ある事業再生 腹黒い経営者黒田社長
50歳過ぎの経営コンサルタント村田の事業再生事例。腹黒い経営者黒田との対決
再生事業との出会い
経営コンサルタントの村田幸夫は
長年やってきた株式上場コンサルティングに限界を感じ、事業再生コンサルティングへの移行を考えていた。
村田は50歳過ぎの温厚な経営コンサルタントである。
そのころ、人の紹介でコールセンターB社の経営者黒田社長と会った。
熊本で、プロバイダーのアウトバウンド販売や秘書代行のインバウンドを行うコールセンターを経営しており、
資金の支援をして欲しいとの依頼だった。
会社も赤字で資金繰りがつかず、銀行借入も出来ません。
1000万円あれば立ち直ると黒田社長は言います。
村田は熊本出身で地元でビジネスしたいと常々思っており、村田にとっても1000万円は大金でしたが、今後の事業計画も確認し事業再生
支援のため融資することにした。
これが泥沼への始まりだった。
まずは、熊本のオフィスを訪問すると
だだっ広いオフィスに従業員・オペレーターが全く見当たりません。
黒田社長によると給与未払いのため皆
退職したとのこと。
本来ならこの時点で事業計画とのズレに気づくべきでした。すなわちうそばっかりなのです。
しかし、何とか熊本の会社を再生させたいという気持ちが先に立ち
村田は益々入り込んでしまったのです。
まずは、オペレーターがいないと仕事になりませんので支度金を払い従業員に
戻ってもらいました。
もちろん支度金は村田の持ち出しです。
しばらく村田は黒田社長に経営を任せましたが、相変わらず毎月赤字で村田が資金を補填しました。
村田も色々経営に口出ししましたが、黒田社長は全く聞きません。
それどころか赤字なのに月100万以上の報酬を取っていました。
なぜなら黒田社長は数年前に豪邸を立て
多額のローン返済を抱えていたからです。
一年で再生すると言ってた黒田社長でしたが、再生どころか村田の資金支援は続き
融資金額は合計3000万を越えていました。
奇跡が起こる
さすがに村田もしびれを切らし黒田社長の代わりに村田が経営をすることになりました。
これまで村田はコールセンターの経営などやったことはありませんでしたが、背に腹は変えられません。
アウトバウンドのプロバイダー商品の変更やオペレーターのインセンティブ変更など変革を行いましたが、売上は上向きません。
もう事業を止めようかと諦めかけた頃
奇跡が起きたのです。
何とR社のプロバイダー商品が大当たり、爆発的に売れるようになったのです。
1年で3000万の利益を出し、過去の累積損失を一掃したのです。
もちろん村田も融資資金を全額回収できました。
やれやれこれで会社も安泰と思った頃黒田社長から村田にクレームがありました。
黒田社長が経営してたならもっと利益が上がったとの言い分です。
村田にとっても争うのも面倒だし、少々経営にも疲れていたので黒田社長が経営者に復帰することになりました。
しかし、売れ筋プロバイダーのコミッション低下、競合の増加でみるみるうちに売上が減少赤字に逆戻りになったのです。
別れ
その後も売上は減少の一方で資金もショートするようになりました。
黒田社長は再度村田に融資を依頼してきました。娘の給食費も払えないとのことです。
村田はそれは筋が違うと応じませんでした。
その内黒田社長は従業員に村田の誹謗中傷を
始めます。
その事は従業員から村田の耳に入ってましたが、許されないことが起こりました。
黒田社長が村田の秘書を電話で罵倒したのです。
秘書は泣きながら村田にその事実を報告しました。
村田も精神的に追い詰められてきました。
村田は自分の事ならまだしも秘書が罵倒されたことに腹を立て珍しく村田は黒田社長に電話し強い口調で謝罪を要求しました。
黒田社長は秘書に直接謝罪したいと言いましたが、秘書は受け入れません。
秘書やスタッフから黒田社長との取引を止めるように意見がでました。
なぜなら、給与計算から、支払い管理、資金繰り全ての業務を村田の会社が受託してたからです。
資金ショートのため、通信費など経費の支払い延滞も発生し督促の電話対応までしていました。
村田もついに決断し、社長に取引停止の通知をしました。
従業員からの情報によるとコールセンターは大変な混乱に陥ったようです。
全く管理業務ができなかったので。
村田は黒田社長と連絡取ることはありませんでしたが、取引停止から3ヶ月ほど経った朝、コールセンター従業員から電話がありました。
黒田社長と全く連絡が取れないと。
連絡取れないことはよくありましたので、頻繁に黒田社長の携帯に電話入れるように言いました。
それから1週間後また従業員から
電話があり、依然黒田社長と連絡取れないとのこと。
これはただ事ではないと感じ村田は警察に連絡するように言いました。
その後警察が黒田社長の自宅に入ったところ一人で亡くなっているところを発見されました。
シャワーを浴びた後心筋梗塞で亡くなったとのこと。
永遠の別れとなってしまったのです。
村田も大きなショックを受けましたが、
悲観に暮れてるばかりはできません。
コールセンターに10名以上の従業員がおり、赤字なのです。
それからまた再生が始まりました。
コールセンターのマネージャーが社長となり、村田がオーナーとして経営に関与
アウトバウンド部門を切り離したり
村田はドラスティックなこともやりました。
結果的にインバウンド部門のみ存続させ、秘書代行の他記帳代行や営業代行も請け負うトータルなアウトソーシング会社として復活し、黒字経営を続けています。
事業再生コンサルティングはどろどろした事例が一杯