第9話 コーンビーフトーストサンド
彼女に振られた。SNSのDMからその旨が伝えられた。実にあっけないものだった。
古賀泉の十七歳の春のことだった。
泉は、自身のSNSを見ながら、自室のベッドでねっ転がっていた。もう日付は変わり、部屋を暗くしていたが、眠れない。SNSには彼女と配信した動画や画像も山のようにある。そこには明るいカップルがいる。今の現象は何なのかよくわからないのだが。
一応、別れた理由を聞いてみた。返事はすぐにきた。「なんとなく。あとSNSでモデルやアイドルをフォローしているのに冷めた。蛙化現象ってやつかも?」
確かに最近は、マンネリだと思っていたが、そんな理由でフラれるとは……。
そんな泉は、学校でもモテた。元々ルックスも良かったし、コミュニケーション能力も高い。クラスでも中心になり、ムードを作っているようなキャラだった。
そう、キャラだ。キャラクター。演じている部分が大きい。幼い頃から容姿がよく、嫉妬されたり、変な女に付き纏われたりする事が多かった泉が身につけた処世術。わざと道化を演じ、教室の中で上手く立ち回っていた。
学校とは相互監視の同調圧力社会だ。監視カメラよりも優れた人の目がある。
過剰に目立たず、決して底辺にはならず、人々の受けの良い事を言い、外面を何枚も持ちながら、ふわふわと漂っていた。それが泉の処世術で今後もうまくいくと思っていた。
ところが、よく分からない理由で振られた。初めての挫折だったのかもしれない。生きていると、こういう理不尽な事があると、誰かが教えてくれているようだった。
「は?」
しかも彼女のSNSを見たら、もう既に新しい彼氏が紹介されていた。
「は?」
変な声しか出ない。器用にうまく生きていたつもりの泉だったが、意外と恋愛に関しては初心だったのかもしれない。笑顔の二人の写真がグサグサと突き刺さるものがある。
自分は誰でも良かったのだろうか。うまく立ち回っているようでいて、肝心なところで失敗していたのかもしれない。生まれつきの良い容姿も今は嬉しくない。別に芸能人レベルでもなく、「田舎の高校生の割には」という枕詞つき。全く嬉しくない。
しかも彼女は新しい彼氏とさっそくデートしていたらしい。この町にあるコインレストラン・佳味という店で、うどんやハンバーガーを食べてきたという。
無人の自動販売機で食事が売られている変な店だった。地元民の泉もよく知らない。昭和レトロな自動販売機を集めている店のようで、密かな人気があるらしい。
うどんは決して美味しそうではない。ハンバーガーだってベチャっとしている。それでも深夜に見るそれは、妙に惹かれてしまう。手作り感もあって食べてみたい。
もう彼女達はいないだろか。やっぱり食べたくなってきた。ちょうどお腹も音をたてていた。
深夜に外出するのは躊躇ったが、どうせ親も仕事でいない。それにこの町は案外治安も良いし、大丈夫だろう。
ジャージの上に上着だけ羽織り、外に出た。もう春だったが、風は少し冷たい。月も星も何も見えない夜空だが、街灯の光が何だか目に優しい。他に人もいないし、静か。この夜は何だか心地いい。特に失恋した後には、そう感じてしまった。
住宅街から市道に抜け、県道沿いの道へ向かう。確かこの県道沿いの道にお目当ての店があったはずだ。
夜なので、車もバイクも少ない。人は全くいない。泉の足音だけが妙にうるさい響いていた。
その店は、暗い夜道にふわふわと光っていた。決して明るくはなく、蛍の光のような外観だった。古い店なので、余計に暗くも見えた。
外観はコインランドリーそっくりだ。規模も田舎にあるコインランドリーと同じぐらいの広さだったが、中に入ると全く違う事がわかる。
置いてあるものは全部自動販売機。十台ぐらいあるだろうか。飲料の自動販売機もあったが、食事が出てくるものばかりだ。うどん、そば、ハンバーガー、トーストサンドなど。中には弁当やカップ麺を提供する自動販売機もあり、目が丸くなってしまう。こんなものは初めて見た。
あたりを見回すが、誰もいない。彼女もいなかった。自販機の音が響く。窓の外は、相変わらずの夜空も見える。
完全に泉以外の人物がいない。時々車が走る音や風の音は聞こえてくるが、ここにいると「俺って一人?」と勘違いしそうになる。
まるで世界は滅びてしまったのに、自分一人だけ生き残ってしまったようだ。ここは世界の終わりの最果ての店か?
そんな妄想をしてしまうぐらいだった。
それにしても自動販売機は、古い。錆や傷もついているのに、丁寧にメンテナンスされている様子は見える。こんな古い自動販売機が現役なのは、人の手で丁寧に扱われているからに違いない。
そう思うと、安堵してくる。ここは世界の果てでもないし、自分は一人ではなさそう。
「まあ、世界が終わる前に何を食べてみようかね?」
うどんやハンバーガーは、彼女たちが食べていた。今は何となく食べたくない。それにハンバーガーの自動販売機は、鶏がチキンを作っているイラストで残酷すぎないか。いくら大らかな昭和だからって、これはどうなんだ?
だとしたら、トーストサンドがいいか。弁当が買えるのも面白いが、今はそこまで腹も空いていない。
コインを入れ、さっそくトーストサンドを買う。チーズとツナマヨとコーンビーフ味があるようで迷った。コーンビーフ味は期間限定の手書きポップと目が合ってしまい、ついついボタンを押してしまった。
「あっつ! あ、このトング 使って持つのか」
出来上がったトーストサンドはアルミホイルにつつまれ、熱かったので、自販機のポケットについていたトング を利用してとった。意外と細かなサービスがあり、自動販売機のくせに無機質に感じない。
さっそくテーブルに行き、丸椅子に腰掛けた。正直、座り心地は良くないが、このトーストサンドの良い匂いに負けた。
ふうふうと冷ましながら、四角くて平べったいアルミホイルを開ける。
中にはこんがりと焼けたトーストサンドがあった。
「ほお。でも端の方焦げてないか?」
よく見ると、端が黒い。手作り感覚が溢れるトーストサンドだったが、意外と味は悪くない。この手作り感が良いのかもしれない。こんなものは、コンビニでもスーパーでも買えない。パン屋でも売ってないだろう。
今は綺麗な工業製品のような食品が好まれる。人も適度に空気を読み、適度に目立たない綺麗な人が求められるが、昭和という時代は違うみたいだ。こんな大らかなものでもオッケー。何でもアリだって励まされているみたいだ。食べていると、元気になってきた。
「そうか。ちょっと失恋ぐらいしても良いよな。仕方ないよな」
彼女に振られた傷も、今は少し癒えているようだった。それに期間限定のコーンビーフ味を食べられたのも運が良かったのかもしれない。ちょっとタイミングが違ったら、食べられなかったものだ。そう、運がいい。泉はそう思う事に決めた。
「何だこれは?」
片手でトーストを頬張っていると、テーブルの隅にノートがあるのに気づいた。客が自由にクレームや感想を書き込めるらしい。熱心なファンもいるようで、イラストや長文で想いが綴られている箇所もある。泉が見たところ、クレームは一つもなかった。
しばらくノートを見ていると、こんな古い自動販売機はもう生産されてなく、店主が丁寧にメンテナンスされているからだと感謝の言葉もあった。
確かに今、こんな古い自動販売機が現役なのは、人の努力の賜物だろう。自動販売機の奥にいる人の想いが伝わってきた。
「俺もコメント書くか」
いつもは人の受けを気にした言葉しか表現できなかったが、今は素直だった。
「美味しかったです。失恋してたけど、元気になってきましたって書けた」
何の装飾もしていない言葉。こんな自分の言葉も案外悪くないはず。