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花嫁はメイド服

作者: 月夜見


 僕の部屋のドアが蹴破られた。

 驚いたが、入ってきた人間を見たら納得できた。

「ドアは蹴って開けるものじゃないぞ」

「そんな事は分かってるわよっ! それよりもどうして私がメイドなのよっ!」

 自分からメイド服を着ておいて、何を言うのだろうか。

「まあ、姫様の生活が長かったから仕方ないか。すぐに慣れるだろ?」

「嫌よっ! 慣れる訳がないでしょっ! 何を考えてるのよっ! 戦闘服を返しなさいっ!」

 物騒な女だとしか言いようがない。

「アーヤ、君の国は滅んだんだよ? ラウリ王子と婚約していたのは知ってるけど、まだ未練があるの? 滅んだ国の王女が王子の妃になれると思ってるの?」

「だから再興するんじゃないのっ!」

「おやおや、再興できると思ってるんだ? それはともかくとして、ラウリが結婚するんだけど、知っていた?」

 そう言うと、元ダルムース王国第一王女アーヤ姫は目を丸くした。

「な……何ですって……ラウリが……結婚……?」

「そう、信じられないだろうけど彼も身を固めるそうだ。宰相殿がわざわざここまでやって来て、式と披露宴に招待してくれたよ」

「へぇぇ……たかが傭兵集団に宰相を使いに出すとは、随分とあの国も落ちぶれたものねぇ」

 精一杯に虚勢を張っているが、声は震えていた。

「まあ、帝国と張り合うためにも、僕等と仲良くしておきたいと言うのが本音だろ? この世界で中立を保ってるのは僕等だけだからな」

「それならどうして私の依頼を断ったのよ?」

「金にならないから」

「お金は払うって言ったでしょっ!」

 彼女はプンスカと怒っているが、非常に可愛らしい。

 いや、凄まじく美しいのだ。


「あのねぇ、お金は払うって言ったけど、前金もなしで雇おうって言うのが間違いなの。半分は前金、成功時に残金を精算する。それが慣わしだろ?」

「それは……そうだけど。でも! 帝国を倒して国を再興すれば払えるわよっ」

 姫様育ちだからか、世間を知らないのだ。

「あのねぇ、数百万単位の軍勢を誇る帝国軍とやりあうんだよ? たった百騎ほどの僕等だけで用が足りると思ってんの? 人を集めるには金が要るんだよ? 『ダルムースが再興できたら払います』『圧制を続ける帝国を倒したら払います』で応募してくる? 帝国を倒すまでに必要な食費は? 旅費は? 戦費はどうやって捻出するのさ? まさか僕等に負担しろとか言うつもり?」

「一人で一万の軍勢を破る非常識な傭兵集団のくせに、随分とまともな事を言うじゃない?」

「それはただの噂だってば。……でも、アーヤは何を着ても綺麗だなぁ」

 見て惚れ惚れとしてしまう。

 正確に言えば、惚れ直しているのだ。

「え? そ、そう……? そんなに綺麗? でも、このフリフリがちょっと……」

「まあ確かにいつものミニスカートの方が色気があって良いけどね。でも嫁入りしたらそういうフリフリのドレスを着るんだよ? 慣れておいた方が良いと思うけど」

 彼女はあのバカ野郎を思い出したのか、顔を赤くした。

 正直に言えば、あのラウリという大バカ野郎は『出来ちゃった結婚』をするのだ。メイドに手を付けたとかではなくて、大貴族の娘に手を出しやがった。

 宰相殿が持ってきたバカからの手紙には、『アーヤと会えなくて寂しくて、つい』などと書いてあったが、彼女に対して悪い事をしたとは思っていないらしい。結婚相手がいかに美しいかを何枚もの便箋にびっしりと書き連ねた挙句、『僕等の幸せな顔を見に来て下さい』などといけしゃあしゃあと書いて寄こしたのだ。

「でも……ラウリは結婚するのよね。私……捨てられたのね……」

「まあ、そういう事だな。別の相手を探せよ」

「はぁ……ラウリよりも良い男がいるとは思えないわ。目の前にいるのは、世界最強の傭兵集団を率いる世界最強の男だけど、冷たい性格そのものの仮面を着けているし。しかも素性の分からない謎の人物だし、何故かメイド服を着せるし。……はぁ、溜め息が出ちゃうわ」

 そこまで冷たいだろうか?


「冷たいわよ。依頼は断るは監禁してメイド服を着せるは挙句の果てにラウリじゃない男を探せとか言うは、冷たすぎるわよ。あなたみたいな男を、冷血漢って言うのよ」

「あのねぇ、依頼を断った理由はさっき言っただろ。監禁したつもりなんかないぞ? 君が居座ってるだけじゃないか。メイド服だって箪笥に入っていたのを引っ張り出したんだろ? 君がいる部屋は元々メイドが使っていたんだ。戦闘服を返せと言ったけど、取り上げてなんていないぞ? あんなに君に似合う色っぽい戦闘服を取り上げるほど、僕はおかしくない」

 彼女は怒りからなのか、顔をまた赤くした。

「で、でも……服が消えたわ……」

「洗濯してそのままとか」

 目の前で『あっ』という小さな声がした。

 そして大きな音がしてドアが閉まった。もちろん、アーヤの姿は消えている。

「やれやれ」

 大きな溜め息が出た。

 昔からあの女は変なところでおっちょこちょいなのだ。

 幼い頃から直衛を務めていた僕の声も分からないくらいに、忘れっぽい。

 そのくせ正義や愛などと言ったものを振りかざして、直情的に行動する。

 困ったものだ。

「まったく姫様にも困ったものです。私の名前も顔もお忘れですからな、お頭」

「まったくだ。子守をしていたジョン・モース・フラシーヌ伯爵も忘れるとは、どんな頭をしてるんだろうな」

 先ほどから僕のそばにいた中年の男性が、僕と同じように困った顔をしていた。

「昔は聡明な姫様だったのですがねぇ。偽名を使っているのはお頭だけだと言うのに、お気づきにならないとは」

「僕等の印象ってそんなに悪かったのかな? それとも印象に残らないほど軽い存在だったのかな? おバカなラウリとやり捲くってバカが移ったか?」

「私には何とも言いかねますな。……ところで、バカな王子……いやラウリ王子の祝賀には?」

 また溜め息が出てしまった。


「宰相殿が来たからなぁ、誰かしら出席しないと拙いだろ。……トマムにでも行かせるか」

 ジョン・モースは苦笑していた。

「お頭、祝宴にトマムはいかがなものですかな? あのごつい体格の仮面男のトマムでは、ちと場違いかと」

「たまにはあいつにも華やかな雰囲気を味わわせてやらないとな。結構あいつも口が達者だから平気だろ?」

「では早速、我等ヒュメール傭兵集団の存在感を誇示する口上を考えるとしましょう」

「悪いけど、頼むよ。トマムなら一人で行かせても平気だからな。何しろ一人で一万五千を蹴散らした男だ。……あの戦いの後であいつが零した言葉を覚えてるか?」

 笑いを堪えているのは彼だけではない、僕もだ。

「ええ、よく覚えていますよ。あれだけの大軍を潰しておいて『本隊はどこだ?』ですからねぇ」

「まったく、ウチの連中は惚けた奴等が揃ってるよなぁ」

「まったくですよ。ラツキも二万の敵を全滅させておいて『後は本隊だけか』などと言いましたからねぇ。惚けていると言うか相手が弱すぎると言うか何と言うか」

 最早、大笑いだ。

「ラウールもそうだな。『偵察に行く』と言って出て行ったら二万の軍勢を全滅させて来て、それで報告が『小競り合いがありました』だから」

「マットも同じですな。『矢の補充をする』と言って敵陣から大量に持ってきましたからなぁ。惚けた男たちで」

「そういうお前もだ、ジョン・モース。昔からじゃないか? アリトン公国と戦争になった時、お前は十二万の軍勢をたった二時間で全滅させて『予想より二十分ほど早く終わった』などと言っていたじゃないか」

「ああ、そう言えばそんな事もありましたなぁ。こう言っては何ですが、お頭に似てしまうのですよ。初陣で何をされたかお忘れですか? 国王陛下が『国境線まで押し戻せば良い』と仰せになったのに、あっと言う間に敵の首都郊外まで攻め入ったのですよ? それもたったの五千で」

 昔話に花が咲く、と言ったところか。

 そうした話ができるのは平和な証拠だ。


「で、ジョン・モース。支配地域の市長たちが来るのはいつだ?」

「ええと、明日の夜には全員が揃うかと。シェルターへの食料の搬入は順調のようですな、それと避難訓練も」

 彼等は状況を理解してくれているようだ。

「披露宴の真っ最中に宣戦するだろうから、夜明けまでには女子供をシェルターに匿わせないとな」

「そうですな、ここまでは進軍しないと思いますがあのバカ王子の国との境は、恐らく大混乱になるでしょう。戦を仕掛けるのと戦術はまあまあですが、長期戦略に欠けますなぁ。解放軍とやらも同様で」

「まったくだ、長期展望に欠ける。バカ王子はお人好しで政治の厳しさを知らないし、帝国皇帝は戦争が好きだし、殆どの民衆は何も考えていないし、困ったもんだ」

「ですがお頭、我等の支配地域の民衆は少なくともバカではありませんぞ。特に子供たちは熱心に勉強しております。政治や経済に長けた人間となりつつありますからな」

「まあな、あいつ等いつの間にか自衛軍までこさえやがって。その上、村や街の連携まで勝手に取り出しやがった。挙句の果てに食糧備蓄が三年分だと? 笑わせてくれる」

「はあ、お頭が入れ知恵をしてしまいましたからなぁ。もっとも、我等の支配地域はクバイナ家の領地でしたから、教育は行き届いていて経済的に富裕な地域です。ご先代の頃には既に消防と警察機構もきちんと機能していましたから」

「ふん、じいさんも親父も熱心だったからな。……懐かしいな、いつもどこかで剣の大会があって……皆が熱心に参加して……お祭りみたいに皆で楽しんで」

「子供たちに剣を教えるのも楽しかったですな。お頭も楽しんでおられた。……今も続いておりますから懐かしいとも言えませんが」

「ははっ、確かにそうだ。毎週どこかで大会があって、僕等の誰かしらが参加しないと苦情を言いにくるからなぁ。ヨアキムなんて毎週大変だ、弓が上手だからって引っ張りだこでな」

「そうですなぁ、私にもあの男の弓を引く事は出来ません。お頭くらいですかな、あれを上回るのは」

「射程距離はあいつの方が長い。僕はどっちかと言うと連射型だから」

「役割の違いですな。ヨアキムのおかげで作戦立案が楽ですから」

「まあな、拍子抜けするほど簡単だ。どうしてウチの連中はそうやって人間離れした真似を平気でするんだろうな? 僕とジョン・モースが将軍職にいた時から変わっていない」

「類は友を呼ぶのですよ。ついでに言えば、朱に交われば赤くなると」

「はっ、確かにお前の言う通りだな。僕がダルムースから追い出されたら、勝手についてきやがった。お前が先頭に立つから皆がついてきたんじゃないのか? いくら家来筋でもやりすぎだぞ、将軍職と伯爵位を自分から捨てやがって」

「お頭、私には人を見る目があるのですよ。あの国王は軍の要であるお頭を簡単に放逐なされた。要がいない軍など烏合の衆です、帝国に滅ぼされるのも自明の理かと」

「まあな、他の将軍たちは帝国皇帝が何を考えてるか理解しなかったからな」

 これもまた昔話だ。

 まだこの砦は平和なのだ。そしてこのクバイナ地方は。



 各地の長が集まってきた。

 それは良いのだが、アーヤはラウリのバカが本格的に移ったらしい。大広間で演説を始めやがった。

「ですから! この地方を除くダルムース領では帝国の圧制に民衆が苦しんでいるのです! 我等解放軍が帝国を倒し、ダルムース王国を復興させなくては誰もが苦しみ続けなくてはならないのです! お願いです、あなた方の祖国ダルムースの解放と再興に力を貸して下さい!」

 集まった連中が困っているのも当然だな、関係ないから。

「あのぉ、姫様。申し訳ないんだけんどもよぉ、俺たちはお国から何にもしてもらってねえだよ。年貢ばかり厳しく取り立てられてよぉ、歴代のクバイナ公爵様があれこれと知恵を授けて下さらなかったら、俺たちなんて今頃は飢え死にしてるはずだぁ」

「んだなぁ、公爵様に納める年貢は毎年少なくなるのによぉ、お国に納める年貢は毎年増えてよぉ、ツアーク様の時なんざ、おめえ毎日少しの野菜と魚を納めるだけだったべや」

「そだなぁ、ご先代様の時からかぁ? いやぁ、先々代様からかぁ。あちこちの村で皆とよぉ、一緒に飯食ってよぉ、んで税金も作物もちっとで良いとか仰せになってよぉ」

「ツアーク様などは、余った金があるなら首都から本を買って来いと仰せになられた。おかげで我が町の図書館は蔵書の整理に困っておりますからなぁ。子供たちが整理をしてくれますが、読みながらだから何年かかっても終わらぬ状態ですぞ」

「左様、我が町も同様であるな。図書館に加えて大学と大学院の設置までご命令になられて、各地から学生が来るから宿舎を増設せねばならなかった。もっとも、税で納めるくらいなら教育に使えとツアーク様に怒られてしまったからな、喜んで使わせて頂いたが」

 どいつもこいつも勝手に喋りやがって。

 アーヤは愕然としているけれど。

「そ、それは……ですが! それをこの地方だけで享受して良いのですか! 誰もが同じようにすべきではないのですか! このまま帝国の圧制を許していては、いつかはここも同じ事になるのですよ!」

 そう言うだろうと思ったけれどねぇ。

「姫様ぁ、お言葉ですけんども我等は帝国軍など怖くねえだで。あっちが全軍で来てもよぉ、我等の軍は引けをとらねえはずだで」

「そうだ、我等とて数百万の規模になる! しかも軍略はバコ様とジョン・モース様が授けて下さるからな! ヒュメール傭兵集団を担ぐ我等は世界最強の軍と言っても良い! だが、我等は自衛のために軍を持っているのだ! 他国を侵略し滅亡させるために軍備を整えているのではない!」

「そうだそうだ! このクバイナ地方は既に国家として成り立っていると言って良いのだぞ!」

「そうだそうだ!」

 うるさいっての。


「アーヤ、残念だがこの地方の人々は、ダルムースから独立した意識を持ってしまっているのだよ。旧ダルムース王国の国民と言う意識は少しもない。他の地方とは仲良くするが戦わない。戦いを避ける手段をいくつも用意しているのだよ。それを維持する事が現状では彼らの共通課題であり目標なんだ。維持するのに手一杯だと言っても良い。だから君の長演説は無駄だ」

「でも、ダルムースを再興させないと!」

「国を再興してどうする? 彼等が言ったように税を厳しく取り立てるだけで、他は放置するのか? どうやって国家を運営し国民の生活を守り繁栄を享受させる? そんな基本的な理念すら持たずに『帝国打倒』を掲げてるのか? 解放軍のトップなら解放後の展望と戦略を持っていなければならないのではないか?」

 厳しく言い過ぎただろうか、彼女はがっくりと肩を落としてしまった。

「あれでねえのかぁ、姫様はよぉ、ラウリ王子さんと結婚してぇからお国を再興してぇんでねえか? んでもよぉ、愛し合っていればそんなもん、関係ねえべよぉ。ぞっこんならよぉ、どんな手を使っても嫁にするだからなぁ。オラみてえによぉ」

「おめ、言いすぎだべや、俺等平民とは違うんだで? おめみてえな田舎者が隣町の町長の娘っこを嫁にすんのと訳が違うべ」

 地声がでかい奴等だ。

「そうだ、良い考えがあるぞ!」

 またでかい声を出しやがって。

「姫様はバコ様とご結婚されたら良い! 世界最強の軍隊を持った世界一平和な国のお妃様になるぞ!」

「そうだそうだ!」

「んだんだ! おめの言う通りだんべ!」

 頭痛がしてきた。


「おいおい、茶飲み話をするためにわざわざ来てもらった訳ではないぞ。ジョン・モース、後は頼む」

「承知。えー、隣国ラウリ王子の結婚式と披露宴がもうすぐ行われる予定だ」

 皆がざわついている。それも当然と言えば当然だ。

「我等にも祝宴の招待状が届いたが、トマムをお頭様の名代として出席させ本隊はここに留まる事にした。予想では披露宴の夜に帝国が彼の国に宣戦する」

 ざわつきが大きくなった。

 アーヤは顔を青くして怒りを堪えているようだ。随分と気に入っているのだな、あのバカ王子を。

「このクバイナ地方と彼の国、そして帝国は国境を接しておる。国境付近の各村と各町はかねてからの指示通り、周辺状況を確認し随時避難と防御体制を整えてくれ。状況に応じて我々が出陣する。頼むぞ」

 さすがは年の功だ、あっと言う間に全員を頷かせている。

「バコ様よぉ、戦わずに済ませられんかのぉ」

「あの国の出方次第としか言えん。帝国軍は知っての通り戦う事しか考えていない。あの国が戦線をこちらまで拡大させれば巻き添えを食う。だからこそ防御体制を固める必要があるんだ。二時間程度持ち堪えてくれれば後は何とかする。状況報告をこまめにしてくれればそれだけでも良い。その代わりにシェルターで息を潜めていろ。余計な血を流すんじゃないぞ、良いな」

「はぁ、承知しました。とにかく準備を急ぎますわい」

「皆、遠くからご苦労だった」

 やれやれ、たかがこんな事に何時間もかかるとは思わなかった。


「どうして軍を持ってるのよ、ただの傭兵集団で百騎だけだと言いながら数百万の軍隊を持ってるってどういう事よ! どうして力を貸してくれないのよ!」

 しつこい女だな。

「アーヤ、その答えはさっき出ていたぞ。クバイナ地方は自衛軍を持ってるだけ、他人を屈服させるための力ではない。僕等は彼らから食料を供給してもらい、その見返りとして安全に関する助言と緊急時の出陣を約束してるんだ」

「戦争に巻き込まれる可能性が強いから、敢えて結婚式に出席しないと?」

「そういう事さ。もっとも、平和だとしても出席しないけどね。あんなバカの顔を見るのはもう嫌だよ」

「バカ? ラウリがバカだって言うのっ?」

 困った女だな。

「バカだよ、国を背負うには頭が悪すぎる。君と一緒で長期展望と戦略に欠ける。政治理論や理念も理想も何もない。国民はどうあるべきなのか、それを代表する貴族や王族はどうあるべきなのか、そして繁栄を享受するには何をすべきで、それを維持するために何が必要なのか、現状で果たして良いのか、自分の理想が果たして国民のためになるのかどうか、そうした事を何も考えていない。旧ダルムース王国も同じ、あのバカ王子の国も同じだ。隣に好戦的な帝国を控えてるのに、結婚だお祝いだとバカ騒ぎだ。剣を突きつけて屈服させるのに絶好の機会だと気付いてもいない。剣を引いたところで斬りかかられるのと同じ事なのさ、それを理解しようとも想像しようともしない。だから、バカなの」

「……私も同じだと?」

「そうだね、同じだ。どうして僕がそう言うか分かる?」

 彼女は顔を顰めた。

「国を再興する理由が個人的なものだから?」

「端的に言えば、そう。ラウリと夫婦になりたいがために再興する、そんなバカな話が通ると思ってる事が大きいな。ダルムースを再興したとして、君はラウリと結婚する。ラウリは自分の国の王となる立場だ。そんな男に嫁いだら国はどうなる? あの王子の国に併合されるんだぞ。再興しました、はい結婚するから国は亡くなります、それで兵士が動くと思ってんのか? 誰もが騙されたとしか思わないだろ。帝国の圧制が云々とほざいたが、戦争の費用は誰が出すと思ってんだ? 国民が負担するんだぞ。誰が血を流すと思ってんだ? 兵士が死んでいくんだぞ。何のために死ぬんだ? 僕等傭兵は金のために命を張る、でも一般の兵士は国のため故郷のため家族のために戦うんだ。自分が死んだとしても故郷が繁栄するなら我慢する、家族が平穏に暮らせるためなら、家族の命を守れるなら、そう思って死んで行くんだ。それを初手から騙して上手く事が運ぶと思ってる。それも大きな理由なんだよ」

「それなら……どうすれば良いの? 皆、苦しんでるのよ? それを甘んじて受け入れるしかないの?」

 溜め息しか出てこない。

「あのねぇ、それを必死になって考えるのがトップの仕事なんだよ。そうそう、ダルムース王の怒りを買って没落した最後のクバイナ公爵を覚えてるか?」

「ええ、もちろんよ。私の直衛だったし、その……凄く良い男で頭も良くて優しい男だったわ。今はどうしてるのか知らないけど」

「彼の一族が領地であるこの地方で何をしてきたか知らないのか? さっきも話で出ただろうが」

「あ……そうね。あれが……長期的展望に立った施策なのね」

 やっと分かったらしい。


「彼は領民に幸福になって欲しいと考えていた。幸福を感じるための条件はたくさんあるが、例として経済的に豊かである事、安全である事、きちんとした教育を受けられる事、公平な事が挙げられる。彼の一族は早くからそれに着目して、一つ一つを整備してきたんだ。時間が掛かる教育を優先し、次に消防と警察の組織を民衆の手で作らせた。自分の事は自分でやる、それを徹底させた。公平である事と経済的に豊かになる事を考え、いくつも市場を作り農作物や工業製品の流通経路を整備した。そして自分たちの享楽を抑え、税を軽減し余剰資金を民衆に持たせた。余剰資金は市場に流れて民衆の間でぐるぐると回り、物質的な欲望を満たし教育と合わさる事で精神的な欲望を満たす結果を産むと考えていた。それがまだ生きてるから、彼等は公爵家が没落すると自衛のための軍隊を組織して、近隣の村や街で助け合う仕組みを作った。安全を確保するためだな」

 アーヤは俯いてしまっていた。

「その、私たちにはそんな考えなかったわ。ただ国を再興すれば、帝国の圧制から抜け出せれば良いとしか思っていなかった。お父様はただ書類にサインして……いつもパーティで騒いで、財務卿が資金不足だと言えば増税を口にしたわ。それに……ツアークが謀反を企ててると知って激怒して……何も聞かずに裁判にも掛けずに……あの顔に傷をつけて……追放したわ。もし彼がいれば帝国に負けるはずがなかったわ。フラシーヌ将軍も行方不明になって、国軍の精鋭部隊が丸ごと逃げ出して……それであっさりと負けたんだもの。たった一万で三十万の軍勢を押し戻す力のある将軍を二人も……同時に失ったから……」

「何故そのような結果になったのか、どうして旧ダルムース王国がこのような状況に置かれてるのか、それを考えな。そうすれば先は見えるだろ。誰もが辛い事から逃げたいと考えるけど、辛い事に浸るのも好きなんだよ。組織を率いるのならそうした事もあわせて考えな」

 さて、そろそろ終わりにしようか。

「お願い、力を貸して。どうすれば良いか考えるから、力を貸して」

「それなら金を用意しろ。僕等は傭兵、金を積まれれば力を貸す。事の善悪は問題にしない。ああ、そうそう、言い忘れていたけど帝国から依頼が来てるんだよ」

「依頼? 帝国から?」

「そう、解放軍を殲滅して欲しいってさ。額が少ないから断ってるけど、また来るだろ」

「そんな! ダメよ、受けたらダメ! 帝国の圧制を許しちゃダメ!」

「だから言っただろ、事の善悪は問題外なのさ、僕等は金で動くんだよ。どうしてもと言うなら、担保を寄こせよ。担保次第では契約するかも知れないぞ」

「担保? 何よ、担保って」

「あのさぁ、辞書を引いてくれよ。金が払えない時に取られても良い物を差し出すんだよ、同額かそれ以上の価値の物をね。宝石とかの財産だな、それ以外にもあるけど」

「あ、そうね……その手があったわね……」

 何やら考え込んだぞ、放っておこう。



「お頭、あれはちょっと拙かったのでは?」

 次の日にジョン・モースが苦い顔で言ってきた。

「あ? 何を持ってきても担保になる訳がないだろ?」

「姫様が担保になると仰せになったら?」

「ああ、それが一番有力なんだが、金貨で十何枚かにしかならん。そんな女が担保になるかよ」

「そんな、街の娼婦ではありませんぞ」

「同じだって。人間が担保でしかも女、それが何を意味する? 肉体を自由にして良いって意味だ。それは娼婦と同じだろうが。そうすりゃ銅貨二枚で女が買えるんだから、同じ計算で良い訳さ。出自が王族だろうと平民だろうと貧民だろうと、女は女さ」

「お頭らしいですな。まあ、我等はここで朽ちていくのが最善と」

「そうそう、皆で話し合ったように、平和を作って……守って……土地の人々と穏やかに暮らして……それで朽ちていければ良いのさ。そのために、僕等百人が知恵を出し合ってクバイナ地方を良くするプランを練ったんだ。僕等は僕等のために戦う、他人のためでも、金のためでもない。そうだろ?」

「仰せの通りですな。我等は我等のために仕事を選び、戦う。それが全員の意見ですから」

 決めるまでに何日も掛かった。

 僕は最初からそう決めていたが、何人もあの国に未練を残し義理を感じていた。

 だが、自分たちがどんな扱いを受けてきたのか、守るべき存在は何なのか、今後目指すべき未来は何か、それを皆で足りない頭を振り絞って考えたんだ。

 会議を繰り返して、自室で自問自答して、最終的に出した答えは全員が同じだった。

 だから世界最強の傭兵集団と呼ばれるようになった。

 常勝無敗を誇る我がヒュメール傭兵集団は、仕事を選ぶ。だから必ず依頼は完遂する。

 簡単な事だ。


 またドアが大きな音を立てて開いた。

 執務室のドアは早晩、どこかへ行ってしまうだろう。

「バコっ! 契約しなさいっ!」

 あのバカ姫がやってきた。

「アーヤ、命令口調でドアを蹴破るのはとても姫様のなさりようとは思えませんな」

「……ごめんなさい、つい」

「つい、って……ダルムース王宮でも蹴破っていたのか?」

「それはないわよっ! ど、どうしてかここだと……その……気楽に過ごせて……その……」

「地が出るのか。淑やかで明るく優しい姫の評判は嘘だった訳だな」

「う……そうかも……」

 王宮や戦場では違う顔を見せていたからな、少し驚いた。

「前金が用意出来ましたか?」

「ふふん、担保で良いと言ったわよね?」

「まあ、良いと言いましたが、査定はしますよ」

 彼女は少し頬を赤くして、予想通りの事を言った。

「担保は私よ、ダルムース王国第一王女アーヤが担保になるわ。これなら文句はないでしょう?」

 近くに座っていたジョン・モースと一緒に大きく溜め息をついてしまった。

「姫様、御身を担保にされるとは……正気ですか?」

「正気よ、何なら担保じゃなくてお嫁さんでも良いわ。どうせラウリは別の女と結婚するんだし、私だって新しい恋をするわ」

 ジョン・モースが困った顔で近寄ってきた。

「お頭、どうなさる? 宿願を叶える絶好の機会ですが……」

「あのなぁ、宿願と言うほど大袈裟ではないぞ。あれが命を賭けるほど値打ちのある女に見えるかよ、やれやれだ」

「はあ……確かに」

 また一緒に溜め息をついてしまった。


「さぁ、契約書にサインをして!」

「あのねぇ、君の値打ちなんて金貨で十枚程度しかないの。残念だけど桁が六つほど違うのね。残念ですが、お引取りを」

 こういう言い方をすると、プライドだけは高いアーヤは激怒するんだ。

 昔から変わっていないんだよな、まったく。

「どうしてそんな査定になるのよっ! 私は王女よっ! 嫁になっても良いって言ってんじゃないのっ!」

「あのさぁ、王女もそこらの姉ちゃんも同じ女なんだよ。女が金を稼ぐのは昔から身体を売るって相場が決まってんの、王女って経歴は客寄せにしかならないのね。でさ、嫁に来てもらいたいとは思わないから、それは査定外」

「私が嫁じゃ不満?」

「君が不満と言うわけじゃなくて、僕との見解の相違が明らかだから査定外なの。僕はねぇ、好きになってくれた女と結婚したいのさ。命懸けで恋をしないと、恋してくれないと、嫌なんだ。だから、論外」

 ぶるぶると震えて飛び出して行った。

「何とも言い兼ねますな」

「確かに。完全にラウリのおバカが移ったとしか思えない」

 また二人で大きな溜め息をついた。



 テラスでまったりとパイプ煙草を楽しんでいたら、羽ばたきが聞こえた。

「ケーッ!」

 偵察に出したココラピの愛鳥、ピピだ。

 可愛らしい名前だが、立派な鷹だ。

「ケッ」

「相変わらずお前は面白く無さそうな鳴き声だよな」

「ケッ?」

 僕の肩の上に乗って、首を傾げた。

 足に結んである手紙を取って、読んだ。

『帝国軍は国境近くで陣を張って待機中。五十万規模が我が方へ進軍中』

 予想通りと言うか何と言うか。

「ピピ、ご苦労だったな。お前は休め」

「ケッ」

 彼は頭を僕の首にこすり付けて、それから飛び立った。忙しい奴だ。

「ジョン・モース! マーリン! クオード! トーマス!」

 幹部クラスを呼んで、詳細確認だ。


「さて、どう出ますか」

「解放軍の殲滅作戦を兼ねていると思いますが……」

 地図を前にして、ココラピからの報告通りに駒を配置してみた。

「解放軍の砦を通るコースだな。お頭、使者を出してみますか」

「放っておけ、解放軍の砦を攻略したらすぐに向こうから使者が来る。残党狩りの依頼だろう。たかが五十万でクバイナを侵略できるとは、あの皇帝が狂っていても思わないさ。あいつ等だってただ戦争をしてきた訳じゃない、それくらい知ってるだろうが。ここがどういう地域か、理解してるさ」

「まあ、お頭の言う通りですか。旅行者を装った情報収集担当者が、入れ替わり立ち代りあちこちの村に顔を見せていますからねぇ。それに、サカヤールの戦いで懲りていると思いますけど」

 クオードがつるつる頭を撫でながらそう言った。

 サカヤールの戦いは、僕等百騎と帝国軍百万が衝突した戦だ。あの時はまだダルムース王国が存在していて、僕等は国庫金の大半を要求した。そして国境線上で衝突して、向こうが和議を求めて休戦したのだ。

 あのバカ王女は、それを覚えていた。だから、ここまで依頼に出向いたのだ。

 だが、王宮で会った時も今も、僕を忘れている。


 凄まじい破壊音が聞こえた。

「帝国軍が来たって本当なのっ? 解放軍の砦を通るでしょっ!」

 言わずと知れたアーヤだ。

 僕等が大きな溜め息を持って迎えたのは言うまでもない。

「あ、あら……失礼。オホホ……慌てていたものだから……」

「あのさぁ、いい加減にドアを蹴破って入るのは止めてくれよ。しかも会議中だぞ? 礼儀もわきまえないでよくラウリの嫁になるつもりでいたなぁ、感心するぞ」

「あの……その……ごめんなさい。その……帰るわ」

 トーマスに目配せした。

「姫様、ご無礼を」

「え? ちょっと、何よ、何をすんのよっ」

「アーヤ、君はここに留まってもらう。こっちの情報を持ってる君を自由にさせる状況ではなくなった。今から君の望んだ監禁状態に置く。まあ、帝国軍が撤収するまでの二ヶ月くらいだから、辛抱してくれ」

 あっと言う間に拘束して、彼女は椅子に座らせられた。

「情報って……そんな物を持ってる訳がないでしょっ! 離しなさいっ、帰らないと皆がっ!」

「もう遅い。……君が辿り着く頃には全滅してるはずだ。あっと言う間に捕まって、拷問に掛けられて僕等の砦の様子や知ってる事を喋らされる。そうすれば僕等は弱みを見せる事になる」

「随分と弱気ね、それでよく大将が務まるわね」

「リスクを最小限にするのも指揮官の仕事だ。トーマス、誰かにこの女を牢屋に放り込ませろ」

「はっ」

 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、彼女はトーマスに引き摺られて行った。


「さて、気を取り直して続けよう。こっちの情報収集担当から、おっつけ連絡が入るだろう。帝国はこのクバイナを避ける形でダルムースを併合したから、あの国との国境線上に配置した軍勢が首都近郊まで移動するのに約一週間か。ちょうどバカが式を挙げる当たりだな、よく計算してる」

「お頭、解放軍の殲滅コースは一直線で南下するこのコースと、主要都市を結んだ街道を通るこのコースが考えられます。恐らく主要都市での威嚇も予定してるでしょうから、一週間程度で解放軍の砦に到着するかと」

 髭もじゃのマーリンが笑いを堪えた顔でそう言った。

「まあ、そうだろうな。解放軍のシンパを威圧するつもりだろ。大人しい連中ばかりだから、脅されてあっと言う間に掌を返すか」

「そうでしょうな。占領軍の数も少なく占領とは言いがたい状態でしたから、この際きっちりと支配者をアピールするつもりかと。……五十万を派遣してくるのは、あの国の南方から進軍する予定なのかも知れませんな。あわよくば我等を取り込んで一気にけりを着けるつもりかも」

 ジョン・モースの言う通りだ。

「ああ、そうでしょうねぇ。五十万程度なら、この街道に沿って進軍すれば殆どの大都市が占領できますからね。南と東から押し込んで、中央部に位置する首都を囲むつもりですかぁ。……まあまあですかねぇ」

「……お頭ならどうなさる?」

「んー、こんなにたくさんは必要ないよ。桁が一つ多いな。もっと分散させて主要都市を一気に攻略するさ。どうせ大した軍備もないちんけな国だ。しかもあのバカ王子とバカ姫が恋人だった影響で、東側……つまり旧ダルムース側には軍事拠点が殆どない。そこさえ抑えて一気に首都まで攻め込めば、終わりさ。一週間程度で武装解除まで持っていけるだろ」

 トーマスはいつの間にか戻っていた。

「相変わらずですなぁ、お頭も。私が帝国軍なら、もっと数を増やしてパレードしながらゆっくりと進軍しますよ。勝ちが分かりきってるなら、派手にやりませんと面白みが減りますからな」

「問題は……進軍している一週間で、あのバカどもがどれだけ情報を掴むかですな」

 クオードが呆れた顔をしてそう言った。

 もちろん、答えは分かりきっている。

 だから、皆はクスクスと笑うだけで何も言わなかった。



 彼等は予想以上に早く進撃して来た。

「お頭、帝国軍からの使者が」

「使者だけ先発させたか。皇帝も側近や将軍たちも相変わらずだな」

 ジョン・モースが渋い顔をしていた。

「そうですな、幼少の頃から聡明なお方でしたから。圧制を強いているのは……」

「ただの戦費調達だろ。『圧制』とは言うけど、取立てが厳しいだけで他は放置してるからな。あのバカ姫の用語を使うと事実が捻じ曲がる。税そのものは一割程度しか上昇していない、ただ未納率を下げるために高圧的に振舞ってるだけだ。虐殺も強姦も起きていない。……まったく」

 彼の後ろにいた幹部たちも苦笑していた。

「そうですねぇ、『好戦的』と言うよりも『領土拡張主義』を採用したと言った方が分かりやすいですからねぇ。しかも武力差をきちんと理解していますよ、クバイナは独立国扱いをしていますから」

「トーマスの言う通りですな。今回の使者もわざわざ司令官と二騎の護衛だけですから」

 ニヤニヤしているのが面白い。

 会見室に入ると、見覚えのある将軍が顔を綻ばせた。

「ご無沙汰しております、バコ殿」

「やあ、これはザイード将軍閣下。サカヤールでの和議以来ですか、こちらこそご無沙汰をしております。まあ、どうぞおくつろぎを」

「いやいや、これは相すまぬ事で。この地方は平和で良いですな、誰もが幸せそうに暮らしている。我等軍人には縁のない事とは言え、羨ましい。我等が皇帝陛下も常々からクバイナ地方のように統治したいと仰せになるくらいです」

 それは情報で把握している。もっとも、僕とジョン・モースしか知らないが。

「で、今回はあのバカ王子の国を併合する訳ですか。民衆もさぞ喜ぶでしょうな」

 嫌味のように聞こえるかも知れないが、嫌味ではない。

 あのバカ王子の国では、重税感に耐えかねて国を捨てる連中が結構な数でいるのだ。この地方にもたくさん流れ込んできた。対処に困るくらいだ。

 『圧制を強いる』帝国側の方が税率が低いとは、まったくもって笑わせてくれる。

「まあ、その……民衆には多少その、きつい思いをしてもらわねばなりませんが。何せ暮らしているところが戦場になるのですからな、軍人とは何と因果な商売かと悩んでしまう事もあります」

「閣下は元々財務卿と内務卿を歴任されたお方ですからね、ご苦労はお察ししますよ。で、今回は何のご依頼ですか?」

 彼は懐から一通の手紙を出した。

「皇帝陛下からの親書です。クバイナ地方を独立国家として承認し、軍事同盟と経済同盟を結び友好関係を築きたいと仰せになられた。大陸の三分の二を統治するようになれば、域内経済の活性化と謀反軍の鎮圧に注力する必要があるとお考えなのです。そのためにはモデル・ケースとなるこのクバイナと強固な同盟関係を作り上げるのが上策だと仰せです」

「大陸統一の宿願は放棄されたのか?」

「放棄されたと言うより、一部訂正されたのです。今回併合する国家の西側には、有数の経済国家が控えています。皇帝陛下は、それらを併合すると世界経済が混乱するとお考えになられて、統一の名目より豊かな経済の実質をお取りになられたのです。性急な領土拡張によって国庫が圧迫されている事に、民衆が疲弊している事に胸を痛めておいでなのです」

 狂った皇帝を演じるのは辛いだろうな。辛い思いから残虐行為に走りやすい末端兵士を束ねるためとは言え、あの男は悲しい思いをたくさんしているだろう。

 あのバカ王女にあいつの本当の姿を見せてやりたいものだ。


「同盟について異存はありませんよ。民衆の意見も聞かないといけませんが、独立国家として認めて頂けるのなら、彼等も承認するでしょう」

 将軍は面白そうな顔をした。

「ほう、共和国のようですな。さすがにクバイナ公爵が治めていた土地だ。我等としてはあのダルムース王が公爵様を放逐した事に感謝しておりますよ」

「僕等が皇帝陛下に楯突いたのはサカヤールの一件だけですしねぇ。インマグアの戦いでは陛下と契約させて頂きましたし、アングリルの戦でもそうでしたな。傭兵とはいかに無情なものかとしみじみ考えさせられます」

「いやいや、善悪も義理も人情もなくクバイナを守る事を優先した上でしょう。それは皇帝陛下もご承知の事です。お気になさらず」

「御心遣い、痛み入ります。で、閣下がわざわざそれだけの事でここまでお越しになられたとは思えませんが」

 彼は渋い顔をした。非常に渋い。

「バコ殿、我等は『解放軍』と称する反乱軍を制圧しながら南下し、あの国の南から侵入し北上する予定です。どうか手出しをしないで頂きたい。反乱軍の主要メンバーがこちらにやって来た事も承知しています。彼等と契約しないで頂きたいのだ」

「そう仰せになられても……」

「いや、お困りになるのも当然だ。傭兵は金を積まれれば契約する、それが慣わし。私とて皇帝陛下とてそれは重々承知している事です。ですが……今回は事情がちと異なるのです」

 はて、どんな事情だろうか。

 彼は困った顔をして溜め息をついた。

「実は、あの国の王族と貴族はそのまま帝国の貴族として迎えると……皇帝陛下が仰せになられてな、融和策を取るのですよ。当然、反乱軍は彼等を担いで戦を起こそうとするでしょう。バコ殿が加担しなければ、早晩彼等は倒れます。是が非でも彼等とは契約しないで欲しいのです。また戦いたくはないのですよ」

 溜め息もつきたくなるよな、そう言った話なら。

「閣下、大変申し訳ないが僕等は傭兵、戦のたびに契約をする立場です。ご承知のように、より多く金を積んだ側に立ちます。それに、僕等は仕事を選びます。何度となく陛下から反乱軍殲滅のお話を頂いていながらそれをお断りしているのも、そうした理由からです。僕等はどちらの側にも立ちません。大変失礼ながら、そう言わざるを得ません」

「承知した。では、最後に一つだけお聞きしよう。旧ダルムース王国アーヤ姫を匿われているのはどういうおつもりなのかな?」

 笑ってしまった。

「閣下、匿ってなどおりませんよ。契約交渉には来ましたよ、確かに。だらだらと長逗留してしつこく契約を迫ってきたのも事実です。ですが、僕等はそれを悉く退けた。陛下の軍勢が動き出した時点で、監禁していますよ。誤解されているようですね」

「ほう、監禁していると。それはどうしてかね、客ではないのか?」

「客? ああ、確かに客でしたが、必要な資金も用意できずに、あちこち僕等の内情を嗅ぎまわった挙句にそのまま逃げ出そうとしましたのでね。万全を期して監禁したんです」

 笑われてしまった。いや、こっちも笑っていたのだけど。


「いやはや、さすがはバコ殿だ。姫とはご幼少の頃にお目に掛かった事があるが、さぞお美しくなられたでしょうな。まあ、ラウリ王子には見事に振られてしまったようですが」

「何とも言い難いですね、それなりと言うしかないかと」

 将軍は豪快に笑った。

「お頭、お連れしました」

 タイミング良くトーマスが女を連れてきた。がんじがらめにして後ろ手に大きな手錠をつけている。しかも猿轡つきだ。

「おいおい、随分と念入りだな」

「はぁ、やかましいものですから。ご無礼とは存じましたが」

「姫とは思えぬほど乱暴だし、仕方ないか。誰も怪我などしていないだろうな?」

「はぁ、そこまで間抜けではないです」

 もごもごと何かを訴えようとしていたバカ王女に向かって、将軍が挨拶した。

「ああ、これはアーヤ姫。何年ぶりですかな、私の事などお忘れでしょうが。帝国軍西方征伐隊総司令官アマド・ザイード大将です。もっとも、お会いした時は財務卿でしたが」

「そう言えば閣下、反乱軍の砦はどうなされたのです? まだ放置しているのですか?」

「いや、攻略済みだ。一時間ほどで降伏したな、おかげでバコ殿に早く会えたのですよ」

 大笑いだ。

「……むぅうっ! きっ、貴様っ、寝返ったのか!」

「あのさぁ、誰も反乱軍に味方するとは言っていないぞ、契約もしてないのにふざけた事を言うな。ちなみに帝国軍とも契約はしていないけどな。何事も都合良く解釈する頭の悪さは誰譲りだ? ザイード将軍閣下は帝国皇帝陛下からの親書を届けて下さったのだよ。どちらにも組していないのに、寝返ったなどと言われるのは心外だな」

「わっ、私を帝国に渡すのかっ、この卑怯者っ! 世界最強の傭兵が聞いて呆れるわっ」

 また大笑いだ。

「将軍閣下はそうお考えのようですが?」

「まあ、そうして頂けると助かりますな、反乱の芽を根から断てますので。我等が皇帝陛下の施策を『圧制』呼ばわりする不届きな輩は、例え王族であろうと処罰せねばなりません」

「そうですよねぇ、もっともなご意見だ。次期国王から帝国貴族へ転身するラウリ殿も、そうお考えになるでしょうな。何しろ、元恋人が反乱軍のリーダーですから」

「でしょうなぁ、あの王子は争いを好まぬお人柄ゆえさぞかし苦しむ事でしょう。バコ殿、あの王子のため我が帝国のため、この姫様をお引渡し下さらぬか?」

 和やかな雰囲気の中、一人だけ目を吊り上げて歯噛みをしていた。


「どういう事よっ!」

 アーヤが喚いた。

 頭に血が上っていて理解できなかったらしい。

「あのね、皇帝陛下はあのバカ王子の国を占領するんだけど、融和策を取られるそうだよ。あの国の王族と貴族を帝国貴族として遇するんだそうだ。民衆も喜ぶし、ラウリも喜ぶだろ。幸せな家庭をそのまま維持できるんだからさ」

「どっ、どうしてそのような事が言えるっ! 帝国は圧制をもって民衆をっ」

「バカだなぁ、あの国の税率を知らないのかよ、旧ダルムース王国の二倍だぞ。圧制と呼ぶ帝国の税率に比べたって五割以上高いんだ。そんな事も調べていないのか? まったくいい加減な組織だな」

「でもっ、横暴な振る舞いは許されないわっ!」

「それもどこを見て言ってるんだ? 税の取立てが厳しいだけじゃないか。強姦や略奪や虐殺がどこで起きた? 誰もが脅されてるという根拠は? 旧ダルムース全体で数万の守備隊しか配備されていないのに、どうやって圧制を敷ける?」

 将軍が呆れた顔をした。

「やれやれ、我等の『圧制』とやらを退けてあの国と併合するおつもりですか。随分とあの王子にご執心ですな。……ああ、人は変われば変わるものだ。私がお目に掛かった頃は、直衛のクバイナ公爵と結婚するのだと騒いでおられたが……懐かしい、まったくもって懐かしい思い出だ。若き皇帝陛下が姫様と公爵の睦まじさに嫉妬して、私に泣きついてこられたのを思い出しますよ……」

「閣下、誰しもが過去を切り捨てて生きていくのですよ。多少の違いはあっても、過去を捨てざるを得ないのです。悲しい事ですがね」

「バコ殿の言われる通りですな。我等帝国は……過去の友好関係を切り捨てて大陸の平和を確立しようとしておる。バコ殿を初めとするヒュメール傭兵集団は栄光ある過去を切り捨て……このクバイナで朽ち果てようとしておる。そしてアーヤ姫様は過去に誓った愛を切り捨て……ラウリ王子に身も心も捧げようとしておる。ラウリ王子とて同じ事ですな、恋人であるはずのアーヤ姫を捨てて大貴族の娘を孕ませ妻に娶った。誰もが過去を切り捨てている。良いのか悪いのか……」

 しみじみとした雰囲気になった。

 歳を取ったせいか、ジョン・モースは涙もろくなった。ハンカチで鼻を押さえていた。


「我等とて……切り捨てたくて切り捨てたのでは御座いませんぞ、将軍閣下。あの……あの一件さえ無ければ……我等は未だに……」

「止めろ、ジョン・モース。それ以上言うな、言ったとてどうにもならん。切り捨てた過去に惑わされるな、足元をすくわれるぞ? 閣下の御前だ、控えろ」

「……申し訳御座いません」

 ジョン・モースは泣く寸前だった。いや、クオードもトーマスもマーリンも同じだった。

「……そのように畏まられても困る、ジョン・モース。昔のようにアマドと呼んでくれて構わんのだ。貴様とは何度となく対戦し、何度となく夜を徹して飲み明かした仲だ。国こそ違え、同じ伯爵で同じ将軍職にあった者同士ではないか」

「……まだそう言ってくれるのか、アマド。済まぬ……」

 男泣きと言うのだな、こうした二人の姿と言うのは。

「まさか……ジョン・モースって……そんな……まさか……」

 まったくバカ姫には困ったものだ。

「何だよ、ようやく気がついたのか? 遅すぎるぞ、アーヤ」

「ジョン・モース・フラシーヌ将軍……突然行方不明になった……我がダルムース王国軍の要……」

「そうだよ、君の子守として長く仕えていたフラシーヌ伯爵だ。まったく……朱に交われば赤くなる、か? バカ王子にやられ捲くってバカになったか」

 顔を真っ赤にして歯軋りしても、何にもならないと気づかないのだな。

「どっ、どうして裏切ったのよっ! 何があったのっ? あれだけ国に忠誠を誓っていたあなたがっ、どうしてっ!」

「姫様、国王陛下のなさりように私は愛想が尽きた。誰がどう考えてもあり得ない話を何の調べもなしに鵜呑みにして、国家の要と成るべき人物を放逐された! しかも消える事のない傷をつけて放り出したのだ! そのような国王に誰が従えると言うのですかっ! そんな国王を頂く国に誰が忠誠を誓えますかっ!」

 彼の目は真っ赤になっていた。

「もう良いジョン・モース、お前の予想通りに国は滅びた。僕等は僕等のために戦い、そして朽ちていくんだ。それで良いじゃないか、なぁ……」

「お頭……私は……悔しくてならぬのです。あの頃に夢見ていた平和な世界が、幸福な世界が……泡と消えてしまったのですぞ……悔しいと言わずして……何と言えましょうか……」

「気持ちは分かる。だが、それを姫に向けても誰に向けても同じ事だ。未来を見ろ、自分の目指す未来を見るんだ。これはお前が僕に言った言葉だぞ、忘れたのか?」

「よく……よく覚えております。そうでしたな……とんだ醜態を晒してしまいました」

「マーリン、将軍閣下と騎士殿をお部屋へご案内しろ。ジョン・モースと接待を頼む」

「承知」

 威勢良く答えたマーリンの声は、やはり震えていた。目を赤くして、涙と鼻汁を出す寸前だ。

「トーマス、誰かに言いつけてアーヤを牢へ戻せ。抵抗するなら痛い目を見せて構わんぞ、早くしろ」

 トーマスは泣きそうな顔で頷いて、アーヤを引き摺って外に出た。

「待って! ダルムースの精鋭部隊を率いていた人間が、どうして全員揃ってるのよっ! トーマス・オトリ大佐じゃないのっ、マーリン・フィッシャー中佐にクオード・ロデリン大佐でしょうっ! フラシーヌ将軍直属の特殊部隊指揮官じゃないのっ! あなたは誰なのっ! バコっ、答えなさいっ!」

「僕はバコ、さ。ヒュメール傭兵集団の頭、バコだ」

「まさかっ、ツアークっ! ツアークなんでしょうっ? ねぇっ、ツアークっ!」

「見当違いも良いところだ、アーヤ。さっさと連れて行け、うるさくて敵わん」

 トーマスは無言で彼女を引き摺って行った。

 僕は開いたままのドアを閉めて、溜め息をついた。



 翌日、将軍は去った。

 入れ替わりのように情報が集まり、さしたる混乱もなく帝国軍本隊は首都を取り囲んでいる事が分かった。

 将軍の率いる軍勢は、あっと言う間に各地を占領しつつ北上していた。


 数日後にトマムが帰ってきて、こう言った。

「軍は徹底抗戦を主張していますが、王族たちは降伏するつもりのようですね」

「クーデターでも起こすつもりか……それとも……反乱軍に合流するつもりか……」

「ええと、王子を攫って反乱軍に合流するとの噂を聞きました。婚儀を解消してアーヤ姫との婚儀をやり直すそうで。ええと、王子の妃の実家が降伏を強硬に主張しているそうですから」

 奴の報告を聞いた僕たちは、大きな溜め息をついてしまっていた。

「……相変わらず間の抜けた奴等ですな、お頭」

「言葉が出ないよ、マーリン。皆も同じようだけどさ」

 トマムが頭を掻きながら、付け加えるように言葉を出した。

「ええと、ちなみに王子は帝国との戦争回避を主張して妃の実父に同調しています。極秘裏に使者を何度か帝国軍に派遣していますね」

「……何とも言えませんな、お頭」

 トーマスが溜め息をついて、そう言った。

「民衆の動向は?」

「はぁ、王子の結婚と帝国への併合が重なって大騒ぎです。まるでお祭りのようで」

 全員で溜め息をついてしまった。

「喜んでいる訳か」

「はぁ、そうですね。帝国軍の進軍コースを逆行する道順で帰ってきたんですが、どの街でも同じです。あちこちで振る舞い酒を受けてしまいました」

「軍事拠点の動向は?」

「はぁ、騎士たちの動向は不明ですが歩兵は民衆と同じ対応でした。脱走して故郷へ帰る歩兵も多いようです」

 ジョン・モースが口を挟んできた。

「情報収集担当者も同じ報告をしてきましたな。騎士はどうやら少数に分散して、首都へ向かっているようです」

「ふん、地方を切り捨てて首都で暴れるつもりか。騎士だけで戦争をするつもりか? まったく頭が悪いな」

「はぁ、戦争と言うよりも小規模紛争になりますな。しかも首都で小競り合い、ですか。騎士になる時に何を誓ったのか、忘れたようで」

 また全員で溜め息をついてしまった。


「まあ、事がここまで進めば僕等には関係ない事になったのは確実だな。情報収集をより強化しておけば、支配地域内の警戒は解いても良いだろ」

「では、早速使者を」

 クオードとマーリンが出て行った。

「トマムも休め」

「はあ、まだ報告が残っているのですが……」

「何だ? 言い難い事か?」

「その、王子が……クバイナ公爵に詫びたいと言われまして……我等旧ダルムース軍人から成る傭兵集団の長であれば消息がお分かりだろうから、是非とも伝えて欲しいと……」

 トマムは言い難そうに頭を掻いていた。

 傷を隠すための仮面の下では困った顔を作っているようだ。

「ふん、よくよくおバカな男だな。起きた事をどうこう言っても始まらぬのだが、それすらも分からぬと見える。まあ、些細な事だ。で、他にないなら下がって休め」

「はあ、では失礼しました」

「ご苦労だった」

 彼は巨体を折り曲げるようにしてお辞儀をし、そして出て行った。

 それを見送ってから、トーマスが困った顔でこう言った。

「……お頭、姫様はどうなさる?」

「解放する」

「よろしいので?」

「良いさ、こっちには影響がないだろ」

 彼はジョン・モースと一緒に溜め息をついて、それから頭を下げて出て行った。


 一人になってから椅子に沈み、葉巻に火を点けた。

 甘い煙が漂って、沈んで行く夕日に別れを告げているような錯覚を起こした。

「あの……良いかしら……?」

「アーヤか、蹴破らなかったのは初めてじゃないか?」

「う……その……ごめんなさい。話がしたいの……」

「生憎と僕には君と話す事などない。不自由な思いをさせたが、それも終わりだ。お引取り頂こう」

 アーヤはその美しい顔を強張らせ、震える声を出した。

「ツアーク……許して……」

「僕はツアーク・ドュ・クバイナ公ではない。ただのバコ、だ」

「いいえ……ツアークよ。永遠の愛を誓った男の声も姿も忘れるなんて……酷い女よね……ツアーク……許して……」

「しつこいな、君は。仮に僕がツアーク殿だとして、何が言いたいんだ? 許しを請うだけか? ただ自分の後悔を陳述するだけか? いずれにしても僕はツアーク殿ではない。自主的に退去しないなら、強制的に退去させる」

 僕はもう気づいていた。

 気がついていて誤魔化していた。切り捨てた過去にどれだけ執着しても無駄なのだ。

 この女性と再会して、過去に夢見た未来を手に入れられるかも知れないと期待してしまった。それは完全に僕の過ちだ。どれだけ執着していても、それは切り捨てられているのだ。

 僕等は僕等のために戦い、そして朽ちていく。

 それが僕の選んだ未来、僕等の選んだ道だ。そこにアーヤが入り込む事は想定していない。

もう随分前に僕から離れた存在だ。彼女が切り捨て、そして僕が切り捨てた過去でしかない。

 机に置いてある鈴を鳴らした。

「お頭っ、御用でっ」

 フットワークの軽いミゲラが走ってきた。

「済まないがアーヤ殿を旧ダルムース領内までお見送りしてくれ。お帰りだ」

「はっ、承知!」

 掴もうとした彼をアーヤは振り払った。

「ちょ、ちょっと待ってよ、ツアーク! 私をここに置いて! 何でもするからっ、メイドでも奴隷でも良いからあなたのそばに置いてっ! お願いっ!」

「くどい人だな、僕はバコだ。それに、反乱軍のリーダーをメンバーに加えるほど人材には困っていない。人違いも迷惑だし思惑で居残りたいと言われるのも迷惑だ」

「少しでも償いがしたいのよぉっ! 思惑なんかないわよぉっ! 酷い事をしたんだから償うのが当然なのぉっ!」

「ミゲラ、お送りしろ」

「いやぁっ、お願いっ! お願いよぉっ! ツアーク! ツアークぅぅっ!」

 彼は無理やりではあったが、彼女を連れて出て行った。

 徐々に叫ぶような声が遠くなって、消えた。



 バカ王子の国はすぐに帝国に併合された。

 さしたる抵抗もなく、騎士たちも帝国側の出した懐柔案に乗った。旧ダルムース領内で、たまに抵抗運動が起きるだけだ。それも大したものではない。

「アーヤ姫も貴族にしろっ」

「そうだっ、ラウリ王子が貴族になるなら姫様も同じにしろっ」

 そうやって民衆が叫ぶ程度だ。抵抗運動と呼ぶには相応しくない。

「お頭、帝国から尋ね人の依頼が来ていますが」

「断れ。僕等は何でも屋じゃない、傭兵だ。あいつもラウリに毒されたのか?」

 ジョン・モースが苦笑していた。

「まあ、お気楽で結構な事だと思いますよ。それだけ平和になったという事で」

「ようやく条件が揃ってきたな。朽ちていくための条件が」

「ええ……お頭の読み筋通りで。穏やかな暮らしが出来ますな」

 執務室で二人、パイプを燻らせてささやかな幸福に浸るのだ。

 そんな毎日を望んで、そして手に入れた。


 帝国から使者がやって来て、書簡を置いていった。

「また尋ね人、ですかな?」

「いや、アーヤを拘束して説得しているそうだ。聞き入れないから説得してくれと書いてきた。あいつもバカになったなぁ……」

「は……?」

「ああ、帝国皇帝だよ。屋敷を与えて軟禁すれば済む話だ。自殺しないように見張っていれば済む事なのに、頭が悪くなったな」

 ジョン・モースが困った顔をした。

「お断りするので……?」

「当然だ。バカバカしい、茶番に付き合っていられるか」

 葉巻に火を点け直して、椅子に沈んだ。

「お頭、姫様はまさか……思い出されたのでは?」

「だからと言ってどうにもならん、ただ切り捨てた過去に目を向けただけだ。進むべき未来を見つけた訳じゃない。まあ、それに気がつかないだろうが」

「しかし……あの姫様の気性では……」

 肩を竦めて呆れるしかない。

「どいつもこいつもバカに染まっていくんだな、過去を振り返っても取り戻せるはずはない。過去は現在と未来を繋ぐ土台にしかならないんだよ、そうだろ?」

「はぁ……仰せの通りですな。時が留まる事は絶対にあり得ません」

 彼と二人で、皆で、僕等は朽ちていくだけなのだ。

 その時に向かって歩いている。


 世界は平和になったようだ。

 どこからの情報でも、争いは聞こえて来ない。

「姫様が帝国皇帝の申し出を受けられて、ダルムース公爵となられたそうで」

 マーリンがそう言ってきた。

「進むべき道を見つけたのかな……?」

「さぁ……そこまでは何とも。旧ダルムース王宮の一部を屋敷として賜ったそうで。守備隊と同居状態ですな」

「あそこは無駄に広いから、ちょうど良いんじゃないか? 誰だか謁見の間から僕の部屋に来るまでに迷った奴がいたな」

「それは私ですよ、お頭。マーリン・フィッシャー中佐以下七名、二度ほど迷いましたから。広いくせに目印も何もなくて、困りましたからな」

 全員で苦笑いをするしかない。

「だがそれはここも同じだぞ、侵入者対策で迷路のように通路を組んであるんだ。曽祖父さんが建てたんだけど、自分で設計して自分で迷ったと日記に書いてあった。そこを最初から自分の家のように歩き回るお前らは一体どんな方向感覚をしているんだ? 面白い連中だな」

「自分の家ですから、お頭」

「そうそう、マーリンの言う通り。ここは我等の家ですからな、お頭」

 クオードもそう言って笑った。

 穏やかな日々、穏やかな笑顔、そして穏やかな煙。

 僕等の望んだ未来が近付いてきている。



 ある晴れた日、ジョン・モースと各市町村からの要望書を読んでいた。

「お頭、こっちは市場をもう一つ作りたいと言って来てますな」

「ふん、手狭になったか。どうせ予定地の整備は始まってるんだろ? そのままやらせておけよ」

「左様ですな。設計図まで送ってきましたから、好きにやらせましょう」

 そんな話をしていたのだ。

 もちろん、煙草を楽しみながら。これが僕等の仕事だ。

 だが、突然大音響とともに執務室のドアが吹き飛んだ。

 僕等は頭を抱えてしまった。聞き慣れた声が飛び込んできたから。

「バコっ、結婚してっ!」

「あのなぁ、公爵たる女性が他人の屋敷に勝手に入り込んで、ドアを蹴り壊して言う台詞か?」

 そう、アーヤだった。

「あ、あら……オホホ……失礼。バコ殿、私を嫁にもらって頂きたいの。女からの申し出を断るお方とは思えませんが、いかが?」

「お断りだ、ドアがいくつあっても足りん。大門まで蹴り壊しそうだ」

「うぅぅ……もう蹴らないからぁ、お願いぃ。結婚してよぉ」

 ジョン・モースが呆れていた。

「他の連中はどうしたのですかな、まさか黙って通した訳では……」

「姫様っ、お待ちをっ! ぜぇぜぇ……はぁはぁ……」

 僕等はまた頭を抱えた。

「制止を振りきって一気に駆け上がって来たと……」

「ええ、そうよ。どうしてだかここは落ち着く屋敷なのよ、どの廊下を行けば最短でこの部屋に着くかくらいはすぐに分かるわ。振りきると言うよりも、違う廊下から来たみたいね」

「ええと……どうして結婚したいんだ? バカ王子、いやラウリ公爵に当てつけるためか? それとも男なしでいられないからか?」

 アーヤが鼻で笑った。

 凄まじく美人なのは相変わらずだ。


「ふふん、処女だから男なしで平気よ。それよりも恋に落ちたの、契約交渉に来ていたあの時私はバコに恋をしたのよ。永遠の愛を誓ったツアークを思わせるあなたに恋をして、私のバカさ加減を呪って、ツアークでもラウリでも手に入れられなかった永遠の愛をバコで手に入れる事にしたの。すっごくすっごく好きなんだからっ! 私に相応しいのはバコ、あなただけよっ!」

 皆がぞろぞろと見物に来た。

 ニヤニヤしているのが少し癪だ。

「答えは?」

「一つだけ条件がある」

 彼女は勝ち誇ったように胸を張った。

「条件をつけるなんて不思議な男ねっ、何でも良いわよっ!」

「……ドアは手で開けてくれ」

 皆が大笑いした。

「うぅ……分かってるわよぉ。つい……蹴っちゃうだけよぉ……」

「その『つい』が何度あったと思ってんだ? とうとう壊れたじゃないか、とんでもない女だな」

「何よぉっ、お嫁さんにしてくれれば蹴らないわよっ! 愛されていれば蹴らないわっ! ツアークの時は淑やかな女だったんだからっ!」

「ほぉう、ラウリと恋に落ちてバカが移ったと」

 答えに詰まったようだ。図星という奴だな。

「う……その……バコやツアークみたいにはっきりした男じゃなかったから……いつも蹴り飛ばしていたの。何をしても怒らなかったから……」

「あのさぁ、そういう男の方が良いんじゃないか? 僕はそんなに心の広い人間じゃないんだ。たかがドアと思うかも知れないが、僕は百人を束ねる立場だ。些細な綻びも許す訳にはいかん、自分でさっさと直してラウリみたいな男を見つけて嫁げ。ああ、誰も手伝うなよ」

「いやぁん、それが聞きたかったのぉ。ぞくぞくするぅ……すぐに直すからっ! 直したら結婚式! 良いでしょっ?」

「次に女性らしくない振る舞いをしたら、即離婚だ」

 爆笑された。アーヤにではなくて、仲間たちに。

「お頭、ご自分から仕込むしかないかと思いますが」

「そうですよ、お頭。メイド服の在庫はたくさんありますし、お頭が仕込んだ方が早いですって」

「私も同じ意見ですな、お頭」

 ジョン・モースまで同じ事を言いやがった。

「……花嫁姿はメイド服、か」

「えぇぇっ、ドレスじゃないのぉっ?」

「持ってるのか? ウェディング・ドレス」

 彼女は真っ赤な顔で俯いて、こう言った。

「メイド服で良いわ……すっかり忘れてた……」

「姫様らしいですなぁ、当分はメイド服のままのようで」

 誰かの一言で僕等は笑った。

 笑いながら、泣いていた。ジョン・モースも仲間たちも、僕も、アーヤも。


 僕等の進むべき道は、少し変わったのだろうか。

「いいえ、変わらないわ。私がそばにいる事になっただけ。バコが妻を娶っただけよ」

「世界一美しくて世界一おっちょこちょいで世界一乱暴な妻をね」

「だからメイド服を着てるんでしょうがっ!」

「ほぉう、それが女性らしい物の言い方だと」

「あうぅぅぅ……」

 いつになったら普通のドレスを着られるのだろうか、戦闘服でも良いけど。

 先は長そうだ。

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