第3話 ツナマヨトーストサンド
口笛を吹きながら、コインレストラン・佳味の中に入る。優三郎はこの時間が好きだった。時計は午前四時をさしている。まだ暗いが、年寄りは早く目覚めてしまうものだ。優三郎はここの常連客だった。
一見は大きいコインランドリーのような店だ。無人で二十四時間営業という事は共通点はあるが、違うには置いてあるものだ。食事を提供してくれる自動販売機がある。昭和の遺物のような自動販売機だが、優三郎は気に入っていた。
県道沿いの道にある。雑木林や森が目立つ道だ。コンビニや古本屋も周囲にあるが、この店は目立っていない。深夜、控えめな蛍光灯な灯りがついている。電光の看板もあるが、さほど派手でもない。近隣住民でも知らない人も多いかもしれない。
この辺りは田舎だ。優三郎のような老人も多いが、周囲は介護施設や病院で寝たきりになっているものも多い。こうして元気にコインレストランまで足を運べる事は、幸せな事なのかもしれない。
優三郎は呑気な口笛を吹きながら、店内へ入る。こんな時間なので、見事に人がいない。店員ももちろん居ない。静かに自動販売機が佇んでいるだけだ。こんな無人の店も心地よかったりする。
かくいう優三郎は、家族と一緒にいるのがしんどい時もあった。妻も健在だが、軽度の認知症がある。息子夫婦や孫達とも同居していたが、最近妙に視線が冷たい。
優三郎は現役時代は私立中学校の校長だった。真面目で清く正しい学校の先生。周囲からの信頼もあつく、家族からも慕われていた。定年退職後は、不登校生徒のフリースクールで指導員などもパートでやっていたが、やはり全体的に暇。生徒達も意外としっかりしている。令和の若者は真面目だ。それ故に、生きがいも抜けてしまった感じだ。ポッカリ穴が空いてしまったような。
パートの仕事が終わって家に返ってきたり、休日はなんとなく家族の視線が冷たい。はっきりと邪険にされているわけでもないが、妻にもため息をつかれるとドキドキしてしまう。幸い、まだ介護とか寝たきりの年代ではないが、もしそうなったら……。未来への心配は消えない。
そんな中、コインレストラン・佳味に通うとホッとする。やっぱり一人の時間は素晴らしい。自由な気分だ。
「今日は何を食べようかな」
ジャージ姿で髪の毛もボサボサ。限りなくゆるい姿の優三郎は、どの自動販売機を選ぶか悩む。うどん、そば、ハンバーガー、弁当、トーストサンドとよりどりみどり。
自動販売機は全部昭和レトロな雰囲気だ。ところどころが錆ついている。綺麗にメンテナンセンスされているようだが、経年劣化は隠せない。機会も人間と同じか。優三郎も髪の毛が真っ白。年々背も低くなり、皺やシミだらけ。体力も消えていき、色んなところがガタきてる。認知症や介護、寝たきりも他人事ではない。
いや、今は楽しい場所にいる。こんな老化や経年劣化など考えても仕方ないじゃないか。優三郎は姿勢を正し、嫌な思考を追い払い、うどんを食べることにした。
百円玉がなかった。まず両替機に行き、百円玉をつくった。この両替機は比較的新しいもののよう。昭和レトロ世界にタイムトリップはできないようだ。やはり今は令和だ。
それでもコインを投入し、うどんが出来上がるのを待っていると、当時の事を思い出す。昭和の雑多で、荒々しく、でも活気に満ちていた時代。レトロな自動販売機に前にすると、ほんの少しだけ若かった時代も思い出し、楽しくなってくる。家で若い頃を思い出しニヤニヤしてたら、孫や妻に笑われるだろう。今は思う存分、ニヤニヤしても良いから楽しくなってきた。
「お! 当たりが出た!」
しかもうどんは、当たりだった。海老天が入っているのがランダムであるらしく、今日は当たり。何だか良い気分。酒なんて飲んでいないのに、楽しい。今は春だからだろうか。頭も少し馬鹿になっているようだ。
さっそくテーブルにつき、うどんを啜る。時に美味しくはないが、不味くもない。ほっと安心できるレトロな味。これを食べれていると、実家に帰ってきたよう。
「うん?」
うどんを食べながらテーブルの上の来客ノートを見ていた。この店には客が自由に感想やクレームを書き込めるノートとボールペンが設置されていた。中にはクレームもあるが、概ね好意的な感想ばかりのノートだった。ノートはA4サイズの大学ノート。よく売っているものだが、最近はイラストを描く客も多いようだ。優三郎もネコや犬もイラストを描き込んだ事がある。
「えー?」
過去に自分が描いたネコや犬のイラストにコメントがついていた。可愛いとか、ゆるキャラぽいとか、味があるとか。
そんなコメントがついているのは、驚いた。コメントのお礼の気持ちを込めて、再びネコや犬のイラストを描く。案外楽しい。というかうどんを食べながら、イラストを描くのは面倒だと気づいた。
その次から優三郎は、トーストサンドを買うことにした。いつものように四時過ぎに来店したが、今日はイラストを描きたい気分だ。トーストサンドの自動販売機へ行き、コインを入れた。
オレンジ色の自動販売機で、トーストのイラストも描かれていた。レトロで昭和な雰囲気の自動販売機だ。若い時もこんなトーストサンドを楽しんだ記憶も思い出す。ちょっと背伸びして年上の女性とデートして、一緒に食べたっけ。
良い時代だった。今とは違う生命力や勢いみたいなものがあった時代。もう失われてしまったものだが、少しぐらいはあの時の気持ちを再現したくなってきた。
「お、できたぞ」
取り出し口にアルミホイルに包まれたトーストサンドがあった。意外と高温になっているので、自販機のポケットにあるトングを借りて掴む。
アルミホイルに包まれたて手作り感覚溢れるトーストサンド。今日はツナマヨにしたが、パンの焼ける良い香りが最高だ。
テーブルへ行き、少し冷ましてから広げて食べる。
サクサクのパンはまだまだ暖かく、ツナマヨの味に舌が溶けそうだ。ここの料理は全体的にチープな作りだが、このトーストは高級料理にも絶対負けない。いくらグルメな評論家がごちゃごちゃ言ったとしても、このトーストは素晴らしい。
そんな美味しさを噛み締めながら、来客ノートにイラストを描く。ネコがトーストを齧っているゆるキャラ風のイラストだった。
確かに下手だ。下手くそだ。プロのような出来では無い。それでも描くのが楽しい。最近はこんな楽しさは忘れていたのに、優三郎は目をキラキラさせながらイラストを描いていた。楽しい。面白い。愉快。創作の面白さにやみつきになりそう。
「おお、できたぞ」
うまく描けなかったが、ゆるく可愛らしい雰囲気は完璧だ。
トーストの粉が少しだけノートに落ちてしまったので払う。特に汚した形跡はないが、食べながら描くのは今日でやめておくか。
他の客のニワトリのイラストもなかなか味がある。「素晴らしい!」とコメントを書く。教師時代に戻ったようで、ちょっと苦笑してしまうが。
イラストを描く事を趣味にしても良いかもしれない。今までは何の趣味もなかったが、こういうのも悪くない。少しは生きがいみたいなものを持ってもいいだろう。どうせ人生は短い。介護や寝たきりになった時に後悔などしたく無いものだ。
「よし、ノートや色鉛筆でも買ってみるか」
テーブルの上を片づけながら、未来へのやる気が出てきた。たぶん、家族からの視線は相変わらずだろうが、受け入れるしか無いだろう。それでも大切な家族である事は変わりは無いのだ。
頭の中でイラストを描く自分を思い浮かべながら、やっぱり片手にトーストサンドがあった方がいい。ここは一つお土産で買っていくか。
再びコインをトーストサンドの自動販売機に投入する。チャリンと音をたてて後、今度はハムチーズ味のボタンを押す。
気づきと時計は五時に近い。もう夜明けだ。窓の外は朝日が差し込み始めていた。新しい朝がもう始まっている。