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  5


「随分と長風呂じゃない」

 風呂から出たところで、ばったりとテュッティに出くわした。

 テュッティはドレスではなく、いつもの海賊衣装に着替えていた。

「ありがとう。いい湯だった」

「私の自慢の湯だもの当然よ。でも、病み上がりの身体に長風呂はよくないわ」

 歩み寄ったテュッティは、ルカの身を案じるように胸に手を当てた。

「俺はもう平気だ。不思議なほど体調がいいんだ」

「そう。ところで、どうしたのよその子」

 テュッティは後ろのアテネに目を向けた。

 アテネはまるでお風呂でのぼせたように、ふらふらしている。

「背中を流して貰ったんだ」

 ルカはそう言って、アテネの頭を優しくポムポムする。

 すると、アテネはカーッと頬を赤く染めた。

「へぇ、背中を……ねぇ……」

 ほんのり頬を染めるアテネに、女の勘が何がを囁くのだろう。

 テュッティの目がスッと細くなる。

 と、

「ティファニア様。あまりお時間は……」

 テュッティの後ろに控えていたシルフィが耳打ちする。

「わかっているわ」

「何処かへ行くのか?」

糞野郎キッドのアジトをようやく見つけたの。今からかちこみ(・・・・)に行くわ」

「なら、俺達も行こう」

「これは私の個人的なけじめ。お前達には関係ない事よ」

「そいつはクラーケンの卵をまだ持っているかもしれない。戦う理由は十分にあるさ」

 クラーケンの卵がこの地で孵化すれば、大変な事になるだろう。

 ルカの意思が固いのを知っているテュッティは、諦めるように肩をすくめると、

「これ以上の貸しを作るのはごめんよ。欲しいものを言いなさい」

 と、腰に手を当て言った。

「奪われたイスパニアの商船と、その乗組員も助けたい」

「積み荷まで求めないのは殊勝な心掛けじゃない。いいわ、それで手を打ちましょう。私は馬糞野郎を。お前は悪魔の卵を。赤い帝国(イスパニア)の船は好きすればいいわ」

「取引成立だな」 

「直ぐに出るから準備なさい。あと、いつまでも惚けてるその子をなんとかしないと、置いていくわよ」

 まだふわふわしているアテネを、テュッティは少し羨ましげに睨みつけた。


 こうしてルカと、正気に戻ったアテネは、コロンビア海軍史上初めて、海賊船に乗り込み海賊退治に向かう事となる。


    ◇


「船長が船に戻ったぞ!」

 と、側近のオーガが、声を張り上げる。

 海賊達は、一斉に「やーっ!」と時の声を上げた。

 だが、次に乗り込んで来たメイド服を纏うアテネの姿に動揺が広がる。

「《氷獄の魔女》よ!」「漆黒の人魚が何故ここに!?」「海軍の手先め、生きて帰れると思うな!!」

 海賊の少女達は口々にそう言って、己の武器に手に取った。

 恐ろしく強大な敵を前に、海賊達は動揺しながらも鋭い殺気をアテネに向ける。

 だが、アテネに続いて、ルカが船に乗り込んだ瞬間。

 動揺は恐慌に変わり、悲鳴が甲板に木霊した。

「ひぃ!? 《冥界の魔物》よ!!」「た、食べられちゃうわ!」「好物は若い女らしいわ!」

 少女達は顔を真っ青にして震え上がる。

 恐怖に震えながらも武器を手放さないあたりは、流石に百戦錬磨で知られる黒髭海賊団だとルカは感心する。並みの海賊団なら、この時点で潰走していただろう。

「《氷獄の魔女》とか酷い言われようです。だいたい獄ってなんですか獄って。私がこの世で一番嫌いな言葉ですっ!」

 憤慨するアテネを、ルカはなだめる。

 確かに、牢獄に囚われていたアテネにとって、獄という言葉を不快だろう。

 と、

「聞きなさい、お前達!」

 船尾楼甲板に立つテュッティは、優雅に腰に手を当て叫んだ。

 その一言で、ざわめきや悲鳴がピタリと収まる。

 テュッティは満足げに、少女達を見渡すと、

「昨日までこの二人は我らにとって不倶戴天の敵だった! だが、このルカと私は『固めの儀式』によって、義姉妹の契りを交わしたわ! 今日より《冥界の魔物》はエドワード家の身内となる! さぁ、祝いなさいお前達!」

 テュッティの言葉に、船中から歓声が響き渡る。

「ちょっと、義姉妹の契りってなんですか!? どうして、私は中に入っていないんですか!」

 身内という言葉に、アテネは敏感に反応する。

 すると、テュッティはアテネに視線を向け、

「ああ、いい忘れていたけれど、この女は《冥界の魔物》を封じる枷よ。万が一にも手出しすれば、この私でもルカの怒りを鎮める事は出来ないわ」

 テュッティの言葉を受け、海賊達のアテネを見る目に恐怖が混じる。

 アテネはまんざらでもなさそうに、胸を張るが――

「あと、見ての通り《冥界の魔物》専属のメイドで、夜の奉仕も担当しているわ! 純情そうな顔をして凄腕らしいわよ!」

 明らかに冗談とわかるテュッティの声に、『きゃー!』と、海賊の少女達から黄色い悲鳴が上がる。

「――――なっ!?」

 アテネは火が吹いたように、顔を真っ赤に染めた。

 完全に固まってしまったアテネを守るように、ルカは言う。

「あまりからかってくれるな」

「ふふ、私は海賊よ。お上品な言い回しは得意ではないの。でも、これでお前達二人は、名実共に私の客将よ。安心して船に乗りなさい」

 味方に後ろから刺されるほど、怖いものはない。

 無人島で時間をかけて関係を成熟させ、絆を築き上げたテュッティとは違い、この船に乗る海賊の少女らは、ルカ達を憎み、恐れ、強い敵対心を抱いている。

 だが、テュッティは今のやり取りで、海賊の少女達の心をしっかりと掴んでいた。

 身内とついただけで、ルカに対する恐怖に怯えた視線に安堵が混じり、アテネに対しては好奇と尊敬の眼差しが飛んでいた。

「あまり揺らさないでくれよ、船長」

 そんなテュッティに、ルカは感謝と敬意を籠めてキャプテンと呼んだ。

「ふん。当然よ!」

 どこまでの尊大にテュッティは言った。


   ◇


 『欲』――それは、無限に湧き出る泉のように、人の根源を司る原罪の一つである。

 部屋にうず高く積まれた金銀財宝は、まさに欲の象徴であった。

 その中心に座すのは、髪を短く切り上げた男装の女。

 若かりし頃は、宝石に例えられた美貌は、数多の悪行に見る影もなく歪んでしまっていた。

 女の名は、キャプテン・キッド。

 カリブの海に悪名を轟かせる大海賊であり、この数ヵ月の間にクラーケンを操り三七隻の船を襲って略奪した生粋の悪党である。

「あははっ! 笑いが止まらねぇぜ。この卵と、この腕輪さえあれば、カリブの海で俺に敵うやつはいねぇ! 奪い放題、殺し放題だ! 目障りな黒髭をあっさり始末出来たのは僥倖だったぜ!」

 キッドは酒を瓶ごと煽りながら、高笑いを繰り返す。

「あの小娘の悔しそうな顔を思い出すだけで、くくっ、逝っちまいそうだ!」

 目の前に積み上げられた金貨を蹴り飛ばしながら、キッドは下卑た笑みを浮かべる。

 と、その時。

「――――上機嫌だな、キッド」

 闇から染み出すように現れたのは、美貌の女剣士。

 だが、その美しさには、人としての情が決定的に欠けており、あるのはこの世を破滅させるほどの狂気であった。

「……なんだ、オクタヴィアの大将か。あんたがくれた卵と、悪魔を操れる魔装具だっけか? これのおかげで蔵を幾ら立てても足りねぇほど稼げるんだ。上機嫌にもなるさ」

 キッドはそう言いながらも、オクタヴィアを見た途端に酔いも高揚も全て吹き飛んだかのように鋭い表情になる。

「約束の品を貰いに来た」

「まぁ、待ちなって。少しはゆっくりしていきなよ。いい酒があるんだ。飲むかい?」

 右手に持つ酒瓶を掲げるキッド。

 その手首には、禍々しい腕輪が嵌められていた。

「貴様のお喋りに、付き合うつもりはない」

 オクタヴィアは腰の剣を抜いてもいないのに、キンッと乾いた音がして酒瓶が斜めに切り落とされた。

「…………」

 キッドが履く黒革のズボンに、バシャリとラム酒がかかる。

「その酒瓶のようになりたくはないだろう?  さっさと懐のものを出すんだ、キッド」

 オクタヴィアから放たれるゾッとするような殺気に、キッドは降参とばかりに肩をすくめる。

「あんたには感謝しているんだ。やり合うつもりはねぇ。ほらよ」

 キッドは懐から白い布に包まれた品を取りだし、オクタヴィアに投げ渡す。

 オクタヴィアは布を開いて、中身を確認した。

 布の中に収められていたのは、牙のように鋭く、銀色に輝く一本の短剣スティレットであった。

 それはキッドがまだ、何も知らない『サラ・ブラッドレイ』だった頃の品であり、忌々しくも懐かしい家族との絆であった。

「約束通り、これは貰っていく」

 オクタヴィアは布でくるむと、短剣をしまった。

「構わねぇぜが、一つ聞かせてくれよ」

「なんだ?」

「そいつはブラッドレイ家の家宝といえば聞こえはいいが、そいつはただの古びた短剣だ。アンティークとしての価値だって知れてる正真正銘のガラクタだぜ? そんなもので一体何をする気だ?」 

「お前の目には、これが無価値な短剣に見えるのか」

「違うってのか?」

 自分が知らないだけで、大層な価値があるのかもしれない。

 そう思った瞬間、キッドの瞳に飢餓にも似た欲が渦巻く。

「これはな、神を殺せる武具なのだよ」

「神を……だって?」

 途端にキッドは興味を失った。

 キッドにとって大事なのは、幾らの金になるか――その一点だけである。

(神だの悪魔だの得たいのしれない女だが、所詮は狂人か。これ以上関わり合うのは得策じゃねぇな)

「まぁ、俺には役立ちそうな品じゃねぇな。好きに扱ってくれよ大将」

 嘲りを隠しながら、早々に話を切り上げお引き取り願おうとしていたキッドに、

「聞きたい事は本当にそれだけか、キッド?」

 と、オクタヴィアが言った。

 氷のように冷たいその声が、キッドには妙に癪に触った。

 このまま帰らせるのは、腹の虫が収まらない。 

「そうだな。一つだけどうにもわからねぇ事があったんだ」

「言ってみろ」

「オクタヴィアの大将。あんたどうやったかは知らねぇが、俺の過去を暴いて、腐ったような骨董品の在処まで掴んだ。なら、何故力ずくで奪わなかった? 悪魔を操る力をあっさりとくれるあんたの事だ。回りくどい真似をせずとも俺を殺して奪えたはずだろう?」

 キッドはそう尋ねながら、死角になっている左手で腰に帯びた短銃のグリップを掴む。

 オクタヴィアは死人のように光のない目を細める。

「そうしても良かったが、お前を見て気が変わった。お前には素質があったからな」

「素質?」

「お前はこの世の不条理を憎み、怨み、その怒りの全てを、金を求める事で埋めてきた。金のためならどんな悪逆非道も厭わない女だ」

「褒めてるってわけじゃぁなさそうだな」

 キッドの声に、剣呑な色が混じる。

「いいや、褒めてるのさ。目の前にナイフがあるからといって、良心の呵責なしに人を刺せる奴は中々いない。いるとしたらそいつは狂人だ。そして、キッド……お前はその点に置いて希有な才を持っていた。親も兄妹も、自分の身体も金に換えてきたお前なら、悪魔の力であろうとも躊躇いなく使うとな」

 オクタヴィアが嘲るようにそう言った瞬間。

 キッドは一切表情を変えず、目にも止まらぬ早さで短銃を引き抜き、オクタヴィアの眉間に向けトリガーを引いた。

 ズドンッ! と、腹に響く音がして、硝煙が上がる。

 だが、オクタヴィアの姿は忽然と消えていて、足元には八つに切り裂かれた土弾が転がっていた。

「ちっ、胸糞わりぃ化け物め……」

 キッドは忌々しげに吐き捨てる。

 最低最悪の気分だ。

 酔いはすっかり覚めてしまった。

 今から飲み直すのも興が削がれた。

 捕らえているイスパニアの商人達を、男どもに犯させるのもいいかもしれない。

 いっそ、クラーケンを呼び出して女達を喰わせるのも楽しそうだ。

 と、その時。

「――――お、お頭! 大変です!!」

 突然、部下の一人が扉を突き破るように転がり込んだ。

「なんだ!?」

「黒髭が、黒髭海賊団が攻めてきました!」

 キッドは一瞬青ざめるが、すぐに閃く。

 テュッティは海に落ちてからもう二週間近く行方不明と聞いている。死んでいるのは間違いないだろう。

 つまりこの襲撃は、死んだ船長の敵討ちってわけだ。

「何隻で攻めてきた?」

「そ、それがたったの一隻で!」

「くくっ、あーはっははは! 思った以上に人望がねぇようだな黒髭の小娘よ! 敵討ちにたったの一隻たぁ泣けるじゃねぇか」

「お、お頭どうすれば!」

「ぼさぼさしてねぇで砦の大砲を起動しやがれ! 返り討ちにしてやるんだよ!」

 こっちには、クラーケンを操れる魔装具があるんだ。

 負ける気がしないと、キッドは残虐な笑みを浮かべて部屋を後にした。


    ◇


 真っ赤な帆に風を満帆に受けて、波を斬り裂くようにスカーレット号が海を駆ける。

 キッドのアジトである古砦からは次々に砲弾が降り注ぐが、その全てが一人の少女によって防がれていた。

 スカーレット号の船首甲板に、まるで船首女神像のように立つのは、白銀のソールレットを蹴り掲げる美しいマーメイドであった。

「しっかり、支えてて下さいね!」

 蹴り足を掲げ、軸足で片足立ちするアテネは、後ろのルカにそう叫ぶ。

「ああ、任せろ!」

 ルカは不安定で揺れる甲板でアテネが倒れないよう、その身体を後ろから抱き締める。

 アテネが展開するのは、船の前面を覆うまるでシャボン玉のような『水の結界』であった。

 砲弾が次々に結界に当たり爆発するが、一見薄そうな水の膜は、爆発の衝撃を受け流すようにふわふわ形を変えながらもびくともしない。

「凄いじゃない! お前、本当に船首女神像になりなさいよ!!」

 船尾楼で舵を握るテュッティが、甲板中に響く声で叫んだ。 

「絶対に嫌ですっ!」

 ルカに支えられながら、アテネは叫び返した。

 何故なら、スカーレット号の船首女神像は、首が無残にも飛んでいるのだ。

 と、

「シルフィ、頼んだわよ」

 テュッティは副官のように側に控える少女に、そう言った。

「お任せ下さい」

 シルフィは前に進み出ると、精神を集中させた。

 少女の周囲に風が舞い、銀色と金色の瞳が妖しい輝きを帯びる。  

 そして、

「――――ッ!」 

 シルフィは、鋭い犬歯が伸びた口から、鼓膜が破れんばかりの咆哮を放つ。

 直後、船が横転しかけるほどの突風が襲う。

 風を受けた帆が破れんばかりに膨らみ、マストやヤードが限界を超える加重にメキメキと悲鳴を上げるが、

「このまま砦に突っ込むわよ! 全員、衝撃に備えなさい!!」

 テュッティは巧みな操船で風を巧みに捉え、波の上を飛ぶように進む。

 船首が持ち上がるほどの加速で、スカーレット号は砦に停泊する海賊船の一隻に突撃。

 先端にある鋭い衝角が船の横っ腹に深々と突き刺さり、そのまま一刀両断にした。

「さぁ、行くわよお前達 一番手柄には好きな褒美を取らせるわ!」

 テュッティの激に、海賊達は「ヤー!」と叫んで、ロープを使って次々に砦に乗り込んでいく。

「一番手柄は赤組が頂くよ! 気合を入れな!!」

 長大な金剛棒を片手にオーガが叫ぶ。

 応っ! と、大地を震わせ、筋骨隆々のアマゾネス達が突撃した。

「手柄はくれてやりなさい。私達青組はいつも通り、ティファニア様をお守りする」

 シルフィの冷淡な声に、細身で統一された女達が静かに頷いた。

 と、

「アテネ、行けるか?」

 《双銃グラウクス》はクラーケンとの戦いで大破してしまい、今のアテネは徒手空拳であった。

「銃はなくても私には、この《聖盾アイギス》があります。遅れは取りません!」

 闘いたくて仕方ないという様子で、アテネはステップを踏む。

「俺達の目的は人質救出だ。必ず全員助けるぞ!」

「はい!」

 ルカとアテネは、互いに背中を預けるように敵陣に斬り込む。

 砦のあちらこちらで、激しい戦闘が繰り広げられた。

 キッド海賊団も必死に抵抗するが、黒髭海賊団の精鋭を前に成す術もなく討ち取られていく。

 さらに、ルカとアテネの二人は、次元の違う圧倒的な強さで砦を進攻。

 正面の門をアテネが蹴り砕き、ルカが戦列に斬り込む。

 ルカ達に続いて、黒髭海賊団が中庭に雪崩れ込んだ。



 捕まえた海賊の一人に、ルカは尋問する。

「牢はどこだ!?」

「し、下です。砦の地下ですッ!」

 海賊は震える声で叫んだ。

 ルカは胸ぐらを掴んでいた海賊を突き飛ばす。

「こ、殺さないで! 私は元は商船奴隷なんです! 船がクラーケンに襲われて仲間にならないと餌にするって言われて!」

 床に這いつくばり必死に命乞いする海賊。

 ルカは周囲を見渡すと、スゥッと息を吸い込み――

「我こそはと思う戦士は前に出ろ! この俺が相手になってやる!!」

 凄まじい殺気を解放し、武威を示すように刀を真横に振るう。

 ギンッと鋭い音がして、砦に並ぶ黒鉄の大砲が三つまとめて、しかも、台座ごと切り捨てられた。

 これには、敵はもちろん、味方の黒髭海賊団までが青ざめる。

 元々、強い意思によって支えられた関係ではなく、キッドが恐怖によって従えてきた者達だ。

 旗色が悪いと見るや、誰かが降伏だと叫んだ。

 あとはもう、雪崩をうつように潰走した。

 だが、その時。

 ダーンッ!と、一発の銃声が響き渡った。

 武器を捨てて投降しようとした部下を、キッドが後ろから撃ったのだ。

「てめぇら、逃げてみやがれ! 俺の銃弾を喰らわせてやるぜ!」

 両手に短銃を構え、キッドは口角泡を散らして吠える。

 キッド海賊団の女達は、恐怖にひきつった表情で再び武器を取った。

「糞が! テュッティのあばずれを始末すれば、あとは雑魚の集まりと思ったが……まだてめぇのような奴も残ってたか!」

 キッドは憎々しげに、ルカやアテネを見やる。

「お前が、キャプテン・キッドか?」

 ルカは刀を下段で構え、問う。

「ああ、そうさ! この俺がキャプテン・キッド様だ!」

「そうか」

 ルカはそれを確認すると、刀を下げて鞘に収める。

「てめぇ、何のつもりだ!?」

 キッドは怒りに目を血走らせて叫ぶが、

「お前の相手は俺じゃない。そういう取引なんでな。そうだろう――――?」

 ルカはそう言って、後ろに気配を向けた。 

 突破された砦を優雅に歩いてくる、真紅の髪の美少女に――

「ええ、その通りよ。お前の相手は、このエドワード・テュッティが務めるわ」

 ルカの横に並び立ち、テュッティは腰に手を当てる。

「な!?」

 驚愕のあまり銃を取り落としそうになるキッド。 

「ふふ、顔色が優れないわよ、キッド。まるで亡霊でも見たような顔じゃない」

「生きてやがったのか黒髭ッ!?」

「お前のような三下にやられる私じゃないわ」

 挑発的に、威圧的に、テュッティは胸を張る。

 その三下にしっかり嵌められて、危うく死にかけた事を知るルカとアテネは、口を真一文字にして押し黙る。

「意気がるなよ、テュッティ! こっちは海の悪魔を操れるんだ! 吠え面かかせてやるぜ!!」

 キッドは懐から、クラーケンの卵を取り出して見せた。

「で、その海の悪魔とやらは何処にいるのかしら?」

 テュッティは冷笑を浮かべて、キッドをねめつける。

「糞、なんでだ! なんで呼びかけに答えねぇ!?」 

 キッドは焦ったような表情で、卵にエーテルを注ぐ。

 だが、クラーケンが応じるはずもなく――

「キッド……お前は虎の威を借りる狐よ。でも、その虎はもういない。お前も既に気が付いているでしょう?」

「何をしやがった、テュッティ!?」

「海の悪魔なら、そこにいる《冥界の魔物》が討滅したわ」

 テュッティは、ルカにねっとりとした視線を送る。

「へっ、わ……笑えねぇ冗談だ! ホラを吹くのも大概にしろよ!」

「信じなくても構わないわ。どうせ、お前はここで死ぬのだから」

 テュッティは真紅の瞳に、燃え盛る殺意をたたえ、ゆっくりと歩み行く。

 周囲のキッド海賊達は恐れをなすように、後ろに下がる。

「てめぇら、下がるんじゃねぇ!!」

 キッドは吠えるが、キッドより遥かに恐ろしい黒髭を前に脅しは通じなかった。

「お前も海賊の頭をはるというのなら、潔く戦いなさい。それとも……銃の握り方を忘れてしまったのかしら?」

「舐めるんじゃねぇよ、小娘! 先代の黒髭ならいざ知らず、ケツの青いガキがこのキャプテン・キッド様の相手をするなんざ十年早いんだよッ!!」

 キッドは、早撃ちの腕前一本でのしあがった大海賊だ。

 右手に握る短銃には、既にエーテルが充填されている。

 キッドは殺気の籠った眼差しでテュッティを睨むと、次の刹那にはトリガーを引いていた。

 パァ――ンッ! と、鈍い破裂音がして、千切れ跳んだのは、銃を握りしめていたキッドの『右手』の方であった。

「私のアイドネウスは、銃弾よりも早いのよ」

 テュッティが再び龍鞭をしならせると、音速を突破した龍鞭の先端が、宙を舞っていたキッドの右手を、短銃ごと木っ端微塵に砕いた。

 赤い肉片がキッドの身体に雨のように降り注ぐ。


「あああああああああああああああああああああああああああ――――――――ッッ!」


 鮮血が噴き出す手首を押さえ、キッドが絶叫する。

「腕が、俺の腕がぁあああああッ!!」

 無様にのた打ち回るキッドを、誰もが見つめていた。

 戦いの趨勢は決した。

 もはや、万に一つの勝ち目もないキッド海賊団は、その全員が武器を捨てて手を上げた。



「一人としてこの砦から逃がしては駄目よ」

 テュッティの命令に、

「あいよ」「了解しました」

 オーガとシルフィが同時に応える。

 テュッティは転げ回るキッドの眼前まで歩み寄ると、腰の短銃を引き抜きキッドの足元に投げた。

「悪党にだって掟はある。落とし前は……自分でつけなさい」

 自決を促すテュッティに、キッドは半狂乱で喚く。

「ま、待ってくれ、黒髭の大将! 腕が、俺の腕がないんだ!!」

「だから、左手は残してあげたでしょう? 私の優しさに感謝しながら死ぬといいわ」

 テュッティはどこまでも冷酷に、キッドを見下ろす。

「た、頼む見逃してくれ! 俺の船も、財宝も、全部くれてやる! だから命だけは! 命だけは勘弁してくれよぉ!?」

「ねぇ、キッド。私が誰だったか忘れたのかしら? 私は海賊よ。それもカリブで一等極悪のね。お前がたっぷり貯め込んだ宝も、船も、この砦も、一切合財、全部奪うに決まっているじゃない」

「糞が! 糞が!」

 キッドは泣きじゃくる。

 もう逃げる事は叶わないと観念したのだろう。青ざめた顔で、震える手で、短銃を掴み取る。

 そして、

「死ぬのは、てめぇだよ! ――――テュッティ!!」

 キッドは銃口をテュッティに向けトリガーを引くが――


 直後、闇よりもさらに深い漆黒が空間を断ち割る。


 最後にキッドが見たのは、頭を失った自分の身体と、刃を振り抜いた姿勢で残心する『漆黒の瞳を持つ鬼』であった。

 ごとり、と地面にキッドの頭部が転がり、遅れて首から上を失った胴体が地面に倒れる。

「私の獲物といったはずよ」

 言葉とは裏腹に、さして怒った風でもなくテュッティはこちらに視線を向けた。

「すまない。だが、危険だと思った瞬間には身体が動いていた」

 ルカは刀を振り払い、鞘へとおさめる。

 テュッティは地面に落ちた短銃を広い上げると、

「危険はないわ。元々壊れていたものよ」

 何度トリガーを引いても銃弾が発射される事はなく、悪戯な笑み浮かべてウインクして見せた。

「早とちりだったか」

「まぁ、守られるというのも、存外悪くないものね」

 テュッティは意味ありげに微笑む。

 ルカはキッドの遺骸の前に歩み寄ると、死者の冥福を祈ったあと、遺体をひっくり返してクラーケンの卵を見つけ出す。

「砕きますね」

 側に立つアテネが、不気味な卵を見下ろし言った。

「頼む」 

「えいッ!」

 アテネは、キッドの血で赤く染まるクラーケンの卵を踏み砕いた。

 これで全て終わりだと、ルカは改めてテュッティに向き直る。

「どんな悪人でも死ねば仏だ。弔ってやってくれ」

「ええ、わかったわ」

 テュッティは小さく頷いた。


 こうして、砦の攻略は一刻もしないうちに集結した。

 捕らえられていたイスパニアの船員達も、無事に助け出す事が出来た。


    ◇



 三日後――


 出逢いがあれば、別れもまた必ず訪れる。

 ハイランド王国のローズホール港では、コロンビアへの向かう船が出港準備を進めていた。

 ルカ達が乗船する船は、キッド海賊団から鹵獲した『ブラックファルコン号』である。

 船員はキッド海賊団に捕まっていた囚人や、奴隷として売られかけていた女達が務める。

 投降したキッド海賊団の海賊達は、テュッティが責任を持って預かる事に。

 救出したイスパニアの商船も共に出港し、様々な手続きのため一度コロンビアへ向かう手筈となっていた。

 そして、

「ぐすっ、ぐすっ……」

 アテネはその青い瞳から大粒の涙をこぼしていた。

「もう、なんでお前が泣いてるのよ。仮とはいえ船長を務めるんだから、シャンとしなさい」

 そう言うテュッティもまた、目元が赤くなっていた。

「な、泣いてなんかいません!」

「ねぇ、アテネ」

「ぐす……なんでしょうか?」

「お前の事、つまらない女だと言ったけれど、あの言葉は取り消すわ」

「テュッティ……」

「お前は戦士としても、女としても超一級よ。この私が好敵手と認めるほどにね。だから、一つだけ忠告してあげる」

「……忠告?」

「一番近くにいるからって安心していると――」

「安心してると?」

「このエドワード・テュッティが、あいつのハートを横からかっさらうわよ!」

 テュッティは、宣戦布告のように言い放つ。

 アテネは目を丸くして驚くと、すぐに表情を改めて、

「ルカは、ルカは誰にも渡しません!」

 と、涙を拭って顔を上げた。

「ふふ、上等よ。なら、どちらが先にあいつのハートを奪えるか、勝負しましょう」

「望むところです!」

 アテネとテュッティはしばらく睨み合っていたが、同時に吹き出し笑いだす。

「子憎たらしいお前の顔も、見れなくなると寂しく――は、ならないわね。むしろせいせいするわ」

「私も意地悪ばかりするテュッティとお別れ出来て、ホッとします!」

 イ―ッという顔をするアテネに、テュッティは楽しそうに笑う。

「元気でね、アテネ」

「テュッティもそんなおへそ出す格好ばかりして、風邪でも引いたらしりませんよ」

「その時は、お前が……霊薬を作りに来なさい」

 テュッティは右手を差し出した。

「――――はい!」

 アテネはテュッティの手を掴み、固く握手を交わす。

 と、その時。

 イスパニアの船乗り達からしきりに感謝されていたルカが、戻ってきた。

「アテネ、積み荷のチェックは完了だ。いつでも出港出来る」

「わかりました。では、私は向こうの船長さんと打ち合わせしてきます。ルカはテュッティと話してて下さい」

 アテネはそう言って、走り去る。

 その後ろ姿を見つめるテュッティは、

「バカね。言った先から、なに気を使っているのかしら」

 優しい表情で笑みを浮かべた。

「すっかり仲良しだな」

 ルカは自分の事のように嬉しそうに言う。

「あんな不様を晒したのよ。今さら意地を張ってもしかたないってだけで、別に仲良くなんてないわ」

「そうか」

「なによその顔。ほんとにわかってる?」

「俺達は……あの無人島で出逢わなければ、今もまだ互いに憎しみ合っていただろう。だが、同じ釜の飯を食べ、苦楽を共にし、強大な敵に立ち向かった事で、強い絆で結ばれた。だから、ちゃんとわかってるさ」

「お、お前って、恥ずかしい台詞をさらりというわね」

「事実だから仕方ないだろう」

「そうね。重ねてるのかもしれないわ……」

「重ねてる?」

「私には妹がいたの。生きていれば……ちょうどあの子と同い年よ。全然似てないのに不思議と重なるのよね。ついつい苛めたくなっちゃうほど」

「病か?」

「いいえ、殺されたのよ。お父様と一緒に、私のお見舞いに来る道中の事よ。馬車が賊に襲われ、崖へまっ逆さま。下は川で遺体は上がらなかったわ」

「すまない。辛い事を聞いてしまった」

「誰かに話したのは、お前が初めてよ」

「俺でよければ幾らでも聞こう。胸のつかえを誰かに話すだけで、楽になる事もある」

「今から私の元から去るお前に?」 

「離れたから切れるほど、弱い絆じゃないだろう。それに、お前の事をもっと知りたい。駄目か?」

「ッ、お……お前って、女をその気にさせるのが巧いわね。もしかして、あちらこちらで愛人を囲ってるんじゃないでしょうね?」

 テュッティは頬を赤らめ、胡乱げな顔をする。

「人聞きの悪い事をいうな」

「まぁ、いいわ。何処にでもあるつまらない話よ。それでも聞きたい?」

「聞かせてくれ」

「ふん、仕方ないわね」

 テュッティが語るのは、母であり、先代の黒髭こと、エドワード・ティーチの物語。

 今より遡ること二〇年前。

 当時一六歳で、ブリテン王国の海軍に所属する若き将校だったアナスタシアは、『ティーチ』というコードネームで、任務のため私掠船の船長を務めていた。

「私掠船か……」

「敵国の通商破壊といえば聞こえはいいけど、ようは国からお墨付きを貰った海賊よ」

 ティーチは国からの命令で、イスパニア帝国の船だけを狙って襲っていた。

 だが、ある日、略奪した金銀財宝を、本国へ引き渡すために大アンティル諸島を通過しているときに、イスパニア帝国の艦隊と遭遇。待ち伏せされていたのだ。

 必死に抵抗を試みたが、多勢に無勢のうえ、重い金銀を乗せたティーチの船は撃沈されてしまう。

 海を漂流したティーチは、ハイランドの王国のとある砂浜に流れ着いた。

 酷い怪我を負い、このままでは死を待つばかりだった彼女を救ったのは、乗馬に出ていた一人の少年だった。

 彼の名は、ウィリアム。

 ブリテン王国との戦争を避け、あえて植民地となることで民を守ろうとしたハイランド王家の王子であった。

 王権を剥奪され、半軟禁生活を送っていたウィリアムの懸命の治療と、献身的な介護により、ティーチは一命をとりとめた。

 二人の間には自然と恋が芽生え、二年後にはテュッティが産まれ、その二年後には妹が産まれた。

「その頃よ。私が原因不明の高熱で伏せるようになったのは。高名な神官に視て貰ったところ、私は――炎の聖霊に憑かれていたそうよ」

「驚いたな。この歳まで生きている聖霊憑きを俺は初めて見たよ」

 聖霊憑きとは、幼い子供の身体に聖霊が宿る奇病だ。

 発症率は極めて低いが、聖霊に憑かれた子供は九分九厘、成人である十五歳まで生きられない。

 だが、短命の代償として、聖霊に憑かれた者は常人の何倍ものエーテルを内包する稀代の聖術師となれるという。

「私は神官の教会に預けられ、何年も入院することとなった。でも、寂しくはなかった。週末には父と母と妹が、必ず見舞いに来てくれたから」

 だが、幸せは長くは続かなかった。

 母は娘の看病のため海軍を引退し、私掠船を降りようとしたが、本国はそれを認めなかった。

 母は優秀過ぎたのだ。

 本国は私掠船を続けるよう命令したが、母はそれを拒否した。

「父と妹が乗った馬車が賊に襲われたのは、その直後だったわ」

「!?」

「もちろん、証拠はない。でも、母は確信していた。母は単身、直属の提督の元を訪れた。そこで言われたそうよ。もう一人の娘も失いたくないなら、これからも我が国に奉仕しなさいとね。後でわかった事だけど、そいつは母が命懸けで持ち帰った戦果を横領して、莫大な私腹を肥やしていたわ」

「下種の極みが……」

 ルカは自分の事のように、強い怒りを覚えた。

「安心して。そいつはもうこの世にいないわ。母はその場で提督を殺し、抵抗する船員を半殺しにして、彼女の船である戦列艦ヴィクトリアを奪い帰ってきたわ。これが、『黒髭海賊団』の誕生秘話よ」

 海賊となったティーチは、ブリテン王国の船ばかりを狙ったという。

「お前の母は、たった一人で戦争をしているんだな」

「ええ、そうよ。母を助けたい。母と一緒に戦いたい。なにより、殺された父と妹の復讐のために私も海賊になったわ。後はまぁ、色々あって現在に至るってわけ。ね、つまらない話だったでしょう?」

 これで話は終わりとばかりに、テュッティは背を向け海を眺める。

 その背中に、ルカは声を掛けた。

「テュッティ……お前の境遇には同情する。復讐に駆られる気持ちも理解出来る。だからといって、奪って殺す行為が正当化されたわけじゃない」

「オーガから少し話を聞いたみたいだけど、私のアジトを見てどう思った?」

「いいところだ」

「それだけ?」

 振り返ったテュッティは、そう尋ねる。

「正直、驚かされたよ。女達の中には逃亡奴隷だけではなく、生成りに、獣憑きといった、どこの国でも迫害の対象となる者達までが生き生きと暮らしていた」

「そこまで見えているならわかるでしょう。奴隷とされた女達や、陸にも海にも居場所がないはぐれもの……そういった者達を受け入れ、人種や肌の色にとらわれない平等な国を作る。それが父の理想だった。でも、理想だけじゃ腹は膨れない。正当性を主張する気なんてさらさらないわ。そうしなければ生きていけなかっただけ。海では――畑は耕せないもの」

「確かにこれまではそうだったかもしれない。だが、今は違うはずだ。あのサトウキビ畑こそが、お前達親子の努力の結晶なのだろう? だが、お前が奪う側でいる限り、お前が守りたい者達は常に脅威に晒され続けるのだぞ」

「お前の言いたい事はわかる。私に……海賊を辞めろといってくれる気持ちも嬉しい。でも――現実は甘くないわ」

「俺はもう、お前とは戦えない。戦いたくはないんだ」

 ルカは血が滲むような声で、そう言った。

 テュッティも辛そうに顔を伏せる。

「お前の言葉は……真っ直ぐに胸にくるわね」

「恩赦を受けろ、テュッティ。堅気になって真面目な職につけ!」

 海賊は捕まれば死刑か、終身奴隷だ。

 罪の重さは安易に海賊になろうとする抑止力にはなったが、逆に既に海賊行為を働いた罪人の更正には重い足枷となっていた。

 恩赦とは、『これまでの罪を悔い改め、真面目な職に就く』という誓約を、女神アンフィトリテにすることで、罪を清算し、堅気に戻れるというものだ。

 海賊を辞めさせるには非常に効果の高い政策で、コロンビアでも大々的に発令されていた。

 そう。海賊を辞める事は出来るのだ。

「真面目な職とは一体なにかしら? これまで海賊だった私に今さら針仕事なんて無理よ。それとも、身体を売って暮らせとでも? 戦闘員だけでも千人、非戦闘員はその十倍はいるのよ!」

「アテネから聞いた。二代目《黒髭》を継いだお前は、この数年の間に、ブリテン王国以外にも様々な国籍の船を襲っている。だが、その全てが私掠船ないし純粋な軍艦で、商船を襲った事は一度もない。お前がステラ・マリス号を欲したのも、力が必要だったんだろう。この場所を守る力が」

「それがなんだっていうの? 答えになってないわ!」

「わからないか、テュッティ。今のが答えじゃないか」

「どういうこと?」

「戦列艦を始めとする強大な軍艦を多数保有し、よく訓練された百戦錬磨の水兵達が千人。そして、守るべき国と民がある。これらが全て揃ってる今のお前と、俺達の違いはなんだ?」

「――――ッ!」

 ルカの真意を理解したテュッティが、驚愕に目を見開く。


「海賊を辞めて、海軍を立ち上げろ! 奪う側ではなく守る側になれ、テュッティ!」


 ルカは力強く、想いを籠めて言い放つ。

 吹き抜ける風のように、ルカの言葉がテュッティの心の帆を揺らす。

「わ、私が……この黒髭たるエドワード・テュッティが、海軍ですって?」

「そうだ。それだけが、未来に続く唯一の道だ」

「無理よ! そんな夢想が叶うわけがない! ここハイランドには海賊の楽園ポート・ロイヤルがあるのよ? 何百という海賊団がいるのよ!? なにより、私達の恩赦を他の国が認めるわけがないわ!」

「力なき正義は無力かもしれない。だが、お前には圧倒的な力があるだろう。世界最強の軍艦を相手に喧嘩を売れるだけの力が」

「まさか……銃や大砲で脅して、恩赦を認めさせろというの? そんな話聞いた事もないわ」

「だが、お前が一番得意な事だろう?」

 ルカは不敵に笑う。 

「ねぇ、お前……私に一体どんな聖術をかけたの? こんな絶望的な困難を前にしているというのに、初めて航海に出た時のように胸がドキドキするわ」

 テュッティは胸に手を当て、まるで初心な乙女のように頬を染めた。

「お前の心は、既に答えを出したようだな」

「もし、よ。もし私が海賊を辞めたとして……どうしようもなく困った時は、その……助けに来ててくれる?」

「ああ、全力で助けに行くさ」

 不安げにこちらを見つめるテュッティに、ルカは力強く言った。

「そう……」

 テュッティは嬉しそうに、一瞬だけ相好を崩した。

 その一瞬に垣間見えた年相応の柔らかな表情こそが、子供でいること許されなかった少女が秘めて来た、本当の姿なのかもしれない。 

「これを受け取りなさい」

 テュッティはキャプテンコートの懐から、眩い輝きを放つ大きな宝玉を取り出した。

「これは?」

「海獣が体内に一つだけ持つ神珠よ。中でもこれは、クラーケンの核を成していた『第三の瞳』と呼ばれる代物よ」

「回収していたのか」

「クラーケンの素材なんて滅多に手に入らないもの。逃す手はないわ」

 パチリとウィンクするテュッティ。

「だが、いいのか? 相当な値打ちものだろう」

 空恐ろしいほどのエーテルが、神珠の中には渦巻いていた。

 もはやこれ単体で、並みの聖霊器を遥かに凌駕するエーテル干渉能力を持つだろう。

「心配しなくても他の素材は全て頂いたわ。それに覚えておきなさい。この世には金で買えないもの(・・・・・・・・)もある。これもその一つよ」

「わかった。ありがたく頂戴する」

「う……受け取ったからには、必ず助けに来なさいよね」

 羞恥を隠すようにテュッティはそっぽを向いた。

「こんなものが無くったって、必ず行くに決まってるだろ」

「ああ、もうっ! お前と話していると、ふんじばってでも引き留めたくなるわ! 私の気が変わらない内にさっさと帰りなさい!!」

 テュッティは怒鳴ると、顔を見られないよう背を向け、そのまま船から飛び降りた。

「見送ってくれないのか、テュッティ?」

 ルカは船縁に手を乗せ、桟橋に着地したテュッティに言う。

「私の本当の名は、ティファニア・アイナース・ハイランドよ! 覚えておきなさい、馬鹿!!」

 テュッティはそう叫ぶと、肩を怒らせ去っていった。



 その姿が見えなくなるまで目で追っていたルカは、ふと、桟橋の樽の陰に隠れるアテネを見つける。

「可愛いお尻が見えているぞ」

 と、ルカが声をかければ、

「う……見破られてしましました」

 樽の向こうでアテネがビクリと飛び上がった。

「隠れてないで早く戻ってこい」

 ルカはそう言って、船縁から手を伸ばす。

「は、はい」

 見事な跳躍で飛んだアテネの手を掴み、そのまま一本釣りのように引き上げる。

 空中で身体を一回転させながら、短いメイドスカートをふわりと揺らし、アテネは甲板に着地した。 

「別れの挨拶は済んだ。アテネはもういいのか?」

「私も済んでます!」

 アテネはコクリとうなづいた。

「なら出港しよう、船長キャプテン

 ルカがそう呼ぶと、アテネはきょとんとした顔になり、次に嬉しくてたまらないという表情で青い瞳を輝かせた。

「今のもう一回、もう一回言って下さい!」 

「早くしないとケツを叩くぞ、船長」

 ルカはそう言って、アテネのお尻をパチンと叩く。

 きゃ!?っと、小さな悲鳴を上げ、アテネは短いスカートごしにお尻を押さえ、

「――――る、ルカのエッチ!」

 と、真っ赤な顔で叫んだ。

 ルカは副長としての務めを果たすべく、腹に力を入れて声を張り上げた。

「船長からの命令だ! 出港する! 帆を広げろ!!」

 アイアイサーと、船の各所から声があがり、カリブ最速で知られるブラックファルコン号が動き出す。

 風向きに左右される帆船は、港から離岸するのが一番難しい。

 大型船ともなるば、港に停泊するには水深が足りない場合もある。

 現に、イスパニアの商船は大型のガレオン船のため、沖に停泊して待機していた。

 だが、船乗り達は熟練しており、舵を握る航海長のまた良い腕を持っていた。

 無事に離岸を果たし、沖で待つイスパニアの商船と合流した。

 まさに、その時。

 ドドドンッ! と、ローズホール港に停泊しているスカーレット号から、一斉に砲撃音が鳴り響いたではないか。

 甲板では悲鳴が上がり、後ろから着いてくるイスパニアの商船も大混乱に陥った。

 だが、ルカの瞳には見えていた。

 スカーレット号の船首に立つ、真紅の髪の少女が――

「随分と派手な見送りだ」

 ルカは苦笑し、アテネに目配せを送る。

「はい! こちらもお返ししないとですね!」

 アテネは嬉しそうにうなづき、船乗り達に砲の発射準備をさせる。

 砲弾となる高いエーテルは必要なく、ただの空砲でいい。

 これは、別れの挨拶なのだから。


「――――全砲門! 撃てッ!」


 号砲が、青い空と海にどこまでも響き渡った。

 

エピローグも続けて更新します。

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