第3話 愛が足りない街
城門をくぐると、街の空気が変わった。
外から見ていた時以上に、それは息苦しかった。
石畳の坂道の両側に連なる建物は、どれも薄汚れた石壁が剥落しかけており、窓枠は歪み、扉は蝶番が外れかかっている。露店が並んでいる区画は確かにあったが、売り物の野菜は小さく干からびており、商人の顔には笑顔の欠片もない。客の姿もまばらだ。
老婆が、重そうな荷物を一人で引きずっていた。
子供たちが、路地の隅で石ころを並べていた。遊んでいるというよりは、ただ時間を過ごしているだけのように見えた。その目は、子供らしい輝きに欠けていた。
通りを歩く大人たちは、役人らしき男の姿を見るなり、各々の行動を止めた。露店の商人は視線を落とし、荷物を引く老婆は速度を落として端に寄り、路地の子供たちは石塀に張り付くように小さくなった。
役人が通り過ぎると、また普通に戻る。しかしその「普通」も、決して明るくはない。
「酷いわね」
ナナは静かに言った。
「課税率八割ともなれば、必然的に街は疲弊します」ゼノが低い声で言う。「食料の自給が難しくなり、商業活動も縮小し、若い労働力が他の領地へ逃げていく。悪循環です。加えてガゾン男爵は——」
「みなさん、愛が足りていない目をしているわね」
ナナはもう一度言った。
「物質的な問題がまず先に解決されるべきだと思うのですが」とゼノが続けようとした。
「ゼノ」
「はい」
「愛が足りない原因を解決すれば、物質的な問題も解決しますよ」
「……概ね、その理解で合っています」
ゼノが眼鏡を直しながら、諦めたように頷いた。
一行は宿を探した。
街に宿は二軒あった。一軒目は既に「本日満室」という札が出ていた。扉の隙間から覗くと、誰もいなかった。どうやら話を聞くなり締め出されたらしい。
二軒目の宿の主人は、白髪の太った男で、ナナたちが扉を開けた瞬間、明らかに困った顔をした。
「あの……お客人、今日は……」
「一番広いお部屋を三つ、お願いできますか」
ナナが笑顔で言った。
宿の主人の目が、ナナの顔に吸い寄せられ、それからゆっくりと何かが溶けていくように表情が緩んだ。
「……はい。ご用意いたします」
夕食は粗末だった。固くなったパンと、塩味の薄い野菜スープと、形の悪い乾燥果物。それでも宿の主人は「これが今の精一杯で」と言いながら、申し訳なさそうに頭を下げた。
「美味しいですよ」
ナナが言うと、主人の目に涙が浮かんだ。
「お嬢さん……あんた、どこから来なすった……」
「王都からです。旅をしているんですよ」
「こんな街に、好き好んで来るお人がいるとは」主人は静かに首を振った。「男爵様がこうなってから、もう四年になります。最初の二年は、まあなんとかなっていたんですが……」
それからぽつぽつと、男爵の話を聞かせてくれた。
最初は悪い人ではなかった。着任当初のガゾン男爵は、確かに地味で目立たない人物だったが、横暴でもなかった。しかし三年目に、王都の貴族からある儲け話を持ちかけられてから変わった。賄賂で中央の監察を遠ざけ、課税率を違法に上げても中央にバレなくする代わりに、「上納金」を王都の貴族に払い続ける——という取引だった。一度乗ってしまったら、抜け出せなくなったのだろう。
「俺たちにはどうしようもない」主人は俯いた。「男爵様に文句を言えば拷問所に連れて行かれる。王都に訴えようにも、中央の役人が男爵様の味方だ。逃げようにも……ここしか知らない人間が、ほとんどでして」
ナナは静かに聞いていた。
主人が語り終えた後、しばらく黙っていて、それから穏やかに言った。
「大丈夫ですよ」
「え……」
「明日、愛を届けてまいりますから」
主人は首を傾けた。意味が、よくわからなかったようだった。
しかし翌朝、その意味がわかることになる。




