そうだ、その言葉を言いたかったんだ
俺は二十七歳の一般会社員。
だったのだが、つい先程死んでしまった。
死因は溺死。
地元を襲った巨大サイクロンが原因だな。
珍しく実家に帰っていた俺は、今までに類を見ない台風に出くわした。
普段はそよ風のように振る舞って人を安心させておき、一番大事な所で吹き荒れる。
そんなツンデレサイクロンのせいで、俺は死んだのだ。
そりゃあな、爺さんが「ちょっと田んぼが心配でな……」とか言ってたんだもん。
俺が動かない訳にはいかないって。
爺さん足悪かったし。
まあ、結果から言って一番悪かったのは、俺の頭なんだけど。
田んぼの様子を見に行った俺は、足を滑らせて転倒。
ヌートリアが排水口から出てきて、驚いてしまったのだ。
頭を打った俺は、昏倒したまま用水路へ吸い込まれていき……。
まあ、早い話、事故死だ。
言い訳のしようがない。
何という情けない死に方だろうか。
仕事に打ち込みまくっていた俺のことだ。
きっと死ぬ時は過労死だと思ってたんだけどな。
まさか水攻めにあってしまうとは。
で、てっきりこれで俺の人生は終了したかのように思われたのだが。
起きてみれば、俺は大きな農園に突っ立っていた。
しかも、かなり力を入れないとその場から動くこともままならない。
ふと足をみてみると、足が一本しかなかった。
しかも、その材質はどう見ても藁。
水面に映る俺の顔は、無気力な普通顔から、見事な落書き顔に変わっていた。
ナンテコッタイ。
なぜだか知らんが、俺は案山子に転生してしまったらしい。
なんという転生先。
神というものがいるかは知らんが、もう少し選ばせろと。
まあ、数日をここで過ごして、特に居心地が悪くないということを知るのだけれど。
いいよ、ここ。
働かなくても怒られないし。
時折、大きな鳥から色んな物を爆撃してくるけど、そこは俺の機敏な動きで回避。
力を入れれば、相当力強く動けることを知った。
一回試してみたら、ジャンプすること10メートル。
この体力であれば、五輪祭でも活躍できるに違いない。
密かにガッツポーズを決め込もうと思ったが、俺には指もなかった。
てか、こんな寂れた中世世界に、オリンピックなんてないだろうしな。
数日を過ごす内、この農園のことが分かるようになった。
ここは地元でも有数の大農園。
農奴と思われる人たちが、汗と涙を流しながら働いていた。
グリンガムの鞭的な武器で、農奴をしばく領主。
そいつを見て、地獄に落ちろよと思うようになった。
まあ、俺にとばっちりが来ないならいいや。
その日も俺は、空を見てまったり過ごしていた。
そんな折――
「貴様ァッ、何をやっている!」
「……ひっ!?」
「またお前か! これで何度麦をダメにしたと思っている?
労働力にもならないのなら、いっそ死ぬか」
「……い、嫌です。私、生きたいです」
泣き崩れる少女。
どうやら、麦の取り扱いに失敗してしまったようだ。
それを見て、領主がカンカンに怒っている。
頭がタコみたいだな。茹でたら美味しいかもしれない。
すでに真っ赤に茹で上がってるけど。
少女が嗚咽を上げると、領主は舌打ちをして立ち去った。
「チッ、次にやったら豚の餌にするからな」
見事な小悪党だ。
まあ、養ってるだけマシなんだろうけどな。
あんまりこの世界のことは知らんけど。
少女は何度も泣き、なかなか仕事をうまくこなせていなかった。
麦の収穫もできないのだろうか。
耐えかねた俺は、ひょいひょいと辺りの収穫時の麦を一閃し、束にまとめていく。
それを少女の背後にドサリと置き、静かに空を仰いだ。
「……えっ!?」
音に驚いた少女が振り返る。
だが、そこには案山子が一体立っているだけ。
その足元には、どれだけやっても上手く収穫できなかった麦が積み上げられていた。
少女はしばらく沈黙していたが、俺にペコリと頭を下げる。
そして、そそくさと束を領主のもとに持っていった。
翌日以降、少女は俺の方を気にかけるようになった。
かわいいな。
労働している姿は憐憫に満ちているが、儚い花を思わせる。
ポエミーな妄想をしつつ、俺は見えない所で少女の仕事を手伝った。
運良く動いているところは見られなかったが、少女は明らかに俺を不審がっていた。
『あの案山子、変なんです』って通報されたら俺どうなるのかなー。
死ぬのかなー、殺処分かなー。
なんて事を夢想していたが、結局少女が領主に俺のことを告げることはなかった。
ただ、休みの時に、俺にもたれかかってスヤスヤと眠るだけ。
愛くるしい寝顔だな。
時間が許す限り、この少女を眺めていたいものだ。
案山子ながら、俺は内心でそう思ったのだった。
それから数ヶ月。
仕事をどんどん覚えていき、領主から怒られることも少なくなった少女。
彼女は昼に支給される飯を、いつも半分に分けて俺の足元に置いていく習慣を身につけた。
なんだろう、俺が食うとでも思っているのだろうか。
俺は別に腹減らないんだけど。
まあ、せっかくの好意だ。とやかく言うこともないだろう。
夕方時になると、俺の供え物をしっかり食べていくからな。
それだと置いた意味あるんですかー、って突っ込みたくもなるけど。
まあ、少女の可愛い行動だと思っておこうか。
そんなこんなで、楽しくも甘酸っぱい日々が過ぎる。
俺と少女の世界はここで閉じて、ここで楽園を迎えていた。
だが、外の世界はそんなこともなかったようだ。
領主の隣に住んでいる大貴族が突如、私兵を派遣して侵攻してきた。
不当な侵略だ。
領主も何とか押し返そうとしたが、権力も兵力も脆弱。
一族郎党を引き連れて、自分たちだけ逃げ去ってしまった。
すると、他の農奴も一斉に脱走して行く。
他に行くアテなんて無いはずなのに。
聞く所によると、攻め込んできてる大貴族様は、敵の全員粛清が大好きな人らしい。
侵略した領地の人を皆殺しにする性癖をお持ちのようで。
『虐殺公』と呼ばれて恐れられているのだとか。
何でそんなのに目をつけられちゃうかなー。
のんきに考えていると、少女が小屋から慌てて走ってきた。
台車を引っ張ってきて、俺の前に置いた。
おいおい、何をしているんだ。
早く逃げろよ、死ぬぞ。殺されちゃうぞ。
それ以上に、お前可愛いんだから、慰み者にされちゃうぞ。
俺は始めて少女の前で動いた。
じりっ、と一歩少女から距離をとった。
そして、少女の後方、逃げ道をビシッ、と指して『行け』のジェスチャーを取った。
だが、少女は耳をかさない。
俺を地面から引っこ抜くと、台車に乗せたまま農園からの脱出を計った。
あばばばば、舗装されてない農道は振動があばばばばば。
吐きそうになりながらも、俺は耐えていた。
そして、農園から脱出するまであと少し。
その境界線に到達した途端、俺の身体の一部が爆発した。
――ボォンッ、バチッ、バヂヂ……
強烈な炸裂の後に、燃えていく身体。
それを見て、少女が絶叫の声を上げた。
「……か、案山子さん――!」
少女が慌てて農園内に戻り、境界線から俺を引き剥がそうとする。
試しに手で境界に触れてみると、電流が走ったような痛みとともに発火した。
なるほど、俺はどうやらこの農園から出られない運命らしい。
そりゃそうか。
タダで転生なんて、させてくれるわけないもんな。
縛り付けられてたのか。
この少女と、同じように。
何が自由でまったりとした生活だ。
俺は結局、この場所から全く解放されてないじゃないか。
自嘲しつつ、少女を手で抱える。
もう大貴族の兵がすぐそこまで迫っているのだ。
一刻の猶予もない。
気を動転させている少女を抱え、農園の端にやってくる。
ここは切り立った崖になっていて、向こう側は帝都へ続く街道になっている。
といっても、ここから向こうを見ても、森しか広がってない。
その上、崖は異常に高く、向こうまでは10メートルくらいある。
普通に考えて、こんな所を渡れはしないだろう。
だが、俺には自慢の怪力があった。
やることもないから、案山子式腕立て伏せという謎の筋トレ法を編み出していた俺だ。
体重の軽い少女を投げ飛ばすなんて、造作も無いこと。
少女は俺が何をしようとしているのか、理解したのだろう。
俺の首元に、すがるようにつかまってきた。
突き落とされると思ったのだろうか。
そんなつもりはないんだけどな。
俺は若干傷心するが、少女の言葉でそれは勘違いだったことに気づいた。
「離れたくないよ……案山子さん」
涙を流しながら、俺に顔をこすりつけている。
なんだ、俺は少女をこれ以上ないくらい気に掛けていたけど。
向こうも、同じ気持ちを持っていてくれたみたいだな。
嬉しい話だ。
なら、尚更少女をここで死なせる訳にはいかないな。
俺は少女を引き剥がして振りかぶると、一気に崖の向こうへ投擲した。
少女の細身は崖を横断し、そのまま向こうに着地する。
少し擦りむいたかもしれない。
力加減をミスったか。
……怒ってるだろうな。嫌われたかも知れん。
再び肩を落としていると、少女が大きな声を上げた。
いつも大人しくて寡黙な印象のある少女の心からの声。
そんな嬉しくも悲しい声が、が向こうから届いた。
「案山子さん! 私、戻ってくるから!
絶対戻ってくるから、いなくなっちゃったら嫌だからね!」
そう言って、少女は一気に走り去る。
俺が後ろを振り向くと、私兵がいっぱい侵入してきていた。
奴らは少女が森方面へ逃げたのを見て、捕まえるために兵を送ろうとする。
まったく、無駄に声なんてかけてるから、見つかっちまうんだよ。
俺の身体を心配してどうする。
案山子なんだぞ案山子。
普通におとなしくしてれば、誰も危害なんて加えてこないって。
もっとも、俺は彼女を逃がすために、その可能性を潰すけどな。
俺は私兵の前へ跳躍し、腕を振り回す。
俺のダブルラリアットを食らった司令官は、白目をむいて失神した。
すると、にわかに辺りが騒がしくなる。
「なんだ、この案山子は!?」
「知るかよ、きっと化けもんだ。やっちまえ!」
「珍しくていいじゃねえか。これも一緒に献上しようぜ」
俺を見て、報酬を頭に思い浮かべる私兵たち。
違うだろう。
お前たちが思い描くべきは、どうやってボロ負けしたことを貴族に報告するかだ。
俺は一気に距離を詰め、敵兵を蹴散らしていく。
背中をザックリ切られたりするが、境界に触れるよりは圧倒的にマシだ。
力の続く限り、暴れ回る。
その時だった、俺の身体が大炎上したのは。
熱い、熱い熱い熱い熱い熱い。
なんだこれ、火矢か。
嘘だろ、さっきの私兵はこんなの持ってなかったのに。
そう思って飛んできた方向を見ると、貴族らしき男が俺に矢を射っていた。
下卑た笑みだ、あれがこの侵略の首謀者か。
大貴族が矢を放ったのを皮切りに、数の暴力で襲い掛かってくる。
まさに多勢に無勢。
次々と身体が蹂躙され、藁が消し飛んでいく
そんな劣勢の中、俺は静かに微笑んでいた。
バカが、大将がこんな前線まで出てきてどうする。
あの大将を滅すれば、この争いは終わってことだな。
俺は残った力を全て振り絞る。
そして、案山子として、少女を守るため、敵に真っ向から挑んだのだった――
十年後。
この地には平穏が訪れていた。
逃げ出した領主は怯えたまま帰ってこなかった。
そして侵略しようとした大貴族は、なぜか一族全員が重傷を負って退却したそうな。
後に貴族の当主は心労で亡くなり、この大地を狙う権力者もいなくなった。
なんたって、新参の富豪が農園を所有できるほどだ。
今日はそこのトップがこの大農園を訪問することになってるみたいだけど。
まあ、興味なんて微塵もないな。
帝国の治安もだいぶ良くなってきたし、安心だろう。
あとは、俺がここで朽ち果てるだけだ。
俺は静かに己の体を見下ろす。
10年前の激闘で、両腕を失い、頭も半分どこかに行ってしまった。
藁もほとんどが崩れていて、炎で焼けた跡が痛々しくこびりついていた。
蓄積されたダメージは、年月とともに体を蝕む。
ここ最近になって、俺は自分の寿命を悟った。
もう、そろそろ死んでもおかしくない。
ていうか、意識を切らせたら、もう二度と起き上がれそうにない。
気味悪がって、誰も修理してくれないからな。
地元の子供達からは『呪いの案山子』なんて呼ばれてるし。
まあ、いいさ。俺の人生はいっつもそうだ。
誰に看取られることもなく、馬鹿なことをやって馬鹿みたいに死んでいく。
視界が狭まる。
太陽の光も感じ取れない。
ああ、これがゆっくりとした『死』か。
前は溺死で、全く余韻なんてなかったからな。
ここで死ねるのならば悔いはないか。
約束の場所を、守って死ねるんだからな。
だけど、1つだけ。
十年間ここを守ってきた案山子として、1つだけワガママを言いたかった。
だけど、それを言葉にしてしまったら、お終いな気がする。
消え入るような声で、俺は独り言をつぶやく。
「……綺麗になってるかな、あの子。
会えると、嬉しいんだけどな――」
それこそ、俺が本当に待ち望んだ希望。
叶わぬと知りながらも、胸にいだいて生きてきた理想郷。
人生が終わりゆく。
俺はきっと、次に転生することはないだろう。
何となくだが、そんな気がする。
ああ、これで、終わりか。
静かに意識を閉鎖しようとした瞬間。
俺の身体がふわりと抱きしめられた。
崩れかけた藁が、最後の形を保ちながら誰かに支えられる。
もはや指一本動かせない。
だけど、これだけは確認しないと。
最後の力を振り絞り、俺はその女性の顔を眺めた。
いつか見た愛くるしい顔。
おとなしそうで、寡黙で、だけどやっぱり可愛い少女。
その面影を残した女性が、死にゆく俺を静かに抱擁してくれている。
涙なんてないはずなのに。
あったとしても、とっくに枯れてるはずなのに。
俺の慟哭を表すかのように、藁から水が染み出してきた。
ああ、神様がいるかなんて知らないけど。
もしいるなら、感謝してやるよ。
この人に会わせてくれて、ありがとう。
今日この日まで俺を生きながらえさせてくれて、ありがとう。
女性の愛情に応じ、俺も力いっぱい抱きしめる。
そして、藁が完全に崩れる寸前、風に乗って本心を口に出していた。
その風が少女の耳に届いた瞬間。
この世から、1つの案山子が消えたのだった。
「――ずっと、会いたかった」