第7話 焼肉弁当
柏野和哉は、工業が多く集まる地区から、県道沿いの道を歩いていた。今は夜の二十三時過ぎ。もうすぐ日付も変わりそうだった。
和哉はリネン工場で洗濯の仕事をしていた。今日は遅番の上、残業もあったので、こんな時間になってしまった。
「はあ、疲れたわ」
今日は仕事量も多く、身体は灰になりそう。お腹もぺこぺこだった。こんな夜は、あのコインレストラン・佳味へ行く事に限る。和哉はあの自販機しかないレストランの常連だった。
今でこそ工場で真面目に働いている和哉だが、昔は悪い人間だった。ヤクザに入り、薬を打ったり死体を運ぶような事もしていた。上半身は遠目には真っ黒に見えるぐらい刺青だらけだ。足を洗っている和哉も銭湯には入れないだろう。小指もあまり見せられないが。
そんな和哉は刑務所で牧師の面談をする事が多く、すっかり改心してしまった。今は親分はイエス・キリスト状態で、真面目に職探しをし、今は進学校に行く為のお金も貯めているところ。将来の夢は牧師になり、かつての自分のような悪い人間に救いの道案内をする事だった。時々、夜の道を徘徊しながら、悪の道へ迷いそうなヤツにも声をかける活動もやっていた。今では「兄さん!」と慕ってくれている若者もいるぐらいだった。
もっとも今日は仕事が大変だった。今夜はコインレストランで食事をして、さっさと家に帰るつもりだった。
工場地区からしばらく歩くと、コインレストラン・佳味が見えてきた。
田舎の夜道では、あの店の明かりも目立って見えるものだ。外観はコインランドリーそっくりだが、中に入ると飲料だけでなく、食事も販売している自動販売機が並んでいた。
「ああ、なんか今日は疲れたな」
うどんやラーメンの自動販売機もあり、それも魅力的だが、今日はがっつり気分だ。弁当の自動販売機が目に止まり、百円玉を四枚投入した。
古ぼけた自動販売機。コインも五百円玉や千円札なども使えないが、よくメンテナンスされ、明らかに人の手が見える。ここのうどんやラーメン、蕎麦、ハンバーガーも全部店主が手作りで売っているらしい。
自動販売機なんて無機質で機械的だと思っていたが、ここはむしろ逆。自動販売機のデザインは何でもアリ。そんな大らかさもある。何より売られている食事は手作りで、何だか人の温かみも感じる。
和哉は平成元年生まれだった。親もろくにいない生まれだったが、何だかかここの食事は懐かしい。まるで実家で食べる食事のような懐かしさもあり、決して人工的でも機械的でもない。
販売手段は機械なのに不思議なものだ。ここの店は監視カメラも一台もついていないのに、犯罪に巻き込まれた事も一回もないらしい。無人なのに、その奥にちゃんと人がいる事が想像できる不思議な空間で、悪い事もできそうにない。
今、和哉はたった一人でこの店にいた。家族もいないし、パートナーもいない。友達は教会の仲間と夜道で知り合った悪そうなヤツだけ。孤独とも言っていい現状だったが、ここにいると、別に寂しくない。自動販売機の姿から、売られている食事から人の気配が透けて見え、かえって心は賑やかになるぐらいだった。
そんな事を考えているうちに弁当を自動販売機から取り出す。ペラペラな弁当容器に入っていたが、よく温められていた。自動販売機のポケットにはちゃんと割り箸もあり、それを持ってテーブルの方へ向かった。
店内にはちゃんと休憩できるテーブルもある。四、五人は余裕で使えるぐらいの大きさだろうか。このテーブルもレトロで細かい傷はついていたが、丁寧に使われているように感じる。綺麗に使いたいものだ。
「食べる前に食前の祈りをしないとな」
和哉は元ヤクザだが、クリスチャンでもある。ちゃんと食前の祈りをした。神様への感謝や今日一日仕事を頑張った事などを報告してから、食べ始めた。
割り箸を折ると、小さな音が響く。これが何かの合図になったかのようだ。和哉は焼肉弁当を食べ始めた。
いかにも手作りな弁当。家庭で作られたとしても言違和感のない見た目や味だ。正直、見た目と味はコンビニ弁当に負けてしまう。値段も大差ないだろうが、この瞬間が幸せだ。
和哉は刑務所にもいた。確かに食事は健康的で美味しいものもあった。自分達で作る。
それでも、仕事終わりにこんな夜食は食べられない。こんな風に自由で、解放感を噛み締めながらの食事は刑務所では、絶対に無理だった。
「ああ、神様。この食事は本当に美味しいです。この時を感謝します」
食べながら神様にもお礼を呟いてしまうほどだった。
明日は仕事も休みだ。余計にこの弁当も美味しく感じてしまう。
「ご馳走さま。というか、いつもの来客ノートがないな?」
テーブルには客が自由に感想やクレームを書き込めるノートがあったはずだが、今日はなかった。いつもは食べたものの感想を書き、他の客とゆるくメッセージ交換をするのも好きだったが。
そういえばこの近所で評判の悪いホスト達が逮捕されたと聞いたが、この店の近くで捕まったという噂も耳にした。
今は捕まったホストには、「良かったな!」と思う。このまま捕まらず、罪悪感を抱えたまま生きていく方が辛いだろう。和哉の経験からもわかる。絶対に捕まった方が良い。聖書にも書いてあるが、悪事は必ず明るみに出される。
「まあ、ノートが無いのは残念だが」
和哉はズボンのポケットの中から、付箋紙とボールペンを取り出す。仕事のちょっとしたメモが必要な時もあるので、ズボンにもついつい筆記用具を入れてしまう。
「店長! 焼肉弁当サイコーだった。ムショの中では絶対食べられない食事だ! 和哉」
付箋にそう書くと、自動販売機に貼り付けておいた。
「味噌汁もいっちゃおうか?」
味噌汁の自動販売機でも購入し、しばらくボーっとそれを飲んでいた。こんな自由にぼーっとする時間も塀の中では、とれないだろう。静かな夜の中でボーっとしているだけでも、心がちゃんとリセットされそうだ。もう酒もタバコも全部やめている和哉だったが、味噌汁だけでも生き返る。日本人の元気DNAにスイッチを入れてくれているような。
「美味かったな。明日の朝飯も買ってかえるか」
自動販売機でジャムパンやあんぱんも購入し、満足そうにこの店を後にした。まだまだ静かな夜は続くだろうが、今日は風呂に入って寝よう。
お腹はいっぱいだが、さすがに疲れてきた。今日はぐっすり眠って、また明日美味しいものを食べようではないか。
今は明日が来るのも、とても楽しみだ。