃厚なカボチャの甘さがとろけていく。


 初めて感じる強烈な味覚に、ルカは衝撃と感激を覚え――


「信じられない! なんて美味さだ!」

 と、ルカは思わず叫んだ。

 アテネ達がそんなルカの様子に、嬉しそうに笑みを弾けさせた。


「これでルカも、アイスクリームの魅力にとりつかれた仲間ですね! あむっ」

 アテネはそう言って、自分もアイスクリームに噛り付いた。


 次の瞬間。


「お、美味しいいいいい――――ッ!?」

 アテネはツインテールを逆立てる勢いで叫んだ。


「美味しいだろ! エルマ母さんの作るアイスクリームはコロンビア一なんだぜ!」

 テオは誇らしげに胸を張った。


「だが、こんなに美味いのにどうして流行ってないんだ?」

「ほんとです! 長い行列が出来ていてもおかしくない美味しさですよ!」

 ルカとアテネが尋ねる。

 答えたのはエミリーだった。


「大通りで店を出せば、間違いなく沢山のお客さんを得ることが出来るでしょう。ですが、大通りで店を出すには高い場所代が必要になるんです。私達にはそのお金がなくて……」

「それで客引きをやっていたのか」

「メルティナ様がこの地を治められてからは、軍が農園を無償で貸してくれるようになり、子供達を食べさせるには困らなくなりました。ですが、子供達の将来のためには、どうしてもお金が必要になるんです」

 エミリーは胸に手を当て言った。


 医者に見せるにも、薬を買うにもまとまった金がいる。

 幼い子供がこんなに沢山いる孤児院では、その出費はバカにならないだろう。

 なにより、


「教育か……」

 と、ルカが言えば、エミリーは驚いたように目を見開き、コクリとうなづいた。


「その通りです。子供達はいずれ成長し、大人になります。その時に自分で道を選べるよう沢山の事を教えて上げたい。私やテオが……お姉ちゃん(、、、、、)にそうして貰ったように」 


「こういったお祭りでは財布の紐がゆるくなるからさ、お金を稼ぐ絶好の機会だと思ったんだけど、上手くいかないなぁ。一杯稼げたらチビ達に祭りで遊ばせてやろうって思ってたんだけど、不甲斐ないねーちゃんを許してくれぇ」

 テオは子供達を抱き締めオイオイと泣くフリをする。


「ねーちゃんこそばゆいよ!」「あはは! もっとぎゅーして!」「ねーちゃん大好きー」

 子供達はキャッキャッと笑う。


 アテネはその光景を見て、切なげに胸を押さえた。

「こんな言い方は……不謹慎かもしれませんが、子供達は幸せですね」


 孤児になった事は、間違いなく子供達にとって大きな不幸だろう。

 だが、肉親から牢獄に幽閉されてきたアテネには、血の繋がりはなくとも、子供達に注がれる無償の愛を感じとることが出来た。


「渡る世間に鬼は無し、だな」

 ルカは子供に微笑みかけるシスター・エルマや、テオとエミリーに尊敬の念を懐いた。


「ねぇ、ルカ……」

「皆まで言わなくてもわかっている。俺達にも何か出来ることがあればいいんだが」

「はい!」

 ルカとアテネはアイスクリームに感激しながら、どうしたらこの味を多くに伝えるかを考える。


「私も彼女達と一緒に、客引きをしましょうか?」

「いや、客引きだけでは、人の流れを変える事は出来ないだろう」


 人の流れは例えるなら『川』だ。決まったコースを逸れることはない。

 人々は特定の目的地へ移動しているわけではなく、祭り自体が目的なのだ。

 だからこそ大通りの屋台や出店には、同じような店が何軒もあり、客は最初の店を通り過ぎても、流れにそって歩けば、次の店で欲しいものが買えるという寸法だ。


「なるほどです。川の流れを変えるには、単純な客引きだけではインパクトが足りないという事ですか……」

「この人垣では視線に限界がある上、声による誘導も喧騒にかき消されるからな」

「困りました。何かいいアイディアはないでしょうか?」

「上手く行くかはわからない。だが、『一つ』考えがある」


「――――聞かせて下さい!」


 その声は綺麗に三つ重なった。

 アテネの他に、側に来ていたエミリーにテオの声だ。


「子供達のためなら、労は惜しみません」

「ねーちゃんとして、いいとこ見せたいしね」


「皆で頑張りましょう! それでルカの考えとは?」

 アテネ達の問いに、ルカはうなづくと、

「大和の国では多くの祭りは『神事』であり、神事には神に奉納する『神楽』が行われたんだ」

「かぐら?」

「神に捧げる聖なる『歌』だ」


 ルカの言葉に、アテネ達はハッとした顔になり、次いで興奮するように頬を紅潮させていく。

 こちらの考えが理解出来たのだろう。


「声が喧騒にかき消されるなら歌に乗せればいい。さらに、歌に楽器の旋律を加えれば、その声はどこまでも届くだろう。注意を引けば足が止まり、足が止まれば――こちらのものだ」

 ルカはそこで言葉を切ると全員を見渡し、

「この教会でコンサートを開く。それもお代を貰わないチャリティーコンサートだ。ただし、お代の代わりにアイスクリームを買ってもらう。これが俺の考えだ」

 と、言った。


「名案です! 歌声には自信がありますよ」

 アテネは頬を紅潮させて答えた。


「歌なら私もエミリーの得意だよ! ね、エイミー!」

「はい! お力になれると思います!」

 エミリーとテオも興奮ぎみに言う。


 船乗りは総じて歌好きだ。

 広大な海原で、長い航海で、数少ない娯楽の一つが歌であるからだ。

 帆を上げるのも、錨を巻き上げるのも、様々な歌で声を揃え力を合わせる。

 明るく力強い歌から、陸の男を罵る歌に、悲しい恋の歌など、夜空に輝く星に負けない数の歌がある。


「よし、三人には歌姫になってもらう」


「ルカは歌わないのですか?」

 アテネが言うと、エミリーにテオも期待の眼差しを向ける。

 

「残念ながら俺は音痴らしい。一度、歌ってみたが、聞いていた全員が船酔いしてしまってな」

 ルカが悲しげな顔で腕を組むと、何故か全員が吹き出した。


「……笑うところじゃないぞ」

 目を細めるルカ。


「ふふ、ごめんなさい。ですが、ルカにも苦手な事があったのですね」

「当たり前だ。俺などまだまだ未熟者だからな」


「ルカは自己評価が厳しすぎます」

 アテネは何故か微笑む。

「嬉しそうだな?」

「ええ、私はルカの魅力を一杯知っていますけど、また一つ、新たな魅力を発見してしまいました」

 アテネから向けられる真っ直ぐな好意に、ルカは照れるように頬をかくと、

「まずは責任者に許可を得ないとな」

 子供達をあやすシスター・エルマを見やる。


      ◇ 


 エルマは二つ返事でコンサートを許可すると、教会の中へ入り、少し経ってから木箱を抱えて戻ってきた。

 エミリーとテオはその木箱を見ると懐かしげに、だが、悲しげに見やる。


「それは?」

 ルカが問うと、シスター・エルマは木箱を開けた。

 中には、木目彫刻が美しい古びた『竪琴』が入っていた。


「私達が愛する子供の中に、オルフェウスの生まれ変わりと称されるほど竪琴の上手な少年がいました。週末になれば、彼が奏でる旋律を求め多くの者がこの教会を訪れたものです」

 シスター・エルマの声には深い悲しみが籠められていて、ルカとアテネはその少年がもうこの世には居ないことを察する。


「私達はクリュス兄さんから音楽を教わり、歌の素晴らしさを知りました。詩を覚えるために読み書きを習い、世界はそこから広がりました」

「でも、兄ちゃんは三年前に病で……」

 エミリーとテオは悲しげに顔を伏せた。


「この竪琴を使っても?」

 ルカが竪琴を受け取ると、シスター・エルマはコクリとうなずいた。


「どうか使って下さい。この三年……教会からは歌の灯火が消えてしまいました。皆、クリュスの事が忘れられないのです。ですが、天に召されたよきクリュスは聞きたいと願っているはずです。子供達の元気な歌声を――」

「ありがたく使わせて頂きます」

 祈るように両手を組んだシスターに、ルカは言った。


「誰か竪琴が得意な者はいるか?」

 ルカはアテネから順に、エミリーとテオを見やる。


「クリュス兄さんから少し手ほどきは受けましたが、人様に披露できる腕前では……」

「う、うちもだよ」

「困りました。私も竪琴については詳しくありません」

 三人の少女達は困った表情で眉を下げる。


「なら、俺が弾くしかないか」

 ルカは肩に竪琴を当て、弦に指を添える。

 奏でるのは、奴隷のまとめ役をしていた『アデラ』が一番好きだった『故郷』という曲だ。


『故郷を飛び出した少女は、遠い異国の果てまでやって来た。少女はそこで幾つもの幸せを見出したが、もう戻れない故郷を想い涙する』


 そんな意味が籠められた旋律が、優しく包み込むようなハープの音色となって青空に吸い込まれていき――一節引き終えたルカが顔を上げると、アテネが、エミリーやテオに、シスター・エルマや教会の子供達が、口をぽかんと開けてこちらを見ていた。


「ど、どうだろうか? 仲間内では評判がそこそこだったんだが……」  

 歌はからっきしだが、アデラに教わったハープの腕は『そこそこ』という評価で、奴隷仲間はルカの旋律に合わせて歌ったのを昨日の事のように思い出す。


「素敵です、ルカ! なんて綺麗な旋律なのでしょう!」

 アテネは感激した様子で、ルカに羨望の眼差しを送る。


「す、す、凄いです! まるでクリュス兄様のようでした!」

「ふぇぇ、ビックリしたよ。ルカさんって何者なのさ!?」

 エミリーもテオも口々に言った。

  

 こうして、教会で開かれるコンサートでは、ルカが楽器を担当し、アテネらが歌声を担当する事となった。

 



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