第5話 イチゴジャムパン
息が切れそうだ。
翔一は田舎の県道沿いの道を走っていた。夜中だが、月も星もない空。余計に暗い。
こんな風に走っているのは、単純明快だった。コンビニで菓子を万引きして店員に見つかり、猛ダッシュで逃げていた。
翔一はお金に困っていない。田舎のホストとしてそこそこ稼いでいた。顔もスタイルも悪くなく、店でいつも上位。
それでも、何か楽しくない。コツを掴めば、女達も呆気なく落ちるのもつまらない。特に自己肯定感が低そうな暗い女は赤子の手を捻るほど簡単で、楽しくない。メンヘラも多いし、そろそろ足を洗うべきか。かと言って真面目に働くのも馬鹿馬鹿しい。二つの心を抱えている現状は、さらにストレスが溜まり、不倫や万引きなどの悪事に手を染めていた。
特に万引きは、スリルが楽しい。女を騙すより楽しく、中毒状態になっていた。運の良い事に掴まらない。余計に毒になっていた。
意外と翔一のようなタイプの万引き犯は多いらしい。貧乏人がお金のためにするわけでもなく、金持ちやエリートがスリルを楽しむ為。
翔一もセレブ妻やモデルのような美女も客にした事があるので、特に意外ではない。社会的ステータスは人間を幸せにするわけでも無いのだろう。まだ二十歳そこそこの翔一だったが、人生のネタバレを知ってしまった気分。
「お、追ってこねぇ! ラッキー」
う上手く県道沿いの店の中に隠れた。店の中から様子を伺うが、コンビニ店員も警察もいないようだ。ここで少し休むか。息は落ち着いてきたが、さすがに全速力で走ったので脚が痛い。
店はコインランドリーかと思ったが、そうでも無いようだった。店構えや無人である事は共通点があるが、置いてあるものが全く違う。自動販売機が並んでいた。しかも食事を提供する自動販売機。見た事もないタイプだった。うどん、ラーメン、ハンバーガー、弁当などを売っている自動販売機など見たことは無い。
そのどれもが古めかしい雰囲気だ。昭和レトロっぽい。うどんのロゴもレトロ風だ。ハンバーガーの自動販売機はイラストもあったが、鶏がチキンを調理していてシュールすぎる。共食いか。
共食いといえば、翔一もそうかもしれない。心が弱そうな女をターゲットにし、お金を引っ張ってきているのは、似たようなものか。翔一自身も虐待や貧困の家庭で育った。弱いものが、さらに弱いものを食い物にする。これも共食いか? せっかく逃げて来れたのに、翔一の気分は最悪だった。
派手な髪やホストらしいしいスーツも、この昭和レトロな自動販売機の前にいると、どうもパッとしない。自分はダサい存在だと静かに言われているような。
こんな古い自動販売機だったが、丁寧にメンテナンスされている雰囲気は伝わる。錆も傷も最低限しかない。おそらく塗装も塗り替えられているだろう。人為的な汚れではなく、経年劣化といったところか。
トーストサンドの自動販売機にはわざわざトングも置いてあった。うどんの販売機には手書きポップもある。当たりだと海老天が入っているらしい。そのポップの字も丁寧だ。地味な仕事を丁寧に丁寧に積み重ねているような。ここには店員も誰もいないが、余計にその仕事ぶりが目につく。地味なのに、控えめなのに、目がつく。
だんだんととイライラしてきた。翔一には全く無いものだったからだ。今だけスリルを楽しめればいい。楽して儲けられればいい。欲望に忠実に生きてきた翔一は、居心地が悪い。この空間の中では巨大な異物になってしまったよう。
帰ろうかとも思ったが、パンの自動販売機が目についた。これは比較的昭和レトロではない。ガラス張りの自動販売機で中の商品も見える。中身はコンビニでも売っていそうな袋入りのパンが売られていた。
この空間の中では、比較的自分と共通点がありそうなパンだった。安いが添加物がいっぱい入っているパンだと有名らしい。安いものには訳があるという事か。
「ふっ、バカらしい」
文句をぶつぶつと言いながらも、ジャムパンを購入した。手のひらサイズで、イチゴジャムが挟まっているパンだ。美味しそうではないが、他のうどんやハンバーガーよりはマシか。あとはコーヒーも買う。カップ入りのコーヒーだった。これも見た事があるもので、違和感なく購入できた。
パンとコーヒーだけを持ち、テーブルの方に向かう。大きなテーブルだ。昭和の大家族が使っていそうなレトロなものだが、これも丁寧に使われているようだ。細かい傷は見えるが、汚れも何もない。こういう無人の店は治安が悪くなるようなイメージだったが。
監視カメラでもあるのか? こんな秩序が保たれている店が不思議だ。天井を見てみるが、剥き出しの鉄骨が見えるだけ。監視カメラも何もない。
怖くなってきた。この空間は善意のようなものが支配している。翔一には決して無いものだ。自動販売機を壊して金を盗む人もいないだろうと思う。
悪人の翔一でも、ここでは何も悪さができないというか。善意の結界みたいなものがあるような。やっぱり少し怖い。ポケットの中にはコンビニで盗んだチョコやガムが入っていたが、急に重みを感じ始めた。
「いやいや、そんな善意の結界なんてないだろ。気のせいだって」
翔一は頭をふって、イチゴジャムパンの袋を開けた。ツヤツヤのパン生地からは、ほんのりとジャムの香りもする。パンは柔らかく、噛まずに食べられそう。この甘みとコーヒーの相性は良かったが、食べれば食べるほど、楽しくない気持ちになってきた。
このレトロで懐かしい空間。悪人である自分がいても良いのかわからない。その上、甘くてふわふわなジャムパン。温かいコーヒー。全力で食べ物達にも優しくされ、居心地が悪い。頭には今まで重ねた悪事が走馬灯のように上演される。嫌でも自分のした事を思い出してしまうのだが。
それにテーブルの端にあった来客ノートを見てみた。クレームや商品の感想が書いてあると思ったが、それはごく一部。客達のイラストやコメントで、ゆるく繋がっているのが見てとれた。無人の店だが、その奥には生身の人間がいる事が伝わってくる。手書きの文字というのも、余計にそう思う。
頭の中では、自分がした悪事の映像は全く消えない。ホストの顧客、不倫相手、その家族、コンビニ店員。迷惑を与えた人間も、ちゃんと血の通った生身の人間だったのだろう……。どこかで漫画のキャラクターやバーチャルな存在だと思っていたが、このノートを見ていたら、考えが変わってきた。
来客ノートには、元ヤクザの男のコメントもあった。聞いてもいないのにわざわざ自己紹介してる。常連のようで何度もノートに感想を書き込んでいるようだ。
「ムショではこんな自由で楽しい夜食は無理だわな! やっぱ罪を償って良かった!」
元ヤクザのコメントを読んでいたら、罪悪感が溢れて止まらない。舌に残ったジャムパンの甘みも、苦い気がした。コーヒーは一口しか飲んでいないのだが。
「もしもし、警察ですか?」
衝動的に警察に電話をかけていた。頭では「自首するなんてアホか?」と考えていたが、手は勝手に動いてしまっていた。自分で止める事はできないようだ。
しばらく美味しい夜食も食べられないだろうが、もし全部罪が償えたら、この店に一番に来よう。そしてラーメンやハンバーガーも思いっきり食べよう。きっとその時は罪悪感もなく、心の底から自由な夜食を楽しめそうだ。