第2話 兄の名前
(あれ? どうなったんだ……目が見えない。声は……?)
次に意識が戻ったとき、目の前が真っ暗だった。
絶対に死んだと思っていたのだが、……これはまだ生きているということなのか?
「おぎゃー! おぎゃー!」
声が出た。しかし赤子の声だ。
これはあれだ。ラノベでお馴染みの転生ってやつだ……ということはやっぱり死んだんだな、僕は。
正直、前世に思い残すことはない。強い思い入れもない。多分、つまらない人生だったのだと思う。
ここはどんな世界なのだろう。
自分の置かれている状況が全くわからない。
あまり面倒なことに関わりたくない。ああ……不安しかないのだが。
というか……男の子なんですか!?
桜井陽菜もといシン・ベータ・ルクセントは、周囲の会話から自身がルクセント王国の第3王子として生まれたことを理解した。
そして父と母の他に5歳離れた双子の兄がいるということを知り、王位継承権などの問題に巻き込まれる可能性に気づいた。気づいてしまった。ああ……どうか、穏やかな日々を過ごせますように。
不安を感じる一方、兄ができるのは初めてだったので、少しワクワクしている自分もいた。うん、上手くやろう。良好な関係を築き上げれば、きっと心配ない!
それにしても前世の妹は元気だろうか。あの子の学費、稼ぎきれなかったな……どうかあの子が幸せでありますように。
(しかし、まだ目が見えない。僕の家族はどんな顔をしているのだろう? 目が見えないって不自由だな……)
視覚が使えないため、現在は声色を聞き分けて人物を判断している。
この部屋を行き来する人は多い。だが何度も来ている人の声は覚えることができた。
優しくほんわかした雰囲気の声の持ち主は母。
たまに聞こえてくる威厳のある声の持ち主は父。
毎朝挨拶してくれる優しさに溢れた幼い子の声、たまに聞こえる少し冷めている幼い子の声は兄たちだろう。
それからいつも傍にいるメイドさんの声。彼女は僕の乳母さんである。
(メイドさんがいるのと、魔法の話が聞こえてくる感じから、異世界に転生したことはわかっていたけど……まさか王子として転生したとは。それにまだ感覚が慣れない……特に下が)
しばらく考え込んでいると部屋が静寂に包まれた。どうやら1人になったらしい。
僕が眠りについたと思い、皆それぞれ仕事に行ったのだろう。
暇な時間をどう過ごそうかと考え始めたそのとき、扉が開く音がした。
(ぎぎぃ)
誰かが入って来た。物音がしない。
様子がおかしい。不審者だろうか。緊張が走る。
すると突然、小さな影に覆われた。
「お前がシンか。ちっせえな」
急に声が聞こえた。
少しぶっきらぼうで冷めた幼い声。
兄だ。だがどちらの兄なのかは現段階では判断がつかない。
「ちっ……お前まだ目が見えていないのか?」
兄は僕に手を伸ばし、顔の前で手を振った。
どうやら疑念に駆られながらも興味を抱いてくれたらしい。
その動きによって生じた風を顔面に感じた。
「うきゃあ」
先程の舌打ちによる不安は残るものの、僕は今できる精一杯の返事をした。
敵意が無いことを笑顔で赤子ながらに必死で伝えた。
しばらく沈黙が続いた。
ああ、やってしまった。嫌われた。
そんな焦燥感に駆られていると、ぼそぼそと声が聞こえてきた。
「か、可愛い……」
あの日を境に兄は誰もいないときを狙って僕の部屋に忍び込むようになり、たくさん話しかけてくれるようになった。
後に、彼の名がヴィクトールであることを知った。
2歳頃まで双子の兄であるイーリスが病弱で母親がつきっきりで看病し、寂しい想いをしていたこと。
家庭教師による指導が始まり、兄と比較されては周りの大人に嘲笑されていること。
自分は出来損ないの王子であると思い込んでいること。
すべてを僕に話してくれた。
おそらく理解できていないと思ったのだろう。そのうえで普段言えない話を、胸に秘めている想いをここぞとばかりに話したのだ。
だが残念ながら僕はすべての話をしっかり理解していた。だからこそ、ヴィクトール兄様のために僕ができる最大限の想いを声と動きに載せて兄に伝えた。
(たくさん話してくれるヴィクトール兄様が大好きだよ。僕は兄様の味方だよ)
毎朝挨拶をしてくれるイーリス兄様とこっそり話を聞かせてくれるヴィクトール兄様の関係はあまり良くないようだ。
双子であるにも関わらず、育ってきた環境が異なるがゆえに会話が少なく、気まずくなってしまったのだろう。
さらに驚いたことに兄弟関係どころか、親子関係までもがあまり良くない状態らしい。母親との関係にも、父親との関係にも溝が生じてしまっているようだ。
病弱な兄に対する心配や国王・王妃としての仕事の忙しさが要因なのだろうが、なんとも切ない話である。
これは5歳児が抱えきれる悩みではない。
(まずい。解決しないと僕の第2の人生が早くも終わってしまう……早く成長期よ、来い!)
あれから8ヶ月経った。
首が座り、目が見えるようになった。
驚くことに……家族が美形すぎる。
かく言う僕自身も、薄く淡い青緑色の髪に濃い紫青の瞳をした、すでに顔の整った子供であった。
さすが王族。
改めて周りを見てみると、何人もの使用人たちが忙しなく働いている。
書類を抱えて移動する者。掃除や洗濯などの家事を担当している者。僕のお世話をしてくれる者。
多くの人たちに支えられて生きていることを実感した。
(今まで使用人たちの声が聞きわけられずに全然識別できていなかったけど、これでもう大丈夫だな)
ちなみに乳母さんは、メイド長も担っているルーナさん。
雰囲気はおかん。とても仕事のできる凄腕メイドらしい。実に頼もしい。
(早く話せるようになりたい。みんなとお話したいな。割と第2の人生、楽しみだらけ。あ、でも……解決しなきゃいけない問題もあるんだよね。まだ話すことができないから、しばらく情報収集に専念しよう……)
悶々と考えていると、イーリス兄様が日課の朝の挨拶に来てくれた。
彼は5歳とは思えない落ち着きと輝きを放っている。
そんな美少年が僕に微笑みかける。
「おはよう。シン。今日も良い天気だね」
僕はそのままイーリス兄様に抱き上げられた。
そして頬に優しく口付けされた。
(くう……このイケメンが)
今日こそ言えるだろうか。
かなり前から練習しているのだが案外難しく、まだ成功していない。
僕は兄様の綺麗な瞳をまっすぐ見ながら声を発した。
「に……い、にいに」
(やっと言えた! 拙かったけど、伝わったかな?)
再び兄様の顔を見ると、凄い顔で硬直していた。あの美しい少年の表情とは思えないほどに。
まるで雷に撃たれたような衝撃を受けた、そんな表情。
「シ、シン……い、今、私のことを呼んだのかい?」
今度は目を輝かせてこちらを見つめている。幸せに満ちた瞳で。
イーリス兄様の傍にいた執事やメイドたちも、驚きのあまり手を止めてこちらを見ている。
信じられなかったようなので、僕の小さな手を兄様の頬に当ててもう一度名前を呼んでみる。
「いいすにいに!」
僕がイーリス兄様の名前を呼んだことが城内全体に伝わり、どこもかしこもお祭り騒ぎになっていた。
言葉を発するだけでここまで喜んでくれるなんて……赤子冥利につきる。
そんなことを考えていたのも束の間、何やらすごい足音が近づいてきた。
「シーン!!」
ヴィクトール兄様が僕のいた部屋に駆け込んできた。
その勢いのまま、僕を抱き上げ叫んだ。
「俺の名前は呼んでくれないのか!? シン!!」
あまりの勢いに周りの者たちが抑えようとしていたが、彼らを振り切って僕のもとに来たようだ。
兄様にとっては余程の重要案件だったらしい。
それにしても焦った顔までイケメンだな……切れ長の目がまたイケメンさを増長させている。
「きゃはは! んーと、うー。び、び……びくとにい。びくとにいに!」
僕が名前を呼ぶと、今までにない笑顔でとても喜んでくれた。こんなに笑った兄様、初めて見たかもしれない。
余程嬉しかったのか、兄様は僕を抱っこしたままぐるぐる回転した。
空中ブランコみたいで楽しかったが、周りは慌てふためていた。
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