第八章 健輔じいさん ~出発の歌~ 9
「あの時、って?健輔じいさん一体どうしたの?」
茜は目を閉じて何やら物思いにふけている健輔の様子を伺った。
「ああ、あれはもう一体いつの事になるんだろうか・・・・・・・」
時は今から60年ほど前、当時の日本は 太平洋戦争の真っ只中であった。
1942年6月5日のアメリカ軍によるミッドウェイ海戦により、それまで圧倒的優勢だった日本軍が一気に追い詰められてしまったお陰で敗戦色が濃厚となっていたが、それでも国民達は自国軍が勝利を収める事を信じてやまなかったのだ。そして当時まだ10代の少年であった健輔は愛知県名古屋市内で父親が営む『土橋写真館』にて健輔の両親と健輔本人、そしてもう1人20代前半の雇われ写真技師と共につつましくも幸せな日々を過ごし、健輔はその写真技師の青年のことを実の兄の様に慕っていた。
「はーい、そうそう笑って笑って!それでは取りますよー。」
パシャッ
その写真技師はおそらく出征前であろう一家の主を囲んだ家族の写真をまばゆい程のフラッシュをたいて撮影した。この頃日本国内では全国各地に召集令状が出され、日本中の男性という男性が次々と戦争に駆り出されていたのである。そして今回の写真も残される家族にとって最後の記念の1枚となるものであったに違いない。
「ハイ、お疲れ様でした。写真の方は出来上がり次第ご連絡しますんで。毎度ありがとうございます。おっと、坊主!お前そこにいたのか。」
写真技師は健輔少年が傍で彼の仕事ぶりを観察しているのに気づいた。
「兄ちゃん!」
「坊主、どうしたんだよ。何か用か?」
「ううん、別に。兄ちゃん相変わらず忙しそうだね。」
健輔はいつも忙しそうに働いている青年の姿を見つめながら言った。
「まあな、特にここ最近はご時世がご時世なのか今みたいに家族で記念写真を、と依頼されるケースが多いんだよ。それに俺だっていつどうなるか分かんないしさ・・・・・・」
「いつどうなるかって、兄ちゃん一体どうしたの?」
健輔は不思議そうにたずねた。
「い、いや。子供はそんな事知らなくたっていいんだよ。」
「ふーん、よく分からないけど。」
写真技師の青年は間もなく自分自身にも届くであろう召集令状の事に関して身を案じていた。
「おっと!そろそろ時間だ。今日はこれから約束があるから帰るわ。じゃあな坊主、又明日!」
青年は少年健輔の頭をなでるとすぐに仕事場を後にした。
健輔は青年がこの後近所の食堂で働く女給とデートする約束をしているのを知っていた。ついこの間も国民学校帰りにたまたま道草をしていた際に青年がその女給仕と路地裏で抱き合いながらキスをしているシーンを目撃してしまい、ひどく赤面して目のやり場に困ってしまった事があったのだ。もういつから交際していたのかは分からないが、写真技師と女給仕はいつしか婚約をする間柄にまで至っていた。
しかし世の中は若者達の恋を容赦なく引き裂いてしまった。数日後、写真技師の元に召集令状が届いたのである。間もなくして青年は恋人を残して戦場へと向かって行ったのだ。
そしてしばらくして昭和20年3月19日午前1時45分
真夜中に突然空襲警報が名古屋市内中に鳴り響いたのと同時に物凄い爆音が鳴り響き、辺り一面が火の海と化した。 名古屋空襲であった。
「嫌ーーーーーーーーーーーー!!!!!!!熱い、熱いよ!!!!!!」
「おいっ、こっちだこっち!!!!!早くしないと火の粉が飛ぶぞ!!!!!!!」
それまでごく平穏だった町一体が瞬時で地獄と化してしまった。焼けただれて性別の判別さえつかなくなった無数の焼死体に跡形もなく燃え尽きた数多くの家屋、体中火傷に血だらけのまま逃げまとう人々、それはまるでこの世のものとは思えない凄まじさだった。
「あんた、土橋写真館の坊やでしょ?こっちよこっち!早く来なさい!!!!!!」
パニックになってどこへ逃げたらよいのか分からずに辺りをうろうろしていた健輔を見つけた写真技師の恋人が大声で叫び、すぐさま健輔の腕を掴んで安全な場所へ連れて行こうとした。ところがその瞬間、敵国機から投下されたミサイルが土橋写真館がある場所一体に
直撃したのである。
「うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!家が、家がーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
自分の家が一瞬にして破壊されている様を目の当たりにした健輔はその場で号泣した。しかも店内には写真技師の出征前夜に恋人と2人だけで撮った記念写真が置いたままであった。
「しゃ・・・・・・・・写真が・・・・・・・あの人と一緒に撮った写真が・・・・・・そんな・・・・・・嫌よ・・・・・嫌よーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
女性はその写真を取り戻すべく、自ら火の海の中へ飛び込んだ。
「ダメ、ダメだってば!!!!!!どこに行くんだよ!!!!!!!」
健輔は女性に戻ってくる様必死で大声で叫んだが、彼女は振り向きもせずそのまま戦火の中へと入っていき、それっきり姿を見せることはなかった。
同日午前5時12分、警戒警報が解除されて人々は安堵についたが、外は完全に焼け野原と化してしまい、生き残った殆どの人々が今後どうすれば良いのか途方に暮れていた。
「ねえちゃん・・・・・・どこに行っちゃったんだよう・・・・・・ねえちゃん・・・・」
顔を煤で真っ黒にさせながらも健輔は実の兄の様に慕っていた写真技師の恋人を1人泣きじゃくりながら探していた。しかし2度と彼女の姿を見つけることはできなかった。それから間もなくして日本軍より、青年が『お国の為に名誉の戦死を成し遂げた』電報が届いたのである。




