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 6


 無人島生活十日目。


 真紅の髪の少女テュッティと、蒼い髪の少女アテネが、共に森を歩く。

 どちらも類い稀なる美貌を持つが、その美しさはコインの表裏のように、火と水のように、性質の異なるものであった。

「ねぇ、あれは食べられるのかしら?」

 と、テュッティは尋ねる。

「はい、それはクコの実といって、食用可能な木の実ですよ」

 木の実を見つめながら、メイド姿のアテネは答えたる。

 怪我を治療してから一週間が経ち、口を開けば喧嘩ばかりしていた二人の関係も、幾分落ち着きを見せていた。

 今ではこうやって、二人だけで森を散策するほどである。

 だが、仲良くなったわけではない。

 一度、互いに武器を抜く大喧嘩に発展した際に、ルカからこっぴどく怒られ、二人とも晩御飯を抜きにされたのだ。

 それからは一時休戦といった状態だ。

 喧嘩するのに飽きたというのあるが、ルカの手料理を食べられないのは非常に深刻な問題であった。 

 と、

「これが美味しそうね」

 テュッティは沢山生っているクコの実を一つもいで、何気なくかじろうとするが――

「ま、待って下さい! クコの実は食べられますが生のままだと、とっても酸っぱいんです!」

 アテネが慌てて止める。

 だが、テュッティは静止を聞かずそのままクコの実をかじった。

「あら、以外といけるわよ」

「本当ですか?」

「嘘だと思うなら、お前も食べてみなさい。百聞は一見にしかずよ」

 テュッティはもう一つクコの実をもいで、アテネに放り投げる。

「確かに、気候や風土の違いで植生に変化が生まれると、本に書いていましたね」

 アテネはキャッチしたクコの実をかじってみた。

 次の瞬間。

 強烈な酸味が舌を突き刺し、口から鼻に痛みとなって抜けていく。

 アテネは思わず口を押さえてうずくまった。

「ぷっ、あははははは! こんな簡単な演技に騙されるなんてまだまだね、マーメイド!」

 テュッティは腹を抱えて大笑いした。

「むううう! 今日という今日は怒りましたよ!」

 ツインテールの髪を逆立てる勢いで、アテネは頬を膨らませる。

「追い付けるものなら、追い付いてみなさい!」

 テュッティは、挑発的な笑みを浮かべて走り出した。

「ま、待ちなさぁああい!」

 軽快な走りで森を駆けるテュッティに、それを追うアテネ。

 テュッティは走りながら思う。

(やっぱりこの子、驚異的な身体能力を持っているわ)

 身体の柔軟性は言うに及ばず、特に瞬発力が優れており、まるで戦の申し子のように鋭い動きをする。

 だが、身体能力ならテュッティも負けていない。

 継続的な速さや、駆け引きは、テュッティが上回っていた。

 なにより、

(森の中で真っすぐ追いかけてくるだけじゃ、絶対に追いつけないわよ!)

 木の陰に隠れ気配を殺して移動するテュッティを、アテネは見失いがちで、徐々に二人の距離は開いていった。

 

  ◇


 畑で作業をするルカに、森から真紅の髪の少女が走り寄って来る。

「性が出るわね、黒髪」

 息を弾ませながら、額の汗を拭うテュッティ。

「アテネはどうした?」

「森を彷徨っているわ。すぐに追いついてくるでしょう」

「すっかり調子を取り戻したようだな」

「ええ、不思議な事に以前よりもずっと調子がいいの。今ならお前を簡単に殺せそうよ」

「やってみるか?」

 スコップを地面に突き刺し、ルカは言う。

「止めておくわ。私、楽しみはあとに取っておく質なの。それにお前とはベッドの上で勝負がしたいわ」

「どういう意味だ?」

「あの時は不意打ちで何もできなかったけれど、今なら私のテクニックで哭かせてやるって意味よ。ふふ、男勝りのお前が、どんな可愛らしい声をあげるか楽しみね」

 テュッティは誘惑するように、挑発するように、指先でルカの胸を撫でる。

 その瞳には、今も殺意と憎悪が燃え盛っていたが、己をも焼き尽くす怒りの炎は影を潜めているように見えた。

「誤解を招くような言い方をするな。あれは、ただの救命措置だ」

「一欠けらの後ろめたさもないと?」

「ない」

 ルカはきっぱりと言い切る。

「だったら、どうしてあの子に目を閉じるようにいったのかしら?」

「聞いていたのか……」

「朧げに意識はあったわ。身体は動かなかったけれどね」

「後ろめたさはない。だが、傷つけてしまうと思った。今は、下手に隠すべきではなかったと後悔しているよ」

「お前達ってほんとおかしな関係ね。まるで恋人に対する物言いじゃない。さしずめ奴隷の歪んだ主従ってところかしら?」

「俺とアテネの間に主従はない。あるのは共に目指す夢だけだ」

「ふぅん、恋人という部分は認めるんだ。それとも歪んでいる(・・・・・)ほうかしら?」

「……………さあな」

 恋人かどうかはともかく、特別な感情は抱いている。

 そして、『歪』んでいるのも間違いないだろう。

 ルカはアテネに強く『依存』していた。

 家族を失い、仲間を失い、己の命を失いかけた時に現れた救いの女神がアテネだ。

 恩義が好意に変わり、気が付けば後戻り出来ないほど惹かれていた。

 大和の国から遠く離れた異郷の地において、アテネだけが、ルカをこの世界に繋ぎ止める『えにし』なのだ。

 だから、失うことを極端に恐れる。 

 もし、万が一にでもアテネを失うことがあれば、真っ暗な水底よりも、遥かに暗くて冷たい領域に堕ちるだろう。

 本心をいうなら、アテネを誰に手にも触れることの出来ない、安全で危険のない場所に捕らえてしまいたい。


 そう。塔の頂にある(・・・・・・)牢獄などが(・・・・・)丁度いいだろう(・・・・・・・)――


「ねぇ、気が付いている? お前……ゾクゾクするような素敵な目になっているわよ」

「ッ!?」

 テュッティの声にルカは我に返る。

 いつの間にか思考がドス黒く染まっていた。

「二度目に船を襲ったあの時、私はマーメイドを殺してお前の心に仄暗い炎を灯そうとした。失敗したと思っていたけれど、その目を見て確信したわ。お前はもう……私の炎からは逃げられないと、ね」

 テュッティのいう通りだった。

 アテネの首に龍鞭が巻き付いたあの時から、苦しげに呻く声を聞いたあの瞬間から、ルカの心には決して消すことの出来ない漆黒の炎が宿っていた。

 怒りとも、恐怖ともつかない、冷たく暗い絶望の炎が。

「満足か?」

「ええ、大満足よ。愛には純も不純もないの。どんなに甘い言葉で包んでも、そこにあるのは相手を欲する『欲望』だけ。だから……一つ忠告してあげる」 

 テュッティはそこで言葉切ると、抱き着くように身体を寄せ――

「お前が幾ら求めても、あの女は手に入らないわ」

 と、悪魔のように囁いた。

「身分違いの恋はいつの時代も悲壮なものよ。しかも相手は世界に覇を成すフォーサイス家の一人娘。そこへ女同士の禁忌までおまけされたら、この世の何処へ逃げても安住の地はない。お前がどれだけ剣の腕が立とうともね。その想いは、いずれ――現実という名の狂気に押し潰されるわ」

 テュッティは言葉を紡ぎながら、ルカの胸から順に、鎖骨を撫で、首を通って、顎へ指を添えると、最後は口付けせんと唇を寄せていく。

 だが、

「そんな事は、とうに覚悟の上だ」

 ルカはテュッティの腕を振り払うと、短い言葉に決して折れない意思を籠めた。

 テュッティは自分が愛を囁かれたかのように、頬を染め、熱い吐息を吐く。

「――――お前が欲しいわ、ルカ」

 真紅の瞳には、殺意と、憎悪と、情欲が、混然一体となって燃え盛っていた。

「断る!」

「いいえ、駄目よ。お前は私の命を救ってしまった。二度にわたってね。それがどういう意味を持つのか、これから……ゆっくりと理解させてあげるわ」

 と、その時。

 頭に小枝や木の葉をつけたアテネが、森から飛び出して来たではないか。

「見つけましたよ、テュッティ! って、ああ!? る、ルカから離れなさいぁい!!」

 大きな声が森に響き、鳥たちが一斉に飛び立つ。

 テュッティは今までの狂熱が嘘のように楽しげに笑うと、あっさりと身体を離した。

「やれやれ、うるさいマーメイドがやって来たわ。夜には戻るからあとはよろしくね」

「猫のように気まぐれなやつだ」

 ルカはそう呟いて、走り去るテュッティを見送った。

 ほどなくして、

「ああ、もう! また逃げられました!」

 畑まで走って来たアテネは、ぷっくり頬を膨らませた。

「あの様子なら、怪我の具合は大丈夫そうだな」 

「見ての通りです。運動機能にも問題はありませんし、体力もすっかり回復しました」

「よかったじゃないか。アテネの霊薬のおかげだ」

「いいえ、全然よくありません! 元気になったのにお手伝いはしてくれないし、 昨日も頼んでいた仕事をほっぽりだして海で遊んでいたんですよ! 意地悪ばかりするし、ほんとにもう……」

 アテネは拗ねたように唇を尖らせるが、その表情に険はなく、むしろ楽しげですらある。

 今の二人の関係を例えるなら、少し仲の悪い姉妹だろう。

 アテネを妹とするなら、テュッティは妹をからかう姉である。

 あの日から、ルカを含めた三人の関係は変わった。

 ぎこちないまでも会話があり、笑いがあり、寝食を供にする。

 だが、完全に打ち解けたわけではない。

 互いに牙を納め、凍てつく感情を、仄暗い炎を、無理矢理に封じているのだ。

 時間をかけて解きほぐしていけば、やがて雪解けに至るかもしれない。

 だからこそ、テュッティは必要以上にアテネにちょっかいをかけ、互いに傷付けないような距離を計っているのだ。

「少し待っててくれないか。もうすぐ作業が終わる」

「私もお手伝いします! 早く終わらせて、二人だけで(・・・・・)美味しいものを食べましょう!」

 二人だけという部分を強調して、アテネは言った。 


   ◇


 夜。


 周囲を岩で固めてさらに使い勝手の増した焚火炉で、ルカが夕食を調理していた。

 今夜は、たっぷりのキノコと山菜に、兎肉をふんだんに使ったシチューだ。

「それで、テュッティったらクコの実をかじっちゃうんですよ!」

 隣に座るアテネが、作業を手伝いながら楽しげに談笑する。

 この一週間で、拠点の設備は大きく発展していた。

 害獣対策に拠点の周囲には竹柵が施され、柵の内側には、七面鳥の飼育小屋に、トイレ小屋、薪を保管するための薪小屋まで作られた。

 まだ牛を捕まえていないが、これから牛小屋も作る予定となっている。

 他にも生活に必要な様々な食器や、調理器具などを、木から削り出して作った。

 現在は、炻器と呼ばれる土鍋や、炭作りのために、大きな『窯』を作る計画が進められていた。

 と、 

「――――島の反対側で、難破船を見つけたわ」

 夕食時に戻って来たテュッティは、開口一番そう言った。

「船ですか!?」

 テーブルに器を並べていたアテネは、驚きに手を止めた。

「損傷は?」

 シチューを作っていたルカも、鍋を火から離してテュッティに歩み寄る。

 鍋は、真銀の兜を叩いて伸ばして成型したもので、もはや兜の面影はどこにも残っていない。  

「中は見てないけど、外には大した損傷はなかったわ。船の苔具合から見てここ一年以内に難破したものよ」

 陸では水を離れた魚のようだったテュッティだが、船に関する知識や経験は、長年船乗りをしていたルカをも凌ぐため、その言葉には強い信憑性を感じた。

「随分新しい船だな。人の気配はなかったのか? ここ一年なら、生存者がいてもおかしくないだろう」

「私もそう思ったけれど、人の気配は全く感じなかったのよ」

 テュッティは肩をすくめて答えた。  

「修理は出来そうですか?」と、アテネ。

「そうね。あの程度の損傷なら修理は可能だと思う。けど、竜骨を見ない事には最終的な判断は出来ないわ。外側は無傷でも竜骨が折れてたらお手上げだもの」

 竜骨とは人体でいう背骨にあたり、船底の中心線を通る太い木材だ。

 ここが損傷している場合、他がどれだけ無事でも船としては終わりなほど重要な部分である。

「明日にでも皆で行って確認してみよう。もし竜骨が折れていたとしても、解体すれば新しい船を造る材料に使える。それに船内には様々な道具が残っているだろう」

「賛成です! 先伸ばしになっていた探検ですね!」

 ルカの提案に、アテネが嬉しそうに両手を叩く。

「そういえば、探検に出れずじまいになっていたな」

「テュッティったらずるいんですよ。自分ばっかり島を探検して!」 

「おかげで船を発見出来たからいいじゃない。ああいう船にはお宝が眠っているものよ。楽しみにしてなさい」

「お宝!」

 金銀財宝に興味があるというより、宝探しという探検要素に惹かれているのだろう。

 アテネはキラキラと瞳を輝かせる。

「そうと決まれば、飯を食べたら今日は早めに休もう」

「すぐに準備をしますね!」

 アテネは急いでテーブルに器を並べていく。

「お腹が減ったわ。今夜のメニューはなにかしら? あ、そこのメイド。ワインを入れてくれない?」 

 椅子に腰かけたテュッティは、優雅に脚を組んだ。

「……どうやら器は、ルカと私の分だけでいいようです」  

 アテネは凍えるように冷たい目で、テュッティの器を片付け始める。

「冗談よ。私も手伝うに決まってるじゃない。まぁ、私に出来る事があればだけど」

 テュッティは自信満々に髪を掻き上げ散らす。

「どうして何もできない人が、一番偉そうなんですか!」  

 アテネは当然のように怒った。


 すっかり日常となった、アテネとテュッティのやり取りを聞きながら、ルカはそれぞれの器にたっぷりシチューを注ぐのであった。


   ◇


「片付けをしておくから、二人は先に水浴びをしてくるといい」

 食事を終え、アテネがむいてくれたデザートを堪能したルカは、二人の少女に向けそう言った。

「たまにはルカも一緒に水浴びしませんか? 出来たばかりの石鹸で背中を流しますよ」

「いや、俺は後でいい。遠慮せずに先に行ってくれ」

 男であることを隠さなければならないルカは、二人と一緒に水浴びする訳にはいかなかった。

 すると、

「そう、ですか。わかりました。無理に誘ってごめんなさい」

 アテネは何かを察したような表情で、ぺこりと頭を下げた。

 と、

「ちょっと待ちなさい。石鹸なんてあるの?」

 爪を磨いていたテュッティが、驚いたように顔を上げた。

「ふふん、これです!」

 アテネは長方形の真っ黒な塊を、テュッティに手渡した。

「へぇ、随分と上質じゃない。お前こんなものまで作れるんだ」

「塩と竹灰とココナッツオイルから作ったんです。霊薬の調合よりずっと簡単ですよ。あ、それはテュッティにあげます。私とルカのはこちらにありますから」

 アテネはテュッティに渡したものの三倍はある石鹸を取り出した。

「どうして私の石鹸は、こんなに小さいのかしら?」

「テュッティが全然お手伝いしてくれないからです! 今日は石鹸を作るために誘ったのに!」

「はいはい、悪かったわよ。あ、そうだ。私達が火の番しといてあげるから、たまには、お前が先に行きなさいよ、黒髪」

 テュッティはそう言って、ルカを見やる。

「それは名案です! テュッティもたまにはいいことをいいますね。温い飲み物を用意しておきますから、どうぞ先に行って下さい!」

 結局、ルカは二人に押しきられる形で、先に水浴びにいく事となった。


   ◇

 

 ルカが川に向かって、十分ほど経った頃。  

「さてと、そろそろいいかしら」

 爪を磨いていたテュッティが、おもむろに立ち上がった。

「何処へ行くんです?」

 ルカのためにハーブティを作るアテネがそう問う。

「あいつの水浴びを覗きに行くのよ。少し気になることがあってね」

「なっ!? だ、駄目ですよ!」

 アテネは真っ赤な顔で立ち上がった。

「女同士なんだし、別に裸を見るぐらい構わないでしょ?」

「構います! ルカは私にだって肌を晒さないんですから!」

「そこよ。私が気になるのは。どうしてあいつは頑なに肌を見せないの? 男装していることと何か関係があるのかしら」

「知りませんし、知ろうとも思いません」

 ルカの秘密の一端を知るアテネは、真っすぐにテュッティを見つめて言った。

「なぜ?」

「ルカを信じているからです!」

 いつか必ず、ルカは自分の口で真実を伝えてくれるだろう。

 ならば、その日が来るまでアテネは待とうと決めていた。

「お熱い信頼関係だこと」

「それはもう!」

 アテネは誇らしげに胸を張るが―― 

「お前達二人だけなら、その信頼関係は美しいでしょう。でも……今の私のように、悪意を持つ第三者があいつの秘密を暴こうとした時、真実を知らないお前にあいつを守ることが出来るかしら?」

「そ、それは!」

 一番痛いところを突かれたという風に、アテネは眉間にしわを寄せる。

「知ろうとせず盲目的に信じるより、知った上で受け入れるのが、女の度量ではないかしら?」

 腰に手を当て、テュッティは言い切った。

「…………ッ」

 アテネは考える。

 例えルカがどんな秘密を隠していても、彼女への信頼も、愛情も、変わることはない。

 たった一つの真実で変えられるほど、この想いは軽くはなかった。

 だが、確かにテュッティの言う通り、もしルカの抱えてる『尻尾の秘密』が他の誰かにバレそうになった時、真実を知っている者だけがルカを守ることが出来るだろう。

 アテネはルカを守りたいと、守れる者になりたいと強く思った。

 ただ――

「む~! 言ってることは正しく聞こえるのに、悪の道に誘われてる気がします!」

 頭では理解しても、心が警鐘を鳴らしていた。

 悪人は真実を語り、その真実によって人を騙すという。

「嫌ならここで待ってなさい。無理に誘わないわ。でも、そうなれば秘密は私だけのものとなり、あいつを脅すのも簡単になるわね」 

 テュッティはあっさりと身をひるがえし、ルカの居るであろう森へと歩いて行く。

「ま、待ちなさい私も行きます! ルカを守るのは、私なんですから!」

 このままではルカの秘密が知られてしまうと焦ったアテネは、慌ててテュッティの後を追う。

「ふふ、ちょろい子ね」

 テュッティはアテネの気配を背中に感じながら、悪い笑みを浮かべるのであった。



 いつも水浴びをする川辺まで来たアテネとテュッティは、近くの草むらで息を潜める。

 結局、テュッティを止められぬまま、なし崩し的にアテネも水浴びを覗く事に。

「――――いたわ。あそこよ」

「暗くてよく見えません……」

 確かに人影はあるが、今夜は雲が出ているため森の中は暗く、はっきりとルカの姿が見えない。

「あまり顔を出したら気付かれるわ。あいつの目のよさは、お前が一番知っているでしょう」

「そ、そうでした」

 アテネは慌てて頭をひっこめる。 

「私が思うに、あいつが隠したいのは身体のコンプレックスよ」

「コンプレックスですか?」

「間違いないわ。あいつの胸を触ったときに確信したの。まるでまな板のように硬い胸板だったのよ」

「ま、まな板……」

 アテネは思わず、自分の胸を両手で触る。

「豊かた胸を持つ私達には想像出来ないけど、胸のサイズに悩む女は多いわ。あいつもきっとそうよ」

 名推理でしょうと自信満々のテュッティに対し、アテネは首を傾げる。

「そうでしょうか……」 

 秘密を話せないと言ったルカの表情は、辛そうで、とても苦しそうだった。

 胸がぺったんこだからといって、あんな顔をするとは思えない。

 それに、アテネは知っていた。

 ルカの股座から生え出る、太くて長大な尻尾を――

「いずれにせよすぐにわかるわ。雲の切れ目から月明かりが射すわよ」

 二人は息を潜め、固唾を飲んで、その時を待つ。

 夜風に森の木々がざわめき、雲は緩やかに流れていく。


 そして――――


 雲の切れ目から、光がカーテンのように降りてきて、闇に溶け込んでいたルカの姿を照らし出す。

 ルカは背を向け、髪紐をほどくため両手を掲げていた。

 衣服の類は全て脱ぎ払われ、中に隠されていたのは鞘から抜き放たれた刃のように、凶暴で、荒々しく、恐ろしいほどの切れ味を秘めた肉体であった。

「――――ッ!?」

 アテネとテュッティは同時に声を失う。 

 心臓の鼓動だけが耳に響き、呼吸すら忘れて、その背中に見惚れる。

 鍛え上げられた肉体には無駄な贅肉ぜいにくは一切なく、しなやかな筋肉が全身を包み込み、みなぎるような生命力と、雄々しさが放たれていた。

 綺麗だと思った。

 恐ろしいとも感じた。

 なのに、どこか儚げで、幻想的で、どうしても目が離せないのだ。

 暗い森に浮かび上がるルカの裸体に、少女の視線は釘付けとなっていた。

 引き締まったふくらはぎから、ふとももへ視線が流れ、お尻から、腰を通って、最後は背中へ行きつく。

 その背中には『奴隷』を示す『焼印』があり、痛々しく無残な痕にすらある種の魅力を感じた。

 穢してはならないものを、穢したかのような背徳的な美を――

「あれは、あれは一体『何』なの……?」

 神をも恐れぬ少女が、《彩炎の魔女》の異名を持つ大海賊が、畏怖するように唇を震わせた。

 それもそのはず。

 少女達は見てしまった。

 そして、知ってしまったのだ。

 月光を浴びて輝く肉体が、その構造が、その有り様が、自分達とは似て非なるものだという事に。

 なら、彼女は一体『何者』なのか?

 そもそも、本当に『彼女』であっているのか?

 アテネもテュッティも、これまで男の裸など一度たりとも見た事がない。

 だが、仮にあったとしても、同じ疑問を抱くだろう。

 この世で海に出る事を許されるのは、『女』だけなのだから―― 

「――――サイニ・ルークス・イムマクラータ」

 アテネが唱えるのは、『穢れなき光』という意味を持ち、《海の女神アンフィトリテ》の息子にして唯一海へ入るのを許された《少年神トリトン》を表す言葉であった。

「マグナ・マーテル・デオルム・イダエア――――」

 テュッティが震える唇で紡ぐのは、『大いなる母』という意味を持ち、大地母神にして《両性具有の神キュベレー》を表す言葉であった。

 と、その時。

 結んであったルカの髪がほどけ、パッと散るように、月光を反射しながら漆黒の髪が流れ落ちる。

 その光景はあまりに神秘的で、二人は食い入るようにルカを見つめた。

「はぁ……あ……」

 熱の籠った吐息を漏らしたのは、果たしてどちらだっただろう。

 二人の少女は、月明かりに映る一人の少女に見惚れ、身体の芯に甘い熱を帯びる。 

 それは本能であった。

 あれこそが自分達の番になる者だと、身体が理解していたのだ。

 疼く下腹部を気にするように、少女達は短いスカートの裾を握りしめる。

 次の瞬間。

「ッ!?」

 アテネとテュッティは、思わず身を乗り出した。

 何故なら、背中を向けていたルカが、ついにこちらへ身体を向けようとしているのだ。

 後ろ姿だけでもこんなに胸が熱くなるのに、前を見てしまったら自分達は失神してしまうかもしれない。

 それでも少女達は、固唾を呑んで、ふとももを擦り合わせて、ルカに熱い眼差しを注ぐ。

 だが、

「ああ……ッ!?」

 二人は揃って、悲痛な声が漏らした。

 あと少しというところで、雲に遮られて月明かりが途切れたのだ。

 闇が再び森を覆い隠し、今まではっきりと見えていたルカの姿を朧げにする。

 諦めきれない二人は、何とか視線を通さんと身を乗り出すが、手元がおろそかになっていたのだろう。

 パキリ――と、小枝がへし折れる音が響き渡った。


「――――誰かいるのか!?」


 ルカの鋭い声が森に響き渡る。

 アテネとテュッティは両手で口を押え、血相を変えて草むらに平伏した。

 だが、刀を手にしたルカが、こちらに歩み寄ってくる気配がして―― 

(どどど、どうしましょう!?)

(ど、どどど、どーすんのよ!?)

 二人は大混乱に陥った。

 こんな状況を見られたら、どんな言い訳も通じないだろう。

(死んだふりです!)

 アテネは草むらに突っ伏し、死んだふりをする。

(意味ないわよ、バカ!)

(なら、他に案を出して下さい!!)

(ど、動物の鳴き声で誤魔化すとか……?)

 いつも自信に満ちているはずのテュッティが、不安げに呟く。

(それです! それしかありません!)

(でも、この島に居そうな動物なんて、私、全く知らないわよ!?) 

 そんなやり取りをしているうちに、どんどんルカが近付いてくる。

 と、

「――――にぁあ」

 アテネが咄嗟に、可愛いらしい猫の鳴き声を上げた。

(な、なんで猫なのよ!)

(これしか思い付かなかったんです! 早くテュッティも!)

(ああ、もう!)

 テュッティは鼻をつまむと、

「にゃ、にゃぁご」

 と、どら猫のような鳴き声をあげた。

 二人が隠れている草むらのすぐ側まで来ていたルカは、

「山猫の類いか……」

 と、呟いて、しばらく周囲見渡したあと、背を向け去っていった。

(い、今のうちに、逃げるわよ!)

(はい!)

 アテネとテュッティは、文字通り尻尾を巻いて逃げ出した。


   ◇

 

 次の日の朝。


 アテネの作った石鹸で心身ともに洗い清めたルカは、清々しい目覚めで朝を迎えた。

 改めて、衛生を保つことの大切さを思い知る。

 昨晩はアテネもテュッティも、熟睡したのだろう。

 ベッドの中で身じろぎ一つしなかった。 

「ここで本格的に暮らしていくなら、風呂作りも考えないとだな」

 今日見に行く船の損傷具合では、無人島生活の長期化を避けられないだろう。

 そうなれば、今後の生活の質を向上させるためにも、風呂は必要だとルカは考えた。

 火山由来の島なら、温泉が沸いているかもしれない。

 楽園を作ろうというアテネの気概に、ルカはすっかり当てられていた。


 だが、そんなルカの後ろでは――


「ぜ、全然……眠れませんでした」

 眠たげに目を擦るアテネと、

「ええ……凄く、眠いわ……」

 あくびを噛み殺すテュッティの姿があった。

 こうして、ルカの与り知らぬところで、アテネとテュッティはちょっぴり仲良くなっていた。


 同じ秘密を共有する者として――


次で三章に入ります。

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