第2話 醤油ラーメン
斎木瑞穂は、一人になりたかった。深夜三時過ぎ、突発的に家を出てしまっていた。
瑞穂は高卒後、すぐ結婚。そして子供が四人も生まれた。田舎では珍しい事ではない。どちらと言えばヤンキーよりだった瑞穂は、早めに結婚や出産する事は、当然の事だとインストールされていた。
夫はトラック運転手、瑞穂はパートを掛け持ちしながら、家計を支え、家事や育児も頑張ってきた。
それなのに、結婚して十五年。子供も成長するにつれて、一人の時間が欲しくて仕方ない。特に今は三男が発達障害疑惑もあり、頭を悩ませていた。夫の両親には暗に瑞穂のせいにされ、目の前の溜まっていく家事や育児に切れそう。スーパーでのパートも意外と求められる事も多く、全く気楽ではない。
ストレスのせいか、夜中に目が覚める事が多くなった。いわゆる不眠状態だったのかもしれない。夫も仕事が多忙で頼れない。
「こんなつもりじゃなかったのに……」
家を出て、県道沿いの道を歩きながら呟いてしまう。
空は爪の先のような月が出ていたが、星もなく、闇のようだ。車もバイクもあまり走っていない。瑞穂のように深夜にフラフラ出歩いているものもいない。もっともアラフォーの瑞穂は、夜道を歩いていても危機感は薄い。結婚して体重は二十キロも増加し、最近は髪の毛も薄くなった。後頭部に小さく禿げている部分もあり、髪を伸ばして誤魔化していた。
この地域は田舎の割には治安もよく、昔ながらのヤンキーなどもいないが。
「こんなはずじゃなかった。結婚はもっと幸せなもんだと思ってた……」
愚痴をこぼしながら歩くが、返事などはない。春の生暖かい風が瑞穂の頬をくすぐるが、心は冷えている。まだまだ雪が積もっているみたいな心。
結婚する前は、もっと幸せになれると夢みていたが、幻想だったみたい。夫は多忙なのでワンオペ状態。
思えばずっと一人の時間もなかった。高校の同級生では独身を貫き、キャリアウーマンの友達も何人かいるが、趣味や遊びも楽しんでいるようで羨ましい。彼女達は婚期逃したと苦笑していたが、瑞穂には無いもの。無いものねだりをしている事は分かっていたが、今はストレスで疲れているのかもしれない。産後鬱などはなかったが、今は確実にキャパオーバーというか……。
子供が生まれてから自動的に母親になれるわけでもなかった。時々子供達が「ウザい」と思う時もある。聖母のような美しい母性もないかもしれない。これでも一生懸命やっているつもりだが、良妻賢母のプレッシャーもある。田舎は未だにそんなものが美徳とされる空気が漂っていた。
「あれ?」
暗い顔をして愚痴を溢していた瑞穂だが、一人で歩いていると、少しは心も落ち着いていた。ちょうどそこに、変な店があるのが見えた。
店構えは大きめなコインランドリーにそっくり。ガラス窓から蛍光灯の灯りも漏れていた。深夜に見る灯りは、柔らかく暖かくも見えた。
コインランドリーかと思ったが、電光の看板を見る限り違うよう。「コインレストラン・佳味」とある。二十四時間営業らしい。レトロで昭和っぽいロゴの看板だ。平成生まれの瑞穂は、何の店だがさっぱり想像がつかない。
最近はコロナ渦の影響により、宅配の食事も人気だ。宅配専門のゴーストレストランというのも人気らしい。その亜種のようなものだろうか。
どうせ今は一人。夫や子供に遠慮して食事を選ばなくても良いだろう。特に四男は牛乳アレルギーがあり、気を使っていたが、今は一人。自由に何でも食べていい?
そう思った瑞穂は、この妙なレストランに足を踏み入れていた。外見同様、中もコインランドリーのような無機質な雰囲気だ。天井は鉄骨が剥き出し。無人なのもコインランドリーと共通点がある。待つ時に必要なテーブルや丸椅子、ベンチもあった。
違うのは置いてあるものだ。洗濯機は一つもなく、自動販売機がず並べられていた。その自動販売機もドリンクのものでは無い。うどん、ラーメン、ハンバーガー、弁当などの食事を提供する自動販売機だった。
「こんなの見た事ない。っていうか、近所にこんなのあった?」
初めて見る食事系の自動販売機にワクワクしてきた。自動販売機は大きめで、昭和レトロな雰囲気だ。デザインのロゴも懐かしい。昭和を生きた事などないくせに懐かしいと思う。ただ、ニワトリがチキンを調理すているイラストが描かれた自動販売機は、ちょっと怖い。昭和の荒さというか、令和にはない汚さや歪さのようなものがあった。それ故に新鮮だった。自動販売機を見ているだけでも飽きない。
お腹も空いてきた。この自動販売機で提供される食事は何だろうか。自動販売機は綺麗にメンテナンスはされているようだが、錆ついた所や細かい傷も見える。古ぼけている。そこから提供される料理って一体?
期待はできないだろう。このレトロな自動販売機から、コンビニ以上の味が出てくる事は想像できない。この自動販売機も昭和時代にあったものだと思うが、もし味も最高だったら、コンビニやファストフードに負けずに令和でも定番化していた事だろう。
遠くの方で鳥の鳴き声がする。ちょっと瑞穂を馬鹿にしているような鳴き声だ。ちょっとこの場所の空気も緩む。美味しくは無いだろうが、今は何を食べても自由だ。栄養管理にアレルギー、家族の好みを気にした食事を食べなくていい。手抜きしてもいい。不味い料理も食べていい。
そう思うと気が抜けた。ちょうど目があったラーメンに自動販売機に向かい、小銭を投入し、ボタンを押した。なるほど、だからコインレストランなのか。
ラーメンはあっという間に完成した。一分すらかかってなかった。という事はカップラーメンより早くできたのか。
深夜に一人ラーメンか。これで良いのか罪悪感も刺激されるが、今は何でも自由に食べて良い。自動販売機のポケットにある割り箸も貰い、テーブルの上に置く。テーブルも細かい傷がつき、レトロな雰囲気だったが、なぜか悪い気もしない。久々に自由になれた。気分も上がっているのかもしれない。
ラーメンは安っぽいプラスチックの器に入っていた。器だけでなく、中身もそんなラーメンだ。汁の色合いもチープ。麺も高級カップラーメンより質が悪そう。なるとやチャーシュー、メンマもことごとく安っぽい。オモチャみたいなラーメンだったが、ほかほかと温かい。この温かみは悪くない。
「いただきます」
油でべったりした器を片手で押さえながら、ラーメンを食べた。丸椅子の座り心地も良く無い。ラーメンの味も想像通りといったところ。正直、コンビニで買うカップラーメンの方が美味しい。
それでも。こんなラーメンでも存在して良いという器に広さも感じてしまう。令和の厳しい消費者だったら、許されないものかもしれない。昭和だけに許される荒さ、適当さ、安っぽさが、妙に優しい。懐が深いというか……。
「お、美味しい……」
美味しくは無いのに、そう呟いてしまう。こんなラーメンでも許されるのなら、今の完璧になれない自分も認めてあげてやるのも、きっと悪くない。
ラーメンの熱のせいか、涙が出そう。舌も熱でピリピリと痛いが、心の中にある雪もゆるゆると溶けていくようだ。
ラーメンからは「所詮、人間なんて完璧に綺麗になれないよ」と言われているよう。何だか優しい味のラーメン。昭和の暖かさと優しさが満ちた一杯のように感じてしまう。
無茶で一人で食べ続け完食した。確かに味自体は、美味しくない。カップラーメン以下の味だが、それだけでは無さそうな。昭和から令和に主婦に何かを伝えているような味だった。昭和の主婦はもっと大雑把に家事や育児をしていたイメージもある。限界になる前に、人に頼ったり、うまく手抜きすのも悪くない。綺麗じゃなく、みっともないけど、今の時代も昭和から学ぶ事はありそうだ。
こんな風に深夜に一人でラーメンを食べにきて、息抜きしても良いのかも。人間は一人でぼーっとする時間も必要かもしれない。
その夜を境にコインレストラン・佳味に通うようになった。うどんやハンバーガーなども売っていたが、なぜかこのラーメンばかり食べていた。食べると、ほんのひと時だけ全てのストレスから解放されたようだった。
テーブルには、来客ノートというのがあった。味や機械へのクレームや感想が書き込まれているようだ。クレームといっても可愛いもので、店主らしき人の文字で丁寧に対応されている。それに圧倒的に好意的な感想が多く、読んでいるだけでもホッコリとする。イラストも描かれていて、下手な絵も優しい気持ちになれるものだった。
手書きの文字も決して綺麗では無いが、人の心が伝わる。綺麗さを追求する事が善でも無いのかもしれない。昭和のような汚さも、それはそれでアリだ。
瑞穂はチキンを焼いているニワトリの絵を描いてみた。我ながら下手くそな絵。何ともシュールな絵になってしまったが、AIにはこんな絵は書けないだろう。無人の自動販売機が並ぶ店だが、このノートのおかげで、返って人の存在を感じられてしまう。
「変なイラスト描いちゃったな。ま、いいか。人は完璧でも綺麗でも無いし」
瑞穂はそう呟くと、来客ノートを閉じた。またここにラーメンを食べに来よう。味は美味しくないが、それが良いのだ。
また元気に家事や育児をこなす為に。一人で美味しくない昭和風のラーメンを食べる時間が必要だった。