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 帆に風を満帆に受け、白銀の船が大海原を切り裂くように進む。

 船の名は、ステラ・マリス号。

 コロンビア海軍が誇る世界最強の超大型フリゲートである。

 その艦長室には現在、二人の女性がいた。

 一人は成熟した大人の魅力を醸し出す、青みかかった銀髪が特徴的な女性で、名はメルティナ。

 この船の艦長である。

 もう一人は瑞々しい魅力を放つ、青い髪と瞳が特徴的な少女で、名はアテネ。

 この船の――『海尉見習い(・・・・・)』である。

 アテネは海の悪魔こと大海獣クラーケン討伐に貢献したとして、士官候補生から再び『海尉見習い』への昇格を果たしていた。

 だが、

「先ほどの戦いは何かしら、アテネ海尉見習い?」

 椅子に腰かけ足を組むメルティナは、鋭く目を細めてアテネを見やる。

 その表情は厳しく、怒気を含んでいた。

 コロンビアを守る海軍として、アテネ達は日々、海獣や海賊の脅威と戦って来た。

 つい数時間前にも、商船隊を襲う海賊団を発見したステラ・マリス号は、彼らに戦いを挑み見事に撃破した。 

 ところが、その戦闘中にアテネは大きな失敗をやらかしたのだ。

 幸い怪我は軽傷で済んだが、一歩間違えば大変な事になっていただろう。

「ごめんなさい、お母様……」

 痛く反省するアテネは、深々と腰を折って頭を下げた。

 お母様と呼ばれたメルティナは、一瞬嬉しそうな顔をするが、すぐに表情を引き締める。

 二人は母娘の関係にあるが、メルティナはアテネを娘だからと特別扱いはしなかった。

 むしろ、他の者より厳しく当たるのが常である。  

「今は軍務中よ。お母様はやめなさい。最近のあなた……少し弛んでいるのではなくて?」

「…………はい」

 しゅんと、うなだれるアテネ。

 メルティナの言う通り、ここ一ヵ月は軍務に身が入らず失敗ばかりで、せっかく昇格を果たしたのにこのままだと再び降格されるかもしれない。

「原因は、『ルカ』――ね」

「びくーん!」

 アテネは声に出して思わず飛び上がる。

 名を聞いただけで取り乱してしまうほど、今のアテネはルカの存在を意識してしまっていた。

 目で捉えれば緊張で身体が固くなり、声を聞けば息が苦しくなる。

 ルカはこの世で唯一海に出れるマーマンで、アテネは――彼に恋をした一人のマーメイドであった。

 無人島の一件から、互いの想いも秘密も全てさらけ出し、ルカとアテネの関係はさらに強く深く進展していた。

 具体的に言うと『恋仲』になっのだ。

 これは誰にも話していない、ルカとアテネだけの新たな『秘密』である。

 すると、

「公私を別けられない者に士官は務まらないわ。あなたは……部下に死ねと命じなければならない立場にいるのよ?」

「――――ッ!」

 アテネはハッと顔を上げ、次いで恥じ入るようにうつむいた。

 このままではいけないと感じていた。

 自分がしっかりしなければ、仲間も、大切な人も、危険に晒してしまう。

 今日から心を入れ替えて頑張ろう。

 まずはルカの名前を聞いただけで、心乱さないようにしなければ――と、アテネは決意を新たにする。

「…………」

 メルティナはそんなアテネを見つめと、おもむろに口を開いた。

「入りなさい。ルカ――士官候補生(・・・・・)

「――――ッ!?」

 心臓が止まるかと思うほどの衝撃に、アテネは心を大きく乱し慌てて扉を振り返る。

 だが、そこに立つのは、苦笑する航海長のミランダであった。

「これは、ぬか喜びさせてしまいましたかな?」

「えっと、その…………」

 ルカは何処にいるのだろうかと、アテネはミランダの背後を気にする。

 試されたのだと気が付くのに、たっぷり数呼吸も時間をかけたアテネは、恐る恐る母を振り向いた。

「はぁ……どうにも駄目ね。もういいわ。下がりなさい」

 メルティナは沈痛な表情で、こめかみを押さえた。

 アテネは「はい」と返事をすると、意気消沈して艦長室から退出した。


   ◇


「全く、困った子だわ」

 机に顎肘をついて扉の向こうに消えた娘を想う姿は、凛とした艦長の態度から、優しい母のそれに変わっていた。

「可愛くて仕方がないといったご様子ですな」

「手のかかる子ほど可愛いっていうけど、あれは本当ね」

「ですが、お嬢様は本当にお変わりになられた。まるで人形が魂を得て、人に生まれ変わったかのようではありませんか」

 以前のアテネは、冷たく人間性を欠き、誰にも心を開かない少女であった。

 それを今のように変えたのは、一人の少年の力である。

「彼には感謝してもしきれないわ。でも、このままアテネを放っておけば、あの子自身にも、部隊全体にも悪影響が出る。早急に何とかしなければね」

「ルカは優秀です。個人としての戦力は言うに及ばず、目端が利き、冷静で、人を動かすのも上手い。端的に言って将の器ですな」

「ええ、そうね。逆にうちの娘は、才覚はあっても、視野が狭くて熱くなりやすい。誰かに仕えることで真価を発揮する副官タイプね」

「互いに補い合う、良い関係ではありませんか」

「階級の違いが問題だわ。部下が優秀なのは素晴らしいけれど、上官がそれを使いこなせなければ指揮系統は乱れるわ」

「彼はその辺りを、そつなくこなしているように見えますが?」

 最近頻発するアテネのミスは、全てルカがフォローして大事にならないようにしているのを、メルティナもミランダも知っていた。

「問題はそこよ。うちのアテネが足を引っ張らなければ、彼はもっと大きな戦功を立てているに違いないわ」

「まぁ、それは確かに」

「東方艦隊のシェダー提督がいたく彼を気に入ってね。副官のポストを用意するとまで言ってきているの。一年か二年ほど経験を積ませれば、海尉艦長になれるでしょう。それから、アテネを副長として配属させようかと思うのだけれど……どうかしら?」

 名案とばかりにメルティナは手を打つが、ミランダは首を左右に振った。

「メルティナ様とは思えぬ『愚策』ですな。今の二人を引き裂くのは感心しません」

「手厳しいわね」

「あの二人を『オルフェウス』と『エウリュディケ』にしたいというのであれば、止めはしませんが」

 オルフェウス――『冥府下り』の神話で知られる彼は、神に愛された吟遊詩人であった。

 毒蛇に噛まれて亡くなった妻エウリュディケを求めて、冥界にまで行ったオルフェウスは、多くの試練の果てに死したのちに妻との再会を許される。

 だが、それは新たな試練の幕開けでしかなかった。

 コロンビアではとりわけ有名な悲恋の物語であり、真実の愛を示す物語でもある。

「男女の機微に随分と詳しいのね?」

「それはもちろん、メルティナ様の時に(・・・・・・・・・)嫌というほど経験しておますゆえ」

「え、私?」

 メルティナはきょとんとした顔で自分を指差す。

 その表情は娘のアテネのそっくりで、ミラルダは笑いながら答えた。

「全くもってよく似た母娘ですなぁ。エリオット様に恋されたあたなは、それはもう……信じられないポンコツに成り果てて、あの当時、私がどれだけ苦労させられたか」

「そ、そんなわけ――――ッ!」

 メルティナは咄嗟に否定しようとするが、思い当たる節があったのだろう。

 照れるように頬を赤くすると、

「あ、あれは……その……三ヵ月も会いに来なかったあの人が悪いわ……」

 拗ねた表情で、椅子に深くもたれ掛かる。

 ミランダは微笑むと、メルティナに提案をする。

「海に生きる女が、恋に浮わついた心を鎮める方法は『一つ』しかありません」

「………詳しく聞かせなさい」

 身を乗り出し、メルティナは言った。 


   ◇


 部屋には人の『個性』が出る。

 ステラ・マリス号の副長を務めるテミス一等海尉の士官用個室は、余計な装飾はなく、実用一辺倒で固められていた。

 日用品は全て配給品であり、クローゼットには軍服が並び、オシャレ着の一つもない。

 だが、余計な装飾はなくとも、余計なものがないわけではない。

 広いとはいえない士官用個室を占拠するのは、膨大な数の書物だ。

 多くが戦術教本で、様々な図鑑や専門書がうず高く積まれており、インクと紙の独特の匂いが部屋には充満していた。

「ふむ、まだスペルミスが多いが及第点だな。よし、今日の授業はここまでにしよう」

 黒縁のメガネをクイッと持ち上げながら、テミスは言った。

「ありがとう、テミス副長」

 ルカは頭を下げて礼を言う。

 クラーケン討伐から一ヵ月。英雄的な戦功を上げたルカは、見習い水兵から士官候補生という異例の特進を果たしていた。

 実は海軍本部からは、さらにその上である『海尉』相当であるという評価を得たのだが、ルカ本人の強い要望により、士官候補生止まりとなっている。

 これには幾つか理由があり、その一つが『読み書き』であった。

 ルカは五ヵ国ほどの言葉を話せるが、読み書き出来るのは大和の国の言葉だけなのだ。

 士官として働くからには地図を読み、作戦書を読み、さらには書けなければならない。

「お前も晴れて士官候補生になったのだから、文字の習得は急務だぞ」

 ルカは週に二回、テミスから読み書きを教わっていた。

 最初はアテネから教わっていたのだが、ルカを前にすると赤面して硬直するアテネにどうにも授業が進まず――見かねたテミスが先生役を変わってくれたのだ。

「テミス副長には感謝の言葉もない」

「ふふ、お前に礼を言われるとこそばゆいな。次までにこの本を読んでおくように」

「了解した」

 ルカは『狩猟王サイバティヌス』と書かれた本を受け取った。

 コロンビア先住民族インディオの、最初で最後の王の物語だ。

 文字一つ読めるようになっただけでも、世界は広がっていくのだとルカは実感する。

「テミス副長、相談があるんだが」

「どうした? わからない事があるなら遠慮せず聞くといい」

 出会った当初は奴隷であったルカへ偏見から、その能力に懐疑的だったテミスであるが、今ではルカを一番に評価してくれる上官の一人である。

「そう言ってくれると助かる。実は――」

 ルカにしては珍しく言いよどむ。

「実はなんだ? 遠慮なくいうといい」

 テミスは気になって先を促す。

 ルカはしばらく迷ったあと、意を決して口を開いた。

「だ、男女の逢い引きについて……詳しく教えて欲しいんだ」

「あ、逢引!?」

「そうだ。この国ではデート(、、、)ともいうらしいが」

「ま、待ってくれ! 何故、私にそんな事を尋ねる!?」

 顔を真っ赤にしてテミスは叫んだ。

「テミス副長。あなた美人でスタイルもいい。さらに、しっかりとした大人の女性だ。さぞや、経験豊富とみた」

「こ、この私が美人で、け……経験豊富だと? お前、目が悪くなったんじゃないか?」

 ずれた眼鏡を戻しながら、テミスは言う。

「安心してくれ。よく見えている」

 ルカが真剣な表情で言うと、テミスは胸を押さえて顔を逸らした。

「くっ……同性に褒められて、何をときめいているのだ私はッ!」

「駄目だろうか?」

 人から教えを乞うのに、恥じや恐れを持たないのは、ルカの美点の一つだろう。

 問題は、教えを乞われたテミスの方にあった。

 陸軍将校の父に反発して海軍に入隊したテミスは、生まれてこの方、男とは無縁の生活を送って来た。

 男女ともに十五、十六歳で結婚するのが当たり前のこの時代。二一歳になっても相手の居ないテミスは、俗にいう「いきおくれ」であった。テミスの海軍同期は皆が結婚して既に子供までいるが、テミスは軍務を優先した結果として今の地位に居る。

 ステラ・マリス号の副長である事もそうだが、英雄であるメルティナの右腕として仕えられるのは、一軍人として何物にも代えがたい栄誉であった。

 この点に関しては一族に胸を張れるテミスではあるが、娘の結婚を真剣に悩む両親に対しては申し訳ない気持ちで一杯だ。

(これまで素敵な出会いがなかったのだから、仕方がないだろう。大体、父が連れて来る陸軍の将校は、どれも熊のような大男ばかりなのがいけないのだ)

 自分にだって好みはある。

 別に王子様のような眉目秀麗な顔立ちは望まないが、陸軍のマチヅモ体質だけは生理的に無理だ。なにより、女が海を支配するこの時代に、妻は家を守ってればいいなどというカビの生えたような考えだけは、絶対に受け入れられない。

「テミス副長?」

「す、すまない。考え事をしていた。コホン……あー、デートについてだったな。大丈夫だ任せるがいい。男を落とす手管について、私は――そう、スペシャリストといえるだろう」

 確かにテミスに男性経験はない。

 だが、いつ恋人が出来ても大丈夫なよう、常に準備は整えて来た。

 多種多様な恋愛本を読みふけり、同性愛についても深く傾倒している。

 具体的にいえば、デートコースなどは一〇〇通りほど考えてあった。

「いいか、まず大事なのは――」

 背筋を伸ばし、眼鏡を持ち上げ、教師の如くテミスは語りだした。


    ◇


「なるほど……逢引とはかくも奥深いものなのか」

 あれからたっぷり一時間ほどテミスの講義を受けたルカは、今日の訓練のために船尾楼に向かう。

 語られた内容の一割も理解出来ていないが、とにかく重要なのは意中の相手をデートに『誘う』事だとわかった。

 まずは、それからだ。

 腕を組み思案しながら先を行くと、船尾楼の方から意気消沈して歩いてくるアテネとばったり出会う。

 最近のアテネはトレードマークとなっていたメイド服から、通常の海兵隊の制服を纏うようになっていた。

「アテネ!」

 ルカは手を上げて、可憐な少女の名を呼ぶ。

 うつむいて歩いていたアテネは、ルカの声に「びくーん!」と顔を上げると、

「る、るる、ルカ!?」

 みるみる顔を真っ赤にして、はわわと慌て出す。

「これから訓練なんだが、アテネも一緒にどうだ?」

「わ、私は……」

 アテネはルカが近付いた分だけ後ずさりすると、顔を真っ赤にしたまま――

「ごめんなさい、ルカ!」

 と、言って、踵を返して走り去った。

「……今日も駄目か」

 ルカは嘆息して、アテネの後姿を見送る。

 この一ヵ月、アテネとはずっとこんな感じのすれ違いが続いていた。

 毎日のように寝食を共にした二人が、今では会話すらままならない状態なのだ。

(すれ違いというよりは、避けられているが正しいか……)

 想いを通じ合わせ、恋仲という関係になったものの、それがゴールではないとルカは痛感していた。

 クラーケン討伐の功績を認められ、ルカが『士官候補生』に昇進した事や、アテネが再び『海尉見習い』へと昇進した事への祝いもまだ出来ていない。

 なにより問題なのは、ここ最近のアテネが、戦闘での集中を著しく欠いている点にある。

 今日の戦闘でも敵の銃弾を受け、右腕を負傷してしまった。

 幸い命に別条はないが、《聖盾アイギス》により鉄壁の防御を誇るアテネらしくもない、これまで有り得なかったミスだ。

 このまま集中を欠いた状態で戦えば、いずれ怪我ではすまなくなる時が必ず来るだろう。

「俺がなんとかしないとな」

 アテネを守るのは、誰でもない己が魂に誓った使命である。

 例え彼女の不調の原因が自分にあったとしても、例え拒絶されたとしても――ルカが引き下がる事は絶対に有りえない。

 己の秘密を話すと決めた時から、覚悟していた事だ。

「となれば、早いうちに動くか」

 訓練が終わったら、早速アテネを『逢引デート』に誘おうとルカは決めた。

 もし逃げられたとしても、追いかければいい。

 一日でも、一晩中でも、追いかけ続けてやる。


 ここは船の上なのだから――


     ◇

 

 船尾楼甲板は指揮を執るため広く開けており、平時は士官が戦闘訓練をするためのスペースとなっていた。

 海兵隊の一員となり、さらに士官候補生となったルカは、毎日のようにここで戦闘訓練を行っている。

 いつもは海兵隊長のセラフィナや、海兵随一の槍使いであるマリナが相手になってくれるのだが、今日に限っては何故かメルティナ艦長がそこにいた。

「どうして艦長が?」

「セラフィナには譲って貰ったわ。今日は私が訓練を付けましょう。準備は?」

「いつでも……ッ」

 ルカは緊張を持って、刀を構える。

 大英雄として知られるメルティナは、提督の地位にふさわしく多忙だ。

 そのため彼女が誰かに訓練を付けるのは極めて珍しく、同時に、大変な栄誉でもあった。

 数多の称号持つメルティナだが、中でも他に及びつかないのは『黒龍アイドネウス』を討伐した《龍殺し(ドラゴンスレイヤー)》の称号だろう。

「手合わせするのは初めてね」

 メルティナはそう言って、腰に帯びた鞘から白銀のサーベルをゆっくりと引き抜いた。

 真銀製であるという点以外は、何の変哲もない支給品の軍刀だ。

 だというのに、そこから放たれる威圧感たるや――

(凄まじいな……これが龍殺しか……)

 ルカは背中にじっとりと油汗が浮かぶのを押さえられなかった。

 これまで死を覚悟した事は何度もあるが、全身が麻痺するような畏れを感じたのはこれが初めてだった。

「ルカ――あたなは、私が見込んだ通りの、いいえ、それ以上の活躍を見せている。次代の海軍を背負っていくのは、あなたのような若い世代になるでしょう」

「俺はただ……拾って頂いた恩に報いるだけです」

 ルカはそう答えながら、刀を鞘に納めたまま腰を落とし、左足を前に出す抜刀術の構えを取る。

 初手から全力。

 そうでないと、触れることすら(・・・・・・・)叶わないと直感的に理解した。

「異国の剣術は沢山見て来たけれど、鞘から刃を抜かずに最速の斬撃を放てるなんて、大和の国の剣術も奥が深いわ」

「俺は逆に世界の広さを思い知らされたました。正直、剣の腕なら師以外の誰にも負けないつもりでしたから」

 狭い島国で千年以上も殺し合いを続け、練り込まれて来たのが大和剣術だ。

 これほど実戦に特化した剣術は、他国でも類を見ないだろう。

 中でも創世記に登場する《剣姫》により創始された『七星一刀流』は、ルカであっても今だ『初段』を許されただけでである。

 だが、ルカはこの短い期間で、オクタヴィアにセラフィナと続きメルティナ艦長と、自分を越える剣の使い手に出会っていた。

「あなたは確かに神の如き目を持つわ。でも、だからこそ目の力に頼りがちになっている。一合二合と切り結んで相手の剣筋を見切るやり方では、この先……倒せない相手と必ず出会うわ。幾らあなたの目でも、見えない剣を見切る事は出来ないでしょう?」

「見えない……剣?」

「今からそれを見せるわ。決して――目を逸らしては駄目よ」

 直後、メルティナの体内から尋常ならざるエーテルが放たれ、その身体が僅かに沈み込む。

「ッ!?」

 死の予感が全身を駆け抜け、ルカの身体は反射的に動いていた。

 甲板を砕く勢いで踏み込み、放つは鞘走りからの神速の抜刀術。

 だが、

「――――ッ」

 漆黒の刃は鞘の抜き放たれる事なく、その中ほどで止まった。

 止めざるをえなかったのだ。

 何故なら、離れた位置に立っていたメルティナが、その右手に持つ白銀の切っ先が、ピタリとルカの首筋に突き付けられているのだ。

 速すぎる動きに空間がたわみ、遅れて衝撃波が駆け抜ける。

 打ち合う間も許されない超神速の一撃に、ルカの全身からドッと汗が噴き出る。

 メルティナがその気なら、ルカは今確実に死んでいただろう。

「どうだったかしら?」

 剣を下げ、メルティナは問う。

 アテネの面影を強く感じる美しい顔を間近にして、ルカが感じるのは、生きている事への安堵と、それを遥かに上回る敗北感。そして、烈火の悔しさだ。

「完敗です。今の俺では手も足も出ない……」 

「相手を確実に殺すから『必殺』というのよ。私がこの技を放った時点で、あなたの死は確定していた。避ける事も防ぐ事も決して出来ないわ」

 回避も防御も不能の必殺の一撃。

 それは人理を越えた『絶技』と呼べるだろう。

 だというのに、

「次までの対策を考えなさい」

 メルティナは当たり前のように、とんでもない課題を出した。

「つ、次までに……?」

 勝ちの道筋が全く思い浮かばず、ルカは刀の柄を握りしめた。

「この世に無敵の力なんて存在しないわ。どれだけ完璧に見えるものにも弱点はある。今の技もそうよ。そして想像なさい。もし、私が……敵だった場合を」

「わかりました。次は必ず――破って見せます」

 ルカの脳裡にアテネの姿がよぎり、心が熱く燃え上がる。 

 どうすればあの絶技を越えられるのか、今は想像もつかない。

 だが、この試練を突破しなければ先はないだろう。


 本当の敵と対峙した時に、『次』はないのだから――


「話は変わるのだけれど、《星天祭》は知っているかしら?」

 メルティナは剣を鞘に収めると、そう尋ねた。

「いいえ、知りません」

「コロンビアに古くから伝わる夏祭りよ。港に着けばしばらく休暇が与えられる。訓練も大事だけれど、士官たるもの見識を深めるのも大事よ。是非とも参加を勧めるわ」

「お祭り、ですか……」

 コロンビアの祭りがどのようなものか経験した事はないが、もし大和の国の『縁日』のようなものだとしたら、逢引に丁度いいのではないだろうか。

 強くなるのも急務だが、それ以上に今はアテネの不調を治さなければならない。

「了解しました、艦長」

 これはいい情報を得たぞと思いながら、ルカは敬礼した。

「ついでにこれも渡しておくわ」

 メルティナは懐から一枚のチケットを取り出した。

「これは?」

「軍用の宿泊券よ。これがあればサンシャインロードで一番いいホテルのスイートルームに泊まれるわ。休暇中はそこで過ごすつもりだったのだけれど、急な予定が入ってね。無駄になるから使ってくれると助かるわ」

 そう言ってチケットを差し出すメルティナは、娘を想う母の表情をしていた。

 ルカはそこに籠められた優しい嘘を察する。

「…………もしかして、これを渡すために?」

「公私混同する者に指揮官は務めらない。私は……いざとなれば娘に死ねと命じなければならない立場にいるわ。だから、アテネを娘だからと特別扱いはしてこなかった」

「それは十分にわかっています」

「でもね。子を案じない母はいないの。私は、あの子に優しい言葉をかけてあげられないけれど、たまには母親らしい事もしたいじゃない?」

「艦長……」

「うちの困った娘を任せたわよ」

「――――わかりました」

 ルカはチケットを受け取り、コクリと頷いた。


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