最終章 帰路 ~だれかが風の中で~ 5
茜は考えた。長年勤めてきた会社からリストラに遭い、それからしばらく社会人生活を休止してオートバイの免許を取り、長期間に渡って日本全国あちこち回って色んな生き方があり、又色んな悩みを抱えた数多くの旅人に出会った。そして茜はそんな彼らから多くの事を学び得てきた。
しかしその様な放浪も終わり、貯金も底を突き、茜は現実の世界に引き戻されたのだ。できる事ならもっと旅を続けたい、しかし『憧れの君』と妄想を抱いていた入江勝からの手紙の通り、彼の事を旅の始まりで出会った、という事を理由にしてドラマや漫画に出てくる『自分を救ってくれるヒーロー』扱いにし、挙句の果てには『憧れの君』という勝手な妄想を抱いて恋愛”ごっこ”をし、現実逃避をしていただけではないのか?、と茜は今になってやっと気付いたのである。いや、もう既に旅の途中で気付いていたのかもしれない。なぜならば、茜が道中で度々目にしたその名前、長い年月を経て、同じライダー仲間としてやっと再会できたその人物、飛騨高山で森沢堅太郎と大喧嘩した晩に電話を通して茜の心情を察し、そして旅の最終地である波照間島にて入江勝へ抱いていた気持ちをこっぱみじんに打ち砕かれた時もただ黙って、自分のバイクの後ろの座席に茜を乗せたその相手。
そう、野崎昌男こそが茜の事を一番温かく見守っていたのだ。
軽井沢の聖パウロカトリック教会で昌男と顔を近づけた時から(例えそれが無理矢理であっても)入江勝に対する気持ち以上に何か意識するモノを感じ、以来茜を本気で悩ませる原因ともなったのである。
だがその”想い”が果たして昌男に対する恋愛感情なのか、そして昌男こそが茜にとって本当の『パートナー』となるべく相手なのか、それは茜自身も分からなかった。
しかしそれ以前に茜の目の前には大きな問題が待っていた。それは長期間無職で旅を続けて来た々には分かるだろうが、『再就職』であった。長年貯めてきた貯金も底を突き、妹の歩にも沖縄行きで掛った費用を返還しなくてはならない。しかし無職のままでは収入もままならない。かと言ってこの先茜自身何をやりたいのか分からずにいた。今までは企業で事務職として気楽に働いていたが、果たしてそれが本当にこの先一生自分がやって行きたい仕事なのだろうか?一体自分が生涯やって行きたい事って一体何なのか?
あのゴスロリ女子大生こと橘馨も一流大学に通っておきながら将来は本格的に文筆業を目指しているし古村靖にしたって高校を再受験する。彼女達だけではない。婚約者を事故で失った中乃谷陽子も過去にしがみつくのは止めて前を進んでいるし森沢堅太郎にしたって唯一の理解者である『健輔じいさん』を失っても感情を一切他人には見せずにプロのフォトグラファーとして活躍し、その『健輔じいさん』こと土橋健輔も余命僅かと分かっておきながらも最期の最期まで堅太郎や茜達と出会えて本当に幸せだったと言い、見事大往生を果たした。
北海道で出会った山口和義と彼の古くからの知人である富沢祐子、鹿児島で出会ったマダムライダー佐々木幸子、高知で茜と共に大型台風の被害に巻き込まれた林家緑もそれぞれ年齢的な問題や経済的な問題、家庭内の問題を抱えながらも逞しく生きている。そしてそんな彼らから叱咤激励されつつ、茜は長期に渡るオートバイの放浪を見事成功させたのである。
だけど自分は今まで自分を支えてきてくれた仲間に対して何も貢献していないし、これから出会うべく人達に対しても一体何ができるのだろうか?茜は真剣に考え、悩んだ。
そんな時、手に取った瞬間すぐに目を通すのをやめ、適当な場場所へ放置した軽井沢の『グリーンケイブルズDGH』のペアレント夫人、吉田麗子からの郵送物を改めて手に取った。当時野崎昌男と共に『グリーンケイブルズDGH』で過ごし、チェックアウトをした際に見送りがてらに麗子夫人が夫である雄也ペアレントに発した一言を思い出した。
私ね、思い出したの。
私達もかつて全国あちこちと旅しててDGHという
存在を知って、そしてあなたに出会って結婚して、
今度は自分達が旅人を迎える側になりたいって
いう思いで力を合わせて
グリーンケイブルズDGHを始めたって事を。
そうだ、吉田さん達だって、いや彼らに限らず今までお世話になった宿のオーナーさん達だって今まで自分らが旅先でお世話になって来た事を恩返しする形で宿稼業を始めて旅人を迎える側に回ったんだ。そうだ、そうなんだ。私がこれから先やりたい事は…。
もう茜の心に迷いはなかった。そう、茜が本当にやりたい事とは!