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 テュッティは目を細めて、ルカとアテネの姿を交互に眺めると、

「あら、この船には黒子に女中までいるの? ふふ、随分と気が利いてるじゃない」

 腰に手を当て、嘲るような笑みを浮かべる。

 確かに、ルカは黒ずくめで、アテネに至ってはメイド服だ。

 だが、

「この姿は、最強のマーメイドとなるためのドレス! あなたに負け、己の弱さを知った私がたどり着いた答えです!」

 アテネは堂々の胸を張り、むしろ、自慢するかのようにスカートを揺らす。

 それは一種の『戦衣』であった。

 メイドという仮の自分になる事で、弱い己を封じ、感情の揺らぎを抑制。集中を極限まで高めているのだ。

 以前とは別人のように、凛々しい雰囲気を纏うアテネに、

「あれだけ手酷くやられてなお、挑んで来る蛮勇は褒めてあげる。でも、雑魚にようはないと言ったはずよ?」

 テュッティはパシンッと甲板を鞭で打ちながら、おぞましい殺気を放つ。

 そこへ、

「雑魚かどうかは、すぐにわかるさ」

 アテネを守るようにルカが前に進み出た。

 刀を構えるルカを見て、テュッティは警戒するように真紅の瞳を光らせる。

「ふぅん、それがお前の本性……いえ、本質なのかしら?」

 と、

「お嬢……気を付けな。あの黒い方、以前とは別人だぜ」

 オーガと呼ばれる女海賊が、テュッティに耳打ちする。

「ええ、わかっているわ。どうやら、業物の武器を手に入れたようね。凄いのはお前自身か、それとも武器か、いずれにせよ今度は退屈せずに済みそうだわ」

 そう言って、楽しげな笑みを浮かべるテュッティに、

「エドワード・テュッティ……アンタは、凄い人だ」

 と、ルカは真剣な表情で言った。

「お褒めに預かり光栄とでも、言えばいいのかしら?」

「ああ、褒めている。同時に畏れてもいる。一度目の夜襲は辛うじて防げた。だが、二度目は手痛い奇襲を受けた。三度目は、もう……防ぎ切れないかもしれない。仮に防げたとしてもおびただしい死人が出るだろう」 

「この修羅場を防げる前提で話すなんて、やはり面白い子ね。でも、三度目なんてないわ。今、ここに私がいるもの。私一人でもこの船は落とせる。それに、今度は邪魔をする無粋な輩も現れない。心ゆくまで死の舞踏に興じられるわ」

「それは好都合だな」

「……なんですって?」

「邪魔が入らないのは好都合だと言った。こちらもアンタを逃すつもりはない。アンタは生きている限り、何度でもこの船を狙うだろう? だから――」

 ルカはそこで言葉を切ると、ザッとすり足で右足を前に出し、刀の柄を握りしめる。

 そして、

「――――アンタは、俺が斬る」

 その瞬間。後ろのアテネが息を呑むほど、甲板の海賊たちが震えあがるほど、そして、テュッティが瞠目するほど、尋常ではない殺気がルカの身体から放たれた。

 あまりに凄まじい殺気に、周囲のエーテルが反応。

 竜巻のような風が吹き荒れる。

 ズドンッと重い音が響き、それが踏み込みの音だと分かる頃には、ルカの姿はその場から消えていた。

「――――ッ! アイドネウス! 奴の手足を喰いちぎりなさい!!」

 目にも止まらぬ速さで向かってくるルカに向け、テュッティはすかさず龍鞭を振るう。

 音速を越えた鞭先が、回避不能の無限軌跡を描きながらルカに襲いかかる。

 だが、

「知っているだろう? 俺は、目がいいのが取り柄なんだ」

 触れれば肉が裂け、骨が砕ける龍鞭の嵐に、ルカは真っすぐに突っ込み、その全てを紙一重で避けていく。

 先の襲撃で武器を砕かれたルカは、アテネが戦うところを見ているしかなかった。

 言い換えれば、ルカはずっとテュッティが扱う鞭の動きを捉え続けていたのだ。

 見取り、そして『見切る』ほどに。

「!」

 鞭を全て避け懐まで踏み込んできたルカに、テュッティが咄嗟に後ろに跳ぼうとするが――

 直後に、ルカの身体から雷光が炸裂。

 甲板がへこむほどの踏みしめと共に、鞘から刀を抜き放つ。

「―――七星一刀流・一之型《稲妻いなづま》ッ!」

 それは、踏み込みの加速と、鞘走りの加速に加え、エーテルの力を利用した神速の抜刀術であった。

 雷光を帯びた漆黒の刃が、まさに稲妻の如く放たれる。

 避けられるタイミングではない。

 だが、相手は鬼神の如き強さを誇る、《黒髭》エドワード・テュッティ。

 稲妻が、テュッティの首を斬り払わんとする刹那。

 ルカの死角から襲い来る二匹の龍が、稲妻に喰らいついた。

 テュッティはルカが懐に入り込んだ瞬間に、次の龍鞭を放っていたのだ。

 激しい鍔迫り合いに雷光が散り、テュッティは斬撃を受け流して後ろに跳んだ。

「………」

 甲板に着地したテュッティは、指先で頬を撫でる。

 浅く斬り裂かれた頬から、真っ赤な鮮血がしたたり落ちた。

「――――お嬢ッ!」

 血相を変えたオーガが、金剛棒を振りかぶってルカに襲い掛かる。

 同時に、真横からシルフィが、ルカに弾丸のような速さで細剣を突き入れた。

 だが、

「させる、ものですかッ!」

 メイド姿のアテネがオーガの金剛棒を蹴りで受け止め、さらに、シルフィの細剣を銃弾で弾く。

 オーガとシルフィは、なおも攻撃を加えんとするが、

「下がりなさい。オーガ、シルフィ」

 と、テュッティが静かに言った。

「お嬢の命令でもそいつは聞けないねぇ。お嬢に何かあれば、あたいが姐さんにぶっ殺されるんだ」

 オーガは獰猛な笑みを浮かべて、金剛棒を握る腕に血管を浮かべて力を溜める。

 その身から放たれる鬼気は、ルカがよく知る『鬼』と同質のものであった。

「…………」

 シルフィと呼ばれるオッドアイの女剣士は、黙したまま細剣を構えた。

 金色と銀色の瞳から放たれるのは、『獣』のような光で――

 と、

「三対二では数が合いませんわ。わたくしも、ダンスに加えて頂けませんか?」

 ガンランサーを構えるマリナが、ルカとアテネの横に歩み出る。

「アタシは堅苦しいダンスとか苦手だから、そこの筋肉お化けと遊んでるよ」

 ガンブレードを、器用にクルクル回すクロエがその隣に現れる。

 彼女たちの通って来た後には、無数の海賊たちが倒れ伏していた。

「ルカさん、あちらの相手はわたくしとクロエにお任せ下さい。お二人にはメインゲストをお譲りしますわ」

 マリナはそう言って、凄まじいエーテルの雷光を散らしながらシルフィに向け駆けていく。

「あ~、マリナと違って、アタシは時間稼ぎしか出来ないから、危なくなったら助けてねルカッち!」

 言葉とは裏腹に、クロエはヤル気満々といった表情で、オーガに向け駆けていく。

 激しい戦いを始めたマリナと、クロエ。

 ルカとアテネは、再びテュッティと対峙する。

 と、

「――――誇りなさい。私に手傷を負わせたのは、お前で二人目よ」

 テュッティの表情から、いつもの笑みが消え去っていた。

 殺気も、怒気も、何も感じない。

 ただ、真紅の瞳だけが、どこまでも鮮やかな紅だけが、炎をように揺らめいた。

「ルカ……気を付けて下さい」

 側に立つアテネが、短い言葉で警戒を促す。

「ああ、わかっている。龍の逆鱗に触れたようだ」 

 テュッティから放たれる無言の威圧に、ルカは背中に冷たい汗をかく。

 だが、同時に湧き上がるのは、静かな闘争心と、隣に立つ少女への全幅の信頼だ。

 アテネと一緒なら、例え本物の龍とでも戦って見せる。

 そう、思わせる輝きが、命を懸けてでも守りたい光が、アテネには存在した。

「お前……『名』は?」

 と、テュッティは尋ねる。

「俺の名は、ルカ。この船の見習い水兵だ!」

「ルカ―――」

 テュッティは艶やかな唇を指先で撫でながら、噛みしめるようにルカの名を呟く。

 ルカの目には、その姿が噴火直前の火山に見えた。   

「いい名ね。気に入ったわ。ルカ……お前は強い。お前を倒さない限りこの船は落とせない。だから――本気で遊んであげる」

 直後、テュッティの身体から天を貫かんばかりの凄まじいエーテルが放たれた。

 火の聖霊が歓喜を上げて舞い踊り、真紅の髪が龍尾の如く燃え盛り、真紅の瞳は太陽のように煌々と輝く。

 周囲の空間が灼熱して揺らめき、大気と干渉したエーテルが雷光となって散る。

「……ッ、鬼神の如きとは思っていたが、まるで炎の化身……いや、炎の魔人だな……」

「人が内包出来るエーテルの限界を、遥かに超えています」

「怖いか?」

「凄く怖いです。逃げ出したいとも思います。でも、ルカが隣に居るから……私は戦えます!」

 アテネの蒼い瞳には、不安も恐れも消し飛ぶほどの、ルカへの信頼が輝いていた。

「好きに舞ってくれ。アテネの動きには俺が合わせる」

「――――はいっ!」

 返事と同時に、アテネは突撃する。

 《双銃グラウクス》を交差して構え、甲板を踏みしめるたび、メイドシューズに姿を変えている《聖盾アイギス》が本来の白銀の輝きを放つ。

 ルカもまた、アテネの動きにシンクロするように甲板を駆ける。

 その動きは、ダンスをリードする男役であり、舞台の女優を助ける黒子であり、光に付き添う影であった。

 対して、

「目覚めなさいアイドネウス!」

 二本龍鞭が紅蓮の炎に包まれ、ルカとアテネを襲う。

 ルカには龍鞭の軌跡は見切れていたが、炎に包まれたその攻撃は、避ける事が出来ても灼熱が身体を焼くだろう。

 だが、

「――――《聖盾アイギス》よ!」

 アテネにはあらゆる災厄を防ぐ最強の盾があった。

 蹴りが銀閃となって幾重にも軌跡を描がき、それらが全て水の刃となって炎龍とぶつかり合う。

 ジュアッと膨れ上がる水蒸気の中に、ルカは踏み込んだ。

 アテネが盾となってルカを守り、ルカは剣となって刃を振るう。

 ルカが放つは、神速の四連撃。

 凄まじい剣戟に、火花が散り――テュッティは真正面からルカの攻撃を三撃目まで防ぐと、四撃目の突きを前に、反撃の龍鞭を放とうとする。

 そこへ、

「ルカは、私が守りますッ!!」

 アテネがテュッティを封じるように白兵戦を仕掛ける。

 右蹴りから、左の廻し蹴りに繋げ、合間に双銃による銃撃を挟むという、目にも止まらぬ連続攻撃。

 さらに、ルカはアテネの舞いに合わせるように、神速の突きを放つ。

 超速で飛翔する水弾と、ルカの刺突が、同時にテュッティに迫る。

「―――――クスッ」

 こぼれる笑みが耳朶を打ったのは、その時だった。

 何が楽しいのか、この修羅場において官能的な笑みを浮かべるテュッティは、右の龍鞭で水弾を打ち砕くと、左の龍鞭でアテネを攻撃しつつ、さらに、ルカの突きを首を捻って避けてみせた。

 ルカはそのまま、突きを横薙ぎに払って首を斬り裂かんとするが――

「!?」

 視界の端に捉えたのは、テュッティの左手薬指に嵌められたあの『指輪』であった。

 指輪には真紅の宝石が嵌め込まれているが、その宝石が眩いエーテルの輝きを放っているではないか。

「下がって、ルカッ!!」

 エーテルの反応に、アテネは叫ぶ。

 ルカの瞳もまた、大気に渦巻く凄まじいエーテルの流れを捉えていた。

 攻撃を中断し、甲板を踏んで後ろに跳ぶ。

 直後、

「――――炎よ、我が前に立ち塞がる愚か者に、紅蓮の裁きを(クリムゾンフレア)!

 先ほどまでルカがいた空間が、大爆発を起こした。

 吹き上がる紅蓮の爆風がルカを飲み込まんと迫るが、アテネが展開した蒼く光る水盾が炎の一切を蹴り防ぐ。

「助かった、アテネ」

「いえ、無事でよかったです!」

 立ち上がったルカは刀を下段で構えながら、テュッティに尋ねる。

「その指輪……まさか、聖霊器だったのか?」

「ええ、そうよ。《ヘスティアの竈》と呼ばれているわ」

 テュッティはそう言って、指輪に口付けをする。

 それは間違いなく、先の襲撃の際にテュッティが投げて寄こした、奴隷としての『対価』であった。

「聖霊器一つとは、随分と買い被られたな」 

「いいえ、私の目利きに狂いはないわ。お前にはこの指輪以上の価値がある。現に、先の襲撃も、今回の襲撃も、お前が居なければ、とうの昔にこの船は私の物になっていたでしょう。逆に言えば、お前が居れば――私の海賊団に敵はないわ」

「俺の答えは変わらない。アンタは……ここで殺す」

「私は欲しいと思った物は、人であれ、物であれ、必ず手に入れる主義よ。だから、お前も必ず私の物にする。例え、手足の一、二本を消し炭に変えてもね!」

 テュッティはそう言って、指輪を嵌める左手を天高く掲げた。

 おぞましいエーテルが吹き荒れ、雷花が咲き乱れる。

 そして、

「あらゆる炎の中で最も尊き、七星天炎よ――――」

 浪々と聖なる言葉を紡ぐテュッティの周囲に炎が巻き起こり、天に掲げるその左手には、見上げるほど巨大な火球が渦を巻く。

 臼砲から発射された特大の火炎弾を遥かに上回るその大きさは、まさに『小太陽』であった。

 ルカとアテネが挑むのは、もはや海賊などではない。

 神話に伝わる《炎の魔人》のように、もしくは、中世の頃に実在した《大賢人》のように、エーテルを自在に操る最強の聖霊師だ。

「――――太陽よりも眩きその輝きをもって、万象一切を焼き尽くせッ(デッド・エンド・インフェルノ)ッ!」

 ルカとアテネに無慈悲な太陽が降り注ぐ。

 その凄まじい熱量に、まずステラ・マリス号が悲鳴を上げた。

 帆桁や帆が一瞬で燃え上がり、甲板が炎上していく。

 だが、アテネは灼熱の炎をものともせず、さらに一歩前へ踏み込んだ。

「――――《聖盾アイギス》よ! 勝利の女神の名に従い、全てを凍てつかせる絶対零度の盾となれ(アブソリュート・アイギス)!」

 メイドスカートがふわりと舞い上がり、雷光と共に放たれたのは上段の逆蹴り。

 その蹴り足を起点に展開したのは、金剛石のように輝く直径一〇メートルを超える巨大な氷の盾であった。

 直後、氷の盾に小太陽が直撃。

 バシュウウウウ――と、焼けた鉄に水をぶっかけるような音がして、アテネが踏みしめる甲板がメキメキと破砕していく。

 小太陽はさらに火勢を増して燃え上がり、氷の盾に致命的な亀裂が広がっていった。

「くッ……」

 アテネは苦悶を押し殺しながら、必死に氷の盾を支えるが、ひび割れはどんどん増えていき溶けた水が甲板を濡らす。

 このままでは、遠からず氷の盾が打ち砕かれるだろう。

 そうなれば、アテネだけではなく、このステラ・マリス号に乗る多くの水兵も犠牲になる。

 だが、アテネの表情に焦りはない。

 何故なら、アテネは一人ではなかった。

 共に命を懸けて戦う頼もしい仲間が、背中を預けられるパートナーがいるのだから。


    ◇


 ルカの姿は、燃え上がる帆桁にあった。

 風の聖霊を操る才を持つルカは、鬼狩りの父から二つの『聖霊術』を教わっている。

 とても古い時代から伝わる聖霊術で、術の行使には、魂の研鑽と、肉体の鍛錬に加え、聖霊器に匹敵するほど高いエーテル干渉能力を持つ『魂の籠った刀』を必要とした。

 非常に強力な術だが、同時に、命掛けの危険な術でもあった。

使ったのは、これまでに一度だけ。

 剣の師と戦ったあの夜だ。

 戦いのあと師から、『己の命よりも大切なものを守る』時以外の使用を固く禁じられた。

(今、俺の手には『魂の籠った刀』があり、目の前には『命を懸けて守りたい少女』がいる。だから――)

 ルカは刀を頬まで持ち上げると、自分の目の高さに刃を水平にして霞の構えを取った。

 目を閉じ、精神を集中。

 体内のエーテルを高まり、バチリと雷光が散った。 

 そして、

「――――雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)

 ルカが、カッと目を見開いた直後。

 夜空に稲光が走り、闇を斬り裂くように落雷が降り注ぐ。

 燃え上がる帆桁の炎が衝撃でかき消され、ルカの身体は――――雷光を帯びて蒼き輝きを纏っていた。

 それは、鬼狩りに伝わる『神降ろし』の秘術。 

 人の身体を器とみなし、そこへ『聖霊』を、大和の国でいう『神』を降臨させる。

 それは、まさに『聖霊器』と同じ原理であった。

 『雷神』を降臨させ、生きた『聖霊器』となったルカは、帆桁を蹴り砕く勢いで跳び、アテネが必死で受け止める小太陽に向け突撃。

 灼熱によって身体が焼かれるのも構わず、両手で握る刀に、《黒刀・闇一文字暗月》にありったけのエーテルを注ぐ。

 放つは、突きの一撃。

「七星一刀流・一之型《號天ごうてん》ッ!」 

 神の力によって繰り出された凄まじい突きは、聖霊術となって放たれた。

 雷を纏う極大の破壊光線が、ジャインッと音を立て小太陽に突き刺さり、互いを消滅させんと激しくぶつかり合う。

 眩い閃光が、夜空を白く染める。

 衝撃に船が揺れ、あらゆるものを灰燼とする小太陽が、僅かであったが、確実に横へ押し出されていく。

 そして、

「やあああああああああッ!!」

 アテネが裂帛の気合いの声を上げ、全身から雷光を散らす。

 巨大な氷の盾がさらに大きさを増し、激突点が左にずれていく小太陽の動きに合わせるように、アテネは蹴り足を左に薙ぐ。

 テュッティが放った一撃は、受け止めるのも、打ち消す事も不可能だった。

 なら、受け流してしまえばいい。

 さらに、アテネは《双銃グラウクス》で、ダメ押しの追撃を放つ。

 小太陽は氷の盾を打ち砕きながらアテネの横を通り過ぎ、船縁と甲板の一部をごっそりと抉りながら、海に落着。

 海底で凄まじい爆発を起こし、天を貫かんとするほど巨大な水柱が隆起する。

 塩水の雨を全身に浴びながら、ルカはアテネの元に降り立つ。

「はぁ……はぁ……やりましたね、ルカ!」

「ああ……ッ! アテネも怪我はないか?」

 ルカは荒く息をしながら、焼けてボロボロになった黒衣の袖口を破り捨てる。

 バチリと雷光が散り、その身にはいまだ雷神が宿っていた。

「はい、平気です!」

 アテネは力強く頷きながら、油断なく前を見据える。

「ふふ、今の一撃を凌ぐだなんて、本当に驚いたわ」 

 腰に手を当て、悠然と笑みを浮かべるテュッティ。

 あれだけの術を放ってなお、その身から溢れるエーテルは一切の陰りが見えない。

「私の元で研鑽を積めば、お前は、私と同じ高みへ至れるわ。なのに、お前はそんなつまらないマーメイドの虜となっている。だから――」

 テュッティはそこで言葉を切ると、龍鞭を持つ右手を真っすぐにアテネに向け、

「――――私が、自由にして上げるわ」

 直後にそれは起きた。

「――――ッ!?」

 ルカの目が捉えたのは、アテネの首に巻き付く龍鞭の姿であった。

 手首の動作も、鞭が動く気配も、空間を斬り裂く過程も、何も捉えられず、結果という『事実』だけがアテネの首を絞める。

「これが……アイドネウスの真の力よ。本当に見えなかったでしょう?」

 『目にはみえないもの』――その本当の意味をルカは思い知る。

「アテネを離せッ!」

「この小娘は、お前を縛る『枷』よ。こいつを壊せば、お前を縛るものは何もなくなる」

「う、ぐッ……かはッ」

 アテネは苦しそうに首に絡まる龍鞭を掴んだ。

「アテネを離せと言った!!」

 ルカの身体が凄絶な雷光が散る。

 だが、 

「ふふ、お前の黒き刃が私に届くのが早いか、私の龍鞭が女の首を引き千切るのが早いか、試してみる?」

 テュッティが右手を僅かに動かしただけで、アテネの首筋から一筋の血が流れ落ちる。

(どうする? どうすれば、アテネを救えるッ?)

 ルカはあらゆる可能性を考えるが、その全てがアテネの生存を否定する。

 噛みしめる唇からは鮮血があふれ、柄を握る手は焦りと怒りに震える。

「あはは、素敵な顔になっているわよ、お前! 愛と憎しみは鏡合わせの感情。決して相反するものではないわ。あまりに強い憎悪は、恋い焦がれる愛情そのものよ」

「………俺の命が欲しいならくれてやる。だから、アテネを離せ!」 

 己を対価にアテネの解放を願うルカに、

「だ、駄目です……ルカ……だ、めで、す……ッ」

 と、アテネは苦しそうに言葉を紡ぐ。

 すると、

「ええ、駄目よ。その女は殺す。殺して……お前の中に仄暗い炎を燃え上がらせるわ」

「何故だ! 何故、そんな真似をする!?」

「答えは簡単よ。その女がいる限りお前は希望を捨てないでしょう? 今、お前を手に入れる事は叶わなくても、その女を殺せばお前は私の事しか考えられなくなる。私を殺すために己の意思でやってくる。私は、それを楽しみに待つ事にするわ。樽の中のラム酒が成熟するのを待つようにね」

 テュッティはそう言って、アテネの首を絞める龍鞭に紅蓮の炎を宿らせる。 

「さぁ、私を憎みなさい! 恋い焦がれなさい!」

 導火線に火が付くように、紅蓮の炎がアテネに迫りゆく。

 ルカは一か八か、アテネの首を絞める龍鞭を斬り裂かんと刀を振り降ろす。

 と、その時。

 アテネの身体から蒼きエーテルが解き放たれ、その瞳が蒼氷に輝き――

「私は、私は――守られているだけの女では、ありませんッ!」

 驚くべきことに、アテネは双銃を自らの首に向け、引き金を引いた。

 ズドンッと銃声が響き渡り、発射された水弾が龍鞭に直撃。次の瞬間には、ビシッと音を立てて凍り付いていく。

 紅蓮の炎は凍てつく氷に遮られて止まり、逆にテュッティを凍り付かせんと龍鞭を伝って迫る。

「!?」

 テュッティはまさかの反撃に龍鞭を振り抜こうとするが、完全に凍り付いた龍鞭はビクリとも動かない。

 さらに、アテネは右の蹴りを放つ。

 白銀のソールレットが銀閃となって空間を縦に斬り裂き、同時に《黒刀・闇一文字暗月》が、黒刃となって振り降ろされる。

 二人はまるで示し合わせたかのように、凍り付いた龍鞭の全く同じ『場所』を上と下から挟むように攻撃。

 一瞬の抵抗のあと、パリン――と、氷が砕ける音がして、龍鞭が斬り落とされた。

 咳き込みながら甲板に崩れ落ちたアテネは、

「――――ルカッ!」  

 と、叫んで、右の銃でテュッティを撃つ。

 水弾は途中で爆発して、煙幕のように真っ白な霧に変わった。

 視界が完全に閉ざされるほどの濃霧が、周囲を包み込む。

 だが、ルカの瞳はこの霧の中でも、テュッティの姿をはっきりと捉えていた。

 アテネが何を望んでいるかも、手に取るようにわかった。 

 それは、ルカとアテネが、これまで積み上げて来た信頼に他ならない。

「ふん、こんなもので目くらましのつもり!?」

 テュッティは左手を振るって、紅蓮の炎で霧を焼き払おうとするが――

「――――雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)

 真横からから聞こえる声に、テュッティは目を見開く。

 それは、『神祓い』の聖霊術。

 身体という器に降ろした神を、天に返すための儀式。

 リンッと抜刀の音がして、鞘からは尋常ではない雷光があふれ出す。

 甲板を踏み抜くかのような震脚と共に、鞘走りから放たれた漆黒の刀身は、燦然と輝く『純白の刃』に変わっていた。

 それこそが、神を束ねた雷の太刀である。

「七星一刀流・奥義《紫電一閃しでんいっせん神凪かんなぎ》」

 神を祓うための神域の抜刀術は、雷鳴を響かせながら、霧を祓い、炎を祓い、目の前の少女を斬っただけでは収まらず、隣に接舷していたアン王女の復讐号の外殻を裂断。

 さらには巨大なメインマストのヤードをばっさりと斬り裂いて、最後は暗雲を断ち割って虚空に消え去った。

 一度だけ天に稲妻が走り、ルカの刀は元の漆黒を取り戻す。

 戦列艦をも斬り裂く雷の太刀をまともに浴びたテュッティは、それでもまだ立っていた。

 だが、身じろぎ一つせず、まばたき一つせず、その手からは龍鞭が零れ落ちる。

「――――ティファニア様!!」

 シルフィと呼ばれた女海賊が悲痛な声で叫び、オーガと呼ばれた女海賊は無言のまま駆けて来る。

 ルカは漆黒に戻った刀身を振り払って、鞘へと納めていく。

 チンッ――と、涼やかな音が響き渡り、次の瞬間。

 斬られた事を思い出したかのように、テュッティが纏うフロッグコートが、黒のビキニが、超ミニ丈のスカートが、木端微塵に吹き飛んだ。

 残っているのは、キャプテンハットと、ブーツのみで、その身体には、その艶やかな肌には、傷一つなかった。

 そう。テュッティは生きていた。

 ルカが斬り裂いたのは、彼女の『服』だけであった。

 これには、血相を変えてこちらへ向かっていたシルフィとオーガに加え、双銃を構えて追撃しようとしていたアテネや、クロエにマリナ。

 さらには、戦いを見守っていた海賊や、水兵たちも唖然とした顔になる。

 そして、

「こ……これほどの恥辱を受けたのは、生まれて初めてよ」

 テュッティは生娘のように顔を真っ赤にして、その真紅の瞳に凄まじい怒りの炎を灯す。

「ま、待ってくれ」

 ルカは困惑しながら、視線を逸らす。

「敗者を徹底的に辱めて、命ではなく誇りを殺す。お前……水兵にしておくには本当に惜しいわ」

 裸体を隠さないのは、彼女なりの最後の意地なのだろう。

 テュッティは腰に手を当て、痛烈な嫌味を放つ。

「誤解なんだが、いや、どれも言い訳にしかならないか」

 脂汗を浮かべながらルカは呟く。

 あの一刀。ルカは本気で殺すつもりで、テュッティを斬った。

 確かな手応えもあった。

 実際、その一撃は直線上にある、あらゆるものを斬り裂いた。

 だが、何故かテュッティは生きていて、目の前で裸体を晒している。

 敵とはいえ、婦女子を辱めたのは事実。

 大和男児にあるまじき行為に、一人の剣士としてルカは猛省するが、今はどんな言葉をかけても相手の傷に塩を塗り込むだけだろう。

 と、

「――――完敗よ、ルカ。でも、この借りは必ず返す。私は今日より、寝ても覚めてもお前を殺す事だけを考え、お前を穢す事だけを生きがいに、恥しを晒して雌伏の時を待つ。もはやお前に……安息の日はないと知りなさい。この胸に燃えさかる業火は、必ずお前を焼き殺すわ」

 テュッティは龍鞭を拾い上げると、ルカに背を向けた。

 その後ろ姿はあまりに無防備で、斬ろうと思えば簡単に斬る事が出来た。

 だが、

「お前を生かしたのは、俺ではなく聖霊だ。そこにはきっと大きな意味があるのだろう。だから、今は……お前を斬らない。だが、忘れるな。この船には俺とアテネがいる。頼もしき仲間たちがいる。例えお前が何度襲い掛かろうとも必ず退けるさ!」

 ルカがそう言うと、周囲の水兵たちが、仲間たちが「やーッ!」と割れんばかりの勝鬨を上げる。

「引き上げるわよ、お前たち……」

 テュッティは一度だけルカを振り向き見やると、静かにそう呟いて船を去っていく。

 追撃の命は下らなかった。

 相手方の被害は甚大だが、こちらも相当の痛手を受けている。

 船の損傷も大きく、戦闘の継続は危険と判断されたのだ。

 

 こうして、霧夜の戦いは、朝日と共に消えゆく霧の如く終結を迎える事となる。


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