第三章 サイクル野郎 ~青年は荒野をめざす~ 16
翌朝、まだ6時前だったが茜は早く北上したかったので出発の準備をしていた。
思えば6月の初旬に『憧れの君』の後を追って仙台から遠野まで直行したのにキャンセルで再会できず、代わりに古村靖という16歳の少年に出会ったのがきっかけで実に様々な体験をする事となり、気付いたら1ヶ月近くも滞在する事になろうとは想像もつかなかった。
(さぁ、準備も整ったし出発しようっと。)
まだ起床時間前の為、他の宿泊客に迷惑をかけない様に朝食の準備中のペアレント夫妻に静かに挨拶をして愛車カワサキ250TRに跨って出発した。その時の模様をたまたまトイレから部屋に戻る途中の靖が見かけた。
「へぇ、今チェックアウトした人がいるんだ。随分早いんだね。」
寝ぼけ眼の靖が言うと、
「あぁ、大橋さんね。彼女急いでいるみたいですぐに出発したんだよ。」
とペアレントが言った。
「えぇ?!マジかよ!!!!!」
出発した客が茜だと聞いた靖は慌てて部屋に戻って着替え、自転車に飛び乗った。
(そんな・・・・・嘘だろ?俺まだあの人に何も言ってないんだよ。何も、何も言ってないんだ!頼む・・・・頼むから間に合ってくれ!!!!!)
靖は懸命にペダルをこぎながら茜の後を追いかけた。
自転車を走らせながら靖は旅に出る決心をした時の事を思い出した。
あれはいつだったろうか?例によって家族にそこら中の物を投げつけながら八つ当たりをし、疲れたら自室に戻ってふさぎ込んでいた。しばらくして引っ掻き回した物に目をやると、そこには昔祖父から誕生日プレゼントとして渡された宮沢賢治童話集があった。何の気無しにその本を手に取って軽く目を通してみると 『雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ』の詩が目に入った。
そこには病床に伏した宮沢賢治自身が強く、立ち上がって元気になりたいという願いが込められている内容が綴られていた。自分も今まであらゆる事から目をそむけてふさぎこんでいた。けど本当は自分だって困難に立ち向かう力が欲しい。雨にも風にも負けないで強くなりたい。そうだ、旅に出よう、無謀だと言われても笑われてもいい。一度でいいから自分がどこまで強くなれるか試してみたい。
よし、行こう。旅に出よう!
これが靖が旅に出るきっかけとなったのである。けど自分はまだ現実に立ち向かっていないのではないだろうか?そう、『大橋茜』という女性に出会った現実と。
(ああ、この田園風景ともお別れなんだよね・・・・・。)
茜は途中でバイクを停めて見慣れた遠野の田園風景に最後の別れを告げていた。
「さて、もうそろそろ行かなくちゃね。」
再びエンジンをかけようとすると遠くから声が聞こえた。サイドミラーを目にやると自転車に乗った靖が近づいて来ていたのである。
「靖君!」
茜は慌ててエンジンを止めた。そして間もなく靖が追いついて来た。
「どうしたの!?そんなに息切らして・・・・・。」
「ゼー、ゼー、ハー、ハー、あ・・・・あか・・・ねぇ・・・ゼー、ゼー、ちゃ・・・ん・・・」
「何を言っているのか分からないよ、とにかく落ち着きなよ。」
「だか・・・ら・・・ゼー、ハー、あ・・・か・・ゼー、ゼー、あかね・・・”茜おねえちゃん”!!!」
「ハ、ハァ?」
”茜おねえちゃん”と呼ばれた茜は一瞬驚いて目が点になった。
「良かった・・・・本当に間に合って良かった!!!!!だって俺、今まで茜おねえちゃんに散々世話になったのに礼の一つも言ってなかったんだ。本当は今朝俺が出発する前に言おうと思ったのに、茜おねえちゃんの方が先に出て行っちゃったから慌ててすぐ追いかけたんだ。
悪口言われた時に突然飛び出したり親父と母ちゃんが俺を無理やり連れ戻そうとした時も全部茜おねえちゃんのお陰で助かったんだ、俺すごく嬉しかったんだよ・・・・・。本当に本当にありがとう!もうここでお別れだけど、俺達またどこかで会えるよな?絶対に会えるよな?」
靖は目に涙を浮かべながら言った。
「靖君・・・・・。会えるよ、私達絶対にまたどこかで会えるよ!!!!!」
茜は初めて自分の事を名前で呼んでくれた靖に対して心から嬉しく思った。2人は再会の時を信じて互いにメールアドレスの交換をし、その後茜はすぐに旅立った。そして靖は茜の後姿をいつまでも見守っていた。
俺は今まで人を信じる事ができなかったのにあの人の
お陰で人が信じられる様になったんだ
俺はあの人よりずっと年下のガキだけど、いつか俺が
あの人に追いつく様な大人になったら
その時はいつか必ず『あなたが好きです』と言うんだ。
いつか、絶対に・・・・・
靖は茜に対する淡い恋心を抱きながら自転車に乗って行った。
大橋茜 27歳
彼女にとってのドミトリーゲストハウスは16歳の少年との出会いから始まり、
困難に立ち向かう勇気と固い友情の絆を得たのである。




