街角の歌声
ルナはカイとともに制御室を出て、初めて街へと降り立つ。
彼女にとっては、この街の路面を実際に歩くという行為自体が、新鮮な体験だった。
“思った以上に活気があるのね……。”
そう呟きながら、ルナは瞳を輝かせて辺りを見渡す。
ホログラムとして投影されている彼女の姿は、市民の中に自然に溶け込みつつも、その視線には好奇心の光が宿っていた。
「オリオン・プラネタリアムは機能性だけが売りじゃないんだ。人々の小さな文化が合わさって、街を形作っている。」
カイは歩みながら穏やかに言葉を添える。
彼の言う通り、街の一角では多彩な屋台が並び、通りを彩るポスターやライトの色合いが、人工的とは思えない柔らかさを放っていた。
そんなルナの目に留まったのは、広場にできた人だかりと、中心でギターを抱えて歌う青年の姿だった。
青年は飾り気のないメロディーを静かに奏で、その声を柔らかく響かせている。
“……これは?”
ルナは歩みを止め、その歌声に耳を澄ます。
素朴なコード進行と優しい歌詞のはずなのに、その奥からはどこか温かい空気が流れ出していた。
ホログラムの星を見慣れている彼女には、その生々しさがいっそう新鮮に映る。
「街角のパフォーマンスだよ。ここなら、誰でも自由に歌ったり踊ったりできる。彼もきっと、自分の表現を試してるんだろうね。」
カイは小さく笑ってルナを促す。
すると、ルナはふわりと頷き、青年のそばへと足を進めた。
そこには十数人ほどの観客が集まり、皆が歌声に魅了されているようだった。
その表情には穏やかな笑みと、ほんの少しの感動の色が滲んでいる。
”この音楽……なぜこんなに人を惹きつけるの?”
ルナはデータベースにある音楽理論を参照し、コードやリズム、声帯の特性を脳内で整理しようとする。
しかし、そのどれを突き詰めても、目の前の感動を明確に説明しきれないジレンマを感じていた。
「データだけじゃ割り切れないんだ。」
背後からカイの声が聞こえる。
「この歌い手が何を想って歌い、人々がその歌に何を重ねているか……そこにこそ感情の本質がある。数値やアルゴリズムで言い表せるものじゃないんだよ。」
振り向いたルナの視線とカイの穏やかな笑みが交差する。
彼の言う『感情』というものを、ルナはまだ掴みかねていたが、少なくともそこに何か大切な秘密が潜んでいる気がする。
再び歌い手に目を向けると、その澄んだ声はルナの中で小さな波紋を広げていた。
理屈では説明できない響きが、彼女の意識を揺らしている。
(私も……こうして誰かと繋がることができる?)
歌が終わると、控えめな拍手が広場に広がった。
ルナはその様子をじっと見つめながら、小さく呟く。
“私が神託を与えるとき、人は安心や決断を得る。
でも、今の歌には……もっと根源的な何かがあったように感じる。”
「そこに気づいたなら、大きな一歩かもしれないよ。」
カイは軽く肩をすくめて微笑んだ。
「この街には、まだまだいろんな音楽や感情があふれてる。もし知りたいなら、いくらでも探してみるといいさ。」
その言葉に、ルナはしっかりと頷いた。
青年が去るまで、その背中を見送りつつ、彼女は心に生まれた微かなざわめきを抱えたまま、広場に立ち尽くしていた。