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ルカは、アテネの案内で船底にある倉庫区画へ向かう。
まずは水兵としての装備を整えにいくのだが、
「…………」
艦長と別れてから、アテネは一言も喋ろうとはしない。
どこか思い詰めた表情で、黙々と先へ進む。
ルカも黙したまま、彼女の後ろを着いて行く。
医務室のある三層甲板から、さらに階段を下りた先にあるのが船倉区画だ。
船倉に到着したルカは、その広さに言葉を失う。
ルカが乗っていた商船とは比べ物にならない広さと大きさを誇り、天井には光を放つ見たの事ない照明器具があり、とても明るい事に驚かされた。
奥に見えるのは畑だろうか? 豚や牛などの家畜の姿まで見える。
そして、倉庫の入り口には一軒の『店』があった。
幼い頃に見た『よろず屋』のように、武器から装備品や道具など、様々な品が取り揃えられていた。
「へぇ、その子が噂の新入りかい?」
店のカウンターに立つのは、額にバンダナを巻く、乳白色の髪が特徴的な高い背丈の女性。
海賊とみまごう強面に、右目には太刀傷。鍛えられた筋肉質の肉体に、褐色の肌。胸は大きく、腹筋はしっかりと割れていた。
自慢の肉体を惜しげもなく晒すかのように、赤い水着を纏い、腰には黒いエプロンをつけていた。
彼女が放つ雰囲気は奴隷仲間にそっくりで、懐かしさと悲しみが同時に込み上げる。
「ジョアンナ主計長。彼女が本日付で見習い水兵となったルカです」
「俺の名はルカ。今日から世話になります」
ルカは前に出ると、ジョアンナに頭を下げた。
「堅苦しのは苦手だよ。アタイはジョアンナ。軍艦に乗っているが軍人じゃなく商人さ。欲しいものがあるなら遠慮なくいいな。銃でも大砲でもなんだって用意してやるよ。ただし、支給品以外はお代を頂くからそのつもりでいな」
ジョアンナはそう言って、やり手の商人のように不敵な笑みを見せる。
「主計長、先にお願いしていたものを」
「あいよ。これが水兵の制服一式だ。装備も付けておくから、あとで説明してやんな。いや……説明はいらないか」
ジョアンナはルカを値踏みするよう見つめていたが、何かに気が付いたのか感心したように呟く。
「あら、これはズボンですか? ワンピースタイプを頼んだはずですが」
海軍の制服には幾つか種類がある。
水兵は、紺色のスカーフと、袖なしセーラーワンピース。
海兵隊は、青色のスカーフと、袖なしセーラー服に、青色のプリーツスカート。
熟練水兵や、下士官、士官はタイトスカートやズボンを好む。
「その子にはズボンの方が似合うさ。それとも、スカートの方が良かったかい?」
ジョアンナが短い丈のワンピースを掲げるが、ルカは眉を引くつかせて答えた。
「いや、ズボンて頼む。そんなヒラヒラしたのを履かされるくらいなら、俺は今からでも海に飛び込むぞ」
「はっはは! 正直な子は嫌いじゃないよ。ほら、奧にタライと湯を用意しといた。身を清めて、髪も整えて来な」
こうして、ルカは身を清めたあと、髪を洗って櫛で梳く。
元服前に奴隷となったルカは、剃りの入っていない若衆髷と呼ばれる髪型で通しており、髪を後ろで纏め、白帯で縛って馬の尾のように垂らす。
しばらくして――
着替えが終わったルカが店から外に出ると、
「――――え?」
と、アテネが驚いたように、目を丸くした。
乱れた蓬髪は綺麗に整えられ、そこに隠されていたのは意思の強そうな顔立ち。
瞳は黒真珠のような漆黒で、袖のないセーラ服からは引き締まった二の腕が伸び、手枷の痕を隠すように指ぬきグローブをはめ、白ズボンに黒革のブーツを履く。
腰には太いツールベルトを巻き、水兵に必要な様々な道具が装備されていた。
「思った通り『男装』が映えるねぇ。どうだい、アタイの見立ては確かだろう?」
ジョアンナは楽しげに言う。
ルカの格好は、女性ばかりの船では『男装』にあたるのだ。
男が男装するというよくわからない事態だが、性別を隠して船で働くルカにとっては生死に関わる問題であった。
「……どこか変か?」
あまりにアテネがじろじろ見るので、はじめて軍服を着たルカは不安げに尋ねた。
「い、いえ、変ではありません。ただ、その……」
「安心しな。あまりに似合いすぎて驚いてるだけさ。なぁ、アテネ」
ジョアンナがアテネの肩を叩く。
「ええ、主計長の言うとおりです。こんな言い方、気を悪くするかもしれませんが、どこからどうみても『男の子』にしか見えません」
アテネは感心した表情で、ルカを眺めた。
ジョアンナはそれを聞いて、くつくつと笑う。
「ああ、そうでした。忘れないうちに、これを返しておきます。あなたを救助する時に手首に巻き付いていました」
アテネはそう言って、ポケットから『黒水晶の首飾り』を取り出した。
それは、ルカが大切にする家族との絆であった。
「――――ッ! 感謝する。本当に、ありがとう!」
奴隷仲間を失い、家族との絆まで無くしたと思っていたルカは、声を弾ませ感謝を示す。
ルカが初めて見せる嬉しそうな表情に、
「い、いえ……」
アテネは照れるようにそっぽを向いた。
船内から甲板に出れば、太陽の陽射しに、潮の匂いが一気に強くなる。
改めてここが洋上なのだと思い知らされた。
ルカにとっては七年間ずっと眺めてきた光景たが、商船とは明らかに違うのは、この船の規模だろう。
全長六二メートルの巨大船に三〇〇人以上もの女性が乗り込んでいるのだ。
甲板で作業していた少女達は、皆、ルカを見るとギョッとした顔をして作業の手を止めた。
『男装』をしているルカが、珍しいのだろう。
アテネについて甲板を歩くルカは、幼い頃に見た蚤の市の風景を思い出す。
「この船は五六門もの紋章砲を備える他に、外殻には真銀の装甲を張った世界初の装甲艦でもあるんですよ」
砲の数や、船の説明。
水兵としての心構えなどを語るアテネに、ルカは相槌をうつ。
よほどこの船が好きなのだろう。
少し得意気なアテネは、お姉さんぶった表情で、
「足元に気を付けて下さい。そこは滑りやすいですから」
と、言って、軽快に歩を進める。
だが、次の瞬間。
「――――きゃ!?」
可愛らしい悲鳴がして、直後、どしん! と鈍い音が響きわたる。
気をつけるよう言っていたアテネ自身が、おもいっきり滑って尻餅をついたのだ。
「だ、大丈夫か?」
ルカは慌てて駆け寄る。今のは相当痛いだろう。
「だ、大丈夫ですッ!」
アテネはすくっと立ち上がると、真っ赤な顔で叫んだ。
「うう……ッ」
お尻を押さえながら、それでも毅然とした表情で先を進むアテネ。
たが、その蒼い瞳はちょぴり涙ぐんでいた。
ルカは彼女の誇りを傷付けないよう、見ないフリをする事にする。
多少の事故はあったものの、アテネに連れられ船首甲板に到着したルカが見たのは、射撃訓練中の海兵隊の少女達であった。
と、
「邪魔をします」
アテネが言えば、全員が姿勢を正してアテネに敬礼した。
「どうぞ、お使いくださいアテネ様!」
一人のマーメイドが、ルカ達に場所を譲る。
彼女達の瞳には、アテネに対する強い憧れと、羨望があった。
アテネは上官だからというだけではなく、個として慕われているのだろう。
「基本的に、敵と直接刃を交えるのはマーメイドと呼ばれる海兵隊の務めですが、有事の際は水兵も武器を取って戦う必要があります。そのため水兵には、週に三回の戦闘訓練が義務付けられています」
「何をすればいい?」
「まずは射撃訓練から始めましょう。この銃は、スプリングフィールドM1795と呼ばれる六九口径フリントロック紋章式の国産マスケット銃です。持ってみて下さい」
アテネは紋章銃を手に取ると、ルカに差し出す。
万物にあまねく存在しながらも目には見えない『エーテル』と呼ばれる力を、様々な属性エネルギーに変換する研究は古来から行われてきた。
古くは『聖霊術』と呼ばれ、近年では『紋章学』と呼ばれている。
聖霊術とは、炎の雨を降らせたり、雷を呼び寄せたり、洪水を起こしたり――と、超常的な力を行使出来る反面、『聖霊器』と呼ばれるアーティファクトが必要不可欠で、特別な才能を持つ人間にしか扱う事が出来なかった。
紋章学とは、聖霊術を科学的に解明したもので、物質に紋章と呼ばれるエーテル回路を刻むことで、聖霊術の効果を疑似的に再現したものだ。効果は限定的ながら、才能の有無に関わらず誰でも扱えるという最大のメリットがあった。
「重いな……」
短銃は持ったことはあるが、初めて持つ長銃の重量感にルカは瞠目する。
長さは一五〇センチ。重さは四キロはあるだろう。
飴色の木製曲銃床に、銀色に輝く銃身はエーテル伝導率が高い真銀製で、下級聖霊術の『バレット』を再現する紋章が砲身に刻まれていた。
「血に宿る聖霊は、風でしたよね?」
「ああ、そうだ」
万物にあまねく存在するエーテルは、むろん人の身体にも存在する。
その多くは血液に宿り、個人によって属性が異なった。
百年ほど前までは才能の一言で片づけられていたが、紋章学が発展した近代では『血液型』として理解が進み、A型は『水』、B型は『火』、AB型は『土』、O型は『風』というように表される。
「では、この的を撃ってみてください。銃の使い方は判りますか?」
アテネが船縁にある『箱』を操作すると、海上に直径二〇センチほどの水球が幾つもの浮かび上がる。
水球と船との距離は、ピッタリ三〇メートル離れていた。
「銃の扱いは仲間から一通り教わった。だが、最初に言っておくが射撃は苦手なんだ」
「苦手を克服するのが訓練です。さあ、勇気をだして!」
頑張ってというように、両手をギュッと胸の前で掲げるアテネ。
「ふぅ」
息を吐いたルカは前後に足を開くと、銃床を肩に押し当てマスケット銃を構える。
狙うは、海上に浮かぶ水球。
精神を集中させて、船の揺れに射線を合わせ、銃口をピタリと標的に固定。
チャンバー内に風のエーテルが収束していく。
ルカのあまりに見事な射撃態勢に、アテネを含めた海兵隊の少女達から感嘆の声が漏れる。
この時、銃を扱う誰もが、ルカの射撃は命中すると確信した。
それほどまでに、ルカの構えも狙いも正確であったのだ。
直後、鋭い銃声が鳴り響き、鮮やかな緑色の風弾が発射された。
だが、
「――――え?」
アテネはすっとんきょうな声を漏らす。
何故なら、ルカの放った風弾は的を貫くどころか、狙いを大きくそれて明後日の方向へ飛び去っていくのだ。
「ど、どうして今のが外れるんですか!? 射線も狙いも完璧だったのに!」
アテネは自分の事のように、納得できないといった表情をする。
「言っただろ。苦手だって」
ルカは苦笑しながら、マスケット銃をアテネに返す。
アテネは受け取った銃の整備が不十分でなかったか真剣に確認するが、やがて諦めたように銃を下ろした。
「うーん、銃に異常はないのに、どうしてかしら?」
「今まで的に当たった試しがないんだ。どんなに近くてもな。今度は君の腕を見せてくれないか?」
「ええ、いいですよ」
アテネは自信ありげに腰のガンホルスターにさす二丁の紋章銃を、サーベルの如く引き抜いた。
短銃というには長く、長銃というには短いそれは、カービンマスケットと呼ばれる騎兵用の小銃で、マスケット銃の全長を半分ほどの長さの八〇センチまで短くして、取り回しやすいように改良されたものだ。
「凄い銃だな」
ルカが驚いたのは、アテネが持つ銃の白銀の輝きだ。
銃床も、銃身も、全てが高純度の真銀で出来ているのだ。
その輝きはさながら刀匠に鍛え上げられた名刀のようで、人を殺める武器でありながら、芸術の極致であるかのような美しさを感じさせた。
「この銃は、スプリングフィールドM1795をベースに、私が一から設計したんですよ。銘は、グラウクスといいます」
褒められたのが嬉しいのか、アテネは二丁一対の《双銃グラウクス》を構えてみせた。
「グラウクス……梟という意味だったか?」
「はい、その通りです」
「そんな銃を設計出来るなんて、君は、凄い才能を持っているんだな」
「いえ……本当の事を白状すると、私が描いた下手な絵を元に、うちのガンスミスが作ってくれたんです。凄いのはその子ですよ」
アテネは構えていた銃を下ろすと、悪戯がバレた子供のように小さく舌を出す。
艦長のメルティナといた時は、近寄りがたいピリピリした雰囲気を漂わせていたが、船の説明を始めたあたりから険が消え、今は、柔らかな印象を受けるようになっていた。
海尉任官試験に落ちたと耳にしたが、なにか――大きな悩みを抱えているのかもしれない。
「いずれにせよ、凄い銃だ」
「凄いのは銃だけではないという事を、今からお見せします!」
再び銃を構えたアテネ。
その表情からは一切の緩みは消え去り、凍てつく海のように氷冷とした雰囲気を放つ。
ルカが思わずアテネに魅入った――その直後。
スバンッ!と、白銀の銃口から轟音が鳴り響き、発射された二発の水弾が目にも止まらぬ速さで二つの標的を貫いた。
「見事だ」
「いいえ、まだです!」
アテネはそう言って、次の標的に銃口を向けトリガーを引いた。
ルカが驚いたのは、アテネの銃のリロードの早さだ。
短銃でもエーテル充填には、一〇秒はかかる。
長銃に至っては、熟練したガンナーでも二〇秒は必要だ。
だが、アテネが持つ白銀のカービンマスケットは、僅か二、三秒で次弾装填を終えていた。
次々に銃声が鳴り、その度に水球がはじけ飛ぶ。
あっという間に全ての的を撃ち抜いたアテネは、くるりと銃を回して腰のガンホルスターに収めた。
驚異的な銃の性能もさることながら、真に驚愕すべきはアテネの技量だろう。
三〇メートル先の的を、一発も外す事なく貫いたのだ。
並み外れた射撃スキルと、エーテル制御能力を持っているに違いない。
「……凄いな。あまりに凄くて、褒める言葉が見つからないよ」
ルカの声は僅かに弾んでいた。
あまりに凄い技を見て気分が高揚しているのもあるが、ルカの中にふつふつと沸き上がるものがあった。
「ルカも私の元で学べば、すぐに射撃の名手になれますよ」
アテネがそう言った瞬間、ルカの闘争心が一気に燃え上がる。
それは対抗心であり、美しくも可憐な少女に認めて貰いたいと思う、功名心でもあった。
ただ、単純に「あ」と言わせたいという、悪戯な感情も僅かにだがある。
「射撃訓練の次は、白兵戦の訓練だろう?」
ルカはそう言って、近くに置かれてある刃が潰された訓練用のサーベルを手に取った。
銃は苦手だが、剣の腕には自信がある。
その思いが、相手にも伝わったのだろう。
「わかりました。では、あなたの実力を知るためにも、今から模擬戦をしましょう」
アテネは青い瞳に、真剣な光を宿らせた。
ルカはコクリと頷くと、
「俺の名は、ルカ。大和の国のルカだ。俺が勝てば、ちゃんと君の口から『名前』を教えて欲しい」
サーベルを鞘から抜き放ち、白刃を構えて戦闘体勢を取った。
アテネはルカの言葉に「え?」と、首をかしげ――「あ!?」と、すっとんきょうな声を上げる。
こちらの意図に気が付いたのだろう。
「君は……とても身分の高い人なのだろう。誰もが君を知り、慕い、敬っている。だが、俺は君を知らないんだ。この国の礼儀はわからないが、俺の国では初対面の相手には自ら名乗るのが礼儀だった。それとも、奴隷には名乗れないか?」
艦長のメルティナに紹介して貰いはしたが、アテネ自身の口から『名』を明かされる事はなかった。
士官候補生の彼女が、奴隷の教育係りにさせられた不満はわかる。
彼女自身、何か悩みを抱えているのかもしれない。
だが、どんな理由があるにせよ、自ら名乗らない者をルカは『人』として信用しない。
ましてや、彼女とはこれから長い時間を共に過ごすのだ。
と、
「――――ごめんなさいッ!!」
なんとアテネは、凄い勢いで頭を下げたではないか。
これには言い出したルカの方が驚いた。
「考え事をしていたとはいえ、人としての礼儀に欠ける行いでした。本当にごめんなさいッ!」
「顔を上げてくれ。謝罪を求めている訳ではないんだ」
「許して……貰えますか?」
「許すもなにも、最初から怒っていない。むしろ楽しみにしているんだ。君に勝って、君から名前を教えて貰うのを」
ルカは笑みを浮かべると、サーベルを片手で構えて間合いを計る。
アテネは釣られるように笑みを浮かべると、
「わかりました。では、私はあなたに勝って、改めて自己紹介の機会を得る事にします!」
と、言って、無手のまま身体を斜めにずらして、半歩前に左足を出した。
アテネが足に履く白銀のソールレットがきらりと光り――
直後に、ルカは甲板を踏みしめ跳んだ。
勝負は既に始まっていた。
ルカが刃を抜いた時から、アテネが己の『武器』を構えた時から。
狙うは頭部。放つは、片手唐竹割り。鋭い斬撃が、稲妻のようにアテネ襲う。
だが、
「――――ヤッ!」
気合いの入った掛け声と共に、アテネが放つは上段の『横蹴り』であった。
それもただの蹴りではない。
まるで、剛槍の刺突のように重圧で、鋭い蹴りが、銀閃となって空間を貫く。
サーベルと、白銀のソールレットがぶつかり合い、激しい火花が散った。
(やはり、武具だったか)
アテネが両足に履く白銀のソールレットは、防具であると同時に、武器でもあるのだ。
と、
「今度はこちらが行きますよ」
ドンッ、と右足で甲板を踏みしめたアテネが、火花を蹴散らすように、今度は左の廻し蹴りを放つ。
(武器で受け流したら、刃が持たない)
ルカは一瞬の判断で、バックステップで後ろに跳んだ。
直後、巨大な鉄塊のハンマーを振り向いたかのような、剛烈な一撃が鼻先をかすめていき――
蹴りの風圧で髪が揺れる中、ルカは空中で反撃に転じる。
「はぁあッ!」
狙うは、右の鎖骨。放つは、片手平突き。
風を貫く切っ先が、アテネに触れる刹那。
アテネは膝を曲げ、白銀のソールレットでルカの刺突を受け止めて見せた。
この時、ルカが刃を通して感じたのは、金属の感触ではなく分厚い氷壁のような感触であった。
甲板に着地したルカは、仕切り直すようにサーベルを構える。
一瞬の攻防の中に繰り出される技の数々に、二人の戦いを見つめていた海兵隊の少女達からどよめきが漏れ、驚きと感嘆に続き、称賛の拍手が鳴り響く。
「今の空中での突き……驚きました。とても見事な一撃です」
「驚いたのはこちらも同じだ。その白銀のソールレット……ただの『武具』じゃないな?」
ルカは震撼しながら、アテネの白銀のソールレットに視線を注ぐ。
「はい、このソールレットは、《聖盾アイギス》と呼ばれる聖霊器になります」
聖霊器とは、紋章学が発展する前に使用されていた聖術師が使う『アーティファクト』だ。
訓練すれば誰でも扱える銃を始めとする『紋章武器』と違い、器に宿る聖霊が自ら使用者を選ぶ聖霊器は、性能の高さは折り紙つきなものの、一握りの天才にしか扱う事が出来ない旧時代の遺産だ。
しかも、高価な聖霊器ともなると、城一つが買えるほどの値段になるという。
つまり、目の前の少女は一握りの『天才』であり、高価な聖霊器を所持できるだけの『身分』を持つという事になる。
だが、
「なるほど、確かに凄い品だ。でも、一番凄いのは……君の『体術』だろう。サバットやショソンといった蹴りを主体とする船上格闘技は知っているが、他にもいくつかの『流派』を取り入れている感じか?」
ルカが真に『武器』だと思ったのは、アテネが足に履く聖霊器ではなく、彼女自身が会得したその『体術』にあった。
おそらく彼女の真骨頂は、この体術と、腰に差したままの二丁の紋章銃を組み合わせた、銃戦技だろう。
「一合交えただけで、そこまでわかるのですか?」
「射撃は下手だが、目はいいんだ」
「先の質問の答えは、インディオから学んだ『舞闘』と呼ばれる体術です。そちらも、正統剣術を習った動きをしていますね?」
「ああ、商船の客人から、剣を習う機会があってな」
ルカはそう言って、『七星一刀流』の構えの一つを取って見せた。
鋭い剣気が甲板を駆け抜ける。
すると、
「――――好敵手を、見つけました」
アテネの青い瞳に、ライバルを見つけたという期待と、喜び、そして闘争の炎が燃え上がる。
どうやら、「あ」と言わせる事には成功したようだと、ルカはいつでも踏み込めるよう身体を引き絞る。
だが、アテネは構えを解いて、闘志を霧散させた。
「どうした、続きはやらないのか?」
「いえ、模擬戦は……ここまでにしておきましょう。あなたの実力はよくわかりました。それに――」
アテネはそこで言葉を切ると、
「これ以上は『本気』を出さざるを得ません。そうなれば彼女達の訓練を邪魔してしまいます」
いつの間にか海兵隊だけではなく、水兵の少女達までもが集まり、興味津々といった様子でルカとアテネの戦いを観戦しているではないか。
「確かに、これは勝負どころじゃないな」
「勝負はそうですね。次回に持ち越しでどうでしょう?」
「了解した」
ルカはサーベルの刃を鞘へと収める。
アテネはそれを見て、緊張した面持ちでルカの前に立つと、凜と姿勢を正し胸元に右手を当てた。
そして、
「私の名は、アテネ。この艦の士官候補生です。どうかこれからは、アテネとだけ呼んで下さい」
透き通るような声で、アテネは自己紹介をした。
「ありがとう、アテネ」
「あなたの事は、ルカと呼んでも構いませんか?」
「もちろんだ」
「――――ルカ。改めて、これからよろしくお願いします」
「ご覧の通り敬語もろくに話せない無作法者だが、これからよろしく頼む」
ルカは大和の国の言葉の他に、エストニア語、イスパニア語、ポルトゥス語など様々な言語を奴隷仲間から教わったが、残念な事に丁寧な言い回しは全く教わらなかった。
「ふふ、ここは軍隊なんですから、そんなにかしこまる必要はありませんよ。困った時は言葉の前と後ろに『サー』と作ればいいんです。ですが、上官の命令には絶対に服従しなければなりません。これだけは絶対に守って下さいね」
「了解、サー」
ルカは試しに、見よう見まねで敬礼してみせた。
アテネは、口元に手を当て楽しそうにクスクスと笑う。