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 コロンビア共和国の南端に位置する『フリョーダ州』は、西にネオ・イスパニア湾、東に大西洋、南にカリブ海と、三つの海に挟まれる巨大な半島である。

 その三つの海の境界に『楔』のように築かれた要塞こそ、コロンビア海軍の南方拠点であり、海軍本部が置かれてある《サザングレイス大要塞》だ。

 軍艦がずらりと停泊する大規模な軍港に、新造艦の建造が進められている工廠と、何重もの高い城壁に囲まれた星形要塞には、無数の砲台が設置され、黒金の砲門を沖へと向けていた。

 特徴的なのは、要塞も、城壁も、鮮やかな『白』に統一されている事だろう。

 白は海軍の色であり、正義の象徴でもあった。

 現在、ステラ・マリス号は専用のドッグにて、《黒髭》一味との戦いで受けた傷を癒していた。

 あれだけの損傷にもかかわらず、たった二週間で白銀の女神は以前と同じ輝きを取り戻し、再び海に斬り込む日を心待ちにしているようでもあった。

 乗組員は船がドック入りしている間は休暇が与えられ、それぞれ思い思いに過ごしている。

 そして、

「やあああああああああああああああああッ!」

 水兵の少女が、サーベルを振りかぶってセラフィナに斬り込む。

 海軍本部の演習場では、海兵隊マーメイドの入隊試験が行われていた。

 試験官はステラ・マリス号の海兵隊長を務める、セラフィナ一等海尉である。

 声を上げて斬り込む少女に対し、セラフィナはその場から一歩も動かず、右手に持つ『騎士剣』を真横に一閃。その剣圧は凄まじく、ギンッと金属同士がぶつかり合う音が響き、サーベルを持つ少女は数メートルも弾き飛ばされた。

「その程度の腕ではマーメイドになるには早いわ。出直してきなさい」

 セラフィナは、そう言って剣を下げる。

 黄金色の髪を背中まで伸ばし、切れ長の目に青い瞳。綺麗な鼻筋に形のよい唇と、完璧な美貌とは裏腹にどこか冷たい印象を受ける。

「ありがとうございました……」

 少女はしびれる腕を押さえながら、お辞儀してその場を去っていく。

「次の者、前へ!」

 セラフィナの言葉を受け、前へ進み出た『黒髪黒眼の東洋人』に――ざわりと、演習場にどよめきが起きる。

 強き意思が宿る漆黒の瞳に、黒髪を後ろで一本に纏めて垂らし、細身で鍛え上げられた体躯に中性的な顔立ち。

 背丈は一七〇はあるだろう。

 だが、少女達が騒ぐのは、その東洋人が『男』にしか見えない点であった。

「どうして、男がこんな場所に?」「ほら、あの方が今噂になっている《トリニティの奇跡》よ」「ええ!? あの大反攻作戦を立案して《黒髭》と直接刃を交え退けたという?」「私は臼砲艦を鹵獲したとも聞いたよ」「戦列艦を一刀両断にしたんじゃなかった?」「でも、彼女って見習い水兵なんでしょ?」

 演習場にはステラ・マリス号以外の水兵も多数おり、ルカの容姿や、戦勲に噂が集中する。

 と、

「――――頑張って下さい、ルカ! 特訓の成果を見せる時です!!」

 アテネの声援が木霊する。

 今日のアテネはメイド服ではなく、海兵隊の制服を身に纏っていた。

 ルカは振り返らず、右手を掲げてアテネに答える。

「規則に従い、所属と階級を述べなさい」

 剣を地面に突き立てるセラフィナが、そう問う。

「俺の名はルカ。ステラ・マリス号に所属する見習い水兵だ」

「よろしい。では、これよりルカ見習い水兵の、マーメイド入隊試験を行う。用意は?」

「いつでも」

「敵と直接斬り合う事になる海兵隊に求められるのは、ただひたすらに強くある事。弱ければ己の命も、仲間の命も危険に晒すわ。故に、この試験で求められるのは純粋な強さだ」

「あなたに勝てば、入隊を認めて貰えるのか?」

「いや、私を『一歩』でもこの線から退かせる事が出来れば、入隊試験は合格となる。もちろん……勝てるものなら勝ってもいいのだぞ?」

 セラフィナは真剣な表情で、剣を引き抜きびゅんと振り払うと正眼に構える。

 本日で十三人の合格者が出ているマーメイドの入隊試験だが、真にセラフィナを退かせた者は一人もいない。

 将来、鍛え上げたら『もの』になると見て取った者に対して、敢えて一歩下がって合格としたのだ。

「了解した」

 ルカは腰だめに構えて、《黒刀・闇一文字暗月》の柄に手を乗せる。

「そなたとは、一度剣を交えてみたいと思っていた。オクタヴィアを退けたその眼力……しかと見せて貰うぞ」

「…………参る」

 弓を引き絞るように全身の筋肉に力を溜め、ルカは演習場の大地を踏みしめた。

 一度の踏み込みで最高速に至ったルカは、二度目の踏み込みと同時に抜刀。

 放つは、突進からの諸手突き。 

 稲妻のような突きが銃弾よりも早く空間を貫き、同時に振り降ろされたセラフィナの騎士剣とぶつかり合う。

 凄まじい衝撃が、演習場を駆け抜けた。

 ルカは刀を引いて左からの横薙ぎを、セラフィナは下段から右上に斬り上げる。

 鋼と鋼がぶつかり合い、眩い火花が散った。

 互いの視線が交錯し――ルカはさらに踏み込んで、セラフィナの首筋を狙って刃を振り抜くが、その一撃をセラフィナは横に弾いて受け流すと、同時に突きを放つ。

 ルカは半身下がって突きを避けると、セラフィナの足、手、脇を狙った三連撃を放つ。

 セラフィナは次々に繰り出される重い斬撃を、真正面から打ち返していく。

 終わらぬ剣戟の嵐に、演習場にはどよめきが巻き起こった。

「う、嘘でしょ。あの子……セラフィナ様と互角に斬りあっているわよ」「信じられない。セラフィナ隊長は《アーデンベルグ流》の師範なのに」「ちょっと待って、セラフィナ様が押され出してない!?」

 戦いを見守る少女達が言うように、互角に打ち合っていたはずが、いつの間にかセラフィナの空振りが目立つようになっていた。

 三振りに一度の空振りが、すぐに二振りに一度になり、その隙を縫うようにルカは鋭い一撃を叩きこんでいく。

 当然、セラフィナは防御せざるを得ない。

 セラフィナの手数が減れば減るほど、ルカは優位に立って攻撃を続ける。

 防御の合間にセラフィナも反撃を放つが、ルカはそれらをことごとく避けるだけではなく、カウンターでさらに攻撃する。

 打てば打ち返す斬撃の応酬が、セラフィナの防戦一方へと変わっていった。

「……凄まじいな。もう、私の剣筋を見切ったのか?」

 押されているにもかかわらず、セラフィナは楽しげに氷の微笑を浮かべる。

「凄いのはあなただろう? これだけ打ち込んで、 たったの一歩(・・・・・・)が退かせられないのだから」

 ルカは戦慄に声を固くする。 

 そう。セラフィナはルカの猛攻を受け止めながら一歩も退いていない。

 その場で、右手一本で、ルカの攻撃をあしらっているのだ。 

「私の剣は守りの剣だ。決して倒れる事の許されない戦場の『御旗』だ。故に私は――この場にありて剣を振り続ける」

 聖なる誓いのように、己を戒める呪いのように、セラフィナは剣を横薙ぎに振るった。

 ルカは後ろに跳んだ斬撃を避けると、仕切り直すように刀を鞘へ納めて抜刀の構えを取る。

「まるで歯が立たないな。巨大な城壁相手に剣を振るっている気分だ」

 これまで戦ったどんな相手とも違う、剣の道を極めた先にある答えの『一つ』に、こういう強さの在り方もあるのかとルカは強い衝撃を覚えた。

 鉄壁の守りならアテネの《聖盾アイギス》もそうだが、アテネの真骨頂は『攻撃』にこそある。

 彼女の盾は、攻撃のために存在するのだ。

 だが、セラフィナの剣は真逆で、彼女の剣は『防御』のために存在していた。

 盾を持たず、鎧も纏わず、剣一本で、難攻不落の城壁を築いているのだ。

 と、

「私を退かせたいのなら……本気で来るがいい」

 セラフィナは左足を前に出し、雄牛が角をむけるかのように切っ先をこちらへ向けると、剣を頬の高さで構える『オクスの構え』を取った。

 初めて両手で構えを取るセラフィナに、ルカは笑みを浮かべる。

 今なら、新大陸を目指した師の気持ちがわかるのだ。

(世界は本当に広い。こんなにも沢山の強者と出会えるのだから……)

 大和の国にいた時は、奴隷として商船で働いていた時は、あの場所が世界の全てであった。

 だが、アテネと出会い、アテネの側にいるだけで、ルカの世界はどこまでも広がっていく。

 だからこそ、

「――――絶対に、あなたを退かせてみせる」

 アテネと二人で最強のマーメイドになると、そう決めた。

 ならば、この入隊試験には是が非でも通らなければならない。

 否、通って見せる。

 ルカは左足を前に出すと、腰を落とし、自分の目の高さに刃を水平にして構える『霞の構え』を取る。 

「ほう、東洋にも同じ構えが存在するのだな」

「そうみたいだな」

 世界はこれだけ広いのに、扱う剣の種類も全く違うのに、二人の構えは合わせ鏡で見る己のように寸分違わず同じであった。

 ルカとセラフィナは互いに笑みを浮かべ、体内にエーテルを練り上げていく。

 バチリと、雷光が散り――直後に凄まじい剣気が演習場に吹き荒れる。

 今までがただの小手調べであるかのように、二人の気はどんどん高まり、大気と干渉したエーテルが眩い雷光となって咲き乱れ――二人は同時に動いた。

 放つは、互いに突きの一撃。

「七星一刀流・一之型《號天ごうてん》ッ!」 

 研ぎ澄まされた技と、練り上げられた絶大なエーテルと、聖霊器に匹敵する《黒刀・闇一文字暗月》によって、ルカの突きは直線上のあらゆるものを貫く青い雷撃の瀑布となって空間を駆け抜ける。

「アーデンベルグ流《天洸剣》ッ!」

 セラフィナが持つ騎士剣は、『 星のごとく輝く者 (アストレア)』という意味を持つ強大な聖霊器であり、その突きは、日輪の如き光線となってほとばしる。

 雷撃の瀑布と、日輪の閃光がぶつかり合い、互いを打ち消さんと激しくつばぜり合う。

 光が演習場を白く染め、凄まじい熱量に大地が熔解。

 攻撃の余波は要塞の建物にもおよび、城壁に亀裂が走るに至り、誰かが悲鳴を上げ、現場の海尉の一人が試験の中止を叫ぶ。

 だが、

「はぁああああああああああああッ!!」

 ルカはもう一歩踏み込み、全身からエーテルを解き放つ。

 この一撃に全てをかけるように、イメージするのは城壁すら穿つ紫電一閃。

「やぁああああああああああああッ!!」

 セラフィナもまた、一歩も退かずに全身を輝かせた。

 二人が放つ技が、さらに規模を増して膨れ上がる。

 直後、限界以上にエーテルを充填した紋章砲が破裂するように、ぶつかり合う雷撃と日輪が、閃光をまき散らしながら大爆発を起こした。

 やがて、光が去ったとき、青い炎が残る演習場に、ルカは辛うじて立っていた。

「はぁ……はぁ……」

 体内のエーテルを限界まで絞り出し、全身全霊を尽くしたルカは、肩で息をしながら刀を杖のように地面に刺す。

 視線の先に映るのは、同じように剣を大地に突き立て、肩で息をするセラフィナの姿だ。

 彼女の足元に目を向けたルカは、悔しげに唸る。 

 何故なら、セラフィナはその場から、『一歩』たりとも動いていなかったのだ。

 完敗だと、ルカが思った矢先。

「くっ…………」

 セラフィナは足元から崩れ落ちるように、その場に膝をついたではないか。

 この結果に、ルカは困惑した表情でセラフィナを見やる。

「ふふ、そんな不安げな顔をするな。私とここまで剣を交えられる者をマーメイドに加えないとするなら、それは海軍全体にとって大きな損失となるだろう」

「では?」

「ああ、合格だよ。今日からそなたはマーメイドの一員だ」

 セラフィナはそう言って立ち上がると、すがすがしい表情で微笑んだ。

 ワアアアアアアアアアアアアアアア――――ッ! っと、割れんばかりの歓声が演習場に響き渡る。

 と、

「やった! 合格です! 合格ですよルカ! おめでとうございます!!」

 走り寄るアテネに向け、微笑んで見せる。

 もう、腕を上げる力も残っていなかった。

 アテネは喜びのあまりルカに飛びつき――全身全霊を出して戦ったルカは、よろけながらもアテネを抱き留める。

 少女の柔らかな身体と、その体温が、ルカに喜びを実感させた。

「ああ、やったぞ。これで……俺も、アテネと同じマーメイドだ!」

「はい! これで、三ヵ月の見習い期間を終えても、また、一緒にいられますね!」

 アテネは弾けるような笑顔で答えた。

 

   ◇



「試験官の務めご苦労だったわね」

 ステラ・マリス号の艦長メルティナが、労うように言った。

 演習場の控室でベンチに座っていたセラフィナは立ち上がると、頭を深く下げてお辞儀をする。

「よい刺激となりました。機会を与えてくれてありがとうございます、メルティナ様」

「礼をいわれうような事はなにもしていないわ。それよりさっそく仕事よ。ステラ・マリス号に指令が下ったわ」

 メルティナは命令書を差し出す。

「ついに出港ですか」

「二日後に到着するイスパニア帝国の商船隊『ティエラ・フィルメ』の護衛が今回の任務よ」

「ティエラ・フィルメといば、イスパニアの植民地であるアステカからの輸送を主にする商船隊ですね」

「今回のは特に大規模で、巨大なガレオン船十一隻に金銀財宝が満載して運ぶそうよ」

「金銀財宝を満載……カリブの海賊達が、黙って通すわけがありませんね」

 真剣な表情で命令書に目を通すセラフィナに、メルティナは優しい表情になる。

「その顔だと、迷いは晴れたようね」

「まだ完全には。ですが、目は覚めました。今日……あの者を、ルカを相手に全霊で剣を振るった時、久々に心地よいと感じたのです。初めて剣を握ったあの日の感情を、思い出す事が出来ました」

 ルカとの剣戟を思い出すだけで、熱がこみ上げて来るかのようにセラフィナは右手を広げた。

「そう」

「オクタヴィアが軍を出奔した二年前から、私の刻は止まったままでした。なにがいけなかったのか。どうして止められなかったのか。やはり……あの時に斬っておくべきだったのか。答えが出ない迷宮をずっと彷徨い続けて来ました」

「目覚めの感想は?」

「眠っている間に仕事が山積みです。よくぞあれけの人材を集めたと感心しますが、私の部隊は問題児だらけではありませんか!」

 セラフィナはいつもの真面目な表情を崩し、少し子供っぽい仕草で膨れて見せた。

「それがわかっているなら己の成すべきことを成しなさい。セラフィナ一等海尉。今度は、あなたが導き手となる番よ」

「了解しました、艦長。私はこの手で大切な部下を育て上げます。もう二度とオクタヴィアのような悲しみを生まぬように」

「気になる子がいるようね?」

「何名かは極めて優秀な資質を有しています。特に、ルカやアテネは別格ですね。ただ――」

「ただ?」 

「剣を交えてわかりました。ルカは間違いなく『英雄の資質』を持っています。ですが、同時に……オクタヴィアと同じ 危うさ(・・・)を秘めてもいます」

 セラフィナの見立てに、メルティナはこくりと頷いた。

「英雄の資質を持つ者はその絶大な才覚に反して、いえ、そうであるからこそなのか――世界から拒絶されるように人との繋がりを失うわ。彼もまた、家族のために奴隷となり、家族のように想う仲間を失い、最後に残された故郷との絆すら手放している」

「オクタヴィアの奴もそうでした。守りたかった者を次々に失い、仲間も、家族も、最愛の弟すらも……」

 セラフィナは自分のことのように辛そうに胸を押さえる。  

「もしあの子達が、これから先……人との繋がりを失わず、絆を育み、多くの仲間を得る事が出来れば、後世に名を遺す偉人になれると思っているわ」

「メルティナ様……いえ、師匠」

「なあに?」

「久しぶりに、稽古をつけてはいただけませんか?」

「どうしたの急に?」

「最強のマーメイドを目指す。オクタヴィアと共に誓った約束を、まだ果たしていませんでした」

「ふふ、すっかりあの子達に当てられたようね。いいでしょう。稽古をつけます。ただし、忘れているなら先にいっておくけれど……私の稽古はきついわよ?」

「望むところです!」

 入隊したての頃に戻ったかのように、青い瞳を輝かせてセラフィナは叫んだ。




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