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「おはようございます、ルカ!」

 アテネの元気な挨拶が、さわやかな朝空に響き渡る。

 互いを意識するあまりぎこちなかった関係も、昨日の夜を経て、完全に元通りとなっていた。

 いや、以前よりも二人の距離はグッと縮まっている。

 今も天真爛漫なアテネの笑顔には、どこか甘えるような雰囲気があった。

「早いな。もう、起きていたのか」

「お腹がすいて目が覚めてしまいました」

 アテネは恥ずかしげにお腹を押さえる。

「それなら、遠慮せずに起こしてくれれば」

「いいえ、起こすなんてとんでもありません。だって……凄く気持ちよさそうに寝ているんですもの」

 アテネは嬉しそうに微笑むが、

「そ、そうか」

 昨晩の情事を思い出したルカは、照れ臭そうに頬をかくしかなかった。

 どうやら自分は、あのまま眠ってしまったようだ。

「可愛い寝顔でしたよ」

「降参だよ。そろそろ勘弁してくれ」

 にこにこ笑うアテネに、ルカは両手を上げてそう言った。

 ふと、丸太のテーブルにに並べられたピンク色の大きな貝が目に入った。

「あれは?」

「海で捕ってきました。コンク貝と呼ばれるカリブ特有の大きな巻き貝です。とっても美味しいんですよ」

「食糧の調達までしてくれたのか。ありがとう、アテネ」

「ルカを喜ばせようと頑張りました。その……褒めてくれますか?」

 アテネは両手を後ろで組むと、頭を撫でて欲しそうにモジモジする。

 素直に甘えるアテネが、無性に愛おしい。

「よしよし、偉いぞ」

 ルカは子犬を撫でるように、アテネの頭をぽむぽむした。 

「えへへ……ルカにこうしてもらうのが癖になりそうです」

 アテネは頬を赤く染めて、幸せそうに顔をほころばせる。

 と、

「調理は俺がしよう。火はまだ起こしてないんだろ?」

「挑戦しましたが、全然上手くいかないんです……」

「なら、貝を焼く間に教えよう」

「ルカは火起こしの教育係りですね」

 アテネは楽しげに言う。

「火花をただ薪に散らしただけでは、火は着かないんだ」

「え、そうなのですか?」

「こんな風に先を焦がした縄や、ほぐした綿。動物の毛などの発火しやすいものを、火花が乗り移る『火口ほぐち』にするんだ」

 ルカは火打ち石をカチンと叩き、鮮やかな火花を咲かすと、一発で焦がした縄に火種をつけた。

 火種に息を吹きかけ、温度の上がった火種を枯れ草に移す。まるで聖霊術のように枯れ草がボッと燃え上がり、ルカはそれを薪の中に放り込んだ。

 あっという間に焚火の完成である。

「こんな感じだな」

「なるほど、物質の発火温度の違いという訳ですか……」 

「やってみるか?」

「はい!」

 アテネは四苦八苦しながら、何度も火花を飛ばす。

 理論では理解出来ても、実践となると上手くいかないのだろう。

 それを優しく見守るルカは、コンク貝を焚火の周りに並べながら呟いた。

「アテネと一緒なら、自給自足の無人島生活も悪くないな」

「こういうと不謹慎かもしれませんが、実は私……無人島での生活に憧れていたんです」 

「どうしてまた?」

「あの牢獄では、知識を得るために専門書を読む日々でした。そんな時、クロエが一冊の『絵本』をくれたのです。難しい本ばかりじゃつまらないでしょといって」

 絵本は『ロビンとパンのなる木』というタイトルで、無人島に漂流した少女が、様々な気転と工夫で無人島を楽園に変えていくストーリーとなっていた。

「私は夢中になって、何度も何度も絵本を読み返しました。この牢獄から逃げ出して、私もロビンのように無人島を楽園にするんだと。そして、お母様を呼んでずっと一緒に暮らすんだと、そんなことを夢みていました」

「その絵本がアテネの支えになっていたんだな」

「辛い現実から逃げ込む場所が出来たのは、私にとって大きな救いでした。それからです。学ぶのが楽しくなったのは。誰のためでもない。自分の夢のために様々な本を読んで勉強したんです」

「無人島を楽園にするために?」

「ふふ、その通りです」

 子供の頃、ルカも自分だけの秘密の隠れ家を作ったことを思い出す。

 アテネの夢もまさに、それと同じだろう。

 屋根裏に作った秘密の隠れ家は今頃どうなっているだろうと、ルカは故郷に想いを馳せる。

 と、その時。

「つ、着きました! 火が着きましたよ、ルカ!」

「よくやったな、アテネ!」

 二人は手を掲げてハイタッチを交わす。

「ルカと出会えて本当によかった。こんな風に何もかもが輝いて見えるのは……ルカが側にいるからです」

 アテネは煙が上がる火種を、まるで宝物のように見つめる。

「俺も同じ気持ちだよ。アテネに命を救われたあの日から、俺の世界はどんどん広がっていく。今もそうだ。アテネの知識がなければこんな立派なテントで寝ることも、多様な食材を確保するのも無理だった。アテネは俺にとって……幸運の女神そのものだ」

「私達はまるで、リーヴとリーヴスラシルのようですね」

 アテネは頬を赤らめながら言った。

 コロンビアでは『アダブ』と『イブ』とも云われ、大和の国では『イザナギ』と『イザナミ』と呼ばれる、《神々の黄昏》のあと再び人類をふやすように定められた一組の男女の名だ。

「なら、さしずめこの島はホッドミーミルの森(・・・・・・・・・)という訳だな」

 ホッドミーミルの森とは、《神々の黄昏》と呼ばれる終末戦争の際に、天地を滅亡させる炎から焼け残った唯一の森の名で、世界樹ユグドラシルの別称とも云われていた。

 この森に住まう一組の男女こそ、リーヴとリーヴスラシルである。

「はい!」

 アテネは嬉しそうに頷く。 

「なら頑張ってこの島を楽園にしないとな!」

「ええ、頑張りましょうね!」

 こうして、ルカとアテネは焼き上がったコンク貝を食べ、無人島生活の二日目を開始した。


   ◇


「今日は、畑を作ります!」

 メイド姿のアテネが食糧担当大臣の威厳たっぷりに、両手を腰に当て言った。

「パママ芋とトウモロコシだな」

「畑はここがいいですね。日当たりもいいですし水場も近いです。周りの木々が強風を防いでくれますし、長年の腐葉土層で土も柔らかくて、栄養満点です」

 拠点から少し歩いたところに、森が大きく開けている場所がある。

 アテネはその真ん中に立つと、精神を集中。

 バチリ――と、雷光が炸裂し、白銀のソールレットを履く右足を掲げると、

「やぁあああああああああッ!!」

 全身からエーテルを解き放ちながら、大地を踏みしめる。

 凄まじい震脚が大地を駆け抜け――直後、地面がめくれ上がるように大地が放射状に噴出した。

「相変わらず、信じられない脚力だな」

 船の分厚い甲板を蹴り抜き、鋼よりも硬いクラーケンの鱗を打ち砕いただけはあると、ルカは感心する。

「はい、脚には自信がありますよ!」

 アテネは自慢の脚を見せつけるようにお尻を向けると、こちらへ可愛らしくピースした。

 その際、非常に短い丈のスカートがふわりと舞い上がり、可憐なロイヤルブルーの下着が見えてしまう。

「きゃ!?」

 小さな悲鳴を上げて、アテネは慌ててスカートを押さえた。

「……確かに、いい脚だな」

 プリンとしたお尻を見つめながら、ルカはうんうんと頷いた。

「も、もう……からかわないで下さい!」 

 アテネは頬を赤くして、こちらを振り向いた。

 と、 

「こ、こほん……では、気を取り直して作業に取り掛かりましょう」

「何をすればいい?」

「私の蹴りで土は大きく攪拌され、耕されています。なので、今から整地をします」

 整地とは、畑を平らにならし、植える作物に適した形に整える事を言う。

 土を耕し柔らかくするのも重要だが、整地は畑にとって最も重要な土台に当たる部分だ。

 整地を怠れば、水が満遍なく行きわたらず、さらに水はけが悪くなる。

 そうなれば、作物の育成に悪影響が出るだけではなく、最悪、根が腐って作物自体が駄目になる可能性があった。

「整地した後は、パママ芋とトウモロコシを交互に植えます」

 アテネが石や木の根などを取り除き、ルカがスコップで土を整えていく。

 スコップは輸送ボートに備え付けられた軍用の物だ。

「別々じゃなく交互に植えるのか?」

 手を動かしながら、ルカは尋ねた。

「はい。コンパニオンプランツといって、混成栽培する事で互いの作物が協力しあって大きくなるのです」

「畑一つとっても奥が深いんだな」

「トウモロコシは大地のエーテルをよく吸って育ちますが、大地を弱らせます。逆にパママ芋は弱った大地の方が育ちがよくて、エーテルに干渉して大地を豊かにする力を持っているのです。ですから、この二つはとても相性がいいんですよ」

「凄い知識だな」

「これは全部……本で得た知識です。私自身は土いじりをした事もありません」

 アテネは恥かしそうに言うが、ルカは首を左右に振って答えた。

「知識があればこそ、こうやって畑を作れるんだ。もっと自信を持て。アテネが頭脳なら俺は手足さ」

「ふふ、私達はトウモロコシとパママ芋のように相性抜群ですね」

「ちなみに、どっちが芋なんだ?」

 スコップを土に突き刺しながら、ルカは目を細めて問う。

 アテネは楽しそうにクスクス笑うと、

「安心して下さい。私、どっちも大好物ですから!」

 と、元気よく言った。

 そんなやりとりをしながら、二人は作業を進めていく。

 土が柔らかいので比較的楽だが、クワなどの専用の農機具がないため、耕す面積を考えれば一日仕事になるだろう。

 スコップは一本しかないので交代しながら作業を進め、休憩の合間に食糧確保にも向かう。

 アテネは沢山の種類の野草や果実を手に入れ。

 ルカは森の奥で、鶏を大型にしたような妙にぶさいくな鳥(・・・・・・)を捕まえた。



「わわ! 七面鳥ターキーではありませんか!?」

 アテネは驚いた顔で言った。

「七面鳥?」

「コロンビアでは、お祝いの日などに好んで食べられるご馳走ですよ!」

「そうなのか。森の奥に沢山居たぞ」

「た、たくしゃん!」

 アテネは目をハートにして、口からよだれを垂らす勢いで七面鳥を見やる。

「お、落ち着け、アテネ」

「いいえ、これが落ち着いていられますか! 大発見ですよ、ルカ! 七面鳥が群生しているなら畜産が可能になります! 栄養豊富な肉や卵が安定して手に入るんですよ!」

「七面鳥を捕まえたあとだから、見逃してやったが牛もいたぞ」

「す、凄い! 今この瞬間、この島で農業革命が起きました!」

 アテネは跳び跳ねる勢いで喜ぶ。

 牛肥がどうとか、牛耕農法がどうとか、アテネの知識の泉はこの島を楽園にすべく様々な計画を立てていく。

 そんなアテネの姿をルカは微笑ましく見つめながら、一点気になることを考えていた。

 この島は、間違いなく無人島だろう。

 人が住んでいれば、人が住んでいる『気配』がするものだ。

 例えば、焚き火一つでも煙が上がる。

 煙は何キロから先でも見つけることが出来のが、そういった痕跡は全くない。

 その半面、人がいた気配は残っていた。

 何故なら、先にルカが見つけた不細工な鳥も、逃がした牛も、全く人を恐れず、それどころかこちらを見たら無警戒に近付いて来たのだ。

 島の固有種ではなく、外から持ち込まれた外来種。

 しかも、家畜の類いではないだろうか?

 もしかしたら、この島は貿易海路の『補給基地』なのかもしれない。

 数週間、数ヶ月に及ぶ航海では、予想だにしない様々なトラブルが起きる。

 そうした際に道中の島などに寄って、水や食糧の補給や、船の修理するための木材を切り出す場合がある。

 補給基地は、次に来たときのために家畜が放牧されていたり、自生しやすい植物を植えたりする。

 ルカも奴隷時代に、何度か補給基地である島に寄った経験があった。

(もし、ここが補給基地だとしたら、数ヶ月の間に立ち寄る船があるかもしれない)

 ルカはこの事を話そうかと思ったが、二人の生活をより良くするため、楽しそうにあれこれ考えるアテネの姿に口をつぐんだ。

(勘違いで、ぬか喜びさせるだけかもしれないしな)

 それにルカ自身も、アテネと二人だけの無人島生活を気に入っていた。

「なぁ、アテネ。明日は島を探検しないか?」

 ちゃんと話すのは、探検の結果を見極めてからにしようとルカは決めた。

「探検! いいですね! 是非、行きましょう」

 アテネはキラキラと目を輝かせる。

 昼食はアテネがとってきた果実を食べて、夕方まで作業を続けた。

 七面鳥は夜のご馳走である。

 耕した土は、一日をかけて天日に晒す。

 掘り返した土の中には、虫や、虫の卵など、畑の害になる存在がいるため、太陽の光で退治してしまうらしい。

 作物を植えるのは明後日になる。

 拠点に帰る途中で交代で水浴びをして、一日の汗と汚れを洗い流した。



「いい汗かきましたね!」

 拠点に戻って来たアテネは、微かに濡れる髪を拭いながら言った。

「気持ちいい労働の汗だな」

「お腹がペコペコですよ」

「七面鳥は、どう食べるのが旨いんだ?」

 ルカが尋ねる。

「じっくり丸ごとローストするのがいいと思います。中に香味野菜などを詰めるのが一般的ですね」

「よし! 今夜は腕によりをかけるか!」

「私もお手伝いします!」

 ルカとアテネはさっそく調理を始めた。

 と、

「火起こしは、私にやらせて下さい!」 

「ああ、頼んだ。俺は七面鳥を捌いておくよ」

「はい!」

 アテネは早速、火起こしの準備をする。 

 ルカは七面鳥の羽をむしると、内臓を綺麗に取り出し、中を海水で洗ったあと、アテネがブレンドしたハーブソルトを揉みこんでしばらく寝かせる。

 その頃になると、パチパチと火の粉が上がり、焚火が大きく燃え上がっていた。

「偉いぞ。ちゃんと火を起こせたじゃないか」

「えへへ。ルカの教えのおかげです。次は何を手伝いましょう?」

「ソースに使う果実のピューレを頼もうか。マンゴーとブラックベリーをすり潰してくれ」

「はい!」

 すり潰すのに使うのは、ルカとアテネが二人で作った『乳鉢』だ。

 浜辺で見つけた鮮やかな黒の御影石を、ルカが正方形に斬り、アテネが水流で綺麗に磨いてくり抜いた逸品である。

「味の基本は、甘味、塩味、酸味、苦味、旨味から出来ている……か」

 ルカは料理を、奴隷仲間のサマンサから教わった。 

 教わったといっても実際に作ったわけではない。

 奴隷に与えられる食事は、歯が折れそうに固い干し肉や、蛆が沸いた乾パンに、萎びた豆を炊いたものぐらいだ。

 絶望的に不味い飯を少しでも華やかにしようと、奴隷の中でも一番ふとましいサマンサが様々な料理の味と、その作り方を、下ごしらえから、隠し味に加え、どうしたら美味しくなるのかをそれは雄弁に語ってくれた。

 サマンサは奴隷となる前は、大きな屋敷の料理番を務めていたらしい。

(何年も聞かされたおかげで、すっかり覚えてしまったよ、サマンサ)

 ルカは心の中で呟きながら、七面鳥の内臓を、レバーやハツ、砂ずりなどの食べらる部分だけ取り出していく。

 海水でよく洗った内臓は細かく刻んで、すっかり鍋がわりになった真銀製の兜で、数種類の生ハーブや、ガーリックと一緒に炒めていく。

 内臓の油がじわりと染み出し、ハーブと混ざって香ばしい匂いが漂う。

 塩で濃いめに味付けしたところで、アテネがすり潰したマンゴーとブラックベリーを持ってやって来た。

「出来ましたよ、ルカ!」

「ありがとう、アテネ」

 果実のピューレと、赤ワインを鍋に注ぐ。

 しばらく煮てとろみがついたら、手ぬぐいを使ってソースをこししていく。

 これで、特性ソースの完成だ。

 残ったソースの具は七面鳥の腹に詰めて、竹で作った爪楊枝で穴を閉じる。

 あとは、竹で組んだ焼き台に串刺しにした七面鳥を置いて、焼き加減を見ながら全体にまんべんなく火を通してくだけだ。

 時折、ハーブを束ねた刷毛はけで、乾燥しすぎないようソースを七面鳥に塗っていく。

 肉とソースが焼ける芳醇な香りが、辺り一杯に立ち込め、たまらない気分になってくる。

「今夜は豪華なディナーになりそうだな」 

「私達は無人島に漂流したのではなくて、バカンスに来ているに違いありません!」

 アテネは焼けていく七面鳥に釘付けになりながら、興奮気味に言った。 

「ははは、そいつは傑作だ」

 ルカは大笑いする。

 アテネも釣られるようにクスクス笑うと、

「ロビンとパンのなる木でも、こんな素敵な光景はありませんでした」

 と、言って、満点の星が広がる夜空を見上げた。 

「これから、もっともっと素敵な光景を作っていこう。俺達二人でな」

「――――はい!」

 アテネは輝くような笑顔で頷いた。

 


「そろそろ、脚は食べごろだろう」

 一時間ほど、じっくりローストした七面鳥からはジュウジュウと肉汁が滴る。

 七面鳥の中でも、最高に美味とされる脚を切り取ると、ティーリーフの器に乗せてアテネに差し出す。

 さらに、上から特製ソースをかければ完成だ。

「ふぁ、とっても美味しそうです❤」

 アテネは瞳にハートを浮かべて、両手を合わせる。

「予想以上の出来栄えだな」

「頂ましょう、ルカ!」

「ああ、食べよう」

 二人は女神への感謝ともほどほどに、さっそく焼きたてのターキーにかぶりつこうとする。

 だが、その時。

 微かにザリッと砂を踏みしめる音がして、ルカは何者かの接近に気が付く。

 海岸線の岩場で、一瞬何かが動いた。

(あれは――――ッ!?)

 例え一瞬でも、この暗闇の中でも、ルカの瞳は確かにその『相手』を捉えていた。

 だが、

(何故、奴がここに?)

 ルカは一瞬見た人影に、見覚えがあった。

「アテネ!!」

 緊迫したルカの声に、お肉にかじりつこうとしていたアテネは、

「は、はひッ!?」

 と、目を白黒させて返事をする。

「ここで待っていてくれ、俺が戻るまで絶対に動くな」 

「る、ルカ!?」

 ルカは刀を取って立ち上がると、岩場の方向へ気配を殺して駆けだした。


   ◇


(この裏に間違いなく……いる!)

 足音を立てないよう大きな岩まで来たルカは、敵の気配を確信する。

 いつでも全力で斬りかかれるよう、刀の柄に手を置いて、相手方の出方を伺う。

 だが、敵も然る者。

 岩を挟んで微動だにしない。

 先手必勝だと判断したルカは、四肢に力を漲らせ、一気に踏み込んだ。

 放つは鞘走りからの、神速の抜刀術。

 夜の闇を切り裂くような一撃は、狙いたがわず岩の影に潜む『敵』に降り下ろされるが――

「ッ!?」

 ルカはギリギリの所で刃を止めた。

 何故ならそこに居たのは、岩に持たれるように崩れ落ちる一人の『少女』で、目に見えて衰弱しているからだ。

 まるで今まで海を漂流していたかのように、全身ずぶ濡れで、顔は血の気が引いて青ざめていた。

 とても戦える状態ではない。

 ルカは刀を鞘に納めると、その場に膝を着き、相手の状態を確認するため手を伸ばす。

 こちらの気配に気が付いたのか、少女は力なく目を開くと、

「ふふ、お前の……幻覚を見るなんて、いよいよ、私も年貢の納め時かしら……」

 混濁した瞳で、力なく笑う。

 ルカは少女の頬に触れた。

 酷く体が冷えていて、今にも意識が途切れそうだ。

 ここで意識を失えば、もう目覚めることはないかもしれない。


「何があった、エドワード・テュッティ! どうしてお前がここにいる!?」


 ルカは大きな声で叫ぶと、テュッティの頬を両手で挟んだ。 

 そう。目の前で衰弱した少女こそ、カリブの海を震撼させる大海賊であり、何度も死闘を繰り広げた強大極まる《黒髭》――その人であった。

 だが、そのテュッティは今や見る影もないほどボロボロで、今にも命の灯が燃え尽きそうなほど弱っていた。

「テュッティ!」

 手から感じるルカの熱に、テュッティは呆然とした表情から、徐々に正気を取り戻す。

「――――ル、カ?」

 混濁した瞳が真紅の輝きを取り戻し、次の瞬間、テュッティが右手に持つ龍鞭を振るおうとする。

 だが、ルカはテュッティの右手首をつかんで動きを封じた。

「はな、せ! 私に、触、るな……ッ」

 テュッティは憎々しげに吐き捨て、真紅の瞳でルカを睨み付ける。

 衰弱してなお、眼光の鋭さには陰りはない。

 だが、かつての彼女を知るルカは、それが精一杯の虚勢だとわかるのだ。

「もう一度聞く、何があった?」

「何があったか……ですって? お前を、殺すために……私は……私は……ッ!」

 と、その時。

 テュッティのお腹が、キュルルルル――――と、空腹の悲鳴を上げた。

 羞恥と絶望、そして、憤死せんばかりの怒りを顔に浮かべたテュッティは、左の拳を握りしめ、それを自分の腹に振り降ろした。

 何度も、何度も、まるで情けない己の腹を壊してしまうかのように。

「止めろ。女が腹を叩いてどうする! 子が産めなくなるぞ!」

 ルカは左の手首をつかんで、テュッティを押さえ込む。

「くっ……陸の男のような……物言いをッ!」

 テュッティはしばらく抵抗したが、衰弱した身体に両手を防がれ、なす術なくうなだれた。

「殺しなさい……」

「腹が減るのが、そんなに恥ずべきことか?」

「殺しなさい……ッ!」

「弱ったお前を斬って、何になる? 戦えない者を斬るのは戦士の恥だ」

「ッ、言って……くれるじゃない……」

 テュッテは悔しげに唇を噛む。

 青紫になった唇が裂け、真っ赤な血がルージュのように広がる。

「何を聞くにも、まずは腹ごしらえか」

 ルカはテュッティを肩に担いで立ち上がる。

「な、なにを!?」

「とっておきのディナーの最中なんだ。特別に招待してやるよ」

「お、降ろしなさい!」

「黙っていろ。舌を噛むぞ」

 ルカは暴れるテュッティを抱えたまま拠点に戻る。

   

   ◇


 双銃を構え戦闘体勢のアテネは、暗闇にルカの姿に気が付くと、

「ルカ! 何があったんですか?」

 銃を下ろして、駆け寄ってくる。

「何があったかは、これから聞くところだ」

 ルカはそう言って、肩に担いだテュッティを地面に下ろした。

「――――ッ! あなたは!?」

 殺気立つアテネに、テュッティもまた紅の瞳に剣呑な光を称える。

「どういうことですか、ルカ! 説明して下さい!」

「浜辺に落ちてたんだ」

「へ、へんなもの拾っては駄目です!」

「腹を空かせて衰弱している。ほっておけば死ぬだろう」

「ですが、彼女は海賊です! 私達の仲間を何人も殺めた敵です!」

「わかっている。俺も、仲間を殺した海賊への憎しみを忘れることは出来ない。挑んで来るなら容赦なく斬って見せよう」

「なら!」

「だが、例え敵だとしても、目の前で死にかけている者を見捨てることは出来ない」

 惻隠の心は仁の端なり――他人のことをいたましく思って同情する心は、やがては人の最高の徳である『仁』に通ずるという意味で、剣の師からの教えであった。

 剣を持って人を斬るのなら、どんな時でも憐みの心を忘れてはならない。

 もし、それを無くして斬るだけの存在となり果てたなら、それは『鬼』と変わらぬと。

「ルカは、甘すぎます……」

「……すまない」

「納得はしていません。でも、ルカの優しさに私は何度も救われました。だから、今回は目をつぶります」

「ありがとう、アテネ」

 と、その時。

 キュルルルル――――と、お腹の音が鳴り響く。

「わ、私じゃないから!」

 と、真っ赤な顔でテュッテが吠え。

「わ、わわ、私でもありませんよ!」

 アテネもそう言って、二人は揃ってお腹を隠す。

「俺だよ」

 ルカは苦笑いすると、テュッティの前に膝をついて顔を合わせる。

「今のお前は、海賊でも、黒髭でもない、ただのテュッティだ。この島を脱出するまでは協力しろ」

「島から出たあとは……?」

「好きにすればいい」

 ルカは自分の分である七面鳥の脚と、竹筒に入った温かいハーブティを差し出した。

「……これは?」

「食え」

「この世のあらゆる贅を食べ尽くした私が、奴隷のお前なんかの施しを――」

「黙って食え」

「ふん」

 テュッティはツンとした態度で七面鳥を手に取ると、ゴクリと唾を飲み込み一口かじる。

 次の瞬間。

「――――ッ!?」

 言葉を失ったかのように、テュッティは大きく目を見開いた。

「美味いだろう?」

「く、空腹は最高のスパイスってだけよ……ッ……」

 テュッティはそう呟くと、両手で肉を持ち、恥も外聞もなく食らい付く。

 真紅の瞳から、次々に涙がこぼれ落ちた。

 これには敵愾心を抱いていたアテネも毒気を抜かれたような表情となり、むしゃむしゃと肉をほおばるテュッティに、対抗するように自分も七面鳥にかじりつく。

「ッ!? お、美味しい! こんなに美味しいターキーは初めて食べますよ!?」

 アテネはあまりの美味しさに感動したように、頬を紅潮させた。

「驚くのはこれからだぞ」

 ルカはよく焼けた七面鳥を、石のまな板の上に置いた。

 ナイフを取り出し、皆が注目を集めるなか、まん中から腹を切り開く。

 次の瞬間。

 吹き上がる湯気と共に、芳醇な香りが爆弾のように炸裂した。

 じっくりとローストされたターキーの中に詰められたソースの具材が、あふれでる肉汁と渾然一体となって放たれたのだ。

 外はパリッとして、中はとろとろに蒸されて、柔らかな肉が艶々した光沢を放つ。

「こ、これは!?」

「ゴクリ」

 アテネが目をキラキラさせ、テュッティも同じように表情で唾をのみ込む。

「改心の出来だな」

「凄いです! ルカは一流のコックさんですね!」

「テュッティ、お前も遠慮せずに食べろ。その代わり、食った分は働いて貰うからな」

「くっ、わかったわよ……!」

 テュッティは、悔しい、でも、美味しそうといった表情で七面鳥を見つめる。

 こうして、ルカとアテネの豪華なディナーは、途中から《黒髭》という珍客を交え、丸々太った七面鳥が骨となるまで続けられた。


   ◇


「むにゃ、もう食べられないです……」

 慣れない畑仕事で疲れたのだろう。

 アテネはお腹が一杯になると眠くなったのか、丸太椅子に座ったままコクリコクリと船を漕ぎ出す。

「寝るならベッドで寝ないと駄目だぞ、アテネ」

「ん~……連れて行ってくださしゃい」

 眠くなると途端に子供っぽくなるアテネ。

 本来なら頬が緩んでしまう場面だが、今は探るような目つきのテュッティの視線があった。

「仕方ないお姫様だ」

 ルカは努めて真面目な表情でアテネを抱きかかえると、テントの中へ連れていきベッドに寝かせた。

 戻ってくると、テュッティが忌々しげに口を開く。 

「お前達は……一体なんなの? 私と同じように、この島に流されてきたのではないの?」

 テュッティは丸太のテーブルに、立派なテントに、竹や岩で作った様々な道具に、すっかり骨となり果てた七面鳥を見やる。

「全部、アテネの知識のお陰さ」

「あのつまらない女が……?」

「アテネを愚弄すると許さないぞ」

「ふん、許されるつもりなんて毛頭ないわ。私はね、この世の不幸の全てを一人で背負って戦っている……そんな顔をした女が、一番嫌いなの」

 テュッティはそう吐き捨てると、そっぽを向いた。

 そして、

「…………どうして、私を助けたの?」

 小さく呟くように言った。

「さっきアテネに答えた通りだ」

「嘘ね。お前は、あのつまらない女のためなら、己の命を塵芥のように投げ捨てることの出来る狂人よ。そんなお前が、理由もなく敵である私を助けるはずがないわ!」

「あまり大きな声を出すな。寝かせてやってくれ」

「なら、さっさと助けた理由を言いなさい!」

「お前を助けたのは、勿論理由がある」

「ふん、やはり裏があると思っていたわ。何が欲しいの? 奴隷の身分を買い戻すための金銀財宝? それとも、あの女を喜ばせるための宝石の類かしら?」

 憎悪と軽蔑の中に、僅かな安堵を滲ませる。

 まるで、優しさに打算がある方が安心するかのように。

 ルカはそんな少女の肢体を、頭からつま先までを嘗め回すように見やると、

「俺が欲しいのは、お前のその……健康的な肉体だ」

 アテネにも負けない大きな胸を指さして、言った。

「――――なあっ!?」

 テュッティは真っ赤な顔で、両手で胸を隠した。

 男を挑発するかのような露出度の高い格好をしているのに、随分と初心な反応だ。

 ゆっくり歩み寄るルカに、テュッティは悔しげに胸を隠す。 

「わ、私の身体に指一本でも触れてみなさい! 骨も残さず灰燼にしてあげるわ!」

「それだけ元気なら大丈夫だな。早く寝て身体を休めろ。明日から畑仕事を手伝って貰うぞ。その健康的な(・・・・・・)肉体を使って(・・・・・・)、な」

 ルカは悪戯が成功した子供のように笑うと、踵を返してテントへ引き上げていく。

 からかわれたテュッティは、当然憤怒を露わにする。

「ま、待ちなさい!」 

「俺は――三日間海を漂流したことがある。水が尽き、食料が尽き、足元から死が這い上がって来る絶望を知っている。お前を助けた理由の一つだ」

 ルカは振り返らずにそう言うと、これ以上話すことはないとばかりにテントへ入った。

 

 紅の瞳の少女は、握りしめた拳の降ろす先が見当たらず――悔しげにうなだれる。

 夜空に輝く月だけが、それを見ていた。

黒髭の登場により、ルカとアテネの無人島生活はどうなるのか。


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