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 2


 太陽はすっかり水平線の向こうに沈み、赤が失われ空には藍色が広がっていく。

 アテネと手を繋いだまま海岸線を歩くルカは、ふと、海を見つめて立ち止まった。

「――――あれは?」

 ルカの瞳に映るのは、暗くなって来た海を進む三隻の中型船と、八隻の小型船だ。 

「どうかしたのですか?」

「あそこに船が見えるんだ」

 ルカは湾の入口を指さす。

 トリニティ湾は岸壁に囲まれているおかげで、風も波も穏やで、水深も深く、嵐などの被害に強い構造になっていた。

 さらに、湾の入口の岸壁には、要塞が築かれていた。

 百年以上の歴史を持つ古い城ながら、四〇門もの紋章砲を備えた堅牢な要塞だ。

「こんな時刻に? 入港が遅れた貿易船でしょうか?」

 湾に侵入してくる船団は、コロンビアと同盟関係にあるイスパニア帝国の旗をなびかせていた。

「武装はしていますか?」

「いや、砲の類は見当たらない」

「やはり、貿易船ではないでしょうか? クラーケンの影響で海が荒れたのかもしれません」

 確かに、アテネの言う通り、貿易船にしか見えない。

 だが、ルカは嫌な予感がしていた。

 何故なら、船の甲板の乗員が何やら慌ただしく作業をしているのだ。

 さらに、船首方面の静索が、ロープではなく『鉄の鎖』が使われていた。

「いや、待ってくれ! あの船の特徴、確か本で見たぞ……」

 どういうわけか、テミス副長に気に入られたルカは、怪我の療養中に読めと何冊か本を渡された。

 字の読めないルカにもわかる絵付きの図鑑で、そのうちの一冊である『艦船図鑑』に乗っていた船の特徴が、湾に侵入してくる船とピタリと一致するのだ。

 重くて錆びやすい鉄の鎖を、わざわざ静索に使う理由はただ一つ。

 砲炎によって、燃えない為だ。

「アテネ! あれは貿易船に偽装した、臼砲艦だ!」

 臼砲とは、名の通り臼のような形の大砲で、極端に肉厚で短い砲身を持つ。

 絶大な威力の紋章弾を発射出来るが、巨大で超重量という欠点があり、主に地上で使われる攻城兵器だ。

 その臼砲を、無理やり船に載せたのが『臼砲艦』である。

 直後。

 ――――ズドンッ! と、腹に響く大砲の音がこだまして、山なりに発射された特大の火炎弾が、藍色の空に紅蓮の弧を描いた。

「あちらは、トリニティ湾の入口にある要塞の方向です!!」

 アテナの言う通り、三隻の臼砲艦から発射された特大の火炎弾は、次々に要塞へと降り注いでいく。

 凄まじい爆炎が上がり、暗くなりかけていた空が、炎に照らされ不気味に赤く染まった。

「走るぞアテネ!」

「はい!」 

 状況は不明だが、敵襲である事に間違いない。

 ルカとアテネは、ステラ・マリス号に急ぐべく駆け出した。


   ◇


 船に戻ったルカとアテネは、砦を攻撃し続ける臼砲艦の他に、湾の出口を塞ぐように展開する小砲艦を目撃する。

 マストの頂上にたなびく旗は、イスパニア帝国の旗から、『黒髭海賊団』を示す髑髏旗へと変わっていく。

「ルカか! それに、アテネ士官候補生もいるな!」

 甲板で指揮を執るテミスが、そう言って声をかけてきた。

「アテネ、ルカの両名、ただいまステラ・マリス号に帰還いたしました!」

 アテネは敬礼して答える。

「二人とも無事でよかった。見ての通り海賊の襲撃だ。奴らめ、性懲りもなく!」

 ドドドン――と、小砲艦から水流弾が発射され、ステラ・マリス号の近くに水柱が上がるが――

「威嚇だな」

 ルカは敵の砲が射程外である事を、冷静に見抜く。

「ああ、そうだ。攻めてこずに、このまま湾を封鎖するつもりだ」

 海上封鎖は、海戦における作戦の一つだ。

 トリニティ港は、一日に何百隻という船が往来するため、このまま海上封鎖を許せば経済的な損失は計り知れないだろう。

「要塞は、どうなりましたか?」

 と、アテネが尋ねる。

「いましがた海兵隊の偵察部隊を派遣したところだ。戻って来るにはしばらくかかる。だが、臼砲艦まで持ち出されては……最悪の事態を想定せねばならないだろう」

 テミスはそう言って、アテネに向き直る。

「艦長は敵の狙いが湾の封鎖と分かり、先ほど全士官に非常召集を掛けられた。これから作戦会議が行われる。アテネ士官候補生も出席するように」

「了解しました」

と、アテネ。

「では、私は先に行く」

 副長としてやる事が沢山あるのだろう。

 テミスは下士官に現場を任せ、足早に去っていった。

「ルカ。私はこれから作戦会議に向かいます。いつ海賊が襲ってくるかわかりません。くれぐれも警戒して下さい」

「大丈夫だ。安心しろ。俺が目を光らせておく」  

「…………はい!」

 アテネは信頼の眼差しでルカを見上げ、コクリと頷いた。



 士官らが艦長室に集い、水兵らは下士官らの指揮のもと、それぞれの持ち場で待機する。

 黒髭海賊団との再びの戦闘とあって、誰もが不安と緊張を感じていた。

 ルカは、艦長室がある船尾楼の『甲板見張り員』を買って出た。

 もう二度と、前回のような奇襲を許さないために。アテネを守るために。

「…………そろそろ一時間になるか」

 ふいの襲撃者に迅速に対応できるよう、ルカは刀の柄に手をかけたまま周囲を警戒する。

 要塞方面からは、いまだ炎が天を焦がし、黒煙が夜空をさらに黒く染める。

 先ほど戻った海兵隊の報告によれば、やはり要塞は陥落。駐屯していた陸軍の兵士は降伏して捕虜となっているらしい。

 最悪の知らせに、作戦会議は長引いていた。

 もう一度、甲板を巡回しようとルカが歩き出した――

 まさに、その時。

「――――何者だッ!?」

 闇の向こうに人の気配を感じ、ルカは腰だめに構えて叫ぶ。 

「ほう……私の気配に気付くとは、貴様がテュッティの話していた奴隷だな?」

 闇がまるで人の形を作ったかのように、何もない暗がりから一人の女が姿を現した。

 紫のメッシュが入った銀色の髪に、銀の瞳。

 肌は死人のように青白く、長身細身の体形。

 血が乾いて赤黒く変色したかのようなフロックコートを纏い、腰には一振りの長剣を帯びていた。

「黒髭の一味か……」

 ルカはこの女に見覚えがあった。

 黒髭襲撃のあの夜に、海兵隊長セラフィナと互角に切り結んでいた凄腕の女剣士だ。

 現に、今も剣の間合いからは離れているというのに、ルカの脳裡には危険を告げる警鐘が鳴り続けていた。

(…………一瞬でも隙を見せたら、斬られる)

 ルカは刀を構えながら、静かに気を――エーテルを練り上げる。

「正確には違うが、まぁ、似たようなものだ」

「何をしに来た?」

「誰も私に気が付かぬようなら、首を二つか三つ、刎ねておくつもりだったが……」

 女は酷薄な笑みを浮かべ、粘り付くような殺気を放つ。

「そうさせないために、俺がここにいる」

 ルカは気を練りながら、刀の柄を握りしめて、すり足で一歩前に出る。

 こいつは師が話していた『人斬り』だ。

 血に魅入られ、死に憑りつかれた、生粋の殺戮者だ。 

「くくっ、貴様とはよい斬り合いが出来そうだ。こんな場所でやるには惜しい。今日のところは……その眼に免じて引いてやろう」

 女はそう言って、懐から取り出した文を投げてよこした。

「これは?」

「地獄への招待状だよ。メルティナに渡せばわかる」

 その言葉を最後に女は後ろへ下がると、闇の中に姿を消した。

 ルカは女を追うが、船縁から見えるのは暗い海だけで、女の姿はもう何処にもなかった。


   ◇


「艦長に取次ぎを頼む。緊急の知らせだ」 

 ルカは女海賊が持っていた文を手に、艦長室の前に来ていた。

 艦長室の扉を守る二人の海兵とは顔見知りであり、片方の少女が「待ってて」と言って部屋の中へ入っていく。

 ほどなくして入室が許可されたルカは、初めて艦長室に足を踏み入れる。

 艦長室は、軍議などに使用される会議室と、その隣にある艦長用の個室の二つに分けられる。

 赤いカーペットが敷かれた室内には、長卓があり、そこには艦長を初めとするステラ・マリス号の士官たちがいた。

「緊急の知らせとは一体なんだ、ルカ?」

 テミスがそう尋ねた。

 ルカは、厳しい表情で作戦会議を続けていた海尉らの視線を一身に集める。

「今しがた船に侵入者があった。黒髭の一味で間違いない」

 その報告に、会議室がざわめき、

「相手の数は? 怪我人は!?」 

 と、テミス。

「相手は一人で被害はない。だが、取り逃がしてしまった」

 ルカはそう言って、女が持っていた文を差し出した。

「それは?」

「黒髭の一味から預かった。艦長に渡すようにと」

 文はまずテミスに渡され、封蝋を割って中に危険物がないか確認したのち、艦長のメルティナに渡された。 

「この文を持って来たのは、何者かわかるかしら?」

 中の手紙を読みながら、メルティナは尋ねる。

「名前は名乗らなかったが、面は割れている。先の黒髭襲撃の際に、海兵隊長のあなたと戦っていた女剣士だ」

 ルカは海兵隊長であるセラフィナに目を向けた。

 すると、

「――――オクタヴィアに、奴に会ったのか!?」

 血相を変えたセラフィナが、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった。

「オクタヴィア?」

 ルカの問いに答えたのは、テミスであった。

「《鮮血》のオクタヴィアと呼ばれる賞金首だ。元は海軍の一員でそれは腕の立つ剣士だったが、ある作戦で、敵も味方も関係なく斬り殺して姿を消した。再びカリブの海に戻って来たとは聞いていたが、まさか、黒髭の一員になるとは……」

 テミスの説明に、セラフィナは悲しげに顔を伏せる。

 元海軍という事は、何かしらの因縁があるのかもしれない。

「しかし、あのオクタヴィアに出会って、よく無事でいられたな」

 テミスが感心したように言う。

「幸運に助けられた。相手がやる気だったなら……こうして、ここに立ってはいなかっただろう」

 思い返しただけで、背筋が凍るほどの恐ろしい使い手だった。

 同じ敵でもテュッティの強さは、人外の領域にありながらも、一人の武人として尊敬に値する強さだ。

 だが、オクタヴィアの強さは、その真逆であった。

 もし、あの場で斬り合う事になれば、どちらも無事ではすまなかっただろう。

 と、

「『幸運』とは、我々船乗りにとって最も大切な物よ。得ようとして得られるものではないわ。大切にしなさい」

 手紙を読み終えたメルティナが、顔を上げてそう言った。

「艦長、文の内容は?」

 これまで黙っていたアテネがそう尋ねる。

 この時、軍議の意見は割れていた。

 陥落した砦を解放しても、敵の臼砲艦を排除しない限り、炎弾が雨のように降り注ぐ。

 かといって封鎖された湾内で艦隊戦をするには、ステラ・マリス号は大きすぎた。

 なら、防備を固めて援軍を待つのはどうか?

 フリョーダの海軍本部に援軍を要請すれば、一週間後には大艦隊が沖合を埋め尽くすだろう。

 そうなれば、湾と沖合から敵を挟撃して鎧袖一触にすればいい。

 一見、堅実な作戦に見えるが、大きな問題が残されていた。

 ステラ・マリス号は、二日後にはクラーケン討伐のため、出港しなければならなかった。

 あの海獣を排除しなければ、これから先多くの犠牲者が出るだろう。

 さらに、砦で捕虜になっている陸軍の兵士らの問題だ。

 彼らの命が援軍が到着する一週間もの間、無事であるはずがなかった。

 と、

「洒落た文面だったけれど簡単に言えば降伏勧告よ。夜明けまでにステラ・マリス号を引き渡せ。さもなくば、捕虜を殺し、街を砲撃して火の海に変えるぞ。だ、そうよ」

 メルティナは長卓に座る士官らを見渡しながら、文をクシャリと握りつぶす。

「――――ッ!」

 アテネは怒りに目の色を変え、他の士官らもそれぞれ怒気を孕んで拳を握りしめた。

 誰もが、犠牲を覚悟の戦闘を確信した。

「ご苦労だったルカ。我々はこれより決戦を前提とした軍議に入る。お前は持ち場に戻れ」

 と、テミスが言った。

 ルカは了解と答え、艦長室を出ようとするが、そこに待ったをかけたのは艦長のメルティナであった。

「参考までに、ルカ――君の意見を聞きたいわ」

 会議室にいる士官のほとんどが、メルティナの言葉に怪訝な顔をする。

 すると、

「艦長、彼女の優秀さは聞き及んでいます。ですが、見習い水兵に今の戦況が理解出来るはずありません。あまりお戯れは……」

 メガネをかけた海尉がそう言った。

「意見を聞くだけよ。五分もかからないわ。どうかしら、ルカ?」

「俺の意見なんかでよければ」

 ルカはコクリと頷いた。

「我々が成すべき戦術目標は二つ。陥落した砦の奪還と、湾を封鎖する海賊たちの撃滅。言葉にしてしまえば簡単に聞こえるけれど、大きな問題が幾つも隠されているわ。さらに加えて、『夜明け』までという時間の制約まで付いた。作戦遂行にあたり考えられる障害は?」

 メルティナの問いに、ルカは腕を組み一分ほど思案する。

 ルカは、鬼と呼ばれる大地神の眷属から、何百年も都を守って来た鬼狩りの子だ。武芸全般は幼少の頃から、父や、祖父から厳しく教わって来た。

 そして、 

「守れば捕虜が犠牲となり、砦を攻めようとすれば臼砲艦が邪魔をする。その臼砲艦を潰そうとすれば湾の狭さが仇となる。大きな犠牲を払って封鎖を突破できても、沖合には――後詰の戦列艦が待機しているだろう。思いつくのはこれぐらいだ」

 ルカの答えに、会議室が大きくざわめいた。

 見習い水兵が僅かな時間で、軍議で上がった全ての問題を言い当てただけでも驚きなのに、ルカはさらに後詰の存在を示唆して見せた。

「お、驚きました。先に上げられた問題は把握していましたが、最後にいわれた後詰の存在は見落としていました」

 先ほどのメガネをかけた海尉が、信じられないといった表情でルカを見る。

「そう考える根拠は?」

 メルティナは『戦列艦』の存在を念頭に入れていたが、確信を持つまでには至っていなかった。

「この一時間、停泊している敵艦の位置を確認していた。臼砲艦の配置はここと、ここの三方向に分かれ、小砲艦は臼砲艦を護衛するように前面に展開して湾を塞いでいる」

 ルカは長卓に歩み寄ると、海図の前に立って軍議用の駒を配置していく。

 まるで上空から見たかのように、正確な敵の配置図が出来上がっていく様子に、

「こ、これは」「まさか……」

 海図を見つめる海尉たちからは驚きの声が上がり、感嘆のため息へと変わっていく。

「見ての通り敵の配置が綺麗すぎる。優秀な指揮官の元に『陣形』を組んでると見るべきだろう。そして、陣を組んでる前提で敵の配置を見れば、どうしても『ここ』が空いて来る」

 海図の上をコツコツと叩くルカ。

 そこは港の位置からは、岸壁と砦で『死角』となってる湾の『外』であった。

「か、艦長……彼女は一体何者なのです?」

 メガネの海尉がそう尋ねる。

「今はまだ見習い水兵よ。ただ、彼女が将来何者になるかを……私はとても楽しみにしているわ」

 メルティナから称賛を受けるが、ルカは戸惑うしかなかった。

 ルカは目がいい。

 だが、その目のよさが、物理的な視力にとどまらない事を、ルカ本人は気が付いていなかった。

 停泊する船の位置を見るだけで、隠された船を看破出来るのも。 

 剣を振るう姿を見るだけで、一つの流派を会得出来るのも。

 人を見る目。状況を見る目。先を見る目――と、いった『目』を通して得られる情報を、精査、分析するのに天性の才覚を持っていた。

「では、俺は下がります」

 ルカは役目を済んだと思い部屋を退出しようとするが、そこに再びメルティナが待ったをかけた。

「まだ五分経ってないわ。これが最後の質問よ」

 メルティナは、海図の上にステラ・マリス号を模した駒を置いた。

「もし、君が『指揮官』だとして、これらの難題を前にどう戦うかしら?」

 見習い水兵に問う質問ではなかったが、今度はメルティナの言葉に反対する者はおらず、誰もが皆、注目してルカを見やる。

 犠牲を鑑みずに戦えば、現状の戦力でも勝利は可能かもしれない。

 だが、それに多くの犠牲が伴う。

 士官たちが頭を悩ませているのは、如何に犠牲を最小限に抑えるか、その一点にあった。

 ルカはしばらくの間、海図を眺めて思案する。

 そして、

「敵の奇襲が成功し、こちらが圧倒的に不利な状況に置かれている現状では、奇策を弄するよりも真正面からぶつかる方が被害は少ないと思う。俺が攻めるなら、砦の奪還と、臼砲艦の攻略を同時に行う」

 と、ルカは提案した。

「陸と海との二方面作戦は私も考えた。だが、ステラ・マリス号で臼砲艦を相手にするには、湾の狭さが問題となるのではないか?」

 そう問うたのは、海兵隊長のセラフィナだ。

 士官たちはルカの言葉を真剣にとり合い、議論を加わる。海尉として厳しい試験を乗り越えた来た彼女たちは、ルカの才覚に気が付いていた。

「ああ、わかっている。だから二方面ではなく『三方面作戦』を提案する。この船は、臼砲艦と戦うのではなく、敵の目を惹きつける『囮』になって貰いたい」

 ルカはステラ・マリス号の駒を掴んで、海図の真ん中に駒を配置した。

「詳しく聞かせて貰いましょう」 

 と、メルティナが言った。

「まず海兵隊を二手にわける。一組は砦の攻略に。そして、もう一組で臼砲艦を『奪い』に行く」

 ルカは砦と敵艦に、味方の駒を配置した。 

「なるほど、倒すのではなく奪うのか。上手くいけば、少ない戦力で多大な戦果を得られるが……」

 テミスは口元に手を当て、海図を見つめる。

「襲われてばかりは癪だからな。やられた事をやり返す。敵の停泊場所は正確にわかっているし、手漕ぎボートでいけない距離じゃない」

「ですが、敵も夜襲への警戒はしているでしょう? 万が一見つかれば全滅は必至ですよ」

 そう言ったのは、ルカの作戦を真剣に考えるアテネだ。

 確かに、海を進む小型のボートは恰好の的になってしまうだろう。

 だが、

「今夜は『霧』が出る。それもかなり濃い霧が。奇襲にはうってつけだろう?」

「!?」

 ルカの言葉に、この場にいる士官だけではなく、メルティナもが驚愕した。

 黙り込んでしまった士官たちに、ルカは自分が信用されていないと勘違いし――

「……こればかりは信じてくれとしか」

 と、呟くが、間髪入れずキラッキラした視線が飛んでくる。

 チラリと目を向けると、この場で唯一メイド姿のアテネが「信じてます!」と目で強く訴えていた。

 気恥ずかしいやら、嬉しいやらで、ルカは頬を紅潮させた。

 すると、

「まだ途中よ。続けなさい、ルカ」

 先ほどまでと雰囲気が変わったメルティナが、海図を見つめながら先を促す。

 その姿は獲物を前にした獅子の如きで、誰もが緊張感に息を呑む。

 ルカはコクリと頷くと、

「臼砲艦への夜襲が成功すれば、次は砦の攻略だ。先に言った通りこの船には派手に立ち回って敵の目を引き付けて貰う。幾ら砦の警備が厳重でも、この船が動けば対応せざるを得ないだろう。湾を封鎖している船も同じくだ」

 皆に説明しながら敵の駒を、ステラ・マリス号を包囲するように動かしていく。

「最後は、動き出した敵の戦列に向け、奪った臼砲艦で背後から砲撃。ステラ・マリス号の脱出路を切り開く」

 ルカは海図の敵駒に向け、臼砲の火炎弾であるかのように拳を振り降ろした。

 ドンッと、鈍い音が響き渡り――

「沖に出てからの戦闘は、艦長に任せれば何も心配はないだろう。俺からの意見は以上だ」

 と、締めくくった。

 顔を上げたルカに対して、士官らは無言のまま海図を見つめ続ける。

 勢いに乗って語って見せたはいいが、自分は海戦の素人だ。

 きっと幾つも穴があるだろう。

 だが、少しでもこの船の役に立ちたいと、アテネに降りかかる危険を減らしたいと、ルカは考えていた。

 と、

「皆に尋ねるわ。この『作戦』に反対の意見がある者は?」 

 メルティナがそう言った。

 海尉たちは顔を上げ、ルカを真っすぐに見つめる。

 十秒経っても、二十秒経っても、反対の意見は上がらず。

「では、この作戦で行く。作戦名は『オペレーション・ミストハウンド』。副長、作戦計画書に立案者の名を、ルカと記入しておきなさい」

「了解しました、艦長」

 テミスは嬉しそうに頷いた。

「海兵隊長。部隊を三つにわける。隊員を選出しなさい」

「お任せ下さい」

 セラフィナはルカを頼もしげに一瞥したのち、メルティナに敬礼した。

「ま、待ってくれ! 作戦とは、俺が今いった意見の事なのか?」

「ええ、そうよ。とても子細な計画だったわ。現状最も成功率の高い作戦といえるでしょう」

「だが、俺は――」

 奴隷だという言葉を辛うじて飲み込んだ。

「ルカ、君の欠点はその自己評価の低さにあるわ。心配しなくても、海千山千の気難しい海尉たちが君の作戦を支持している。艦長である私もね」

「気難しいとは酷いですよ。艦長」

 テミスが拗ねたように言うと、会議室にドッと笑いが起きる。

「艦長、早く指示を。必ずこの作戦を成功させましょう!」

 興奮気味に言ったのは、メガネの海尉だ。他の海尉たちも、口々にルカを称賛する。

 海軍は、生粋の能力主義だ。

 陸を離れた船は一種の孤島であり、生き残るには優秀でなければならない。だからこそ、海軍では、生まれも、身分も関係なく、能力がある者が評価される。

「ええ、わかっているわ」

 メルティナは次々に士官たちに指示を飛ばし、最後にルカを見やる。

「さて、夜霧の海を進むには目のいい優秀な『船頭』が必要だけれど、誰か……志願する者はいなかしら?」

 チャンスを与えられているのだと、ルカにはわかった。

 アテネと共に戦い、彼女を守る事が出来るチャンスを。

 だから、

「目のよさなら誰にも負けない。俺が志願します!」

 ルカは、己の意思で命を懸けた戦いに挑む。


 この夜。コロンビア海軍史に残る大反攻作戦が決行される事となる。

 その作戦立案者の名前が、一人の『見習い水兵』である事を知るのは、今はまだ一握りの人間だけであった。



すみません、体調不良で1回休みました。

今日から再開します!

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