第10話 焼きそば
風村アズは、究極の食べ物を探していた。全国を探していたが、未だに出会った事は無いが。
アズは子供の頃から食べる物が好きだった。母曰く、白米だけ与えていれば大人しくなる子供だったらしい。体型はデブだったが、食べる事は趣味化していた。
大人になってからはブラック企業の渦に飲み込まれ、どっと体重は減ってしまったが、美味しいおにぎりやパンに出会えれば回復するような所もあった。たまに鰻や天ぷらを食べれば、もっと元気になれた。
そんなアズは仕事もやめた。全国を旅をしながら美味しいもののフードライターを始める事になっった。もうブラック企業にいると命を取られそうだし、好きな事を全くやらない人生も後悔がに残りそうだったから。
親や友達は大反対。こんなの絶対失敗するとか、安定していないと言われたものだが、案外何とかなるものだった。旅をしながら美味しいものを綴ったエッセイや四コマ漫画などは、安定した売り上げがあり、生活費と旅代は問題なく捻出できるようになった。そのうち大手出版社からも依頼があり、何冊か本も出すようにもなった。
これで家族や友達はようやくアズの生き方を認めたわけだが、なんとなくつまらない。旅をしながら美味しいものを探しているわけだが、飽きてきた。
最近はどこへ行っても同じような味に感じてしまう。地方の郷土料理でも、アズのような者には、よそよそしい顔を見せる。
令和の今は他人の目が厳しい。SNSも発達し、「隙がない事」や「見た目が過剰に綺麗な事」が求められる。少しでも変わった事をすれば、ネット上で居場所がない感じ。かくいうアズも最近はインフルエンサーのような事も求められ、迂闊に「まずい」とか言えない。ニコニコしながら、あたり障りのない「解答」をいう。
そうこうしている内に、理想的な美味しいものは遠ざかって行くような。アズは好きな事をやっているのに、全く満たされない。むしろ心には穴があき、何かを入れても入れても漏れている感じだった。
そんなある日。とある田舎の郷土料理の取材に来ていた。
ゲストハウスに泊まり、地元の人に聞いた食堂に行ってはみたが、美味しくなかった。鍋焼きうどんだったが、味も濃いめで、妙に店員からの圧が強かった。せっせと「おもてなし」をして貰ったが、監視されているような押し付けがましさも感じた。はっきり言って消化不良だった。
夜になっても消化不良は消えず、腹も減ってきた。今日食べたものを思い返すと余計に腹が減る。濃い味噌、べちゃっとした太めうどん、雑に切られた具材なを頭に思い浮かべると、余計に物足りなさを感じてしまう。
「お腹減った……」
窓の外を見ると、バター飴のような色の月が見えた。今夜は晴れているせいか、余計に満月の色がくっきり見える。
我慢できなくなったアズは、夜食でも買いに行くことにした。コンビニでも今日食べたものよりは、マシかもしれない。
ゲストハウスから出て田舎の県道沿いを歩くが、コンビニが見当たらない。
「お腹減ったなぁ」
空に浮かぶバター飴のような月を見ていると、余計に空腹感を持ってしまう。
「な、何これ?」
そんなアズの目の前に電光掲示板が見えた。コインレストラン・佳味とある。ちょうど満月の灯りの下にそんな看板があるのだが。
「コインレストラン?」
店の外観はレストランというよりは、コインランドリー。古めかしい鉄骨のシンプルな店構え。ガラス戸からは蛍光灯の光が漏れている。月が出ているとはいえ、この灯りは目立っていた。裏手に雑木林があるせいだろうか。
人はもちろん、車の通りも少ない。静かな夜。コンビニも見つからないし、このコインレストランとやらにが入っても悪くない?
アズは光に吸い寄せられる虫のように、店内に入っていた。
外観通りにコインランドリーにそっくり。無人で待つ為のテーブルや椅子も準備されていた。
天井は剥き出しの鉄骨も見えた。ちょっと無機質な雰囲気もコインランドリーと似ている。
違うのは置いてあるものだ。洗濯機や乾燥機の代わりに自動販売機が置いてあった。しかもドリンクのものは少なく、食事が提供される自動販売機ばかり。
アズは見た事がないものばかりだった。うどんやハンバーガーを提供する自動販売機は初めてみた。しかも弁当を提供しているものもあり、一体自動販売機の中はどうなっているの?
好奇心に押されるまま自動販売機を見てみるが、古いもののらしい。錆や細かい傷も見えるし、デザインもレトロだ。五百円玉も使えないようで、昭和にトリップしたみたい。
無機質な店に見えたが、この自動販売機たちは妙に温かみもある。丁寧にメンテナンスされているからだろうか。外観の塗装も何度か塗り直しているかもしれないが。
元々食べる事が好きなアズは好奇心に負けた。目の前にあった弁当の自動販売機で、焼きそばを買う。
なんだか今はB級グルメな気分だった。コインを数枚入れると、一分も立たないうちの出てきた。ちゃんと温かく、この自動販売機はどうなっているのか? もしかしたら中に人が入っていてもおかしくない。そんな妄想をしてしまうぐらいだ。道にある自動販売機やセルフレジにはそんな感情は抱けないのに。
温かい焼きそば入った弁当箱を片手に持ちながら、テーブルの方へ行き、丸椅子に座る。
天井を見てみたが、監視カメラは一台もないようだ。よっぽどこの辺りは治安が良いのだろうか。もっともこの店で悪事を働ける雰囲気もない。無人のくせに人がいるような温かみがある。店自体が矛盾した存在。それが何でもアリというか、懐の広さを物語っているようだ。
「あ、美味しいかも?」
焼きそばの味は普通。手作りと思われるが、絶品グルメではない。むしろB級。それでももちもちした麺を咀嚼しながら、こんな夜食も悪くない。いつもは上から目線で食べ物をジャッジしていたが、今は素直に「何でもアリなんじゃない?」と心が広くなっていた。
これはきっと自分の為の焼きそば。仕事ではなく、自分を満たす為だけに食べた焼きそばは、自由で美味しい。
理想的な美味しさではなかったが、これはこれでアリ。今日は味をジャッジするのは辞めよう。この場所もアズを全くジャッジせず、受け入れてくれているのだから。
「ああ、美味しかった」
すっかり腹も満たされた。何もジャッジしない食事は、こんなにも美味しかったとは、全く知らなかった。たまには、誰にも邪魔されず、何もジャッジせず、子供のように腹を満たすだけの食事も良いかもしれない。心は不思議と素直になっていた。
「あ、ノート?」
テーブルの端にはノートがあった。客がクレームや味の感想を自由に書けるものらしい。熱心なファンもいるようで、イラストや長文でコメントが書き込まれていた。無人なのに、手書きの文字から人の想いが伝わるから不思議なものだ。
確かにこんなノートがある店は悪事はできない。このノートは高性能な監視カメラにも見えてきた。
アズもコメントとイラストを描いてみた。焼きそばのイラストだ。もう全部腹の中だが、案外記憶しているようで、スラスラと絵にしていく。
「ご馳走さま。また来れるかは知らないけど、いつか……」
旅先で偶然会った場所だ。また来れる確証は無い。一期一会か。この出会いも悪くない。こんな出会いがあると思うと、まだまだ旅も続けられそう。
いつか究極の味に出会えた時は、またここの帰ってきたい。何でもアリなこの場所は、旅人も温かく迎えてくれるだろう。
その時までは、しばしお別れ。
「さようなら、ありがとう」
アズは笑顔でこの店を後にしていた。