エピローグ 胸に灯るのは
エピローグ 胸に灯るのは
怪我人の治療や、船の応急修理など、戦闘の様々な後始末を終えた頃には、すっかり日が暮れていた。
今宵、ステラ・マリス号では、ささやかな『宴』が催されていた。
一時は完全に不利な状況に陥り、大敗も覚悟して挑んだ此度の反攻作戦も、終わってみれば大勝利という結果であった。
砦の奪還も無事に成功し、臼砲艦を鹵獲。多数の艦艇を撃破して黒髭海賊団に大きな被害を与えた。
甲板ではラム酒を桃の果汁で割ったピーチグロッグが振る舞われ、楽器を奏でる少女に、聖歌を歌う少女など、楽しげな笑い声が、夜空に木霊する。
だが、この宴は、勝利の祝いであると同時に、別れの儀式でもあった。
戦闘に犠牲は付き物だ。
どんな完璧な作戦であっても死者は出る。
甲板に並べられた七つの棺の前では、泣き崩れている少女たちの姿が見えた。
誰もが、笑いながら、歌いながら、杯を掲げながら、涙を流して死者を悼む。
別れを惜しむのは、今宵で最後であった。
明日には、沖合で水葬が成される予定になっていた。
人魚は海へと帰り、死んでいった者たちの想いを胸に、カリブの海を守るための戦いが続く。
勝利に大きく貢献したルカは、水兵らに握手を求められ、副長のテミスを始め多くの海尉に声をかけられ、帰還したセルフィナと少し話し、マリナやクロエを始めとするマーメイドたちと杯を交わした。
そして、
「二〇年物のエル・ドラド。私が知る限り最高級のラム酒よ」
《黄金郷》の名を示すような黄金色のラム酒を、艦長のメルティナから直接注がれる栄誉を受けた。
ルカが感謝を伝えると、メルティナは「よくやったわね」と、肩を叩き去っていく。
杯に注がれたラム酒を口含んでみると、確かにこれまで飲んだどんな酒よりも美味いと感じた。
と、その時。
こてんと、隣に座るアテネがもたれ掛かって来た。
見れば、ルカと同じくメルティナからラム酒を注がれたアテネであったが、たった一口飲んだだけで、すっかり酔いつぶれて眠ってしまう。
「こんな所で寝たら、風邪を引くぞアテネ」
くにゃりと脱力したアテネをルカは優しく揺らすが、アテネはいっこうに目を覚ます気配を見せず。
「ここは私たちに任せて、部屋まで連れていって上げて下さい」
一緒に飲んでいたマリナがそう言った。
「お嬢様のお世話は、ルカっちに任せたよー! あはははっ!」
その隣で上機嫌に酔うクロエが、笑いながら杯を掲げる。
「わかった」
ルカは杯のラム酒を一気に飲み干すと、酔って眠るアテネを抱き上げる。
最初に感じたのはアテネの軽さだった。
凄まじい戦いぶりを見せた戦神の化身は、驚くほど華奢で、触れれば壊れてしまいそうに繊細で、ごく当たり前の女の子であった。
百発百中の射撃を行う腕はこんなにも細く、あらゆる敵を蹴り砕き、あらゆる攻撃を蹴り防ぐ脚はただひたすらに美しかった。
ルカは砂糖菓子を扱うように、慎重に、大切に、アテネをお姫様抱っこにして甲板を行く。
こうして、三層甲板にある士官候補生用の大部屋についたルカは、二段ベッドの一段目にアテネを横たえる。
「ルカぁ、飲んでますか……むにゃむにゃ」
枕をむぎゅっと抱き締め、アテネは寝言を言う。
「ああ、ちゃんと飲んでるぞ。ほら、髪をほどかないと変な寝癖になるぞ」
ルカはアテネのさらさらした青い髪に触れると、ツインテールを解き、頭のホワイトプリムを外して枕の側に置く。
「ふにぅ、靴も脱がせてくだしゃい……」
「まったく、世話の焼ける上官だ」
黒の革靴に見える白銀のソールレットを脱がすのだが、
「ひゃうっ、あんッ……こ、そばゆいでしゅ」
「こ、こら暴れるな」
短いメイドスカートがめくれて大変な事になる。
鮮やかなロイヤルブルーの下着から目を逸らしながら、ルカは靴を脱がせていく。
「だ、だって、あっ、んくッ……」
こそばゆいのを我慢しているのだろうが、枕をぎゅっと抱き締め、頬を赤く染めて喘ぐ姿は、何か別の行為を連想させ、ルカの理性はゴリゴリと削り取られていく。
「ふぅ……」
なんとか《聖盾アイギス》を脱がせたルカは、息を吐きながらベッドの下に靴を置いた。
「ルカぁ~……」
再びアテネから声をかけられる。
「はいはい、今度は何の用だアテネお嬢様? 水でも欲しいのか?」
ルカは執事にでもなった気分で、そう返事をする。
だが、
「――――ぎゅって、して下さい❤」
アテネは両手を広げて、想像だにしなかったおねだりをする。
とろんとした表情に、紅潮した頬。
熱を帯びた瞳は微かに揺れ、少し開かれた唇からは甘いラム酒の香りが漂う。
清楚な美貌とは裏腹に、乱れた衣服からは覗く瑞々しい肉体は濃艶で、深い胸の谷間と、美しい脚線美が付け根まで露わになる。
あまりに可憐で、あまりに官能的なマーメイドの誘惑。
例え神であっても、抗う事は出来ないだろう。
気付いた時――ルカは、アテネに覆い被ぶさるようにその身体を抱き締めていた。
柔らかな感触に、酒が入って火照った身体に、しっとりと浮かぶ汗からは、甘いラム酒の香りより、さらに甘いアテネの香りがした。
アテネの全てが、何もかもが、ルカを昂らせる。
と、
「ふふ、こうしていると、クマのブラウンを思い出します」
アテネはそう言って、甘えるように抱き付いて来た。
「クマのブラウン? もしかして――」
「はい、お父様が作ってくれた大きなテディベアでしゅ。もふもふして凄く抱き心地がいいんですよぉ。お母様と離れて暮らすようになっても、大きな部屋で一人で寝ることになっても、ブラウンがいたらへっちゃられした」
「なら、アテネが寝るまで、俺がクマのブラウンの変わりになるよ」
ルカはそう言って、アテネの頭を優しく撫でる。
「ふにゅう、凄く……安心します」
アテネはぬいぐるみを抱きしめるように、ルカへむぎゅっと抱きつき顔をスリスリする。
その安心しきった表情にあるのは、全幅の信頼と、そこから来る親愛であった。
ああ――と、ルカは胸を熱くする。
この世に、これほど可愛いものが他に存在するだろうか?
無限に湧き出る泉のように、アテネを愛しいと思う感情が溢れて来る。
(そうか、俺は……)
この時、ルカはアテネへの恋慕の情をはっきりと自覚した。
否、自覚してしまったのだ。
本当はずっと前から惹かれていたが、そうと考えないようにして来た。
何故なら、ルカにとってアテネを好きになるというのは、『奴隷』が『姫』に好意を寄せるようなものだ。
アテネとの身分の差は、天と地ほども離れている。
だが、それでも――
ルカの胸に灯った感情は、この炎は、ルカだけのものだ。
決して表に出す事は許されないとしても、己の感情を偽る事は出来ない。
「…………アテネ」
ルカは熱の籠った声でアテネの名を呟き、その頬に口付けをした。
今だけは、今夜だけは、こうするのを許してほしいと、誰でもない神に祈った。
これにて『パイレーツ・オブ・マーメイド 奴隷の英雄』の1部は終了となります。
いかがだったでしょうか?
少しでも面白かったと思っていただけたら、嬉しい限りです。
現在、第2部を書くため構成を練っている最中です。
また、完成しましたら投稿させて頂きます。
感想等お待ちしてますので、よろしくお願いします。




