エピローグ:愛は続く
秋の終わり、街道は落ち葉でいっぱいだった。
赤と黄色と橙色の葉が積み重なり、馬車の車輪がそれを踏むたびに乾いた音を立てる。木々の梢は透けはじめ、空が広く見えるようになった。遠くの山に、最初の雪が白く光っていた。
「次の街に、酷い悪徳商人がいるようですね」
ゼノが地図を見ながら言った。眼鏡の奥の目が、すでに何かを計算している。「独占的な商売で街の物価を三倍に吊り上げ、逆らう者には雇っている用心棒を——」
「まあ」
ナナは車窓の外を見た。
橙色の木々の向こう、夕暮れの空が金色に染まっていた。ちょうど、ナナの魔力と同じ色だった。
「愛が足りているかしら」
「圧倒的に不足しております」ゼノは続けた。「商人の名はグレード・ボルツ。元々は行商人だったようですが、十年前に街唯一の問屋を買収し、以来、仕入れ値を独占的に操作しております。街の住民は彼の許可なく他所から物を買うこともできず、逆らった商店主が三軒、用心棒に叩き潰されたという記録もあります」
「可哀想に」
「商店主たちがですか」
「商人の方ですよ」
ゼノは眼鏡を直した。「……それはまた、ずいぶん遠い慈悲ですね」
「そんなに愛に飢えていなければ、あんなことはしませんもの」ナナは静かに言った。「きっと、とても寂しい方なのだわ」
ハクが御者台から振り返った。旅の風に黒茶の髪が揺れている。
「情報によれば、用心棒が十二人おります。全員、元傭兵だと」
「まあ、賑やかそうね」
「……ナナ様にとっては、十二人全員に愛を届ける機会、ということでしょうか」
「そうね」ナナは穏やかに微笑んだ。「たっぷりと」
ハクは一度だけ目を閉じた。元傭兵十二人の末路を、脳裏に描いたのかもしれない。
「……御意」
ゼノが資料を閉じ、代わりに新しい手帳を開いた。ペンを走らせながら、小声で呟く。
「ナナ様讃歌・第二巻、第五十章——愛と独占について。冒頭文案……『愛とは本来、独占されるものではなく——』」
「ゼノ」
「はい」
「書くのは後にして、今は外を見てみなさい」
ゼノは顔を上げた。
車窓の外、夕暮れの街道が広がっていた。金色に染まった空の下、遠くに小さな街の輪郭が見えてきた。丘の上に密集した屋根、石造りの建物、一本の太い煙突から上がる黒い煙——それだけを見れば、どこにでもある普通の街だった。
しかし、ゼノの目には見えていた。
街を囲む壁の内側で、小さくなっている人々の気配が。
「……愛が足りていませんね」
思わず、そう言っていた。
「そうでしょう」
ナナは静かに答えた。
馬車が進む。落ち葉が舞う。夕暮れの金色が、街道をじわりと染めていく。
「あの、ナナ様」
ゼノがおずおずと口を開いた。
「なんですか」
「グレード・ボルツという商人ですが、用心棒十二人の他に、街の入口で身分確認を行っているという情報もあって」
「まあ」
「『見知らぬ旅人、特に貴族風の身なりの者は、問答無用で連行する』という布告が出ているそうで」
「……それは」
「はい」
「私たちのことを、歓迎してくれているということかしら」
ゼノは一瞬だけ間を置いた。
「……そのような解釈も、できなくはないですが」
「良かったわ」ナナは嬉しそうに言った。「では、愛を届けやすそうね」
ハクが短く息を吐いた。諦めとも安堵とも取れる、そういう種類の息だった。
「……御意」
馬車が、夕暮れの街道を進んでいく。落ち葉が、車輪の後ろで渦を巻いた。
ナナ・オーレリア・ヴァンドールの旅は、まだまだ続く。
愛が足りない場所が、この世界にある限り。
——そして次の街には、十二人の元傭兵用心棒と、一人の孤独な悪徳商人が、ナナの到着を知らないまま、今夜も眠りにつこうとしていた。
(王都のクライヴ王子が、今夜も「来ないでくれ」と祈っているとは、ナナは少しも知らない。もし知ったとしても、きっとこう言うだろう。
「まあ、照れないで。たっぷり愛して差し上げますから」
と。)
【おしまい】
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ナナの愛が、少しだけあなたにも届きますように。




