不断桜
◆不断桜◆
著:噫愛条
共著:伊咲幸那
「好きです! 私と付き合ってください!」
桜舞い散る校庭で、モデルみたいな女子が手を突き出して頭を下げた。
その手には、ピンク色した可愛い封筒。
(……あんな美女でも、告白にはラブレターなんだ)
興味をそそられた私は読んでいた本を閉じて、垣根の隙間から男女の姿を確認しようと芝生の上で身をよじる。
(あんな子に告白されたら、男子なんてヒョイヒョイ付き合っちゃうんでしょ? ……そんな気持ち、いつか散るのに)
出た、私の悪いクセ。でも直らない。
散らない桜はない。
別れない男女はいない。
それが私の持論だから。
「ごめん。俺、好きな人がいるからさ。君とは付き合えない」
「だったら友達から!」
「悪い。そういうの苦手なんだ。遊ぶなら男だけの方が気楽だし……」
普段なら断られる女子を見て「ご愁傷様」なんて悪態を内心吐いて、ちっぽけな自尊心を満たす私。
でも、苦笑いで断る男子の横顔を見て、私の胸はギュッと締め付けられた。
(凜、くん……)
クラスの中で唯一話し掛けてくれる男の子。
とてもカッコ良くて、スポーツも出来て、勉強も出来る。
けどなぜか部活は帰宅部で、独りを好む。
そんな所も少し影があるからという理由で、女子からは大人気。
どこぞのアイドルみたいな横顔を見ていると、私の胸もドキドキが止まらない。
(ってダメでしょ私。こんな陰キャじゃ好きになっても彼女と同じ運命よ。名前呼び許されてるからって、調子に乗らないの)
恋は叶わない。
愛は永遠に続かない。
それが私の持論なのだ。
だってそれは、両親が証明してるもの。
(……私に『愛』なんて名前を付けたクセに)
散っていく桜の木の下で、私はメガネ越しに、ヒラヒラと舞う桜の花びらを眺めていた。
(ふぅ。やっと行った。……あの人、粘ったわりに泣いたりはしないんだ)
友達がダメなら知り合いでも、それがダメならLINEだけでもと、何とか凜くんとお近づきになろうとしていたけれど、玉砕していた。
私だったら泣く。
私が書いてるネット小説のヒロインだって泣くと思う。
だけどどうやら、最近の恋愛感情はもっとドライらしい。凜くんに告白していた人は少しだけ残念そうにしていたけれど、あまり傷付いている様には見えなかった。
(……ふんっ。大して好きでもないのに告白なんてするから、断られるのよ)
私は本を片手に立ち上がって、スカートに付いた花びらを払う。
(でもそっか、普通の女子はもっと軽い感じなのか。……いま書いてる話にも反映させた方が良いのかな?)
プロでもないのに真剣にそんな事を考えながら、私は垣根の隙間を抜けてゆく。
(凜くん、また読んでくれるかな……って、あれ?)
校舎に戻ろうとした途中、地面に落ちていたラブレター。
私はそれを拾い上げた。
(……あの人も、意外とショックだったの?)
こんなの、他人に読まれたら恥ずかし過ぎて死ねる。
それを落としてしまう程度には、彼女も前後不覚だったのか。
そんな事も見抜けないなんて、私の悪いクセはけっこう重傷のようだった。
(で、どこのクラスだろ?)
私は廊下を歩きながら、生徒もまばらになった放課後の教室を覗き込んでいく。
彼女が立ち去っていくらも経ってない。カバンを持っていなかったし、一度教室に戻っていると踏んだのだけれど。
(あ、居た)
明らかにリア充グループらしき三人組の女子。
私は少し物怖じしながら近付いて、話し掛けた。
「あの、これ。落ちてましたよ」
出来るだけ目を合わせないようにして、私は下を向いたままラブレターを差し出した。
そして降ってきたのは、意外な言葉。
「ああ、そのゴミね。テキトーに捨てといて」
意外過ぎる返答に、私は「えっ?」と顔を上げてしまった。
目の前には、肉食系の笑みが三つ。
「ていうか、人が捨てた物わざわざ拾って来ないでよ。これだから良い子って面倒」
「ねー。ありがためいわく? ってやつ?」
「ははっ。ゴミ拾ってくるとか超ウケるんだけど。犬かよ」
まくし立てられて、私はちょっと混乱した。
「え? でもこれ、ラブレターで……大切な物なんじゃ?」
「べっつにー。大切じゃないわよソレ? ピュア系がタイプだって聞いて、テキトーに書いたやつだし」
「適当に……」
「そ。テキトーに」
そう言った彼女は私の手からラブレターを摘み取って、ビリビリと破り捨ててしまった。
(なっ……そんな簡単に)
それには、凜くんへの大切な想いが、綴られているのだと思っていた。
だから大事にして持ってきたのに。
その破片が舞い散る様を見て、私は、抱えていた本を固く握り締めた。
「……だから、叶わないのよ」
零れ出た小さな言葉を、彼女達が「あ?」と聞き返す。
私は本を抱き締めるようにして、お腹の底から、言ってしまった。
「そんな軽い気持ちで告白するから、フラれるって言ってるのっ!」
その大きな声に、自分で驚いてしまう。
けれど、彼女にはそれが可笑しかったようだ。
「ははっ。なに必死になってんの? 別にフラれたって、次見つけりゃいいじゃん」
道化師を眺めるような視線が、私に刺さる。
「あんま好みのタイプじゃなかったし? でも顔だけは超イケメンだから、連れて歩けば気分良いと思ったのになー」
「ねー。せんぼうのまと? ってやつ?」
「それな! 女の価値は連れてる男で決まるし」
彼女達が、ケラケラと笑う。
私は何か言いたくなって、考えもまとまらないまま口が動いた。
「次を見つければいいとか、連れて歩いたら自慢出来るとか。……『好き』って、そんな薄っぺらいものなの?」
私は声を抑えて、うつむいて話した。
返ってきたのは、ダンッ! と机を叩く音。
彼女は机に手を突いたまま、威圧するように間を詰めてきた。
「じゃあ、お前の言う『好き』ってなんだ?」
真っ赤な唇から出てくる追求が、蛇のように私を絡め取る。
「もしかして、この本に書かれてるような、『永遠の愛』とかか?」
ネイルを塗ったテカテカと光る指先が、本の表紙をグリグリとえぐる。
すくんでしまった私が何も言葉を返せずにいると「ぷっ」と吹き出す声がした。
「あははっ! えいえんのあい? 今時そんなの信じてる子いるんだ?」
「うわダッサ。それは真剣にダサい」
その嘲笑に、私は反論したかった。
けど、出来る訳なかった。
だって、そんなものは無いって、私も思ってるんだから。
「大体さ。もしそんな『好き』があったとして、お前みたいな陰キャを好きになってくれる奴なんているの?」
「だよねー。ぜったいモテないし」
「『いつか素敵な王子様が永遠の愛を』ってか? ぶはっ。何それ? ぶははははっ。アイタタタ。笑い殺す気か」
やめて。
そんな事はありえないって、私が一番わかってる。
こんな私を本気で好きになってくれる人なんて、現れない。
ずっと好きでいてくれる人なんて、いるはずない。
そんなこと、わかってるから……。
「え? もしかして泣いてるの? 自分で喧嘩売っといて?」
「何それー。泣けばいいと思ってんの? お子様なのかな?」
「お子様だから信じてるんでしょ? 自分はお姫様だって、ねえ?」
矢継ぎ早に繰り返される揶揄。
涙が零れそうになって、けど言い返そうとして、私は顔を上げた。
そして、
「俺のお姫様を、泣かしてんじゃねーよ!」
力強く通る声が、教室に響いた。
それは、空想でしかなかった光景。
教室へと入って来た凜くんが、私の肩を抱き寄せる。
「悪いけど、俺が好きなのはこいつだから」
ギュッと、私の頭が凜くんの胸元へ引き寄せられた。
押し付けられた胸板とその言葉。
心臓がドキッと跳ねて、私の胸は、驚き過ぎて壊れてしまったんじゃないかと思うほど高鳴ってゆく。
(え? え? ……なんで? なんでなんでなんで?)
頭の中が疑問符だらけで、周りの声が入ってこない。
凜くんの大きな体に包まれて、私の耳に聞こえてくるのは、早鐘を打つ二つの鼓動だけだった。
どれだけの時間、抱き締められていたのだろう。
頭が真っ白になっている内に、三人の女子は居なくなっていた。
やがて、凜くんは私の体を離してしまう。
「俺達お似合いだってさ。良かったな」
ポンポンと、頭に手を乗せられた。
近過ぎる凜くんの笑顔に、私はまた頭の中が真っ白になって、慌てて身を引いた。
「そ、そんな……私なんかじゃ、凜くんと釣り合わないよ!」
「じゃあ、釣り合うと思えるようになったらいい」
「そんな……無理。むりむり。ぜったい無理! 私みたいな詰まんない女、絶対に飽きて捨てられる!」
「そうかな? 全然詰まんなくないと思うけど……今だって楽しいし」
そう言って凜くんは少し可笑しそうに笑った。
え? なに? 何か面白い所あった?
まあ私みたいな陰キャが狼狽している姿は滑稽だろうけど、凜くんはそんな失礼な事を思う人じゃないって知ってるから。
なのに何が面白いのか、凜くんは笑顔のままだ。
「じゃあ一つ聞くけど、愛は、俺のこと好きって事でいいのかな?」
その問いに私は「え……」と固まった。
そして、凜くんの言葉が意味する事を考える。
……そうだ。私は凜くんに好きって伝えてないのに、何故かそれを前提に話が進んでる。
「なっ、なんで知って――」
「はは。だって愛、分かり易いから。さすがに気付くよ」
「……嘘。いつから?」
「え? うーん……今パッと思い出せないくらい、ずっと前から?」
そ、そんな前から?
うそ? 私ってそこまで分かり易い女だったの?
自分ではクールな方だと思ってたのに。
でも、私の気持ちがとっくに気付かれていたなんて……。
恥ずかし過ぎて死ねる。
「う、うう……」
私は唸り声を上げ、顔を覆ってしゃがみ込んだ。
やばい。きっと耳まで真っ赤だ。
そんなカッコ悪いとこ、凜くんには見られたくない。
「愛のそういう真っ直ぐなとこ、俺は好きだよ」
また頭をポンポンと叩かれた。
その仕草と言葉が嬉し過ぎて、目の奥が熱くなってくる。
私は、自分の顔は見られたくないのに凜くんの顔が見たくなって、顔を手で覆ったまま、目を開けた。
そして、うつむいていた私の目に入ってきたのは――、
スカートに付いたままの、桜の花びら。
「――っ」
散らない桜はない。
別れない男女は居ない。
それは私の持論。
「そう、だよね……」
お父さんに捨てられて、自殺未遂までしたお母さん。
子供に『愛』なんて名前を付けたのに、それは永遠じゃなかった両親のこと。
その氷刃が胸に突き刺さり、熱かった胸の奥が、凍える程に寒くなった。
(もし、凜くんに捨てられでもしたら……私はきっと、生きていけない……)
それを想像しただけで、こらえていた涙が、あっさりと頬を伝った。
ちょっと頭に過っただけで、これだ。
もし実際に起こりでもしたら、私は本当に生きていけないだろう。
「ごめん。凜くん……」
唐突に謝る私に向けて、凜くんは「え?」と問い返してくれた。
けれど、
「私、凜くんとは付き合えないっ!」
一方的にそう告げて、私は教室から逃げ出してしまった。
そこは、空想へ逃げ込むいつもの場所。
垣根の裏の、桜の木の下。
次々と散っていく桜の花びらが、膝を抱えた私の身体に積もっていく。
どうせなら大雪みたいに積もって、私の身も心も覆い隠して、凍らせて欲しかった。
「……ごめん。凜くん」
メガネを外して涙を拭う。
こんな私を好きだと言ってくれた凜くんに、私は、とても酷いことしてる。
胸が苦しくて、もう一度「ごめんなさい」と呟いた。
その言葉を凜くんに届けようとは思わなかったのに、
「ごめんって、なんでだよ?」
肩で息をしながら、凜くんが苦しそうに言った。
私はメガネも掛けず逃げ出そうとしたけれど、腕を掴まれてしまう。
凜くんの手が、痛い程に私を捕まえる。
「離して!」
「イヤだ。離さない」
「離してっ……」
力なく振った私の頭から、桜が舞い散った。
いっそ凜くんの想いも、みっともない私に幻滅して今すぐ散ればいい。
いつか――、
「『いつか散るくらいなら愛なんていらない』とか、そんな風に思ってる?」
「――っ」
思ってる事を言い当てられて、私は息を呑んだ。
「……やっぱり。逃げ出した理由はそれか」
「そんな、なんで――」
「分かるに決まってるだろ? 愛の書いた小説読んでるんだし、考えそうな事くらい想像つくよ」
凜くんの真剣な瞳が、心の奥底まで見透かしてくる。
そんな気がして、顔がカッと熱くなった。
とっさに目を逸らして、私は言う。
「だって、信じられないよ。永遠の愛なんて……。お母さんみたいな事になるくらいなら、そんなもの、最初から、いらない……」
嘘だ。
きっと本当は、何よりも、誰よりも、それを求めてる。
けれど、失ってしまうのが怖くて、散ってしまうのが恐ろしくて、手を伸ばせない。
だからせめて、空想の中だけでもと、永遠の愛に憧れて。
だけど私は、悲恋を描き続けてる。
「どうしてそんなすぐ諦めるんだよ!」
大きな、でも苦しそうな声で、凜くんが言った。
その悲痛な声に、心が締め付けられた。
私は凛くんの顔を見た。
悲しそうな目をして、凜くんは言う。
「どうして、そんな。……『私を好きになってくれる人なんていない』、『愛は永遠に続かない』って。そればっかり」
その辛そうな顔から、私は目が離せなかった。
ぼやけた視界の中で、凜くんだけが見える。
「俺だって、ずっと愛してるなんて、軽々しく言えないって分かってる。大人なんて、永遠の愛を誓ったクセに別れてる奴らばっかりだ。けど、それでも――」
凜くんの震える声が、私の心を震わせる。
「恋は叶わないなんて、愛は続かないなんて、そんなこと言うな! だって――」
その声が、響き合うように私の心に沁み込んで。
「――俺は、愛のことを好きになったんだから!」
その言葉の意味が、諦めで一杯だった私の心を打ち砕いた。
「好きになってくれる人は居たんだ。恋は叶ったんだ。だったら、愛だって続くって、二人なら続けていけるって、信じてみろよ!」
それは、私が本当に欲しかったもの。
そんなものはいらないって、そんなものはないって、そうやって強がっていた私の心が、ずっと求めて続けていたもの。
「もう独りで苦しまなくていいんだ。俺がずっとそばに居る。それで、愛の書いた小説をたくさん読むよ。愛の本当の気持ちは、俺がずっと聞いてるから。だから」
力強く、でも優しく、凜くんが抱き締めてくれる。
「もう何も諦めたりすんな。愛が望んだものは、俺が、全部叶えてやる」
気付けば私は、凜くんの胸の中で、声を上げて泣いていた。
凜くんの大きな手が、私の頭を撫でてくれる。
「凜くん……凜くん!」
溢れる気持ちを伝えたくて、でも言葉にはならなくて、ぐしゃぐしゃの泣き顔のまま、必死に凜くんにしがみつく。
きっと、すごくみっともない顔してる。
けれど凜くんは、そんな私を見て微笑んでくれる。
「だからさ。もう泣くなよ。愛には、笑ってて欲しいから――」
凜くんの手が、私の頬に添えられた。
その男らしい指先が私の涙を拭って、
(あ……このシーン、知ってる)
頭に過ぎったのは、凜くんが一番好きだと言ってくれた、私の小説のワンシーン。
たった一度だけ描いた、悲恋で終わらないストーリー。
それは、散らない桜の物語。
「凜、くん――」
メガネが無くてもハッキリと見えるくらいに凜くんの顔が近づいて。
一面に舞う桜の中で、私の心は、凜くんのぬくもりに満たされて――