第五章 繊細な彼女 3
「さぁーーーーーーーーーーーーー!!!!!まだまだミーティングは始まったばかり!次の1曲は『太陽がくれた季節』だ、皆歌うぞーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
旅人庵のヘルパーが奏でるフォークギターに合わせて全員が青い三角定規の 『太陽がくれた季節』を歌い出した。
知床旅人庵ドミトリーゲストハウス、JR釧網本線知床斜里駅より知床半島方面へローカルバスで約1時間程行った所にあるこの野中の一軒家は別名”歌声喫茶”と呼ばれており、打楽器BGMのお迎えの挨拶といい大音量のアナウンスといい従業員の異常なまでのテンションの高さといい、まるで一種のアミューズメントパークを彷彿させる宿であった。そして毎晩繰り広げられるミーティングでは従業員と宿泊客が一緒になってチューリップの 『心の旅』やアリスの 『青春時代』、そして吉田拓郎の『旅の宿』など、1970年代に流行ったフォークソング系の歌を必ず歌っていた。
というのも旅人庵が野中の一軒家である利点を活かして”日頃のストレスを声を出して歌う事で発散させる”というペアレントの意向であった。
その昔、ドミトリーゲストハウスの様な”旅人宿”と言われる場所では毎晩ミーティング時に歌を歌ったり踊ったりするのはごく当たり前の事であったが、時代の流れと共にその様な習慣がなくなってしまい、現在では旅人庵の様な昔ながらの宿は貴重な存在となってしまったのである。
従って旅人の間でも歌って踊る旅人庵の雰囲気に関して好き嫌いが非常にはっきりしており、好きな人にとっては陽子の様に何回も通い続け、一方苦手な人にとっては1歩足を踏み入れただけで逃げ出したくなる宿であった。そして現在7月半ばを過ぎ、夏休みシーズンに突入した事もあって宿泊客も老若男女問わず30人近く集まっていた。
以上の様に独特の雰囲気がある”歌声喫茶”だが、茜はと言うと・・・・完全に溶け込んでいた。こうして声を大きく出して歌を歌うのは岩手県の『遠野ふるさとDGH』以来であるし、何しろ同じ宿で出会った仲間達と共に歌う事がとても楽しかったのである。
「最初は何だかとんでもない所に来たって思ったけど、こうして歌ったり騒いだりできて、すっごく楽しい!陽子さんが10年間も通い続けているのが本当によく分かる!!!!!」
茜が陽子に言った。日頃温厚で大人しい性格の陽子でさえ旅人庵のミーティングの時には元気に声を出して歌っていたのである。
「でしょ?私もここに来るとどんなに嫌なことがあっても不思議に元気になれるの!!!!」
2人は心から楽しそうに皆と一緒に騒いでいた。そしてこの時茜はすっかり陽子の手首の傷の事を忘れていた。
ミーティングが終わって各自それぞれ雑談タイムに入っている時であった。50代半ばと思われる
『知床旅人庵DGH』のペアレントが陽子の元にやって来たのである。
「やぁ陽子ちゃん、来てたんだね。さっきヘルパーの子から君の名前聞いたからさ。いやー、今年もよく”帰って”来てくれたね。」
「ペアレントさん、会いたかったわ!!!!!もう毎年ここには来てるけど、いつ来てもここの雰囲気は相変わらずだし、ペアレントさんも全然変わってないわね。本当に”ただいま”!!!!!!」
旅人庵では”こんにちわ””いらっしゃいませ”、をそれぞれ”ただいま””おかえりなさい”と言い、チェックアウト時の”ありがとうございました”も”いってらっしゃい”と言っていた。
「そうだペアレントさん、明日だけど例のアレ、ツアーやるんでしょ?彼女、茜さんって言うんだけど旅人庵が初めてだって言うし、是非ツアーに連れてってほしいの。」
陽子が言った。
「ツアー?何かあるんですか?」
茜がペアレントに尋ねた。
「やぁ旅人さん、茜さんって言うんだね。ようこそ旅人庵へ。ここでは毎日天気にいい日になると泊まり合わせた人達同士で集まってツアーを出すんだよ。」
続けて陽子が言った。
「行き先はそれこそ色々あって、知床五湖にフレペの滝を訪れたり、カムイワッカの湯って場所があって実際に流れている滝の温泉に入る事もあるのよ。それこそ見所は沢山あるし、毎日ツアーに参加しても飽きない位よ!」
「おいおい陽子ちゃん、君は僕以上に詳しいねぇ。」
ペアレントが笑いながら説明する陽子に言った。
「まぁダテに10年も旅人庵に通っている訳ではないわよ。そうそう、私が初めてツアーに参加した時は本物のヒグマが出たの!あの時はさすがにビックリしたわよ・・・・・。」
「ヒ、ヒグマ?!!!!!!そんなの出たら食べられちゃうじゃない!!!!!」
茜はびっくりした。知床半島は野生のヒグマの生息地でもあり、観光地に現れる事もしばしばあった。従って熊よけの為の熊鈴をつけている観光客も多いのである。
「ああ、思い出した!あの時僕がガイドで引率したんだけどさ、突然ヒグマが出てくるから驚いたんだよ。そうそう、あの時は悟君が・・・・・」
突然ペアレントがしまった!という顔をして慌てて口を手で押さえた。そして先程まで楽しそうに喋っていた陽子も急に顔色が変わった。
(んん?2人ともどうしたんだろう?)
何も知らない茜は2人のそわそわした様子を不思議そうに見ていた。そこでペアレントが慌てて茜に話しかけた。
「ええっと・・・・そんな訳で旅人さん、明日のツアー是非参加してみたらどうかね?泊まり合わせた人達と仲良くなれるチャンスだし、知床半島の風景も存分に楽しめるよ。せっかくここまでやって来たんだから思いっきり楽しんでおいで!」
「そ、そうよ茜さん。私も一緒に参加するから、ねっ!」
陽子も何とか明るく振舞っていた。
翌日の計画を特に決めていた訳でもないし、何しろ留萌から知床までずっと単車で走りっぱなしだった為、そろそろ一息つきたいとも思っていたので茜はOKの返事をした。
「良かった、茜さんも参加するのね。明日は楽しみね!」
陽子は嬉しそうに言った。
「はーーーーーーーーーーーーい皆さん!そろそろ消灯時間がやって参りました。明日に備えてお休みなさーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!」
例によってヘルパーによる大音量のアナウンスが掛かった。
「茜さん、明日の起床時間のBGMも期待した方がいいわよ。」
陽子がまた意味あり気に笑いながら言った。
「そうね、”期待”しておきます・・・・・。」
茜は苦笑いをしながら部屋に戻って床についた。




