02
城壁の外、黄金の麦畑を抜け、丁寧に整えられた道の先。
王都の教会本部は、そんな辺鄙な場所にあった。
シンプルな造りの教会前の広場には、不釣り合いな豪華な馬車が整然と並べられている。
おそらく私が、最後の到着となった。
エスコートもなしに馬車を飛び降り、12歳の私には大きすぎる扉をようやっとの思いで開いた。
「――皆様、この度は初等部のご卒業、誠におめでとうございます」
やはり、もう始まっていた。
貴族・王族が通うことを許されている『学園』は、6歳となる貴族の子息令嬢が必ず入学しなければならない教育機関。
もちろん、この国の王女である私も通っていた。
「今年は、歴代でも優秀な世代であると国王陛下もおっしゃっていましたが、まさにその通りでした」
6年間の初等教育を終えると、次の魔法教育のカリキュラムへと移り変わる。
その節目の年、つまり今年に一旦の卒業式をこの教会で迎えるのがしきたりとなっていた。
「――おやおや、遅刻した生徒がいたみたいですね。アストライア王女殿下」
――そう言い放ったのは、中年の白髪交じりの司祭。
今日の担当は、よりにもよってギル司祭長だったのか。
こっそりと入ったつもりだったが、やはりバレていたみたいだった。
私は、メイドや執事から嫌がらせを受けていた。
時間の余裕は十分にあったはずの今日も、わざと定刻に到着しないよう馬を走らせていた。
「王族たるもの、手本となるよう時間は守るようお願いいたします」
私のせいではない。
そんなことを、声を大にして言ったところで、王女である私がそんな扱いを受けるはずがないと誰も信じてはくれない。
「失礼、先ほどの言葉には一部『例外』があったようですね」
赤を基調としたチャーチチェアにふんぞり返っているクラスメイトの皆が、にやにやと私を見て笑う。
それは私が無能だからか、それとも醜い私を見てか。
どっちにしても、ランクが下の人間を見るかのような視線は、本当に不快だった。
「――待ってください、ギル司祭長」
そのまま空気となりじっと身を潜めようとしたが……一番、嫌いな人が異議を唱えてしまった。
また面倒なことになりそうだ。
「仮にも王族に向かって、そのような言葉はどうかと思います。撤回を」
輝くような金髪に、吸い込まれるような碧眼。整ったその顔に、集まった少女たちは一瞬で虜となっていた。
――それが、ヴァーニル第二王子。私と同じ歳の異母弟であった。
「これはヴァーニル王子殿下、失礼をいたしました。失言でした、撤回いたします」
ギル司祭長の態度は私の時とは打って変わって、媚びるような表情で弟を見つめていた。
司祭長は弟派だった。
というか教会がすべてそうだった。
王位継承順序が上である私から何としてでも王位を弟に移そうと、あれこれ動いているらしい――けど、私にはすべてがどうでもよかった。
「姉上もだ。陰に隠れていないでこちらに来なさい」
……やっぱりこうなった。
「今日がいかに大切な日か、わかっていたはずです。司祭長のいう通り、王族としての自覚が欠ける行いです。なのに謝罪もせず――こちらに来て皆に謝罪を」
弟は、正しいのかもしれない。
けど、人の気持ちはわからない、昔から、そんな人だった。
「……申し訳、ございませんでした」
クラスメイトの前に引きずり出された私は、たぶん真っ青な顔をしていただろう。
そんなみじめな私の姿を横目で見ていた弟は、クラスメイトと全く同じ顔をして「ッフ」と笑っていた。
落ちこぼれの姉を優秀な自分が諫める。
さぞ気持ちいいだろうな。
「まったく……さて、気を取り直してメインの行事と行きましょうか、ギル司祭長」
クラスメイトの視線が痛かった。
太った私を、まるで見世物を見るかのように。いつからか、人前に出るのが本当に嫌いになっていた。
「畏まりました、ヴァーニル殿下。――では、魔力の計測を行います」
そうだった。
今日、もしかしたら惨めな私から決別することができるかもしれない。
私の体に特別な魔法さえあれば、すべてを変えることができる。
「では、まずは王族であるヴァーニル殿下からお願いいたします」
司祭長は祭壇の中央に置かれた透明の水晶まで、優雅にお辞儀をしながら導いた。
魔力を測定することのできる水晶は、人の頭ほどの大きさで、それ以外はいたって普通のものだった。
「では、お願いいたします」
測定の方法はとても簡単だった。
覗き込むだけ。水晶に瞳を映すだけでよかった。
弟も、少しは緊張しているのか、こわばった表情で水晶をのぞき込む。
途端、水晶は金色に輝き、教会の室温を上げてしまうほどの熱を放った。
あぁ……やっぱり。
「す、す、す――素晴らしい‼ これは、紛れもなく【金級】の魔力、それもこの熱波は、【炎の勇者】のもの‼」
「――ッハ、ハハ。やっぱり、僕こそ」
高揚した様子の弟が、パチンと指を鳴らしただけで、天井に届くほどの火柱が生まれた。
間違いなかった。
この国に5つのみ存在する最高位の魔法だ。
「「す、すごい!」」
「「新たな英雄の誕生だ‼」」
キャーと桃色の声を上げるクラスメイト、来賓の貴族たちも目を輝かせていた。
勇者のみが得ることのできるその魔法は、一国が変わると言われるほど一大事な出来事だった。
「――ッフ、まぁ別に驚くことでもないか。次は姉上、あなたの番だ」
会場の熱気が冷めやらぬ中、次に指名されたのは私だった。
王位継承権の順序的には本来私が先だったけど、まぁいい。
まだ、残っている。
別の最高位の魔法を、私が宿している可能性はある。まだあきらめてはダメだ。
「……ふぅ」
意を決し祭壇の前に歩み出た私は、そうして閉じていた目を少しずつ開けた。
ドクドクと、自分の心臓の音が聞こえる。
さっきまでうるさいほど熱狂していた教会も、少しは気になるのかいつの間にか静かになっていた。
けれど水晶には、醜く肥えた私が鈍く反射しただけだった。
……何も、起きなかった。
「こんなことは、初めてです」
司祭長が、笑いを堪えた顔で、私を見る。
嫌だ、聞きたくない。
「王女殿下、残念ながらあなたに神から与えられた魔法はありません。魔力も一切ないようです」
そう言い放った途端、ブワっと笑い声に変わった。
誰しもが腹を抱えて笑っていた。
今まではクスクスと声を抑えていたのに、もう隠すこともしないみたいだった。
「――っははは‼ 無能もここまで行けば笑うしかないな‼」
弟も、礼儀など忘れて私を指さし嘲笑する。
今日は、間違いなく人生最悪の日だ。
私の顔は、絶望に青ざめているだろうか。それとも恥ずかしさから真っ赤になっているだろうか。
そんなこともわからず、ただ瞳には涙が浮かんだ。
「さぁ、時間もあまり残されていません。男爵のご子息ご令嬢から順番にどうぞ」
ひとしきり笑い、それでもまだ笑いの余韻に浸っている皆を尻目に、私は壇上の陰に隠れるよう退いた。
本当に、情けない。
次に呼ばれたのはアクアリス男爵令嬢。
プラチナブロンドの、かわいらしい令嬢だった。
儀礼の順序は、基本的に王族から始まる。その次に、階級が低いものから順に呼ばれるのがしきたりだった。
男爵位は、貴族社会で最も底辺の階級。けれども彼女は、持ち前の明るさから誰からも好かれていた。
陰と陽、階級も含め私と彼女は真逆の存在だった。
「よ、よろしくお願いします!」
まぁ男爵家だ、そこまでの魔法を授かっている訳が――。
「……え」
そんなことを考えていたら、先ほどの弟と同じ金色の光で部屋中が満たされたかとおもうと、先ほどの熱気を打ち消すかのように肌寒くなった。
その光が何を指すのか、考えたくもなかった。
「――こ、こんなことが。これは間違いなく【水の聖女】様の魔法……‼ 聖女さまの再来だ‼」
誰もが、一瞬で私の存在を忘れ、視線はすべて一人の少女に注がれた。
羨望の眼差しを向ける人が多数の中、私は自分に芽生えた醜い嫉妬心を彼女に向けてしまっていた。
私は、ことごとく特別ではなかった。
目の前のかわいらしい少女みたいな子が、きっと物語の主人公なのだろう。
「――どけ‼」
弟は私を片手で突き飛ばし、少女のもとへと駆け寄った。
そうして、優しく少女の手を取った。
「……今日は本当に素晴らしい日だ。君の名前を、教えてくれないか」
「――で、殿下⁉ えと、あ、アクアリスと、申します‼」
「そうか。アリスと、呼んでも?」
「はい、もちろんでございます‼」
「――アリス。君と私で、この国を守っていこう」
そう弟が甘く囁くと、拍手喝さいが巻き起こった。
「「新たな英雄と聖女に祝福を‼」」
本当に、英雄譚の一部みたいだ。
その一部始終を、私はただただ茫然と眺めていた。