第2話 領都ラヴェルトへの入城
ラヴェルト領の領都は、小高い丘の上に広がる石造りの街だった。
遠目に見れば、中世の絵本から切り取ったような、趣のある街並みだ。赤茶けた屋根が連なり、石畳の坂道が曲がりくねり、丘の頂上には大きな領主館が白い石壁をひかせている。
しかし近づくにつれ、その街の「色」が見えてきた。
屋根の赤茶は、補修されないまま苔むしている。石畳は所々が剥がれ、水溜まりが黒く沈んでいる。街の外縁を歩く人々は、一様に肩を丸め、目を伏せていた。誰も声を上げない。誰も笑っていない。子供さえ、路地の陰でひそひそと話しているだけで、駆け回ったり叫んだりしていない。
街全体が、小さくなっていた。
城門には、屈強な衛兵が五人いた。
腰には剣、手には槍。鉄の兜の下から覗く目は、旅人を見る目ではなく、金を見る目だった。
「止まれ!」
馬車が近づくなり、一人が槍を横に構えた。「通行料だ。馬車一台につき金貨十枚、旅人一人につき銀貨五枚、荷物は別途査定だ!」
法外な金額だ。ゼノの事前情報によると、これは王国の規定する通行料の実に二十倍にあたる。
御者台のハクが、静かに馬を止めた。
「まあ」
馬車の扉が開き、ナナが降り立った。
秋の光の中に、白いドレスと金の髪が現れた。
衛兵たちの動きが、一瞬止まった。
「なんだ……」
「女……? ずいぶん綺麗な……」
「ぼうっとするな。金を取れ、金を」
一番体格の良い衛兵が、ずかずかとナナに歩み寄った。年のころは四十前後、顔には無精ひげが生え、目つきは悪い。けれどナナの目には、その男の瞳の奥に何かが欠けているように見えた。
渇いている、と思った。
愛が、足りていない。
「おい、聞いてるか。金貨を出せと言ってるんだ。出せないなら荷物を全部没収して——」
「可哀想に」
ナナは、その男の手を両手でそっとつかんだ。
「な——」
衛兵の大きな手が、ナナの白い掌の中にすっぽり収まった。
「愛が、足りていませんね」
黄金色の光が、ナナの掌からじわりと滲み出た。
それは光というより、もっと密度の高い何かだった。見ている者の目が眩むような明るさではなく、胸の奥に直接触れるような、甘く重い、圧力を持った輝きだ。周囲の空気が僅かに揺らいだ。石畳の上の落ち葉が、見えない風に押されるようにざわりと動いた。
衛兵の男が、足から崩れ落ちた。
ガシャン、と甲冑が石畳に触れる音がした。
「う……うわああああ……」
泣いていた。大の男が、まるで幼い子供のように声を上げて泣いていた。鉄の兜が、涙で滲んだ目の前でゆらゆら揺れている。
「なんで……なんで俺は……こんな仕事を……俺は本当は……」
「大丈夫ですよ」
ナナはしゃがんで、泣きじゃくる男と目線を合わせた。
紫色の目が、静かに、穏やかに、男を見つめた。
「これからは、愛を持って生きていけますから」
残りの衛兵四人が、蒼白な顔で後ずさっていた。
「な……なんだ今の……」
「あの光……なんか……体が、拒絶反応を……」
「俺は浴びたくない……本能が……」
「逃げろ!!」
四人が一斉に走り出した。
板金甲冑がガシャガシャと凄まじい音を立てながら、足並みも揃わぬまま城門から遠ざかっていく。その様子を、ハクが腕を組んで眺めていた。
「流石でございます、ナナ様」
静かな声で言いながら、彼の目に揺れているのは満足の色だった。
「この世の愛の総量、全てナナ様に宿っておられる」
「あら、褒めすぎですよ」
ナナは立ち上がり、残された男の頭を優しく撫でた。男はまだ泣いていた。けれどその顔には、何かが綻んだような、久しく忘れていた表情が滲み始めていた。
「さあ、街に入りましょう」
ゼノが眼鏡を直しながら、涙を流す元衛兵を一瞥した。
「……記録しました。衛兵の精神状態にまで影響が及んでいる、と」
「何を記録しているんですか、ゼノ」
「ナナ様讃歌・第二巻の資料です」
「……ゼノ」
「はい」
「第一巻は五百ページでしたね」
「現在第二巻は八百ページを超えております」
しばらく沈黙が流れた。
「……そう」とナナは言った。「まあ、元気なのは良いことですね」




