第七章 フローレンスカヲル 7
「さぁて・・・・・役者が2人共揃った事だし。始めますか。2人共いいこと?今回は私の新作が掛かっているのは承知しているわよね?とにかく真剣勝負で挑んで頂戴よ。」
スタート地点のJR軽井沢駅前にて、フローレンスカヲルこと橘馨がマスカラをこれでもかとたっぷりつけた目を大きく開けて茜と昌男に『心構え』をさせた。しかし2人共全くやる気がなかったために終始そっぽを向きっぱなしであった。そんな2人の態度を見た馨は例によって無感情な口調からドスが効いた声に早変わりし、
「ちょっとぉぉぉぉお!!!!2人共やる気あんのぉぉぉおおお!!???」
と思い切り睨みを利かせてきた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!ゴメンナサイっ!!!!!ええ貴方様のおっしゃる通りやる気満々でございますっ!!!!!!!」
2人は慌てて馨にへつらった。
「分かればいいのよ。さぁ行きましょ、まずは『小さな美術館軽井沢花館』でデートシーンをやってもらいましょう。」
馨がそう言うと軽井沢駅を後にして 『小さな美術館軽井沢花館』 へと向かった。
「それじゃあデートシーン行くわよ。まずはヒロインが宣教師と手をつないで館内をめぐりながら絵画を鑑賞するシーンから始めるから。」
到着早々馨は2人に命令を下した。
(ハァ?手をつなぐって一体どういう事?しかもよりによってなんで私が野崎君と!!!)
茜は内心ひどく嫌がったものの馨に逆らうのが怖くて何も言えず、嫌々ながらも宣教師演じる昌男と腕を組みながら館内を歩き回る事にした。
「ね、ねぇこの花の絵素敵だわ・・・・・・」
「あ、ああそうだね。でも僕の目の前にいる君の方がもっと素敵だよ・・・・・・」
2人は顔を引きつらせながら馨が準備した台詞を読み上げた。すると突然
「ちょっと待ったーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
と馨が叫び出し、慌てて取材ノートを取り出して何かブツブツと独り言を言いながらメモを取り始めた。そして
「ちょっとアンタ、今すぐその場にしゃがみ込みなさい!!!ヒロインが持病の発作を起こすシーンを追加させたいのよ!!!!!!」
と突然茜に指令を下したのである。
「た、倒れるってここで?!」
「そうよ!ホラ、ボサっとしてないで早くやるっ!!!!!!!」
茜はびっくりしたが、馨に逆らう訳には行かないので仕方なくしゃがみ込んで具合の悪いふりをした。
「さあ、次は宣教師の方!アドリブで構わないから今すぐヒロインを助けなさい!」
今度は昌男に向かって言い放ち、
「き、君、大丈夫かいっ?!!!!」
「え、ええ・・・・大丈夫よ。いつもの事だから・・・・・ゴホゴホゴホッ!!!!」
例によって茜と昌男は嫌々ながらも成り切るしかなく、アドリブを交えて馨の要求に従った。
「フフフ・・・・・そうよ、その調子よ・・・・・・・・・」
馨は不敵な笑みを浮かべながら新作のイメージを頭の中で描いていた。
「それじゃあ次は旧軽井沢銀座での散策シーンね。」
数々の洒落た服飾店や雑貨店が立ち並ぶ 旧軽井沢銀座 へと移動した一行は早速ウィンドウショッピングシーンを行った。
「ほら、このワンピース君に似合いそうだね。」
「そうかしら?でも私、病気のおかげですっかり痩せこけてしまったから・・・・ああ、元気だったあの頃に戻りたいわ!!!!!」
2人は相変わらず馨の監視の下で台詞を言い続けなくてはならなかった。そして馨自身もよほど次回の新作に作家魂を懸けているのか、目つきがギラギラとしてて尋常ではなかった。一方で茜は旧軽井沢銀座に立ち並ぶショーウィンドウに飾られてある服飾類を眺めている内にかつて自分もスカートやカットソーを身に着けていたOL時代の事を思い出していた。
(リストラされてから随分経つけど、皆元気にしてるかな・・・・・・・・)
茜は草津温泉街にて受信したメールの事を思い出しながらかつての同僚達の事を考えていた。
「さぁて、遂にメインのシーンね・・・・・」
3人は軽井沢地区でも名所中の名所といえる 『聖パウロカトリック教会』 に来ていた。
「あ、あの・・・・馨さん、次は一体何をやればいいのかしら?」
馨に振り回されて心底疲れ切った茜が聞いた。
「2人共祭壇の前に立って頂戴。永久の誓いを交わすシーンを行うから。」
またしても馨は2人祭壇に立つように命令を下した。
「へぇ・・・・なかなかいい感じね。まぁそれはいいとして、2人共ここでキスをして頂戴。」
馨があまりにも突拍子もな事を言ってきたので、さすがに茜も昌男も我慢の限界が来てしまった。
「キ、キスっ!?????私が、野崎君とキスっ!????????」
「おいおいいくらなんでもそれはないぜ!冗談キツイだろ!!!!!!!!」
2人はキスだけは絶対にできないと抵抗したが馨は自分の新作が掛かっている為に全く耳を貸さず、
「それならキスするフリだけでもいいからやりなさい!!!!!!」
と強要するだけであった。
当然ながら2人は馨を怒らせたらどんな目に遭うか想像しただけでも恐ろしかったので、
泣く泣くキスをする『フリ』をする事となった。
「そ、そんじゃあ行くからな・・・・・」
「う、うん。だけどリアルでキスしちゃダメだからねっ!」
「ったりめーだろっ!!!!!何考えてんだよ!!!!!!」
2人は命令されるがままにお互い身を寄せて抱き合い、顔を近づけた。
(あ~あ、これが入江さんとだったら良かったのにな・・・・・・)
茜は目を閉じたまま『憧れの君』の事を思い出しながらうっすらと目を開いてみた。すると目の前には今にも互いの唇が重なり合うか程の距離で昌男の顔が近づいていたのである。
(えぇっ?!!!!!!!!)
茜はびっくりし、同時に何かときめきに似たような感覚に襲われた。
(野崎・・・・君?)
茜は高まる胸の音を押さえようと必死になっていた。
しかしその時であった。
「ん?」
昌男が一瞬茜から離れた。
「どうしたの?」
「いや・・・・さっきから足元から何かカサカサと動く音がするんだ。」
「そう?私には聞こえなかったけど・・・・・」
「うーん、気のせいかな・・・・・・」
昌男は気のせいだと思いつつも、とりあえず足元を覗いてみた。すると、何と、そこには大きくて黒光りしたゴキブリが威勢よく動き回っていたのである。
「ギャァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!
ゴキブリィィィィィイイイイイイイイーーーー!!!!!!!!!!!!!!」
ゴキブリを発見した途端、昌男はものすごい悲鳴を上げてその場から猛スピードで逃げ出し、聖パウロカトリック教会を後にしてしまったのである。
「ちょっと!!!!!野崎君!?」
「ゴキブリ如きで逃げ出すなんて・・・・何て情けない男なのっ!!!!」
野崎昌男29歳、この世の中で何よりもゴキブリが大の苦手であった。




