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 この世界では神代に起きた《大地神エノシガイオス》と《海神アンフィトリテ》との争いによって生まれた『二つ』の呪いが存在する。

 呪いによって『女』は山に登れず、『男』は海に出れなくなった。

 船乗りや水兵は、女性を指す職業の代名詞となり、男は陸を、女は海を支配するようになった。


 時は、十八世紀。

 海賊黄金時代と呼ばれるカリブ海。


 雲一つない青空の下、真っ白な帆に風を満配に受けて、一隻の帆船が大海原を疾駆する。

 波を切り裂く白銀の船体は、全ての船乗りを導く『北極星』の如く輝いていた。


 この船こそ、新大陸を治めるコロンビア共和国が、技術の粋を結集して作り上げた、最新鋭の超大型フリゲート。

 名を、希望の極星号ステラ・マリスという。


 北極星の名を冠する白銀の女神の特徴は、やはりその大きさだろう。

 フリゲートとは基本的に小型の軍艦で、戦闘の他にも、哨戒や護衛、通商破壊など、あらゆる軍務をこなす万能艦だ。

 だが、全長三十~四十メートルが主流のフリゲート船において、このステラ・マリス号は『超大型フリゲート』の名の通り六十二メートルもの全長を誇った。


 戦闘を主目的にする戦列艦に匹敵する大きさではあるが、細身で洗練されたスマートな船体は、並の快速フリゲートを寄せ付けない速さを発揮する。

 ステラ・マリス号の快速を支えるのは、天を貫くようにそびえ立つ、太くて巨大な三本の帆柱だ。船首から順に、フォアマスト、メインマスト、ミズンマストと呼ばれ、それぞれのマストの最上部には見張り台が備え付けられていた。


 そんな、ステラ・マリス号では、一人の遭難者が救助され、治療を受けていた。



「――――きて、起きて」

 誰かが耳元で呼ぶ声がして、ルカは目を覚ました。


「ここ……は?」

 どこかの船の医務室だろうか? 落下防止の柵が付けられた薬品棚に、木製のベッドが三つ。手術用の寝台には純白のシーツをかぶされていた。


「生きているのか、俺は……」

 海に沈んでいく光景を思い出し、ルカは頭を振り払いながら、癖のように首にかけた黒水晶の首飾りに手を伸ばすが、そこには何もなく。


 慌てて身を起こし、胸元を探ろうとして――


「――――目覚めたようね」

 と、声がして、ハッ顔を上げれば、想像を絶する美しさを誇る二人の女性が立っていた。

 一人はとても位の高い女性なのだろう。

 年の頃は二十代後半だろう。少し青みかかった長い銀髪に、冷涼な美貌。

 スラッとした長身で、大人の色気と肉感的な身体を隠すように、海軍将校の証である濃紺のフロッグコートを纏う。

 頭にはキャプテンハット。腰には一振りのサーベルを差していた。


 そしてもう一人が、年の頃は十五歳ほどだろうか? 驚くほど整った目鼻立ちの少女だ。


「君は……!?」

 ルカは驚くような声を上げた。

 無理もないだろう。


 目の前に立つ少女こそが、あの水底で見た人魚で間違いなかった。


 海のように鮮やかなマリンブルーの髪は、背中まで伸びる真っ直ぐなストレートで、愛らしい天使のような瞳はエンジェル・ブルーに輝く。

 まるで海と空の化身のように神秘的で、吸い込まれそうに甘い美貌を持つ少女は、水兵の証であるセーラ服を纏っていた。


 年齢にそぐわぬ大きな胸に対して、腰は細く締まっており、青いミニ丈のプリーツスカートから伸びるしなやかな脚線美が、少女が人魚ではなく人である事を示していた。

 特徴的なのは、腰のガンボルダーに差す二丁の白銀銃と、まるで中世の騎士のように、膝までを覆う白銀のソールレットを両足に履いている事だろう。


「私は、この船の艦長を務めるメルティナよ。こちらは士官候補生のアテネ」

 メルティナに促され、アテネと呼ばれた少女は小さく会釈する。

 だが、本来であれば可憐で美しいはずの少女は、何故か不機嫌そうに眉を寄せており、近付き難い雰囲気を纏っていた。


「こちらの紹介が済んだところで、今度は君の名前や、所属。何故漂流していたのかを話して貰えるかしら?」


「……わかった」

 ルカは質問に素直に答えた。

 自分は大和の国の奴隷であること。

 五つの国の言葉を話せるが、読み書きが出来ないこと。

 剣術を使えて、血に宿る聖霊は『風』であること。

 七年働いていた商船が海賊に襲われ、海に漂流していたこと。


「君が乗っていた商船の名は?」


「――――サン・アントニアス号」

 ルカのそう答えると、メルティナはこくりと頷いた。


「私達は二日前に、まだ新しい船の残骸を発見。海賊に襲われたと想定し、周辺の生存者を捜索していました」

 と、説明したのは、アテネと呼ばれる少女だ。


「他にも、誰か助かったのか!?」

 ルカは身を乗り出して尋ねる。

 もしかしたら、仲間達も救助されているかもしれない。


 だが、


「いいえ、残念ですが、我々が救助出来たのはあなただけです」

 アテネは首を左右に振って答えた。


「そう、か……」

 ギュッとベッドのシーツを握りしめ、ルカはうなだれる。

 ルカは奴隷だ。

 そして、奴隷であるからこそ仲間の結束は固かった。

 一番年下のルカに対して、姉のように、母のように年の離れた彼女達は、嫌な顔をせず一から船乗りの仕事を教えてくれた。

 とても厳しかったが、優しくしないのが優しさだと、ルカにはわかっていた。


「悲しんでいるところ申し訳ないのだけれど、君のこれからの処遇を決めなければならないわ」


「…………」

 メルティナの言葉に、ルカは無言で彼女を見やる。

 奴隷に自由は許されない。命が続く限り、誰かに隷属する運命なのだ。


「サン・アントニアス号は、イスパニア船籍の商船だけど、コロンビアの法律ではコロンビアの領海で漂流中の奴隷を救助した際の所有権は、救助者に譲渡されるわ。若い東洋人で、船乗りの経験を積み、風の聖霊術を使える君の価値は、軽く見積もっても一〇〇〇シリングはくだらないでしょう」

 一〇〇〇シリングとは、三年は遊んで暮らせるほどの大金であった。


「なら、俺を売って金にすればいい。誰に買われても海賊よりはましだ」

「海賊を憎んでいるのね」


「奴らは……仲間の仇だ……」

 アデラ達がどうなったのか、ルカには知る術はない。

 だが、欲望のままに略奪し、船を沈め、ダバサを殺した海賊達を、ルカは憎んでいた。


「それなら、コロンビア海軍で働き、自分を買い戻すという選択肢もあるわよ」

「自分を買い戻す?」

「ええ、そう。水兵の給料は一年で三〇〇シリング。働きに応じて手当ても出る。三年も働けば、君は自分の手で自由を買い戻せるわ」

「働き手が必要なら……奴隷として使えばいいだけだろう?」

「コロンビアは開拓者の国。誰にだってチャンスは与えられる。それにこの海賊黄金時代に、奴らと戦う強い意思を持つ者は貴重よ。後はそうね。我が海軍には『奴隷』なんて『階級』は存在しないの。例え誰であろうが『見習い水兵』から始まるわ」


「見習い水兵……」


「海軍に入れば奴隷だったこれまでより遥かに厳しく、辛い日々が待っているわ。でも、君が試練に耐え、見習いを卒業した暁には、最高の水兵としての栄誉と誇りを胸に、いずれ自由をその手に出来るでしょう。一〇〇〇シリング――それが、自由への対価よ」

 メルティナの言葉に、ルカはしばらく考える。


 そして、


「……わかった。この船で働く」

 ルカは己の運命を、誰でもない己の意思で決断した。


「よろしい。では、アテネ士官候補生。あなたには今日より三ヵ月間、見習い水兵の教育係りを命じます。マーメイド部隊を外れ、これからの任務に励みなさい」

 と、メルティナは命じる。


 だが、


「―――お待ち下さい艦長ッ!」

 アテネは怒りを圧し殺したような表情で言い募った。


「命令の復唱はどうしたのです。アテネ士官候補生?」

「教育係りなら他にも適任はいます! どうか海兵隊から外さないで下さい!」

「アテネ、あなたは武の才に恵まれている。兵士としては現状でも非の打ち所はないわ。でも、残念な事に今のあなたには船乗りとして致命的に足りないものがある。海尉任官試験に落ちたのもそのせいよ」


「私に……足りないもの?」


「ええ、そうよ。それを理解しない限り何度試験を受けても、提督方はあなたを海尉とは認めないでしょう」

「…………」

「ルカの教育係りとなることで、あなたは必ず自分に足りないものを見つける事が出来るわ。さあ、アテネ士官候補生。命令の復唱を」


「了解しました、艦長……」

 アテネはまだ納得いかない表情をしていたかが、それでも命令を復唱する。


 その後、メルティナの命によりアテネは退出。

 先に船倉の主計科に向かい、ルカの装備一式を用意する事となった。


 医務室に二人きりとなった、ルカとメルティナ。


 と、


「では、本題にはいりましょうか?」

 メルティナは全てを見透かすように、ルカに青い瞳を向ける。

 身体に大きな秘密を抱えるルカは、身を固くした。


「あの子が戻ってくるまで時間がないわ。だから、単刀直入に聞くけれど、君は――――『男』ね?」


「…………ああ、そうだ」

 少し迷ったあと、ルカは素直に認めた。

 治療の時にでも知られたのだろう。

 神々の呪いによって男が海に出れなくなってから幾星霜の時が流れても、船に密航する男は絶えない。基本的にそういう輩は犯罪者や逃亡奴隷と相場は決まっていて、男の密航者は例外なく海へ突き落とされる決まりとなっていた。


 何故なら――


「男が乗った船は必ず『嵐』に合う。静かな凪の海に天を貫くハリケーンが突然現れたのを、実際にこの目で見た事があるわ。でも、君は七年もの間船乗りを続けてきた。これまで嵐の経験は?」

「一度も」

「七年間でたったの一度も? 素晴らしい幸運ね。いえ、幸運で片付けられない『何か』を君が持っているのでしょう。非常に興味深いわ」


「どうして男である俺が、海に出ても無事でいられるかはわからない。ただ……海は好きだ」

 それは奴隷としてずっと海で働いてきたルカの、偽らざる本音であった。


「質問は以上よ。君は……よい水兵になる。男だとバレないよう頑張って働きなさい」

「いいのか?」

「海の女神たるアンフィトリテ様が、君が海に出るのを赦している。なら、女神の庇護を受ける私達もまた、君を受け入れるだけよ。ただ、一つだけ忠告しておくけれど、うちの艦の若い娘達に手を出したら……残念だけど、海の藻屑になって貰うわ」

 メルティナは笑顔でそう言うが、瞳は全く笑っていなかった。

 ルカは、背筋に冷たい汗をかきながらコクコクと頷く。


「では、後の事はアテネに尋ねなさい」

「ありがとう、メルティナ艦長」

「礼なら、君を助けたアテネに言ってあげて。噂をすれば戻ってきたわ」



 メルティナがそう言うと、ほどなくして医務室のドアがノックされた。


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