09 とあるメイドの前日譚
「私はヘイヴン伯爵家のステテコ・ヴァン・ヘイヴンという。お前、名前は何だ」
小太り、という言葉が似合う男性貴族がしかめ面で私の名を聞く。
「……ステラ・ノイヤーです」
真っ白なベッドで目覚めたら、その男性は仁王立ちでずっと私の顔をのぞき込んでいた。
貴族と分かって叫び声を押し殺した私を褒めたい。
目覚めは最悪。正直気持ち悪くて心臓が止まるかと思ったけど、平民の私に貴族の問いを無視するという選択肢はなかった。
「そうか、ステラか。ここは王城の医務室だ」
「……王、城?」
どうして、私はお城にいるのだろうか。
「あの、私はなんで」
確か父や兄と馬車に揺られている時だ。
私たちは魔物に襲われた。
馬車をも超える巨体の魔物だった。多分全員死ぬだろう、そう覚悟した束の間。魔物の大きな牙でかみ砕かれる前に私は気絶した。
記憶が曖昧で、どうしてそうなってしまったのか全く覚えていない。
「お前は平民なのに魔法を覚醒させた。魔女となったんだよ」
嫌な予感が、的中してしまった。
魔法は遺伝する。家系的に十分可能性があったし、そこまで驚くことではないけど、貴族にバレたことが最悪だ。
「私は、どうなるのですか」
目の前の太った貴族には見覚えがあった。どうして平民の乗り合い馬車に貴族がいるのだろう、そんな疑問を抱いたから。
「お前ら魔女は国の所有物となる。全く平民は法律も知らんのか」
所有物か。
知ってはいた。
少し前まで貴族ではない平民が魔法使いと知れると、奴隷の身分にまでされていたことも。
「――‼ そうだ、私の家族は無事なんですか⁉」
「はぁ。……無事だ。私もお前に一応は救われたからな。そこは保証してやる」
よかった。
でも、やっぱり記憶がはっきりしない。
「まぁどうでもいい。とりあえず早くその汚い見た目をどうにかしろ!」
そう怒鳴りながら、貴族の男は私をベッドから強引に立ち上がらせた。
「お前は怪我すらしてない。この医務室は傷病人が使うものだ!」
このブタ野郎、と少し心の中で舌打ちをした。さすがに表情に出すほど子供ではないけど。
医務室を追い出された私は、そのあとその無駄に広い廊下を歩かされた。
小太り伯爵に案内されて着いた先は、赤と金の色彩に統一された趣味の悪い小部屋だった。
掃除の行き届いたその部屋には、ずらりと同じ給仕服が並べられていた。
「私は忙しいからな。あとは別のお方に任せてある。お前はその服に着替えて待機してろ」
そう言ってバタンと扉を強く閉めたかと思うと、壁越しでも聞こえるうるさい足音を立てながら伯爵はどこかに行ってしまった。
落ち着きのない人だ。
とりあえずやることもないし、言われた通りにしよう。
貴族の言うことを聞かなかったから死罪、なんていうことも今の私にはあり得そうだし。
私はきれいに並べられたメイド服を一着手に取り、それを自分の体と合わせてみる。
かなり上等な服だ。
これでデザインも選ぶことができたなら、少しは楽しめたのかもしれないけれど、どれも同じだと少し萎える。
「……ちょっと胸が苦しいかも」
――コンコン。
私が無作法に早着替えを終えた瞬間、見計らったように扉がノックされた。
さっきの失礼なブタ貴族だろうか。
「――はい」
返事を待って、丁寧に扉を開けて入ってきたのは、黒髪の青年だった。
翡翠の瞳を持つ、とても端正な顔立ち。そして鍛えられた体躯。
物語の中から出てきたかのような人だ。
「っと、……申し訳ねぇ。着替えてたか」
「いえ。今着替え終えましたので」
さっきの貴族と打って変わって、やわらかい雰囲気の人だった。
言葉遣いは、少しだけ荒っぽく感じたけど、優しく声のトーンを抑えてくれていた。
でも青と黒の豪華な服装から見て、どう考えても貴族だ。
「俺の名はシオン・ヴァン・ヴェスペル。一応貴族だが今は宰相のパシリみたいなもんだ。まず、いきなり連れ込んで、不安にさせてごめんな」
胸に手を当て、深々と頭を下げる。
その動作一つ一つに、私たちにはない優雅さを感じる。
「知ってるかもしれないが、この国の宰相は魔法に覚醒した平民の保護に動いてる。でも、お前は少し事情が違う。お前、けた違いに魔力が強いんだ」
そうなんだ。
この貴族の男性なら家に帰してくれると、少し期待したのに。
でもやっぱり現実はそんなに甘くなかった。
「お前、国の事情はどこまで知ってる?」
「……抽象的すぎて、よく分かりません」
「いや、わりぃ。そうだな。知ってることもあるかもだが、順を追って説明するか」
挑発気味に言ったのに、目の前の男性は私のことなんて歯牙にもかけない様子だった。
少し、自分が恥ずかしくなる。
「今の国は、まぁ端的に言えば王族派と宰相派に分かれてる。なんとなく気づいてると思うが、俺は宰相派の人間だ」
「宰相のことは、私でも知っています。街だと王より人気があると思います」
宰相がいなければ国はとうに滅んでいたとまで言われてる。彼の多すぎる功績の内の一つが、魔女の奴隷解放。
「逆に国王は、貴族の中では人気なんだ。だから俺はむしろ少数派だ。あ、座ってくれて構わねぇ」
そういいながら、彼は部屋の中央に置かれたソファーに腰掛け、対面に置かれたもう一つのソファーを指さした。
こんな高級そうなソファー、座るのも気が引ける。まぁ座るんだけど。
「それでも、魔法を使える平民……魔女や魔男はここ十年、宰相が保護し、いずれ家族のもとへ返していた」
「それも、知ってます。でも最近は――」
「その通りだ。王が私兵や従者として囲うようになった。それでも自由は保障されて給金も出る。喜んで従属するヤツもいるくらいだ」
円形のこの部屋は天井にも窓があり、時刻は夕方に差し掛かったのか、そこから西日が差していた。
ソファーに腰掛けたシオンさんの両ひざに光が当たり、それはまるで一枚の絵画のようだった。
「王は何かに怯えてる。だから力あるものをそばに置いてるんだ。宰相は事情を知ってるみたいなんだが、教えちゃくれねぇ」
「だから魔力が強い私は、王のもとへ送られるのですか」
「そうだが、ちょっと違う。お前は、王女のメイドとして働いてほしい」