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 無人島生活三日目。


 朝から薪を割る音が、無人島の空に響き渡る。

 生きていくためには火は欠かせず、その燃料となる薪は常に備蓄しておかなければならない。

 薪割りの音に目を覚ましたアテネは、自分がメイド服のまま寝ていたことに気が付いた。

 髪はほどいてあり、ホワイトプリムや、靴などは、いつもの場所に丁寧に置いてある。

 全部、ルカがしてくれたのだろう。

「昨日はあのまま寝てしまったのですね。ルカにはまた迷惑をかけてしまいました」

 嬉しさと恥ずかしさが心の中で混ぜこぜになり、アテネはしばらく反省すると、意を決して立ち上がった。

 聖霊術で水を出し顔を洗うと、《聖盾アイギス》から新しい下着と、新しいメイド服を取り出し着替えていく。

 髪をツインテールに縛り、ホワイトプリムを頭に乗せれば、完璧なメイドさんの完成だ。

 最後に、薄いピンク色の口紅を取り出したアテネは、手鏡を見ながら唇に薄く塗る。

「これで、いいかしら……?」

 手鏡で自分の姿を色んな角度から確認する。

 アテネはこれまで化粧などしたことがなかったが、つい最近になって始めた。

 理由はただ一つ。

 気になる相手の前では、常に最高の自分で居たいと思う甘い乙女心である。

 その気になる相手というのは、もちろんルカな訳で、この無人島に漂着してからその関係はグッと縮まった。

 だからこそ、

「この色、気に入って貰えるでしょうか……」

 アテネは不安げに呟いて鏡を見つめる。

 と、その時。

 カツンと薪が割る音が鳴り響いた。

 我に返ったアテネは、早くルカのお手伝いをしなければと、脱いだ服や下着、手鏡などを、《聖盾アイギス》にしまっていく。あとで、まとめて洗濯するのだ。

(でも、何か大切なことを忘れているような……?)

 首を傾げるが、全く思い出せない。

 大切なことならそのうち思い出すだろうとテントから出たアテネは、ルカに声を掛ける前に一度深呼吸する。

 そして、 

「おはようございます、ルカ!」

 元気な声が響き渡る。

 完璧なメイド姿のアテネは、ツインテールに縛った青い髪を揺らしながらテントの影から顔を出した。

 だが、そこにルカの姿はなく、代わりに薪を割るのはそういった作業とは一切無縁に見える、燃えるような真紅の髪と瞳の少女。

 彼女の名は、エドワード・テュッティ。

 泣く子も黙る黒髭海賊団の船長であり、《彩炎の魔女》の異名を持つ強大な炎の聖術師であり、この島に流れ着いた新たな住人である。

 テュッティはその美しい顔を仏頂面にして、手斧を使って薪を割る。

 その手つきはどうにもおぼつかなく、周りに散らばる薪はどれも不揃いだ。

「あなたは!?」

 アテネは忘れていた大切なことを思い出した。

 昨夜にルカが浜辺で拾って来た『招かれざる客』を――

 静かに腰に手を回し、メイドスカートの中から双銃グラウクスを取り出し身構える。 

「ルカは何処へ行ったのです……?」

 アテネの声は堅い。

 無理もないだろう。黒髭海賊団との戦いでは、仲間が何人も命を落としたのだ。

 そう簡単に割り切れるものではない。 

「…………」

 テュッティは何かを言おうと口を開くが、結局声を発しないまま口を閉じた。

 と、そこへ。 

「おはよう、アテネ。今日もいい天気になったな」

 浜辺の方角からルカが戻って来て、アテネはホッと胸を撫で下ろす。

「どこへいっていたんですか、ルカ! 心配したじゃないですか!」

「飯の種を獲って来たんだ」

 ルカはその手に、竹で編んだ籠を持っていた。

「そう、でしたか……。それでその手に持っているのは?」

「これは『うけ』と呼ばれる漁具だ。昨晩のうちに用意しておいた」

 細長い壺のような形の竹籠で、籠の入口は一度入ったら出られない返し構造になっていた。

 川や海などの浅瀬に設置して、放置するだけの簡単な罠だ。

 餌には、昨日使わずに捨てた七面鳥の内臓が使われている。

「わわ、凄く一杯獲れているじゃないですか!」

 籠の中を見れば、沢山の海老や小魚が踊っているではないか。

「すぐに朝飯にするから、待っててくれ」

「私もお手伝いします!」

 アテネは何をすべきだろうかと考え――すぐに答えを出した。

(私がやるべきことは、火起こしです!) 

 ルカの役に立ちたいと、アテネは奮起する。

 まずは教え通りに、焚火炉に薪を立体的に組んでいく。立体的に組むのは空気の通りをよくするためだ。

 次は小枝や枯れ葉を、組んだ薪の下に入れて、発火燃焼の補助に添える。

 あとは、火打ち石を使って火種を作るだけだ。 

 と、

「ちゃんと薪を割ってくれてたんだな、テュッティ」

「…………ふん」

 テュッティは憮然とした表情のまま、忌々しげにルカから顔を背ける。

「朝飯の準備をするからお前も手伝え。働かざる者食うべからずだ」

「これ以上、何をさせようというの?」

「魚はさばけるか?」

「無理に決まってるでしょう」

「料理の経験は?」

「あるようにみえて?」

「お姫様か、お前は」

「…………そうよ」

 と、つまらなさそうにテュッティは吐き捨てる。

「何か出来ることはあるか?」

「火なら……簡単に起こせるわよ?」

 テュッティは挑発的な眼つきで、左手を振るった。

 その指に嵌められた聖霊器《ヘスティアの竈》が赤く輝き――アテネが焚火炉に組んだ薪が一瞬で燃え上がった。

「きゃっ!?」

 目の前で燃え上がる炎に、アテネが小さな悲鳴を上げる。

「これで満足かしら?」

 テュッティは左手の薬指に嵌められた指輪に、ワザとらしく、ふぅと息を吹きかける。 

「大丈夫か、アテネ?」

「むぅ~~!」

 横から仕事を奪われたアテネは、当然、拗ねたようにムクッと頬を膨らませる。

「テュッティ!」

 ルカは声に怒気を含ませるが、

「お前達と慣れ合うつもりはないわ。私が邪魔なら、今すぐ殺しなさい」

 テュッティはそう吐き捨てた。

 緊迫した重苦しい空気が漂う。

「ルカ、私はお水をくんできます」

 アテネは気持ちを切り替え、ルカのお手伝いをすることに決めた。 

「ああ、頼んだ」

 ルカのコクリと頷いた。

 アテネは竹筒を両手に抱えて拠点を離れた。

 

    ◇

 

 アテネが去ってから、ルカは無言で作業を続けた。

 海水を入れた竹筒の中に海老を放り込んでそのまま火にかけると、小魚ははらわたを抜いて串に刺して焚火炉の周囲で焼いていく。

 その間も、テュッティはテントの横に積まれた薪木の前に座って、一歩も動こうとはしなかった。

 全ての作業を終えたルカは、テュッティに歩み寄る。

「何をそんなに苛立っている?」

「自分の愚かしさが、ほとほと嫌になっただけよ……」

「愚かしさ?」

「あんな三下の口車に乗せられ、お前を殺すどころか逆に助けられ、つまらない女にまで同情される。こんな場所が私の死に場所になるんだから……苛立たない方が無理ってものでしょう?」

「諦めるには早いんじゃないか? お前も、俺も、まだ生きているだろう」

「ええ、生きているわ。まだ……ね」 

 そう呟くテュッティに、ルカは異変を感じた。

 苦しげに肩で息をしているのだ。

 さらに額には汗が滲んでいる。

 カリブの海は高温多湿だが、今日は太陽の光も優しく潮風はとても涼しい。

「お前……熱があるんじゃないのか?」

 ルカはテュッティの熱を測ろうと、手を伸ばすが、

「平気よ」

 テュッティはその手を振り払うように立ち上がった。

 だが、その際、微かに右足をかばうのを、ルカの瞳は見逃さなかった。

「なら、足を見せてみろ」

 ルカはその場にしゃがみ、テュッティの短いスカートを強引にめくりあげる。

「――――ッ」

 テュッティは観念したように、唇を噛んだ。

「なんで黙っていた?」

 テュッティの右太腿の上部には、三センチぐらいの裂傷があり、乱暴に焼いた痕が残っている。

 おそらく止血と消毒のために焼いたのだろう。

 この時代、もっとも恐ろしいのは傷口からの感染症だ。

 化膿した傷からは『瘴気』と呼ばれるエーテルが放たれ、様々な病を引き起こす。

 例えば、瘴気が全身に回れば、血が腐る『敗血症』という病になり、そうなれば十中八九助からない。

 

 そして――テュッティの傷は、化膿し腫れ上がり、酷い瘴気を発していた(・・・・・・・・・・)


「言ってどうなるというの? 傷の具合を見れば……命が助からない事ぐらいわかっているわ。それとも、奴隷のお前にこれが治せるというの? ふふ、もしそんな奇跡が起こせたなら、私の全てをくれてやってもいいわ」 

「…………」

「わかったのなら、もう放っておきなさい。これ以上……安い同情を押し売られるのはまっぴらよ」

 テュッティは視線をそらすと、苦しげに息を吐いた。

 ルカは真剣な表情で、テュッティの脚の傷を見つめながら、

「ここで見捨てるなら最初から助けたりしない。助けた限りは最後まで面倒は見るさ。アテネ、隠れてないで出てこい」

 と、後ろに声を掛ける。

 テントの方から「ひぅ!?」と悲鳴が上がった。

「ほ……本当に出て行ってもいいんですか?」

 こっそりテントの影から顔を出したアテネは、『メイドさんは見た(・・・・・・・・)』という表情をしていた。

「当たり前だ。そもそもなんで隠れていたんだ?」

「だ、だって、ルカが彼女のスカートをめくりあげて、その……脚の付け根にべたべた触って……」

 アテネは真っ赤な顔で、しどろもどろに言う。

「?」

 ルカは何のことかわからず首を傾げた。 

 と、その時。

 テュッティがふらつき、その場に崩れ落ちたではないか。

 ルカは咄嗟に抱き留め、青ざめたテュッティの表情にアテネも異変に気が付く。

「病気ですか?」

「脚の怪我が化膿しているみたいなんだ」

「た、大変です! すぐにテントに運びましょう」

 ルカはテュッティを抱き上げテントに運ぶと、帆のベッドに寝かせる。

「酷い熱だな……」

 テュッティの身体は、燃えるように熱くなっていた。

「この傷は、いつのものです? なんによってついた傷ですか?」

 脚の怪我を診るアテネは、厳しい表情でテュッティに問う。

「…………」

 だが、テュッティは口をつぐんで答えようとしない。

「意地の張りどころを間違っているぞ!」

 ルカが言うと、テュッティは悔しげに口を開く。 

「船から落ちたときよ。木片が刺さっていたわ。抜いたのはこの島に流されてからよ」

「怪我を負って、今日で三日目か……」

「破傷風かもしれません。このまま放置しておけば敗血症を併発します」

「患部ごと、切断するしかないか」

 この時代、手足に酷い怪我をした場合、感染症を防ぎ命を繋ぐには、患部ごと手足を落とすのが一般的だった。

 命さえあれば、あとで聖霊術によって再生させることも不可能ではない。

 だが、問題もある。

 聖霊術によって再生した部位は、障害が残ることが多いのだ。

「絶対に……嫌ッ! 脚を失うくらいなら死んだ方がましよ!」

 テュッティが真紅の瞳に、怒りと絶望を浮かべて叫んだ。

「どうするか」

 この刀と自分の腕なら、痛みも、出血も、最小限に抑えて脚を斬ることが出来るだろう。

 だが、そうすれば、誇り高いこの女は自ら命を絶ちかねない。

 戦士にとって闘えなくなる恐ろしさは、死よりも勝るのだ。

「私に、考えがあります!」

「聞かせてくれ」

霊薬ポーションを作りましょう!」

「作り方がわかるのか!?」

 霊薬とは、体内のエーテルを活性化させ、自己治癒能力を高める効能を持つエーテル薬だ。

 治癒聖霊術に比べて効果が限定的で、即効性や確実性は遥かに及ばないが、知識さえあれば聖霊器がなくても作れる。

 霊薬を専門に作る者を、『錬金術師』という。

「治癒聖霊術は使えませんが、霊薬の作り方は知っています。自己治癒能力を高めて、怪我の瘴気に打ち勝てれば……あるいは……」

「脚を斬らずにすむというわけか」

「はい! それに高いエーテル力を持つ者は、元々身体の抵抗力が強く、傷の治りも早いんです。彼女の場合も、本来ならこの程度の傷なら三日もあれば塞がっているはずなのですが、今は身体が酷く衰弱しているので症状が悪化しているのでしょう」

「確かに、体内のエーテルの流が乱れているな……むっ?」

「どうかしました?」

「傷の中に、異物が残っているぞ」

「わかるのですか?」

「ああ、酷く腫れ上がっているこの奥だ。エーテルの流れが淀んでいる」

「驚きました。ルカの瞳は、そんなことまで見えるのですか?」

「アテネには見えないのか?」

「大気にあふれるエーテルは見えても、身体に流れるエーテルまでは普通見えませんよ。確かに身体のエーテル流を見る術はありますが、治癒聖霊術でも高位に位置するんです」

「そうだったのか……」  

「ですが、困りました。実は私、外科的な施術についてはあまり詳しくないのです。こんなことならもっと勉強しておくべきでした」

「いや、大丈夫だ。そっちの知識は俺が持っている」

 奴隷が任される船仕事は、危険も多く、怪我は日常茶飯事だった。

 だが、商船に治癒聖術が使える者がいるはずもなく、高価なポーションを奴隷に使ってくれる船主などさらに稀だ。

 怪我を負って働けなくなった奴隷は、無駄飯喰らいとして海に捨てられる。

 それを変えたのが、奴隷のまとめ役をしていたアデラだ。

 彼女は治癒聖術師の手伝いをしていた事があり、医術の心得を持っていた。

 ルカはアデラの手伝いをすることが多く、自然と怪我の治療に立ち会う事が多かった。

 そして、ルカの『瞳』は、一度見たものを決して忘れない。

「傷の中の異物を取り除く。手伝ってくれ」

 ルカが言うと、アテネは快く頷いた。

 手術の準備は急いで進められた。

 テントを出たルカは、水が入った竹を火にくべると、ツールベルトから帆を修繕するための針と糸を取り出し、水の中に放り込む。

 さらに、ナイフを炎で炙る。

 炎や沸騰させた湯には、病の元となる悪しき聖霊を浄化させる力があるという。

 必要なものを揃えたルカはテントに戻った。

「しっかり噛んどけ」

 捻じった手拭を、テュッティの口に噛ませる。

 激痛が襲うと、人は無意識に歯を食い縛る。その力は凄まじく、時に歯が砕けてしまうほどだ。

 万が一にでも舌を噛めば命に関わるので、口が完全に閉じないよう手拭いを噛ませるのだ。

「アテネ、傷の洗浄を頼む」

「任せて下さい!」

 アテネは聖霊の力によって、神聖で清らかな水作り出し傷口を覆う。

 以前、ルカが背中に龍鞭を受けたとき、アテネは水の膜で傷を覆って止血をしたことがある。

 ルカはそれによって一命を取り止めたのだ。

 医師のマリーンいわく、簡単に出来る技ではなく、高いエーテル干渉能力を持つアテネだからこそ可能だったと聞いた。

「これでいいですか?」

 汚れや、膿みが綺麗に洗い流された。

「完璧だ。脚を押さえててくれ」

「はい!」

 ルカはナイフを手に、テュッティを見やる。

 手ぬぐいを噛み締めたテュッティは、やるなら早くやりなさいと言いたげな表情でこちらを睨んでいた。

「いくぞ」

 腫れ上がった傷口にナイフを向け、一瞬で二センチの切り込みを入れた。

 バッと赤黒い濁った血が吹き出し、テュッティは苦悶を圧し殺す。

 濁った血は、瘴気によって汚れた血であり、ルカはしばらく血が流れるままにする。

 赤黒い血はすぐに、真っ赤な血に変わった。

 悪い血が全て吐き出されたのだ。

「よし、傷の中を洗浄してくれ」

「わかりました」

 アテネの水により血が流されると、傷口の奥に僅かに残った『木片』をルカの瞳は捉えた。

 ナイフを再び傷口に突き立て、周囲を傷付けないよう木片をえぐり出す。

「んんん―――――――ッ!!」

 痛みに叫び、涙で濡れた真紅の瞳でこちらを睨むテュッティ。

 その瞳には、感謝は欠片もなく、怒りと憎悪が渦巻いていた。 

 ルカはそれで構わないと思った。

 元々、感謝して欲しくてやっているわけではない。 彼女が海賊である限り、いずれ刃を交える敵となるだろう。

 だが、それでも、己が心に恥ずべき行いはしたくなかった。

 ルカはもう一度、アテネに傷口の洗浄を頼むと、外に出てボコボコ沸騰する湯の中から、針と糸を取り出す。

 傷口を縫い終わったころには、テュッティはぐったりとしていた。

「これで幾らかはマシになるだろう」

「傷口の保護は、私に任せて下さい」

 アテネは水の膜を作り出して、テュッティの傷口に張り付ける。

「無理に剥がさない限り、半日は持ちます。包帯のかわりにはなると思います」

「助かる」

 そのあとも、二人の看病を続く。

 アテネが水樽を凍てつかせ、そこで冷やした手ぬぐいをテュッティの額に乗せる。

 マンゴーをすり潰した果実水を竹筒に入れ、いつでも飲めるよう氷の浮かぶ樽で冷やす。

 気が付けばテュッティは寝息を立てていた。

「気丈な女だ」

「あの痛みの中で、身体をピクリとも動かしませんでした」

「今のうちに、霊薬の材料を集めよう」

「はい!」


   ◇

 

 ルカとアテネは霊薬の材料を求めて森へ踏み入る。

 アテネの知識を頼りに、色んな種類の薬草、キノコに、木の実、樹木の皮など、様々な材料を集めた。

「以外と普通の材料なんだな」 

「一体どんな材料を想像していたんですか?」

「竜の胆とか、悲鳴をあげる根っことか、もっとこう……怪しげなものをだな」

「悲鳴をあげる根っこ……マンドラゴラのことですか?」

「そう、それだ」

 ルカがそう言うと、アテネはクスクス笑いだす。 

「笑いすぎだぞ」

「ごめんなさい。でも、ルカが私と全く同じことを考えていたのが面白くて」

「なんだ、アテネもそう思っていたのか」

「はい。霊薬はとても怪しげな材料を、怖い魔女さんが大釜でグツグツ煮て作ると思っていました」

「鼻の曲がった魔女だろう?」

「ええ、その通りです!」

 生まれも育ちも違うのに、共通した思考を持っていたことが、可笑しくてどこか心地よくて、二人は声を揃えて笑う。

「あ、有りました! その苔を採取して下さい」

「これだな」

 ルカは枯れた大樹にむした苔を、ナイフでこそぎとり竹筒に入れる。

「今ので全ての材料が揃いました。急いで拠点に帰りましょう」

「ああ、急ごう!」

 森から太陽を見上げれば、すっかり昼になっていた。



 拠点に戻ったアテネはさっそく霊薬の調合をはじめた。

 ルカはアテネの指示通り、薬草ごとに乳鉢で磨り潰し、木の実は中の種だけを取って、それも磨り潰していく。

 苔や木の皮などは、成分を抽出するため聖霊術で生み出した水に浸す。

 ただの苔にしか見えなかったが、アテネが生み出したエーテルを潤沢に含んだ水に触れた途端、真っ赤な色素が染み出した。

 アテネは真剣な表情で、作業を続ける。

 なんだかんだいっても、朝食も昼食も取らずに、敵であるはずのテュッティを助けるために力を尽くすアテネ。

 ルカは、この清らかな心こそが、アテネが持つ最大の宝だと思っていた。

「これで下準備は完了です。あとは、手順を間違えずに配薬していくだけなんですが、分量を正確に測る機材がありませんので調合にはもう少し時間がかかると思います」

「わかった。手が必要なら呼んでくれ。俺はアイツの様子を見てくる」

「はい!」

 と、アテネは返事をした。

 ルカはテントに入る。

 ベッドで横になるテュッティは、荒い息を吐きながら、苦しげに胸を押さえていた。

「高い熱が続いているな……」

 頭の手ぬぐいをとったルカは、氷の浮かぶ樽に浸して絞り、再びテュッティの額に乗せる。

「ッ」

 ひんやりとした感覚に、テュッティは薄く目を開いた。

「気が付いたか?」

「…………」

「安心しろ。もうすぐ薬が出来る。さぁ、少しでいいから水分をとれ」

 テュッティを抱き上げ、口元に竹筒を持っていく。

 ほとんどがこぼれるが、なんとか一口だけても水を飲み込んだ。

「もっと飲むか?」

 テュッティは力なく首を振る。

 ベッドに横たえると、意識を失うように眠りに落ちた。

「不味いな……」

 思った以上に衰弱が激しい。

 昼を過ぎて気温が上昇し、テントの中は決して快適とはいえない状態になっていた。

 この蒸し暑さが、体力を奪っているのだ。

 このままでは霊薬の完成したとしても、テュッティの体力が持たないかもしれない。

「――――」

 ルカは刀を手に取ると、鞘のまま地面に立て、精神を集中させる。

 ふわりと、風が舞い上がった。

 聖霊器を持たないルカは、アテネやテュッティとは違い、簡単に聖霊術を行使出来ない。

 この刀――《黒刀・闇一文字暗月》は、聖霊器に匹敵するエーテル干渉能力を持つが、その本質は人殺しの道具であり、その真価は斬ることにのみ発揮される。

 もしこれが風の聖霊器なら、テントの温度を一定に保ち、清らかな風で満たすことも可能だっただろう。

 たが、ルカに出来るのは、そよ風を生み出すぐらいであった。

 テュッティの体力低下を防ぐため、ルカの看病は続く。

 定期的に頭のタオルを氷水で冷やし、風を循環させてテントの温度を下げる。

 こうして、一時間あまり経った頃。

「出来ました、ルカ! ポーションの完成です!」

 アテネが光り輝く竹筒を持って、テントに飛び込んできた。

「でかしたぞ、アテネ!」

「急いで調合したので、まだ僅かな量しかありません。こぼさないように飲まして上げてください」

 渡された竹筒の中には青い液体が光を放つが、その量はアテネの言う通りごく僅かであった。

「薬だぞ。飲めるか?」

 テュッティの身体を起こしたルカは、口元に竹筒を持っていく。

 だが、高熱で意識が混濁しているのか全く反応を示さない。

「テュッティ! しっかりしろ!」

 何度も名を呼ぶが、テュッティはぐったりしたままで、体内のエーテルの流れがみるみる弱くなっていく。

 ルカの瞳には、命の灯が、今にも燃え尽きてしまいそうに見えた。

「アテネ、目を閉じててくれ」

「え?」

「頼む」

「わ、わかりました」

 アテネは慌てて目を閉じる。

 ルカはそれを確認すると、竹筒に入ったポーションを自分の口に流し込み――テュッティに『口付け』をした。

「んっ」

 と、こじ開けたテュッティの唇をから吐息が漏れる。

 ルカは口移しでポーションを飲ませていく。一滴もこぼさないよう、少しずつ、少しずつ。

 コクリとテュッティの喉が動き、ポーションが嚥下されていった。

 体内に取り込まれた霊薬によりエーテルが活性化され、目に見えてテュッティの表情から苦しさが消えていく。

 やがて、意識を回復したのか、テュッティがスッと目を開いた。

「!?」

 驚愕に見開かれる真紅の瞳。

 反射的に顔を逸らそうとするのを、頭を押さえて封じる。

 まだ、全てのポーションを飲ませた訳ではない。

 ルカは己の目的を果たすために、閉じかけた唇に舌を割り入れる。

「ん――――ッ!?」

 くぐもった悲鳴に、力なく押してくる腕を無視して、ルカはテュッティの咥内に霊薬を注ぎ入れる。

 テュッティは帆のシーツをギュッと掴み、口移しで霊薬を飲まされるたびビクビクと身体を震わせた。

 激しかった抵抗は徐々に薄れ、最後はくたりと無抵抗になる。

「これで全部だ」

 全ての霊薬を飲ませたルカは、口を離してテュッティをベッドに横たえる。

「はぁ、はぁ……」

 長い口付けで息もままならなかったのだろう。

 テュッティは荒く呼吸をしながら、真っ赤な顔でこちらを睨んでいた。

 だが、その眼光にいつもの鋭さはない。

 戸惑いと、不安、そして、僅かな恐怖が見え隠れしていた。

「手荒に扱ってすまない。だが、霊薬を飲ませるにはああするしかなかった」

「……霊、薬?」

 テュッティは茫然とした様子で呟くと、ルカが手にする竹筒を見やる。

「お前を救うためにアテネが調合したんだ。少し、楽になっただろう? 身体のエーテルの流れが見違えるようだ」

 今にも止まりそうなエーテルの流れが、凄まじい勢いで身体中を駆け巡っている。

 まだ安心は出来ないが、峠は越えただろう。

 ルカは地面に落ちたタオルを拾うと、氷水に浸して絞り、テュッティの額に乗せるが、

「ぜ、絶対に……絶対に……殺してやる……ッ」

 テュッティは唇を両手で押さえ、そう繰り返す。

「なら、さっさと元気になることだ」

「殺してやるんだから……」

 テュッティは真っ赤な顔を隠すように、そっぽを向いた。

 と、

「ルカ……まだ目を開けてはいけませんか?」

 後ろから声がかかった。

 振り返れば、アテネが目を閉じたままで、ちょこんと正座している。

 こちらの言い付けをきちんと守って、目を閉じ続けていたのだ。

「ああ、もういいぞ。すまなかったな」

 ルカはそう言って、アテネの頭を優しく撫でる。

 アテネはふにゃりと相互を崩すと、顔をそむけるテュッティに視線を向けた。

「霊薬の効果はあったのでしょうか?」

「際どいところだったが、一命は取り止めた。あとはこいつの体力次第だ」

「よかったです」

 アテネは安心したように、胸を押さえる。

「霊薬のこともそうだが、アテネには助けられっぱなしだな」

「いいえ、助けられたのは私の方です。あの時、憎しみに駆られて彼女を見捨てていたら、心に一生消えるのことのない後悔を残したでしょう」

「アテネ……」

「それにルカのいう通り、この島では海軍も海賊もありません。わだかまりは捨て、力を合わせ、皆でここを楽園にしましょう」

「ああ!」

 アテネの提案に、ルカは力強く頷いた。

 すると、

「ですが、一つだけ……絶対に譲れないものがあります」

 アテネはそう言って、ルカではなく、真剣な表情でテュッティに向き直る。

 そのただならぬ様子に気が付いたテュッティも、アテネを見やる。

「なによ……?」

「ルカは、ルカだけは……絶対に譲りませんから!」

 目を閉じていても、恋する少女は全てを理解していた。

 例えそれが医療行為だとしても、胸に燃え上がる嫉妬の炎は消せはしないというように、アテネは宣言する。

「上等じゃない。私を助けた事……絶対に後悔させてあげるわ」

 対するテュッティは、横になったままではあったが、つい先ほどまで半死半生だったとは思えないほどの眼光でアテネを睨みつけた。


 アテネとテュッティは、バチバチと視線の火花を散らせる。

 間に挟まれたルカは、蛇に睨まれた蛙のように、渋面に油汗をかくのであった。 











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