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 空と海の両方に、耳を劈くような獣の雄叫びが響き渡る。

 《大地神エノシガイオス》が生み出した神徒の中でも、最も恐れられる海の悪魔が、大怪獣クラーケンが、今――目の前に出現した。

 海から次々にせり出して来る触手は巨大な尖塔のようで、巻き上げられた海水が豪雨となって降り注ぐ。

 突如として襲来した海の悪魔に、イスパニアの商船隊は一気に恐慌状態に陥る。

 だが、ステラ・マリス旗下、三隻のフリゲート艦には緊張はあれど動揺はない。

 何故なら、今回の護衛任務のためにステラ・マリス号に随伴する三隻のフリゲートは、先月に予定されていたクラーケン討伐のために用意された、対クラーケン装備を搭載した特別艦なのだ。

「見事に釣れましたな」

 ステラ・マリス号の船尾楼甲板で、操舵輪を握る航海長のミラルダがそう言った。

「ええ、こちらの想定通りに動いてくれて助かるわ」

 メルティナは過去三ヵ月におけるクラーケン出没報告を改めて調査。

 その結果、クラーケンの動きには明らかに、『人為的』な力が働いていることに気が付いた。

 襲れるのはほとんどが商船団で、その直後にとある海賊団(・・・・・・)の襲撃がある。

 偶然で片づけるには、発生件数が多すぎた。

「最初は小規模な商船を襲っていたけれど、徐々に大物を狙うようになっていった。手に余る力を手にした者ならではの隙が見えて来た。となれば――金銀財宝を満載した船を狙わないはずがないわ」

 どうやってクラーケンを操っているかまでは判明していないが、今回の護衛任務で必ず襲撃が来るとメルティナは予想していた。

「前門のクラーケン。後門の海賊連合。勝てますかな?」

「勝てるわ」

 メルティナは確信に満ちた声で、海を見据える。

 百年前は、海の悪魔を討伐するなど想像だに出来ず、大きな被害を出して追い払うのが精一杯だった。

 だが、技術の発展した現在ではクラーケンの討伐も夢ではない。

 実際、ブリテン王国が誇る英雄で、大提督として知られるホレーショ・ネルソンは、重武装の臼砲艦隊を持ってクラーケン討伐に成功している。

「告げる、こちら艦長」

 メルティナは伝声管を開き、艦内に声を響かせた。

「事前に通達していたように、我々の予定に変更はない。海賊どもから商船隊を守りつつ、クラーケンを討つ! 全砲門、及び龍撃砲にエーテルを籠めなさい!」

 龍撃砲とは、エーテルの力によって発射される巨大な『銛』を使って、鯨などの大型海洋生物を捉える捕鯨砲を改良強化したものだ。

 船首に固定された三機の龍撃砲に装填された銛は、重さ六〇キロ。長さ二メートル。直径は九〇ミリと、化け物相手に相応しい大きさで、敵クラーケンの巨大な触手に向け標準が合わされる。

「――――撃てぇ!!」

 メルティナの命令により、龍撃砲から発射された巨大な銛が、唸りを上げて空を貫く。

 放物線を描く弾道は一発が外れるものの、残りの二発は見事にクラーケンの分厚い鱗を貫いて、触手に深々と突き刺さる。

 直後、銛の先端に刻まれた紋章によって、火属性の聖霊術バーストが発動。

 ドンッ――と、破裂音がして、銛の先端にある銛爪が、爆発の力によって花のように大きく開いた。

 これは釣り針でいうところの返しで、刺さった銛が抜けないようにするための機構である。

 さらに、銛には真銀の糸を編み込んだ頑丈なワイヤーが結ばれており、錨巻き上げ機と連結されていた。

「雷撃を流します! 皆離れて!」

 砲術科の少女が叫ぶ。

 巻き上げ機に刻まれた紋章により、聖霊術ライトニングボルトが発動。

 ワイヤーを伝って高圧の電撃がクラーケンの触手に叩き込まれた。

 雷撃により一時的に麻痺した触手が、力を失い海面に崩れていく。

 そこへ、

「引けッ! 力の限り引け――――ッ!!」

 船首甲板で指揮を執る副長のテミスが、声を張り上げた。

 少女達が気合いを入れて、巻き上げ機のウインチを回す。

 人は海中では戦えない。

 故に、クラーケンは無敵の強さを誇るのだ。

 幾ら触手を攻撃しようとも、海中に隠れるクラーケン本体へダメージは与えられない。

 クラーケンを討つには、海中に隠れている『本体』に直接攻撃を加えるほかないのだ。

 なら、どうやってクラーケンの本体を海面まで引き上げるのか?

 その答えが、龍撃砲である。

 ステラ・マリス号と同じく三隻のフリゲート艦にも龍撃砲が搭載されており、それぞれがクラーケンの触手に銛を撃ち込み、本体を釣り上げるべく巻き上げ機のウインチを回した。

 だが、敵はクラーケンだけではない。

「左舷から四隻、後方から三隻、商船隊へ向かっていくぞ! 右舷から『赤い船』が真っすぐこちらへ向かって来る!!」

 見張り台に立つ、ルカの声が甲板に響き渡る。

 晴れて海兵隊の一員になれたルカは、海戦における重要な役目を担う『目』を任されていた。

 そして、

「後ろの敵は友軍に任せない! こちらは左舷の敵を引き付けつけながら、赤い船を先に討つ!!」

 メルティナは全ての状況を瞬時に判断し、艦隊を動かしていく。

 商船隊を守りながら、海賊を迎撃。

 同時にクラーケンを釣り上げるべく作業を続け、さらには《黒髭》テュッティが駆るスカーレット号に砲口を向ける。

「左舷一斉射!! 撃てッ!! 発射と同時に取り舵二十度! 一番、二番龍撃砲の巻き上げを急ぎなさい! クラーケンの触手が商船に当たるわ!!」

 入って来る情報を瞬時に処理し、戦場を空から俯瞰するかのように、メルティナは冷静沈着に戦況を操る。

 ステラ・マリス号の紋章砲から次々に水流弾が放たれ、海賊達の船に突き刺さる。

 旗下のフリゲート艦達も、砲弾の雨を降らせた。

 それでも何隻かが砲火を潜り抜けて、商船隊に肉薄するが、それを迎撃するのが商船隊を護衛するイスパニア帝国の二隻の護衛艦だ。

 イスパニアの軍艦が、勇猛果敢に海賊達の船へ攻撃。

 至近距離で砲撃を叩き込み、接舷してからの白兵戦をしかける。

 と、

「赤い船との距離、五〇〇メートル!」

 ルカの声が甲板に響く。

 スカーレット号はその軽快な船足を最大に生かして、衝角によるラムアタックを敢行するだろう。

 当然、メルティナもそれに気付いており――

「右舷、よく狙いなさい!」

「距離、二五〇!!」

「まだよ! まだ引き付けなさい!」

「距離、一〇〇!」

 ルカの報告に、メルティナはカッと目を見開いて叫んだ。

「右舷全砲門、一斉射! 撃てッ!!」 

 砲撃の衝撃で船がズンッと一瞬沈み込むような感覚。

 視界に広がるのは、無数の水流弾と火炎弾。

 その弾道は狙いたがわず、スカーレット号に向かって突き進む。

 だが、ルカの瞳は捉えていた。

 スカーレット号の黄金の舵を握るテュッティが、指輪の嵌められた『左手』を振り払うのを――

 直後、スカーレット号の前面に、空間を歪ませるほどの高熱を発する炎の壁が出現。

 無数の砲弾とぶつかり合う。 

 幾つかは炎の壁を貫いてスカーレット号に直撃するが、被害をものともせず、まるで猛る牛の如くて突撃してくる。

 そして、


「――――――――ルカァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」 


 テュッティが雄叫びを上げた。

 距離は五〇メートルを切り、スカーレット号は眼前にまで迫っていた。

 直撃は免れない。

 そう思ったまさにその時。

 海の底から突き上げるような大波が吹き上がり、凄まじい揺れと共に一本の巨大な触手が隆起して、スカーレット号に絡みついたではないか。 

「残念だったな黒髭! 卵は一個だけとは限らねぇんだ! 秘密を知ったあんたは目障りなんだよ。ここで死んどきな!!」

 スカーレット号の背後をつけるように追随していたブラックファルコン号の船長キャプテン・キッドが、すれ違いざまに中指を立てて言い放つ。

「砲手ッ! あの糞女の船を沈めなさいッ!!」

 テュッティが吠え、スカーレット号が一斉に砲を放つ。

 だが、ブラックファルコン号はまるで空を飛翔するかのように軽快な船足で、砲撃を鮮やかに回避。ステラ・マリス号も、クラーケンの触手も潜り抜けて、真っすぐに商船隊に向かう。

 イスパニアの護衛艦の一隻――サン・マチスタ号がさせじと、ブラックファルコン号の針路に回り込むが、

「どけよ雑魚が! ここはもう俺のテリトリーだ!!」

 キッドが再び右腕から黒い稲妻を放つと、クラーケンの触手が海面から飛び出しサン・マチスタ号に絡みついた。

 ミシミシと音を立てて船体が悲鳴を上げ、巨大なマストが枯れ枝のようにへし折られる。

 このままではサン・マチスタ号は、真っ二つ押し潰されてしまうだろう。

「同盟国の船を救助する! 面舵一杯!! 海兵隊は白兵戦に備えよ!!」

 メルティナが鋭く命じた。

 ステラ・マリス号は、触手に巻き付かれたサン・マチスタ号へ向かう。

 晴れて海兵隊の一員となったルカは、動索のロープを使って見張り台から甲板へ一気に滑り降りた。

「マーメイドとしての初陣ですね、ルカ!」

 甲板ではメイド姿のアテネが待っていた。

「アテネの背中は俺が守る。存分に戦ってくれ!」 

「はい! 頼りにしています!」

 アテネは双銃を構え、今にも飛び出していきそうなほど戦意を昂ぶらせる。

 ルカはその熱に当たられるかのように、静かに笑みを浮かべた。

 と、

「接舷している時間がないわ! すれ違いざまに乗り込みなさい!!」

 艦長メルティナの命令が甲板を駆け抜ける。

「―――全員、私についてこい!」

 海兵隊長であるセラフィナが叫んだ。

 先陣を斬って突撃するセラフィナの後を追うように、ルカとアテネはサン・マチスタ号に飛び移った。


    ◇


「船内に残っている者は早く甲板へ上がれ!」「沈没したら取り残されるわ!」「脚の骨が折れたの! お願い手を貸して!」

 サン・マチスタ号の甲板では、怪我人がそこら中に居て酷い有様になっていた。

 折れたマストの下敷きとなり艦長が重症を負い、指揮系統が大きく混乱している。

 それでも訓練された水兵達が、クラーケンの触手断ち切らんと必死に斧を振り降ろしていた。

 だが、

「クッ、なんて硬さなの! 刃が通らないなんて!」「替えの斧を持って来て! 刃が欠けてしまったわ!」

 触手の表面にびっしりと並ぶ赤褐色の鱗は鋼のように固く、斧は刃こぼれを起こしていた。

 クラーケンは容赦なく触手を締め付け、船体がさらにメキメキと軋み、船のあらゆる場所で浸水が始まった。

「このままでは船が持たない! アテネ、ルカ! まずは触手を断ち切るぞ!」

 セラフィナは、黄金に輝く騎士剣を抜き放つ。

「了解!」

 と、ルカとアテネは声を揃えた。

「ルカ、私が鱗を打ち砕きます!」

「頼んだ!」

 アテネが砕き、ルカが断つ。

 二人は一瞬で互いのすべき事を見出した。

 アテネは見上げるほど太く巨大な触手の前に立つと、呼吸を整え――

「やぁああああああああああッ!」

 気合の声と共に上段の右廻し蹴りを放つ。

 白銀のソールレットが銀閃となって叩き込まれた。

 ズドンッと砲撃音にも負けない重低音がして、鋼の斧をも受け付けなかったクラーケンの鱗が、たった一発の蹴りで大きく砕かれた。

 アテネはさらに、左蹴り、右蹴り、左廻し蹴りと連続で蹴りを放つ。

 赤銅色の鱗が次々にひび割れ、ついにむき出しの表面が晒された。

「下がれ、アテネ!」

「はい!」

 アテネはトンッと甲板を蹴って後ろに下がり、スイッチするかのようにルカが前に出る。

「はぁあああああああああッ!!」

 ルカは大上段で構えた刀を、凄まじい踏み込みと共に一気呵成に振り降ろした。

 直径十メートルはある巨大な触手が一刀で半分近く断ち斬られ、残った半分をセラフィナの騎士剣が斬り払う。

 完全に切断された触手は力を失い、緑色の血を吐き出しながら海に倒れていく。

「よくやった二人とも! 怪我人を救助を急ぐぞ!!」

 セラフィナが剣を鞘に収めてルカとアテネをねぎらうと、海兵隊の少女達に命じた。

 と、その時。


 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――


 身の毛のよだつ獣の咆哮が轟き、海が山のようにせり上がっていく。

 ついにクラーケンの本体を、引きずり出すことに成功したのだ。

 ステラ・マリス号の倍はあろうかという巨体は、大きすぎてその全容を把握出来ないほどであった。

 触手の構造からみてイカかタコのような生命体を連想していたが、その姿は龍種に近く、岩のような鱗に覆われた表皮に、鋭い牙が並ぶ口は船を丸のみに出来そうに大きい。 

 あまりにも恐ろしく醜悪な悪魔の姿に、海賊達は震えあがり、取るものも取らずに潰走していく。

 だが、

「これだけ大きな的だと外す心配はいらないわ! 全艦隊、クラーケンに砲撃を集中せよ! エーテルが尽きるまで撃ちまくれッ!!」

 メルティナはこの時を待っていたとばかりに、号令を放つ。

 ステラ・マリス号及び、三隻のフリゲート艦が、クラーケンを取り囲んで砲撃を集中させた。

 凄まじい砲火が連続し、水流弾に火炎弾が次々にクラーケンに突き刺さっていく。

 さしもの海の悪魔も、これにはたまらず苦悶の咆哮を上げてのた打ち回った。

 

   ◇


 ステラ・マリス号がクラーケンと凄まじい戦闘を繰り広げる中、少し離れた場所ではマーメイドらによるサン・マチスタ号の救助活動が行われていた。

 だが、クラーケンの触手で傷付いた船は、既に手の施しようがなく――

 怪我を負った艦長の代わりに指揮を執っていたイスパニア帝国の上級士官は、艦を捨てる決断をした。

 商船隊の大型ガレオンの一隻が、サン・マチスタ号に接舷。

 退避艦の役目を買って出てくれた。

 そして、

「あとは私達だけだ。急げ、ルカ、アテネ!!」

 最後まで甲板に残って指揮を執っていたセラフィナが、そう叫んだ。

 怪我人の救助が完了し、海兵隊の少女達が次々にロープを伝って大型ガレオン船に飛び移っていく。

「俺達も撤退するぞ!」

 ルカもロープを掴み、アテネに手を伸ばす。

 こちらに向かって駆けていたアテネは、突然、何かに呼ばれたようにハッと立ち止まった。

「声が――聞こえます」

「なに!?」

「この下から、声が聞こえます!」

 アテネはそう叫ぶと、右足を大きく天に掲げ、踵落としで甲板を粉砕して大穴を開けたではないか。

「待ちなさい、アテネ士官候補生!」

 セラフィナが制止するが、アテネはそのまま粉砕した甲板の穴に飛び込んでいった。

「隊長は先に撤退してくれ。アテネは俺が追う!」

「くっ、わかった許可しよう! だが、船が傾斜して来ている。あまり時間は残されていないぞ!」

「了解した」

 ルカは短く答え、アテネを追うべく甲板の穴に飛び込んだ。

 降りた先は黒金の大砲が並ぶ砲列甲板で、よほど慌てて逃げたのだろう。

 大砲の多くが固定されていなかった。

 このまま船の傾斜が大きくなれば、大砲が台座ごと一気に動いて船がバランスが急速に悪化する。

 転覆の危機は、目前に迫っていた。

「これは思った以上に時間がないぞ……」 

 ルカは視線を巡らせ、すぐにアテネを発見した。

「――――アテネ!」

 と、叫んで少女の元に駆け寄る。

「ルカ!? どうしてここに!」 

 大砲と大砲の間で跪いていたアテネは、驚いた表情で顔を上げた。

「一人で無茶をするマーメイドを迎えに来たに決まっているだろう! 早く船を出るぞ!」

「お叱りは後で幾らでも! ですが、今は手を貸してください!」

 砲の死角になっていて気が付かなかったが、アテネの足元には一人の少女が倒れているではないか。

 船内に人が残っていないかは、二度にわたって確認された。

 もしかしたら彼女は一度は甲板に上がったものの、大砲が固定されていない事に気がついて戻ったのかもしれない。

「彼女が声の主か?」

「はい!」

 アテネはコクリと頷いた。

 歳の頃は十三か十四。ダークブロンドの髪を持つ、人形のように整った美貌の少女だ。 

 頭を打ったのか気絶しており、額から僅かに出血していた。

 さらに、

「彼女の足が、砲座に挟まって抜けないんです!」

 アテネの言う通り、少女の左足が砲座と壁の間に挟まっていた。  

「俺が砲座を押す。アテネは彼女を頼む!」

 ルカは重い砲座を動かすのに使う『梃子棒』を、壁と砲座の間に挿した。

「わかりました!」 

「いくぞ!」

 と、叫んで、ルカは力の限りに梃子棒を押すが――

 大砲の砲座の合計重量は軽く二トンを超え、さらに船が傾斜しているためか、梃子棒を使ってもビクリとも動かせない。

 それでもルカは、歯を食いしばって懸命に力を籠めた。

 すると、ミシミシと音を立て、僅かにだが砲座が動き始める。

 だが、次の瞬間。

 バキッ! と音を立てて、非常に硬い樫の木で作られた梃子棒が、先にへし折れてしまった。

 僅かに動いた砲座が元の位置に戻り、足を挟まれる少女が気を失ったまま苦悶を上げた。

「くっ!」

 先ほどよりも船の傾斜が酷くなっている。

 ルカは梃子棒を投げ捨てると、腰の差す刀を抜き放つ。

「動くなよ、アテネ!」

「はい!」 

 アテネは信じていますという表情で、少女を抱き締めながら頷いた。

 ルカは鋭い息と共に刀を振り抜く。

 黒い斬撃が弧を描き、砲座の足元にある甲板が半月に斬り抜かれた。

 砲座がメキメキと音を立てて、後ろ向きに下層へ落下していき、直後に銅鑼ドラを叩いたような轟音が船内に響き渡る。

「ありがとうございます、ルカ!」

 ぐったりと気絶した少女を抱えて、アテネは言った。

 ルカは刀を鞘に収めて、アテネに駆け寄る。

「彼女は俺が抱えよう。急いで脱出するぞ!」

 アテネから少女を受け取ったルカは、出口に向かって走る。

 だが、落とした砲座の影響なのか船の重心が大きく崩れ、立っていられないほど傾斜が酷くなり――ついには転覆の一歩手前まで船体が傾く。

 あちらこちらでロープが爆ぜる音がして、重さ数トンの大砲が凶器となって転がって来る。

「アテネッ!」

「私は大丈夫です! ですが――」

 紙一重で砲座を避けたルカ達だが、甲板へ続く階段に砲座が直撃し、木端微塵に吹き飛んでいた。

 ルカ達は、沈みゆく船に閉じ込められてしまった。

「こっちだ、アテネ!」 

 ルカは少女を背負い落ちないように手首をロープで縛ると、すっかり砲座が失われた左舷の砲口に向かう。

 砲口とは、大砲を押し出すために外殻を切り開いて作られた正方形の窓で、人一人が十分通れる大きさがあった。

 さらに、砲口から身体を出すと、

「ルカ、アテネ! こっちだ!! 早くネットを出せ!!」

 セラフィナ隊長の声がして、大型ガレオン船が眼前に待機しているではないか。

 海兵隊の少女らが、船縁に格子状のネットをかけた。

「先に跳ぶんだ、アテネ!」

「いいえ、要救助者を抱えているルカが先です!」

「駄目だ。これだけは譲らない。先に跳べ!」

「……わかり、ました」

 アテネは躊躇いを見せたが、ルカの決心が変わらない事を察したのだろう。

 唇を噛んで立ち上がると、助走をつけて跳んだ。

 非常に優れた身体能力を誇るアテネは、数メートルの跳躍を果たしてガレオン船の甲板に着地。すぐに踵を返して、船縁から手を伸ばす。

「ルカも早く飛んでください!」 

 と、アテネが叫んだ。

 ルカはコクリと頷くと、背中の少女を背負い直して跳ぼうとした。


 次の瞬間。


 ステラ・マリス号と三隻のフリゲート艦に囲まれ、砲撃を浴びていた海の悪魔がその巨大なあぎとを開いた。

 無数の牙が生えそろう口の中には、空間が歪むほどの尋常ではないエーテルが収束しており、直後、龍のブレスもかくやという一筋の青い光線が放たれた。

 その威力は尋常ではなく、海を真っ二つに断ち割りながら、直線上のあらゆるものを消滅させた。

 銛から伸びる真銀のワイヤーも、逃げていく海賊船も。

 そして、転覆しつつあるイスパニアの護衛艦『サン・マチスタ号』も―― 


「――――ッ!?」 

 アテネは絶望に満ちた顔で、口元を押さえる。

 攻撃の余波だけで凄まじい高波が起き、乱高下する波は巨大なガレオン船をも大きく揺らし、津波が壁のように押し寄せる。

 直後、その波を斬り裂いて、黒髪の少年が飛び出したではないか。

 サン・マチスタ号が光線に薙ぎ払われる瞬間に、ルカは空中に跳んでいたのだ。

「ハッと顔を上げたアテネは、ルカの姿を見て取ると、

「手を、この手を掴んで、ルカ!!」

 船縁から身を乗り出し、必死に手を伸ばした。

 ルカもまた、アテネに向け手を伸ばす。

 だが、少女を背負い、あの攻撃の中での跳躍では満足な飛距離を稼げなかったのだろう。

 ルカの身体はガクンと、急激に失速した。

 もう駄目かと思った矢先。

 船縁から跳んだアテネが、空中でルカの手を掴んだではないか。

「!?」

 ルカは驚愕に目を見開く。

 何故なら、アテネは命綱を着けてはいなかったのだ。

「ごめんなさい、ルカ! でも、あなたを失いたくない!!」

 アテネは空中で身体を入れ替えるように、ルカを甲板に向けて投げる。

 繋がる手と手が離れ――アテネは海へ落ちていく。

 甲板に転がるように着地したルカは、背中の少女を降ろすと、

「――――アテネッ!!」

 血相を変えて船縁に向けて走るが――

 アテネの姿は、もう何処にも見当たらなかった。

 漆黒の瞳に映るのは、白波を立てて荒れる海面で、あちらこちらで発生した大渦がサン・マチスタ号の残骸が貪るように飲み込んでいく。

 強烈な吐き気と共に、奴隷仲間が乗った商船が沈没していくあの時と同じ絶望がルカを襲う。

 あの時も、目の前に居て救うことが出来なかった。

 何もできず、ただ一人だけ生き残ってしまった。 

「待て、ルカ! 早まるな!!」

 セラフィナが声が聞こえるが、ルカは一切の躊躇なく荒れた海面に飛び降りた。


 今度こそ、絶対に――そう自分に言い聞かせて。



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