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愛が重いと捨てられた公爵令嬢ナナ、世直しの旅に出る  作者: 風谷 華


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第1話 旅の同行者たち

王都の城門を埋め尽くすほどの大勢の人々に見守られながら、馬車はゆっくりと動き出した。沿道からは絶え間ない歓声と祝福の声が響き渡っている。


その人波の最前列では、ナナの両親である公爵と公爵夫人が、こらえきれずに頬を濡らしていた。二人は何度も涙を拭いながら、遠ざかっていく娘の姿を追いかけるように、ちぎれるほど大きく手を振り続けている。


惜しみない見送りの声に包まれながら、馬車は黄金色に色づいた秋の街道を、一歩ずつ踏みしめるように南へと進んでいった。



車窓から見える景色は、遠くまで続く黄金色の麦畑と、時折現れる赤く染まった雑木林の繰り返しだ。秋の日差しは穏やかで、落ち葉が風に運ばれてはひらひらと宙を舞い、馬の蹄の音に合わせてかさかさと地面を転がっていく。空は高く、雲ひとつなく、どこまでも続く青さの中に渡り鳥の群れが細い弧を描いていた。


馬車の中は、三人だった。


ナナと、二人の「お供」。


右の席に座っているのが、ハク。


年齢は二十五か二十六か——本人も正確には知らないと言っていた。身長は長身で、広い肩と厚い胸板を持ち、いかにも「何かの訓練を積んできた人間」と一目でわかる体格をしている。顔立ちは彫りが深く、日に焼けた肌と黒に近い濃い茶色の髪が、どこか異国の風情をまとわせている。普段は表情に乏しく、感情の起伏がほとんど読めない。


かつて「黒刃のハク」と呼ばれ、大陸の裏社会に名を知られた凄腕の暗殺者だった。


だった。


今は違う。


「ナナ様、街道の分岐まであと半刻ほどかと存じます。お疲れではございませんか」


柔らかい声でそう言う彼の目には、刃のような鋭さのかわりに、深い、深い信仰の光が宿っている。ナナに対して語りかける時だけ、その目が少し揺れる。慈悲深い神の名を唱える修道士のような、そういう揺れ方をする。


ナナとの出会いは、二年前のことだ。


当時のナナを暗殺しようとした組織に雇われたハクは、夜の庭園でナナに近づいた。殺しの依頼は数百、返り討ちにした相手は数十、失敗したことは一度もない。そういう男だった。


しかしナナは、暗闇の中で音もなく近づいてくる気配に気づくと、振り返るなりこう言った。


「まあ、可哀想に。こんな夜中にひとりで、愛が足りていませんね」


そして抱きしめた。


ハクは三日間気絶した。


目が覚めた時の彼の第一声は「ナナ様こそが私の全てです」だった。


組織には「標的は既に死んでいる(精神が)」と報告し、そのままナナの護衛についた。今日に至るまで、ハクがナナの命令に逆らったことは一度もない。逆らうという概念が、彼の中から綺麗さっぱり消えてしまったようだった。


「大丈夫ですよ」とナナは答えた。「むしろ楽しいですわ。旅はいいものね」


左の席には、ゼノが座っている。


年齢は二十七。細身で、背は平均より少し高いくらい。白に近い薄い金髪を後ろで括り、銀縁の眼鏡をかけている。顔立ちは知性的だが、どこか線が細く、今も膝の上に地図を広げながら小刻みに足を揺らしていた。


かつて「万象を読む眼」と称えられた、王国随一の天才魔導師だった。


だった。


今は違う。


「ナナ様、次の街はラヴェルト領の領都でございます」眼鏡の奥の目を細め、地図を指でなぞりながら言う。「現領主はガゾン男爵、五十二歳。就任してから八年間、領民に対して——」


「ゼノ、少し寒くないですか」


「全く寒くございません」


「でも手が震えていますよ」


ゼノは一瞬だけ視線を伏せた。そして小さく、ほとんど聞こえないくらい小さく呟いた。


「……少し、離れているだけです」


そう。ゼノの手が震えているのは、寒さのせいではない。


二年前、王立魔術研究院の主席研究員だったゼノは、「過剰魔力を持つ令嬢の魔力を学術的見地から分析する」という名目でナナに接触した。純粋な学術的好奇心だった。研究者としての血が、未知の魔力に反応した。


しかしナナの魔力を、その場でほんの少し「浴びた」ゼノは、そのまま研究院に戻り、夜通しで論文を書いた。


翌朝、研究院の同僚たちがゼノの机に積み上がっていたのは、五百ページの論文だった。タイトルは「ナナ・オーレリア・ヴァンドール様讃歌——その魔力の神性に関する全考察」だった。


今のゼノは、ナナの魔力を定期的に浴びていないと、思考が酷くぼやけてくる。眼鏡をかけているのに焦点が合わないような、そういう感覚になる。知的な部分が一番先に欠落していくのが、かつての天才魔導師には屈辱だった。しかし同時に、ナナから供給される「愛」の心地よさを知ってしまった今、それなしではいられない体になってしまっているのも事実だった。


「お気の毒に」


ナナは静かに立ち上がり、揺れる馬車の中でゼノのそばに腰を下ろした。その細い手が、ゼノの手をそっと包む。


金色の光が、ほんのわずかに滲んだ。


ゼノの目が、一瞬大きく見開かれ、それからほっと緩んだ。


「……ありがとうございます」震えが止まっていた。「それでは続きを。ガゾン男爵は就任以来、領民に対して課税率を段階的に引き上げ、現在は収穫の八割を徴収しております。違反者への拷問も確認されており、街道の通行料は王国規定の二十倍——」


「まあ」


ナナは車窓の向こうに広がる麦畑を見つめた。


「たくさん、愛が足りていないのね」


「物理的な意味での金銭搾取が主要な問題なのですが……まあ、ナナ様の解釈で大きく間違ってはおりません」


ゼノが、なにか言いたそうな顔で眼鏡を直した。


「参りましょう、ナナ様」


ハクが胸に手を当て、静かに言った。


「そうね」


ナナは微笑んだ。


白い指で、ドレスのスカートをさらりと整える。


「愛を届けに行きましょう」



  

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