新しい朝
児童相談所での話し合いから一ヶ月が経った。
あの後、彩花の叔母との面談が設けられ、私は彩花の気持ちを代弁するように必死に訴えた。
叔母は最初、渋々ながらも保護者としての権利を主張していたが、彩花が「二度と戻らない」とはっきり拒絶したことで、ついに折れた。
叔母には新しい生活があり、私を厄介者扱いしていた彼女にとって、彩花を手放すのは案外悪い話じゃなかったのかもしれない。
彩花を連れ戻そうとしたのは、彼女なりに世間体を気にしていたんだろう。
この先、未成年を追い出したと、後ろ指をさされることもあるかもしれない。
冷ややかな目を向けられることも。
でももう遅い。
彩花を蔑ろにしたあなたに、家族を名乗る権利なんかあるわけ無いんだから。
法的な手続きは想像以上に面倒だった。
保護者になるための書類を揃え、面接を受け、彩花の将来についての計画を提出した。
仕事で疲れ果てた夜に書類とにらめっこする日々が続いたけど、彩花が隣で「お疲れ様」ってコーヒーを淹れてくれるだけで、頑張る理由ができた。
そして昨日、ついに正式な通知が届いた。
私、佐藤美咲が彩花の保護者として認められたのだ。
叔母との縁は完全に切り、私の家が彩花の新しい居場所として法的に確定した。
彩花は通知を見た瞬間、目を丸くして、それから私の胸に飛び込んできた。
「美咲さん、ほんとだね? 私、ずっとここにいられるんだよね?」
「ほんとだよ。もう誰も彩花を連れていかない」
彼女の涙が私のシャツを濡らして、私はその背中をぎゅっと抱きしめた。
その夜、二人でお祝いをした。
彩花が「特別な日だから」と張り切って作ったのは、ちょっと焦げたハンバーグと、ゴリゴリした食感のポテトサラダ。
でも、私にはそれが何よりのご馳走だった。
食事を終えて、二人でソファに座りながら窓の外を見た。
ベランダに灯る街の明かりが、初めて彩花を見つけた朝を思い出させた。
「ねえ、美咲さん。あの時、ベランダにいた私を見て、どう思った?」
彩花が私の肩に頭を預けて聞いてきた。
私は少し考えて、笑いながら答えた。
「頭おかしい子がいるって思ったよ。だって裸で座ってるんだもん」
「ひどい!」
彩花が笑って私の腕を叩く。
私はその手を掴んで、彼女をこっちに向かせた。
「でも、すぐに思ったよ。この子、放っておけないなって」
彩花の目が私をじっと見つめて、彼女の顔が近づいてきた。
夕陽が彼女の長い髪を赤く染めて、その瞳がキラキラ光ってる。
私は息を呑んで、言葉を失った。
「美咲さん、私、ほんとに幸せだよ。こんな気持ち、母さんとお父さんがいた時以来だよ」
「彩花……」
「大好きだよ。ずっとそばにいてね」
その言葉に、私の心が溢れた。
彩花の頬に手を添えて、そっと引き寄せる……そこで動きを止めた。
「美咲さん?」
「あ、いや、これは」
家族になったんだから、こんなことはしちゃダメだ。
冷静になって手を離そうとすると、彼女の目が閉じられた。
「彩花……?」
何も言わない。
ただ受け入れるように待っている。
私も目を閉じた。
そして、唇を触れさせた。
柔らかくて、温かくて、少しだけ震えてる彩花の唇。
私は彼女を抱きしめて、そのキスを深めた。
初めてのキスなのに、ずっと前から知ってるような懐かしさがあって、涙がこぼれそうだった。
キスを終えて顔を離すと、彩花が恥ずかしそうに笑った。
「家族なのに……しちゃったね」
「しちゃったね……」
こんなんじゃ保護者失格だよ……
親権剥奪なんてされたらどうしよう。
「美咲さん、顔赤いよ」
彼女はクスクス笑った。
「あーあ、始めてだったのになー。美咲さんに奪われちゃったー」
「うっ……」
「……でも、嬉しかった。ねえ、私たちって親子になるのかな」
「書類上はそう、かな」
「親子でキスするって、普通だよね?」
「まぁ、普通…………か?」
「普通なら、もっとしてもいいよね?」
「彩――――――――」
今度は彩花から。
唇を離した彩花は、慣れないことをして顔を真っ赤にした。
「プッ、アッハハ」
「もうっ! なんで笑うの!」
「彩花が可愛いからだよ」
私はその髪を撫でて、静かに微笑んだ。
翌朝、目が覚めると、彩花が私の腕の中で眠っていた。
狭いベッドに二人でぎゅうぎゅうになってるけど、それが彩花の肌のぬくもりを感じられて心地よかった。
窓から差し込む朝陽が、ベランダを照らしてる。
私はそっと彩花の額にキスをして、また目を閉じた。
あの朝、ベランダに裸で現れた少女が、今、私の家族として隣にいる。
ただのくたびれた社会人だった私に、新しい人生をくれた。
彩花がいてくれるなら、これからの毎日はきっと幸せだ。
「彩花、おはよう。今日も一緒にいようね」
眠る彼女に囁くと、彩花は寝言で「うん」と小さく答えた。
私はその声に笑って、彼女をもう一度抱きしめた。