ギフテッドという病
「……はあ。今月も大変だわ……」
ぽつりとこぼれ落ちた、ため息混じりのひとり言。
それが、すべての始まりだった。
アリアは八歳になり、食べる量もすっかり増えた。服の丈もすぐに短くなる。育ち盛りの子供には何かとお金がかかる。
切り詰める生活も、そろそろ限界を迎えていた。
――それから、半年後。
「ママ! ママ! 聞いて、お願い聞いて!!」
ばたばたと小走りで駆け寄ってきたアリアが、私のスカートの裾をぎゅっと引っ張った。
両手で大切そうに抱えているのは一枚の紙だ。
「どうしたの、アリア? そんなに慌てて」
「ふふん、これを見て! 私が考えた魔導具の術式、すごくなっちゃったの!」
アリアは鼻をフンッと鳴らし、頬を真っ赤に染めながら、目をキラキラと輝かせている。
「この術式を使うとね、魔導具の熱効率がなんと55パーセントになるんだよ!」
「えっ……? 55パーセント……!?」
「うん! 街で一番大きな工房のおじさんがすごく驚いて、買ってくれたの! 金貨、五十枚だよ!」
「ご、五十枚……!?」
「それだけじゃないんだよ? 毎月、金貨二枚の配当もくれるんだって!」
興奮のあまり息を荒くしながら、アリアは胸を張って満面の笑みを向けた。
「これでお金の心配、なーんにもいらないでしょ! 私、ママの役に立った!?」
「そ、そうね……! すごいわ、アリア……!」
私は強張る顔を必死に歪めて笑顔を作りながら、心の中で血の気が引いていくのを感じていた。
頭を抱えて叫び出したいのを、どうにか堪える。
私を安心させたい、喜ばせたい一心で。
この子は、誰も到達できなかった発明を、たった八歳で成し遂げてしまったのだ。
「ママ、喜んでくれた? えへへ、頑張ってよかったぁ!」
「……ええ。本当にありがとう、アリア。あなたは私の自慢の娘よ」
「うん! 私、もっと研究してみるね!」
照れくさそうにパタパタ自室へ走っていくアリアの背中を見送り、私はへなへなと膝をついた。
(この子だけは……絶対に守らなきゃ。あの私の母親の手から……!)
しかし、私の願いは届かなかった。
工房との契約話は瞬く間に噂となり、アリアの才能は、思いのほか早く実家に知られてしまった。
そして、母が動いた。
◇
「エレナ。アリアをこちらに引き渡しなさい」
久しぶりに顔を合わせた母は、挨拶すらせずにそう告げた。
「嫌よ」
「あなたの手元で腐らせるわけにはいかないわ。リーザ以上の素材なのよ」
母の目には、孫を心配する祖母の情などなかった。
そこにあったのは、価値ある才能を見つけた人間の欲望だけだった。
母は昔からそうだった。
自分の姉たちに勝ちたかった。一族の中で落ちこぼれと呼ばれることが耐えられなかったのだ。
だからこそ、天才だった娘のリーザの人生を奪った。
優秀な娘を育て、その成果を自分の功績として一族に認めさせようとした。
リーザがどれほど苦しんでいるかなど、母には関心なかった。
母が欲しかったのは、娘の幸福ではない。娘が生み出す成果だった。
そして今、リーザ並の才能を持つアリアが現れた。
母にとっては、まさに千載一遇のチャンスだったのだろう。
「最高峰の超英才学校に入れるわ。教育環境も研究設備も、あなたとは比較にならないものを用意できる」
「アリアはまだ八歳よ」
「だからこそよ。今から正しい教育を施せば、リーザ以上の成果を出せるでしょう」
「この子が何を望んでいるか、聞いたの?」
「子供に将来の判断などできるわけがないでしょう。――いいわ寄越さないなら裁判で決着をつけましょう」
母は当然のように言った。
そして、本当に親権裁判を起こした。
◇
法廷の張り詰めた空気の中、裁判官の前に立った母の弁護士が、邪悪な笑みを浮かべ、言葉で私を追い詰めた。
「裁判官殿! 被告エレナには、親権者としての致命的な欠落が存在します!」
「異議あり! 私はアリアを愛していますし、養育環境にも問題はありません!」
「ほう、本当にそうですかな?」
弁護士は一枚の書類を掲げ、冷酷な声で朗読し始めた。
「数年前、被告エレナは酒場で意気投合した行きずりの男を自宅に連れ込み、暴れ出したその男によって、幼いアリアに怪我を負わせています!」
――つッ……!?
頭を殴られたような衝撃に、息が止まった。
胸の奥に封印していた激痛が蘇る。
あの日、幼いアリアの額から流れた血。泣き叫ぶ声。自分の愚かさと軽率さに心底絶望し、私は大好きだったお酒を断ち、罪を背負って生きていくと心に誓ったのだ。
「酒に溺れ、見知らぬ男を連れ込んで娘に怪我を負わせた愚行……! さらに恐ろしいのは、断酒していたはずの彼女が最近、再び酒場へ通い詰め、新しい男を作っているという事実です!」
傍聴席に座っていた私の恋人――テッドの、ハッと息を呑む音が聞こえた気がした。
「その男とも酒場で知り合い、すでに娘と同居同然の交流を持たせている! これは明らかに、男を優先して子供を危険に晒すだらしない母親の証拠! 親権など到底認められません!」
「ち、違います! テッドはそんな人じゃ……っ!」
私は叫んだが、言葉は虚しく響くばかりだった。
チラリと傍聴席を見やると、テッドは陪審員と周囲からのヒソヒソとした蔑みの視線に晒され、顔を真っ赤にして俯いていた。肩を小さく身縮め、拳を強く握りしめている。
テッドと出会ったのは最近のことだ。友人に強引に連れ出された酒場で彼と知り合い、私は久しぶりに恋をした。
アリアともすぐに打ち解けた。
『テッド、見て見て!』
『うわあ、アリアは天才だなぁ! 今度、ママも誘って三人で海に行こうか!』
『ほんと!? 海! 行く行くー!』
そんな温かい約束すら、裁判では「まともな養育もせず遊興に興じている悪材料」として歪められてしまった。
(ごめんなさい、テッド……私と関わったばかりに、こんな酷い目に……)
申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。
潤沢な財力と最高峰の英才教育を約束する母に対し、過去を暴かれた低所得の私に勝ち目はなかった。
――後日、判決は呆気なく下り、裁判官のハンマーが重々しく響いた。
「よって、親権は原告へ移譲するものとする」
「そんな……嘘でしょ……?」
「ママッ! ママぁッ!!」
傍聴席から護衛の手を振り払おうと、アリアが狂ったように泣き叫ぶ。
「嫌だ! ママ! テッド! 助けてぇッ!」
「アリアッ!」
「おとなしくしなさい!」
冷酷な母の手下に抱え上げられ、連れ去られていくアリア。
ふと傍聴席を見ると、テッドは耐えかねたように席を立ち、俯いたまま静かに法廷を去っていくところだった。
(……終わった。アリアも奪われて……テッドも、私のもとから去った……)
絶望の暗闇が視界を覆う。けれど――
「ママぁぁぁッ!!」
廊下に響くアリアの悲鳴を聞いた瞬間、私の中でパチンと何かが弾けた。
世間の目? 過去の過ち? 恥? ……そんなもの、どうでもいい!
どんな手を使ってでも、悪魔に魂を売ってでも、私はあの子を取り戻す!
姉さんごめん。
◇
馬車へアリアを押し込もうとする母の前に、私はなりふり構わず立ちはだかった。
「どきなさい、エレナ。見苦しいわよ。裁判の結果は出たでしょう」
「嫌。アリアは絶対に渡さない」
「ハッ、哀れね。あなたのような落ちこぼれに育てられたら、この子の才能が台無しになるのよ」
冷ややかな視線を向ける母に対し、私は荒い息を吐きながら、懐から数冊の古びたノートを取り出した。
「……なら、これと引き換えでも?」
「……何よ、それは」
「姉さんが……リーザ姉さんが人生を奪われ完成させた、古代魔法の構築理論書よ」
母の顔色が激変した。
「な……ッ!? 古代魔法の……完成していたの……!? あのリーザが、あれを完成させていたというの!?」
「姉さんの死から数日後、郵送で届いたの、死後に公表してほしいと」
「なに言ってるの!リーザは七年も前に亡くなっているのよ、どうして未だに公表しないのよ。それは人類を救う鍵よ!!」
「死後って姉さんのじゃない」
「じゃあ誰なのよ! ……なっ!? と、とにかく見せなさい!!」
私は1冊だけ渡した。母は食い入るように数分読んだ。
「どうやら本物のようね。残りを寄こしなさい。それは人類の宝。そして我が一族の数百年の悲願なのよ!!」
そうなのだ、私たちの一族は古代魔法の解読と再現に挑み、百人以上が何の成果も出せず数十年の人生を無駄にした。母の姉たちすら怖れて挑まなかった超難問だった。
その難問を母は姉に無理強いしたのだ。
(私はその価値をノートを読んで知るのに3か月はかかった。数分で気づくなんて、母もやはり天才のひとりだったのね……)
「アリアと交換よ。あなたが欲しいのは成果でしょ。世界を変える成果はここにあるわ」
静寂が支配する。
「……いいわ! こんな扱いづらい憎たらしい子なんてあなたにあげるわ!」
母はアリアの乗る馬車を一瞬だけ見やり――すぐさま私からノートをひったくるように奪い取った。
「フフ……あははは! ついに……ついに私が一族のトップに立つ立役者になるのね!」
母はアリアの存在などハナから頭にない様子で、子供のようにはしゃぎ馬車に乗り込み、去っていった。
「ママァァッ!」
「アリア……! ごめんね、もう大丈夫よ……! ずっと一緒よ!」
私は泣きじゃくる小さな体を、折れんばかりの力で抱きしめた。
◇
数日後。
静けさを取り戻した我が家で、私は新聞を読んでいた。
新聞には、母のニュースが大きく載っていた。
道半ばで亡くなった娘の研究を引き継ぎ完成させた賢母だと記事には書いてあった。
宮廷魔導師を中心とした検証チームが結成され、早ければ十年以内に対魔獣バリアが完成し、人類はモンスターの脅威を克服し、地上の二割だった人類の生存圏を六割に広げられる発見だと、母の功績が讃えられていた。
(いったい賢母ってどこの誰よ)
私は新聞をゴミ箱に放り込み、解約しようと心に決めた。
でも、私には母の気持ちがわからなくもなかった。
もし姉が順風満帆に成果を上げ続け、私が家から離れられなかったら、私は母のような人間になったのだろう……。
なにはともあれ母が生涯をかけ姉を巻き込んだ、一族への『ざまぁ』は完成した。
それから私にはアリアを取り戻せた歓喜の裏で、胸の奥には消えない痛みが刺さっていた。
裁判で酷い屈辱を味わわせ、恥をかかせてしまったテッドのことだ。
(あんなことになっちゃったんだもの……テッドはもう、私の前には現れてくれないよね……)
そう諦めかけていた、その時だった。
トントン、と慎ましやかなノックの音が部屋に響いた。
心臓が跳ね上がる。まさかと思いながら扉を開けると――そこには、大きな荷物を抱えたテッドが立っていた。
「……テッド!?」
「……やあ、エレナ」
彼は困ったように眉を下げ、気まずそうに苦笑いを浮かべていた。
「ごめん、連絡が遅くなって。あの時は……裁判所で急にあんなこと言われて、周りからの軽蔑の視線がすごくてさ。頭が真っ白になっちゃって、バツが悪く逃げ出しちゃった」
「ううん、ううん……! 私の方こそ、テッドに酷い恥をかかせて……本当にごめんなさい!」
「いいんだよ。それより、エレナがアリアを取り戻したって噂で聞いて……居ても立ってもいられなくなってさ」
テッドは優しく目を細めると、私の後ろから顔を出した少女へ目線を下げた。
「テッド……!」
「アリア、怖かったね。遅くなってごめんね」
テッドがひざまずいて手を広げると、アリアは「テッドー!」と泣きじゃくりながら彼の胸に飛び込んだ。
テッドはアリアの背中を愛おしそうに撫で、私を見上げてニッコリと笑った。
「ねえ、エレナ。あの約束……まだ有効かな?」
「え……?」
彼が抱えていた大きな荷物の隙間から、麦わら帽子とカラフルな水着が覗いていた。
「三人で海に行こうって、約束しただろ? 今日、一緒に行こう」
「テッド……ッ!」
溢れ出す涙を止められず、私は両手で顔を覆った。
アリアがパッと顔を輝かせ、私の手を引く。
「わーい! 海だ! 海だー! ママ、泣いてないで早くお着替えしよう! テッド、大きな浮き輪持ってきてくれた!?」
「もちろんだよ。アリア用の最高のやつね」
「やったー!」
名誉も、一族の評価も、私たちにはもう何の意味もなさない。
過去の失敗や負った傷は消えないけれど、それを丸ごと包み込んで、一緒に歩んでくれる人がここにいる。
「さあ、行こうか」
テッドが立ち上がり、温かく大きな手を差し出してくれた。
私はその手を、二度と離さないように強く握り返した。
「ええ……! 行きましょう!」
眩しい初夏の光が差し込む街へ、私たちは三人仲良く、歩み出した。




